「会葬者を如何にスムースに誘導できるか」葬儀担当者が式を進行する中で最も気を使う中の一つです。 縁の下の力持ちのようなことですが、これがうまくいくかどうかで式の印象も大きく変わってしまいます。
一定の時間内にご焼香を終え、しかも参列者の皆様に余分な気を使わせず満足してもらう為には細心の注意が必要です。
特に民営の斎場は広さもまちまちで、色々な制約もあります。その中で如何に効率よく、会葬者同士ぶつからない様に流れをつくるか腕の見せ所です。
斎場の特徴をそれぞれ把握して増減する人数に照らし合わせて臨機応変に対応する。
テントで受付を済ませた会葬者を季節によりどこに並んでいただき、ご焼香台をどこに置き、ご焼香を終えた方をどちらにご案内するか気を配り、遅れていらっしゃった方最後のお一人にまで気が抜けません。 たとえば、広いロビーのある斎場での告別式の場合は半円を描くように携帯品預かり所、各方面受付からご焼香台へ、ご焼香が済んだ方の先は返礼品受け渡しの係りが待機するという流れをつくり、式場に直接出入りする方と交わらないように工夫されていました。
また、500名規模の会葬者の場合は一般記帳では間に合わなくなるため、カードに記入していただき名刺と一緒に出していただいたり、通夜のお清め所を一般会葬者用とご親族用を分け、ご親族を待たせることなくお清めができるようにされていました。
ロビーがない式場でも軒下を利用して並んでいただき、ご焼香を済ませた方は脇の出入り口から2階のお清め所に行かれるような流れをつくることもできるようです。
同じ式場を使っても、会葬者の人数によって導線を変更するなど、 担当者の采配ぶりが注目されるところです。
カテゴリー: 葬儀の現場
ご相談者の状況に応じた葬儀の現場の模様が描かれています。
式場の良し悪しは関係スタッフの気持の持ち方で決まってしまう・・・。
「ただでさえ悲しい思いをしているのに、本当に辛かったです」
女子トイレで休憩している式場関係者の会話が偶然耳に入り、それが自分達に向けられた遠慮の無いおしゃべりと気が付くまでに少々時間を要するほどだったようです。
その地域では立派な式場として、名が通った斎場での出来事でした。
生前からのお父様の希望で何の迷いも無く式場を指定されたが、終わってみればもう2度と利用したくないとかたくなまでに思い込まれたほどでした。
それまでの事が完璧なまでにスムースに運び、大役を果した安堵感も一気に吹き飛んでしまわれたようです。
また、老舗葬儀社さんの自社ホールでのご葬儀をご紹介したケースでも、屋外の吸殻いれを囲んでスタッフが喫煙・談笑しているところに喪主の方が出くわし、通り過ぎても笑顔が改まることがなく、非常に残念な気持にさせられたとのご報告を頂いたことがありました。
普段の生活では何気ないことでも、ことご葬儀に関してはやはり気配りが足りなかったようです。
一方、都内の少し年期の入った式場に伺った時には、御出棺の後、お客様をお見送りされるや否やスタッフが一斉にエプロン姿になりお掃除に取り掛かり始めました。
「毎回ごとにお掃除をして綺麗にしています。それがこちらの特徴なんですね」。
年長の方の明るい御返事にお掃除の手を休めずに皆さんにっこり頷いていました。
てきぱきとした動きに辺りの空気まで清められていくように感じられました。
どんなに著名でも、また立派な建物を持った斎場でも、担当される方々の行動や気持如何で満点にもマイナス点にもなってしまいます。
ご葬儀に携わっている人達一人ひとりがご葬儀のことを思い、どれだけ考えて行動しているかが常に問われる場でもあります。
斎場の空気はリトマス試験紙のように常に皆様からの診断を仰いでいます。
親戚同士の絆
ご葬儀では時として、ご家族よりもご親族の意向が優先されるような場合も出てきます。
普段のお付き合いが薄くても、ご葬儀となると親戚同士の絆が急に復活されたように浮上してくるケースも度々耳にします。
先日も「家族は無宗教葬を希望なのだが、親戚の手前、ごく一般的な仏式にして、読経は形式だけで良いので、できるだけ経費を抑えたい」との御相談を受け、お坊さんの派遣センターへの選択をアドバイスして、ご葬儀を無事終える事ができました。
