お墓参り

まだまだ強い日差しが照りつけていますが、だいぶ秋らしくなってまいりました。

 昨日、久しぶりに会った友人いわく、「こっちは暑さでうっかり忘れていたのに、お寺の脇を通ったら彼岸花が律儀に咲いていたわ。昨今の季節の変動にもめげず、体内時計でも持っているのかしら。お彼岸を忘れないのね」。

 明後日は早くも秋分の日です。
 皆さん、お墓参りはしていらっしゃいますか。

 春、秋のお彼岸とお盆のお墓参りは、日頃ご無沙汰をしているご先祖様の御霊の供養から、先に逝かれたご両親への近況報告まで、お参りの目的も人それぞれでしょうが、お参りすることでひとときでも心安らぐこと請け合いです。

 私事ですが、来月早々には父の13回忌が営まれる予定でおります。
 お彼岸から半月遅れのお墓参りになりますが、久しぶりのお墓参りを前に、小学生が書いたという句が思い出されます。

 「天国はもう秋ですかお父さん」
 思わず懐かしさがこみ上げてきました。

 一方でお墓の問題はお受けするご葬儀のご相談でも、時としてご葬儀以上に悩まれるケースが見受けられます。
 
 先日もお受けした事後のご相談で、ご相談者はご両親のお墓を九州のご実家の菩提寺ではなく、これからはご自分達がお墓参りしやすいように、東京近郊にお墓を求めようと、九州からお見えになられたご親族の皆様にお話をきりだしたことから、話がこじれ、険悪なムードの中ご葬儀を執り行うはめになり、間に入った葬儀社の担当者は、平穏無事にご葬儀を終らせることに四苦八苦されたとのお話を伺いました。

 遠く離れているために、普段の話し合いがなく、いきなりのお話で、双方とも主張を譲らずという形になっているようです。
 担当者としては、取り立てて49日に納骨する必要はありませんので、じっくりご相談され、ご納得いただいてから、ご連絡いただければいつでもお墓のご相談も承りますと申し上げているのですがとのことでした。

高齢社会とパラリンピック

  このところ、日本中がオリンピック一色に塗りつぶされたかのような騒ぎが続いています。

 あの日あの時、前日の雨が上がり、日光・戦場ヶ原はどこまでも続く青空と静寂な空気に包まれていました。
 丁度、東京オリンピックの開会式のファンファーレが高らかに鳴り響いている時刻でした。
 オリンピックに沸き立つ東京とスポコン精神に違和感を覚え、原っぱの真ん中でキャンバスに向かい、無心に絵筆を動かしていた当時が懐かしく思い出されます。

 報道を見ている限りにおいて、オリンピック騒動は以前と同様ですが、前回と違い、今回はパラリンピックの存在がクローズアップされてくるような気がします。
 これを機に日本でも一般的に定着してくれるのではと、期待が持てそうです。
 ニュースでは早くも「車いす陸上競技部」を設立する企業の名前も、上がっているとのこと。
 障害者に優しい社会は大いに歓迎です。
 
 また、車椅子はパラリンピックだけではなく、これからの高齢社会にも重要な存在です。
 高齢者に優しい社会をと言われ、車椅子での往来が可能なバリアフリーの重要性が叫ばれながらも、一般社会への浸透振りに今ひとつ実感が伴わないもどかしさがありましたが、パラリンピックを機に大いに浸透してくれるのではと期待が膨らんできました。

 昨今ではご葬儀の式場選びでも、バリアフリーが重要なポイントの一つになってきました。
 ご家族・ご親族や親しい友人を中心としたご葬儀では、長年の友との最後のお別れを希望されるご高齢者の方々が年々増えてきています。
 必然的に車椅子のご利用も多くなり、関心も高まっては来ていますが、なかなか普遍的になり難いのが実情でした。

 車椅子と言えば15年ほど前、ドイツ・ワイマールの小さなスーパーマーケットでの出来事が思い出されます。
 買い物をしていると、車椅子のおじさんが突然あれを取ってくれと合図を送ってきました。
 その指示の仕方が余りに自然で、気がつくとおじさんの脇で、一緒に買い物をしていました。
 日本ですと、車椅子の方だからやってあげなくてはという意識が先に働いてしまいますが、余りに自然な受け取りに我ながらびっくりしたものでした。

