お食事会でお見送り

イヤー 久しぶりとばかり、シャンパングラスを片手にお話がはずみ、一見同窓会と間違えそうな雰囲気と喪服姿がそこには違和感なく共存していました。

 先日受けたご相談で、ご希望をあれこれとお伺いしていくうちに、7年程前に立会った無宗教葬での1日葬のことが思い出されました。

 そこには従来のご葬儀とは異なったおもむきが感じられ、これからのご葬儀のあり方のひとつとして、鮮烈な印象を受けた思いがありました。

 ご葬儀は彫刻家だった故人様の大好きなカザルスの曲が流れる中、立食のパーティ形式で執り行なわれ、式場に一歩踏み入れるとオードブルを始めとして、フランス料理やグラスがテーブルに並べられ、お客様をお迎えしていました。
 式場前方に目を向けると、白い薔薇に囲まれた柩と、その両脇に故人様の作品のパネル写真2枚あるのみの、きわめてシンプルで、かつ葬儀会場らしからぬ式場風景でした。

 ご会葬の方々は式場入口で頂いた白い薔薇を柩に献花した後、グラスを片手にお料理を召し上がりながら柩の周りに集まり、久しぶりの旧交をあたためて、お話がはずんでおりました。

 喪主である奥様のご挨拶の後、マイクを皆様にお渡しすると、パリ留学時代を懐かしんだ話から最近のエピソードまで、故人様への思いの丈が披露され、お話は次々と続きます。
 息子さんの「沢山の友人に囲まれておやじは幸せな人生だったと思います。お父さん、長いこと、ご苦労様でした」のご挨拶の後、旅立ちにあたり、最後は皆様ご一緒に「乾杯」のご唱和でしめくくられました。

 柩のまわりの白い薔薇もお別れ花として手向けられ、白い薔薇に囲まれた故人様に、奥様から送られた真紅の薔薇1輪の鮮やかさは、今でもその風景がよみがえってくる程です。

 あれから7年の間にはご葬儀の事情も大分様変わりして参りましたが、都会の一部を除いてご葬儀式場での飲食が許可されているところはまだ限られており、ご喪家のご希望のお料理との兼ね合いを併せると条件はさらに難しくなりますが、できるだけご相談者のイメージにそったご葬儀を、担当者にお任せできるように、これからもご相談者とのやりとりをより大切にしていくつもりでおります。

メールと電話

 先日、ご相談者から、「紹介してもらった葬儀社と面談の約束を取り付けるためにその社のホームページのお問い合わせフォームから連絡をしたのだけれど1日以上経っても返信が来ない」という連絡をいただきました。
 葬儀社さんに事情を聞くと、お問い合わせフォームが不具合をおこしていて、メールが届いていないとのことでした。ホームページの制作会社に修正を依頼していますが、すぐに復旧できる状況ではないとのことで、センターより事情を説明し、ご理解をいただいて事なきを得ましたが、この一件ではなくても、打ち合わせやご葬儀などですぐにメールの対応ができない状況にある葬儀社さんとのメールでのやりとりは少し難しい場合があるかもしれません。

 また、先日伺った葬儀社さんでは、パソコンができる人が辞めてしまい、メールでのやり取りができなくなってしまっているという話しを聞きました。
 メールの送受信のことで少し話しをさせていただき、受信メールを拝見すると、以前、センターから送ったメール(重要なものではありませんでしたが)も未開封のまま残っていました。
 やってみれば「簡単なんだ」と思えるのでしょうが、やってみようと思っても、最初の段階のハードルが高いと感じてしまっているようです。

 仕事やプライベートでメールを利用することは日常的なことで、普通に返信が来るものだと思っている人は多いと思います。ましてや不安を抱えている方にとって相談したメールの返信が来ないということはその不安を一層大きくしてしまうかもしれません。

 メールを送った後に「今メールを送りました」と電話するのもなんだかおかしなもののようですが、重要な内容のメールの場合にはこのひと手間のお知らせはとても大切だと思います。

