相談のタイミング

 昨日は趣味で通っている教室の忘年会でした。14名ほどの参加でしたが、クラスが違うとなかなか会う機会がないため、半分以上は「初めまして」の方々で、沢山の刺激をもらってきました。

 久しぶりに会った一人の先輩から、「90歳を過ぎた母はまだ元気だけど、あなたのとこの電話番号はちゃんと携帯に登録してあるから何かのときにはよろしくね〜」と明るく言われ、そこから少し葬儀の話に。
 すると、あちらこちらから数名が寄ってきて、話しに入ってきました。
 このような席で葬儀の話しをしちゃっていいのかなと思いながらも、みんなとても興味深げに聞いています。
一人の方が「将来、必ず経験するだろうとは思っていても、こういうきっかけがないと聞けない話しだからね、」と。
また、他の方からは「こんな相談をできるところがあるのは知らなかったわ、こういうところがあるということが分かっただけでもなんだか安心した気がする」と言っていました。

まだ葬儀のことを積極的に調べる段階ではない人でも、興味があったり、なんとなく不安に思っているんだなということを実感しました。

相談のタイミングはいつでも大丈夫です。「まだまだ先のことだけど」と、気持ちに余裕があったり、明るく話せるときに相談していただくのも有効なことだと思いました。

お葬式の話しが一段落し、お酒もいい感じにまわってきて、それぞれが色々な話題で盛り上がってきました。私もたくさんのいい話しを聞かせてもらい、楽しい忘年会となりました。

入院

 私事で恐縮ですが、先月5日間ほど入院を余儀なくされ、スタッフをはじめ周りの方々に、ご迷惑をかけてしまいました。
 夜中、突然の腹痛で、近所の総合病院に飛び込み、そのまま治療・検査入院で明け方には病室のベッドの上という始末でした。

 4人部屋の病室でうとうとしていると、突然お隣のベッドから断末魔の悲鳴のような男性の声が聞こえ、あまりの声にしばし痛みも忘れてこの病室は男女共用なのか、少し不用心では?と憤然としておりました。
 やがて、日に何回となく繰り返される悲鳴もこちらの耳に少しずつ慣れてくると、付き添いのご家族のお話も聞くとはなく聞こえてくるようになりました。
 一致団結してこのヤマ場を乗り越えようと、看病に専念されている様子が手に取るようです。
 お医者さんが病状を説明に来られ、一時は危ぶまれた容態も、このまま順調に行けば手術が可能な状態にまでなられるとのこと。
 お医者さんの説明でご家族皆様のホットされた空気がカーテン1枚仕切られたこちらのベッドにも伝わってきました。

 とりたてた病名もなく無事退院の朝を迎え、5日間お邪魔したお隣さんへご挨拶に伺うと、そこには小柄なお年を召したご婦人がすやすやとやすらかな寝息をたてていらっしゃいました。
 5日前の声の主とはとても想像がつかないほどのおだやかなお顔に、手術の無事をお祈りし、そっと病室を後にいたしました。

 仕事柄、事前相談でお話をお伺いし、見積りを取り、ひとまずホットされた依頼者の方には、後のお時間をできるだけ看病にあててくださいと申し上げておりますが、実際に病室でご家族皆様の看護振りに接し、頭の下がる思いを幾度となく見聞きした5日間の入院騒ぎも、あながち無駄ではなかったのではと実感しておりますが・・・。

発熱

 寒くなって、空気も乾いてきました。いよいよ風邪の季節到来です。
 我が家でも風邪が一巡しました。いつも最後に移ってしまうのが私のようで、家族の風邪症状の集大成です。数年前のインフルエンザ以来の発熱でした。お腹にきてしまったのが辛かったです。病院に行きたくてもいけない…。病院に行く往復にトイレが無いのが怖いのです。幸い、熱は2日ですっかりさがりましたが、お腹の調子はまだもう少しかかりそう。2日間、プチ断食状態で過ごしています。

