担当者のご奉仕精神

 早朝、昨夕お身内の方が亡くなられたので、葬儀社さんをご紹介いただけますかとのお電話を受けました。

 ご自宅でのご逝去の後、地元の葬儀社さんに連絡をされ、ご葬儀の打ち合わせに入りましたが、ご喪家の意に添わずキャンセルをされてのご相談とのことでした。

 葬儀・告別式はやらずに火葬のみにてご家族・ご友人10名ほどでお見送りをされたい等のご希望を伺っていくうちに、ご要望にぴったりの担当者が思い浮かび、早速ご紹介をさせていただきました。

 故人様のご自宅からも比較的近く、面倒見の良い女性の方でベテランの担当者です。

 数時間後、担当者からは打ち合わせもスムースにいきましたとの報告を受け、後を安心してお任せすることにいたしました。

 火葬場が混み合い、3日後に荼毘にふされましたが、後ほどご喪家からご回答いただいたアンケートでは、ご要望にスムースにお答えいただき、対応が丁寧で細かいところに気付いてくださったと葬儀担当者へのお褒めの言葉が連なっておりました。
 
 早速担当者にアンケートを伝え、具体的な話を伺うと、かなり手間隙掛けご奉仕された様子が伺えました。
 当初の見積りではお別れにお見えになられる方は火葬場に直接お集まりいただき、その場でのお別れとなる火葬式でしたが、ご会葬者5名様がご自宅にお見えになられ、こちらでご対面をされてのお別れとなり、お別れのお花入れの儀もご自宅でされることになりました。

 ご出棺の準備やお客様をお迎えしてのお花入れの準備に加え、お柩を運び出すスペースの問題が発覚し、ご自宅の玄関からでは無理との判断で、窓から出す運びとなり、窓脇にある植木鉢を移動させ、スタッフ2名の手を借りながらの作業となってしまったとの由。
 
 それでも担当者は、火葬式でのご契約で頂きましたので、当初の見積通りですとおっしゃっています。
 
 ご喪家の立場に立ち、臨機応変に対応される葬儀社さんの心意気が感じられたお見送りの1例です。

ご相談はできるだけお早めに・・・。

先日、早朝、圏外の関西の方からお電話をいただきました。
 「関西にも当センターのようなところはないか」とのご質問でした。
 インターネットで調べ、NPOであることをたよりにお電話をされたご様子です。

 お身内の方が病院でお亡くなりになり、病院で紹介された葬儀社さんの手ですでにご自宅に搬送済みですが、当初聞かされた搬送代よりもかなり割り増しになり、なによりも担当者の高圧的な態度に不信感をつのらせ、今のところは1回ごとのドライアイスの取替えだけをお願いしているとのこと。

 その間にもインターネットをたよりにご希望の葬儀社を探していらっしゃいましたが、調べれば調べるほど何を基準に選べばよいのか迷い、焦りを感じてのご相談とのことです。

 格安のご葬儀を掲げ、全国ネットでご紹介している紹介所にお問い合わせすると、1番近い葬儀社さんとして、かなり離れた他市の葬儀社さんをご紹介いただいたが、お伺いできる範囲と言われてどうしたものか。
 確かに近くには葬儀社が見当たらないようですが・・・。
 他にはNPOを掲げてご葬儀関連の会もあるが葬儀社のご紹介もしていただけるのか否か。疑問は膨らむばかりと・・・・。

 その上、故人様は生前に献体を希望されていらっしゃったので、病院にその旨連絡を取ってみたところ、ご返事は翌日の夕方以降になると言われ、さらに困惑の度合いが深まってしまったようです。

 お話をお伺いして、まずはご自宅にご安置の状態なので、ドライアイスはそのままお願いされ、その間にご紹介いただいた葬儀社さんやご相談者が注目された葬儀社さんから見積りを早急にお取りになり、さらに葬儀担当者からも具体的なお話をお伺いした上で、献体も視野に入れてお決めになられてはと提案いたしました。

 格安をうたっているが、どこまで含まれている費用なのか。
 火葬一式幾らの場合には何が含まれ、何がオプションとなっているか。
 また、火葬場への搬送代は、写真代は、柩に入れるお花代は等を確認される必要もあります。

 少しでもご納得のいくご葬儀をしてほしい。
 やり直しは利かないのだから。
 これがご相談をお受けした者の偽らざる気持ちです。

 先ほど、少し席を外している間にスタッフが連絡を受けたそうです。
 「ご心配をおかけしましたが、ご葬儀は無事おわりましたので、よろしくお伝えください」と。
 今、少しほっとしています。