終活の番組

 昨年末、購入してからまだ1年3カ月しか経っていない我が家のブルーレイレコーダーが壊れました。保証期間を少し過ぎてしまい、修理となると実費になってしまいます。修理に出すか、新しいものに買い替えるか…少し悩みましたが、もともと激安価格で買ったものなので機能は満足のいくものではなく、修理費用は購入価格の半分以上もかかるとか。
 新年早々の痛い出費でしたが、思い切って機能的にも満足のいく新しいものに買い替えました。
 気に入っている機能は、人名やキーワードを入れておくとそれに引っかかるものは全て録画してくれるというものです。この機能は何年も前からあるので、以前もそれができるDVDレコーダーを使用していたことがあるのですが、録画できる容量が少なにも関わらず勝手に録画されてしまい、本当に録画したいものが残量不足で録画できていなかったなどの残念なものでしたが、今回は容量もたっぷりあり、外付けのHDもつけられるということで、録り放題になりました。
 それから、3番組同時録画というのも大きな魅力でした。家族に遠慮なく、自分の興味があるキーワードを登録して録画しまくっています。

 私が登録してあるキーワードは、趣味の番組と「葬儀」「終活」です。
 とくに「葬儀」「終活」に関する番組は、ケーブルテレビなどで放送することが多いようで、番組表ではなかなか見つけられず、今までは偶然出会ったときに見るしかなかったのですが、全ての放送局から探し出してくれるので助かります。
 葬儀企業PRの番組やNPO主催のセミナーなどが多く、内容についてはもちろん既に知っていることではありますが、説明の仕方などは受ける立場になって見られるので勉強になります。

 「終活」ブームといわれていますが、これからこのような番組や特集が更に増えてくるのでしょうか。キーワードはしばらく登録したままにしておこうと思います。

友の話から・・・。

 年が明け、久しぶりに顔を合わせた友人の口からは、いつものように楽しくも忙しかったお正月の四方山話が聞けるかと思いきや、今年はご葬儀の話題で持切りになってしまいました。

 集まった4人の内2人が、暮れからお正月にかけてご主人のご兄弟を亡くされ、お話からお正月早々大変だったご様子が伺われました。

 特にお1人の方はお元気で、暮れの29日も普段どおりに車を運転され取引先に向ったが、約束の時間が過ぎても到着せず、しばらく連絡がつかない状態が続き、数時間後警察からの知らせでお亡くなりになったことが判明。
 道端に寄せた車中で急死されていらしたとのこと。

 その後のご葬儀までは、ご家族にとって文字通り無我夢中状態で過ごされたご様子が、友の口から出ると、思わず大きく深呼吸をして、その場に居合わせた場合を想定し、あれこれと考え込んでしまいました。

 普段お元気なご家族でご葬儀のことなど考えたこともなかったので、突然のことに戸惑い、重要書類はどこにあるのか、どのようなご葬儀にするのか、どなたをお呼びするのか、ご葬儀の費用は等々・・・現実に迫る問題に加え、火葬場の正月休みに掛かってしまい、混雑してご葬儀が1週間先になってしまうこと。
 心配な種は尽きないご家族にどう対処してあげられるのか。
 混乱の極みのご家族に少しでもご安心していただけるようにするには・・・・。

 当方は直接ご葬儀の現場に携わるものではありませんが、これからもご相談者が安心してご葬儀に臨めるよう、様々な角度からサジェストしていけたらと考えております。

言葉は生き物

 今日、車検が終わり車を引き取りに行ってきました。担当の人が整備記録シートなど資料を見せながら一通り説明をして、その資料をファイル(ダッシュボードに入れてあるもの)に入れようとしたとき、

 「このファイルの中に一緒に入れても大丈夫ですか?」

 と聞いてきました。早速キターーー
 いつもなら気にも留めないやり取りですが、今日は違いました。いつもざっくり見出ししか見ない新聞ですが、今朝の新聞の企画記事『乱発される「大丈夫」の研究』を熟読したからです。

 それによると、【大丈夫】は本来「危なげがない」「間違いない」状態を指す言葉だが、最近は、婉曲的な断りや、相手の意向を確認するために使われる「配慮言葉」のような形で多用されていると捉えていました。

