身内だけの家族葬で温かく送ってあげたい

 近年、特に地元と関わりの少ない都会在住の方、田舎のご両親を呼び寄せている方、高齢でお知り合いの少ない方、理由は様々ですが故人と直接関わりの深い方だけでお送りしたいというご依頼が増えています。
 ご遺族の会社関係、学校関係等故人と直接関係の無い方が多数いらっしゃる一般葬は、葬儀社誘導型で儀式的に進行する場合が多いようです。これに対してお身内だけの家族葬は家族の意思を前面に押し出し、どちらかといえば会葬者主導型で進行する形になります。
 家族葬では会葬者参加型が一つのキーポイントになるようです。
 葬儀社の担当者は黒子になり、演出家になり、どのように式を運ぶか腕の見せ所になります。又同時にちょっとした気配りが重要な要素にもなり気が抜けられません。
 ご喪家の気持をどれだけ形に表せるか。故人との思い出をどれだけ会葬者お1人お1人の心に刻むことが出来るか。ご喪家との綿密な打合せを短期間でまとめ上げ、周囲を説得する必要も出てきます。
 例えば、故人のお孫さんの挨拶や楽しみにしていたお孫さんの演奏を読経途中に式の流れを止めることなく、タイミングよく挟むにはご住職への説得も必要になります。また、大好きだった曲をこころおきなく流すには、会場の選択も大切です。
 いずれにしても、手作りで自分達の手で送ってあげたという実感を御家族に如何に味わらせてあげられるかにかかってきます。
 担当者は真正面からご遺族とどれだけ向き合えるか常に自問自答しながらやっていますと
語っていました。

最後のお別れの儀は葬儀担当者の腕の見せ所でもあります

 葬儀・告別式が終り、いよいよ最後の時がやって参ります。
 お別れの儀とかお花入れの儀と呼ばれ、会葬者にはその準備の為に一旦退場していただき、ドアが閉められ、ロビーや控室でお待ちいただくことになります。
 通常は舞台裏ですのでお客様にはお見せしない葬儀社が多いのですが、逆にお見せしてアットホームなフンイキを創りあげてしまう担当者に出会いました。
 それまでの読経に始まり、ご焼香という緊張した儀式からいっきにざっくばらんな流れに持っていく。そのギャップに初めは少々戸惑いを覚えましたが、改めて伺ってみますと、あーこういうやり方もあるのだと実感いたしました。
 
 まだ葬儀関係者が祭壇の花をむしっている最中ですが、サッサと式場のドアを開けご家族・ご親族を招きいれ、「お花、ドンドン入れてやってください」とラフに呼びかけます。
 その声にお身内の方達はハッと我に返り、今までの鯱張っていた気持からいっきに目前の出来事に引き戻されるように故人に集中するようです。
 ラフな担当者の姿勢は何回伺っても変わらず、大きな儀礼的な葬儀であればあるほどコントラストがつき、このフンイキが生きてくるようです。
 少々乱暴な言い方になりますが、芝居でいうと3幕で転調し、いっきに最終場面にもっていく感じに似ているようにも思われました。
 その場の空気を自在に読み取り、緩急をうまく心得ているベテラン担当者ではのやり方の一つだとは思いますが・・・。

調布市にある金龍寺大雲閣での会葬者多数の無宗教葬に立ち会いました。

 会葬者150名ほどの無宗教での通夜に立ち会いました。

 秋田に菩提寺がありましたが、納骨法要等は通常通り行なうことでご住職に納得していただき、こちらでは無宗教でお願いしますとのことでした。改めて確認をとりましたが以前お母様の時にも問題がなかったので今回のお父様も同じ様にしたいとのご要望でした。

 故人はジャーナリストで交友関係が広い方でしたが、ご高齢なのでご喪家としては会葬者数が絞りきれず、一般会葬者数を50名ほどとして見積りを出していました。
また、最初の見積りでは多磨日華斎場を想定していましたが、亡くなられた時点で1週間先まで塞がっている状態でしたので、日程を優先してご自宅近くのこちらの斎場に決めたいきさつがありました。

 通夜当日は1時間前くらいから友人が続々と詰め掛け、連れ立って故人との対面をしていらっしゃいました。柩を取り囲み祭壇の写真と柩の中の顔を見比べながら「笑顔を取ればそっくりそのままだなあ」と見入って、暫したたずんでいらっしゃいました。