 家族が寝込んでいると、やれプリンだ、ゼリーだ、アイスだと色々買いこんでくる私ですが、いざ私が寝込んだら、お願いしないと買ってきてくれません。お願いする気力もなかったので、プチ断食になるハメになったのですが…。
 
 結局、病院には行かなかったのですが、発熱中、色々なことを考えました。
 本当に風邪なのだろうか…とか、違う病気だったら、買い薬の感冒薬じゃダメなんじゃないかとか…。
 しかし、げんきんなもので、熱が下がると、「体力あるな、自分。」と感心。

 風邪は万病の元といわれるくらい、本当は馬鹿にできないものなので、過信は禁物です。病院嫌いな私は、予防が一番大切だと実感しました。

お彼岸のお墓参り

 先日のお彼岸に、主人の両親のお墓にお墓参りに行ってきました。そのお寺には、親戚のお墓もあります。お参りに行く時はいつも両方をお参りするのですが、ずいぶん前に一度、同じくお参りに来ていた人に「ついで参りはよくないのよ」と言われたことがありました。
 両親のお墓参りの「ついで」に親戚のお墓参りをしていると思われたのかもしれません。

 「ついで参り」と言う言葉は子供の頃にも聞いたことがあります。実家の霊園の近所には遊園地があり、お墓参りに行くと帰りには必ずその遊園地に連れて行ってもらっていました。子供にしてみれば、遊園地に行くついでにお墓参りに行くという感覚だったわけで、遊びのついでにお墓参りに行くというのが良くないという意味で言われていたのですが。

 少し気になったので、ご住職に伺ってみたところ、良くないとは言うけれど、ついでではなく、一緒にお参りに来たということでいいんじゃないでしょうか?普段、なかなかお参りに来れない人も、お盆やお彼岸は時間を作ってお参りに来るのですし、両親のお墓だけお参りして、親戚は素通りなんてできませんよね。とおっしゃっていました。

 今回のお墓参りでも、私たちが行った時には既にお花がさしてありました。おそらく、親戚がお参りに来た時に、うちのお墓にもお花をさしてくださったのだと思います。
 私が持って行ったお花より立派なお花でしたが、せっかく持って行ったお花なので、花立の隙間にさして、両方のお墓にお参りをしてきました。

 このところ、私がブログを書くときにはお墓の話題が多いような気がします。気持ちのどこかで、「お墓」のことで何か気になっているのかもしれません。

お元気なうちにこそ、ご自身の事前相談を・・・。

 暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったもので、うだるような暑さもいつの間にか遠のき、朝夕は秋の気配が漂い始めてきています。
 この秋の声とともに気持ちもリフレッシュされるのか、創作意欲がわき、各美術館、アトリエでは恒例の絵画・彫刻の展覧会ラッシュも始まったようです。

 先日、知人が所属する制作展に伺った折、畳3帖分以上もある作品群の中で、赤い花に囲まれじっとこちらを見据えている白い服の少女像に懐かしさを覚え、思わず「お元気ですか」と声を掛けてしまうところでした。

 4年前に頂いた絵葉書の白い服の少女とどこかダブってみえたようです。
 絵葉書の少女も同じように麦藁帽子をかぶり、ご自身の背丈以上もある赤いカンナの花に囲まれていましたが、夏の日差しの中、その少女は燐とした後姿をみせ、ご自分の道をひたすら歩いていらっしゃるように思われました。
 その後姿には様々なできごとにお会いされても、ご自身の手で解決されていくような並々ならぬ決意が伺われます。

 今年の夏も無事お過ごしになられたのでしょうか。便りのないのは良い知らせとばかりに思っておりますが・・・。
 4年前、センターにご自身のご葬儀について事前相談をされ、見積りをお取りになられた方でした。
 今までご自身が万が一のときには漠然とこのようにしてもらいたいと考えていらっしゃいましたが、一足お先に事前見積りをお取になられたお兄様からのご紹介を受け、センターにお問い合わせいただいたとのこと。