 「コーヒーはいかがですか」 ⇒ 「大丈夫です」
 コーヒーを入れるという手間が想定できるときにお気遣いいただかなくてもいいですよ、という配慮。

 先の「このファイルの中に一緒に入れても大丈夫ですか?」
 「・・・よろしいでしょうか?」「・・・いいですか?」とするべきところだが、「よろしいでしょうか?」は形式的すぎるし古臭い、「いいですか?」では率直過ぎて少し強いので、少し和らげようという配慮。

 いいか悪いかはともかく、微妙なニュアンスを汲み取るような形で、面白い表現が生み出されてくるものです。

 この記事を読んでまた、上記の使い方がちっぽけに見えるぐらい、ものすごい「大丈夫」の使い方をしていた、ある社長を思い出しました。
 失敗したり、意に添わないやり方をしている社員に対し、
「頭、大丈夫か」
 と連発していました。本来的な意味での使われ方でしょうが、配慮が大丈夫じゃなかった例です。

 それはともかくとして、当センターへのご相談者は慣れない中での相談でしょう。ナーバスでさえあると思います。われわれが微妙なニュアンスを汲み取とったり、それを踏まえて配慮する、その大事さを再確認しました。

葬儀社さんを選ぶ決め手

 先日、過去に行ったご葬儀で葬儀社に対して不満を感じ、納得がいかないままの状態なので、次の葬儀の時には後悔したくないというご相談をいただきました。
 お話しを伺うと、火葬のみのご葬儀ではありましたが、費用を抑えたいという理由から直葬を選ばれたのではなく、ご親族もご高齢で、葬儀に参列していただくのも大変なので、ご家族だけで見送るかたちを選んだためとおっしゃっていました。
 初めてのご葬儀で、何をどのように決めていくのかさえ分からないまま葬儀の日を迎え、思っていたことと違う状況が積もって不満となってしまわれたようで、詳しくお聞きした内容では、打ち合わせの時の葬儀社からの説明不足が原因だったのでは?と思わざるを得ないもので、話しを聞いている私の方もとても残念な気持ちになりました。

 初めて葬儀の事を考える方にとっては、何をどうしたら良いのか全く分からないという状況で、葬儀社さんを頼って全てを任せたいと思うことも当然のことだと思います。
 事前相談では、葬儀社を選ぶ決め手として、「信頼性」を求める方も多く、不慣れで不安な状況なので、その道のプロに任せたいと思うところから、信頼できる葬儀社さんにお願いしたいと第一に思うのだと思います。

 初めての葬儀で不安がいっぱいの方、過去のご葬儀で後悔された方、また、事前のご相談でも、ご自身で葬儀社に直接相談した際にいやな思いをされた方など、ご相談される方の状況は様々ですが、葬儀社さんに直接相談をする前の段階で相談を受ける状況にある私たちも、ご相談される方の不安が少しでも解消できるようにすることが大切だと思っています。

無宗教葬

 最近、たて続けに無宗教葬をご希望されるご相談を受けております。

 宗教色のない、お別れ会のような形でお見送りをされたい。
 できるだけシンプルなご葬儀をご希望ですが、読経がない分、綺麗なお花を飾ってお見送りをされたいとのご要望をいただきました。

 6〜7年前、無宗教葬が話題にのぼり、宗教色のないご葬儀を希望されていらっしゃった方々が強い味方ができたとばかりに、一時期次々と無宗教のご葬儀を執り行なった感がありました。

 そんな中、無宗教葬のアドバルーンも周りの反対や戸惑いに徐々にトーンダウンされたのか、いつの間にかここ何年かは尻すぼみ状態のようにも感じておりました。

 しかしながら、ご要望は地道に脈々と受け継がれ、周囲の反応も大分様変わりしてきたようで、ここにきてようやく、無宗教葬にもごく普通に市民権が得られるのではとの予感がいたします。

 そんな中、かつて、立会いでお伺いした無宗教葬のシーンが思い出されます。

 通夜の席、祭壇に手を合わせた後、100人以上の会葬者がお1人ずつマイクを片手に柩の故人様に語りかけていました。
 長い沈黙の後ぼそっと一言話す方、出会いから現在の心境まで詳しく話す方、涙声で聞き取れない方、皆さんそれぞれ最後のお別れです。
 故人様と向き合ったお1人おひとりの言葉はどんなに短くてもその人なりが出て、次第に1つのドラマになり、いつの間にか式場全体に一体感が生まれ、大きなうねりとなって迫ってくるようにも感じられました。

