バースデイケーキと御葬儀の関係は・・・。

一都三県の緊急事態宣言以来、先輩の卒寿のお祝いも延び延びになっておりましたが、先日久しぶりに内輪でのお祝いをさせて頂きました。

まだ現役でお仕事をされており、御忙しい合間をぬって多彩な趣味に没頭されている姿を見るにつけ、後輩たちはその元気な源を探ろうと躍起になる始末です。

バースデイケーキの上には90本ならぬ、9本の蝋燭が灯され、早くも10本の蝋燭が待ち遠しく思われる程のお元気なご様子を拝見し、日頃の体調不調を嘆いている後輩達にとっていい刺激剤となったようです。

この世に生を受けてから最期まで、人生の様々な場面に登場するバースデイケーキは諸説様々ありますが、中には古代ギリシャの時代から受け継がれている説もあり、願い事を発しながら、息を吹きかけローソクの火を消すのがならわしとの由。

白寿に向けて先輩は何を祈願されたのだろうか。

以前、都内の下町商店街で永らく魚屋さんを営んでおられ、ご自身のお誕生日3日程前に病院でご逝去された方の場合は、ご葬儀まで10日間ほどあり、御家族のたっての願いで最期のお誕生日をご自宅でお迎えになられました。

ご自宅に戻られた柩の脇には早速に大きなバースデイケーキが用意され、お誕生日までの3日間は商店街のかつてのお仲間達が随時お集まりになり、夫々最期のお別れをされたとの由。

御葬儀担当者は少しでも皆様の思い出になるようにとケーキを写真に撮り、棺脇に飾り、本物のケーキは柩の中に収められました。

ご喪家にとって初めての御葬儀で、お気持ちの余裕がない中、担当者のちょっとした気遣いに、ご喪家の方々も大いに感激されたご様子で、御葬儀後のアンケートでも、感謝のお言葉を頂きました。

「その節は色々お世話になりました。担当者の方は最初から最後まで私達遺族の立場に立ち、ちょっとしたことでも親切に対応して下さり、父も幸せでしたし、私達遺族も素敵な御葬儀で父を送れて幸せでした」。

ネット情報だけを鵜呑みにしない。

 最近の話題はもっぱらオリンピックとコロナに二分されるような昨今ですが、どの様な時代になろうとも御葬儀だけは待ってくれません。

 そんな状況下のなか、3密を避けるため、出来るだけシンプルな御葬儀をとのご要望で、勢いネット上でご希望の価格帯を見つけ、他社とのお値段の比較をされてお決めになり、御葬儀後、これでよかったのかと、思い描いていた御葬儀との違いを、肌で感じる方も多いように伺います。

 また、ネット上での料金設定の基準が一定でない為に、単純に比較が出来ず、実際の御葬儀の中身が見えづらく、ご不安を感じる方も多々いらっしゃいます。

 実際、御葬儀の現場に立ち会いますと、御葬儀は夫々最もメンタルな面で構成されており、お一人お1人それぞれの見送り方があることを実感できますが、最近はネット上でご紹介されるハウツウ式の御葬儀で、一件落着を押し通そうとする傾向が、より顕著になってきているようにも思われます。

 当センターでは、ネット上でお調べになられたら、比較検討するためにも、ご要望をお伺いし、センターの賛同社・複数社からお見積もりをお取り致しますので、御紹介する担当者と実際にお会いになり、一つひとつのご要望を御相談・ご検討される様申し上げております。

 担当者との御相談で、ネット上では分からなかった新たなご要望や提案も出てきますし、お話し合いの中で担当者と合う・合わないという問題がでてくる場合もございますので、事前のチェックが重要になって参ります。

 昨今の様に小規模な御葬儀を御希望される場合は、より重要視されますので、センターでは実際にお会いになってから、ご判断いただくようお伝えしております。

 葬儀社のベテラン担当者からも、「相談者との信頼関係ができるかどうかで御葬儀の良し悪しは決まってしまいます。我々はアドバイザーであり、影のサービス部分でお手伝いをしており、困ったとき振り向けば、何時でも居ります。サービスが行き届かなかったら何にもなりません。金額だけでなく、お客様との信頼関係で如何に喜んでもらえるかに掛かっています」との伝言を頂いております。

