思い出コーナー

 ご喪家のご要望で生前故人が愛用したものや趣味の作品、家族との思い出の写真を式場のコーナーに飾り、葬儀に出席していただいた友人知人に見ていただくことがよくございます。

 通夜や葬儀の始まる前、悲しみの中にもそのコーナーの周りはおしゃべりと時には笑い声さえ聞えます 生前、なかなかお会いできなかった故人との思い出が、1枚の写真を巡ってよみがえって来るようです.
 1枚1枚の写真はごく普通の家族のスナップ写真であっても、その時代に関わった友人にとって貴重な最後の1枚になります。

コーナーの作成は葬儀社のほうで全てやる場合と、ご家族の皆様に手伝ってもらい、少しでも自分達の葬儀である実感を味わっていただくやり方があります。

 思い出コーナーは普段なかなかお会いできないご親族や会葬者との会話のきっかけにもなるようです。

ご遺族と担当者の信頼関係と安心感

 都会の核家族化と言われ30年余り、その代表選手の団塊世代からのご相談が多い昨今ですが、地方の風習に則った葬儀ではない葬儀をどうやれば良いのか分からず戸惑う人達が増えてきているのが現状です。

 年取ったご両親を引き取りお見送りする段になって初めて気がつくという具合のようです。
 葬儀社任せになり、うっかりすると「葬儀とはこういうものだ」と押し付けられてしまうことも無くはありません。

 本来、ご家族を考え、地域性を考慮したり、故人の性格やもろもろのことを考慮したうえで、こんな形がありますよと提案したり、説明しながらやっていかなければならないことだと考えます。
 担当者はご遺族から、早い時期に信頼を得ることが大切ですし、特に納棺前までに適切なアドバイスをしてご遺族に安心感を与えることは大事なことだと思います。

 こうしなければいけませんではなく、この場合はこうした方がいいですよとアドバイスし、ご遺族の要望は出来る限り聞くことで信頼感が生まれるのだと思います。
 また、菩提寺がある場合は菩提寺の考えを優先し、まずお伺いを立て、菩提寺の日程を伺ってから葬儀の日程を決める気配りは大切です。

 担当者は前に立って色々と仕切りますが、主役はあくまでご遺族です。

参列者の導線

 「会葬者を如何にスムースに誘導できるか」葬儀担当者が式を進行する中で最も気を使う中の一つです。 縁の下の力持ちのようなことですが、これがうまくいくかどうかで式の印象も大きく変わってしまいます。
 一定の時間内にご焼香を終え、しかも参列者の皆様に余分な気を使わせず満足してもらう為には細心の注意が必要です。
 特に民営の斎場は広さもまちまちで、色々な制約もあります。その中で如何に効率よく、会葬者同士ぶつからない様に流れをつくるか腕の見せ所です。
 斎場の特徴をそれぞれ把握して増減する人数に照らし合わせて臨機応変に対応する。
 テントで受付を済ませた会葬者を季節によりどこに並んでいただき、ご焼香台をどこに置き、ご焼香を終えた方をどちらにご案内するか気を配り、遅れていらっしゃった方最後のお一人にまで気が抜けません。  たとえば、広いロビーのある斎場での告別式の場合は半円を描くように携帯品預かり所、各方面受付からご焼香台へ、ご焼香が済んだ方の先は返礼品受け渡しの係りが待機するという流れをつくり、式場に直接出入りする方と交わらないように工夫されていました。
 また、500名規模の会葬者の場合は一般記帳では間に合わなくなるため、カードに記入していただき名刺と一緒に出していただいたり、通夜のお清め所を一般会葬者用とご親族用を分け、ご親族を待たせることなくお清めができるようにされていました。
 
 ロビーがない式場でも軒下を利用して並んでいただき、ご焼香を済ませた方は脇の出入り口から2階のお清め所に行かれるような流れをつくることもできるようです。
 同じ式場を使っても、会葬者の人数によって導線を変更するなど、 担当者の采配ぶりが注目されるところです。

火葬場での直葬の方法もいろいろ

 8年ほど前のセンター設立当初のころは、葬儀・告別式をせずに直葬(火葬のみ)というのはまれで、何か特別な事情でもおありになるのかと一瞬でも伺う方にもためらいがありましたが、最近では相談に乗る機会がかなり頻繁になってきました。
 経済的理由だけでなく、故人の意思を尊重する形も増えてきているかもしれません。状況が以前とはかなり様変わりをしてきたようにも思われます。
 
 先日のご相談では、病院での長患いのため、1度ご自宅に帰り、翌日火葬にしたいとのご遺族の要望でした。
 久しぶりにご自宅にお帰りになった夜は、故人を囲みご家族皆さんで積もる話をされ、1晩ゆっくりなさったようです。
 翌日午後火葬場には遠方からのご親戚も集まり、告別ホールでの短い読経で最後のお別れをした後、ご遺体は火葬へと移されました。
 
