来年の目標

 12月に入り、大掃除が気になる時期になりました。
 毎年11月の始め頃から、少しずつ大掃除を意識した掃除を始めていたのですが、今年はいまだに全く手をつけていません。
 粗大ごみもそろそろ申し込まないと、年内の処分に間に合わなくなりそうです。
 いつもは最後の最後にやっている、キッチン周りや換気扇の大掃除ですが、今年はやっかいなところから先に片付けてしまおうか…。

 毎日の生活の中でも手抜きをせずに少しずつでもやっていれば、そうでなくても気ぜわしいこの時期に大変な思いをしなくてもいいのに…。
 毎年、同じことを思う主婦は多いはず。

 来年こそは、年末に苦しまないように、日々すこしずつ。
 少し早いですが、来年の目標のひとつにしたいと思います。

今年の喪中はがきの特徴は・・・。

 今年も後1ヶ月と少しを残すまでになってしまいました。

 この季節になると喪中のはがきがポツン、ポツンと届きますが、今年は例年になく友人のご兄弟が亡くなられた喪中はがきが相次いでいます。

 今まで頂く喪中はがきと言えばお歳を召したご両親やご主人のご両親、中にはご長寿だった祖父母様のことと思い込んでいた身には、にわかに現実味を帯びてドキリとさせられます。

 秋口から知人の訃報が人伝いに相次いで伝えられていた矢先、先日はかつて仕事をご一緒した方が亡くなられ、友人から前日がご葬儀だったことを知らされました。
 暫くご無沙汰していたとは言え、お元気で巨漢を武器に国内外を東奔西走され仕事をバリバリやっていらしたころのイメージしか思い浮かばず、にわかに信じられない気持ちと、仕事半ばでギブアップさせられてさぞ無念だったのではとの思いが交差して、しばし落ち込んでしまいました。

 今までどこか儀礼的に受け取っていたふしがある喪中はがきですが、今年のように年齢的にも身近に迫ってくると、少し生活態度も変えなくてはとの思いがもたげてきました。
 変化の第一歩は間近に迫った年賀状からにしようと・・・。
 今年の年賀はがきに込める思いも新たに沸いてきました。

 今までのどちらかと言えば虚子の句にある様な「不精にて年賀略す他意あらず」の生活ではなく、蔵巨水の「まだ生きているぞ賀状の面構え」の句で行こうと。

 最近はお会いすることが少なくなり、疎遠になっていた友人に出し続けていた年賀状もそろそろお仕舞いにしようと思っていたが、こちらの近況報告の意味合いを込めて出し続けることにいたします。

 90歳をとうに過ぎた伯母からの年賀状には「今年限りにさせていただきます」との断りが書かれていましたが、お世話になった伯母にはこちらの近況を知らせる為にも年賀状を出し続けてみよう。

何親等までですか?

 年賀欠礼のはがきが届く時期になりました。
 我が家にも先日、一通届いたのですが、普段、よく話しをする友人からでした。
 月一ペースほどの頻度で話しをしていたのですが、今年、お身内が亡くなったという話しは聞かなかったように思ったのですが…。
 今日、たまたま他の用事で連絡をした際に聞いてみると、少し遠い親戚がお亡くなりになったとのことでした。普通なら年賀欠礼のはがきを出す範囲ではないのですが、血縁的には遠くても、近所に住んでいてとてもお世話になった親戚だったので、親が亡くなったのと同じ気持ちだからとのこと。
 自身の年賀状だけは、今回は失礼しますということで、勝手だとは思ったんだけど、と言っていました。

 年賀欠礼は、今は一般的には一年以内に2親等までのご親族に不幸があった場合に出すとされているようですが、友人のように、自身の気持ちの問題ではあるけれど、と欠礼状を出したのは私の中では「あり」だなと思いました。