バラの季節のご葬儀

5月はバラ の季節です。
 先週伺った横浜イングリッシュガーデンでは青空のもと甘い香りと見事に咲き誇ったバラの饗宴が見事でした。

 バラには高貴な方や有名人のお名前がつけられ、華やかな雰囲気をさらに盛り上げていました。
 中でもハリウッド女優・イングリッド・バーグマンの名が付いた真紅のバラにはしばし見とれていましたが、その色合いにふと数年前のご葬儀のことが思い出されました。

 奥様から最後に柩の中のご主人にささげた一本のお花はビロードのような真紅のバラでした。

 無宗教葬のご葬儀は彫刻家だったご主人のかつてのお仲間50人ほどが集い、柩を前にして、グラス片手に飲みながら食べながら、若かりしパリ時代の思い出話に花を咲かせ、時には柩を囲み故人様とじっくりお話しをされ、そこにはお仲間同士が共有する、ゆったりとした時間が流れていました。
 
 最後のお別れにはお一人お一人が白いバラを柩に手向け、白いバラで埋め尽くされた中に真紅のバラをそっと置かれたのが奥様でした。
 その鮮やかさは今でも目に焼きついています。

 このような自由な雰囲気の中でのご葬儀は故人様の職業柄もありますが、最近お受けしたご葬儀の中にも久しぶりにお見受けいたしました。

 やはりフリーの立場でお仕事をされていた方のご葬儀でしたが、後日お別れ会をされるとのことで、ご家族ご親族を中心に無宗教葬での1日葬をご希望されていらっしゃいましたが、古くからのお仲間が多数故人様との直接のお別れをご希望されましたので、通夜ではなく、お食事会の形でお越しいただいたのが、お仲間の皆様には大変好評だったようです。

 葬儀社の担当者の方は18時からの開式だけを段取りし、ご会葬の方々が順次故人様と面会をされ、献花をされた後は、式場に設けられたウエルカムドリンクコーナーにてドリンクサービスでお食事の準備が整うまでの40分ほどをゆっくりしていただき、お食事会ではご会葬の皆様が21時までの時間を有効に過ごされたとのこと。

 一日葬とはいえ、前日からの担当者の影の力は大きかったようです。
 形式的な儀式のご葬儀が多い中、お仲間をお見送りするという視点に立ったご葬儀となり、お見えいただいた方々からも大いに注目されたご葬儀だったと伺いました。

第1のハードル

  「本当はこれからですが、まずは大きな安心を得ました」
 1つのハードルを抜け、ほっとされているご様子が手に取るようで、ご報告をいただいたこちらも思わずうなずき返してしまいました。

 当センターではホームページのご相談フォームにお問い合わせをいただくと、ご葬儀に関するご質問やご要望にお答えし、さらにご要望に見合ったセンターの賛同葬儀社さんから見積りをお取りして、賛同葬儀社さんのご紹介とともに見積りをお送りしております。
 しかしながら、概算のお見積りや葬儀社さんのホームページだけではご満足いただけない場合も出てきますので、お時間が許せば出来るだけ見積りをお送りした賛同葬儀社さんの担当者と、直にお会いしていただくことをお勧めしています。

 担当者と面談をされ、担当者の人となりもさることながら、さらに詳しく具体的な説明をお聞きになることで、場合によってはご葬儀内容の修正をされ、再度見積りをお作りになられる場合も出てきます。
 
 さらに、最近ではインターネットを中心に、様々なご葬儀の情報が飛び交い、必要に迫られて急いで資料を収集されたが、かえって混乱され、立ち往生の状態でご相談をされるケースも目立ってきているようです。
 冒頭の言葉はそんな経験をされた方からご相談フォームにお問い合わせをいただき、メールでのやりとりの後、ご紹介した3社の内、第1候補に選んだ葬儀社さんの担当者と面談をされ、信頼できると確信されて、その場でお決めになられた時のご報告でした。

 実際のご葬儀は1週間ほど先になりましたが、混沌とした闇の中からの一条の光は大きく、万が一の際のお気持ちの大きな手助けになられたようです。

 以前、アンケートをいただいたお手紙の中で、お父様のご逝去1週間前にためらいながらお電話でのご相談をされた方から、お母様と交代で病院に行くのが精一杯で非常に不安な時でしたが、「いつでもまたお電話をしてくださいとおっしゃっていただけた安心感が、あさがおさんにお任せする覚悟になりました。残りの数日は父を看取ることだけに気持ちを集中することができましたので、本当に相談させていただいて良かったと思います」とご報告いただいたことが思い出されます。