 無宗教での通夜はお別れの献灯から始まりました。まずご喪家の皆様お一人ずつ灯りのついた小さなキャンドルを祭壇前のテーブルに置き、手をあわせました。次にご親族の方お1人ずつが大きなキャンドルを手に持ち、祭壇前のテーブルに置かれた小さなキャンドルに点火していきました。

 ご親族の献灯終了後は、黙祷、喪主のご挨拶へと続きます。

 その後は、お父様の古くからの友人や交友関係がよく分からないので直接対面してお声をかけて欲しいというご喪家からのご要望に沿って進行することになりました。会葬者は祭壇に向かい手を合わせた後、お1人ずつマイク片手に故人とご対面し、顔を覗き込みながら話し掛けていました。中には言葉にならず、しばし絶句する方もいらっしゃいました。長い間闘ってきた同志の結束には特別な感慨があるようです。

 故人の人となりが伝わる様な式になったように思われます。予定の会葬者の倍以上の友人知人が集まり、翌日の告別式にも遠方から多数駆けつけたという報告も聞きました。

 依頼者も友人の温かさを感じ「私たちの知らなかった父の一面を知ることができました」としみじみ語っていらっしゃいました。

 特に今回葬儀社の担当者、進行役のナレーターともに女性で、男性は後方支援に回り、柔らかな物腰とさりげない気配りでの連携プレーが際立ったようです。一般会葬者席がすぐに一杯になり席を次々に増やし親族の席にもお座りいただいたが、そっと近づき遅れていらっしゃったご親族、一般会葬者お1人ずつに手短に説明し、親族にはキャンドルを、一般会葬者には柩とご対面していただくことをきちんと区分けしていました。

 翌日の告別式は献灯に代わりフラワーボックスにお花をさす献花になりました。柩には友人知人の思いが込められた沢山の色紙が入れられ、ご遺体はご自宅の前を通って火葬場に向われました。

神奈川・茅ヶ崎市斎場での家族葬に立ち会いました。

 茅ヶ崎市斎場での会葬者15名ほどの葬儀・告別式に立ち会いました。ご喪家のご要望は祭壇の花を多くして見映えよく、しかもできるだけ費用を抑えてとのご注文でした。式場費が安く使い勝手が良いということから葬儀社の担当者はこちらを紹介したそうです。

 式場内の祭壇を置く周りが大理石でどっしりした感じなので家族葬用のこじんまりした祭壇も思わぬ効果を出しているようです。

 予定の会葬者15名のうち9名しかいらっしゃらなかったが式は定刻どおり始まりました。定員75名の式場なので真ん中だけ使用と言う形になりましたが、式場を少し暗くして照明を2灯両サイドから照らしたので、思いのほかガランとした雰囲気にならなかったようです。

 葬儀告別式が終わり繰上げ初七日の法要も終わろうとする頃、急に入口付近がざわつき1家族6名が飛び込んできました。日曜日で途中車の渋滞に巻き込まれ、にっちもさっちもいかなくなってしまったようです。取る物も取りあえずご焼香を済ませた皆さんはほっと安堵の表情を浮かべていました。

 最後のお別れ、お花入れの儀では後から駆けつけたお孫さん達が目を真っ赤にして柩のお祖母様にお花を手向け話しかけていました。傍で見ていても「何はともあれ間に合って良かった」と胸を撫で下ろしました。ストレッチャーに乗せられた柩が式場を後に火葬場に向う為長いエントランスに出ました。後に続くと雲ひとつ無い真っ青な空と小鳥のさえずりがいきなり目と耳に飛び込んできました。

馬込斎場での一般的な仏式の葬儀に立ち会いました。

 馬込斎場での会葬者30名余の葬儀・告別式に立ち会いました。通夜は喪主の会社関係者が大半で150名程でした。ご遺体は直接こちらの斎場ではなく、葬儀社の霊安室に中1日置かれ、通夜の日に運ばれました。葬儀社は安置料を無料にしてドライアイス料のみ頂いたそうです。

 依頼者は費用を抑えられるところは極力抑えたいとのご要望で、始めは花祭壇をご希望でしたが、備え付けの白木祭壇が3,700円で借りられるので結局こちらの方を選ばれました。

