遺品整理と形見分け

 鎌倉・鶴岡八幡宮の若宮大路は観察ノートを持った小中学生とおしゃべりに興じるオバサマパワーでその日も溢れんばかりの賑わいでした。
 久しぶりに会った友人は葉桜になりかけた桜並木に目をやり、「先週、満開の桜の花びらが舞い散る中で義母を見送ったばかりなの。94歳の生涯をわがままいっぱい振る舞い、姉妹には先立たれたが、最後家族皆に見送られ、桜吹雪の中を旅立っていくなんて幸せな人ね」

 三男の嫁である友人は最初から煙幕を張り、仕事を持っているからと同居をやんわりと拒否していたが、同居された義兄2人の家族はそのわがままぶりに随分と振り回されたようです。
 挙げ句、さっさと有料老人ホームに入居され、その後は亡くなられたお義父様の恩給もあり、マイペースで優雅な生活をされていらしたようです。
 お元気で健啖家のお義母様へのお土産はいつも好物のうな重をご用意し、お亡くなりになる2日前まで召し上がっていらしたとか。
 「最期まで自分流を貫かれ、まわりにそれを認めさせてしまう才能の持ち主のような方だった」と友人はそれまでの確執など忘れたかのように、どこか懐かしそうにうらやましそうに語ってくれました。
 「嫁の私が言うのも変ですが、まさに大往生では・・・」

 ご葬儀が終り、ホッとしたのもつかの間、三男の嫁にもまだまだ仕事が残っていました。
 来週は終のすみかとなったホームの片付けに取りかからなくてはいけないが、いまだに花粉症のマスクが外せない友人にとってはこれも一仕事。
 業者の方に頼む前に整理をしておかなければと、お義姉様と出動開始予定とのこと。

 物持ちのよい昔の方に違わず、押入れといわず収納できるところには玉石混交あらゆるものが所狭しとばかりに仕舞われ、整理するものが沢山残されているようです。
 
 お義姉様からは友人にも形見分けをぜひと言われているが、「我が家も物があふれ、これ以上荷物も増やせない」と婉曲にお断りしておいたそうです。
 まだまだ友人の格闘は続きそうな気配です。

 春の日差しを背に受けながら友人の近況報告を聞いているうちに、急に我が身のことが心配になってきました。
 万が一の時、我が家に残された荷物はどうなるのかと。
 早速に膨大な数のフイルムとCDの山から整理を始めなくては・・・。
 この気持が我が家に戻るまで持続することを願って、八幡宮に参拝してきましたが・・・。

最後のお別れはゆっくりと・・・。

 「お顔を見てのお別れはこちらで最後になります。お声を掛けてあげてください」
 ご導師退場にて葬儀・告別式も無事終了。
 場面は最後のお別れの儀に移っています。

 柩にお花を手向け、故人様とのお別れはいかばかりかと、式場片隅でご葬儀に立ち会うつどに胃が痛くなるような思いは、回数を経験してもなかなかおいそれと慣れてくれないようです。

 そんなお別れの儀にお集まりの皆様はお1人お一人が故人様との繋がりの深い方が大半で、それぞれの胸のうちを少しでもお伝えしたいご様子が側から見ていても手に取るように分ります。
 しかし、その熱い気持も時として空回りしてしまうようなこともしばしばです。

 ご家族の方々のお花入れが一段落すると、柩の周りは3重4重の人垣で埋め尽くされ、そのまま人の流れも止まりがちになり、お花を持ったまま後方の方は気兼ねされて前に出づらかったり、時として人の輪を離れてお花入れのご様子をじっと見つめていらっしゃるような方もお見受けします。

 心残りのままお帰りになる方もいらっしゃるのではとずっと気になっておりましたが、先日立ち会ったご葬儀の担当者はずばりそのあたりを回答されていました。

 折角のお別れに大半の方がゆっくり顔も見られない状態を考慮し、「お別れをゆっくり」をコンセプトに柩を囲むように左右にイスを並べ、ロビーでお待ちの皆様をお迎えしました。

