ご夫婦で事前相談

 年が明けてまもなく、「自分達夫婦のお葬式のことで」というご相談を電話で頂きました。
 今は2人とも健康ですが、高齢ですので、子供達のためにも準備をしておきたいとのことでした。
 以前、お母様を見送った時、駅から斎場までが遠くてお断りした経緯があるので、交通の便利な小田急線沿線の駅近くの式場がご希望とのこと。
 20年前に霊園墓地を購入済みなので本当は無宗教でも良い位。お墓もありがとうの文字で本名でやりたい位なんですとおっしゃっていました。
 他のことは質素に、ただ葬儀に来ていただいた方には、お料理だけは十分堪能してもらいたい。お返しも会葬者は身内だけですので、礼状とお清めのお塩で十分ですとのご要望でした。

 早速、家族葬を得意とする地元の賛同社に連絡して、見積りをお願いしてみました。
 ところがこの地域にはあいにく駅近くに民営の小規模貸斎場が見当りません。その旨で依頼者とのやり取りの後、結局火葬場併設の大和斎場での見積りをお出ししました。
 大和斎場は小田急線南林間駅からタクシーで10分余り。以前立会いで伺った時は1000円前後でした。
 依頼者の奥様から、早速ご主人の車で斎場を見に行きますとの連絡が入りました。
 その後、葬儀社の担当者と連絡をとり、先日大和斎場の下見に行かれたそうです。
 式場を見学され、見積りでは小ホールでしたが、「実際の時は2万円の差だから空いている式場何処でもいいわね」ということになったようです。
 式場が綺麗なのが気に入られ、骨壷も好みの青磁のものに変更され、大食漢のお孫さんのためにお食事をワンセット追加されました。
 ご自分達の目で確かめ、より具体的なことを一つ一つ決められ、これで安心しましたとお2人共とても晴れ晴れとした表情でしたと担当者は話していました。
 「こんなことがお話しになれるのも、お元気な証拠ですね」と思わず担当者が問いかけると「何しろ前に亡くなった母は100歳まで生きましたから」とお2人の笑顔が返ってきましたとの由。
 
 

葬儀のプロから伺ったこと・その3

 葬儀社の人手は多ければ多いほうが良いと思われてしまいがちですが、そうとばかりは言い切れないようです。
 ある担当者はむしろご遺族の方にも手伝って頂きますとまで断言します。「もうお会いできるのは最後だから、触ることができるのは最後ですから。病院のベットからご遺体を下げ、車に乗せるなど此処で手伝わなかったら永遠に触ることはありません。世話をかけさせた方が後々記憶に残るのではないでしょうか。我々担当者はそれをサポートする位でよいと思います」との由。ベテランらしい気遣いも見せます。
 又、少人数の葬儀にスタッフばかりが目につくのも目障りになるので、その規模に合った人員で、適材適所必要なポジションにいれば良いとのことです。

 担当者が異口同音にいうことは1回しかできないので後々後悔することのない式をお手伝いしたい。その為には葬儀の日を日程最優先でない限り、少し空けるようにします。中、1~2日はあえて置く。但し5~6日までに終るようにします。病院からのご遺体の搬送が終った後、ご遺族も疲れきっていますのでその日はまずお休み頂き、翌日少し落着きを取り戻し、冷静な判断ができるようになった段階で打合せに入りますとのことです。慌てないことが第1です。

葬儀のプロから伺ったこと・その2

 葬儀社の担当者からみると全てプロに任せるのもさじ加減が必要なようです。
 無宗教葬の司会などはプロに頼まず、担当者自身が時間の配分を見ながら臨機応変にやってしまうことが多いという。金銭的な問題だけではなく、例えばプロの司会者に頼むと、良く調べているので全て話してしまい、肝心なところを先に言ってしまって、他の会葬者の話そうと思うことまで先取りしてしまうことが多々見受けられるようです。「司会者は会葬者が喋った後をフォローして皆の前で持ち上てやる方が良いのでは。我々は葬儀屋ですから納棺から全て細かい話を聞いていますので言わないようにします。葬儀屋が喋ってしまっては誰の葬儀かということになってしまいますので」とはベテラン担当者の一言でした。

葬儀のプロから伺ったこと・その1

 ご喪家の立会いにあちこちと伺っていると、以前当センターの賛同社の葬儀社を訪問した際に、色々聞いたプロの声がオーバーラップしてくるようです。
 葬儀社の担当者は依頼者とお会いしてご喪家のご要望を全て伺い、どうしたいのか、何を望むのかから始まります。出来るだけそれに沿ったものを心がけ、またそれについてのアドバイスもします。ヒアリングをして全てをコーディネートしてあげることが大切で、依頼者が満足し納得していただける為にはプロとして何処までメリット、デメリットを説明しアドバイスできるかにかかてくると言います。
 特に無宗教葬でやりたいことに関しては、ご要望だけでは務まらない。お寺に払うお経代が高いとか宗教は関係ない等、ご自分達のことばかりが先行してしまっていますが、まず、親戚の理解がなければ難しいようです。親戚との付き合いもあり葬儀事は後々まで色々言われるのでそこまで考えてあげる必要がありますとのことでした。
 