それだけに、もてなしをされ、ご会葬の皆様からの「良いご葬儀でした」の一言に胸を詰らせ、アンケートでご報告される方もしばしばいらっしゃいました。
一方で、ご家族だけでお見送りされるつもりでいらっしゃった方が直前になり、「病院へのお見舞いもお断りしていたから、ご親戚や友人の方々には最期のお別れをしてもらおう」とご会葬をお願いされたケースがありました。
通夜の晩、遠方から駆けつけた御親族の方々10数人が、斎場の広間に貸布団を敷きつめてお休みになられました。
「なかなかこうした機会もないので、かえって合宿所のような1晩が思い出深く心に刻みこまれた気がします。父が皆をより一層仲良くさせてくれた時間に思えます。翌朝、バケツリレーのように次々とお布団の山が築かれたのは圧巻でした」とご報告いただきました。
良くも悪くもご親戚を意識されるのは、ご葬儀を置いて他には無いのではと思わせる程でした。
イス席の式場でのお清めで…
ご家族・ご親族や親しい友人に見送られてのご葬儀が最近ではごく普通に執り行われるようになってきました。
都会を中心に流れとしてはむしろこちらが主流を占めるほどです。
参列される方々もご高齢の方が多くなり、式場でのバリアフリー化は進んできましたが、一方でそれに伴うソフト面でのきめ細かな臨機応変な対応も見逃せなくなってきました。
時に参列される方の中にはお身内の方で介護が必要な方もいらっしゃいます。
できるだけ最後のお見送りをさせてあげたいと願う、ご喪家のご要望を汲み取るためにも、葬儀スタッフの中にヘルパーさんの資格者の必要性もでてきました。
また、最近立会いにうかがった斎場では通夜のお清め所が和室のため、イス席の式場でのお清めになりました。
ご高齢者が多いので、イス席での通夜ぶるまいとなり、通夜の儀式の読経とご焼香が終わった後、式場にテーブルセッティングがほどこされました。
祭壇と棺の前にはテーブルがTの字に並べられ、お食事のご用意が整いました。
棺に向っての献杯に始まり、故人も交えてのお食事会のような和やかな雰囲気が伝わってきます。
親しかった皆様とご一緒の最後の晩餐会に故人様もさぞかし安心して旅立たれるのではと思わせるような通夜でした。
お食事ひとつで、ご葬儀全体の印象まで左右しかねません
故人を偲び、かつてはご自宅でよっぴて行なわれた通夜ぶるまい(お清め)も、ご葬儀の場が斎場に移り、斎場の門限から逆算していつの間にか大方8時半から9時頃までにはお開きとされてしまっています。
故人のお引き合わせのように通夜に駆けつけたが、久しぶりにお目にかかるご親戚・お友達同士いつまでもお話は尽きず、うっかりすると折角のご馳走も気が付いた頃には片付けが始まり、慌てて箸をつけることにもなりかねません。
限られた時間の中でもご喪家のおもてなしの気持を酌んであげることも大切です。
あるベテランの葬儀担当者は「十分召し上がっていただくことが故人の供養になりますから」と言い切り、ご焼香を済ませて帰りかける方々に声を掛けてあげるようにしているとのこと。
言葉を受けて引き返され、ゆっくりされる方も多いようです。
以前、お花の先生をされた方の通夜にはお弟子さんのオバサマ達が大勢馳せ参じ、お清めの席では在りし日の思い出話に花が咲き、どなたも席を立とうとされなかったようです。
皆さんじっくり腰を落着け、人数に見合う以上召し上がられたので、慌てて追加注文されなんとか間に合わせたことをご主人から伺い、思わず感じ入ったこともありました。
最近では故人様の遺言で「ご葬儀は質素に、しかし来ていただいたお客様には十分なおもてなしを」とお好みのお食事をご指定される方もいらっしゃいます。
センターのアンケートでも「疲労困憊のところ通夜のお食事で気持が癒されて、無事葬儀・告別式を乗り切ることができました」とおっしゃる方、また一方で「気配りや丁寧な対応ぶり全て満点なのに、通夜のお食事がいまひとつでした」とおっしゃる方もいらっしゃいます。
お食事ひとつで、ご葬儀全体の印象まで左右しかねません。
