気配り

最近のご葬儀後のアンケートやご報告いただいたお手紙の中では、「気配り」に関する事柄が多く取り上げられ、目立ってきているようです。

 悲しみで他の事が考えられないような状態の中、担当者を始めとしたスタッフのちょっとした心遣いに勇気付けられ、ふと我に返って気を持ち直された経験をお持ちの方も多いのでは。

 しかし、時としてこの気配りが意外な方向に行ってしまうこともあるようです。

 その1例として、柩へのお花入れの際、葬儀社のスタッフが腰を落ち着けてゆっくりと最期のお別れができるよう、柩脇にイスのご用意をしたのが、ご喪家にとっては徒になってしまったようなケースもありました。

 「ご老人や足の不自由な方がいらっしゃる場合を除き、遺族は悲しみに没頭したいと思いますので、ご配慮はありがたかったのですが、とても気が散りました」とのご報告いただき、その場の配慮が足りなかったことを大いに反省させられました。

 しかしながら、ご会葬者お一人おひとりのお気持に沿いながら、常に配慮を怠らないように気を配るのには、矢張りベテラン担当者に1日の長があるようです。

 長年この仕事に携わってきた担当者は常に気配を感じ、ご会葬のどの方がどのような状態でいらっしゃるのかを常にチェックしながら、さりげなくイス一脚を勧めるタイミングまで心得ていらっしゃるとのこと。

 ご葬儀立会いで伺った時の手際のよさには、側から見ていてもさすがと思わせるものがありました。
 後方片隅でお立ちになっていた白髪の老紳士の一瞬の笑顔がご会葬の方々を代表しているようにも感じられたほどです。

最期

 「見積りはファックスか、郵送どちらにしましょうか」
 「お母さん、どうしよう。ファックスの方が早いわよね。じゃあ、ファックスでお願いします」

 事前相談とはいえ、電話口の方の受け答えにはまだ、余裕さえ感じられました。
 数時間後、その見積りが必要になるとは御家族どなたも想像さえできなかったのでは・・・。

 ご葬儀の相談をしていると、このようなことが度重なって起こることがあります。

 中には御本人様の体調が安定してきたので今日退院され、ご自宅に戻られたのでご相談の続きをされたいと、半年ぶりに依頼者のお嬢さんからメールを頂いたその晩、急変され旅立たれた方もいらっしゃいました。

 「私も本当にびっくりいたしましたが、あさがおさんとは何か見えない糸で繋がれている様な不思議なご縁を感じました」
 後日、お嬢さんからご葬儀のご報告と丁重な御挨拶をいただいたのは、言うまでも有りません。

 また、ご自身の最期を感じ取り、側から見ればお元気そうなのに、ご自身のご葬儀の相談をされ、1ヶ月後、後を任されたお兄様からご連絡をいただき、にわかに信じられない思いにさせられたこともありました。

 当方とはメールでのやりとりでしたが、あまりに落着いたしっかりした文面に、時としてどなたのご相談でしたっけ・・・と、思わず読み返してしまうほどでした。
 
 葬儀社の担当者は1週間前にお会いして綿密なご相談をされたばかりとのことで、笑顔が思い出され、同年代として思わず込み上げてくるものありますとしみじみおっしゃっていました。

 人間、一人ひとり、最期っていつ来るのでしょうか。

 東日本大震災から間もなく半年が過ぎようとしています。
 今年の夏は「寿命」のことが走馬灯のように、いろいろと思い巡らされました。

式場の良し悪しは関係スタッフの気持の持ち方で決まってしまう・・・。

 「ただでさえ悲しい思いをしているのに、本当に辛かったです」

 女子トイレで休憩している式場関係者の会話が偶然耳に入り、それが自分達に向けられた遠慮の無いおしゃべりと気が付くまでに少々時間を要するほどだったようです。
 
 その地域では立派な式場として、名が通った斎場での出来事でした。

 生前からのお父様の希望で何の迷いも無く式場を指定されたが、終わってみればもう2度と利用したくないとかたくなまでに思い込まれたほどでした。
 それまでの事が完璧なまでにスムースに運び、大役を果した安堵感も一気に吹き飛んでしまわれたようです。