 「その時は自分自身がすでに一生を終えて何一つそのことに携わることもございません訳ですのに、客観的に冷静に考えられまして妙にすっきりいたしました。何年後になりますか。或いは意外に早く訪れることになりましょうか。いつか必ずお世話に預かりますことと存じます」と100号の油絵に自画像を描いた絵葉書とお便りをお送りいただきました。

 白い服の少女は私の中でもいつの間にか事前相談のシンボル的な存在を占めていました。

 ご自分の最期をどのようにされたいのか、ご自身の手でお元気な時にエンディングノートに書き写すとともにご葬儀の事前相談をされておくことをぜひお勧めいたします。

祖父母孝行

 17日の敬老の日を前に、今日は娘と一緒に実家の両親のところへ行ってきました。

 といっても、実家は近いので日常的に顔は出しているのですが。

 つい2年ほど前までは「敬老の日」というと少し顔をしかめていた両親でしたが、70歳を過ぎてやっと受け入れたようです。
 「孫の手」と言いながら、娘に背中をかいてもらう姿は本当におじいちゃんぽい。そして、おじいちゃんと握手をすると、その手には毎回500円玉が握られているので、娘にとってはお小遣い稼ぎにもなっているようです。

 私が子供のころ、おじいちゃんと握手したときに握らされたのはアオガエルだったのに…と、今は亡き、私のおじいちゃんのことを思い出しました。
 とても離れた所に住んでいたので、実際には恐らく数回しか会えなかったと思います。ただ、一度田舎に行くと、長期滞在していたので、よく遊んでもらったのは覚えています。うちの父と同じ「孫の手」ネタもありました。
 私が幼いころに亡くなってしまったので、祖父にとっては私が最初で最後の孫でした。もう少し長生きしてくれれば、そのあとに生まれた孫たちにも会えたのに…。
 
 私の両親にとって、うちの娘はたった一人の孫にあたります。元気な今のうちに、存分におじいちゃん、おばあちゃん孝行をしてもらいたいものです。

結婚式とお葬式

 今週末、久しぶりに会う友人と食事をする予定だったのですが、今日、キャンセルの連絡がきました。
 お世話になった方が急逝され、土曜日がお通夜になってしまったとのことでした。私たちの予定はたかがお食事。一生懸命謝ってくれる友人に、お世話になった方なら、最後にきちんとお礼言っておかなきゃだめだよと伝え、友人とのお食事はまた次の機会に持ち越しになりました。

 お葬式は予定を立てられることではないだけに、急な連絡で予定を返上してご会葬に駆けつける方も少なくないと思います。

 私の結婚式の時にも、招待させていただいていた先輩ご夫婦が身内の方のお葬式と日程が重なってしまい、結婚式の前日にやむを得ずキャンセルの連絡がきたということがありました。式の当日にご挨拶だけでもと思い、お宅に伺ったのですが、ご主人は「白いネクタイの方が気分良くしめられるんだけどね」と。また、奥様は「せっかくドレス買ったのに。もう一回結婚式やらない?」など、私たちに気を使ってお話しをしてくださいました。

 まさに冠婚・葬祭。

 まだ、私がお葬式のことを何も知らなかった頃だったので、もし、これが自分達、新郎・新婦の親戚関係の方の不幸と重なってしまったらどうなるのだろう…と、漠然と考えて、結局その時には答えが出せなかったことを思い出しました。
 
 ご葬儀に係る仕事に就いて、改めて考えると、気持ちは複雑なことでしょうけれど、結婚式もお葬式も親族一同が集まる大切なセレモニーなので、事情が許すのならば、やはりお葬式の日程をずらして対応することをお勧めするのかな…と思いました。

