人間1人では生きられない・・・。

 長患いの奥様を亡くされ、覚悟していたとはいえ、現実になったショックはいかばかりか。
 アンケートにお答え頂いた中に「葬儀終了までの時間、無我夢中の中でやりまして、今冷静に振り返ってみても、その感想は如何に・・・と聞かれてもそれは解りません」とありました。
 読みながら、思わず「うん、うん」と頷いてしまいました。正直な気持ちでしょう・・。これが、万人本当の気持ちかもしれません。
 しかし、いつまでも悲嘆ばかりにくれていては、日常生活に支障を来たしてしまいます。
 とは言っても、悲しみを癒すマニュアルがあるわけではありません。
 寄り添い、気持ちをおもんばかってやる心の交流が必要です。
 かっては、日本の大家族の中で、また村落の人とのつながりの中で癒し癒されながらお互いの気持ちを孤立させないような仕組みが出来ていました。
 都会に出てきた人は知らない内にそれを切捨て切捨てて、核家族化だけが進行し、いざとなった時に周りを見渡せば皆知らんぷりを決め込んでしまっている状態です。
 しかし、人間1人では生きられない。
 そう気づかされた時、新たな第3者の寄り添う力の必要性が芽生え、それが最近になってあちこちで息づき始めてきています。
 それは悲しみにくれる人たちに寄り添うグリーフケアだけでなく、日常からコンテンポラリー・アートの世界にまで応用され浸透しつつあるようです。
 1人で完結するのではなく、人とつながり、受け止めてもらうエネルギーの交流こそが、全ての原点であるかのように。 

女性パワーによる自由な形式の葬儀が増えてきた・・・。

 「ホームページを見てお電話しているのですが、ご葬儀の祭壇、お食事、返礼品は我が家で調達して、葬儀社さんには搬送、進行、火葬場の案内をお願いしたいのですが・・・」
 「レストランで200名ほどの立食パーティでのお別れ会にしたいので、ご相談に乗ってくれる葬儀社さんをご紹介ください」

 ご両親や伴侶のご葬儀のイメージを具体的に持ち、周囲の目を気にせずに主張される女性の方が目立って来ています。
 ご両親に頼まれたご葬儀プランも男性の依頼者ですと、世間の目を意識し一般的な無難なお式に変更されるケースが多いようですが、女性はそのまま素直に受け入れ、さらにご自分の意見をプラスしてご希望を膨らませていらっしゃるようです。

 「ご葬儀中心のセレモニーホールではなく、お料理もお寿司の類ではなく、お礼の品はこちらでご用意したものを」と言うように、世間というしがらみを取っ払い、自由な考えのもと、いろいろなアイデアが浮かんでくるようです。
 女性の生活者の視点でご相談を開始し、そこから可能な限りの実現をめざしていく姿勢は、規則に縛られた仕事人間の男性よりも柔軟でパワフルです。
 規格品型の葬儀社主導のご葬儀も女性のパワーでその人・その家に合ったやり方に、葬儀社がお手伝いするという方向に向いつつあるようにも感じられます。
 
 

 

子を見送る親の気持ちは・・・。

 (4/16) 生まれたばかりの赤ちゃんを亡くされたお父様からアンケートを頂いたのは、大分経ってからでした。
 「葬儀社の担当者の方はややおせっかいなくらいに親身になってくれ、満足でした」とのお返事を頂き、思わず頷いてしまいました。
 親を見送るのは悲しいけれど、どこかで納得させるものを持ち合わせているが、子を見送る親の気持ちは・・・。
 ご葬儀に伺っても、どこから話を切り出してよいものか。
 周りの緊張は極度に達し、どうやって手を差し延べてよいのかも分からない。
 ベテランの担当者に聞くと「ただひたすらご遺族のそばに立っていてあげるだけ」とのこと。
 目の前に「おばさんがうろうろしているからおばさんに聞けばよい」と、皆さんが気楽にものを言いやすいようにうろついている。
 ただ、時として孫を亡くしたお姑さんの立場になって、プロの気持ちが揺らいでしまうとも。
 でも、それでいいのでは・・・。

