この地の新盆は第2のご葬儀とも呼ばれています。

 梅雨が明けたと思ったら、早くもお盆の季節がやってきました。

 お盆はその地により7月であったり、8月であったりと複雑ですが、実家の遠州地方は町内によって違うはめになり、新盆で伺う時には確かめてからでないと大変です。

 さて、皆様は「盆義理」という言葉を御存知でしょうか。
 子供の頃から耳慣れたこの言葉も、遠州地方独特のものであったことは、後になって知りました。

 この地の新盆は第2のご葬儀とも呼ばれ、新盆のお宅では祭壇や提灯を極彩色に飾りつけ、両脇に親戚一同からの籠盛がずらっと勢揃いする風景がご葬儀以上に華やかな様相を呈しています。

 飾りつけだけでなく、ご葬儀にお出になられた方は再び「盆供」と書かれた不祝儀袋を片手にお伺いする慣わしになっています。
 1年間にご葬儀で伺ったお宅をお盆の日にまとめて伺うため、あちこちで車の大渋滞が起こり、暑い日差しの中を黒服姿が目立つのも、いつか夏の風物詩のように、こちらでは捉えられているようです。

 ご葬儀に伺えなかった方も、「盆義理」に駆けつけることで義理を果すことができることになり、むしろに伺えないと義理を欠くことになるとご葬儀以上に気を使うのが、「盆義理」です。

 しかし、今年のお盆はいつもの年とは異なります。
 東日本大震災で命を落とされた方々の新盆はどのようにお迎えし、お送りされるのでしょうか。
 お身内だけでひっそりとでは寂しすぎます。
 せめてお盆の間だけでも大勢の知人友人と再会され、少しでも安心されて旅立ってほしいものです。

 そのためにも8月の旧盆には被災地の方々が是非「盆義理」を知って、出来るだけ多く取りいれてくれることを願っています。

生きる力を考えさせる作品です。

 あの衝撃の日から早くも4ヶ月が過ぎてしまいました。
 周りの復興が目に見えてくるに従い、かえって被災地の皆さんの気持は整理がつかないまま、多様に揺れ動いているようです。

 お1人お一人の心の傷をどのようにしたら少しでもケアができるのだろうか。

 特に震災の場合はどこに気持をぶつけてよいのか分らないまま、御家族を始とした思い出のもの全てを失った責任の矛先を、今度は自分にむけ、罪悪感にさいなまれる方が増えているとの報道には、正直返す言葉が見つかりません。
 
 そんな折、久しぶりに先日バレエの「瀕死の白鳥」を鑑賞する機会を得ました。

 この「瀕死の白鳥」は、死に瀕した一羽の白鳥が最後の最後まで生きることを諦めず、静かに死を迎えるまでを肉体のみで表現する2分余の小品ですが、いつも踊りを観終わった後は不思議なパワーをもらっていました。

 倒れては起き上がり、生への闘いを挑み続ける作品、悲しみを静かに受け入れながらも凛とした強い意志を持った作品と、ダンサーにより表現方法は違えども、観客にこれほど、生きる力を考えさせる作品も珍しいのでは・・・。

 言葉ではなく、自分自身に照らし合わせて観ていただくためにも、被災地の方々に是非観ていただきたいと思いました。

 来る8月15日にはバレエ界の有志によるチャリティーでも取り上げられる予定とのことですので・・・。

親戚同士の絆

 ご葬儀では時として、ご家族よりもご親族の意向が優先されるような場合も出てきます。
 普段のお付き合いが薄くても、ご葬儀となると親戚同士の絆が急に復活されたように浮上してくるケースも度々耳にします。

 先日も「家族は無宗教葬を希望なのだが、親戚の手前、ごく一般的な仏式にして、読経は形式だけで良いので、できるだけ経費を抑えたい」との御相談を受け、お坊さんの派遣センターへの選択をアドバイスして、ご葬儀を無事終える事ができました。

 それだけに、もてなしをされ、ご会葬の皆様からの「良いご葬儀でした」の一言に胸を詰らせ、アンケートでご報告される方もしばしばいらっしゃいました。

一方で、ご家族だけでお見送りされるつもりでいらっしゃった方が直前になり、「病院へのお見舞いもお断りしていたから、ご親戚や友人の方々には最期のお別れをしてもらおう」とご会葬をお願いされたケースがありました。
 通夜の晩、遠方から駆けつけた御親族の方々10数人が、斎場の広間に貸布団を敷きつめてお休みになられました。
 「なかなかこうした機会もないので、かえって合宿所のような1晩が思い出深く心に刻みこまれた気がします。父が皆をより一層仲良くさせてくれた時間に思えます。翌朝、バケツリレーのように次々とお布団の山が築かれたのは圧巻でした」とご報告いただきました。