コロナ禍以後の御葬儀の在り方は・・・。

 昨年来のコロナ禍の中、今年の幕開けは1月8日に発令された東京都を筆頭に一都三県に渡る緊急事態宣言から始まったと言っても過言ではありません。

 昼夜を問わず、人の流れを止めることがコロナ感染から身を守る第1条件とのこと。

 不要不急の外出は控える様に、様々な機関を通じて報じられていますが、御葬儀だけは待ってくれません。

 昨年からの御葬儀では、通夜を省いた1日葬が多くを占めるようになり、お呼びする方もご列席される側の方も双方で躊躇され、こんな状況ですのでとの注釈をいれて、お身内だけでお見送りされるケースが主だっております。

 御葬儀担当者の中には、流れを観察していると、コロナ禍終焉後、再び従来の一般葬の形態に戻ることは、社会のテンポから言っても難しいのでは、との予測をされる方もいらっしゃいます。

 今までも、その時代の出来事をきっかけに、一気に変化することも多く、従来の義理でご出席されていた通夜・葬儀告別式の形態に戻るのは難しいのではとも・・・。

 10年程前、団塊の世代が親の介護を始めた頃と比べ、これからの御葬儀は義理で参列される世界が取り払われ、お世話になった方、お世話をされた方共に深く関わりのある方のみで、お見送りされる方向に向かうのでは・・・。

 一方で、ここ数年、ハウツウ式のノウハウだけで対応されていた御葬儀も目立ちましたが、故人様との関わりが深い方のみの御葬儀となりますと、本当の意味でのお別れの場としての重要度がより増してきます。

 ご列席の方々の心に残る御葬儀を求め、たとえ1日葬でも、密度の濃い、ご喪家のご要望に合わせた御葬儀が望まれます。

 担当者にはこれまで以上に気配り、目配り、心配りが要求され、ご喪家のお気持ちに沿った采配ぶりがより重要な鍵となるように思われます。

 その鍵を握るのはいつの世もご会葬者の「良いお式でした」の一言ではないでしょうか。

空気を読む・・・。

 祭壇両脇に並んだ供花は、故人様を供養する意味合いが込められていると言われます。

 コロナ禍の中、御葬儀もお身内の方を中心に、ごく親しかった友人数名を含めた家族葬が多くみられる昨今ですが、喪主、子供一同、孫一同と掛かれた供花の札を見ていると、故人様とのかかわり合いが垣間見られ、改めて感慨深い想いにさせられます。

 しかし、この供花1つが時に物議をかもす原因になってしまう場合もあるようです。

 お花を出せばそれで終わりと思われがちですが、時としてこれがしこりとなって後々まで尾を引く場面も見られるとの事。

 以前でしたら、ご親戚の中でご年配の方がお花はどうするかと周りにお尋ねし、テキパキと処理され、事なきを得ておりましたが、核家族化された昨今では、夫々の家庭の事情もあり、長老も切り出しにくいと伺います。

 ご親戚の分はお名前だけをお借りして、ご喪家側で一括される方もいらっしゃいますが、 どうかするとお名前を出されたご親戚側も素直に従いにくく、時には押しつけがましさを感じる方もいらっしゃるとのこと。

 ちょっとしたボタンの掛け違いで、事が大きくなり、後々それがしこりになっては大変です。

 そこでベテラン担当者のお出ましです。

 お身内の方々が集まる最初の打ち合わせの際、ご喪家の空気を察知しながら、お花はどうなされますかと透かさずお尋ねされるとのこと。

 いつどのように切り出すかは一言で説明しにくいが、タイミングは長年の勘だともおっしゃいます。

 ご喪家と周りの空気を読み取り、常に俯瞰の目をもって対応することが担当者として大切で、時として御葬儀のノウハウだけでは身動きが取れない状況も出てきます。

 そこが腕の見せ所でもあります。

 昨今はレールに敷かれたハウツー式の御葬儀が数多く見受けられる様になりましたが、一方で通り一遍の式次第ではご満足いただけないのも事実です。

 お一人お1人の最期をどのように締めくくって差し上げるか、100人100様の対処の仕方があり、ロ―マならぬ、葬儀担当者も1日にしてならず・・・ですか。

最期はいつものお顔で・・・。

 コロナ禍の中、最近の御葬儀はお身内の方々を中心に、御対象者と親しい方々でのお見送りが中心となって参りました。

 ご会葬にお見えになられた方々はご喪家のご厚意で、お1人づつ最期のお別れをされ、永年見慣れたお顔にホッとされる姿を、良く拝見いたします。

 ご逝去後、病院で死後の処理の一環として男性の場合はおひげそり、女性は簡単なメイクでお顔を整えますが、長患いでやつれ、痛々しい程の姿の方の場合は、プロのメイクアップアーティストの手に委ねる方もいらっしゃいます。

