私達の生活を日常に戻すことが大切なのでは…

 隣町まで遠征して大手スーパー、ドラッグストアー20軒近く伺ったが、どこにもトイレットペーパーはありませんでした。
 あの日から2週間が経とうとしていますが、棚には張り紙しか見当たりません。
 電車に乗って3番目に伺った商店街のドラッグストアーの店先に「入荷しましたが、お1人様一個ずつです」の張り紙を見つけた時にはさすがにほっといたしました。

 そんな中、店先に商品が戻りつつあった矢先、今度はペットボトルの水があっという間に棚から消えてしまいました。
 直接必要でない方々の買占めが目立ちます。

 被災地や原発のある地域から遠く離れた都民まで心のバランスを失いかけているようです。
 風評に惑わされず、こんな時だからこそ今一度何が必要か必要でないかを問い直しましょう。

 被災地の方々に何かをしたいと殺到しているようですが、まず私達一人ひとりの生活を日常に戻すことが大切なのではないでしょうか。
 それが、被災地の方々を応援することになるのでは・・・。

電話がつながりにくい状況ですが、慌てる必要はありません。

 あさがお葬儀社紹介センターから、最初に皆様へご連絡いたします。
 
 携帯電話の発信規制や計画停電などにより、電話がつながりにくい場合もあります。
 そのような場合は、あわてずに 下記メールフォームより送信ください。
 ●葬儀の相談

 メールが到着し次第すぐに把握できますので、折り返し、すぐに連絡させていただきます。
 あわてずに、落ち着いて電話やメールにてお知らせいただければと思います。

 言葉で言い表せないような災害から早、4日経ちました。

 瓦礫の下にはまだ沢山の人が救出を待っています。
 災害発生後72時間が生存率の勝負とはいえ、望みは捨てられません。
 昨日は瓦礫の山の中から少女が助け出され、その生命力の強さには大いに勇気付けられ、安堵の笑顔の輝きが忘れられません。

 一方で、本来ならば若者のエネルギーの発散場所であるはずの体育館が、一転してご遺体の安置所になり、次々と柩が運び込まれています。
 ところがこのご遺体を確認するはずの御家族の生存さえ今だ不明のため、お引取りできた方はまだ少数とのこと。
 また、御家族・ご親族の安否を尋ね、あちこちの避難場所を捜しまわった末に、もしやと体育館にお見えになられても直接の面会は難攻を極めているようです。
 途方にくれるご家族に掛ける言葉も見つかりません。

 そんな中、生命とは不思議なものです。
 泥沼の中に蓮の花は咲くように、大災害の渦中にも生命の誕生がありました。

 家族を避難させて、一人産院で頑張った若いお母さんは「この子が大きくなったら、この日のことを話してあげようと思う」とけなげに赤ちゃんを覗き込むように話されていました。
 この世に産声を上げたばかりの赤ちゃんは何を思ったのか「にこっ」と微笑んだ。
 悲惨な画面にぼぅとしていた私も、思わずつられて笑いかけていました。
 一筋の明かりが灯ったように小さないのちに勇気をもらいました。

海洋散骨体験ツアーに参加して・・・。

 波間に浮かぶ花びらは、永遠に漂っているかのような存在感を見せています。
 あたり一面鉛色の中、そこだけが色鮮やかに光を放っているかのようでした。
 
 先日、あいにくの雨模様の中、散骨の体験ツアーに参加してきました。

 雨脚が強くなるばかりの当日は、普段あまり天候を気に掛けることもない私も、朝からテレビの天気予報に釘付けでした。
 風は・・・、はたまた船の揺れは大丈夫なのか。
 そんな心配をしながらの乗船でしたが、目的地に着くまでの間に行われる献花のセレモニーや心地よい音楽におしゃべりが加わりいつしか気持はピクニック気分へ。

 波をよけるため、通常よりも手前になってしまったが、大きな揺れもなく散骨の目的地に到着。

 参加者は散骨用のお骨に見立てたお塩を風に舞わないように水面近くから船べりにむけて播いていく。
 ビニール袋ごとの方。手にとって播く方。袋から少しずつ出す方。

 一方一緒に撒く花びらは頭上高く風に揺られながら落ちてゆく。
 お花の他には自然に還るものでしたらお酒やお料理、お菓子なんでも大丈夫とのこと。

 期せずして当日は友人の一周忌に当たります。私もお花を投げ入れながらお別れを言うことができました。

 最後に花束にした献花を臨時の喪主役が投げ入れると、鐘の音が辺りに響き渡ります。
 やがて船は大きく舵を取り、漂うお花の周りを3回程左回りに回って静かに離れていきました。