 良くも悪くもご親戚を意識されるのは、ご葬儀を置いて他には無いのではと思わせる程でした。

向上心を持ち続けて…。

 無農薬の野菜と手打ち蕎麦のレストラン、職人館の窓の外は見渡す限り一面の田んぼです。
 その田んぼからの心地よい風が頬を撫でる中、先程から女性4人のおしゃべりはつきません。
 4人の年齢はバラバラですが、歳を忘れてあの話この話と、話題には事欠きません。

 取り分けお元気なのは最年長で御歳95歳の友人のお母様。
 色白なお顔にトルコ石のネックレスとイヤリングが映える姿、張りのある声につられていつの間にかこの大先輩に向っても、友達感覚で話し込んでいました。

 毎日の畑仕事と地元信州の四季をちぎり絵で描くのを日課とされていらっしゃるとのこと。
 姿勢の良さ、メリハリのある声、記憶力の良さ、どれも「さすが」の一言ですが、
 更なる向上心を持ち続けてお仕事に励んでいらっしゃる事こそ長寿の秘訣では・・・。

 いつまでもお元気で。
 麦藁帽子を借りてもいださやえんどう、家に持って帰り、大変美味しく頂きました。
 来年も頂きに伺います。

 昔から「孝行したい時分に親はなし」と言われ続けてきましたが、私も年配の御婦人をみるとちょっぴり心が痛みます。
 それが母の晩年を傍にいてあげられなかった娘の唯一の心残りとなっているので。

自分らしく…。

 6月の鎌倉駅構内は平日のお昼前にもかかわらず、中高年の特に女性パワーで溢れかえっていました。
 グループのリーダーも圧倒的に女性が占めているようです。

 今の季節、紫陽花と苔むした岩間に咲く岩たばこの花をお目当てに、皆さんこれから鎌倉の散策に繰出そうと、パワー全開です。
 意気揚々とした姿に圧倒されながらも、おこぼれを預かって、こちらも思わずシャキっとしてくるから不思議です。

 時を同じくして災害時における高齢女性の意識と行動の調査を行なっている友人からは「主として70代の女性からお話をお伺いしているが、押し並べて皆さんお元気。災害時にどうして欲しいというのではなく、どうしたいと助ける側の意見が圧倒的だ」とのお話を伺いました。

 また、平均年齢60代半ばの方々とおしゃべりする機会を持った知人は「一番元気が70代の方で、70代はある意味開放され、自分らしく生きているのかも。60代は70代の基礎作りなのでは・・・」と分析しています。

 「自分らしく」の言葉には、時代を生き抜いてきた先輩達の確かな手ごたえが感じられます。

 先日ご葬儀の事前相談で見積りをお送りした方も76歳でお元気なご様子。
 ご自分のことはご自分で、いつの日にかのために息子さん達に託しておき、これからはやりたいことに向って前進あるのみと電話口の力強いお言葉に大きく頷くばかりでした。

「遠い夏の日」のタイトル

 夏が近づくと一枚の絵葉書が気になります。

 麦藁帽子に白い服の少女は背丈ほどもあるお花畑を突き進んでいます。
 「遠い夏の日」のタイトルの少女はまだお元気でしょうか。

 3年前に頂いた絵葉書の中の少女は後姿しか見せませんが、夏の強い日差しを浴びながらも毅然とした姿で歩き続けているようです。

 数十年後の少女から頂いた事前相談のお礼のお手紙には「万が一の時にはすでに一生が終わって何一つそのことにたずさわることもございませんわけですのに、客観的に冷静に考えられまして妙にすっきりいたしました」としたためられ、これからの行く末を見据えて生きる気迫が感じられました。

 事前相談がマスコミに取り上げられ始め、今までの因習にとらわれず、自分の最期は自分の考えのもとでとご希望される方々が出始めたのも丁度その頃でした。

 「いつか必ずお世話に預かりますことと存じます」と結ばれたお手紙と絵葉書をファイルの中から取り出しては時折眺めています。

 今年もまた永遠の少女からのお便りが届きませんようにと念じつつ・・・・。

梅仕事の季節

 梅仕事の1週間でした。
 というと、大忙しのスタッフからは白い目で見られそうですが、これも供養の為ですのでと、多目に見てもらいましょう。

 今この季節この時期にしか出来ませんから・・・。

 私事で恐縮ですが、今年も墓参りを兼ねて梅の実を採りに帰省してきました。

 毎年梅を採る日は晴天に恵まれ、今回も早朝から慣れぬ手つきでもぎ始め、お昼近くには玉石混交ですが100キロ程の梅の山ができました。

 しかし、これからが大変です。
 大きさを区分けして15人程の友人知人に母の供養の為と半ば強引に送り届けています。
 皆さんそれぞれ今年は何に挑戦するのだろうか。梅干し、梅酒、梅ジュース、梅味噌、梅ジャム・・・etc.