ご喪家のおもてなしのお気持に如何に添えるか、これからも担当者共ども大いに検討の余地有りです。
喪主のご挨拶をどうしていますか…
「最後の喪主のご挨拶は皆さんおやりになっていらっしゃいますか」除夜の鐘の音が聞こえる少し前、昨年最後に頂いた電話でのご質問です。
「必要ならば用意しなくてはいけませんので・・・」電話口の声は緊張と戸惑いを見せていらっしゃるご様子です。
疲れがピークに達した喪主にとってはこのスピーチも難題の1つです。
一方、最後のお別れにお見えになられた方々にとってもこの喪主のご挨拶が葬儀の良し悪しまで決めかねないほど、重要なファクターをもたらすようです。
ご葬儀に立ち会った経験からですと、最後を締めくくり、印象付けるご挨拶は難しい言葉を並べるのではなく、故人への思いの強さが素直に表わされているか否かにかかっているように感じられます。
印象的なご挨拶のひとつに、車椅子で出席された喪主の奥様が、ご主人の病気の経過報告を訥々と語っていらしたご様子が目に浮かびます。
これだけは話さなければという気迫が伝わり、時間が超過しても担当者は急がせることを一切しなかったようです。
まさに当日のハイライトで、それはこのことを言うためにこのご葬儀があったと思わせる程でした。
出席者一同大きくうなずかれ、満足されたような足どりで帰路につかれたご様子が思い出されます。
申し遅れましたが、本年もどうぞよろしくお願い致します。
ヘルパーさんの存在が欠かせない時代…。
最近では新しくオープンした式場、リニューアルされた斎場の目玉としてバリアフリーを謳っているところが多く見受けられます。
受けての私達もどこかそれだけで安心してしまっている節があるようです。
しかし、バリアフリーは前提であって、最後は人の力無くして何事も機能しません。
斎場でのご葬儀が一般化されつつある中で、最後のお別れにご高齢者のご会葬も増えてきています。
特に近親者の場合、お見送りをされたいお気持はなおさらです。
先日このお気持を酌んだご葬儀に立会い、胸がいっぱいになると同時に、これからのご葬儀のあり方を痛感させられました。
お父様がご逝去されたご相談者は、斎場に病身のお母様を車椅子でお連れし、ご一緒に最後のお別れをされました。
このお母様を支えたのが、ご葬儀関係者の中でヘルパー資格を持った方でした。
お1人では歩行困難なお母様にはお式が始まるまでとお花入れの準備の間は控室でお休みいただき、車椅子への移動、またお手洗い等のお手伝いと手順よく行動されている姿を拝見し、高齢化社会のご葬儀のあり方を目の当たりにしたように感じ入りました。 介護の経験の無いものだけでは難しい状況だったと思います。
ヘルパーさんの存在は葬儀関係者に欠かせない時代に入っていることが実感させられた場面でした。
思わず「良いご葬儀だったね」と言われるには・・・
『良いご葬儀だったね』お見送りされた後のベテラン担当者の一言に、ホッとすると同時に思わず大きく頷いていました。
ご葬儀をつつがなく終えるだけでなく、幸せなお見送りができる空気に包まれるかどうかが大きな鍵になるようです。
一気に40年前にタイムトンネルしたおじさん達はスクラムを組んで面倒見の良かった先輩の柩を取り囲み、溢れる涙を拭おうともせず蛮声を張り上げ部歌でお見送りしていました。
そこには穏やかな空気が流れていました。
最近立会いに伺ったご葬儀で同じような空気に出会いました。
ずっと独身を通された叔母様を6人の甥御さんと姪御さんがご親族を束ねてお見送りされたご葬儀は、悲しみの中にもどこか気持が和むようなゆったりした時間が流れていました。
6人のパイプ役をはたしてきた伯母様はお1人お一人それぞれにとって如何に大切な存在であったか、喪主である甥御さんがご挨拶でご紹介されていました。
6人の輪が幾重にも広がりをみせ、周りを幸せな気持にさせてくれるように感じられます。
皆さんご一緒に仲良くお見送りされている後から私もそっと声を掛けてあげたくなりました。
良いご葬儀でしたね・・・と。
お葬式は故人から贈られる唯一のプレゼント・・・?