 立っていると前に出られる方と出たくても出られない方ができてしまうので、着席していただいて順次立ち上がり、前に出て柩の故人と御対面していただく形になりました。
 「お花を入れる時、お父様への思いをお話してやってください」担当者の声に促されるかのように、皆さんの声が続いています。
 ご葬儀はちょっとした気配りが大きくものをいうようです。

提案力

 「4軒も断られたんですけれど・・・」
 電話口の方は、一瞬耳を疑ったかのように聞きなおされたとのこと。
 ご自宅でのご葬儀を希望されたのですが、ことごとく葬儀社に断られ、途方にくれていらっしゃったご様子のようです。
 「大丈夫ですよ」ごく普通にお答えしたのですが、あまりにあっさりと承諾したので、電話の主は少しの警戒心を持ちながらも、ホッとされた安堵感で堰を切ったかのように事情を説明され、ご要望をあれこれとお話されたそうです。
 勿論その後のご葬儀は無事滞りなく執り行うことができたことはいうまでもありません。
 これは先日、葬儀社の担当者から伺ったお話です。

 少し前までご自宅でのご葬儀はあたりまえでしたが、都会ではいつの間にかごく少数派なってしまい、最近では葬儀社の方もお断りするケースが多くなってきているようです。
 葬儀社もご自宅での葬儀経験がないところが増え、煩雑さをさける傾向にあり、何よりも提案力が弱くなって来ているとベテラン担当者は嘆いていました。
 
 ご相談が難題であればあるほどできないのではなく、できるようにあれこれと知恵を絞って工夫することが大事で、やり方ひとつで様々な方法が編み出され、新たな提案ができるはずなのに、面倒なことは始めから除外してしまう傾向にあるようです。
 
 ご葬儀は提案力こそが担当者の勝負になるはずと力説されていました。

 当センターでも、依頼者の方に様々な角度からお話をお伺いして、ご要望に適した賛同社をご紹介しておりますが、さらに担当者とじかにお話されることをお勧めしております。
 詳しい見積の説明もさることながら、特に複数の葬儀社からお話を伺う場合のひとつの目安として、ご要望に対する担当者の提案力も比較検討されてから決められては如何でしょうか。

故人と桜

  「見事な枝ぶりの桜ね。もう咲いているの。どこからもってきたのかしら・・・」

 声のする方へ振り返ると中高年の女性の一団が目の前の桜に一瞬釘付けのご様子です。

  「桜の咲く頃までもう少し待ってほしかったわね・・・」ふと我に返ったようにお1人が呟きます。
 皆さん一斉に頷いていらっしゃいました。
 やがて桜を囲んで故人様との思い出にお話がはずむまでには、時間は掛かりませんでした。

 ご葬儀開式30分前の重苦しい空気が一新されたように和んでいます。
 桜には不思議な力があるようです。

 葬儀担当者の計らいで故人様のイメージに合わせて斎場入口に飾られた寒桜は、満開の時を迎えていました。

 桜の花びらを見ていると、先日、久しぶりに会った友人の口からいきなり「樹木葬」という言葉が飛び出してきて、びっくりしたことを思い出しました。

 お墓は不要と自然志向が高まり、遺骨を細かく砕いて海や山に撒く自然葬や樹木葬はマスコミ中心の話題で、一般的にはまだまだ馴染まない言葉だと思っていましたが、いつの間にかごく普通に人の口にのぼるまでになってきていたようです。

 友人は新潟の友達の訃報をその方のお兄様から知らされ、故人のたってのご希望で樹木葬にされるとのことに、はじめは驚きと戸惑いを隠しきれなかったようです。
 やがて新潟のお友達は大好きだった桜の木の下に埋葬されることになりました。

 友人はいきなりの知らせにまだ気持の整理がつかないが、満開の桜の下で友人とゆっくり語り合えそうだと気持は日に日に高まってきているとのことです。
「今年は新潟の桜見物に行ってきます」。友人の声はどことなく弾んでいました。

