ベテラン担当者の出番です・・・。

 今年は例年になくぐずついた天気が続き、7月も残り少なくなって参りましたが、関東地方は未だ梅雨明け宣言の声が聞かれません。

 一方で、コロナ騒動も更なる緊張感を増し、御葬儀の世界も3密(密閉、密接、密集)を防ぎながら、出来るだけシンプルな方向を模索している状態です。

 しかしながら、シンプルを意識するゆえに、あたりさわりがない、ハウツウ式で形式的な御葬儀が増え、御葬儀が終った時点で、お別れの物足りなさを実感されるご喪家の声も聞かれる昨今でもあります。

 そんな中でもご喪家のお気持ちを汲み取り、その場の状況を把握し、臨機応変な対応が期待されるのは、やはり緩急の心得があるベテランの担当者の方々です。

長年連れ添ったお母様の悲しみが強く、かなりお疲れのご様子でしたので、通夜、葬儀・告別式とも通常の時間割ではなく、全てお母様のペースに合わせて進行されるとのこと。

 以前お伺いした家族葬では、担当者から開口1番「お身内だけですので、ゆっくりやります」とのお話しをいただきました。

 担当者は御葬儀のお式以上に最後のお別れを重視され、棺にお花を入れる「お花入れ」の後も、お父様との無言の対話のお時間を取り、お母様はご用意した車椅子にて火葬場に向かわれました。

 火葬場の告別ホールではご焼香がなされた後も、お母様はその場を中々離れることができませんでしたが、急がせることもなく、周りの方々もゆっくり見守り、全てお母様中心に事を運ぶことができました。

 また、永年御葬儀に携わってきた担当者からは「我々はアドバイザーであり、影のサービスの部分でお手伝いをして、困った時に振り向けば、何時でも居ります。サービスが行き届かなったら何にもなりません。金額だけでなく、お客様との信頼関係で如何に喜んでもらえるかに掛かっています」とのアドバイスを伺っております。

 お身内に合わせた御葬儀はコロナ以前もコロナ以後も、変わりありませんので、ご安心ください。

アフターコロナ時代も地元担当者の目線を忘れずに・・・。

 今年に入り、半年近くのコロナ騒動も留まるどころか、都内を中心に新たな感染者が続出し、各人が3密(密閉空間、密集場所、密接場面)状態に気を付けるしか、目下のところ術がない状況は、御葬儀の世界も例外ではありません。

 大方はコロナとは無縁の御葬儀ですが、最近は病状の急激な悪化に伴い、慌てて御家族・御親族の方々が手分けしてネットで検索され、ネット上での判断のみで、御葬儀をお決めになるケースも増えて参りました。

 ご要望に沿っていると思われる斎場をリストアップされ、この中からお決めになりたいとのご意見等も多く寄せられますが、ネット上でお調べされるのと、実際に式場をご利用されて御葬儀を執り行い、現場を熟知されている葬儀社の担当者の目線とは、時として少しズレがあるようにも思われます。

 ネットで検索されると、大きさ・広さ・使い勝手の良さが一段とアピールされ、一見ご要望に沿ってよさそうに見えますが、ご喪家の夫々の御事情や要望が加わりますと、思わぬことから向き不向きが出ることが多々ございます。

 検索された斎場も、現場を熟知されている担当者から見ると、実際にはご要望からかけ離れ、御葬儀規模からすると大きすぎたり、ご予算に見合わなかったり、菩提寺の御住職のご都合と折り合わなかったりと様々な問題が露呈されてくるようです。

 特に普段積極的に探すことが少ないご葬儀に関しては、ネットの情報だけを鵜呑みにせず、臨機応変に対応できる地元に精通した担当者の目線がより重要になってきます。

 どの様な御葬儀を御希望なのか、胸の内をお話しされて、様々な角度から検討していただき、アドバイスを受けるのも必要かと存じます。

 地元に精通した担当者にとっては、腕の見せどころでもありますから・・・。

コロナ騒動以後の御葬儀は・・・?