 この話を聞いて、以前、葬儀や法事に出席するのは何親等の親族までなのですかというご質問があったことを思い出しました。
 法事に出席できないことを伝えたら、ご親族から怒られたとか。
 地域性や、各ご家庭のお考え方なども関係してくることなので、どこまでの人が絶対に行かなくてはいけないというのは一概にはお答えできないことではないでしょうかとお話しをすると、それでは親族を説得できないので、○親等までは絶対に行かなくてはいけないがそれより離れていれば行かなくていいというような線引きをしてほしいと。
 行けない理由はお聞かせいただけませんでしたが、その後のご親族との関係もあることでしょうから、もし、どうしても行けないという理由がおありでしたら、それをきちんとお話しして納得していただくしかないように思いますが、とお伝えしました。

 ご葬儀やご法事の出欠については、今後のお付き合いなども関係してくることでしょうから、自身の気持ちだけでは決められないこともありますので、「線引きをしてほしい」と思われたご相談者のお気もちもわかるような気がしました。

事前相談

 店内に「メガネ、一式全て込みで一万○円」と書いてあるポップを見た友人が、店員さんに「全部込みで一万○千円ですか?」と確認したところ、「そうです」言われ、元々メガネを新調するつもりだったので、買うことに。
 安いから、ご主人にも買ってあげようと思い、メガネ屋さんに来るように連絡をし、ご主人が到着するまでの間、自分の検眼やフレーム選びをしていたそうです。
一通り終わり、いざ、お会計の段階になったとき、別の店員さんが現れ、「レンズを薄くするのに○千円、レンズにキズがつきにくくなる加工○千円が追加料金になりますので、合計で○万○千円です。」と。
 受付票をよく見ると、たしかに「オプション」と小さくか書かれていたけれど、金額表記はなく、希望項目にチェックを入れる際にも、店員さんに「レンズは薄くしますか?」と普通に言われ、分厚いよりは薄い方がいいからと「薄くする」にチェックを入れたそうです。
 さも、「オプションも全て込みですよ〜」と言う風に見せかけて、会計の段階で金額が変わる。
金額がどうこうよりも、そのやりかたに怒った友人は、結局メガネは買わずにキャンセルし、後から到着したご主人も、せっかく行ったのにメガネを買ってもらえなかったそうです。

 私は、まだまだ、このような売り方をしているお店があるんだなと思いながら聞いていました。
 その友人はハッキリした性格なので、その場で怒ってキャンセルしてきましたが、なんとなく、不満を抱えたまま購入してしまう人も多いのではないでしょうか。

 売っているものを買うという場合には、キャンセルや返品をすることもできますが、オーダーメイドや特注品など、別の手が加わる物に関しては、動き出してしまった後にキャンセルをすることは難しく、たいていの場合はキャンセルが出来ないことの方が多いでしょう。
 ただ、売る側、買う側の両者で、内容や費用をきちんと理解していれば、後からのトラブルは起こりにくく、気持ちよく事が進むはずです。

 ご葬儀は、ご依頼者の環境や状況、時期なども関わって、様々な形に組み立てられる、まさにオーダーメイドの要素が詰まったものになるのではないでしょうか。
 また、ご葬儀の請求は、全てが終了してから(使用してしまってから)になりますので、返品や変更がききません。

 ご葬儀を滞りなく終えて安心していたら、請求金額を見て驚いたということがないように、何にどのくらいの費用がかかるのか、特に変動する可能性のある項目を理解しておくことは、ご自身を守るためにも大切なことだと思います。
 出来ることなら、万が一の時が来て判断があやふやになってしまうというような状況になる前の時点で、事前のご相談をされることをお勧めいたします。

メイクアップ

「女は顔が命です」その昔、こんなCMをどこかで聞いたような。
真偽のほどは定かではありませんが・・・。

 それはさておき、女性には最期のご葬儀にまでもこの言葉があてはまるようです。
 時にはメイクひとつでご葬儀の良し悪しを決定付ける要因になる場合もあります。

 少し前になりますが、長患いをされお歳を召されたお母様の最期のメイクアップをご希望されたので、プロの方にお願いしたのですが、依頼者のイメージにはいまひとつしっくり来なかったようで、そのことが最後まで気になり、終始落ち着かなかったご様子をアンケートで頂いたことがありました。
 