 御葬儀の担当者から「元気な頃のお母様に会えてよかった」と喜んでもらえたとのご報告に、思わずこちらも大きく頷くことしきりです。

 プロの手により、シリコンを入れふっくらされた特殊メイクが施されると、みるみるうちに生気を取り戻し、今にも目を開けてにっこりされるのではと思わせる程だったとのこと。

 元気な頃とは別人の様になられた方を見慣れたお顔に戻すのは、時にはプロのお力をお借りすることも必要かと思われます。

 たかがメイク、されどメイクとも言われますが、メイク一つでご葬儀全体の印象がガラリと変わる場面も、度々お聞きしております。

 一方、ご高齢の方の御葬儀では綺麗にメイクをし過ぎて、普段見慣れたお顔と違い、御家族から御葬儀の間中落着けなかったとのご指摘もございます。

 プロの方からは、通常のメイクと違い、綺麗に仕上げるだけではなく、如何に生前のその方らしいメイクが施せるかが目的で、元気な頃の写真を拝見したり、御家族の方々からお話をお伺いして、少しでもその方らしいお顔に近づける様に気を付け、それは丁度絵画の修復作業にも似ているとのお話をお伺いしたこともございます。

 永年お世話になり、昨年101歳で亡くなった、綺麗に整った伯母のお別れのお顔が、目に浮かびます。

見送る気持ちは不変です。

 新聞に掲載されていた記事の切り抜きを見ています。

 「弔いのあり方」という特集記事の中で、遺言どおり家族葬を執り行った御家族の話に、思わず目が止まりました。

 「家族葬の大変さを実感しました」との記事内容は、御葬儀の段取りや内容そのものではではなく、周囲の方々のあまりにも大きな反応に戸惑われたことでした。

 「何で教えてくれなかった」に始まり、「この前執り行った旦那様の葬儀に比べ、質素でかわいそう」「えらい扱いだ。こんな目に合うなんて」「友達だってお別れを言いたい。それを断るのはおかしい」等々。

 故人の遺言であることを告げても、なかなか納得していただけなかった由。

 大分前のお話しかと思い、記事の日付を見るとほんの2年半ほどの前でした。

家族葬、直葬の言葉はマスコミを中心に以前から取り上げられていましたが、それが現実となると、一般的に浸透するまでには大分時間がかかったようです。

 それでも、いつの間にか内々での家族葬はもとより、火葬のみの直葬までもご家庭での御葬儀の話題に上るほどになり、今年に入ってもたらされたコロナ禍の中では、むしろ1日葬での家族葬が話題の主流を占めるまでになり、御葬儀の在り方にも急激な変化がもたらされて来ているようです。

 一方でコロナ禍の中、3密(密接、密閉、密集)を防ぐためと称し、御葬儀はオンラインでと、記帳・香典の受け渡しから始まり、御葬儀風景も生中継され、決済も全てオンラインで完結する御葬儀が話題を集める昨今でもあります。

 しかし、見送り方がどんなに変わろうとも、御葬儀だけはやり直しがききません。

 最近はハウツウ型の一見スマートな御葬儀が目につくようにも思われます。

 コロナ終息の折には、労を厭わぬ、お一人お1人の個性に合わせた、お見送り方が待ち望まれます。

ジャズメン最期の夜

 10月も後半を迎え、一気に秋の気配が濃厚になって参りましたが、今年は例年の秋とは大分趣が異なってきています。

 今の季節、例年ですと街中のライブハウスからはジャズの生演奏が漏れ聞こえ、秋の気配を一層盛り立てておりますが、今年はコロナ禍の中、一変して自粛が申し渡され、様々な制約の中、生演奏はひっそりと行われる始末です。

 それでも、今年で26回目のジャズフェスティバルを迎える、草分け的存在のわが町阿佐ヶ谷では、「ライブの火を消すな」とばかりに10月23,24日の両日、阿佐ヶ谷ジャズストリートを開催し、街中につかの間の懐かしいジャズのライブが戻って参りました。