 以来、日本にもこんな社会が来るのだろうかと半信半疑でしたが、やっとチャンス到来の兆しが見えてきたようです。

死は予測なしにやってくる

私事で恐縮ですが、今朝方、実家から従兄弟の奥さんの訃報が入りました。
 80歳代とはいえ、前日の日本舞踊の発表会では元気に踊っていらっしゃったとのこと。

 あまりに急な事ゆえ、周りも大慌てでご葬儀の準備にとりかかっているとの一報でした。

 身近な突然の不幸は、ご葬儀という言葉に慣れてしまっている身にとっても、心穏やかなものではありません。
 紙上を借りてご冥福をお祈りするとともに、私自身がご葬儀に関わっている意味をもう一度問い直すキッカケにしていかなくてはと、目下日々の生活を反省しているところです。

 また、元気な内は子供達の世話にならずに自由に暮らしたいとばかりに、都会では1人住まいのご老人が最近、とみに増えているようです。
 しかし、お元気と見えても、ご不幸はいつ襲ってくるかわかりません。

 先日夜も1人住まいのご高齢のお母様がご自宅でご逝去され、検視のためにご遺体は警察のお預かりとなり、明朝お引取りに行かなくてはと電話での事後相談をお受けいたしました。
 お元気だったお母様の突然のご逝去に、警察の介入という事態が重なり、ショックを受けられ、気が動転されていらっしゃるご様子が電話口から伝わってきます。
ご紹介した葬儀社さんが後の事は全て引き受けてくださることをお話しすると、ひとまず落ち着かれたご様子に、こちらも思わず安堵いたしました。

 翌朝、葬儀社さんはお母様のご自宅管内の警察に伺い、状況把握をされてからご相談する段取りでしたが、外傷がない為、ご遺体は大塚の医務院に運ばれ解剖が施された後、医務院の車でご家族皆様が待ちわびていらっしゃるご相談者のご自宅へ無事搬送という運びになりました。
 少し遠回りになりましたが、葬儀社さんの出番はこれからになります。

 ご相談者のお気持ちを汲み取っていただき、ご相談者と二人三脚で行けるように、ガンバってください。

見積りは担当者とご相談の後で・・・。

 「あなた任せではなく、さらに積極的に一歩前に踏み込んで、納得のいくご葬儀をしたい」お見積りの取り方1つにもそんなニュアンスが感じられます。

 当センターではご相談に応じて、ご要望に見合った地域の賛同葬儀社さんをご紹介し、その際にお見積りもお取りするか否かをお伺いしており、今まではほとんどのご相談者がこの段階でお見積りをご希望されていらっしゃいましたが、最近ではそれに少し変化が出てきているようです。

 センターでのご相談はご相談フォームを通してのメールでのやりとりと、お電話での対応になりますが、状況をお伺いし、どんなご葬儀をされたいのか、ご要望をお尋ねして、それに即したお見積りをご紹介する賛同葬儀社さんから取り寄せ、センターの見積説明書と共にお送りしております。

 次の段階では、ご紹介した賛同葬儀社さんの担当者にできるだけお会いされるよう申し上げ、お取りした見積りをもとに、担当者にさらに詳しいことをお尋ねになり、お話の内容によっては再見積りをお取りいただいたりもしております。

 また、どちらかといえばタブー視されてきたご葬儀に関する情報も、最近では各方面から自由に得られるようになり、一般の方々の間にも大分浸透してきました。

 それに伴いご相談者の方々も、通り一遍のご葬儀ではなく、少しでも満足のいくご葬儀にしたい、ご相談の段階からより積極的に参加したいという意識が高まって、インターネット等でご葬儀に関する情報を得た上で、当センターが推薦する賛同葬儀社さんの担当者と直接お会いになり、一つひとつのご要望を担当者とご相談しながら固めていき、ご自身が納得した段階で初めてお見積りという形を取られる方々が徐々に出てきています。

 ご要望の大小を問わず、ご相談者が納得のいく回答を得られることが葬儀社さんの担当者にかせられた急務です。
 ご葬儀も担当者の力量が大いに試される段階に来つつあるようです。

めぐりくる時間を大切に。

  いつもは夕方の買い物客で賑わう商店街もシャッターを下ろしているところが多く、早くも今日からお盆休みに突入したのか 心なし東京の街中も静かに感じられます。

 8月の旧盆も明日から始まりますが、地域によっては今日が盆の入りのところもあるようです。

 今年は天候が荒れ模様で、今日も夕方から東京地方は凄まじい雷雨に見舞われ、せっかくお見えになられたご先祖様もさぞかし戸惑われたことでしょう。
 ご先祖様をお迎えする迎え火も雷雨の前にはかき消されてしまいましたが、無事ご実家にたどり着きましたでしょうか。