 直葬の場合は最後のお別れの読経も告別ホールあるいは火葬炉前と火葬場により違ってきます。
 読経時間も5分以内から20分位までできるところもあります。大方は告別ホールで最後になりますが、お花入れや読経を火葬炉前で行うことができるところもあります。

安心してお任せできる担当者

 ご葬儀は慶びごととは異なり、心の準備もないままに突然迎えたり、平常心ではない精神状態で臨むため、はじめは金額や式場、祭壇などの目に見えるものばかりに関心がいってしまいがちですが、終わってみると、担当者の采配ぶりがいかに重要おわかりになるようです。
 そのため、一人の担当者が責任を持って最初から最後まで丁寧に面倒どうを見ることが大切な要素になります。

 ご喪家と担当者の相性もありますが、ベテランともなれば、そこはプロです。
 最初の打ち合わせでご喪家は何を望んでいるのかをいち早くキャッチし、それと同時にご喪家の方に「この人に任せて大丈夫だ」という安心感を持っていただくことが最初の鍵になるようです。
 初めてお会いした方に、如何に早くなつき、なついてもらうことが大切。
 相手の方がこっちに入っていいよと受け入れてくれれば、相手も色々と聞きやすくなるので、その時間を如何に詰めるかに掛かっているそうです。
 打ち合わせでは、色々な話をしますが、写真を預かったり、色紙を書いてもらったり、色々な話をしていると、おおよその生前の人となりがわかってくるそうです。
 安心して任せられる担当者に出会うことは葬儀を執り行う中で最も重要なことだと思います。

ご自宅に搬送されてはいかがでしょうか

 事前相談を受けて、こちらからは要望を整理するための質問、相談者からはそれに対する回答、こうしたメールでのやり取りの初期の段階での途中で、「急変しまして、今亡くなりました」との電話が入ることがあります。

 受話器をそのままにしていただき、その間すぐさま葬儀社に連絡いたします。
 病院には1時間以内に到着できることを確認し、その旨を電話口に伝えると先ほどからの緊迫した空気が和み、少し落ち着きを取り戻したようです。後は搬送から火葬まで全て葬儀社の担当者が面倒をみてくれますのでご遺族は安心してお任せしていただきます。

 私どもが緊急時から見積を取る時まで必ずお聞きするのは搬送先。
 自宅か自宅以外のところになりますが、都会では自宅以外がどんどん増えているようです。
 昨今の集合住宅事情やら、地域のコミュニケーション不足等からかご遺体はご自宅を素通りして斎場の安置所、葬儀社の安置所、寝台会社の安置所等に預けられます。
 したがって、故人にとって病院に入院する時が家との最後の別れになってしまうことも、まれではなくなってきています。

 私事になりますが、10年ほど前伯父の葬儀の時自宅に戻らずいきなり斎場に安置されたことを聞き、ビックリしたのと同時になぜという疑問が残ったことが思い出されます。
 ご自宅への搬送に支障がないようでしたらできるだけ一度ご自宅にお帰り頂き、住み慣れた我が家から出発されるのも故人への最後のプレゼントにならないでしょうか。
 こうした「故人への想い」の面を説明しますと、「そうですね、そうしましたら、やはり自宅から送り出すようにしたい」と言われる方もいます。

 自宅以外の場所に搬送され、大勢の会葬者と豪華な祭壇に囲まれ、静々と執り行われる通夜・告別式がある一方で、このところ病院からご自宅に搬送され、一晩ゆっくりご家族と過ごし、翌日火葬に向われるというシンプルなケースもありました。
 質素倹約だけではない家族の繋がりが感じられ、見送り方の多様性も芽生えてきたよう思われます。

旅先でのご不幸も考慮して・・・。

 お彼岸も過ぎ、青空の下、思わず旅に出たくなる季節がやってきました。

 最近流行の中高年の山ガールに代表されるように、お歳を召した方々もお元気で、遠方まで足を延ばす方が年々増えているようです。

 その一方で、旅先でのご不幸をお聞きすることも多くなりました。
 最近も立て続けにご遺族の方からご相談をいただきました。
 何の準備もなく、突然にそれも遠方でのご不幸となれば、お子様達の狼狽ぶりも推して知るべしとなります。

 先日、深夜のお電話はお母様が山で遭難され、今地元の警察にご安置されているが、明朝、迎えに行くところから何とかお願い出来ないかとお嬢さんからのご相談でした。

 すぐ手配をして、葬儀社の方もお嬢さんのご要望に沿う斎場を直ちに確保し、搬送の出発を待つばかりでした。

 ところが出発寸前にお母様との面会から戻られたお兄様方の強いご意向で、急遽お兄様ご希望の斎場を持つ葬儀社さんに変更を余儀なくされ、電話口のお嬢さんも途方に暮れたご様子でした。

 また、山陰をお母様とご旅行中の息子さんは、お母様が突然倒れられ、旅先での看護もむなしく旅立たれてしまいました。
 急遽ご遺体を空輸され、ご実家近くの斎場でご葬儀を執り行いましたが、無我夢中で暫くは何も手が付かない状態でしたとお母様の一周忌にご丁寧なご報告をいただきました。