 ジャズ仲間の結束は強固です。

 ジャズ仲間と言えば、以前の御葬儀でジャズ仲間の友情に思わず、胸を熱くしたことが思い出されます。

  時にもの悲しく、時に激しいジャズの音色は御葬儀でも度々耳にしておりましたが、以前都内でジャズ喫茶を経営し、ご自身も演奏されていた方の告別式にお伺いした際のことでした。

 喪主の奥様は「無宗教での音楽葬を」との故人様の遺志を継ぎ、通夜は昔からのジャズ仲間を中心に御兄弟、御親族の方々に、お集まりいただきました。

 無宗教葬の通夜には往年のジャズ仲間が駆け付け、御葬儀担当者も献花台をあえて柩の右側に置き・お仲間が献花をされてから棺の故人様とゆっくりご対面いただけるようにセッティングに気を使われたとの由。

 通夜の間中ジャズが流れ、ジャズ仲間も当初懐かしいライブの写真や譜面に触れ、思い出話に花を咲かせておりましたが、感極まったお仲間のお1人が突如トランペットを吹き、懐かしい曲を次々演奏されるや、他のお仲間も、負けじとスイングして盛り上がり、ジャズメンらしい最期の夜となりました。

 地方からお越し頂いたご親族は、通夜が始まるまで無宗教の音楽葬に難色を示し、特に故人様のお兄様は大反対と伺っておりました。

 しかしながら、お仲間の深い友情を目の当たりにされたお兄様は、通夜の御挨拶で涙ながらに「こんな素晴らしい通夜は初めてだ」といたく感激された面持ちだったとの由。

 翌日の告別式はジャズの音楽が流れる中、御家族・御親族のみのお見送りとなりましたが、奥様はお兄様から改めてご挨拶をいただきました。

「これからも今まで同様、どうぞよろしくお願い致します」と・・・。

慣れるとは・・・。

 深夜お電話を頂きました。

 「今しがた父親が病院で息を引き取ったが、◯万円以下で直葬を執り行ってくれる葬儀社を捜している最中で、現在、◯万円で直葬を執り行ってくれる葬儀社を1社保留しているが、更に安くできるところをあたっている」とのこと。

 あまりの低価格に一瞬絶句してしまいましたが、気を取り直し、「御希望に添えられるのは難しいかもしれませんが、地元の当センターの賛同社に問い合わせ、折り返しご連絡を差し上げる」旨のご返事をさせて頂きました。

 ところが、電話の主からは「それ以下の金額だったら、ご連絡下さい。それ以上でしたら、結構です。ご連絡には及びません」とのご返事が返ってきました。

 夫々の御事情があるとはいえ、思わずため息をついて、一抹の寂しさを覚えたのも事実です。

 あれから3年。

 今年は別な意味での、そっけなさを感じてしまいます。

 コロナ禍の中、周りに気遣い、お身内だけでそっと執り行い、古くからの友人も御家族からの事後報告でその事実を知らされる羽目になってしまい、戸惑いも多く見受けられると伺っております。

 しかしながら、コロナ終焉後もいつの間にかに慣れて、御葬儀とはそういうものだと思わせる時代に突入するのではとも危惧されます。

 時代と共にご葬儀も変化するとは言え、8年前に頂いたご報告は懐かしい思い出だけになってしまうのでしょうか。

 看病疲れのお母様の為にも、最期は家族だけで静かに見送ってほしいというのが当の御父様の願いでした。

 けれども、お母様は当センターとのやり取りの中で、ホームページに記載されていた「家族だけでお見送りすることも大事だが、永年の付き合いの中で最期のお別れをされたい人の気持ちを汲んであげることも大切」のくだりが頭から離れなかったとの由。

 皆様からの「お見舞いも拒否され、最期のお別れも出来ないなんて辛すぎる」との申し出に、「どうぞ来てください」と言えたことで、一生の悔いを残さず済みましたとの感謝のお言葉を御葬儀後頂きました。

 センタ―とのやり取りから3ヵ月後の御葬儀では親戚の方々が大勢馳せ参じ、「通夜の晩は大広間に雑魚寝され、さながら合宿所の様相を呈し、翌朝は皆様でバケツリレーよろしくお布団を運び、見る見るうちに大広間はお布団の山が出来、それは圧巻でした。通夜の一晩が思い出深いものになりました」との報告も頂いております。

