意識の垣根

 コロナ禍の中、開会直前まで危ぶまれていた東京オリンピックが無事終了し、8月24日からは身障者の方々によるパラリンピックが開催され、日本勢は早くも水泳部門で14歳の少女がメタルを獲得するさい先の良いスタートが切られました。

 選手の方々が自己のハンディをものともせず挑戦する姿勢が新鮮で、テレビ画面に思わず見入ってしまうほどの迫力が、直に伝わってきます。

 日本人は昔から特に自分が健常者であることを意識した途端に、ハンディのある方達に対して、ついどこか後ろめたさを勝手に感じ、何々をして差し上げるんだと意識の垣根を作ってしまいがちですが、目の前で展開される競技を観戦しているうちに、いつの間にかわだかまりも消え、共に応援し共存する自然な姿が垣間見られる様になってまいりました。

 大分昔のお話しになりますが、ドイツの小都市ワイマールでの小さな出来事が思い出されます。

 マーケットで買い物をしていると、突然車椅子のオジサンにあれを取ってくれと呼び止められました。

 その指図の仕方が余りに自然で、気が付くといつの間にかオジサンの脇で一緒に買い物をしていました

 日本ですと、障害を持った方にはお手伝いをして差し上げなくては、との意識が先に立ってしまいがちですが、オジサンのあまりに堂に入った自然な振る舞いに巻き込まれ、我ながらびっくりしたものでした。

 同時にちょっぴりうらやましくもありました。

 日本にもいつかこんな社会が来るのだろうか。

 あれから数十年、パラリンピックを拝見しながら、今こそそのチャンスでは・・・と。

 今年こそ日本人の意識改革の時では・・・。

 日本人は昔から無から有を生ずるのは苦手と言われますが、コロナ禍の中という制約された中での意識改革は、ある意味日本人の得意とする分野でもあるのだから・・・。 

パラリンピックとバレエ「瀕死の白鳥」

 東京オリンピック閉幕後もコロナ禍は衰えることなく、更なる拡大を続ける中、来週からはパラリンピックが開催され、12日間の幕が切って落とされます。

 一時は小中学生の観客動員も考慮され、賛否が問われていましたが、拡大の一途をたどるコロナ禍の中、ワクチン未接種の子供達を守る為と父兄からの猛反発が起こり、結局先に執り行われたオリンピック同様に無観客での運びとなりました。

 本来でしたら、無言で子供たち一人一人に訴えかける最上の情操教育の一環となるはずでしたが・・・。

 夏休みは通常ですと子供たちにとってお稽古ごとの発表会やフェスティバルが目白押しの時期でもあります。

 しかしながら昨年来のコロナ禍の中、生で見る舞台は中止の一途をたどり、残念の一言です。

 映像と違い、目の前で繰り広げられる生身の人間の活躍ぶりは、色々な意味で幼心にも強烈な印象となって残る筈でしたが・・・。

 数年前、夏休みの「バレエフェスティバル」で見た光景は今でも脳裏に焼き付いています。

 久しぶりの生身の公演に興奮を覚えたのか、当初手拍子足拍子を交え、通常のバレエ公演と思えない程乗りに乗っていた子供たちが、先程とは打って変わって静まり返り、いつの間にか目を皿の様にして見入っていました。

 傷つき死を目前にした1羽の白鳥が、最後まで必死に生きようともがき苦しみ、力尽きるまでを描いただけの小品「瀕死の白鳥」は子供たちの柔らかな心にどの様に映ったのでしょうか。

 ある意味、生きることの意味が本能的に伝わり、最後舞台に突っ伏した白鳥に惜しみない拍手を送る子供たちの横顔が、パラリンピックでも見られるのではと期待したのですが・・・。

コロナ禍の中、残暑お見舞い申し上げます・・・。

 8月に入り、異常なまでの炎天下が続いたかと思えば、一転して局地的な集中豪雨と目まぐるしい天候異変の中、コロナ禍は更に拡大され、お盆の帰省も自粛が要請される昨今ですが、テレビに映し出される帰省客は弁解をしながらも、どこかいそいそとしていらっしゃるご様子が否めません。