 目を閉じて聴いていると故人様の世界が広がり、面識がないのにいつの間にか、当方までが旧知の間柄のような錯覚を覚えてしまうほどでした。
 ご遺族のお子様達も「私達の知らなかった父の一面を知ることができました」と感慨深い面持ちで涙ぐんでいらっしゃったのが印象的でした。

 これからは宗教色のない、その方らしいこんなご葬儀も増えてくるのでしょうか。

風邪の季節です・・・。

 外ではものすごい風が吹き荒れていて、暖房の入った室内にいても風の音で寒いと勘違いしてしまいそうです。
 外にいる方は歩くのも大変なのではないでしょうか。

 私ごとで恐縮ですが、3日ほど前から、久しぶりに風邪をひいています。ここまで大風邪になってしまったのは何年ぶりだろうというほど久しぶりなのですが、幸い熱がでていないので病院へは行かず、頭痛とのどの痛みを買い薬で落ち着かせています。

 この状態、集中力が続かず、しかも薬のせいで眠くなってしまうのが困るのですが、電話が鳴るとスイッチが入り、いつも通りに対応できるのが不思議です。
 今日も電話でご相談の対応をしたのですが、いつもより言葉がすらすら出てくるような気がして驚きました。

 症状は少しずつ良くなっているようなので、恐らく明日には良くなっているかと思います。この3日間にできなかった作業を片付けられるように集中できればいいのですが。

 寒さも乾燥も、これからが本番です。身体が弱っている方にはとても厳しい季節だと思います。どうかご自愛ください。

新年の・・・。

 お正月休みが終わり、今日から日常に戻った方も多いことと思います。
 日中、外出した時に、この寒さの中思いのほか沢山の人が外に出ていたので、私もやっと日常を感じました。

 お正月といえど、仕事を休めない方も沢山いらっしゃいますが、葬儀の仕事に携わっている人たちもお正月などありません。
 今年は元旦早々に葬儀社さんより事前相談で紹介させていただいていた方のご逝去のお知らせの電話を受け、気が引き締まりました。

 とはいえ、やはり普段かかってくる営業のような電話は全くないので、作業ははかどるはずなのですが、わからない所を問い合わせしたくても、お正月が明けてからでいいか…と、なかなか思うように行かないので、自分だけでできることをしようと、パソコンのデータ整理をせっせとやっていました。

 2年前からたまっている、あちらこちらに散らばったデータを整理するのは意外と大変で、今でもすっきりしたとは言えない状況ではありますが、気持ちは少し軽くなりました。

 今年は「整理」で始まったので、今までよりもすっきり過ごせるようにと、今年一年の目標にしたいと思います。

今年の目標は・・・。

  新年明けましておめでとうございます。

  本年もどうぞよろしくお願いいたします。

  「また、お隣と間違えられたかな」時計はすでに午前11時。
  いつも朝1番に届いていたはずなのに・・・。
  思わず受話器を手にしたが、思い直してもう1度郵便受けに手を入れると、今度はありました年賀状が・・・。
 
  元旦の朝、年賀状を受け取るわくわく感は格別です。
  と言っても当方が書くのはこれからです。
  頂くのは元旦、書くのも元旦、それもこれからといささか矛盾を抱えておりますが、年賀状は年1回の近況報告とばかりに、元旦1日を費やして書く習性を一方的にお許し願ってのこと。

  頂いた年賀状も、皆様それぞれの近況報告が綴られておりました。
  女性の先駆者の近況報告は今年3月で85歳になられるが、全国を飛び回っているようなお忙しい中、趣味の陶芸展でアイデア賞を頂いたとのこと。1日7千歩のウォーキングは欠かさず、皆様のお世話するのは無理ですが、お誘いには喜んで参加しておりますのでとのこと。

  元気な賀状に小さな悩み事や疲れも一気に吹き飛んだ感じです。
  この気分を持続して昨年喪中はがきを頂いた友人にも、寒中見舞いで元気な近況報告をと、今年は年頭から元気印を掲げていく目標ができました。
  まずは永年の懸案だった足腰を鍛えることから始めます。