結婚式に出て、ご葬儀を考える

「富士山が見事です」の新幹線の車内アナウンスに慌てて眠い目を上げると、車窓から一望する富士山は青空をバックにきらきらと輝いていました。
 友人の娘さんの結婚式に向かう朝のことでした。

 披露宴会場に集合した一同は、花婿・花嫁さんを先頭に神前結婚式場の神社までお練をして行きました。
 白無垢の花嫁さんはとびきりの美人ときており、沿道を埋めた観光客も拍手と携帯カメラで祝福ムードいっぱいです。
 
 喧騒の中、神社に踏み入れ気が付くと、一転して静寂ムードに包まれていました。
 花嫁・花婿さんとご両親は神棚のある一段と高い位置からお客様をお迎えしています。

 
 やがて神前での結婚式が始まりました。
 祝詞奏上、三献の儀(三々九度)、神楽奉納、指輪交換の儀と進む中、静かな笙の音に聞き入っていると、仕事柄かいつしか神式のご葬儀の立会いにお伺いしたことが思い出され、ご葬儀の時との比較をしていました。

 結婚式とご葬儀は一見相反するようですが、冠婚葬祭という言葉があるように、昔から日本人にとって双方とも特別重要な儀式だったようです。

 そう言えば、各地にその名残がまだ残っており、お葬式の引出物と結婚式の引き出物が似ていたり、ご葬儀でのお食事もここぞとばかりにお料理を並べて、まるで門出を祝うかのようににぎにぎしく執り行われたりと、悲しみも喜びも同時進行のように行われてきています。

 神道でも新しい命を創る結婚と、役目を終えて神の世界へ帰っていくご葬儀は、双方ともおめでたいことと解釈され、永い一生の中でも最も重要視されている儀式との由。

 結婚式に出席して、ご葬儀という儀式を改めて考えるきっかけをいただきました。

 あれから3日後、富士山は世界遺産に登録される見通しとなりました。

 Congratulations on your wedding day

お1人様の孤独死対策は・・・。

 先週の鎌倉駅はウィークデイのお昼前にもかかわらず、相変わらずの観光客でごった返し、暫し足止めをされるほどでした。

 鎌倉・鶴岡八幡宮の参道の段蔓は桜の季節が過ぎ早くもつつじの最盛期を迎えようとしています。
 周りの山々は新緑のグラデーションが最も美しく輝く季節になりました。
 坂道を曲がった所定の位置まで来ると、今年も初めてうぐいすの「ホーホケキョ」の声が出迎えてくれました。

 月1回通う山の中腹にある料理教室では、昨年暮れに足を骨折された先輩と4ヶ月ぶりにお会いできました。
 80歳をとうに超えたお歳なので心配しておりましたが、すでに仕事を再開し、以前と同じように全国各地を飛び回り、趣味の陶芸教室の展覧会用作品作りをお話されているご様子にはただただ脱帽です。

 しかしながら、世の中元気な方ばかりとは限りません。
 教室でのお食事の後、皆さんとのおしゃべりの中で、団塊世代の1人住まいの方のお話にはどきっとさせられました。
 私も存じ上げている方のことでしたが、すでにご両親は他界され、お1人いらっしゃった妹さんにも先立たれ、身寄りは甥御さんがお1人だけ。
 定年で退職されたがお体が弱く、万が一を想定し、親しい友人に毎日メールをされ、5日メールが来なかったら甥御さんに連絡を頼むとの約束をされているとのこと。

 昨年来、新聞紙上を賑わせている「孤独死」もどこか他人事のようにまだまだと思っていましたが、年齢に関係なく突然襲ってくるかもしれない事態に、対策を打たねばと急に不安になってきました。
 紙上の悲惨な状況のルポは都会で一人暮らしをされている方にとってある意味紙一重かもしれません。
 お食事中に亡くなられ、3ヵ月後に別居されていた娘さんに発見された方のルポが載っていました。
 新聞や郵便受けがたまっていても、見てみぬふりで済ませている場合が多いと伺います。

 周りを見渡すと、定年後の方、フリーでお仕事をされている方でお1人住まいの方が何人かいらっしゃいます。
 皆さんはどんな対策をされていらっしゃるのでしょうか。
 取り急ぎ、まずは実家へのシグナルを考えなければ・・・。