 散骨した場所は海の住所として経緯度が記され、再び訪れることが可能です。

「良いご葬儀だった」と言われる陰に担当者の気配り有り。

ご葬儀では葬儀社の担当者の気配りが大きな力を発揮するようです。
ご葬儀が執り行われた後、早速にその気配りぶりを是非お伝えしたいというお便りやアンケートを頂くことが多々あります。

どれから手をつけてよいのかも分からず不安な気持ちが募る中、担当者のちょっとした気配りは当事者に安心感とやすらぎをあたえてくれ、大きな励ましとなっているようにも感じられます。

ご報告いただいたお便り・アンケートからは、当事者のお気持が肉声のようにつたわってきます。
「遺影写真と共に故人が書き残した直筆メッセージをお渡ししたところ、会葬礼状の文面の最後に印刷していただき、原本は額に入れて安置所に飾ってくれ、故人を大切に考えてくださっているお気持が伝わり、思わず新たな涙を流しました」。

「高齢で長患いだった母を見送る気持の整理はすでに出来ていました。その気持を汲み取っていただき、時には明るい笑顔で対応していただき、心静かになることができました」。

「若い方なのに非常に気配りのある行き届いた対応を最後までしてくださり、町内の方々を立てつつ切り盛りしていただき、残された母共々感謝しております」。

一人娘で最愛の父を見送られた方は担当者から手紙を貰い「心に残る葬儀だったと書いてくださり、これでよかったのかなと悩んでいた私の気持が少し軽くなったきがします」とご報告いただきました。

気持がメンタルな時だけに、ちょっとした心遣いに弾みがつき、大きな成果をもたらしているようです。

お食事ひとつで、ご葬儀全体の印象まで左右しかねません

 故人を偲び、かつてはご自宅でよっぴて行なわれた通夜ぶるまい(お清め)も、ご葬儀の場が斎場に移り、斎場の門限から逆算していつの間にか大方8時半から9時頃までにはお開きとされてしまっています。
 
 故人のお引き合わせのように通夜に駆けつけたが、久しぶりにお目にかかるご親戚・お友達同士いつまでもお話は尽きず、うっかりすると折角のご馳走も気が付いた頃には片付けが始まり、慌てて箸をつけることにもなりかねません。

 限られた時間の中でもご喪家のおもてなしの気持を酌んであげることも大切です。
 あるベテランの葬儀担当者は「十分召し上がっていただくことが故人の供養になりますから」と言い切り、ご焼香を済ませて帰りかける方々に声を掛けてあげるようにしているとのこと。
 言葉を受けて引き返され、ゆっくりされる方も多いようです。

 以前、お花の先生をされた方の通夜にはお弟子さんのオバサマ達が大勢馳せ参じ、お清めの席では在りし日の思い出話に花が咲き、どなたも席を立とうとされなかったようです。
 皆さんじっくり腰を落着け、人数に見合う以上召し上がられたので、慌てて追加注文されなんとか間に合わせたことをご主人から伺い、思わず感じ入ったこともありました。

 最近では故人様の遺言で「ご葬儀は質素に、しかし来ていただいたお客様には十分なおもてなしを」とお好みのお食事をご指定される方もいらっしゃいます。

 センターのアンケートでも「疲労困憊のところ通夜のお食事で気持が癒されて、無事葬儀・告別式を乗り切ることができました」とおっしゃる方、また一方で「気配りや丁寧な対応ぶり全て満点なのに、通夜のお食事がいまひとつでした」とおっしゃる方もいらっしゃいます。
 お食事ひとつで、ご葬儀全体の印象まで左右しかねません。
 ご喪家のおもてなしのお気持に如何に添えるか、これからも担当者共ども大いに検討の余地有りです。

