センターの事前ご相談フォームに寄せられる質問の中には「何処からどう手をつけてよいか、万が一の前に何をしておけばよいのか」。
また「マニュアル本を読んでも現実になった時、そのようにいくのだろうか。やり直しがきかないのにそれを聞く人もいない」と不安を訴えるご相談者が目につきます。
不安材料を抱えながらも事態はどんどん進行し、時間は待ってくれません。
でもご安心ください。
万が一の後は搬送から火葬終了まで全て、葬儀社が面倒を見てくれますから。そのためにも葬儀社選びが重要になってきます。
間に入るセンターの我々はさまざまなご要望を聞き、依頼者の立場にたって内容を整理して、見積りをご要望に沿った賛同社から取り、ご紹介します。
中にはまだご存命なのに葬儀の準備を始める罪悪感に悩まされる方もいらっしゃいます。
しかし、そういう方でもメールのやり取りをしていくうちにあらかじめ知っておくことがひいてはきちんと送ってあげることにつながるのだと思えるようにようになりましたと後述されています。
葬儀社が決まれば、後は安心したお気持ちで最後まで看取ることができます。
ある方は亡くなったお父様の看取りとご葬儀をご自分の中では「幸せな思い出」となっていることにきずかされたとまでおっしゃっています。
ご要望に合った葬儀社を決めることで、後は皆さん悔いが残らない用看病に専念されるようです。
「残された数日間は父を看取ることだけに気持ちを集中することができましたので、ご相談してよかった」とのご報告をいただきます。
こちらからもできるだけ看病に専念されますようお願い申し上げています。
投稿者: 松山
最期を看取るご家族間の意思の疎通が大切です。
最近は転勤などでご両親と離れて暮らし、挙げ句遠距離介護を余儀なくされるケースがふえていると聞きます。
覚悟はしていても 離れている分どうしても意思の疎通がおざなりになりがちのようです。
身近にいれば身の回りの変化に気づき、話し合うことも十分できますが、離れていると時間の経過との闘いになる最期は特に予期せぬことが多々出てきます。
先日も地方在住の方から、都内在住のお母様の死期が近づいていることを担当医から告げられ、ご葬儀の相談をセンターが受けました。
メールでのやり取りを始めたこの時点ではまだ切羽詰まった状態ではなかったのですが、半日後容態が急変され、お亡くなりになられたとの緊急電話をいただきました
。
すぐにご自宅地区の賛同社をご紹介し、まだ地方にいらっしゃる依頼者からご連絡をしていただき、病院に付き添っているお父様と連絡が取れ次第、搬送を何時にするか決める段取りになりました。
ところが、お父様との連絡がやっと取れた時点で、すでにお父様は病院付きの葬儀社さんとお話を済ませてしまっていたとのことです。
急変され、気が動転されてしまったところに、病院から葬儀社さんを紹介され、先方の言いなりになってしまわれたようです。
これから東京に向おうとされていた依頼者はショックのご様子。
仕方がありません。後はスムースに依頼者のご要望に添ったご葬儀ができることを
お祈りするのみになってしまいました。
ご家族が離れている場合は、今回のように急変されることも多々ありますので、前もってお互いに役割を決め、不謹慎と言わず、万が一の時はどのようにするかあいまいにせず決めておくことも大切です。
家族間の意志の疎通が、重要課題です。
「葬儀のことはお任せして、残り少ない時間は看取ることだけに気持ちを集中してください」
ご葬儀後、依頼者の方々から「事前にご相談していくうちに自分の気持ちがはっきりしてきて、残り少ない日々を看取ることだけに集中することができました」というご報告を頂きます。
我々、ご相談を受ける立場といたしましては、ホッと安堵する瞬間でもあります。
事前にご相談されるお立場はそれぞれですが、未知のことへの一抹の不安や中には自己嫌悪に陥りながらも無事やり遂げねばと気持ちを奮い立たせてご相談される方がほとんどです。
はじめどこからどのように手を付けてよいのやら、とおっしゃる方もメールやお電話でのやり取りで一つずつ不安や疑問を取り除き、安心して後は気持ちを残り少ない看護に集中させることができるようです。
