葬儀のプロから伺ったこと・その1

 ご喪家の立会いにあちこちと伺っていると、以前当センターの賛同社の葬儀社を訪問した際に、色々聞いたプロの声がオーバーラップしてくるようです。
 葬儀社の担当者は依頼者とお会いしてご喪家のご要望を全て伺い、どうしたいのか、何を望むのかから始まります。出来るだけそれに沿ったものを心がけ、またそれについてのアドバイスもします。ヒアリングをして全てをコーディネートしてあげることが大切で、依頼者が満足し納得していただける為にはプロとして何処までメリット、デメリットを説明しアドバイスできるかにかかてくると言います。
 特に無宗教葬でやりたいことに関しては、ご要望だけでは務まらない。お寺に払うお経代が高いとか宗教は関係ない等、ご自分達のことばかりが先行してしまっていますが、まず、親戚の理解がなければ難しいようです。親戚との付き合いもあり葬儀事は後々まで色々言われるのでそこまで考えてあげる必要がありますとのことでした。
 

ご喪家代表のご挨拶

 出棺前、喪主の方が代表して会葬にいらっしゃった方々にお礼の言葉を述べるという一般的な儀式の多い中で、最近は故人の死に至るまでの経過報告をなさるケースが出てきているようです。この場合は喪主というよりは身近な奥様やお嬢様からの報告になります。わざわざお忙しいなかを時間を割いて来て頂いた友人や教え子に、本当のことを納得いただけるようにお話したい、またお話しする義務があると意を決して話されるようです。
 病に倒れてからの生活ぶりや病状の変化、周りの状況をつぶさに報告されたり、あるいは出来ればそっとしておきたいと思われることまで包み隠さずお話しなさることもありました。お話しすることで、久しくお会いできなく心残りだった友人知人も納得し、一斉にほっと肩の荷を降ろすことができるようです。
 若年性のアルツハイマーに苦しまれ、最後奥様やお母様の手を振り払って家を飛び出し自ら命を絶ってしまわれた方の場合も、奥様が気丈に新たな決意を秘めて仔細に報告なさっていました。
 限られた時間の中、5分~10分は費やされるので葬儀社の担当者は時間調整が大変ですが、皆さん1度として時間の催促することはありませんでした。
 異口同音に「心ゆくまでお話しをさせることがこのご葬儀では必要なことなんです」と担当者の心遣いの一端を語ってくれました。
 よく、葬儀はあくまでご喪家主体のものであると言われていますが、傍から見ているとどうしても葬儀社主導で儀式を静々と進行させているようにしか見えないことが多いものです。
 そんな中、決意を秘めたお話しぶりで一気にご喪家主導の葬儀に切り替わったようにも思われました。

花祭壇あれこれ

 仏式の祭壇には大きく分けて白木祭壇と生花で飾る花祭壇があります。
 近年特に使いまわしされる白木祭壇よりも、柩に手向けてその都度使いきってしまう花祭壇の希望者が増えてきているようです。
 お花の値段も一頃に比べ安価になり、価格破壊とまではいかなくても、かなりリーズナブルなものも出てきています。
 通常、葬儀社の担当者は依頼者に祭壇のパンフレット、アルバム等をお見せしておおよその感じをつかみ、花の種類、色、デザイン等の具体的なご要望を伺い、後は花屋さんにお任せするようです。
 ご要望の中には季節はずれのお花で取り寄せるのに時間が掛かったりあちこち探し回ったりと時間ぎりぎりまで担当者は悪戦苦闘することもあると聞きます。   
 昨年立会いに伺った中にも、時には故人の趣味を伺いスキーの雪山をイメージした祭壇創りをしたり、またご喪家がお花の師範の場合には八分通り仕上げたところで、最後をご喪家にお任せして大変感激されたこともありました。
 また、担当者の花の管理も重要です。特に正面にある百合の花などは通夜にはまだ少し蕾の状態で葬儀・告別式に咲くように室温調節をしたり、喪主花は家に持って帰るので他の花と違ってわざと蕾のものにするなどの気配りが必要になってくるようです。
 先日伺った葬儀社の担当者は「10年前花祭壇が一般的に出始めた頃は毎回花屋さんサイドとイメージの差が出て喧々諤々と大変でしたよ。今では隔世の感がありますよ」と感慨深げでした。
 