担当者の力量が試されます。

 「これで安心して日本を離れることができます」
 先日来のご相談者からご連絡をいただきました。
 事情があってご相談者以外に身寄りのないお父様を残し日本を留守にされることを悩んでいらしたが、紹介した当センターの賛同社の担当者と面談され、ほっと安堵されたご様子です。
 安心して任せられると判断されたようです。

 当センターでは葬儀社を紹介するにあたり、概算の見積りをお取りした後、出来るだけ葬儀社の担当者との面談をお勧めしております。

 概算の見積りだけでは分りにくいことも直にお尋ねされ、祭壇の写真等を見ながら具体的なご相談をされたり、話の転回によっては新たなアドバイスを受けることもできます。
 また、それ以上に担当者の人となりに触れる機会になり、やり直しのきかないご葬儀を安心してお任せできるか否か事前にチェックもできます。

 私自身もご葬儀の立会いに伺うつど、心に残るご葬儀か否かは担当者により左右されることを実感しておりました。

 ご葬儀後にいただいておりますアンケートからも、率直な感想が数多く述べられております。

 「親切丁寧な対応は勿論のこと、ご相談に乗り、親身になってお世話してくれた」
 「気配り上手で丁寧に詳しく教えて頂いた」
 「どの位の人数になるのか分らず、こちらがはっきりした答が出せなくても弔問客数に見合った判断(お清めの数をふやす、クロークの用意、テントを外に張る等)で臨機応変に対応してくれました」
 「何度も人数変更などで連絡してもいつも快く受けていただきました」
 「素人のこちらの質問にも終始きちんと対応して下さり感謝しています。担当者の人となりも誠実で手際よく、かつ親しく会話ができほっとできる方でした」
 「初心者の私共にとても親切にアドバイスしていただき、また、料金的に少しでも無駄のないよう取り計らっていただきました」
 「なによりも参列頂いた人たちからも非常に良い葬儀だったとほめていただいた」
等。
 
 無事お見送りできた安心感をご喪家にどれだけお届けできるか、ハウツウではない担当者の力量が試されます。

ご葬儀は担当者の采配ぶりに掛かっています。

 事前相談を受けた矢先、急変され帰らぬ人となられたお父様を、一旦は斎場の安置所にお連れしたが、にわかにご自宅に変更を希望されたり、そのままのつもりが綺麗にしてお送りしたいお気持に変わり、急遽納棺師の手配をされたりとお気持は揺れ動いています。
 
 葬儀社の担当者からの報告を聞きながら、自分に置き換えたらどんなだろうと思わず自問自答してしまいます。
 気持の中では決められていても、現実となった場合、これでよいのか、よかったのか判断は難しい。
 やり直しがきかない最後をもっと別な方法でしてあげられたのではと心が乱れます。

 ご葬儀当日の明け方近くにメールを頂いた方はご自身の判断でお父様の葬儀に火葬場併設の斎場を選んだが ご会葬いただく方の中に火葬場が近いことを嫌がる方もいらっしゃるのではと自分を責めていらっしゃる。

 事前相談でメールのやりとりをしていても、揺れるお気持が痛いほど伝わってお答えに窮することもしばしばです。
 そんな中、揺れる気持ちと正面からぶつかり格闘された方の報告には、大いに勇気付けられます。

 お父様の意志を尊重してご家族3人だけで見送るつもりだった方は、センターのHPでの「お参りしたい人の気持ちをくんであげるのも・・・」の言葉がずっと心に引っ掛かり、やがてかたくなだったお気持が少し傾きつつありますとのやりとりに変わって来ました。
 その結果、「お見舞いも拒否され、最期のお別れもできないなんて辛すぎる」とのご親戚・友人の言葉に「どうぞ、お願いします。来てください」と言えたことが、一生の悔いを残さずにすみました、とのご報告になりました。

 また、限界が近づく中、病院へ日参されながら一方でのご葬儀の相談に、自分は冷たい人間だと感じ、裏切った思いすらしましたが、やりとりの過程であらかじめ知っておくことがひいてはきちんと送ってあげることに繋がるんだと思えるようになりましたと揺れた心の葛藤をご報告された方もいらっしゃいました。
 