 今年に入り、コロナ騒動で早くも半年近く経ってしまいました。

 この騒動を境に御葬儀の世界も大分様変わりを見せてくるのでしょうか。

 最近では「三密」状態から出来るだけ人と人との接触を避けるため、生前お世話になった方々と最期のお別れをされる一般葬が姿を消し、お身内だけの家族葬又は火葬のみの直葬を御希望される方が主流を占めるようになり、特に各地の公営式場は式場の予約が極端に減り、火葬場のみが混み合うという現象も起きていると伺っています。

 直葬の場合、通常ご遺体は安置所から火葬当日直接火葬場に向い、御住職には火葬場にお越しいただき、炉前にて10分程の読経をお願いすることになりますが、ご喪家の中には読経時間が余りに短いと難色を示す方もいらっしゃいます。

 しかしながら、葬儀社ご自身で安置所や式場を所有されている場合、空いている部屋を利用し、火葬当日の出発前に棺へのお花入れをされ、ゆっくり時間をかけて最期のお別れは可能ですが、御住職にお越しいただき、読経をお願いすることになりますと、多くの場合1日葬扱いになってしまうのが現状のようです。

 そんな中、まだ少数ですが市営斎場のお別れ室をご利用され、お別れ室のご利用時間内(25分間)でしたら読経も可能な状況も出て参りました。

 一方で自社安置所を所有されている葬儀社さんの中には、少数ですが火葬前日の面会時間を利用され、ゆっくりとお別れ時間を取り、その間御住職をお呼びして自由に読経をされることも可能な社もございます。

 ご葬儀も、これからは時代のニーズに合わせたやり方が検討され、人々の意識の変化と共に、コロナ騒動は従来の“ご葬儀はこうあるべき”という呪文から解き放つ材料になりうるだろうか・・・。

梅と供養とコロナの関係は・・・。

 入梅前のつかの間の青空が顔を出しても、今年はいつもの年とは違うコロナウイルスとの戦いという難問に戸惑い、困惑している毎日が続いています。

 テレビの報道番組は、相変わらず刻々と変わるコロナ報道に一喜一憂の様相を呈し、中には規定で、お葬式の出席者人数に制限を設けた国も出てきているとの由。

 そんな状況下の中でも季節は巡り、今年も実家から梅の実が送られてきました。

 部屋いっぱいに広げられた梅の実は日が経つにつれ、芳醇な香りに包まれ、後は「梅仕事」を待つだけとなりました。

 この時期に梅の実を使って梅干しや梅酒、梅ジュース等をつくる作業を、昔から「梅仕事」と称し、特別視されていたとも伺っています。

 私事で恐縮ですが、実家の母が元気な頃植えた梅の木も、母の手入れのおかげで順調に伸び、いつの間にか実を結び、最盛期は優に100㌔以上も収穫される程に成長し、当初見向きもしなかった梅の実ですが、10年ほど前から友人知人に「母の供養のために・・・」と半ば強引に、お配りさせて頂くようになりました。

 しかしながら、母の死後は手入れもままならず、年により当たりはずれが多くなり、それでも不肖の娘は梅の収穫に合わせ、季節外れのお墓参りを兼ねて帰郷しておりましたが、今年はコロナ騒動で身動きが取れず、残念ながら次回へ繰越となってしまいました。

 代わりに梅を介して友人知人の近況報告が続々と届いています。

 皆さん一様にコロナ騒動で鬱々としていた気持ちを切り替えるチャンスとなり、「お墓参りの節はよろしくお伝え下さい・・・」との由。

 「お母さん、コロナ騒動が一段落した折には、お墓参りに伺います」

 久しぶりに元気をもらい、当方も皆さんに負けず、明日からはいよいよ梅仕事を始めます。

担当者の心意気

 最近はテレビを付けるとコロナウイルスの感染拡大の話題がしきりです。

 あちこちに感染が飛び火した話題で不特定多数の人が集まる場所は皆さん戦々恐々の様相を呈し、多くのイベントや集会が延期や中止に追い込まれておりますが、御葬儀だけは待ってくれません。