猛暑とベルダおばさんの思い出

 今年の夏はコロナ騒動に加え、うだるような暑さが続いています。

 40℃近い暑さに、テレビ・ラジオでは連日熱中症対策を呼び掛け、特に中高年の方々へ注意を促しています。

 40℃の暑さと言えば、数十年前のスペイン・アンダルシアの8月が思い出されます。

 今、古いアルバムを取り出し、数枚のモノクロ写真を眺めています。

 連日43度、44度と耳を疑う様な暑さでしたが、日本の暑さと違い、空気が乾燥しているためか、室内に入ると思いの外涼しく感じられる、グラナダの町で出会ったベルダさんの写真です・・・。

 グラナダ在住の日本人の間では通称「魔法使いのおばあさん」で通っていたベルダさんは、成程ほうきにまたがれば、そのまま空中に飛んでいきそうな不思議な雰囲気の方でした。

 そのベルダさんがかつて人民戦線でスペインを代表する詩人・ロルカと共に銃をもって戦った筋金入りの闘士だったとの噂を聞き、当時のお話しをお伺いしようと試みたが、頑として口をつぐみ、終始静かに微笑むだけでした。

 薄暗いお部屋でゆったりとイスに腰かけているベルダさんの周りには、数匹の猫がのんびりとくつろいでいる他は音もなく、まるでそこだけが幾十年も時間が止まっているような錯覚を覚える程でした。

 しかし、沈黙が全てを語っているような存在感のある姿に圧倒され、写真を撮らせていただいた他は、暫しの間、時間を共有させていただくのが精一杯でした。

 その年の11月独裁政権はフランコの死により、幕を閉じました。

 長年の壁に耳あり、障子に目ありの生活から解放された方々も、さぞかし多かったのでは・・・。

 ベルダさんのお気持ちはどんなだったでしょうか・・・。

 90年間のベルダさんの歴史を知りたかった。

 今でしたら、きっとお話ししていただけたのでは・・・。

 猛暑の思い出が懐かしく思い出されます。

御葬儀の方向は・・・。

残暑お見舞い申し上げます。

 連日のコロナ騒動に気を取られているうちに、早くも残暑の季節を迎えてしまいましたが、お身体の方は大丈夫でしょうか。

 御葬儀も感染予防を第1に、最近はお身内の方のみのお見送りが主流となり、今年は葬儀・告別式を省いて、火葬のみの直葬を御希望されるご喪家が一段と増えて参りました。

 この傾向が拍車をかけ、さらに持続していくのか、はたまた1時的なことなのか、コロナ以降が気になる昨今でもあります。

 「直葬」という言葉がマスコミに登場し、世間を賑わし始めたのは10年余り前でした。

 当初は通夜/葬儀・告別式を省くことに抵抗し、ラジオの討論会で喧々諤々の論争が繰り広げられ、中には「独り身だけど、今まで沢山の人に世話になって参りました。御葬儀は出来るだけ多くの方に立ち会ってもらいたい。昔の人は老い支度と言って、いざと言う時の為に貯めていましたよ。いざと言う時には、誰かがちゃんとやってくれるでしょう。それが人の世というものだ」と、息巻く方の言葉が、今や懐かしく思い出されます。

 一方で、今までの因習にとらわれず、自身の最期は自身の考えのもとで執り行いたい、とおっしゃる方も増えて参りました。

丁度その頃でした。

 お手紙に添えて、1枚の絵ハガキが送られてきました。

 直送を御希望されていたお兄様の御相談に賛同された妹様からのものでした。

 絵葉書は赤いカンナの花咲く中を真っ直ぐ前を見据えた、白い服の少女の後ろ姿がパステル画で描かれていました。

 かつてのご自身を描いたその後ろ姿に、強い意志が感じられ、お兄様同様にお送りしたお見積もりをご覧になり、「その時はすでに1生が終って、何一つ携わることがございませんが、客観的に冷静に考えられ、妙にすっきり致しました」との文面に、少女の想いが伝わってきます。

 最近では直葬と一口にくくれない程、様々な工夫もなされてきています。

 コロナ騒動以後の御葬儀の方向は如何に・・・。