 会葬者数から第1式場を使用しましたが、間口が広く備え付けの白木祭壇だけでは両脇の供花が少ないと寂しい感じになりますので、葬儀社の担当者は祭壇上の広い空間に水引の幕を張って安定感を出し、供花の両サイドには御霊燈の提灯を置き、祭壇に奥行きを出したようです。ちょっとした工夫や並べ方でずいぶん違った雰囲気になりました。水引の幕は葬儀社のサービスです。

 出棺後は初七日の法要ができませんので、告別式の後、続けて行なわれました。こちらの斎場では収骨後そのままお帰りいただき、式場に戻れません。

 最後のお別れの儀はお身内だけで柩に花入れをしましたが、ロビーにお待たせしていた一般会葬者の中で場所を移動された方達がいらして、葬儀社の担当者が手分けして捜しに行くハプニングがありました。喪主のご挨拶の直前に戻られ事なきを得ましたが、傍で見ていても思わず緊張が走ります。会葬者の皆さん全員で柩をお見送りでき、ほっと胸をなで下ろしました。

埼玉・草加市の西往寺公明殿での葬儀に立ち会いました。

 会葬者25名ほどの葬儀・告別式に立ち会いました。公明殿斎場はご喪家の要望でした。但し、ご喪家の近所にあり、葬儀を執り行っているのを外から見たことがある位で、詳しいことはご存知なかったようです。こちらは専従の葬儀社が入っていましたが、ご喪家のご要望で当センターが紹介した葬儀社でやらせていただきました。

 祭壇は式場にセットされているものを使用しました。式場の間口が広く祭壇がシンプルなので供花の華やかさが目を引きました。故人はまだ60代の女性。ピンクと白の洋花を基調にした花が両脇に並ぶと花祭壇のようにも見えました。

 担当者は女性スタッフが中心となり、ナレーションから始まり、物静かな中にも厳かな雰囲気を出していました。後からきた会葬者にはさりげなく物音を立てないでイス席をつくり、気配りをみせていました。

 繰上げ初七日の法要を告別式に続けて行いましたので、火葬場で収骨後再び斎場に戻り精進落しになりました。

横浜市の送賓館斎場での家族葬に立ち会いました。

 会葬者14名の通夜に立ち会いました。依頼者は最初綱島駅北口にある斎場2つの何れかを希望していましたが、式場が大き過ぎたので、「家族葬でしたら」と葬儀社側がこちらのパンフレットをお見せすると、早速下見にいらして決められたようです。

 ご喪家の希望はできるだけ安くということでした。予算ぎりぎりでかなり葬儀社の担当者も無理をしたようですが、こちらが伺うや否や「綺麗な祭壇ができましたので見てください」と依頼者自ら案内され、大変満足された様子でした。黒塗りの祭壇にお花が映えて思った以上の効果が出たようです。

 葬儀社側としては、コースではなく、始め桐棺だったのを布棺に変更したように、一つ一つを選んで決めていただいていますとのことでした。

 「真夜中にすぐ病院に駆けつけてくれ、その後も色々相談に乗っていただいています。よくやってくれて大変感謝しております。」葬儀社の対応にホッとした様子がうかがえました。菩提寺が遠方なので、菩提寺からは戒名だけをいただき、葬儀社紹介のお寺さんに来てもらうことになりました。
  
 通夜の席でしたが読経の後、ご住職の講話に熱心に耳を傾けられ、会葬者の多くが涙していました。お一人お一人の想いが偲ばれるようでした。

※送賓館斎場の斎場案内は、送賓館のページになります。

八王子市斎場での一般的な仏式の葬儀に立ち会いました。

 ご喪家は奥さんと娘さんだけで、葬儀について相談できる方が近くにいらっしゃらない状態でした。葬儀社の方もご喪家の立場に立って1から10まで全てお話しましょうという姿勢で接し、大変喜ばれたようです。

 お二人とも町内の方とのお付き合いがなく、どの様にしたらよいかということで、まずこの地域の慣習の流れに沿って、手伝いにいらっしゃる方やお清めの時の対応の仕方等からお話したそうです。葬儀社の担当者は町会の方々と話す機会を得て、連絡のひな型を作成し、訃報を町会を通じて町内に流してもらいました。