 

無宗教葬 その4 兄弟の反対を押し切って・・・

 故人は都内で長年、ジャズ喫茶をやっていらっしゃった方でした。
 当方が立会いに伺ったのは告別式でした。前日の通夜の様子は葬儀社の担当者から聞きました。式場の臨海斎場は火葬場が併設され、都内5区で運営されている斎場です。音楽葬の為制約があり式場候補の中から消去法でこちらに決めたいきさつがありました。かなり利用頻度の高い式場なので待たされるのを心配しましたが、友引の日ですぐ予約がとれ、しかも隣の式場が空いていたので、多少の音も目をつぶることができたようです。
 喪主の奥様は無宗教の音楽葬でという故人の意思を尊重し、昔からのジャズ仲間を中心にご兄弟、ご親族の方々に集まっていただきました。
 担当者も色々工夫し、献花台を正面に置かず、わざと右側に置き、献花をしてから正面の柩の故人とゆっくり話をしてもらう方法をとりました。その左側には思い出コーナーを創り、ご対面後故人との思い出の写真や品物を見て頂くような流れを創ったようです。
 感極まったジャズ仲間が飛び入りで持参のトランペットを吹き、皆の熱い思いは尽きないようでした。
 一方のご親族は式の始まるまで無宗教葬に難色を示し、特に故人のお兄様は大反対でした。しかし、仲間の深い友情を目の当たりにして、ついに通夜の最後の挨拶では涙ながらに「こんな素晴らしい通夜は初めてだ」と感激していらっしゃったそうです。
 翌日の告別式は御家族、ご親族のみの見送りになりました。ジャズが静かに流れる中、お身内同士のおしゃべりが弾んでいました。30分遅れの献花に始まり、柩を囲んで最後のご対面をしていただきましたが、式の間中しばしゆったりとした時間が流れているようでした。
 火葬を待つ間、2階のお清め室ではお食事会となります。
 奥様に向ってお兄様のご挨拶から始まりました。「これからもどうぞよろしくお願い致します」。

最近の無宗教葬 その3  グラスでカンパイのお別れ

 目の前の柩がなければパーティ会場と間違えてしまいそうな雰囲気の告別式に立ち会いました。
 故人は彫刻家。会葬者は全員故人と縁の深い方々50名余り。会場は寺院の会館ですが多目的ホールとして使われ、あまり宗教臭さのないところでした。
 立食のパーティ会場前方には白い薔薇の花に囲まれた柩と故人の作品のパネル写真が飾られていました。
 受付を済ませた会葬者は式場壁際のイスにて、式の始まるのをお待ちいただくことになりました。手前の二つの大きなテーブルにはご喪家の手作りのオードブルを初めとする料理がグラスやワインと共に並べられています。
 後の式内容は自分達で決めたいというご喪家のご要望でしたので、葬儀社の担当者は黒子に徹して色々と気を使ったようです。
 年配の会葬者の為に駅近く交通の便がよい、音楽をかけても大丈夫な式場を、しかも1日だけのお別れ会なので半額にするという格安の式場を捜してきました。
 会葬者は1本の白薔薇をお1人ずつ柩に入れ献花としました。入れ終った方々はワイン、ビールを片手にお料理を頂きます。
 献花が終ったところで喪主の奥様よりご挨拶、友人代表のご挨拶と続きました。その間もお友達同士久しぶりの旧交を温め、お互いの話しが弾んで、柩の故人も話しに加わったらと思われるほどでした。マイクが手に渡ると皆さん次々思い出話に花が咲き、それでも最後の方になると「何百回も会い別れているのに、1度たりともさよならを言ったことがない。じゃあ、またね」と涙で絶句。
 ご喪家を代表して息子さんがグラスを上げ「父の旅立ちに先立ちましてカンパイ」。
 最後のお別れ花は柩の周りの白薔薇を皆さんで手向けました。
 その間、テーブルのグラスやお料理はご喪家の手で手際よく片付けられ、柩の通る道が開けられました。お料理の残りはラップされ、食べ残しはビニール袋へといつものパーティのように手の空いている方があうんの呼吸で手伝っていらっしゃったのが印象的で、ご自分達の手でやっているという実感が感じられました。