 読経が始まると若いお母さんは「ずっと抱いていたい」と柩の中の赤ちゃんを抱き寄せた。
 担当者がご自宅でご家族だけのご葬儀ですから「いいですよ」とご返事すると、お経をあげている間中わが子を抱きしめていらしたとのことでした。

ご家族ご親族だけでのお見送りは本葬だけで十分・・・?。

 (4/12) 高齢化社会に突入し、最近では定年を迎えた団塊世代が親の死を看取ることが多くなってきました。
 子供達でさえ会社や組織を離れる時期、その親御さん達にとっては付き合いも殆ど限られ、お知り合いもすでに姿を消してしまっています。
 勢いご家族、ご親族、後はほんの少数の友人達のみで見送るケースが都会を中心に伸びています。
 それと同時に、1日だけのご葬儀、本葬だけをされるケースも急激に伸びているとのことです。
 以前、そのことで菩提寺の方からクレームが寄せられ、結局一般的なご葬儀に落着くようですと葬儀社の担当者から聞いていたことが思い出されます。
 しかし、今や世の中の情勢と相まって勢いはさらに加速されているようです。
 菩提寺からの苦情の主たる原因だった通夜の読経も、家族が参加する枕教で済ませ、
 後はお身内だけでゆっくりと最後の夜を過ごしたいと。
 ご遺族も見送り方にこだわりを持ってきているようです。

 家族葬での1日葬と通夜・葬儀・告別式を2日間かけてやるのとでは通夜の料理代が浮く位で金額的な差はあまり感じなかったのですが、ある葬儀社の担当者は式場費が半額近くになる斎場を確保しているとの由。
 その分、ご家族だけで供花が出ない場合など、お別れ花にまわすこともでき、色々融通を利かせることが出来ます。
 粘り強く式場との交渉の結果、賛同してくれる式場もかなりな数に上ってきた模様。
 斎場側も表向き、なかなか2日間の使用料を変えることは難しい。
 これは信頼を得た、選ばれた葬儀社に与えられた特典なのか。
 注目されてきた分、ご葬儀も臨機応変な対応が求められてきているようにも感じられます。

 

30代の生前予約、生前契約は受けつけてくれるのか・・・?

 (4/6) 先日、メールでの事前相談の中で、お父様を亡くされた時大変苦労をされたので葬儀社と生前予約又は契約をしたい旨のご報告を受けました。
 ご紹介するにあたりご苦労された点をお教え願い、条件を伺っていると、実はまだ30代の若い方であることが分りました。

 こちらは勝手に中高年のご年配の方と想像していただけに、思わず言葉を呑み込んでしまいました。
 生前契約、生前予約と言っても50年先のことになるかもしれない。
 いや、もっと先かも・・・これだけは誰もわからない。相談を受けた我々はとうの昔姿を消しているはずだ。

 戸惑いつつも地域の賛同社に伺いを立ててみました。
 小規模ながらベテランの担当者がいるところです。
 矢張り、返ってくる答えは想像どうりでした。
 「ご相談には乗るけれども、順序からいっても僕の方がずっと先に逝ってしまうよ」
 ならば、大手だったら若くても大丈夫かな?。 
 しかし、こちらも同じような戸惑いの答えしか返ってきませんでした。ある程度お歳を召した方でしたら、いつでもお受け致しますが・・・・。
 
 確かに、これからどんな人生が待ち構えているかも分らないのだ。50年先の世の中だってどうなっているか分らない。会社だって、存続しているか分らない。
 でも、混沌とした世の中だからこそ、生前予約をしたい若者が増えてくるかもしれない。
 しかし、現実目の前の現状を説明せざるを得ませんでした。
 
 少しの時間が過ぎてからご連絡をいただきました。
 今の年齢で下手をすれば自殺願望と疑われかねないところを、丁寧に聞いてくださる方がいらっしゃって、見積りを作っていただきました。万が一の時は家族に説明しておきましたと。
 