 亡くなられて葬儀まで1週間程ありましたので、まずご喪家の方々の体調に気を使い、夜は早く休むように毎日連絡をいれたようです。

 会葬者が親族40名、一般の方50余名の100名近くでしたので、質素に成り過ぎないように祭壇両脇に生花を多めに出していました。

 葬儀は第一式場を使用しましたが、ほぼ同じ時間帯に第二式場でも葬儀があり、お隣の読経や、鳴り物の音でこちらの読経の声がかき消されてしまうほどでした。自宅での葬儀でやっていた形をそのまま式場に持って来た様で、他への配慮も少し考慮すべきではないかと思われました。

※八王子市斎場の斎場案内は、八王子市斎場のページになります。

護国寺桂昌殿での社葬(合同葬)に立ち会いました。

護国寺での合同葬の葬儀告別式に立会いました。故人は会社会長職にあった方でした。通夜は密葬で会葬者70名ほどでしたが葬儀・告別式は300名近くの会葬者がありました。

 通夜はご喪家主導で会社は後方支援という形をとりましたと葬儀社の担当者のお話しでした。会社が前面に出ないように心がけ、故人との個人的な繋がりのある方だけでおこないましたが、会社あっての故人ですのでそのあたりをカバーしながら進行しましたとのことです。

 密葬と社葬までの時間がなく合同と言う形をとったため、最初にご自宅へ伺った時ご喪家側は不安なご様子でしたが、調整し皆さんが納得する形に持っていったので始めの打ち合わせから協力的でスムースに運んだようです。

 「よく合同葬と言うとどちらかのカラーが出てしまい、両者のカラーが生かされていないものが多く見受けられるので、今回その辺りを特に注意しました。温かい家庭的な式をご希望ですが、会社会長という立場も考慮して、社葬というカチカチになりそうなものとのバランスを上手くとり、中和を図りそれぞれのカラーを出すことに苦心しました。ご喪家のご意向を最大限たてて、会社とのバランスを考えた演出を心がけました」。

 故人は自分のこと以上に仲間や家族を思いやり、気をつかう方でしたので来ていただけるお一人お一人の心を大事にして真心込めた式にしたい、これがご喪家の願いでした。普通の社葬のようにカッチリしたものではなく、また全く個人的なものではなく創業者の会長と言う立場も考慮して両者の良い所をとりカラーを出す。どこでおりあいをつけるかが大変難しかったようです。

 葬儀規模に対して予算も厳しく、担当者の提案で、必要なものにはきちんとしたものを、特別必要でないものは省いてしまうなどと、単品で一つ一つに対してチェックをしていきました。例えば、テントなども張り巡らすのではなく、規模に応じて必要な規模の物だけにしました。

 社葬を主眼にした場合はどうしても社の名に恥じぬようにと見栄が出てしまうが、この人数、護国寺でしかも個人的に温かい式でやる場合特に必要ないのではと葬儀社サイドから提案し納得していただいたようです。

 供物として頂いた生花は花祭壇に組み込みの形にして、ロビーの方に芳名板をお出ししました。花祭壇は祭壇集の中から選んでいただき、コントラスト的にはグラデーションになるように故人が好きだったパープルとブルーの花を配しました。規定料金の花祭壇は通常ですと3倍近い金額になるのではと担当者がいうようにかなりサービスをしたようです。

 ロビー中央には寄せ書きの場所が設けられ、会葬者は列を成して、故人への想いを記していました。これらは全て告別式の後、柩に納められました。

 ご遺体での社葬という形をとったので、最後のお別れ花ではご家族ご親族に続き、仲間、先輩、会社関係者と延々と続くお別れになりました。会葬者のほとんどの方が出棺まで残り、柩を最後まで見送っていました。故人の生前の交友関係が目に浮かぶようでした。

※護国寺桂昌殿の斎場案内は、護国寺桂昌殿のページになります。

市川市の源心寺会館での仏式の葬儀に立ち会いました。

 会葬者40名程の通夜に立ち会いました。依頼者ははじめ別な式場を提案されていましたが、九州の菩提寺から「市川市の源心寺を」と推薦され、こちらに決めたという経緯がありました。菩提寺は故人のご実家です。

 式場後方には思い出コーナーが設けられました。故人の思い出の写真や愛用した品が飾られ、早めにいらした会葬者の皆さんがしばらくの間足を止めて見入っていました。

 住職の甥御さんが九州から駆けつけ、源心寺福住職を含めて三人での読経が始まりました。読経の後、叔父さんとの思い出を懐かしそうに会葬者に語っていたのが印象的でした。

※源心寺会館の斎場案内は、源心寺会館のページになります。