結婚式に出て、ご葬儀を考える

「富士山が見事です」の新幹線の車内アナウンスに慌てて眠い目を上げると、車窓から一望する富士山は青空をバックにきらきらと輝いていました。
 友人の娘さんの結婚式に向かう朝のことでした。

 披露宴会場に集合した一同は、花婿・花嫁さんを先頭に神前結婚式場の神社までお練をして行きました。
 白無垢の花嫁さんはとびきりの美人ときており、沿道を埋めた観光客も拍手と携帯カメラで祝福ムードいっぱいです。
 
 喧騒の中、神社に踏み入れ気が付くと、一転して静寂ムードに包まれていました。
 花嫁・花婿さんとご両親は神棚のある一段と高い位置からお客様をお迎えしています。

 
 やがて神前での結婚式が始まりました。
 祝詞奏上、三献の儀(三々九度)、神楽奉納、指輪交換の儀と進む中、静かな笙の音に聞き入っていると、仕事柄かいつしか神式のご葬儀の立会いにお伺いしたことが思い出され、ご葬儀の時との比較をしていました。

 結婚式とご葬儀は一見相反するようですが、冠婚葬祭という言葉があるように、昔から日本人にとって双方とも特別重要な儀式だったようです。

 そう言えば、各地にその名残がまだ残っており、お葬式の引出物と結婚式の引き出物が似ていたり、ご葬儀でのお食事もここぞとばかりにお料理を並べて、まるで門出を祝うかのようににぎにぎしく執り行われたりと、悲しみも喜びも同時進行のように行われてきています。

 神道でも新しい命を創る結婚と、役目を終えて神の世界へ帰っていくご葬儀は、双方ともおめでたいことと解釈され、永い一生の中でも最も重要視されている儀式との由。

 結婚式に出席して、ご葬儀という儀式を改めて考えるきっかけをいただきました。

 あれから3日後、富士山は世界遺産に登録される見通しとなりました。

 Congratulations on your wedding day

人の心を明るくする春のお花は・・・。

 朝日新聞・天声人語を見ると4月2日は詩人で彫刻家の高村光太郎の命日でレンギョウのお花の名を貰った「連翹忌」と記されていました。
 生前レンギョウの花を好み、光太郎のご葬儀では柩の上に一枝のレンギョウの花が置かれたことに由来するとも言われています。

 東京の桜はここ数日間の雨であっという間に葉桜になってしまいましたが、この季節、桜に負けじと鮮やかさを誇るお花にこのレンギョウがあります。

 二昔ほど前、ご縁があって全国各地の尼寺にお伺いした時期がありました。
 奈良の尼寺にお伺いした折、春の柔らかな日差しを浴びて、あたり一面に咲き誇っていたレンギョウの花を見ていると、不思議な夢心地で幸せな気分に浸っているように感じられました。

 先月ご葬儀で立会いにお伺いした無宗教葬でのお別れ会では、故人様が臨死体験をされた際に見られたお花畑をイメージした祭壇が設けられ、色とりどりの春のお花が柩を囲んで植えられていました。

 お花畑を見ていると、なぜかその昔奈良で見たレンギョウの花が思い出されました。

 お花に囲まれた故人様のお気持ちはいかほどだったでしょうか。

 お花畑の小道を行くと柩の故人様とご対面ができる粋な計らいの祭壇は、葬儀社の担当者のこだわりの一品でもありました。

 ご喪家からのご注文はお花畑のイメージだけでしたが、担当者はお話をお伺いしていく内に以前お住みになっていたご自宅前の公園の桜が見事で、会社の方をお呼びしてはお花見をされていたご様子を伺い、お花畑の周りに桜の木に見立てた枝を配して、春爛漫のお花畑の演出を試みたとのこと。
 最後のお花入れの儀ではその満開の桜の枝とワンパックの日本酒を柩にご家族の手で納められました。
 あちらでゆっくりお花見ができましたでしょうか。

 柩はお花畑からの旅立ちになりましたが、春爛漫のお花畑にたたずんだご会葬の皆様もこころなしか明るくお見送りされた模様です。
 春のお花は明るく内に秘めた力も強く、人の心を和ませ幸せな気分にしてくれるようですね。