 また、老舗葬儀社さんの自社ホールでのご葬儀をご紹介したケースでも、屋外の吸殻いれを囲んでスタッフが喫煙・談笑しているところに喪主の方が出くわし、通り過ぎても笑顔が改まることがなく、非常に残念な気持にさせられたとのご報告を頂いたことがありました。

 普段の生活では何気ないことでも、ことご葬儀に関してはやはり気配りが足りなかったようです。

 一方、都内の少し年期の入った式場に伺った時には、御出棺の後、お客様をお見送りされるや否やスタッフが一斉にエプロン姿になりお掃除に取り掛かり始めました。

 「毎回ごとにお掃除をして綺麗にしています。それがこちらの特徴なんですね」。
 年長の方の明るい御返事にお掃除の手を休めずに皆さんにっこり頷いていました。
 てきぱきとした動きに辺りの空気まで清められていくように感じられました。

 どんなに著名でも、また立派な建物を持った斎場でも、担当される方々の行動や気持如何で満点にもマイナス点にもなってしまいます。
 ご葬儀に携わっている人達一人ひとりがご葬儀のことを思い、どれだけ考えて行動しているかが常に問われる場でもあります。

 斎場の空気はリトマス試験紙のように常に皆様からの診断を仰いでいます。

 「残暑お見舞い申し上げます」のはずが、一気に涼しくなり、ここ2〜3日はご葬儀の黒服姿も苦にならなくなるほどです。

 今年の夏もご葬儀では様々な人間模様を知る機会を得ましたが、嬉しい出来事もありました。

 初めはお姉さんに顔を見るのも拒否された弟さんでしたが、49日も過ぎ、無事三途の川を渡ったことでしょう。

 「警察から遺体を引き取って火葬にしてお骨を預かってくれる葬儀社さんを紹介してください。後でお骨は取りに行きますので・・・」深夜いただいたお電話に思わず・・・。

 20年以上も音信不通の弟さんの死を警察から知らされ、戸惑いが隠しきれないご様子です。

 「顔も見たくないし、だいいち主人にも弟の存在すら話してないので、私の貯金でやるしかないんです」
 
 弟さんの為にもこの切羽詰った状況をなんとか打破してあげなければ・・・。

 ことの次第を話して、センターの賛同社にお願いすることになりましたが、こちらもいっしょにすがるような気持でした。

 2日後、葬儀社さんからの報告は、なんと翌朝東京近郊からお嬢さんとお2人で葬儀社に駆けつけ、一緒に御遺体を引取りに出向いたとのこと。

 さらに翌日の火葬式には御主人と3人のお嬢さんも参列し、無事お見送りして、大事にお骨を抱えてお帰りになられたご様子まで伺いました。

 「49日には菩提寺に納骨します」とおっしゃっていたというお姉さんの晴れ晴れとした顔が目に浮かぶようです。

 案ずるより生むが易いではないが、こちらまで胸のつかえがいっぺんに下りたような気持です。

 今年は3・11以来「絆」という言葉が巷に溢れています。
 お姉さんにとっての「きずな」にはどんな思いが託されているのでしょうか。

今年の送り火騒動を思うと・・・。

風にあおられ、急に勢いを増したり、消えそうになったりと、送り火のリレーはその都度大騒ぎでした。

 5年前の母の新盆では送り火を運ぶため、にわか徒競走が始まりました。
「しっかり持って頂戴」と送られる当の母に叱咤激励されながらも、2度3度と順番が回ってくるに従い、風向きを配慮する余裕も出て、門口までたどり着いた時は、息を弾ませながら一汗かく始末でした。 円陣を組んで送り火を囲み、残り火が消えるまで、炎を見つめ、語らい、そのゆったりとした時間の流れと、母との新たな連帯感ができたような安堵感は、今でも思い出の中にしっかり刻み込まれています。 そんな新盆への思いを持つ者にとって、今年の降って湧いたような送り火騒動には戸惑うばかりです。 津波でなぎ倒された陸前高田の松で作った薪に被災者がメッセージを書き、京都の大文字送り火で燃やす計画が二転三転し、挙げ句中止されてしまいました。 当の被災者は置いてきぼりにされ、周りが空騒ぎした挙げ句、風評まで撒き散らしかねない有様です。 静かな祈りを捧げている地元の被災された方々のお気持をもう1度各人考えてみようではありませんか。