やり直しはできません。後で悔いが残らないように精一杯の看病をして差し上げましょう。
頂いたお手紙にも限界が近づいてきて「もしかしたら」が頭をよぎりだしたが「その時」どうすればよいのか具体的に何も分らなかったので、まずは当センターに相談をされたとのこと。
しかし当初は看病しながら、葬儀の準備に入る行動に嫌悪感を覚え、悩みながらメールをやりとり始め、センターのホームページを読み込んでいくうちに、あらかじめ知っておくことがひいてはきちんと送ってあげることにつながるのだと思えるようになってきましたと書かれています。
メールでのご相談をやり取り中の方にも、予断を許さないが今少し安定していますとの報告を受け、思わずご葬儀の方は色々お伺いしましたのでご安心していただき、今はできるだけ看病に専念されるようお願いしてしまいました。
後悔しない為にも・・・。
市民の最期は明るく夢のある斎場で・・・。
6月1日から、実際には5月31日の通夜から南多摩斎場の式場がリニューアルオープンされるとのことです。
時には1週間先まで満杯状態という人気の高い斎場で、泣く泣く他の斎場を探された方も多いのでは。
会場も広くなり式場数も増えますので、少しは混雑緩和になれますか。
但し、新しいところでお見送りしたいといっても他のことと違ってこれだけは今から前もって予約するわけにはいきません。
オープン記念で予約を希望されても、先の予約がとれないものは世の中広しと言えどめったにあるものではありません。
市民のための斎場と名をうって公営斎場が全国津々浦々にありますが、実際に足を運んでみますとかなりの落差があるようです。
関東一円をざっと見渡しても、夢心地にさせられるような光のシャワーの回廊をゆくところから、老朽化が進み気持ちまで沈んでしまいがちな式場まで様々です。
お清め処に使われている控室に一歩足を踏み入れ、物置小屋のようなたたずまいに思わず立ち尽くしてしまったこともありました。
先日も築30年の市営斎場にご葬儀の立会いに伺いました。別棟の別館は老朽化がみられ、スチールパイプのイスで少々味気ないうえに式場は幕も張れないとのことでした。
葬儀社の担当者は入口や焼香台や受付に水引幕を張り、ご葬儀の雰囲気をなんとか出せたようです。
後に依頼者から頂いたアンケートでも古さを指摘され、前もって分っていれば別な会場にしたかったと言われ、やり直しのきかないご葬儀だけに市側の配慮がほしいところです。
ご葬儀では特にその場の雰囲気や空気が故人とともに後々まで思い返されます。
明るく、気持ちよいお見送りができる会場もご葬儀の大切な要素だと思います。
「葬儀代金の分割払いはお受けできません」
都内の火葬儀(直葬)に特化した葬儀社さんと、昨日、初面談しました。一般向けの資料に「葬儀代金の分割払い、後日払いに関しては一切お受けできません」という記述が目に留まりました。
こうした文言を明記せざるを得ない事情もよくわかります。
特に中小の葬儀社にとって葬儀代金の未回収は経営を揺さぶる大問題に直結します。未回収に至らなくても、ご喪家からお支払いしてもらうまでの期間が長くなれば、葬儀社は取引業者への支払いを先に立て替えているなど、資金繰りは悪化してしまいます。
これからの時代、未回収の管理はますます大事になってきます。どんな業界でもそうでしょうが、そもそも、債権回収と呼ばれるようになってしまった回収業務は気分のいいものでもありません。
当日支払う必要のある貸式場費や火葬料など喪家に直接現金でその場で支払ってもらい、立て替え金を少なくしたり、クレジット決済を導入するなど、葬儀社は、できるだけリスクを少なくしようとしたりしています。
逆に、喪家側からみますと、葬儀社によって精算方法も違いますので、確認しておくことも必要です。お布施以外全額を後日支払いでいいのか、それとも、当日現金払いの部分がどれくらいあり現金準備はどれほど必要なのか、クレジット決済はどの部分で可能なのか・・・などです。