 いよいよ出棺です。式の間ずっと流れていたカザルスの曲が一段と大きくなりました。

最近の無宗教葬 その2

 仏式、神式などと異なり無宗教葬での通夜・告別式は通常まずご喪家側から無宗教にしたいきさつをお話しし、会葬者にご理解を頂くことから始まります。
 通夜・告別式とも内容的には似ていますが、告別式はどちらかといえばお身内の方が中心になりますので、より家庭的な雰囲気の濃いものになるようです。

 故人が生前好きだった音楽を流したり、献花をしていただいたり、近親者が思い出を語るというやり方が多い中で、昨年大変印象的な無宗教葬に立ち会いました。
 通夜の席、祭壇に手を合わせた後、100人以上の会葬者お1人ずつがマイクを片手に柩の故人に語りかけました。
 長い沈黙のあとぼそっと一言話す方、出会いから現在の心境まで詳しく話す方、涙声で聞き取れない方、皆さんそれぞれ最後のお別れです。
 故人と向き合ったお1人お1人の言葉はどんなに短くても、パーソナルな関係からその人となりが出て、次第に一つのドラマになり、式場全体に一体感が生まれて来るようでした。目を閉じて聞いていると故人の世界が広がり、面識が無いのにいつの間にかこちらまで、旧知の間柄のような錯覚さえ覚えてしまうほどでした。
 ご遺族のお子様達も「私たちの知らなかった父の一面を知ることができました」と感激の面持ちで涙ぐんでいらっしゃいました。

最近の無宗教葬その1

 葬儀ご相談の全体数からみるとまだ少数ですが、無宗教葬でという方が増えてきています。
 現実にはまず菩提寺がある場合は納骨の問題をクリアーしてからでないとなかなか難しい状況です。ただ、菩提寺が遠方にあり、東京では無宗教葬にして、郷里の菩提寺で改めて納骨式をすることでお許しを得ていますという場合も時々あります。
 信仰心が無いから無宗教でいうのではなく、実際におやりになる方の場合は、逆にはっきりした信念をお持ちの方が多いように思われます。限られた時間をどのように使うか担当者とご遺族の共同演出の出番です。請け負った葬儀社のレベルが試されることにもなるようです。

身内だけの家族葬で温かく送ってあげたい

 近年、特に地元と関わりの少ない都会在住の方、田舎のご両親を呼び寄せている方、高齢でお知り合いの少ない方、理由は様々ですが故人と直接関わりの深い方だけでお送りしたいというご依頼が増えています。
 ご遺族の会社関係、学校関係等故人と直接関係の無い方が多数いらっしゃる一般葬は、葬儀社誘導型で儀式的に進行する場合が多いようです。これに対してお身内だけの家族葬は家族の意思を前面に押し出し、どちらかといえば会葬者主導型で進行する形になります。
 家族葬では会葬者参加型が一つのキーポイントになるようです。
 葬儀社の担当者は黒子になり、演出家になり、どのように式を運ぶか腕の見せ所になります。又同時にちょっとした気配りが重要な要素にもなり気が抜けられません。
 ご喪家の気持をどれだけ形に表せるか。故人との思い出をどれだけ会葬者お1人お1人の心に刻むことが出来るか。ご喪家との綿密な打合せを短期間でまとめ上げ、周囲を説得する必要も出てきます。
 例えば、故人のお孫さんの挨拶や楽しみにしていたお孫さんの演奏を読経途中に式の流れを止めることなく、タイミングよく挟むにはご住職への説得も必要になります。また、大好きだった曲をこころおきなく流すには、会場の選択も大切です。
 いずれにしても、手作りで自分達の手で送ってあげたという実感を御家族に如何に味わらせてあげられるかにかかってきます。
 担当者は真正面からご遺族とどれだけ向き合えるか常に自問自答しながらやっていますと
語っていました。

最後のお別れの儀は葬儀担当者の腕の見せ所でもあります

 葬儀・告別式が終り、いよいよ最後の時がやって参ります。
 お別れの儀とかお花入れの儀と呼ばれ、会葬者にはその準備の為に一旦退場していただき、ドアが閉められ、ロビーや控室でお待ちいただくことになります。
 通常は舞台裏ですのでお客様にはお見せしない葬儀社が多いのですが、逆にお見せしてアットホームなフンイキを創りあげてしまう担当者に出会いました。
 それまでの読経に始まり、ご焼香という緊張した儀式からいっきにざっくばらんな流れに持っていく。そのギャップに初めは少々戸惑いを覚えましたが、改めて伺ってみますと、あーこういうやり方もあるのだと実感いたしました。
 