 お料理教室の帰り、健脚の先輩にあおられながら、坂道をゆっくり1時間ほどかけて鎌倉駅に到着しました。
 ちなみに先輩はよく気が利く妹さんとお二人暮らしとの由。
 新緑の中、自信に満ちた先輩のお顔を見ているとまだまだ大丈夫と安心感も倍増してきます。

 鎌倉駅は中高年の女性客で、午前中よりもさらにごった返していました。
 皆さんとにかくお元気なご様子でした。

電話でのご相談について・・・。

センターのスタッフとして参加し始めた頃、夜半に1本の電話を取りました。
 「友人が自殺して・・・。葬儀社をどうやって手配すれば・・・」電話口からの切羽詰った声に、受けた私の方が絶句してしまった空白時間を今でも時々思い出します。
 活字の上でお目にかかる言葉としてとらえていた「自殺」の文字が突然受話器の向こうから緊迫感を持って聞こえ、ご相談の重大さを肌で感じた第1歩でした。

 当センターでは電話とセンターのホームページのご相談フォームを通してメールでのやり取りのご相談を承っております。
 電話をいただくご相談者の多くはセンターのホームページをご覧になられ、メールではなく、事後相談のみならず事前相談も、お電話で直接お尋ねされる方を多くお見受けいたします。

 先月お電話をいただいたご相談者の中に、入院中のお父様のことで、「あと数日が山場。ご準備をされた方が」とお医者様から言われ、インターネットであちこち検索されたが、あまりに多い情報にかえって分からなくなり、まずは信頼できるところでご相談をと、センターにご葬儀についてお尋ねされた方がいらっしゃいました。

 お父様の後を継いでお仕事をされ、お忙しい中でのご相談に、お声のやりとりからかなりお疲れのご様子が伺われました。
 ご紹介した葬儀社さんの担当者とご面談をされ、さらに詳しい内容を伺い、見積りの変更をされた直後、お父様が急変され、息つく暇なくご葬儀準備へと緊張は続きます。

 永年のお父様の業績に対し、それなりのご葬儀をしてさしあげたいとのご要望に、葬儀社の担当者もお答えし、ご相談者も大変ご満足のいくご葬儀となったご様子で、ご葬儀後のお忙しい中、早速のご報告をいただきました。
 
 開口一番お礼をおっしゃったお声が、一瞬別の方かと思うほど穏やかで、お聞きしている当方もご葬儀のご報告にもかかわらずほっと安堵いたしました。

 受話器の向こうから聞こえてくるご相談者のお声をどれだけくみ取り、ご不安なお気持ちをどれだけ解消できるのかスタッフの対応ひとつにかかっているように思われます。
 心して行かなければ・・・。

人の心を明るくする春のお花は・・・。

 朝日新聞・天声人語を見ると4月2日は詩人で彫刻家の高村光太郎の命日でレンギョウのお花の名を貰った「連翹忌」と記されていました。
 生前レンギョウの花を好み、光太郎のご葬儀では柩の上に一枝のレンギョウの花が置かれたことに由来するとも言われています。

 東京の桜はここ数日間の雨であっという間に葉桜になってしまいましたが、この季節、桜に負けじと鮮やかさを誇るお花にこのレンギョウがあります。

 二昔ほど前、ご縁があって全国各地の尼寺にお伺いした時期がありました。
 奈良の尼寺にお伺いした折、春の柔らかな日差しを浴びて、あたり一面に咲き誇っていたレンギョウの花を見ていると、不思議な夢心地で幸せな気分に浸っているように感じられました。

 先月ご葬儀で立会いにお伺いした無宗教葬でのお別れ会では、故人様が臨死体験をされた際に見られたお花畑をイメージした祭壇が設けられ、色とりどりの春のお花が柩を囲んで植えられていました。

 お花畑を見ていると、なぜかその昔奈良で見たレンギョウの花が思い出されました。

 お花に囲まれた故人様のお気持ちはいかほどだったでしょうか。

 お花畑の小道を行くと柩の故人様とご対面ができる粋な計らいの祭壇は、葬儀社の担当者のこだわりの一品でもありました。

 ご喪家からのご注文はお花畑のイメージだけでしたが、担当者はお話をお伺いしていく内に以前お住みになっていたご自宅前の公園の桜が見事で、会社の方をお呼びしてはお花見をされていたご様子を伺い、お花畑の周りに桜の木に見立てた枝を配して、春爛漫のお花畑の演出を試みたとのこと。
 最後のお花入れの儀ではその満開の桜の枝とワンパックの日本酒を柩にご家族の手で納められました。
 あちらでゆっくりお花見ができましたでしょうか。