 20年程前に母が植えた梅の木もいつの間にか梅林のていをなすほどに成長しています。
 元気な頃には見向きもしなかった梅仕事、今や音頭を取っている娘の行動にさぞかしあの世で苦笑していることでしょう。
 その母は早くも来年が7回忌。

 梅仕事を終えた部屋のなかはまだほのかに梅の香が漂っています。

気持ちが変わらないうちに…。

 3、11以来友人の間では「整理」が一つのキーワードとなっているようです。

 先日会った友人は、バブル期に大枚はたいて手に入れた巾1メートル以上もある信楽焼きの陶板と大皿を、滋賀県のお寺に寄付したばかりとのこと。

 一人住まいで二つの作品の落着き先を思いあぐねていた時、寺が全焼した新聞記事を見て、ここだと直感的に決めたが、忙しさにかまけそのままになっていました。

 3,11をきっかけに今しかないとやっと念願を果し、ホッと一息ついたところだそうです。

 お墓にまでは持っていかれないから、余分なものは極力持たないと思いつつも、身の回りにはいつの間にか思い出の品物が山積してしまいます。

 友人はリストを作って、これからも機会ある毎に思い出の品をプレゼントしていくつもりとのこと。

 話を聞きながら、昨年亡くなられた方の奥様から頼まれていたことを思い出しました。
まだ手付かずのままになっている2部屋いっぱいのフィルムの整理を手伝って欲しいと。

 よし、この際だ。友人を総動員して一気呵成にやってしまおう。
 気持が変わらないうちに・・・。

お1人おひとりの出会いが次の出会いを生んでいきます

 先日、半年程前に千葉のお母様のご葬儀を無事執り行った方から、今度はご自身のご葬儀のご相談を受けました。
 まだお元気ですが、免許の書き換えではたと思いつき、「息子達が慌てないように今から葬儀の準備を。前回がよかったので、今回は地元埼玉でお願いしたい。時間を取って葬儀社さんからじっくりお話を伺い、その中から決めておきたい」とのことでした。
 候補はお任せしたいとご信頼をいただき、ご紹介した者として改めて身が引き締まる思いです。

 お1人おひとりの出会いが次の出会いを生んでいきます。
 当センターでのリピーターの方々も年々増え、アンケートでも「是非推薦したい~知人よりご相談をうけたら推薦する」までが多くを占めております。

 お父様をお送りされた方は都心にお住まいの独身の叔母様を、またお父様についで3ヵ月後にお母様を同じ担当者で是非お願いしますとご連絡をいただき、不謹慎ながら思わずご返事の声も弾んでしまいがちの時もありました。

 また、友人のご葬儀にご列席の方からも、担当者の奮闘振りを見て「私の時もお願いします」と名刺の交換をされた方もいらっしゃるようです。

 中には思わぬアクシデントがありましたが、その時の担当者の対応に感動され、再度今回もお願いしますとのご連絡をいただいた折りには、担当者共どもほっと安堵したこともありました。

 常に担当者は如何に早くご喪家を安心させ、ご喪家と同じ目線に立って行動できるかに掛かってきています。

 以前、担当者からご葬儀は究極のサービス業であると伺ったことがありましたが、リピーターの方々の声を聞くにつけ、頷くことしきりです。

最期のお花はなににしましょう…

 垣根越しに咲き乱れているお花が一年で一番綺麗な季節になりました。
 先日も知人宅のお庭で丹精込めて作られた薔薇の香に包まれながら、お茶をいただき、至福のひとときを過ごしました。

 お花は人の心にいつしか安らぎを与えてくれているようです。
 人は誕生から最期まで何時でもお花と寄り添って来ています。
 最期の最後までご縁が切れません。

 ご葬儀の立会いに伺った折にも、柩いっぱいの花びらに囲まれるとお顔は一段と明るく見え、今にもパッチリ目を開かれるのではと、ドキッとさせられることもしばしばでした。
 最近ではご葬儀で故人様のお好みのお花を指定される方も増えてきました。
 色を指定される方、お花の種類を指定される方それぞれですが、仏式だから薔薇はダメとかの基準も、最近ではお好みのお花が優先されるようになってきたようです。

 母の日近くには真っ赤なカーネーションを出来るだけ沢山、また大好きな胡蝶蘭を、忘れな草を、カスミソウをアレンジしてとご指定が入ります。

 中でも無宗教葬の方のご葬儀は印象的でした。
 祭壇を作らず柩を白薔薇で飾り、献花もお花入れも全て白薔薇で統一し、最後に奥様だけが真紅の薔薇一輪を手向けました。
 その鮮やかさが今でも目に浮かびます。

 また、石楠花寺として異名のあるお寺の会館では朝採りの石楠花を惜しげもなく、柩に手向けているとのこと。
 チベットのブータンから持ってきた石楠花は仏の花として思いがけないプレゼントにご遺族も大喜びだそうです。

 今度、エンディングノートに書き留めておこう。
 最期のお花は何にしようかと。
 しかし、花好きにとって、まだまだあれこれと目移りしています。