 転ばぬ先の杖ではありませんが、縁起でもないと言わずに、お元気でお出かけ前にご自身の万が一の時を考えて、エンディングノートにご希望を記載することも忘れずにしたいものです。
 書いたら後は忘れても大丈夫です。
 楽しい旅もいつ暗転するかわかりませんが、後は目いっぱい秋の夜長を楽しんできましょう。

巾着田の漫珠沙華に会いに行こう・・・。

 大型の台風一家がようやく去ったと思ったら、早くも23日は彼岸の中日です。

 暑さ寒さも彼岸までのたとえ通り、一気に秋の気配が濃厚になってきました。

 今年も日高市の巾着田に群生する漫珠沙華をテレビや新聞報道でお目にかかれるのでしょうか。

 隠れファンとしては待ち遠しい季節です。
 あの毒々しいまでに真っ赤な色調は見る人の心を惑わし、どぎまぎさせるのに十分な迫力です。

 別名、彼岸花は死人花、幽霊花とまで言われ、表向きは恐ろしげで猥雑なイメージを持ちながら、どこか人を引き寄せる力があり、かつてのアンダーグラウンドの演劇や踊りの演目に度々登場していたことを思い出しました。

 いや、もっと昔、子供心にもあまりの鮮やかな花に見とれ、土手に咲いていた漫珠沙華を摘み取り、茎の皮をむいて首飾りを作り、意気揚々と持ち帰ってしかられた思い出もよみがえって来ました。

 十数年前、友人とこの漫珠沙華の群生を見に高麗駅まで足を伸ばしたのですが、どういうわけか巾着田にたどり着けず、駅前の居酒屋で残念会をしたこともありました。

 その友人の三回忌が近づいてきました。
 お彼岸には間に合わないが、三回忌までには漫珠沙華の写真が間に合うかもしれない。

 秋の一日、巾着田の漫珠沙華に会いに行ってこよう。

老人について考える

 日中は相変わらずの照り返しが続いていますが、早9月も中盤に差し掛かっています。

 9月15日と言えば『敬老の日』でしたが、いつの間にか敬老の日を記念する「老人の日」となり、肝心の「敬老の日」は第3月曜日とややこしく(?)なってしまいました。

 さらに15日からの1週間は老人週間とも名付けられているようです。
 東京都でもこの1週間は老人にとって様々な得点が与えられるようですが、中には浮かぬ顔をされている方もいらっしゃるのでは・・・。

 今年になって区役所から介護保険証が送られ、戸惑いが隠しきれない様子の友人もその1人になるはずでした。
 この一件は歳を忘れ仕事に、遊びにと没頭していた友人にとってショックは大きく、側から見ていても少々酷なように感じるほどでした。

 そんななか、一方で全国には100歳以上の高齢者が4万8千人近くもいらっしゃって、その内の87%以上が女性との報道には思わずうなずくことしきりでした。

 先日、友人はそのお1人でもある、御歳105歳のかつてお仕事仲間の誕生祝いに伺った折、「あなたを見ていると私の若い頃にそっくり、絶対長生きの相よ」と太鼓判を押されたとのこと。

 105歳の迫力にたじたじだったことをあんなに楽しそうに話す友人を見るのも久しぶりでした。

 やっと我に返ったと言う友人は、これからのことを前向きに捉えて行く一歩として、エンディングノートを求め、毎年書き改めていくと宣言していました。

中秋の名月にお願いすることは・・・。

  「昨晩の月は清々しいほどに美しく、月見団子を食べながらしばし見とれていました」と朝方、友人からメールが届きました。

  今年は6年ぶりに中秋の名月が満月になったとのこと。
  兎の餅つきを連想させるお月さんを無心にながめ、願いごとを姉妹で話していた子供の頃を久しぶりに思い出しました。

  いつの間にか都会生活では空をゆっくり眺める習慣も無くなりましたが、故郷では縁側にススキやお団子や小芋などをお供えした風習は続いているのでしょうか。
  野菜嫌いな私もお供えをした小芋だけは大好物だったことを思い出しました。

  今年は例年になく昔からの習わし一つひとつが気になります。

  一個人の問題ではなく、日本のあるべき姿をもう一度再確認したい気持の高まりが、全国あちこちから沸き起こって来ているように感じます。

  3・11の未曾有の大災害はある意味もう一度、じっくりと日本を見直し、残すべきものをしっかり残しておこうという機会を与えてくれました。

  その地に古くから伝わる行事を改めて見直したり、長老に我が家のしきたりを伺ったりと、伝統行事が全国各地で盛んに取り上げられたのも今年の夏の特徴のようでした。
 
  それは丁度、各人のアイデンティティーを確かめているようにも感じられました。

  今朝の新聞には陸前高田の松林で1本だけ残った松が、満月の明かりに照らされて、必死に生きようとガンバって立っている姿が載っていました。
  前途多難の松ですが、何とか持ちこたえられるように、お月様にお願いしておきましょう。