 センターでは事前に余裕を持って御相談されることを推薦しておりますが、時には事態が急変し、待ったなしの状況も出てきます。

 実際に御葬儀を担当する方々は様々な状況の中で、目の前の何気ない小さなことも見逃さず、時には俯瞰の目で見て判断される臨機応変さが求められる場面も多々あるように伺いました

 そんな中でも、御葬儀は常に目配り、気配り、心配りを忘れずに粛々と進められている様です。

 永年家庭を切り盛りしてきた女性の担当者は、生後数か月の赤ちゃんの御葬儀を担当した際「孫を亡くしたお姑さんの立場になって、プロの気持ちも揺らぐこともありますが、それはそれでよいのでは・・・」とまで言い切り、読経が始まると「ずっと抱いていたい」と棺の中の赤ちゃんを抱き寄せたお母さんに「御家族だけの御葬儀ですからいいですよ」と進言し、若いお母さんは読経の間中、我が子を抱きしめていらっしゃったとの由。

 当初、搬送先として御自宅以外をご希望され、葬儀社さんの自社安置所にお連れしたところ、深夜でしたがお母様から矢張り一度ご自宅にお連れしたいとのご希望が出され、急遽ご自宅に向かう羽目になりましたが、お母様のお気持ちを察し、自社までの搬送代をサービスされたとのこと。

 また、都内下町商店街で永らく魚屋を営んできたご家族のたっての願いは、誕生日3日前にご逝去されたご主人の最後の誕生日を御自宅で迎えてあげることでした。

 お誕生日までの3日間を商店街のお仲間達に囲まれて過ごされた棺の脇には大きな立派なケーキが飾られていました。

 ケーキに目を留めた担当者は少しでも皆様の思い出になるようにと、早速写真に収め、御葬儀の際には棺の脇に飾られたと伺いました。

 初めての御葬儀でお気持ちの余裕がない中、担当者のちょっとした気遣いにご喪家の方々は大変感激された御様子です。

 御葬儀の担当者の心意気はどんな状況に置かれても変わりは無いようです。

晩秋とジャズとご葬儀と・・・。

 11月も半ば、お天気も回復しつつ、秋も一段と深まって参りました。

 我が町、東京・阿佐ヶ谷も例年のごとく10月末にはジャズフェスティバルが開かれ、以来街のあちこちでジャズの音色が流れ、晩秋の風物詩としての彩を添えているようにも思われます。

 時に楽しく、時に物悲しく心に響くジャズの音色に魅せられて、ご葬儀でも度々演奏され、ジャズが流れる印象的なシーンもしばしば耳にしております。

 以前、永年都内でジャズ喫茶を経営された方の告別式に立ち会った際、前夜の通夜の御様子を伺い、思わず聞き入ったことが昨日のことの様に思い出されます。

 当初、音楽葬を御希望とのことで、式場選びに難航しましたが、臨海斎場では当日お隣の式場が空いており、多少の音も目をつぶることが出来た御様子です。

 喪主の奥様は「無宗教での音楽葬を」との故人様の遺志を尊重し、通夜は昔からのジャズ仲間を中心に、御兄弟・ご親族の方々にお集まりいただきました。

 ご葬儀の担当者もご喪家の意気に感じ、献花台を正面に置かず、わざわざ右側に置き、献花をされてから正面の柩の故人様とゆっくりご対面し、お話をして頂き、左側には思い出コーナーを創り、ご対面後故人様との思い出の写真や品物をゆっくりご覧頂く流れを創りました。

 通夜の晩、ご葬儀の途中で感極まったお仲間の1人がトランペットを吹くと、他のジャズ仲間もご葬儀中であることを忘れたかのように、そっと楽器を手にして演奏を始め、皆の熱い思いは尽きなかったご様子です。

 一方、地方からお越しいただいたご親族様は、当初通夜が始まるまで無宗教の音楽葬に難色を示し、特に故人のお兄様は大反対とのお話でした。

 しかしながら、仲間達の深い友情を目の当たりにして、通夜の御挨拶では涙ながらに「こんな素晴らしい通夜は初めてだ」と感激されたとの由。

 お伺いした告別式は御家族ご親族のみのお見送りになりましたが、ゆったりとしたジャズの音楽が流れる中、お身内同士のお話が進み、30分後の献花に始まり、柩を囲んでの最後のご対面となりました。

