最近はメールでのご相談を、ご家族の方(万が一の時は喪主か施主になられる方並びに伴侶の方)以外のご親戚の方から受けるケースが目につくように思われます。
特にご当人様と親しい間柄であればあるほど状況を見てご心配の余り、居ても経ってもいられなくなり、ご家族にお断りなくご連絡いただくということになるようです。
ご相談自体は大いに結構なのですが、当方とのやりとりをして、見積りを取り、ご検討いただいても、いざという時にご喪家から「なぜ、あなたが」というような見方をされないとも限りません。
ことここに来てはじめてご本人とは親しいだけで直接な血のつながりがないことに思い至り、二重の落胆をされる破目になってしまいます。
少し前のことですが、横浜の義兄の方からご相談のメールを頂きました。
同じ横浜在住の妹さんのご主人が危篤状態とのことでした。
義弟のご実家は東北地方ですが、「実の兄弟以上の付き合いをしていたので、最期の別れを悔いのないものとしたい一心で、妹とも相談しつつのお願い」とのことでした。
依頼者は妹さん1家の状況もよくご存知で、また妹さんも喪主に当られますが、御2人ともご当人様と血のつながりはありません。
一方、義弟の方にはお母様、ご兄弟がいらっしゃいます。
依頼者の独断の形で話が進んだことに、途中ご兄弟から異論がでてきたようです。
最後は血のつながりがものを言いました。
一言先にご実家にご相談すべきでした。
これでは双方ともに気まずい思いだけが残ってしまいます。
良かれと思ったことが思わぬ方向に行かないためにも、如何なる状況であれ、ご了解を取ってから事に当る必要があることを改めて思い知らされました。
当方としても大いに反省の材料とさせられました。
高齢化社会における葬儀の将来像
以前このブログ(9月18日)で、火葬船構想を取り上げたことがあります。そのときは触れませんでしたが、このアイデアを出したのは、日本テンプルヴァンという寺院経営コンサルをしているところだそうです。
日本の葬儀・埋葬の将来像をまとめた際に、船も火葬場にできると考えたといいます。火葬船もさることながら、まとめられた将来像も興味深いものです。
以下、年代順に少し紹介していきます。
2013年ごろ 葬儀での戒名(法号)不要論者が増え、俗名による葬儀が全体の20%を超える。
15年 岸壁に接岸した葬儀会館と火葬場の兼用船が登場
16年 無宗教葬儀が増え、仏式葬儀が60%に減少
20年 生前に自分で葬儀の手配を済ませてしまう人が全体の30%を占めるようになる。
25年 納骨堂利用者が30%に。墓地は40%に
26年 宗教法人のM&Aが始まり、宗教法人数が減少
40年 国内の年間死亡者数が166万人とピークを迎える(葬儀産業が倍になる根拠)
火葬船が実現、定着するかは現時点ではわかりませんが、葬送から宗教色が弱まっていく趨勢なのは間違いないように感じられます。
1日葬と菩提寺の関係は如何に・・・。
都会を中心に最近は、各家庭の事情に合わせたやり方のご葬儀が、多く見られるようになりました。
と言っても、特殊なやり方があるのではなく、会葬者の人数や、式場を使う、使わないの違いで様々なネーミングが施され、一方でそのネーミングが一人歩きして、特別なことのように思われる節もあるようです。
例えば、費用の面、親族の方々への負担等を考慮して、通夜、葬儀、告別式の順序を踏まえないで、葬儀・告別式1日だけのご葬儀を希望される方も増えつつあります。
この1日葬のことは別名、ワンディセレモニーとも呼ばれ、忙しい都会生活者に合ったご葬儀として評判をよんでいるようです。
2日間に渡るご葬儀は時として遠方からのご親族にとり、とんぼ返りの往復を余儀なくされる場合もあり、特にご高齢の方々には負担も大きくなります。
1日葬、これは都会人にとって自然な現象かなと思っていると、思わぬところからの待ったが掛かる場合があるようです。
仏式でのご葬儀は、通夜・告別式共にご住職に読経をお願いしますが、菩提寺がない場合やあっても遠方で当日来られない時は、葬儀社の方でご住職の手配をいたします。
1日葬でも同様です。
しかし、葬儀社が手配したご住職の場合は問題ありませんが、菩提寺のご住職にお願いする場合に、ご住職の方からクレームがつくことがある、との情報を葬儀社の担当者から受けました。
当センターではクレームとしてまだ伺っておりませんので、センターの賛同社数社に聞いたところ、ご住職にそれほど気を使うことはないというと社と、時としてクレームがつくことはあるという社それぞれでした。
ご住職側からすると、通夜と葬儀では読経が違いますし、意味合いも違いますとのことです。
いずれにいたしましても、1日葬をご希望の方は前もって菩提寺にご相談されることを希望します。
但し、菩提寺からの戒名つきお布施代は1日でも二日間でも変わりませんので、念のため・・・。
密葬の場合は香典をいつお渡しすべきか?