 それは予約でも、契約でもありませんでしたが、ご安心されたようです。
 でも、よかったですね。よい葬儀社さんにお会いできて。

火葬場に関するトラブルを追ってみると・・・。

 (4/3) 先日、富山県高岡市が建設した高岡斎場の一般利用が始まった日に、建設反対派の地元住民約30人が建物入口に座り込み、職員らと小競り合いになった際、反対派住民が入口窓ガラスを割ったとして器物損壊容疑で高岡署に現行犯逮捕されるという事件が起きてしまいました。
 反対派は「なぜこの土地にしたのか、十分な説明の無いまま着工された」と市に慰謝料支払いを求めていたと言います。 
 
 早速TBSラジオのトーク番組アクセスではこの件に関連して、地元に火葬場が建設された場合への是非を問いかけていました。
 結果約2対6で圧倒的に建設賛成派多数でしたが、ラジオを聴いている限りでは少し建前が前面に出て、切実感にとぼしいようにも感じられました。
 意見を述べられた方は逆に反対意見が多く、
 土地の表価格が下がり売れなくなるから人里離れた郊外に建設してほしい。
 施設が出来ると車の出入りが多くなるので安全面で受け入れられない。
 黒い服の方が多く集まると暗い印象が強い。
 昔からのイメージで煙突からの煙は生理的に受け入れられない等、感情論の中にも本音が見え隠れしているようでした。
 
 実際面として関東近辺でも新しく建設された火葬場は市街地からかなり離れた地域にあり、車での移動なくしては動きがとれないという箇所が多く見受けられます。
 最寄のバス停から15分程となっていても人里離れた山の中で、うっかりすると迷子になってしまいかねない危険性もあります。
 ご葬儀に行かれる方は地元の方ばかりではありませんので、あまりに遠方というのも不案内になってしまいます。
 
 さらに、遠方には新たな問題がはらんできそうな気配です。
 司会者の方も指摘されていましたが、「インフルエンザ・パンデミック」などで亡くなり一定区域を封鎖された場合、地域に火葬場がないと空き地を使って荼毘に付すしかなくなってしまう恐れがでてくるとのこと。
 感情論を飛び越えたところに強力な火種が隠れているようです。
 冷静な話し合いが課題です。

ご葬儀も祭壇、お料理、返礼品は故人の趣味趣向のものにこだわる兆しが出てきたようです。

 (3/28) 自身のご葬儀をイメージしご家族に託す方、また親御さんのご葬儀を前もって準備される方の中に、趣味趣向をよりはっきり打ち出してこられる方がでてきたようです。
 少し前までは、葬儀社の担当者にこのようにしたいというご要望を出し、担当者はできるだけご希望に沿うようにアドバイスされたりしてきましたが、最近ではご喪家自身の手によって準備される場合も出てきました。
 
 ご喪家主導型のご葬儀と言えば今までは市民葬のようにお値段を抑えることを目的にされることが多かったのですが、近頃は少し事情が異なってきています。

 さりとて時に見られる奇抜なイベント化されたご葬儀とも違うようです。 
 ご葬儀の儀式そのものは従来通りに執り行われます。
 違うところは祭壇やお食事、返礼品をご喪家の好みのものにする。
 葬儀社がご用意した中から選ぶのではなく、好きなものをご喪家自身が発注する。
 祭壇も生前好きだったお花を購入し、知り合いのお花屋さんにお願いするという。
 お料理も、返礼品も故人の好みに合ったものをお出ししておもてなしをしたいとのこと。
 
 結婚式と違い、ご葬儀は短期間に滞りなく終えるためにもいつの間にか葬儀社さん主導型になってしまいましたが、故人と繋がりの深いご葬儀にお見えになる方のためにも
ご喪家の意向をはっきり出す傾向がみられるようです。
 葬儀社が全て執り行うのではなく、あえて個を出せるところはご喪家自身の手でいきたいと。
 葬儀社サイドも柔軟な姿勢を見せはじめているようです。
 

季節の変り目と虫がしらせること

 「季節の変り目なのかなあ」
 このところ、以前事前相談をうけた依頼者の方から緊急の連絡が立て続けに入ってきます。

 依頼者からご相談を受けた時点ではまだ今のところ安定しておりますから、とか入退院を繰り返していますがまだ差し迫った話ではないのですが、と皆さん異口同音に話されていました。
 