 火葬を待つ間のお食事会で奥様はお兄様から改めて御挨拶を頂きました。

 「これからもどうぞよろしくお願い致します」と・・・。

気配りはより淡泊な傾向へ・・・。

 「ご会葬の皆様には晩年の寝たきりに近い親父ではなく、元気に活躍していた当時を偲んでもらうのが一番でした」

 ご葬儀当日、お父様が撮られた短編映画の上映をされたご相談者から、ご葬儀後感謝のお手紙を頂きました。

 ご紹介した賛同社の担当者はご相談者のたっての願いを受け入れ、ご自宅に毎日足を運びつつ、ご相談者とのコミュニケーションを図り、ご葬儀当日はご相談者曰く、完璧と言っていいくらいにイメージ通りのご葬儀を執り行うことが出来、感謝の一言に尽きるとのこと。

 また、別のご相談者からは「ご葬儀後、心に残るご葬儀だったとお手紙を頂き、ご葬儀は済ませたものの、これでよかったのだろうかと悩んでいた私の気持ちも軽くなりました。1人っ子の私ですが、無事父を見送ることが出来たのも担当者を初め、皆様のおかげと感謝しています。有難うございました」

 ご葬儀後のアンケートではご喪家のご事情を酌んで「これで十分、これは特に必要ないとまで言ってくれました」。

 依頼者の立場に立ってアドバイスをし、故人様を知る方々からも「○○さんらしい葬儀だった」とお褒めの言葉を頂き、「私の時もお願いしようかな」とお母様にお話されていらっしゃったとの由

 上記3例とも同じ方が担当され、その気配りの有る対応ぶりにご紹介した当方も我がことのように嬉しく、暖かい気持ちにさせられたものでした。

 ご相談者のお気持を察し、さりげなくアドバイスされ、ご喪家の意を汲んで対応するベテラン担当者の采配ぶりには日々大いに学ばせていただきました。

 お一人お1人の人生の締めくくりともなる、ご葬儀の良し悪しを決めるキーポイントの一つは、ベテラン担当者の気配りに有りと言っても過言ではありませんでした。

 最近、久しぶりに知り合いのご葬儀にお伺いし、現場の御様子を拝見させて頂く機会がございました。

 ご葬儀の対応ぶりは事細かく親切丁寧で申し分ありませんが、ご喪家のお気持ちを察し、一歩踏み込み、先を読むまでには至らないように感じられたのは考え過ぎでしょうか。

通夜の夜は皆で過ごしたい・・・。

 先日、ご高齢のお父様の体調が思わしくなく、万が一を考慮されてのご相談を頂きました。

 ご相談者の一番のご要望は、最後の一晩を出来るだけ多くのご親族の方々とご一緒されたいとの由。

 最近では消防法で線香等が21時までと決められ、お泊りも制限されている市営斎場等も多く、それに伴い民営の斎場もご要望にマッチするところが難しい状況になってまいりました。

 ご葬儀の担当者も頭の痛いところとは存じますが、ご相談者の少しでもご納得のいくご葬儀の方向をお話し合いしていただければと存じます。

 以前,御祖母様のご葬儀の際、一晩ご親族の方々とご一緒にお過ごしになりたいとのご要望を頂いた担当者は、何とか皆様のご要望に沿いたいと、つてを頼りに公には公開されていないお寺のご住職と直談判をされました。

 本堂とお清め用の大広間のご使用の承諾を得、お清め後の大広間をそのままご利用になり、ご親族の皆様が御祖母様を囲んで最後の夜をお過ごしになられ、ご葬儀後大変ご満足いただいたとのお礼状を頂いた事がございました。

 また、通夜の晩、遠方から駆け付けたご親族や友人十数人が式場にご安置されている故人様を交代で見守り、お隣の大広間にお布団を敷き詰めて、皆様で一晩雑魚寝をされ、冷え性の方もお布団が温かく感じられる程ご満足されたとのご報告も頂いております。