先日、「会社の同僚宅のご葬儀が密葬とのことで職場の仲間の香典を集めて持っていますが、いつ伺えばよろしいですか」とのお電話がありました。
密葬、家族葬の場合は通常ご家族、ご親族、あるいはごく親しい友人のみで執り行われ、ご葬儀が終った後に、知人や関係者にご連絡されますが、会社関係の場合は少々複雑なようです。
お電話頂いた方の場合でも、喪主に当られる同僚の方は、会社を数日休むために理由を公表せざるをえません。
部署によっては取引関係者まで知る羽目になってしまいます。
今回も通夜から告別式の日取りが掲示板に発表されたようです。
但し、斎場は分らないとのことでした。
式場をお知らせしないということはあくまで内々で済ませたいという意向だと思います。
無理やり聞き出して伺っても先方は戸惑うばかりです。
家族葬、密葬さらには直葬とお身内だけのご葬儀が増えている現在、一般会葬者の方々はいつお悔やみを述べるか、タイミングが難しい状況もあるようです。
立会いで伺った家族葬の中には、会社の同僚の香典をまとめてご葬儀前にお見えになり、受付にお渡しして、そのままお線香をあげずにお帰りになられた方もいらっしゃいました。
また、ご喪家側もご家族のみで通夜をして、通夜が終るまでに会葬者がいらっしゃった場合は別室で待たせてほしいとまでに徹底される方もいらっしゃいました。
一般会葬者の場合ご遺骨がご自宅に戻っていますので、ご葬儀を済ませた翌日か、喪主が会社に戻る前あたりに、「仏様にお線香をあげに伺いたいのですが、如何でしょうか」とお尋ねされるのも一案かと思います。
それに対してはご喪家側からもどのようにしたいか、ご返事頂けるのではないでしょうか。
10月18日に掲載した「産経新聞」の記事
あさがお葬儀社紹介センターのブログをご閲覧頂き、ありがとうございます。
10月18日付のブログ記事でご紹介しました、産経新聞に掲載された記事を当ホームページ上で公開しております。
産経新聞ゆうゆうライフ内ライフプラン特集記事
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記事はこちらになります。
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マスコミ報道よりも直に話を聞くことで実感する「自身の最期」
先日、マンション管理組合の役員の方からお電話をいただきました。
「葬儀に関する一般的なことから、注意点、金額に関すること、葬儀後のことなどについて講演し、質疑応答してもらえないか」というご相談でした。
マンションの住民の方々も高齢化が進む中、最近では新聞、テレビ、ラジオ等でご葬儀に関する情報が頻繁に報道され、関心が高まってきていますが、それでは実際にことを運ぼうとした時、どこからどうやって手を付けてよいのか迷っている方が多いのが現状のようです。
ご自分の最期をどのようにしたいかを、ご自分の生き方、生活環境に合わせて、ご自分で決める。その手助けになる話も聞かせてほしい。
そんな声も聞こえてきます。
中高年の集まる場所では、こんな講演会が今後益々増えてきそうな気配です。
考えを実行に移すように背中を押してもらうのには、マスコミ報道よりも、生の声を聞くのが一番のようです。
「故人を語る会」で白い石を握り締めた人は、心の内を話さずにはいられない。
今年5月、1人の舞踊家が急逝されました。
昨年10月の公演が最後の舞台になってしまいましたが、2時間近くの独舞というハードな公演にもかかわらず、周りの人にも病気とは感じさせなかったようです。
ご葬儀は本人の意向から家族・親族のみで行なわれ、夏には度々公演に使っていた小劇場で舞踊仲間の偲ぶ会が催され、半年後の11月末には「舞踊家を語る会」が関係者の間で執り行われました。
会場は故人も度々使用された、呼びかけ人の稽古場でした。
最後の作品のビデオが流れ、壁という壁は舞台写真や各国の舞台を共にした仲間からのメッセージで埋め尽くされていました。
車座に並べられた座布団の中央には白い石が大小2個ほど置かれています。
お会いする度に所望されていた、70年代に創った2冊の本を、奥様に手渡すことができ、長年の胸のつかえが下りた思いで、開式を待ちました。
今日は大いに語りましょうという呼びかけ人の挨拶を皮切りに、奥様のご挨拶が続きます。
最後の舞台を終えた直後の異変から余命3ヶ月の末期がんと宣告され、それでも闘病生活の中、次回作はと筆を執りノートに向っていらしたこと。
呼びかけ人のお話が続きます。
話す人は白い石を持って語り、次の人にバトンタッチします。
石は次の人への魂の橋渡しの意味合いが込められています。
ビデオを見ながら作品の思い出、アジア各地の方々とのコラボレイションetc.