ご喪家代表のご挨拶

 出棺前、喪主の方が代表して会葬にいらっしゃった方々にお礼の言葉を述べるという一般的な儀式の多い中で、最近は故人の死に至るまでの経過報告をなさるケースが出てきているようです。この場合は喪主というよりは身近な奥様やお嬢様からの報告になります。わざわざお忙しいなかを時間を割いて来て頂いた友人や教え子に、本当のことを納得いただけるようにお話したい、またお話しする義務があると意を決して話されるようです。
 病に倒れてからの生活ぶりや病状の変化、周りの状況をつぶさに報告されたり、あるいは出来ればそっとしておきたいと思われることまで包み隠さずお話しなさることもありました。お話しすることで、久しくお会いできなく心残りだった友人知人も納得し、一斉にほっと肩の荷を降ろすことができるようです。
 若年性のアルツハイマーに苦しまれ、最後奥様やお母様の手を振り払って家を飛び出し自ら命を絶ってしまわれた方の場合も、奥様が気丈に新たな決意を秘めて仔細に報告なさっていました。
 限られた時間の中、5分~10分は費やされるので葬儀社の担当者は時間調整が大変ですが、皆さん1度として時間の催促することはありませんでした。
 異口同音に「心ゆくまでお話しをさせることがこのご葬儀では必要なことなんです」と担当者の心遣いの一端を語ってくれました。
 よく、葬儀はあくまでご喪家主体のものであると言われていますが、傍から見ているとどうしても葬儀社主導で儀式を静々と進行させているようにしか見えないことが多いものです。
 そんな中、決意を秘めたお話しぶりで一気にご喪家主導の葬儀に切り替わったようにも思われました。

花祭壇あれこれ

 仏式の祭壇には大きく分けて白木祭壇と生花で飾る花祭壇があります。
 近年特に使いまわしされる白木祭壇よりも、柩に手向けてその都度使いきってしまう花祭壇の希望者が増えてきているようです。
 お花の値段も一頃に比べ安価になり、価格破壊とまではいかなくても、かなりリーズナブルなものも出てきています。
 通常、葬儀社の担当者は依頼者に祭壇のパンフレット、アルバム等をお見せしておおよその感じをつかみ、花の種類、色、デザイン等の具体的なご要望を伺い、後は花屋さんにお任せするようです。
 ご要望の中には季節はずれのお花で取り寄せるのに時間が掛かったりあちこち探し回ったりと時間ぎりぎりまで担当者は悪戦苦闘することもあると聞きます。   
 昨年立会いに伺った中にも、時には故人の趣味を伺いスキーの雪山をイメージした祭壇創りをしたり、またご喪家がお花の師範の場合には八分通り仕上げたところで、最後をご喪家にお任せして大変感激されたこともありました。
 また、担当者の花の管理も重要です。特に正面にある百合の花などは通夜にはまだ少し蕾の状態で葬儀・告別式に咲くように室温調節をしたり、喪主花は家に持って帰るので他の花と違ってわざと蕾のものにするなどの気配りが必要になってくるようです。
 先日伺った葬儀社の担当者は「10年前花祭壇が一般的に出始めた頃は毎回花屋さんサイドとイメージの差が出て喧々諤々と大変でしたよ。今では隔世の感がありますよ」と感慨深げでした。
 
 

無宗教葬 その4 兄弟の反対を押し切って・・・

 故人は都内で長年、ジャズ喫茶をやっていらっしゃった方でした。
 当方が立会いに伺ったのは告別式でした。前日の通夜の様子は葬儀社の担当者から聞きました。式場の臨海斎場は火葬場が併設され、都内5区で運営されている斎場です。音楽葬の為制約があり式場候補の中から消去法でこちらに決めたいきさつがありました。かなり利用頻度の高い式場なので待たされるのを心配しましたが、友引の日ですぐ予約がとれ、しかも隣の式場が空いていたので、多少の音も目をつぶることができたようです。
 喪主の奥様は無宗教の音楽葬でという故人の意思を尊重し、昔からのジャズ仲間を中心にご兄弟、ご親族の方々に集まっていただきました。
 担当者も色々工夫し、献花台を正面に置かず、わざと右側に置き、献花をしてから正面の柩の故人とゆっくり話をしてもらう方法をとりました。その左側には思い出コーナーを創り、ご対面後故人との思い出の写真や品物を見て頂くような流れを創ったようです。
 感極まったジャズ仲間が飛び入りで持参のトランペットを吹き、皆の熱い思いは尽きないようでした。
 一方のご親族は式の始まるまで無宗教葬に難色を示し、特に故人のお兄様は大反対でした。しかし、仲間の深い友情を目の当たりにして、ついに通夜の最後の挨拶では涙ながらに「こんな素晴らしい通夜は初めてだ」と感激していらっしゃったそうです。
 翌日の告別式は御家族、ご親族のみの見送りになりました。ジャズが静かに流れる中、お身内同士のおしゃべりが弾んでいました。30分遅れの献花に始まり、柩を囲んで最後のご対面をしていただきましたが、式の間中しばしゆったりとした時間が流れているようでした。
 火葬を待つ間、2階のお清め室ではお食事会となります。
 奥様に向ってお兄様のご挨拶から始まりました。「これからもどうぞよろしくお願い致します」。