 まだ葬儀関係者が祭壇の花をむしっている最中ですが、サッサと式場のドアを開けご家族・ご親族を招きいれ、「お花、ドンドン入れてやってください」とラフに呼びかけます。
 その声にお身内の方達はハッと我に返り、今までの鯱張っていた気持からいっきに目前の出来事に引き戻されるように故人に集中するようです。
 ラフな担当者の姿勢は何回伺っても変わらず、大きな儀礼的な葬儀であればあるほどコントラストがつき、このフンイキが生きてくるようです。
 少々乱暴な言い方になりますが、芝居でいうと3幕で転調し、いっきに最終場面にもっていく感じに似ているようにも思われました。
 その場の空気を自在に読み取り、緩急をうまく心得ているベテラン担当者ではのやり方の一つだとは思いますが・・・。

調布市にある金龍寺大雲閣での会葬者多数の無宗教葬に立ち会いました。

 会葬者150名ほどの無宗教での通夜に立ち会いました。

 秋田に菩提寺がありましたが、納骨法要等は通常通り行なうことでご住職に納得していただき、こちらでは無宗教でお願いしますとのことでした。改めて確認をとりましたが以前お母様の時にも問題がなかったので今回のお父様も同じ様にしたいとのご要望でした。

 故人はジャーナリストで交友関係が広い方でしたが、ご高齢なのでご喪家としては会葬者数が絞りきれず、一般会葬者数を50名ほどとして見積りを出していました。
また、最初の見積りでは多磨日華斎場を想定していましたが、亡くなられた時点で1週間先まで塞がっている状態でしたので、日程を優先してご自宅近くのこちらの斎場に決めたいきさつがありました。

 通夜当日は1時間前くらいから友人が続々と詰め掛け、連れ立って故人との対面をしていらっしゃいました。柩を取り囲み祭壇の写真と柩の中の顔を見比べながら「笑顔を取ればそっくりそのままだなあ」と見入って、暫したたずんでいらっしゃいました。

 無宗教での通夜はお別れの献灯から始まりました。まずご喪家の皆様お一人ずつ灯りのついた小さなキャンドルを祭壇前のテーブルに置き、手をあわせました。次にご親族の方お1人ずつが大きなキャンドルを手に持ち、祭壇前のテーブルに置かれた小さなキャンドルに点火していきました。

 ご親族の献灯終了後は、黙祷、喪主のご挨拶へと続きます。

 その後は、お父様の古くからの友人や交友関係がよく分からないので直接対面してお声をかけて欲しいというご喪家からのご要望に沿って進行することになりました。会葬者は祭壇に向かい手を合わせた後、お1人ずつマイク片手に故人とご対面し、顔を覗き込みながら話し掛けていました。中には言葉にならず、しばし絶句する方もいらっしゃいました。長い間闘ってきた同志の結束には特別な感慨があるようです。

 故人の人となりが伝わる様な式になったように思われます。予定の会葬者の倍以上の友人知人が集まり、翌日の告別式にも遠方から多数駆けつけたという報告も聞きました。

 依頼者も友人の温かさを感じ「私たちの知らなかった父の一面を知ることができました」としみじみ語っていらっしゃいました。

 特に今回葬儀社の担当者、進行役のナレーターともに女性で、男性は後方支援に回り、柔らかな物腰とさりげない気配りでの連携プレーが際立ったようです。一般会葬者席がすぐに一杯になり席を次々に増やし親族の席にもお座りいただいたが、そっと近づき遅れていらっしゃったご親族、一般会葬者お1人ずつに手短に説明し、親族にはキャンドルを、一般会葬者には柩とご対面していただくことをきちんと区分けしていました。

 翌日の告別式は献灯に代わりフラワーボックスにお花をさす献花になりました。柩には友人知人の思いが込められた沢山の色紙が入れられ、ご遺体はご自宅の前を通って火葬場に向われました。