 今年の帰省はご遠慮下さいとのお達しも、なかなか浸透するまでにはいかないようです。

 せめて久しぶりの故郷でのご親戚一同、クラス会一同等の集まりだけは避けてほしいものです。

 今、私の手元には1枚の絵はがきがございます。

 「遠い夏の日」とタイトルがつけられた絵葉書には、10年程前、先に御相談されたお兄様の御紹介で、ご自身の万が一の際は当時まだ珍しかった直葬を御希望になり、お見積りをお取りした方の若き日の自画像が描かれています。

 お手紙のやり取りの中、当初漠然とされていたご自身のお気持ちも次第に定まり、「その時はすでに1生が終っており、私自身何一つ携わることが出来ないはずなのに、客観的に冷静に考えて妙にすっきりしました。その時期がいつになるか分かりませんが、いつか必ずお世話にあずかりますこと・・・」と絵葉書には記されています。

 絵葉書の少女の御希望は「万が一の際は火葬場に直行し、無宗教で家族に見守られて見送ってもらえれば・・・。お墓は20年前主人が亡くなった際、川口湖近くの霊園に購入済み・・・」との由。

 あれから幾年かの歳月が過ぎましたが、今年も後を託された息子さんからのご連絡が無いことを祈りながら、ひとり絵葉書に見入っております。

 絵葉書は真夏の太陽の下、背丈以上もある赤と黄色のカンナの花咲く中を白い服の少女がスケッチブックを片手に毅然と前を見据えて佇んでいます。

我が家からのご出発

 かつて御葬儀は自宅で執り行われ、ご近所の方々からのお見送りを受け、永年住み慣れたご自宅からの出発が主流を占めていましたが、都会を中心に住宅事情と相まって、いつの間にか病院からの搬送先もご自宅から安置所に代わり、安置所から葬儀式場へと運ばれ、式場での御葬儀の後、荼毘に付されるケースがほとんどとなってしまいました。

 昨年来のコロナ禍の中、御葬儀自体も3密(密閉・密集・密接)を避け、お身内を中心に出来るだけシンプルな形へと舵が取られ、現状はある意味、よりドライな方向へと拍車がかかってきているようです。

 更に、ご逝去後は病院から安置所、安置所から御葬儀をせずに火葬場へと直行される直葬のケースもごく一般的になって参りました。

 御葬儀の形はご喪家のご事情により夫々ですが、御葬儀形式の変化と共に、故人様が長年育んできたアイデンティティの一環としての我が家の存在は、いつの間にか素通りされてしまった感がありました。

 そんな中、ご近所とのお付き合いも希薄になってきた昨今ならではの見送り方として、通常の逆手を取り、安置所ではなく、以前の様にご自宅からのご出発を希望される方も出てきています。

 病院近くのウイークリーマンションで、長年ご主人の入院生活を支え続けてきた奥様のことが思い出されます。

 ご近所には御葬儀後ご報告される手前、そっとお気を使われてのご帰宅になりましたが、御主人にとって1年9ヵ月ぶりの我が家で奥様が最初にされたのは、長い間閉めっぱなしにされていた雨戸を開け、御主人ご自慢のお庭を見せて差し上げることでした。

 入院という非日常生活から、かつての生活の場であった自宅に一旦お戻りになることで、双方がより日常に近づくことが出来、それがお見送りする方の支えにもなられたとの由。

 また、先日弟様から御相談頂いた方も、病院から御自宅に搬送され、荼毘に付すまでの間、御兄弟だけでご一緒にお過ごしになられ、読経もご自宅で済まされました。

 御葬儀のお式はせずに直葬にてのお別れでしたが、故人様も永年御一緒に住まわれていた御兄弟との生活の場からのご出発で、ご安心されて旅立たれたのでは・・・。

 お誕生日3日前にご逝去された、都内下町商店街の魚屋さんは、御家族のたっての願いで、最後のお誕生日をご自宅でお迎えになられ、お誕生日までの3日間は商店街のお仲間達が随時お集まりになり、最期のお別れをされ、ご自宅からのご出発となられました。

 様々な分野で混乱を招いているコロナ禍ですが、御葬儀の世界も、今一度各人が御葬儀の在り方を問うきっかけになれるかもしれません・・・?