最近の無宗教葬 その3  グラスでカンパイのお別れ

 目の前の柩がなければパーティ会場と間違えてしまいそうな雰囲気の告別式に立ち会いました。
 故人は彫刻家。会葬者は全員故人と縁の深い方々50名余り。会場は寺院の会館ですが多目的ホールとして使われ、あまり宗教臭さのないところでした。
 立食のパーティ会場前方には白い薔薇の花に囲まれた柩と故人の作品のパネル写真が飾られていました。
 受付を済ませた会葬者は式場壁際のイスにて、式の始まるのをお待ちいただくことになりました。手前の二つの大きなテーブルにはご喪家の手作りのオードブルを初めとする料理がグラスやワインと共に並べられています。
 後の式内容は自分達で決めたいというご喪家のご要望でしたので、葬儀社の担当者は黒子に徹して色々と気を使ったようです。
 年配の会葬者の為に駅近く交通の便がよい、音楽をかけても大丈夫な式場を、しかも1日だけのお別れ会なので半額にするという格安の式場を捜してきました。
 会葬者は1本の白薔薇をお1人ずつ柩に入れ献花としました。入れ終った方々はワイン、ビールを片手にお料理を頂きます。
 献花が終ったところで喪主の奥様よりご挨拶、友人代表のご挨拶と続きました。その間もお友達同士久しぶりの旧交を温め、お互いの話しが弾んで、柩の故人も話しに加わったらと思われるほどでした。マイクが手に渡ると皆さん次々思い出話に花が咲き、それでも最後の方になると「何百回も会い別れているのに、1度たりともさよならを言ったことがない。じゃあ、またね」と涙で絶句。
 ご喪家を代表して息子さんがグラスを上げ「父の旅立ちに先立ちましてカンパイ」。
 最後のお別れ花は柩の周りの白薔薇を皆さんで手向けました。
 その間、テーブルのグラスやお料理はご喪家の手で手際よく片付けられ、柩の通る道が開けられました。お料理の残りはラップされ、食べ残しはビニール袋へといつものパーティのように手の空いている方があうんの呼吸で手伝っていらっしゃったのが印象的で、ご自分達の手でやっているという実感が感じられました。

 いよいよ出棺です。式の間ずっと流れていたカザルスの曲が一段と大きくなりました。

最近の無宗教葬 その2

 仏式、神式などと異なり無宗教葬での通夜・告別式は通常まずご喪家側から無宗教にしたいきさつをお話しし、会葬者にご理解を頂くことから始まります。
 通夜・告別式とも内容的には似ていますが、告別式はどちらかといえばお身内の方が中心になりますので、より家庭的な雰囲気の濃いものになるようです。

 故人が生前好きだった音楽を流したり、献花をしていただいたり、近親者が思い出を語るというやり方が多い中で、昨年大変印象的な無宗教葬に立ち会いました。
 通夜の席、祭壇に手を合わせた後、100人以上の会葬者お1人ずつがマイクを片手に柩の故人に語りかけました。
 長い沈黙のあとぼそっと一言話す方、出会いから現在の心境まで詳しく話す方、涙声で聞き取れない方、皆さんそれぞれ最後のお別れです。
 故人と向き合ったお1人お1人の言葉はどんなに短くても、パーソナルな関係からその人となりが出て、次第に一つのドラマになり、式場全体に一体感が生まれて来るようでした。目を閉じて聞いていると故人の世界が広がり、面識が無いのにいつの間にかこちらまで、旧知の間柄のような錯覚さえ覚えてしまうほどでした。
 ご遺族のお子様達も「私たちの知らなかった父の一面を知ることができました」と感激の面持ちで涙ぐんでいらっしゃいました。

最近の無宗教葬その1

 葬儀ご相談の全体数からみるとまだ少数ですが、無宗教葬でという方が増えてきています。
 現実にはまず菩提寺がある場合は納骨の問題をクリアーしてからでないとなかなか難しい状況です。ただ、菩提寺が遠方にあり、東京では無宗教葬にして、郷里の菩提寺で改めて納骨式をすることでお許しを得ていますという場合も時々あります。
 信仰心が無いから無宗教でいうのではなく、実際におやりになる方の場合は、逆にはっきりした信念をお持ちの方が多いように思われます。限られた時間をどのように使うか担当者とご遺族の共同演出の出番です。請け負った葬儀社のレベルが試されることにもなるようです。