 写真をもとに綺麗にメイクをほどこしても、各人が持つお母様のイメージは心の中でゆるぎなく、時にはイメージが一人歩きするような場合もあり、万人を納得させる難しさを知らされたご葬儀でもありました。

 先日、ご親族のみのご葬儀に立会いした折には、開式1時間以上も前から女性陣が三々五々柩の周りにお集まりになり、柩の窓から故人様とご対面されては、一様にほっとした表情で、お顔のお話をされていらっしゃいました。

 話しかけたら今にも目を開け微笑んでくれるのではと思わせるほどのお顔に、女性陣の気持ちも和らぎ、開式までのお時間は柩を囲んでの皆さんのおしゃべりが続き、お見送りにも一段と弾みがついたご様子でした。

 この方の場合もプロのメイクアーティストの手により、長い入院生活で髪のお手入れができなかったためにまずはカラーリングをされ、落ち込んだ頬をふっくらさせ、肌の色を整え、明るくメイクをされて、ご喪家からもお元気な頃のイメージが蘇り、そのままの状態でお送りできたと感謝のお言葉を頂きました。

 もちろんプロの方を頼まなくても、病院での処置の範囲で簡単なお化粧はできますし、また、葬儀社さんによってはご家族のご協力を得て、ご家族の方々とご一緒にマッサージをされたり、ファンデーションで変色した皮膚を元の色に復元するお化粧の参加指導型を推薦している社もお見受けします。

 遺影の写真はお元気な時のお気に入りの表情で皆様をお出迎えできますが、柩に収まった現実のお顔は状況により様々な落差があります。少しでも写真のお顔に近づき、写真以上のお顔に変身できれば幸いです。
 やはり、女性は最期まで顔が命でしょうか・・・。

一日のみのご葬儀

 最近、一日葬をご希望されているというご相談を立て続けに受けました。
 
 ご本人が、「自分に万が一のことがあったら、葬儀は火葬だけにしてほしい」と話されていたそうなのですが、ご家族としては、父の葬儀なので、火葬のみというわけにはいかないだろうということで、告別式のみの一日葬をご希望されるケース、また、「母は高齢なので、兄弟ももう亡くなっていて、見送るのは子供たちとその家族だけ、しかも、皆仕事が忙しく、なかなか休みもとれないので、一日葬を考えているのですが」とおっしゃるケースなど、一日葬をご希望される方の事情は様々です。

 一日葬は、通夜振舞いの必要がなく、斎場についても、一日の使用料のみで利用できる式場を選べば費用が抑えられるほか、お仕事などでなかなかお休みの都合が付けづらい方などが利用するにはとてもよいかたちだと思うのですが、一方で、特に菩提寺様がいらっしゃる場合については難しくなることもあるようです。

 仏式のご葬儀で菩提寺様がいらっしゃる場合には、まず、菩提寺のご僧侶に来ていただくことになりますが、本来、お通夜にも意味があることから、一日のみのご葬儀をされないご僧侶もいらっしゃいますので、まずは菩提寺にご相談をしなくてはいけません。
 
 先日のご相談では、一日葬を希望していて、葬儀には菩提寺のご僧侶に来ていただくことになるとのこと。お寺のご住職は、以前身内の葬儀の時に来ていただいて以来、代も変わってしまい、その後はほとんどお話しをする機会がなく、疎遠になっていて、まだ一日葬を希望していることはお話ししていないとのことでした。
 ただ、一日葬の場合には、まずは菩提寺のご住職に相談していただいてからでないと、お話しを進められませんので、まずは菩提寺様にご確認してみてくださいとお話しをさせていただきました。

 数日後、ご相談者様より、「菩提寺のご住職とお話しをしたところ、一日葬でのご葬儀はやっていただけないとのことでした。ただ、葬儀の式場はお寺の本堂を使わせていただけるとのこと、また、このことで、お寺との意思疎通ができました」と、ご安心されたご様子のご報告をいただきました。
 