 開花宣言が待ち遠しい季節になってきました。

縁について考える

毎日の生活の中で私達は「これも何かのご縁で・・・」とつぶやきながら、親交を暖めあっています。
 様々なご縁があって今、私達は生きています。

 そのご縁とは裏腹に1昨年は無縁社会、無縁死という言葉が社会現象にまでなってしまった感がありました。

 都会の狭間で頼る人もなく、ぽつんと一人で生きている人達の生活や、あげく誰にも看取られることなく亡くなられた方の死を取り上げ、またたく間に流行語のように言葉が1人歩きしてしまったようでした。

 かつての村落共同体のように村中が協力し合って田畑を守り、お互いの生活にまで踏み込んでいた時代とは異なり、都会での生活は各人それぞれの殻の中に入って、直接関係する人達とのコミュニケーションだけが濃厚になっていき、その中から弾き出された人は孤立無援の状態に陥ってしまい、周りとの繋がりも持てなくなってきている人が増えているようでした。

 今までは家族の縁や地縁は好むと好まざるとにかかわらず自然に手に入るものでしたが、これが当てにできなくなってしまった昨今では、今までと違った縁を自分の意思でもって積極的に捜し、作っていくことが重要になってくると思われます。

 ネットで繋がっていく縁、NPOや地域のサークル活動を通じた縁など、様々な縁を持ちましょう。

 東日本大震災から丸1年が過ぎました。
 昨年は無縁社会を払拭するかのように絆の声でいっぱいでした。
 しかし、その間にも無縁社会は着実に広がっていることを実感させられたことが度々でした。中でも家族の縁は切実でした。
今年は絆に加え、新しいご縁の輪が幾重にも繋がっていくことを期待します。

梅と桜の思い出作り

今年は例年よりもだいぶ遅れ、3月に入ってやっと梅の開花の声が聞かれるようになりました。
 春の訪れをいち早く感じさせてくれる梅の開花時期は、私にとっても昨年の宿題をやっと終えて遅まきながら新しい年を実感できる頃でもあります。

 先週、母の7回忌に合わせて、久しぶりに親族が集まるからにはあわよくば実家の梅祭りも堪能できるのではと密かな期待をして帰省したのですが、殆どがつぼみ状態でまだまだ春遠からじの感は否めませんでした。

 25年近く前、母が元気な頃植えた15本ばかりの梅の木も十分な手入れもしないのに元気に育ち、毎年有り余るほどの実をつけてくれる梅たちですが、一説には梅の実は25年をピークに30年が寿命とのこと。
 ということは、我が家の梅たちも例外ではなく、下り坂にさしかかっていると推測されます。
 母の供養の為にも少しでも長く実をつけてくれるよう、そろそろ身を入れた手入れを考えなくてはと反省しきりで戻って参りました。

 そんな折、湘南在住の友人から4月のスケジュールの打診がありました。
 昨年夏信州でお会いしたお母様のお友達から、最後の旅行になりそうなのでぜひお会いしたい旨の連絡があったとのこと。

 友人のお母様の幼友達である大先輩は御年95歳ですが、娘さんの車で信州の自然をあちこちスケッチされては、ちぎり絵作家として今でも意欲的に活動されていらっしゃいます。

 友人は桜の開花時期を見計らってお母様のお墓参りを兼ね、湘南から富士霊園への企画をあれこれと立てているようです。
 湘南にはお孫さん一家もお住まいになり、今回御一緒されるご様子です。
 4世代が御一緒される機会はめったにありません。
 写真班も兼ねて皆さん御一緒の写真を出来るだけ沢山撮りながら、日長1日を満開の桜の下で過ごすのを今から楽しみにわくわくしながら待っています。

 いつの日か、ご家族皆さんの写真が、旅立ちの日の思い出コーナーに並んだ時には、お越し頂いた方々も新たな思い出の1ページを作ってくれるのではと期待を込めているのですが・・・。

 写真を撮られるのが苦手な私の手もとには大人になってからの家族と一緒の写真が見当たりません。
 撮る機会は幾らでもあったのにとは後で思うことです。
 7回忌を迎えて、母と一緒の写真がないことに気が付き、せめてもと母の梅の木を沢山撮ってきました。

 これからは一つひとつ、思い出作りになるように心がけていくつもりです。

100歳現役をめざそう。

 「あら、明日私誕生日だわ」料理教室の次回予定日を確認していたお仲間が手帳を見ながらつぶやきました。
 83回目の誕生日を迎える手帳にはびっしりと予定が書き込まれていました。
 現役で数々の要職につき、全国を飛び回っているお元気な秘訣は歩くことだそうです。