 お送りした見積書の中から葬儀社や斎場を選び、気持ちの中で万が一の準備はされていても、ご本人の様子を見ているとまだ少し先の話と思われ、葬儀社の担当者との打ち合わせも後回しになっていらっしゃったようです。
 皆さん揃っておっしゃるには「まだ急ぐ状態ではないのですが、今のうちに詳しいお話をお伺いしたいので明日にでも担当者とお会いしたのですが・・・」
 しかし、担当者と連絡を取り、「ゆっくり打ち合わせを」と電話を切った後、一気に事態は急展開されてしまったようです。
 
 病院から緊急の呼び出しを受け、取る物も取りあえず駆けつけご臨終にやっと間に合ったご様子です。あれよあれよという状態です。
 それでも、葬儀社を決め、電話だけでもお話を伺っていたので助かりましたとのご報告。
 それにしても何というタイミング。
 昔から虫が知らせるとはいわれていますが、何か気配を感じるのでしょうか。
 同じような事態がこの1週間、立て続けに起きています。
 悪い予感は奇遇にすぎないと思いたいのですが。 
 これも春の嵐がなせる業なのか。
 
 

桜とお葬式

 今年も3月18日、東京の桜開花予想が発表されました。
 このところ、初夏を思わせるような陽気に桜も少々焦り気味で一気に蕾をつけたのでしょうか。
 それでも来週は寒の戻りがあり、開花はゆっくりとのことなので、あちこちお花見のはしごもできそうです。
 開花予想までして待ち焦がれる花は他には見当たりません。
 それだけに各人それぞれの思いが淡い桜色の中にしみ込んでいるようにも思われます。
 
 私事で恐縮ですが、昨年3回忌を済ませた母の葬儀の日のことです。
 雲ひとつ無い穏やかな春の日差しの中、葬儀・告別式が無事滞りなく終りました。
 火葬場へと向うバスの車中がいきなりフワッとした空気に包まれたのは、それからまもなくでした。
 何事かとあわてて窓の外を見ると、辺りは淡いピンク色一色です。
 一瞬、事態が飲み込めませんでした。
 どなたかの「あっ、桜だ」の声で我に返り、急に身体中が温かく感じられ、胸がいっぱいになったのが、昨日のように思い出されます。
 火葬場入口から玄関先までの満開の桜並木は、母の門出を迎えていただける希望のトンネルのようにも思われ、心の片隅でほっと安堵いたしました。
 
 桜の季節は巡ってきますが、あの日に観た桜は母の思い出と重なり、今でも特別な桜のように感じられます。
 

繰上げ初七日法要とは・・・。

 仏式ではお亡くなりになって7日目に初七日の法要が営まれます。
 ご葬儀が終るや否や再びお集まりいただくのも大変なので、ご葬儀当日、火葬後遺骨を祭壇に安置し、ご住職が還骨回向の読経され、そのまま繰上げ初七日法要に移行するのが通常とされてきました。
 ところが最近ではお寺さんの都合なのか、はたまた式場の都合なのか、まだ荼毘に付す前に初七日法要が営まれるケースが多く見受けられるようになってきました。
 葬儀・告別式の読経に続けておこなわれ、ご家族・ご親族のみのご焼香となります。
 
 初七日は霊が冥土に向って最初の関門になる三途の川を渡る裁判日とのこと。初めての裁判を前に心細い気持ちを助けるための供養の日です。
 それなのに、荼毘に付される前に供養されるのがなんとも腑に落ず、未だに違和感が付きまとっています。
 
 公営の斎場の中には次のご葬儀の準備の為に出棺の後は式場に戻れないところが多く、必然的に前倒しで行なわれ、どこかところてん式に追い出される感じは否めないようです。
 タイム・イズ・マネー、時間で物事が決められていく中、時間を外して見送り供養はできないものか。
 目の前のご葬儀に立ち会いながら、ふとそんな天の邪鬼な心が動きます。
 何時か観た、韓国のお葬式の映画のように・・・。