桜とお見送り

疲れからか、うつらうつらしていると、ぱっと目の前が明るくなり、何事かと慌てて周囲を見渡すと、火葬場に向かうバスは丁度桜のトンネルの真っ只中を進行中でした。

 母の危篤状態が続き、東京と実家を往復する慌しい日々を過ごし、季節の移ろいを感じる余裕も無く、その時初めて桜の季節になっていたことに気がつきました。
 あれから、7年経ちますが、その衝撃が何処か尾を引いて季節がめぐってくる度に思い出す、胸騒ぎのする特別な花になってしまった感もあります。
 
 立会いに伺うご葬儀でも桜の花は特別で、この季節になると葬儀社の担当者も他のお花とは別格に選ぶ方もいらっしゃるようです。

 昨年のご葬儀では故人様の生きかたに感動された担当者が、御霊灯の提灯の代わりに見事な枝ぶりの桜を社からのサービスとして式場両側に生けると、桜を囲んでご会葬の方々の輪が膨らんで、故人様への想いが寄せられ、皆様それぞれに印象深いお見送りとなられたご様子でした。

 先日立会ったご葬儀でも、担当者はご家族からご自宅前の公園でよくお花見をされたお話を伺い、お花畑に見立てた祭壇には満開の桜が添えられました。
 ご葬儀の間中故人様を見守っていた桜は、故人様がこよなく愛したお酒といっしょにご家族皆様の手により柩に納められました。

 今年の桜は予想に反して、一気に花開いた感があり、早くも春分のこの季節に、満開の桜の下でのお墓参りをされた方もいらっしゃいますが、ご葬儀では散り行くまでにどのようなドラマが待ち受けているのでしょうか。
 以前、桜吹雪の中のご出棺を目の当たりにして、万感胸に迫るものがありました。

誰が払う?

 先日、父と何気ない会話をしていた流れで、途中からお葬式の話しになりました。

父「お父さんの葬式は焼くだけでいいよ、なーんにもしなくていい。」
私「いやいや、そうはいかないでしょ。親戚とかご近所さんとかさ。それに、祭壇に飾る写真はこれにしてくれって、写真用意してたから、葬儀をやってもらう気満々なんだと思ってたけど。」
父「○○さんも火葬だけにしてもらうって言ってたし。それでいいよ。」と。

 どうやらご近所の友人たちとの会話の中でも最近は時々自分のお葬式についての話題がでているようです。

父「火葬だけだったら2.3万で済むだろう?」
私「は?????」

 それはどこから仕入れた情報なのか聞いてみると、ご近所さんが、冗談なのか本気で言ったのかはわかりませんが、火葬だけだったらそんなもんでしょと言っていたそうで、それを真に受けていたようです。

 そういえば、今まで何度か葬儀について話しをしたことはありましたが、費用については話しをしたことがなかったかも。

 簡単に説明をすると、「まあ、いくらかかるかはよくわからないけど、おまえが払うんだから好きなようにしていいよ。ま、よろしくな。」と肩をたたかれました。

 そうですか…では、私も頑張りますから、お父さんもあと10年は頑張ってくださいよ!と手を合わせてお願いしました。

 元気なうちに、もう少し、きちんと話しをする必要があるな…と心から思います。

日の出

 一カ月くらい前からでしょうか、毎日ではありませんが、天気のいい日はなるべく外に出て朝日を見るようにしています。
 我が家の近所から見る日の出は、住宅と住宅の間から太陽が昇ってくる感じなので、いまひとつ感動には欠けるのですが、気持ちがいいのには変わりはありません。
 子供のお弁当作りでせっかく無理やり早起きをしているのだから、なにか気持ちのいいことを…と思って、朝のゴミ出しの時間を日の出の頃に合わせているのですが、朝のバタバタでうっかり時間が過ぎてしまい、気づいたときにはすっかり日は昇ってしまっていたりすると残念な気持ちになります。
 本当なら、そこで少し近所を散歩してみるのもいいのかもしれませんが、寒いのでなかなか…と思いつつ、今朝は近所の公園まで足をのばしてみました。
 だれもいないと思っていたら、意外と人がいらっしゃる。公園の鉄棒にぶら下がっていたり、犬の散歩をしていたり。
 もう少しまともな格好で出れば良かったと後悔しました。