コロナ禍で見えてくるものは・・・。

 東京オリンピックを間近に控え、コロナ禍での右往左往の状況が伝えられる昨今ですが、終息の気配は一向に見えてこないようです。

 3密(密閉、密集、密接)を避け、外出を避け、集会を避け、手洗い実行と出来る限りの準備態勢を取っていますが、更に新たな感染も予測され、様々な分野でのストップ状態が続いていますが、御葬儀だけは待ってくれません。  

 コロナ禍以前は、生前お世話になった方々や、長年親交のあった方々が最期のお別れをと、葬儀式場に掛け参じておりましたが、最近ではご喪家に気を使い、ご喪家サイドもお越し頂く方々を気遣い、御家族のみでのお見送りされるご喪家もみられるようになって参りました。

 以前はご逝去された病院から、葬儀社さんの方で手配された安置所に搬送・ご安置され、御葬儀当日をお待ちするスタイルが多くを占めておりましたが、御家族のみでのお見送りではご葬儀・告別式を省き、その代わり荼毘に付される当日まで、永年住み慣れたご実家で御家族とご一緒にお過ごしになられるケースも増えてきている様です。

 昭和の時代、ご自宅での御葬儀が主流をしめていた御葬儀も、平成・令和といつしか式場での御葬儀に変貌し、葬儀=葬儀式場が当たり前になり、時として華美な状態も取り沙汰されてきましたが、昨今の状況を機に立ち止まって御葬儀の在り方を一考される方も多いのでは・・・。

 長年、家を中心にしてきた御葬儀も、故人様との個人的なお別れをどのようにされるかが問われる時代に突入していくのでしょうか。

 更に、お別れの仕方はご家庭によりご要望も千差万別の時代に入っていくのでは・・・。

 先日も病院でご逝去されたお母様をご自宅にお連れし、荼毘に付すまでの2日間、姉妹3人で見守り、御住職に読経だけをお願いされた後、火葬場へと向かわれました。

 最期のお別れまでの間、お母様とごゆっくりお過ごしになられたご様子と伺いました。

ネットの情報だけを鵜呑みにせず、担当者とのコミュニケーションを大切に・・・。

 コロナ禍での非常事態宣言が延長される中、高齢者を対象にしたワクチン接種がやっと始まり、連日接種会場の様子がテレビに大写しされていますが、この状況がいつ迄続くのか、数字の上の統計だけでは難しいのでは・・・?

 そんな危惧をいだかせる昨今ですが、どんな状況下になっても人の寿命には限りがあり、時として死は待ってくれません。

 しかしながら、いつしか世間の風潮も災いし、御葬儀についてはアレルギー反応が示されたごとく静まり返り、昨今は通常の通夜を含めた一般葬を大っぴらに御相談するのも憚られるような空気までも蔓延しているとのこと。

 勢い、ご喪家本来のご要望があっても、ネットを通じて当たり障りない既製品で間に合わせるように決め、後悔先に立たずではないが、御葬儀後心に残るものが今一つ実感できないもどかしさを感じている方もいらっしゃると伺います。

 乗じて、中にはネットで見つけた低料金の葬儀社さんに決め、打ち合わせに入ったところが様々なオプションが加わり、総費用はかなりの高額になってしまい、慌てて当センターに救いを求めてきた方もいらっしゃいます。

 以前からやり直しがきかない御葬儀の良し悪しは、ご喪家・御葬儀担当者双方のコミュニケーションの取り方や、担当者がご喪家の事情を酌み、依頼者の立場に立ってアドバイスし、ご喪家のこだわりにどれだけ向き合えるかにかかってくるとまで言われてきました。

 又、ベテランの担当者の中には「葬儀社は究極のサービス業」とまで断言する方もいらっしゃいます。

 こんな状況下でこそ、御葬儀だけはネットの情報だけに頼らず、長年の経験をもとに臨機応変な対応ができる担当者の目配り・気配り・心配りのあるアドバイスに注目を・・・。

 