 直葬や一日葬は、宗教的な面や、家族・親族などの考え方によって思うように進められないこともありますので、ご希望されている場合には、一度ご相談いただければと思います。

故人を囲んで最後のお食事を・・・。

 ご自宅でのご葬儀が年々難しくなってきている昨今ですが、ご自宅以外でもお集まりいただいた皆様と旅立つ前の最後の晩餐会をこころゆくまでご一緒させてあげられたら。
 そんな思いにさせられることがあります。

 仕事柄、度々斎場でのご葬儀に立ち会いますが、ひとつの形式に則り静々と進行していくご葬儀を拝見していると、時としてなんとなく距離感を感じる場合が出てきます。

 式場を知り尽くしている担当者が通夜に駆けつけた大勢の方々を見事に誘導されている、その手綱さばきには感心しながらも、場合によってはもっと雑然とした状況の中でのお別れの方が故人にとってお似合いなのでは、と勝手に想像する場面に出くわすことがあります。
 お別れにお見えになられた方々はご焼香が終わると式場控室に場を移し、こちらで故人を偲びながらのお清めとなりますが、当の本人は式場の柩の中にぽつんと一人置いてきぼりにされたようで、傍から見ていても一抹のさびしさが感じられます。

 かつて観た韓国の土俗的なお葬式の映画ではご会葬の方々が柩を囲み飲んで食べて歌い踊り、故人との一体感が感じられ、ハレの場として強烈な印象を残していましたが、日本でも地方によってはご自宅でのご葬儀でこれに似たような振舞いが行われていたように伺っています。

 次第に形骸化されてくるご葬儀ですが、時にはご希望により昔ご自宅でされたような最後の晩餐を心置きなくしてあげる。
 時にはそんなご葬儀があってもよいのでは・・・。

 最近では式場での飲食を容認する斎場も少しではありますが増えてきているようです。

 以前伺ったお食事会を兼ねたご葬儀では柩を除けば親しい友人が主催したパーティ会場という雰囲気でした。
 柩の友にシャンパングラスを片手に語りかけ、友の好物に舌鼓を打ち、時には歌い、昔の思い出を語り合う。
 50名余りの皆様はお互いに思いのたけを語り合い、長年の友をお見送りしました。

生花祭壇

 先日、熱帯植物館に行ってきました。ヤシやシダなどの植物が所狭しと展示されていて、気分転換にはぴったりのスポットでした。

 残念ながら時期がずれていたのか、花をつけている植物はあまりなかったのですが、思ったとおり、南国ではいつでも咲いているという、プルメリアの花は咲いていました。

 プルメリアといえばハワイを連想する方も少なくないと思います。ハワイアングッズのモチーフにもよくつかわれていますし、レイにも使用されています。
 
 ハワイでは、プルメリアの花はお葬式の花ともされています。 お亡くなりになったその日のうちにお葬式をするという風習があったハワイでは、お棺に入れたり、故人を飾る花として、プルメリアの花を使ったそうです。
 プルメリアの花は、一年中、どこにでも咲いているので、急なお葬式でも大量の花を用意できたからだとされています。
 私も大好きな花なのですが、日本では急に大量の花を用意するのは難しいので、プルメリアの甘い香りに囲まれて送ってもらえるハワイの方をうらやましく思うのですが…。

 日本のお葬式では白い菊の花が代表的ですが、今では色とりどりの花を使った生花祭壇や装飾も多くなってきました。
 仏式のご葬儀においても、故人様の好きだった花、好きな色、また、遺されたご遺族が故人様に対して抱いているイメージを伝えて作ってもらう生花祭壇は、派手な色遣いの花が施されていても違和感はありません。