猛暑で思い出した「魔法使いのおばあさんの人生とは」

 うだるような暑さ続いています。
 傍らの新聞をめくると、スペイン映画の「ペーパーバード 幸せは翼にのって」のタイトルと内戦で家族を失った舞台芸人の話に目に止まり、突然、数十年前のスペイン・アンダルシアの8月のことが思い出されました。

 そうです。連日42〜3度の猛暑が続くグラナダの町で出会ったベルダさんのことを。

 グラナダ在住の日本人の間では通称「魔法使いのおばあさん」で通っていたベルダさんは、成程ほうきにまたがればそのままイメージを彷彿させてくれそうな方でした。

 そのベルダさんがかつて人民戦線でスペインを代表する詩人ロルカと共に、銃を持って戦った筋金入りの闘士だったとの噂を聞き、何とかしてそのあたりのことをお伺いしようとしたが、そのことに関しては頑として口をつむぎ、静かに微笑むだけでした。

 ゆったりとイスに腰掛けている老婦人の周りは、猫達がのんびりくつろいでいる他に音も無く、まるでそこだけ幾十年も時間が止まってしまったような錯覚を覚えるほどでした。
 しかし、寡黙が全てを語っているような存在感のある姿に圧倒され、時間を暫し共有させていただいたのが、昨日のように思い出されます。

 その年の11月、長年のフランコ独裁政権はフランコの死によって、幕を閉じました。

 壁に耳あり、障子に目ありの生活から開放された方も多かったのでは・・・。
 ベルダさんのお気持はどんなだったのでしょうか。
 90年間のベルダさんの歴史も、今でしたらきっとお話していただけたのではと、・・・・。

もっと知りたかった、母の歴史を!父の歴史を!

 「父の知らない一面を知ることが出来ました。有難うございます」
 青春を共に過ごした旧友達から、一斉に思い出話を聞かされて、家庭の父とは別の顔を持つ父が存在していたことに、喪主の息子さんは初めて気付かされたようです。
 
 ご葬儀の御挨拶ではこんな場面を幾度となくお見受けします。
 気が付けば、親とは改めて向かい合って、話し合ったという記憶がない方が多いのでは・・・。
 まして、どのように生き、どう死にたいのか、最期をどう迎えたいのか生前にご両親とじっくり話し合われた方は少ないのではと思われます。

 後になって聞きたかったこと、知りたかったことが山ほど出てきます。
 お元気なうちに意識して機会を作り、じっくり話し合っておきましょう。

 先日観たメキシコ映画「グッド・ハーブ」では、それまで母とはお互いに距離を置いて生活していた娘が、若年性アルツハイマーと診断された母との人生を振り返り、残された時間を共に過ごして行くことになりました。
 濃密な時間の流れの中で、やがて植物学者である母の望む生き方に気付き、母の最期を迎えることになります。

 映画のキャッチコピー「もっと知りたかったあなたのことを!母の歴史を・・・」をそのまま皆様にお裾分けしたい気持です。

 てもとの新聞を広げると、商品のインタビュー記事が目に付きました。
 「ビデオカメラを買ったら、お子様よりもお父さんお母さんを撮ってください。かけがえのない贈り物になりますから」と・・・。