 あなたならどうなさいます。揺れる心の内側を・・・。

担当者と直にお会いしていただくことをお勧めします

 当センターではメールやお電話での事前相談を承り、ご質問をして総合的に判断し、ご要望に適した地域の賛同社をご紹介しております。

 ご紹介するにあたり、お聞きしたご要望をもとに賛同社から見積りをお取りし、見積りの見方等を記したセンターの説明書とともにお送りし、ご検討いただいております。

 しかし、実際にはこの後が、より重要になってきます。
 当センターではお時間がございましたら出来るだけ葬儀社の担当者と直にお会いしていただくことをお勧めしております。
 
 と申しますのは実際にご葬儀に立会うと、担当者によりご葬儀が随分違うものになってしまうことを日々痛感いたします。
 そのことはまた、ご葬儀が終った後でお願いしておりますアンケートでも実証され、担当者の対応ぶりを取り上げたお褒めの言葉も数多くいただいております。

 担当者と面談し、見積りだけでは分りづらいことを質問されたり、また祭壇等では多くの写真を見せて貰い、判断材料にされることをお勧めしています。
 また、その間にも担当者とのやり取りで、担当者の人となりや相性の良し悪しをも観察でき、安心を持って、ご葬儀に望んでいただけることと思います。
 ご葬儀は担当者の采配ぶりに掛かっています。

孤族の時代に突入か・・・。

 「お父さん」の柩を囲みお嬢さんの友人達は夜どおし泣いて笑って語り合ったそうです。
 10数人の若い女の子に囲まれた初老のおじさんは、皆の話を何でも聞いてくれる「私のお父さん」でもあったのです。
 お嬢さんの留守の間もひっきりなしに、誰彼となく気楽に遊びに来てはお話されていたようです。
 4年程前、ある葬儀社の担当者の方に伺った話です。
 
 あるご相談者のお話を伺った時、なぜかこの話を思い出しました。
 
 唯一の血縁者が入院中のお父様というご相談者はご自身が長期間日本を離れている場合もあり、海外滞在中に亡くなられた場合、帰国予定日までは帰れないから葬儀社さんの方で火葬にしておいてもらえないか。
 
 不可能ならば、長期ご安置で一番安価にできる方法はとの問いにこちらはしばし・・・・・の状態になってしまいました。

 それでも確か病院の院長の印で死亡診断書を貰ったという話を思い出し、知り合いの葬儀社さんに伺うと、面倒なので快く印を押してくれるばかりとは限らないので、前もって事情を説明してお願いしておく必要がある。
 後は荼毘に付してお帰りになるまでお骨をお預かりする。

 もしくは日数にもよるが公営の火葬場の霊安室にご安置してお帰りをお待ちする。
 但し逆に火葬の日時が決まらないとご安置ができないという問題もあり、お亡くなりになった時点で帰国がいつになるか連絡を取り、話し合う必要が出てくるとのこと。

 好むと好まざるとに関わらず、いよいよ今年は孤族の時代に突入か・・・。

会葬者からの「良いお式でした」の一言が最大の供養になるのでは…。

 「自宅の銭湯という特殊な場所でお願いしたにもかかわらず、誰からもお褒めいただけるような素晴らしい式場になりました。担当者の経験の豊富さと、臨機応変の対応力の凄さだと思います」。

 「親戚やお客様からも本当に良い葬儀であったとお褒めの言葉を頂き、さぞかし父もよろこんでいることでしょう」。

 「担当者の誠意ある対応を見て、俺の時もここに頼もうかなという親族もおりました」。

 「葬儀社の担当者より出席人数と予算を鑑みて、自宅での式を提案いただき、お見えになった方々からも良い式だったとのお言葉を頂きました」。

 昨年頂いたアンケートの一部です。
 ご喪家のお立場を思うと、お越し頂いた方々のお気持がどんなだったのか一番気になることではないでしょうか。
 文面からはホッとしたうれしさが滲み出てくるようです。
 いの一番に知らせたいというお気持がダイレクトに伝わってくるようにも感じられます。

 ご葬儀は滞りなく終わったが、お客様に失礼なことはなかったか。
 ご満足いけたのか。
 お父様、お母様とのお約束は守れたか。お立場は大丈夫だったのか・・・。
 気持が動揺している中、果たして十分なお持て成しはできたのか。
 その鍵を握るのは会葬者の「良いお式でした」の一言にあるようです。
 これこそが故人様への最大の供養になるのでは・・・。