 ご先祖様の中でも今年初めてお盆を過ごされる方もいらっしゃると思いますが、新盆と呼ばれ別格で、ご葬儀にご出席いただいた方々から再び大いに歓待されることとなります。

 当方の実家のある遠州地方での新盆は第2のお葬式とまで呼ばれ、盆の入りから出までの4日間で、百人単位の方々が新盆のお宅に次々とご挨拶にお見えになりますので、この間家人は息つく暇もないないほどの忙しさを体験させられます。

 また、同時に盆供養も盛大に行われ、子供の頃見た、通称「とったか」と呼ばれる遠州大念仏は、新盆のお宅の庭先で披露され、花笠を背にした30人余りの男衆が勇壮活発に太鼓を打ち鳴らし、笛の音にあわせて念仏や歌枕を唱和する姿は数十年経った今も脳裏に焼きついています。

 お亡くなりになられたことはとり返しがつきませんが、私達日本人はめぐりくる時間を大切にしており、命日と共にお盆になったら戻っていらっしゃることを心のより所にしております。

 少し慌しい新盆になりますが、懐かしいお顔にきっとお会いできることと存じます。

その人らしく生きる方法とは・・・。

  今までどちらかといえばタブー視され、表立って語るのをためらわれていた死についての話題が、昨今ではラジオ・新聞等のマスコミを通して取り上げられ、お茶の間にも徐々にではありますが浸透してきているようです。

 そんな中、多くの死を見つめてきたお医者さんは、ラジオのインタビューで死を避けてきた人の方が悲しい死が多く、死を前向きに受け止めた人の方が最期まで自分らしく生ききっているように思われますと答えていらっしゃいました。

 そのお医者さんの緩和ケア病棟では患者さんの体の痛みをとるだけではなく、心の痛みやご自身がいなくなるという精神的な痛みも一緒になって、寄り添って考えていくと、患者さんは生き生きしてきて、病棟では常に笑いが溢れているとのこと。
 死を目前にしてもほとんどの患者さんがリハビリに参加され、今日よりも明日良くなるということがうれしくなり、リハビリを通して生きる力が湧いてきて、結果としてご家族との交流も多くなり、家族で温泉にでも行こうということもあり得るようになる。

 どんな状況になっても、その人がその人らしく生きる方法があるのではと、リハビリの重要性をお話されていらっしゃいました。

 死を前向きに受け止め、最期まで自分らしく生きる生き方では、先月、岩波ホールで上映されたドキュメンタリー映画「そしてAKIKOは・・・ 〜あるダンサーの肖像〜」でのアキコ・カンダさんの生き方も同様でした。

 25年程前にダンサーのカンダさんを撮られ、国内外の賞を受賞された羽田澄子監督は2010年秋のリサイタルから再びカンダさんを撮り始めた矢先、その2ヵ月後にはカンダさんが癌で入院されたことを知らされ、以後ご逝去されるまでの約1年近くをお二人は二人三脚でのぞみ、映像はカンダさんの最期まで生ききった姿を、余すことなく伝えていました。
 
 渾身の力を振り絞って舞台に立たれ、その2週間後に静かに息を引き取られたダンスに特化された生き方は、観た方一人ひとりに生きる力を与えてくれました。

 カンダさんは生前「一生が終わる時にダンスはアキコの哲学だったと言えたら最高に幸せ」とまでおっしゃっていらっしゃいました。

「タイム イズ ・・・・・ 」

30年以上も前、当時時代の寵児ともてはやされた方とお仕事をご一緒させていただいた折、「これからはタイム イズ マネーの時代だよ」とよく聞かされたものでした。
 
 生意気盛りだった当方は少々反発を覚えながらも、ことあるごとに思い出し、妙に気にかかる言葉でもありました。

 先日、当センターの賛同葬儀社さんに施行されたご葬儀の様子をお伺いした折、ふと昔のことを思い出したのも、言葉の意味は違えども、時間の持つ意味にうなずかざるを得ないことを聞かされからでしょうか・・・。