蓮の花に託す思いは・・・。

 鎌倉の鶴岡八幡宮の源平池は、いつの間にか白とピンクの大輪の花で埋め尽くされていました。

 少し前までは水面がかなりの面積を見せていたのですが、あっという間に葉が茂り、花が咲き、その生命力には驚かされます。

 今年も蓮の花の季節がやってきました。

 早朝一斉に開くと言われている大きな花びらを見つめていると、包み込まれるようなおおらかさが感じられ、何か願い事がかなうかもしれないと、希望が湧いてきます。

 蓮の花はすでに古代エジプトでも「神聖な花」として珍重がられ、一説には1億4000年前に存在していたとまで言われています。

 途方も無く長い間生き延びてきた生命力とたった4日の花の命の短さは、大自然の中で生きる人の命のはかなさを象徴しているようにも感じられました。

 蓮の花には「救ってください」との花言葉もあると聞きました。
 今年の蓮の花には沢山の人の特別な思いが込められているのでは・・・。

明るく包み込むような安心感。

 以前セミナーで「出会った第1印象は相手の脳裏に1年も残るので、その影響は大きく、しかも出会って3秒~5秒が勝負になります。電話でも感じが良いなと脳裏に残るのは最初の2~3秒で決まります。まずは隣の席の方と10秒間、自己紹介してみてください」と突然言われ、面食らったことがありました。

 また、「人は見た目が9割」というベストセラー本も話題になり、益々相手にどう受け止められているか不安材料が増す世相になってきているようです。
 
 究極のサービス業とも言われている葬儀社の担当者の印象もご喪家の満足度の高さに大きな影響を与えています。
 そんな中、担当者の中でも特にアンケートや人づてで評判の良い方は最初にお会いした印象が驚くほど似ていることに気が付きました。
 皆さん、年齢・姿は違えども依頼者やご喪家との最初の出会いで、明るく包み込むような安心感を抱かせていらっしゃるようです。

 心が不安定な中で、一番頼りにする担当者の第1印象は強烈です。
 その極意をあるベテランの担当者は短い時間でいかに懐き懐かれるかに掛かっていると話された。

 カルチャースクールの講師をしている知人が最初の授業でびっくりしたことは、中高年の生徒さん全員が口をへの字に曲げて御挨拶もされない姿だったとのこと。
 思わず我が身を振り返り、以後必ず鏡の前で口角を上げ、にっこりしてから家を出るようにしているとのこと。
 
 ベテラン担当者の域に到達するのは難しいが、私も鏡に向って口角を出来るだけ上げ、スマイル動作からなら始められそうです。

宗教観を踏まえたご葬儀のあり方を…。

 「5年前の母の葬儀と同様に、無宗教葬で父の葬儀もお願いします。母の時は大好きな音楽とナレーションで綴ったご葬儀でしたが、父の場合はゆったりとした時間を思い出のお話を中心に進行していただければと思います」。

 思わず事前相談かと錯覚を起こすほど電話口での口調は穏やかでした。
 病院から搬送された御遺体はすでにご自宅にご安置されていらっしゃるとのこと。

 早速にご葬儀の手配を整え、受話器を置くと同時位に新たなベルが鳴りました。

 「49日に戒名を付けて納骨と言われたが戒名代ってこんなに掛かるのですか。戒名って何ですか。納骨式はこの何分の一以下で済むと思っていたのですが・・・」。
  
 伺った戒名代はセンターの賛同社が手配する戒名付きのお布施代の倍以上。
 確かに少し高いのでは・・・。

 宗教には関心が無いが、数年前にセールス熱心な石屋さんに根負けして、千葉のお寺さんのお墓を購入。
 このたび、お母様が遠方の老人ホームでお亡くなりになり、ご葬儀はそちらで済ませたが、いざ納骨という段になり、お寺からは戒名が必要と助言されたとのこと。

 お寺のご近所の方に伺うと、このあたりはくだんの戒名代が相場とこともなげに言われたたが、すでにご葬儀での出費で予算が無いのでどうしたものかと。

 昨今は地方から都会に移り住み、ご自宅には御仏壇も無く、葬儀で言われるまで、宗教について考えたこともない方が増えています。
 更にはお近くに頼れる御親族も無く、お知り合いの壇信徒の方もいらっしゃらないケースも出てきています。

 「お寺サイドはあくまでお志でとしかおっしゃらないでしょうが、この際実情を申し上げて交渉されては・・・。その結果をご相談しましょう」と申し上げましたが。

 立て続けのお電話を受け、これから特にご自身のご葬儀を考えるにあたり、従来通りの右倣えではない宗教観を踏まえたご葬儀のあり方を、一考する時期に来ているのではと考えさせられました・・・。