コロナ禍での梅供養とは・・・。

 部屋中にほのかな香りが漂っています。

 コロナに明け暮れている毎日ですが、季節は途切れることもなく、今年も気が付けば梅の季節がやって参りました。

 私事で恐縮ですが、半世紀近く前、生前の母が元気な頃植えた15本程の梅の木も成長し、もはや老木の域に達しております。

 律義にも毎年実を実らせ、母は知り合いの皆様にせっせとお配りしておりましたが、母の死後不肖の娘が後を継ぎ、といっても手入れは実家任せですが、今度は母の供養の為に・・・と称して友人知人にも配り始めました。

 その年に収穫した梅を使って保存食作りをする一連の作業を、特別に「梅仕事」という言葉で表すことも、その当時お配りした友人から教えられました。

 梅干し、梅酒、梅シロップ、梅ジュース、梅みそ、梅ジャムetc.

 梅仕事を通じてこの時とばかり、普段御無沙汰している友人知人からの近況報告が続々届き、お互いに新たな御縁も生まれます。

 ここ数年、不肖の娘は梅仕事の為と称して、時季外れのお墓参りを兼ねた帰省をして参りましたが、昨年来のコロナ禍の中ではお墓参りもままならない状況です。

 梅は実家から送ってもらい、今しばらくのお墓参りは断念しましたが、梅供養は場所を選びません。

 梅仕事をすることで母への供養が始まります。

 今年は梅ジュースに始まり、ジャム作り、完熟を待っての梅干し作りとなる予定です。

 母が元気な頃は、傍観者を決め込んでいた娘の変貌ぶりに、草葉の陰から見守る母は呆れているかもしれません。

 これも私流供養の仕方と張り切っているのですが・・・。

後戻りはありません・・・?

 今日もテレビ画面から医療従事者の切迫した声が聞こえてきました。

 それに反し、一方で若者の他人事のような行動も相変わらず目に付きます。

 時短要請で飲食店から閉め出された若者達は、路上での飲み会を続行し、中にはマスク無しでラッパ飲みをしながら騒ぎ立て、周りの大人達のひんしゅくをかっても、我関せずの様子がテレビで大写しされている昨今ですが、当の若者達が最近はテレビを見ないという皮肉な現象も、世相を反映しているかのようです。

 昨年からのコロナ騒動は、世の中それぞれの分野での改革が余儀なくされつつある中、世の中の動きに大きな様変わりを見せる道具立てになっているようにも思われます。

 それは御葬儀の世界も、例外ではないようです。

 以前、菩提寺では通夜、葬儀、告別式の一連の流れに本義があり、いずれを省くことは理解しがたい、とまで言われ、1日葬や直葬は否定されていましたが、昨年来のコロナ禍をきっかけに、御葬儀も出来るだけシンプルに執り行う方向に舵が取られ、それと共に以前からくすぶっていた若い世代の檀家離れの現象と併せ、お寺サイドも最近では柔軟に1日葬の許可をせざるを得ない状況になってきたと伺いました。

 “お身内だけの少人数で、出来るだけシンプルに・・・”を合言葉に、昨年来の御葬儀も、内輪のごく親しい方々だけでのお見送りが、大半を占める様になってきています。

 この現象はコロナが蔓延している今の内だけで、コロナ終焉後はまた再び元の状態に戻るのではと、永年御葬儀の世界に携わってきたベテラン担当者に問いかけたところ、曰く、“この世界での後戻りはないですよ”とのご返事でした。

 コロナ終焉後、御葬儀はどちらの方向に向かうのだろうか・・・。

「通夜ぶるまい」に癒された御葬儀は何処へ・・・?