 今は日の出も6時半ごろなので、ちょうど一段落したあたりの時間なのですが、これからどんどん早くなっていくわけで。
 どこまで時間の調整できるかわかりませんが、朝のお弁当作りもまだまだ続くので、もう少し続けてみたいと思っています。

東京の大雪

 昨日の大雪には驚かされました。
 週間予報でも「成人の日は雨か雪の大荒れの天気になるかもしれません」と伝えられていましたが、ここまで天気予報がピタリと当たるとは…。

 昨日は、平成4年生まれの皆様が成人式を迎えられたのですが、この年生まれの方々は今までにも大変なことがあったのだそうで。
 高校入試、高校入学には大雨や台風で大変な目にあったり、修学旅行の時期に新型インフルエンザが出たり、高校卒業式や大学入試の時期は震災の影響で自粛だったりと、本当に色々とあった学年だったようです。

 昨日、無事に成人式を迎えた子供を持つ友人が数名いるのですが、その時々に友人が心配していたのを思い出しました。
 友人いわく、今までのことがあったからたくましくなったようで、当日の大雪もまた「やっぱりね」と笑って、振袖を着て出かけていったそうです。

 赤ちゃんの頃から知っている子供がもう20歳。今年の成人の日を皮切りに、来年以降、しばらくの間、周囲で仲良くお付き合いをさせていただいている友人の子供さんたちが次々と成人の日を迎えることになります。
 我が家の子供はもう少し先ですが、きっとあっという間なのでしょう。

 連休明けの今日は、昨日の雪のせいで通学のバスが遅れるかもしれないと、少し早目に支度をしていました。
 外に出た瞬間「うわっ」と驚いた声を発した娘ですが、久しぶりに積もった雪を見て、顔はニコニコしていました。

たかが風邪、されど風邪、気をつけましょう。

 寒中お見舞い申し上げます。

 昨年喪中の友人からは近況報告を兼ね、風邪のため寝正月になってしまったとの寒中見舞いはがきが届きました。
 今年も風邪が猛威をふるっているようです。

 私も帰省の折りの新幹線車中では前後左右から咳やくしゃみの大合唱に見舞われ、慌ててポケットからマスクを取り出し、守勢にこれつとめましたが、次第に風邪引きの仲間入りを果たしたような気分に陥り、新年早々大慌てをしてしまいました。
 なにしろ帰省の第1目的が姪の赤ちゃんの写真を撮ることでしたので。

 そんなこんなで、私の仕事始めは1月4日からでしたが、早速に頂いたお電話もお亡くなりになられた直後でのご相談や、メールでのご相談を始めた矢先にお亡くなりになられ、急遽お電話でのご相談に切り替えたような、急変されたケースが相次ぎました。
 
 ご紹介した葬儀社さんからは「火葬場併設の斎場は特に混み合っており、すでに今の時点で10日間ほど待ちいただくことになる」との報告も受けました。
 正月三ヶ日がお休みの火葬場は例年になく混み合っていたようです。

 昔から寒いときには老人や幼児の死亡率が高くなり、その死亡原因の第1は肺炎であるとも言われています。
 ご病気で体力が消耗されておられるご老人、免疫力が落ちているご老人や赤ちゃんの風邪は肺炎に掛かりやすく、油断大敵です。
 また心不全などの持病をお持ちの方も風邪を引いたのが原因で一気に悪化させることもあると聞きました。

 この時期の新聞の訃報欄に書かれている病名も肺炎と心不全が目につきます。
 寒さはこれからが本番です。
 寒さに負けない体力作り、これも今年の目標の一つです。

 追伸
 先日、早速バー・オ・ソルで2時間ほど汗をかいてきました。

七草粥

 時間が経つのは早いもので、新しい年が始まって一週間が過ぎてしまいました。
 今日から仕事始めの方も多いことと思います。

 今日は七草粥をいただく日。縁起ものだと思って毎年作るのですが、我が家ではいまひとつ人気がありません。お正月のお料理で疲れた胃を養生するためでもあるとのことですが、3日から既に平日モードの日常に戻っているので、もう無理して作ることもないのかなとも思うのですが。