 「ただし、この歳で1万歩はいけません。お医者さんからは1日1万歩を勧められますが、同年代の皆さんは一様にひざを痛めています。6〜7千歩で止めましょう」とやみくもに突っ走るお仲間にはやんわり警告も発しています。
 御一緒している鎌倉の散策では、足の速さと姿勢の良さに2回りも3回りも若い(?)仲間が焦ります。

 先日も舞台写真の展覧会を観て、修業を積んだ役者のまなざしから、生を重ねること、一筋に生きること、老いることは芸術と言う思いを新たにされたとのお話を伺いました。
 若い役者にはない強さ感じられ、久しぶりに大いなる刺激を受け、ドキッとさせられたとのこと。
 先輩にはいつも発奮させられます。

 また、長年小さな出版社を営んでいる友人は、この先輩のさらに二回り近く上で100歳を優に越している大先輩からも、大いに励ましを受けているとのことです。

 昨年104歳の誕生日に掛け参じた時も、100歳近くまで現役で仕事をされていた方ですので、今やりたいことは即座に「仕事です」とお答えされるほどのお元気ぶりだったそうです。

 大先輩の長生きの秘訣は嫌なことをしないこと。
 「そういう人はお金儲けが下手だからあなたも長生きするわよ・・・。あなたも100歳まで生きるから頑張れ、頑張れ」とお会いするたびに発破をかけられてくる始末だそうです。

 昨年9月の統計では日本の人口の中で100歳以上の方がここ20年ほどで10倍に膨れ上がり、今や4万人を超すほどとの報道を耳にしました。

 いつまでもお元気で、我々の希望の星でいてください。
 大往生された暁には、紅白のお饅頭がご会葬者皆様におくばりできますように・・・。

 最近、60代の方のご葬儀に連続して立ち会うはめになりました。
 第2の人生の扉を開けたばかりなのにシャットアウトしなければならない無念さが胸に迫ります。
 人の命はいつお迎えが来るか分りません。
 今を悔いなく生きるためにも前進あるのみをモットーに、先輩達を見習っていきたいと思います。

見送り方、見送られ方

 昨今では、人の見送り方も様々に多様化されてきているようですが、その代表としてよく取り上げられるご葬儀のひとつに家族葬があります。
 文字通り、ご家族ご親族のみでお見送りするご葬儀を定義づけたものですが、これが時として思わぬ波紋を呼ぶことがあります。

 先日の新聞の投書欄にお義母様の遺言どおりの「家族葬」にしたが、出棺の時噂を聞きつけた近所の方や友人の「可愛そうに、こんな葬儀で・・・」という声が耳に入って、そのことが3回忌を迎えたこの2年間ずっと心に引っ掛かっているとのこと。

 「最期の別れをしたいのは家族も友人も同じ」とも言われ、その後説明に回られたが同じようなことを言われ、親しい方とのお別れの仕方の難しさを実感されたご様子が書かれていました。

 地域の共同体意識が薄れたとは言え、次世代の子供達は親の世代の付き合い方をよく観察していないと、いざという時自分達の考えを通すだけでは反発を招くことにもなりかねません。
 長年の友人知人のそれぞれの思いは複雑で、繋がりは子供達が思っている以上かもしれません。

 ご葬儀のことを切り出すのは縁起でもないとタブー視し続けた親世代を少しずつでも軟化させ、最期について様々な角度から親子で十二分に話し合いをされることが必要になってきたようです。
  
 次世代は親と話し合うことで自身の最期も意識せざるを得なくなり、自分はどう生きたいのかが問われ、各人のこれからの生き方にも影響されてくることでしょう。
 流行っているから私もではなく、私の最期はこうしたいという思いが周りを説得させ、周りもそれ以前をどうすべきかお互いの関係がはっきりしてくることと思います。