 シャンパングラスを片手にお話が弾み、一見同窓会と見間違えそうな雰囲気と喪服姿が違和感なく共存していました。

 彫刻家だった故人様の大好きだったカザルスの演奏曲が流れる中、御葬儀は立食のパーティー形式で執り行われ、式場入口で頂いた白い薔薇を柩に献花した後、グラス片手にお料理を召しあがりながら柩の周りにお集まりになり、久しぶりの旧交を温めて、お話も弾んでおりました。

 喪主の息子さんの「長いこと、ご苦労様でした」の御挨拶に続き、ご会葬の皆様ご一緒に乾杯のご唱和でしめくくられました。

 又、ご高齢者が多いご葬儀では、通夜の読経とご焼香が終わった後、式場はそのままテーブルセッティングされ、祭壇と柩の前にテーブルがTの字に並べられ、お食事の用意が整い、棺に向かっての乾杯に始まり、故人も交えてのお食事会のような雰囲気が伝わってきました。

 お招きする側も、精神的・肉体的にも疲れ果てている時出会ったお料理に気持ちが癒され、立派に喪主を務める勇気が湧いてきたとおっしゃる喪主の方もいらっしゃいました。

 一方で、お式は出来るだけ質素に、その代わり、わざわざお越し頂いた方々には美味しいお料理で十分なおもてなしをされたい、とのご遺族の意向を汲み、意気に感じて、今までに60軒以上の仕出し屋さんを当たり、一軒一軒お味を吟味しながら、数年かけてやっと満足するお食事に出会えましたとおっしゃる担当者もいらっしゃいました。

 「通夜ぶるまいは沢山食べて頂くのが供養になりますので、ご焼香を終えられたご会葬者お1人お1人にお声を掛けて召し上がっていただきます」とは御葬儀担当者の弁。

 生死がはっきりしている魚や動物の肉料理に対し、野菜中心の精進料理が主だった通夜のお料理も、時代と共にいつの間にか故人様やご喪家のお好みのお料理に取って代わり、大皿に盛ったオードブルや寿司、てんぷら、煮物等が中心となり、御葬儀の関心を一身に集めて参りましたが、昨年来のコロナ禍のなか、感染防止の為と称し、通夜のお料理の大皿が消え、お一人様用のお料理に、また精進落としもお持ち帰り用の仕出し弁当に取って代わってしまいました。

 おもてなしの姿が消えたこれからの御葬儀、「通夜ぶるまい」のこだわりは何処へ・・・。

再び、至福なひとときが過ごせます様に・・・。

 今年もお花見の季節がやって参りました。

 コロナ禍の中、世間の自粛ムードもさらに厳しさを増してきました。

 当の桜だけは状況をご存知ないかのように、一段と色鮮やかな様相を呈して参りましたが、満開の手前にきて世間の風は思いの外きつく、戸惑いを見せているようにも思えます。

 コロナ騒動の前年、隅田川の夕暮れ時、ネオンとネオンが映る川面と両岸の満開の桜の中を2艘の屋形船が行き交っておりました。

 江戸の昔に流行った写し絵が、これから船上にて150年ぶりに上映されるとの由。

 舞台と観客席に分かれた屋形船の1艘は、やがて岸辺近くに停泊して、日本の四季を代表する満開の桜を写し出し、川面に映る桜と隅田川両岸の桜並木と三位一体となり、辺り一面が桜色に染まり、そこだけが時間が止まったかのような様相を呈して参りました。

 観客席の屋形船の方からは声にならないどよめきが起こり、一気に150年前の江戸の昔にタイムスリップした観客の方々は、暫しの間至福なひとときを過ごして参りました。

 あれから2年、優雅なひとときは幻のごとく消え、桜だけの人気のない土手を、ネオンが無常に照らすのみの日々が続いております。

 いつの日か、あの至福のひとときが蘇ることを祈るばかりです。

 一都三県の自粛営業も21日解除されるとは言え、いつ何時リバウンドあるかは見当が付かない状況です。

 御葬儀もこのご時世ですからとの合言葉で、通夜を省き、精進料理もお持ち帰りとなり、近親者のみのお見送りが続いておりますが、最期のお別れは残された者にとって大切な気持ちのけじめでもあります。

 コロナ後の御葬儀の在り方も含めて、これからのお見送りの仕方を、時代の空気と共に見守って行きたいと存じます。