誕生と死

 いきなり私事で恐縮ですが、先日実家の弟から姪が無事男の子を出産したとの電話がありました。

 待ちに待った初孫の誕生に、当人夫婦以上の興奮ぶりが電話口からこちらにまで伝染し、早くもとびきりかわいいベビー服を贈ろうか、いや誕生間際からの写真を撮りまくろうかとお祝いの品定めに頭を悩ませている最中です。

 折りしも、誕生日となった9月1日は防災の日でもあり、全国各地で防災訓練が東日本大震災の切実感を持って執り行われた様子が報じられていました。
 大震災では多くの方が犠牲になり、尊い命が亡くなった一方で、新たな命が誕生するシーンを思い出し、改めて「いのち」の不思議さを実感させられた1日となりました。

 また、仕事柄、いのちの強さ、はかなさが浮彫りにされるご様子を耳にする機会もたびたびで、そのつど、一喜一憂させられるご家族のお気持ちを察すると本当に切ないものです。
 
 最近でも事前相談を受けた時点では、まだ少し先の話ですがとのことでしたが、センターの賛同社に見積りを依頼した直後に急変されたという方がたて続けに出ました。
 一方で昨年5月に最初のご相談を受け、そのままになっていましたが、今年に入って、「心配しておりましたが元気を取り戻していますのでしばらくはペンディングとさせてください」というお便りを頂き、この8月永眠された方もいらっしゃいました。

 仕事では常に死という言葉と向かい合っている中で、今年は姪の男の子誕生を機に「いのち」について改めて考えさせられた夏でした。

お墓参り

 先日、ずっと気になっていたお墓の引越しのことを両親に話してみました。
 反対されるかなと思っていたのですが、両親とも近いところに引越しをしたいと、私と同じことを考えていたようです。
 
 車で2時間。実家では運転できるのは父だけ。御彼岸やお盆は渋滞に巻き込まれるため、余計に遠く感じます。高齢のため、さすがにマメにお参りに行くことも難しくなってきたそうで、今年のお盆はお参りに行けなかったと言っていました。

 少し離れていても、せめて沿線内でもっと気軽に行けるところに引越しをしたいと思っていたらしく、霊園管理事務所から外柵の補修をしたほうがいいと言われているのをずっと拒んでいるんだそうです。

 調べてみれば、近隣にも霊園があちらこちらにあり、まだ、具体的に話を進める段階ではありませんが、見学に行ってみるのもいいかもなと思い始めました。
 
 実家では、私たち姉妹が最後で、基本的にはお墓を継ぐ人がいません。今は私の娘がみていくと頼もしいことを言ってくれていますが、将来はどうなるかわかりません。こればっかりは押しつけることもできませんし…。

 今のお墓が比較的自由のきく霊園にあることは幸いだったのかもしれません。両親が健在のうちに、引越しができればいいなと思っています。

あと一週間。

 8月も残すところあと一週間になりました。
 子供さんたちは宿題をかたずけるラストスパートに入っている頃でしょうか。我が家でも、一人、宿題に追われている人がいます。
 毎年、夏休みに入ったばかりの頃に「今回の宿題は7月中に全部終わらせて残りの休みは心おきなく遊びまくる」と言うのですが、実現したことは一度もなく…。
 数十年前、同じことを言っていた自分に思い切り重なるのですが、自分のことは高い棚の上にあげて娘に発破をかけています。

 子供が小さかった頃、田舎がなく、帰省という手段がない我が家はどこかへ連れて行ってあげなくてはと、混んでいる中、あちらこちらと遊びに連れていったりするのが大変でしたが、大きくなった今は、勝手に遊びに行ってくれるので、かなり楽になりました。長期の休みも、イライラすることなく過ごせています。
 ただ、楽になった分、少し寂しい気もしますが…。

 今年の夏は、オリンピックも高校野球も気が付いたら終わっていたという感じで、さらっと終わりそうな気がします。

 夏休みもあと一週間しかないので、たまには公園で花火でも…
 子供を誘ってもフラれてしまいそうですが…。