 お母様の直葬をご希望されたので、葬儀社さんの自社霊安室に4日間故人様をお預かりし、お身内の方とは火葬場にて30分前に落ち合うお約束でしたが、お2人のご兄弟のうち、お兄様がお見えにならず、火葬時間ぎりぎりまでお待ちしたのですが、ついに弟様お1人でお母様をお見送りされる羽目になってしまわれたとのこと。

 実はお兄様は火葬場に来る途中、交通事故に巻き込まれ、大分遅れての火葬場到着となり、すでにお母様は荼毘に付された後でお別れができず、ショックなご様子だったと伺いました。

 葬儀社さんをご紹介する折、炉前での短時間のお別れを考慮して、ご対面時間の融通がきく霊安室をご推薦いたしましたが、その4日間もお仕事でついにご対面できずじまいだったことを後で知りました。

 通常、霊柩車とご一緒に、ご葬儀の後火葬場に向かわれる方はマイクロバスにご乗車になり、皆様行動を共にされますのでご心配は要りませんが、昨今は直葬ご希望者が増えてきて、当日現地集合で火葬場にて直接お待ちあわせされることが多くなりました。

 不可抗力で遅れる場合も出てきますので、各人が現地集合の場合はお時間をたっぷり取って、お出かけください。後々まで後悔をしないためにも・・・。

ご喪家のお気持ちが第1。

ご葬儀の立会いに伺い、葬儀社さんの担当者をはじめ、ご葬儀に関わる方々の仕事ぶりを垣間見る機会があります。
 
 ご喪家とのかかわり方も葬儀社さんの担当者により十人十色で、特にこぢんまりしたご葬儀では担当者ご自身の関わり方がご葬儀の満足度を大きく左右しているようにお見受けします。

 先日、お伺いした無宗教葬のご葬儀の担当者は、どんなご葬儀をされたいのか、まずはじっくりご遺族の方々からのご意見をお聞きすることに徹し、お相手の性格を読み取り、一番ぴったり合ったやり方を提案し、先に担当者の方から勧めることはないとのことでした。 
 お話をお伺いした担当者の方には以前にもご葬儀の主催者はあくまでご喪家ですから、ご喪家とは常に二人三脚で行かれるお話をお聞きしたことがありました。

 「ご喪家のお手伝いをするだけですから先方を立てることを忘れないで」とも。
 お話はご喪家からこと細かく伺っているが、プロの司会者に頼むとプロとしてしっかりと調べ上げ、肝心な部分も先にしゃべってしまいがちになり、無宗教葬ではご会葬者が話そうと思うことまで、先取りしてしまうことが多いので、担当者自身が司会をし、ご会葬者がお話された後をフォローしてあげる形で、臨機応変に対応されているとのことでした。

 また、ご喪家によってはプロのナレーションを好まない方もいらっしゃいます。
 葬儀社さんサイドではよかれと思って始められた司会進行のプログラムも、時として抑揚のある情緒気味のナレーションがかえってご喪家の気持ちを逆なでするのではと気をもませるような場面に当方も出くわすことがありました。 先日伺ったご喪家もプロのナレーションだけは絶対にやめてほしいとのご注文があったそうです。

 少し前に伺った立会いでは担当された葬儀社さんに決められた理由として、当センターにご相談になられた方から「常にご喪家の気持ちになって考え、行動してくれた対応ぶり」を挙げていただきました。
 会社の関係でご葬儀の日程を最優先されましたが、ご希望の日にちがせまってきて、火葬場まで混雑している中で、ご希望の日はお取りできませんとおうむ返しに却下された葬儀社さんもいらっしゃいましたが、どのようにすればご要望の日程で執り行うことができるか、ご喪家のお気持ちを第1に考えて奔走してくれた担当者にお願いされたとのこと。

 「母はこんな葬儀がしたかったんです。ありがとうございました」と開口一番おっしゃっていただいたご葬儀では、病院付きの葬儀社さんにご自宅に搬送をお願いされたのですが、雑な扱いに、お父様への配慮が足りなく、お母様が心を痛めていらっしゃるご様子に、ご長男のご相談者は改めて葬儀社探しをされ、当センターにご連絡をいただいたとのことでした。
 ご紹介した葬儀社さんの担当者にお決めになられた理由は、他社の葬儀社さんがプランの説明を急ぐ中、ひたすら相手の立場にたって、お話を聞いてくれたことにあるとのことでした。