パーティー形式の食事会の後は出席者全員の語らいに移りました。
石を握り締め絶句される方、笑いながら泣き出す方、故人との関わりが深くそれぞれのエピソードを語りながら話はつきません。
色々な角度からのお話を伺っていると、今更ながらに彼の作品の意図が頷けます。
白いお骨を彷彿させる石を持った人は一様に、心の内を話さずにはいられないようでした。
ベストセラー「大往生」から14年後の現実は・・・。
永六輔著「大往生」という本が14年程前にベストセラーになりました。
これからの高齢化社会に対処すべきことを、マスコミが取り上げた最初のブームのころでした。
一般の人が発した言葉を軸に書かれている本は病の章で「癌」の告知について、告知できる技術を持った医者が告知されても受け入れられる能力を持った患者とめぐり合った時だけに限られるべきだ。医者たるもの、心優しく現実に立ち向かう学習をしてほしいと書かれていました。
告知はそれ以前から言われていましたが、患者の心の準備など無視した医者サイドの一方的な報告が多かったようです。
それでは最近ではどのような変化が起こっているのだろうか。
その変化の兆しとして慶応大学医学部にはお坊さんによる授業があると、朝日新聞が報じていました。
授業は宗教を語るのではなく、、実際の現場での患者への接し方をロールプレーイング(役割演技)で学生にやらせ、答えのない難しさのなかに仏教の教えを伝えていくとのこと。
学生達も将来の医師の役割を考える材料になるのでは。
10年経って、ようやく兆しが見えてきたようです。
担当者は 「一期一会」の気持ちがなにより大事
「一期一会」とはご葬儀のための言葉ではないかと思われるほど、ぴたりと当てはまるようです。
ご葬儀の立会いに伺うようになって3年余り。
斎場に一歩入るといつもまずこの言葉を思い浮かべ、おもわず襟を正すようになりました。
葬儀担当者を始めそれぞれの部署の担当者が、どれだけ一期一会の精神を汲みとり臨むかで、ご葬儀の良し悪しが決定するのではとまで思われます。
「生涯のうちで今日という日は2度となく、今日のめぐり合わせはあくまで今日だけのことである」と言う意味合いから、後がないご葬儀に一つひとつどれだけぶつかっていけるかが鍵になるようです。
ご喪家のご要望をキャッチし、どうすれば最良の方向に持っていけるか問題が山積するほどさらにファイトが沸く担当者も多いようです。
通夜の席で供花が傾くアクシデント見合わせられ、ご喪家の肝を冷やしたが、誠心誠意事にあたり、逆に信頼を得た担当者。
通夜のお清めの席上でご住職(元校長先生)に葬儀の采配ぶりを褒められた担当者。
ご家族・ご親族30名のみの通夜に10倍近い会葬者がお見えになり、ご喪家に恥をかかせないように、読経の後、急遽柩を前に出し、ゆっくりとご対面をしていただき、
お清めを遅らせ、追加の料理で間に合わせた担当者。
数え上げたら、枚挙にいとまがない位です。
今「一期一会」の言葉を改めてかみ締めています。
「自然に生きて、自然に死すこれが80歳の心境です」と語る舞踊家
「昭和の初め、お寺は町のサロンだった」と九州出身の大先輩の友人はよく話していました。
当時のお寺は子供達を集めて色々な催しや踊りの会が頻繁に行なわれ、町内の社交場の拠点でもあり、自然な形で町に溶け込んでいたようです。
ご住職はお寺を守るだけでなく、子供達に踊りを教える舞踊家でもあったのです。
お父様の教えを守ってきた娘さんもすでに80歳になろうとしています。
その80年の人生を振り返った近況報告におもわず拍手。
娘さんは親への反発も手伝い、お寺に生まれながらにしてお気持ちは無宗教で、懐かしさもあり線香の匂いに心が落ち着くが、葬式無用の信念は変わらず、形式的儀式は不要で、大切な方々との惜別の情は深く心に残っているが、自分の胸中に故人が生きていることが最高の供養ではないかと報告されていらっしゃいました。
宗教的信仰ではなく「土から生まれて、土に還る」と言う言葉があるように、死とはいのちが生まれた根元の場へ還って行くことだとすれば「逝く」のではなく「還る」ことで、大いなる母胎回帰だとのことです。
また、ダンスは自然体でなければ、身体に不要な力が入っていると踊れない。力を抜いて自然体になった時、本当の動きがでてきますと。
身体も心も自然体であれ。自然に生きて、自然に死す。これが80歳の心境だとのことです。
私の今後の課題でもあります。