 ご親族の方々もこうした機会は初めてとのことで、喪主のご相談者も「合宿のような一晩が思い出深く心に刻み込まれた気がします。父が皆様をより一層仲良くさせてくれた時間に思えました。翌朝、バケツリレーのようにして皆様の手で次々とお布団の山が出来たのは圧巻でした」との嬉しいご報告を頂いたのが昨日の様に思い出されます。

ご葬儀は無宗教葬で・・・。

 お寺さんとの付き合いも無いので、10年前に他界されたお父様同様に、お母様も万が一の際は無宗教での1日葬でお見送りをされたいとのご要望を頂いたのは、ご逝去の2ヶ月程前でした。

 お式の間特別なこともなく、お母様のお好きだった音楽を流し、献花でのお別れとなりましたが、ご列席の方々はお母様を良く知るお身内の方でしたので、ゆったりした時間が流れる中、夫々の方がお母様と向かい合って最期のお別れをされているご様子が強く感じられたとのことです。

 以前、立会いでお伺いした無宗教葬でのご葬儀が思い出されます。

 担当者と打ち合わせをされた際、ご喪家側からは「献花をする時間だけを取ってもらえれば、後は何もしないでほしい」とのご要望をいただいたとの事。

 オペラのアリアが流れる中、お集まりいただいた方々は三々五々おしゃべりに興じ、時折喪主の方が話しの輪に入り、リラックスされた御様子のまま30分が経過しました。

 30分後、お1人づつの献花が終り、最期のお別れの儀では各人がゆっくりと故人に話しかけながらのご対面となりました。

 何もされないで、ひたすら故人との対話の時間を作ってあげるだけ。

 こんなひとときがあってもよいのではと思わされ、ご葬儀と言えば1時間の中身のほとんどを儀式で占められ、ご出席の方々もひたすらそれに従っているように見受けられるご葬儀に慣れてしまった目には新鮮に感じられ、印象に残るお式でした。

 大好きな胡蝶蘭に囲まれた遺影の主は、ご出席いただいた皆さんとのおしゃべりを最後まで堪能され、ご満足された御様子でのご出棺となりました。

 但し、担当者からは親しい方以外の方がお越しになる場合、特に地方からお見えになられたご親戚の方がいらっしゃる場合等は、事の次第をご説明する必要が出てきますので、通夜の席で初めに喪主の方から無宗教になった経緯をご説明され、ご納得頂くことも大切ですとのお話を頂きました。

敬老の日とは・・・。

千葉県下に多大な被害をもたらした台風が去り、その爪痕に四苦八苦している昨今ですが、皆様は今年の敬老の日をどの様にお過ごしになりますでしょうか。

和太鼓の音が真っ青な空に突き刺すように響き渡る中、勇壮活発な音に合わせ、車椅子から身を乗り出すように踊っていた友人の飛び切りの笑顔が、懐かしく思い出されます。

東京郊外の特養老人ホームの広場では敬老の日・イベントのハイライトで、青空の下、若者たちが汗だくになってダイナミックに和太鼓を連打していました。

広い広場も車椅子の方とそのご家族の方々で溢れ、立すいの余地もない程に混み合っている中、永年音楽の世界に身を置いていた友人が久しぶりに見せた笑顔は格別なものがあり、友人の動きにつれて、周りの方々も負けじと若者たちに声援を送り、いつの間にか広場中が和太鼓との一体感で溢れ、大いに盛り上がりを見せていました。

その友人も半年後には帰らぬ人となり、早くも9年の年月が流れてしまいました。

かつて敬老の日と呼ばれていた9月15日の祝日は、ハッピーマンデー制度により、9月の第3月曜日に変更され、日曜日と併せての連休となりましたが、最近は行事としての話題性が今一つ欠けているようにも思われます。

人生100年時代と言われ、当方の周りもご高齢の方が増え、80歳を過ぎてもかくしゃくとして仕事をされている方も多く、老人の定義づけも難しくなっている昨今ですが、年齢にこだわらず、かつて戦後・昭和の時代をけん引したパワーを、再度お見せできるチャンスとして捉える方法もあろうかと存じますが、いかがでしょうか。

令和の時代に期待しています。