 故人様お一人お一人が違うように、ご葬儀もお一人お一人全て違います。
 ご遺族のご要望にどれだけ耳を傾けて、どんな見送り方ができるのか
 葬儀社選びは、ある意味、担当者によって決まると言っても過言ではないようです。

 そのためにも時間のある限り、担当者とお会いされ、ご面談されることを希望いたします。

思い出深いお見送りとは・・・。

淡いピンクの柩が女性のお弟子さん達の手により、霊柩車に運び込まれました。
 万雷の拍手の中、静かに霊柩車は動き出します。
 当方も思わず手を合わせ、気持ちの中でご一緒に拍手していました。

 岩波ホールで上映中のドキュメンタリー映画、「そしてAKIKOは・・・ 〜あるダンサーの肖像〜」のアキコ カンダさんの最後のお見送りのご出棺場面でした。

 羽田澄子監督演出の映画は、日本の著名なモダン・ダンサーのアキコ カンダさんが死の直前まで踊り続けた姿を克明にとらえ、ご自身の意思を貫き通した、率直なアキコさんの生き方は観る側に勇気を与え、最後のお見送りの拍手が全てを物語っているようにも思われ、そこにはさわやかな余韻さえ感じられました。

 ご会葬にお見えいただいた方々とって、永遠の別れとなる最後のお見送りは最も印象に残ることの1つです。

 今までご葬儀の立会いにお伺いした中でも、最後のお見送りの良し悪しで、ご葬儀の空気が一変するような場面にも出会いました。
 ご葬儀の時間が押してきて、時間に振り回されているようなご葬儀も時として見受けられますが、ほんの短い時間でも思い出深いお見送りをされる方もいらっしゃいます。

 かつての大学の相撲部の仲間が柩を囲みながら円陣を組んで、涙ながらに歌い踊ってのお見送りがありました。

 通夜の席でご親戚同士が反目し、故人様側だけのご葬儀・告別式になってしまったいきさつを知らされた会社の同僚の方々が、ご出棺の際、思いっきりの万歳を三唱され、重苦しい空気を一変させたお見送りもありました。

 故人様の愛唱歌を生演奏されたご葬儀では、病気を押してまでゴルフに熱中された故人様にちなみ、いつも見ていらしたゴルフ番組のテーマ曲でのご出棺となりました。

 また、故人様の遺言で越路吹雪のライブ盤が終始流れていたご葬儀では、一転してオキナワの「さとうきび畑」の歌が静かに流れる中でのご出棺となり、耳に残るリフレインされた歌声に、見上げた青空のまぶしさとが相まって、万感胸に迫るものを感じたお見送りになりました。

 最後のお別れのお花入れの儀から、喪主様のご会葬の方々へのご挨拶へと続き、霊柩車が動き出すまでのお時間の中、永遠の別れの最後を共有できるお見送りが理想ですが・・・。

女性の先駆者の終活はいかに・・・。

梅雨の季節、鎌倉駅前はカラフルな傘のオンパレードです。

 世界遺産への落選騒動からか普段のおば様達のかしましい声に交じり、外国からのお客様も目立ち始め、駅中のテンションはさらにエスカレートしているようです。
 駅に降り立った人は皆一様にこのテンションに巻き込まれ、雑踏の中でも笑顔がはじけ、他の駅では見られない一味違う空気を楽しんでいるようにも思われます。

 その雑踏に身をおく当方も元気を貰いに月に一度の鎌倉詣でをしています。
 詣で先の料理教室では人生の大先輩達とも肩を並べてお味見にいそしんでいます。

 大先輩達は働く女性の先駆者で日本初の何々の肩書きを持つような方々ですが、ことお料理に関しては対等です。
 仕事を離れた天真爛漫な姿を見ているだけで1ヶ月分の元気をいただいております。

 その先輩達は永年お仕事に没頭され、今なお現役で続けておられますが、ご高齢でお1人住まいの方も多く、これから立ち向かう問題も様々な方向から出てくるでしょうが、これまで築いてきた、年齢に負けない精神力とパワフルさで、一つひとつをクリアして行く様をお手本として見せていただけるのではと期待しています。

 そして人生最後のエンディングをどのようにまとめていかれるのか

 終活という言葉がマスコミで取り上げられ、早3年。
 まだまだ現実的には話題先行型ですが、先輩はどんな終活を実行されるのか。

 お料理を介してお会いできた人生の先輩のこれからに注目していきたいと思います。

 先輩、よろしくお願いいたします!