 柩はお花畑からの旅立ちになりましたが、春爛漫のお花畑にたたずんだご会葬の皆様もこころなしか明るくお見送りされた模様です。
 春のお花は明るく内に秘めた力も強く、人の心を和ませ幸せな気分にしてくれるようですね。

桜とお見送り

疲れからか、うつらうつらしていると、ぱっと目の前が明るくなり、何事かと慌てて周囲を見渡すと、火葬場に向かうバスは丁度桜のトンネルの真っ只中を進行中でした。

 母の危篤状態が続き、東京と実家を往復する慌しい日々を過ごし、季節の移ろいを感じる余裕も無く、その時初めて桜の季節になっていたことに気がつきました。
 あれから、7年経ちますが、その衝撃が何処か尾を引いて季節がめぐってくる度に思い出す、胸騒ぎのする特別な花になってしまった感もあります。
 
 立会いに伺うご葬儀でも桜の花は特別で、この季節になると葬儀社の担当者も他のお花とは別格に選ぶ方もいらっしゃるようです。

 昨年のご葬儀では故人様の生きかたに感動された担当者が、御霊灯の提灯の代わりに見事な枝ぶりの桜を社からのサービスとして式場両側に生けると、桜を囲んでご会葬の方々の輪が膨らんで、故人様への想いが寄せられ、皆様それぞれに印象深いお見送りとなられたご様子でした。

 先日立会ったご葬儀でも、担当者はご家族からご自宅前の公園でよくお花見をされたお話を伺い、お花畑に見立てた祭壇には満開の桜が添えられました。
 ご葬儀の間中故人様を見守っていた桜は、故人様がこよなく愛したお酒といっしょにご家族皆様の手により柩に納められました。

 今年の桜は予想に反して、一気に花開いた感があり、早くも春分のこの季節に、満開の桜の下でのお墓参りをされた方もいらっしゃいますが、ご葬儀では散り行くまでにどのようなドラマが待ち受けているのでしょうか。
 以前、桜吹雪の中のご出棺を目の当たりにして、万感胸に迫るものがありました。

団塊の世代を中心に、ご葬儀にも変化の兆しが・・・。

 ワイングラス片手の写真の主は、今にも「やぁ」と声を掛けてくるのではと思わせる、気さくな微笑みを浮かべていました。
 その横には「感謝の気持ち」と題して、生前のご親交に対してのお礼の言葉が記されていました。

 ご会葬の方々は1枚のパネルに足を止め、思い思いの感慨にふけっているご様子です。

 先日立会いにお伺いした60代の方のご葬儀は、故人様のご意向でお別れ会という形の音楽葬でした。

 生前にご自身が準備をされ、ご自身のご葬儀を演出されていらしたご様子です。
 愛唱歌の「愛燦燦」の演奏が始まり、「人生って不思議なものですね」思わず口ずさみながらお花に囲まれた棺に目をやると、2年前の映画「エンディング ノート」の60代のモーレツサラリーマンの姿がだぶってきました。

 それまでお元気だったサラリーマンのお父さんが定期健診で癌を宣告され、余命いくばくも無いことを知り、映画監督の娘さんがお父さんの最期までをある意味淡々とドキュメントで追いかけていく映画は、モーレツサラリーマンのお父さん必見のものでした。

 サラリーマン時代、営業一筋で「だんどりが命」のお父さんは最後のだんどりにご自身を選ばれました。
 ご実家は仏式でしたが、新たに購入したお墓は宗派を問わないとのことで、キリスト教葬に決め、1ヵ月後、結婚式以来と軽口をたたきながら奥様と式場の下見をされ、なぜこちらを選ばれたかを説明されていました。
 ①好印象である
 ②家から近い
 ③リーズナブルであること等をあげられ、
 また、ご葬儀は近親者のみで行いたいと・・・。
 映画「エンディング ノート」は自身の死に対して、一人ひとりが向かい合うことの大切さを教えてくれました。

 ご葬儀の意味合いも、最近は家から個人へと変わりつつあります。
 しがらみが少ない都会では、団塊の世代を中心に、徐々にではありますが、これからはご自身の希望を優先し、自分らしさを演出した葬儀が増えてくるのではと思われます。