ご葬儀は故人が親交を取り持ってくれる、出会いの日でもあります。
「50年前のパリ時代、今や君のトレードマークになっているボルサリーノのベレー帽が似合わないねと言った時の怒った顔が忘れられないよ」。
次から次へと話題が尽きない告別式は目の前にある柩を除けばまさに同窓会の趣でした。
ワイングラスを片手にした友の何十年ぶりかの再会を祝福するようなご葬儀に、こんなお別れの仕方もいいものだと胸が熱くなったことが思い出されます。
また、事前相談の最初の時点では御家族3名のみでのお見送りを希望されていた方が次第に周りを受け入れ、通夜の晩には大広間に貸布団を敷き詰め、遠方からの会葬者全員を集めて合宿所のような一晩を過ごされたご葬儀も印象的でした。
「父が皆をより一層仲良くさせてくれた時間に思えます。翌朝、バケツリレーのように次々とお布団の山が築かれたのは圧巻でした。
お参りしたい方の気持も酌んであげられ、一生の悔いを残さずにすみました」とほっとされたご様子に、思わず「よかったですね」と声を掛けてしまったほどでした。
故人様も一番会いたい方々のお顔を見届け、安心して旅立たれたことでしょう。
こんな感謝と笑顔でお見送りできるご葬儀が希望ですが・・・。
ジャズ仲間とのお別れは・・・。
猛暑続きの今年でしたが、ようやく秋の気配が漂ってきました。
秋といえばジャズの季節とも言われ、都内各所で町おこしのジャズ・フェスティバルも年々盛んになってきたようです。
少し前になりますが、そんなジャズを愛した方の無宗教葬に立ち会いました。
故人は地元で長年ジャズ喫茶をやっていた方で、通夜には往年のジャズ仲間が勢ぞろいされたようです。
葬儀社の担当者は通常棺の正面に置かれている献花台を右側に置き、会葬者が献花をされてから正面に来て故人とゆっくりお話をしてもらうような形を作り、棺の蓋を開けてご遺体もきれいなので胸から上をお見せし、お仲間と最後のご対面をゆっくりとしていただきました。
棺の左側には思い出のコーナーを設け、ご対面の後ゆったりとジャズが流れる中思い出に浸っていただいていました。
と、突然飛び入りで仲間がトランペットを吹きだすや懐かしい曲が次々と飛び出し、ジャズメンらしい最後になりました。
実は故人のご兄弟皆さんが、この無宗教葬に反対で、とりわけ強かったのは一番上のお兄様。
ところが、このお兄様が通夜の最後のご挨拶では号泣され、涙ながらにこんな素晴らしい通夜は初めてだと感極まったご様子でした。
往年のジャズメン達は興奮冷めやらぬ面持ちで、ブランデーケーキと次は自分の番かもしれないと臨海斎場のパンフレットをお土産に家路を急いだとのことです。