 生花祭壇をお考えの方は、是非、ご要望を伝えてください。生花ですので、お花の時期なども関係してくることですが、出来る限りのご要望は応えていただけます。

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知っておくだけでも違ってきます。

 2年前の夏、友人の義母様がお亡くなりになりました。義母様の病気がわかってからは、義母様のご看病に、また、入院の準備から手続きなどの一切合財を、忙しい仕事の合間を縫って頑張っていました。
 そんな友人から、葬儀の話が出たのは、義母様がお亡くなりになる2カ月くらい前だったでしょうか。
 ご長男であるご主人は仕事が忙しいので、お嫁さんである友人に全てを任せるということになったようです。
 「できれば、家族だけで直葬にしたい」というのが友人の一番の要望でした。
 生きているうちにいい思い出を作りたいから、そちらに費用をまわしたいというのが理由だったようです。
 
 一時的に退院の許可をもらい、義母様の思い出の地に、家族全員で旅行に行きました。

 義母様はとても喜んでおられたそうです。

 友人には、葬儀社さんからは必ず見積を作ってもらうことや、疑問に思ったことはすぐに説明をしてもらうようにとアドバイスをし、それからほどなくして、義母様はお亡くなりになりました。

 ご葬儀は、事前に決めたとおり、直葬で執り行いましたが、だからと言って決して寂しいご葬儀ではなく、とても良い葬儀だったと言っていました。
 
 事前にいろいろと知識を得たおかげで、当日に慌てることなく思う通りにことが進み、また、友人自身、やれることは全部やったという満足もあったそうです。

 今年の夏は3回忌でしたが、家族みんなとても忙しい。お墓参りはこれからも必ず毎月行くから、法要は勘弁してねと、お墓に手を合わせたそうです。

 事前にご葬儀のことをある程度理解しているだけでも、その後はご看病に専念できたり、やってあげるべきこと、やってあげたいことなどが見えてきたりすることもあります。

 ご葬儀の事で、疑問に思うことや、知りたいことなどがありましたら、お気軽にお電話をいただければと思います。

女性パワーの葬儀社とは・・・。

 近年同世代の女子だけで集まり、思い切り良く飲んだり食べたりおしゃべりしたりとストレスを見事に発散させている男子禁制の女子会が話題を呼んでいます。

 女子だけのおしゃべり会は以前からあり、結婚してもお姑さんの特別許可をもらってはせ参じていた友人を交え、それぞれの思いのたけをしゃべりあい、なんとなく結論なしに分かれていく会は男性陣には理解しがたいこともあるかも知れませんが、楽しいひと時でした。
 
 昨今の女子会は空気感に多少の違いはあるようですが、飲んで食べておしゃべりをする基本は昔も今もかわりません。
 しかし、今はパワフルです。
 あらゆる分野に出没し、最近はその女子会に焦点を合わせた企画物や商品までが至る所に並べられ、一種の社会現象を起こしているようにも見受けられます。

 マスコミもここぞとばかりに取り上げていますが、記者の多くが男性陣のためか、少し腰が引けて揶揄的に取り上げているのが、かえって問題を浮彫りにさせてもいるようです。
 毎週金曜日のデモに参加して写メールに撮っている若いママ達も、又、私が月1回通っている鎌倉の駅前を季節とあまり関係なく、埋め尽くしている元気な女性陣の集まりも、昨今の女子会の延長線上にあるように思われます。

 2〜3年前、葬儀社の関係者から女性だけの葬儀社を考えていることを間接的に伺い、当時立会いで見聞きしている分で判断するには、まだ時期尚早の感が否めなかったことを思い出しました。

 しかし、最近は昨今の女子会パワーを結集すれば、女子だけの画期的な葬儀社も夢ではないように思い直しています。

 女子の生真面目さを武器に、常に家族の1員の目線で臨機応変に対応できるのは長年家庭を切り盛りしてきた主婦感覚の結集であり、これこそがご葬儀で見事に発揮されるのではと密かに期待しています。

 特に昨今の家族葬を中心とするこぢんまりしたご葬儀が増えている中では、ご家族の希望に沿った提案がなされていることが最大の重要ポイントとなります。

 生活者の目線で物事を考え行動されるので、ご葬儀を特別な儀式としての意識が薄れ、家庭の延長線上でお見送りできる方向に持っていけるのはこの女子会のパワーをおいては他に見当たらないのではと、最近は女性のみの葬儀社に期待を膨らましておりますが・・・。