 今は過渡期で本番はこれから始まります。

 先日、久しぶりに集まった女子会のおばさん達の会話も、話題はいつの間にか最期はどうしたいかどうされたいかになっていました。
 それにしても皆さんとうとうとご自身の意見を述べておられました。
 皆さんエンディングノートにもはっきりと書いていらっしゃるとのこと。
 これが必要とされるまでにはまだ少し時間があるようですが、頼もしい限りです。
 必要となる頃までにはどんな変化が待ち受けているでしょうか。

式場の良さは現場の声が届いているか否かで決まる

 市民優先という枠があるものの、寒い季節にとって公営斎場での式場予約は混み合い、ご葬儀まで1週間近く待たされる日もでてきますが、それでも依然として人気は高いようです。

 火葬場併設のため出棺後車での移動がなく、式場費も民間に比べリーズナブルなお値段でのご葬儀は、今後益々注目されるのではと思われます。
 式場の事前見学にお見えになる方も、荘厳なイメージの式場や広いロビーを見て安心してお帰りになられることと思いますが、関係者からの説明を受けただけでは気が付かないことも出てきます。

 その代表格として取り上げられるのが騒音問題です。
 実際にご葬儀をされ、初めて気付かれる方も多いようです。
 横並びの式場は大型葬儀にも対応可能なようにスライディングウォールで仕切っただけのところが多く、斎場サイドもお隣とのご葬儀時間差を設けたり、マイク使用を禁じたりと、騒音対策を打っていますが、そのつど注意を促すまでには至っていないのが現状と見受けられます。

 音響効果がよい式場内でのこと、静粛なご葬儀中お隣から洩れ聞こえる雑音は大変気になります。
 ご葬儀が終った安堵感からか、ご会葬者の一段とハイテンションのおしゃべりが筒抜けになったり、お隣の読経の声がスピーカーで増幅され、こちらの読経がかき消されたり、時にはご葬儀終了後の撤収作業の音まで響き渡り、ご喪家のお気持ちを思うと気が気ではない場面に出くわします。

 先日お伺いした斎場は大・小式場の間にトイレが一ヶ所小式場側にあり、しかも床がフローリングのため、小式場でのご葬儀中、後から大ホールへお見えになったお客様のヒールの靴音が暫しの間響き渡っていました。
「静かにお願いします」の張り紙をご覧になっても、普通に歩いている足音まではなかなか気が付きません。

 式場改修の折はぜひ、葬儀関係者のご意見も参考にお願いできればと思いますが・・・。

女性の方は寒さ対策を万全に!

 東京にも初雪が見られ、寒さも一段と厳しさを増してきました。

 先日、ご葬儀の立会いにお伺いした折、葬儀社の方から「今、公営の式場を押さえるのが困難な状況が続いています」とのお話がありました。
 例年だと12月に入る頃にはご葬儀が増え、暮からお正月にかけてピークを迎えていましたが、昨年から今年にかけては比較的斎場を押さえやすかったようです。
 お正月三が日の混雑ぶりも例年ほどではなく、比較的平穏だったとのこと。
 その分ずれ込んで、今ひとつのピークを迎えているようです。

 12月の暖かさから最近の急な寒さは特にお歳を召した方々には深刻です。
 これも昨今の季節がずれてきていることと関係があるのではと推測してしまいますが・・・。

 一方、寒さに関してはご葬儀の現場も万全ではありません。
 大勢の会葬者が見込まれる会場の場合はテント内でのストーブに頼る場合が多く、参列者は思わぬところで戸惑われることもしばしばです。
 大型ストーブの周りは熱いくらいですが、少し離れると寒さがこたえます。

 経験されたご喪家の方々はご要望の筆頭にこの寒さ対策が挙げられ、室内でお待ちいただける斎場を強くご希望されるのもうなずけます。
 しかし、大勢の方が一堂にお待ちいただける式場も限られています。
 多くのご会葬者が予想されるご葬儀に参列される場合、まずはご自身の手でどんな状況にでも対応できる寒さ対策をしておきましょう。

 今年はインフルエンザも流行の兆しを見せております。
 万が一のことも考え合わせておきましょう。

 実は今一番必要性を感じているのは、立会いにお伺いして背中に悪寒を感じた私自身ですので、老婆心ながら申し上げておきます。