 このお正月は実家で過ごしたのですが、家族そろったのはどのくらいぶりでしょうか。近いので、まめに顔を出してはいるのですが、このような機会がないとなかなか皆が揃うことがなくなってきました。

 ここ数年、おせち料理は実家の母と私とで用意をして持ち寄っていたのですが、母も高齢。長時間、台所に立っているのがきつくなってきたようで、ついにリタイア。今年のおせちは私が作って持っていきました。
 これからは、毎年私が作って持っていくことになるでしょう。完全にバトンが渡されました。今度は私が娘に伝える番なのですが、これからの数十年、日本のお正月はどのように変わって行くのだろうかと考えます。
 元旦でも普通に買い物に行ける時代におせちの必要性もなくなってきつつあり、我が家では七草粥が消えそうではありますが、お正月の独特な雰囲気だけでも受けついでもらえればなと思います。

年末の買い物

 クリスマスももう終わり、あと一週間足らずで新年を迎える時期になりました。
 少し前に思ったことなのですが、今年はお正月の商品がお店に並ぶのが少し早いような…。
 一カ月以上前から、クリスマスの商品と一緒に鏡餅やお正月のお飾りが並んでいるのをみて、なんとなく時期が早いなと思っていたのですが。

 毎年、お正月に使う日持ちのする食材は、お正月価格になる前に準備をしていたのですが、近所のスーパーでは今年はクリスマスの前に既にお正月用の食材も並びはじめました。
 もちろん、通常の商品もならんでいましたが、賞味期限がギリギリ年内。
 主婦のささやかな節約の知恵も通用しなくなってしまったようです。

 個人にとってはささやかなことでも、お店側にとっては少しでも売り上げを上げなくてはならない大切なこと。
 ずっと、今までと一緒ではいけないのでしょう。これからも、ちいさなことが少しずつ変わっていくのだろうと思います。

 ついて行くだけでも精一杯ですが、こちら側も一緒に変わっていかないといけないな、と思いました。

パニヒダと外国人墓地

 先日の日曜日、ご縁があって横浜の港が見える丘の上にある外人墓地に眠っている白系露人のエリアナ・パブロバさんご一家の墓に詣でてきました。

 普段は塀越しにしか見られない墓地も、土日祝日は維持管理費を捻出する財源となる募金をされると、内部の見学が許可され、横浜の港をめぐるコースのひとつにもなっているようです。

 老若男女を問わず散策に訪れている方々は、様々な形のお墓に魅入られ写真を撮られたり、メモをされたりと、日本のお墓とは一味違うエキゾチズムを堪能されている方が多いように見受けられました。

 パブロバさん一家の墓は木立に囲まれた傾斜地にあり、かつては海も見えたであろうと思われる見晴らしのよい場所に位置し、当日のパニヒダ(死者のための祈り)は小春日和を思わせるような穏やかな日差しの中、ロシア正教の牧師さんが奏でる鈴の音とお祈りに、時折小鳥の声が交じり心休まるひと時でした。

 日本にバレエを広め、その基礎を創ったとも言われているエリアナさんは、大正時代にロシアからハルピンを経由して、母子3人で日本に亡命され活躍されたが、戦時中軍隊慰問の途中で亡くなられ、鎌倉・七里ヶ浜のバレエスクールは妹さんのナデジタさんの手によってその後を受け継がれて、バレエ界に多くの逸材を送り出してきました。

 親子3人がお亡くなりになられて、早30年の月日が流れましたが、いまだにご家族を慕って、毎年行われる追悼にはかつてのお弟子さんを初め、ご父兄の方、ご一家との関わりのあった方々が、お花を手向けにいらっしゃいます。

 周りの様々な形のお墓を見ていると、ひとりひとりの物語が浮かんでくるようです。

 遥か異国の地で永遠の眠りにつかれ、2度と故郷に戻ることもかなわなかった人達が、海が見える丘の上から遠い故郷をどんな想いで見ていらっしゃるのだろうか。
 思わずお声を掛けたくなりそうです。

 師走の中、時間が止まった1日でした。

 本年の私の担当は最後になりました。
 来年もよろしくお願いいたします。
 では、良いお年を!