ちなみに、当センターでこれまで紹介して施行した約1000件の中で、葬儀社さんが債権未回収になってしまったものが、自己破産などが理由で2件(火葬儀)ありました。
疎遠の親戚もご葬儀にだけは口を挟んでくる・・・。
地区の生活相談員をされている方から夜遅くお電話をいただきました。
9年前から生活面の面倒をみている方がお医者さんから後2ヶ月は難しい状態だとの報告を受けたので、前もってご葬儀のご相談をしたいとのことでした。
始めに気がかりだったのは、ずっとお世話をされていらっしゃるとはいえ、ご家族でもご親族でもない方が勝手にことを進めてよいものかということでした。
勿論ご相談者は先刻ご承知のことですが、そのことをあえてお尋ねしました。
少し離れたところにご兄弟が5人もいらっしゃるとのことですが、この9年間どなたも1度もお見えにならず、ご連絡もない状態とのこと。
先にお亡くなりになったおじいさんおばあさんのご葬儀の時もゴタゴタの末、相談者の方に押し付け尻ぬぐいさせられた苦い経験があるので、今回は前もって葬儀社の方をご紹介いただければということでした。事情が事情なので少しお話をお伺いいたしました。
県に管理してもらっている財産と呼べるものはほとんど底を突いている状態なので提示されたご予算は直葬に近い金額でした。
多少のお値引きはあるとしても、2日間のご葬儀には公営斎場を想定しても葬儀社さんに支払う金額の他に斎場費、火葬代、搬送代、飲食代、返礼品代、お布施代等がかかります。
こちらの一存では返答しかねますので、地域の賛同社と連絡を取ってからご返事することになりました。
人のいい賛同社の担当者は「東京と違って大丈夫ですよ。二つある公営斎場の常設祭壇のある方でしたらなんとかなります。業者さんではなくお食事も外部持込にすればいいですし・・・」
翌日、早速に指定されたお時間にお電話いたしました。
実はあれからご相談者も面倒をみている方のご親族にご連絡されたそうです。
ご親族からはご葬儀のことはお亡くなりになったあとでよいと素っ気ないご返事に相談者も困惑のご様子。
なにもしないで口だけ挟む典型のようなご親族のようです。
だけど何もしないわけにはいけません。
ご事情が目に浮びます。
あくまでご親族が優先ですので、見積りやいざとなった時の手配等の準備だけでもそっとぬかりなく。
「担当者に事情を話しておきましたから大丈夫ですよ。万が一の時でも分るようにしてありますから・・・」と申し伝えると、電話口の声も心なしか安堵のご様子でした。
家族葬の担当者にはおせっかい焼きのおばさんが最適・・・?
生まれたばかりの赤ちゃんを亡くされ、半年後に若いご夫婦から頂いたアンケートの「よく分らないことばかりだったので、葬儀社の担当者さんがよく相談にのってくれました。ややおせっかいくらいに親身になってくれました」と書かれた文面を見て、思わず頬が緩んできました。
電話口で報告を聞き苦笑している担当者には思わず「この調子でやってください。お願いしまーす」と連呼してしまいました。
ご葬儀の規模にもよりますが、昨今の家族葬のようなごく親しい方やお身内だけのご葬儀には特にこのおせっかい(?)が威力を発揮するように感じます。
儀式として格調高く静々と事を運ぶやり方には少々不向きかもしれませんが、暖かくお見送りしたい向きにはこのおば様パワーというか生活者の目が大きな役割を持ってくるように思われます。
ご葬儀の当事者は平常心では無い上に、初めて経験されることへの不安を抱え、それでも懸命にご喪家のお努めを果たそうとされています。
普段でしたら気がつくことでも、うっかりしてしまうことも多々でてきます。
先の赤ちゃんのご葬儀の時も、担当者は常に若いご夫婦から見える所にいてあげたとのこと。心細いご夫婦にとってはなによりも強い味方の出現です。
読経の間、柩から赤ちゃんを出して抱いていたいというお母さんのご要望もお身内だけだからとそっとOKをだして見守っていらしたようです。
以前のご葬儀で読経中のご住職の奥様が危篤状態との連絡が入りました。
担当者は出棺間際に喪主にそっと耳打ちして了解をとりました。
「生きている方が優先ですので、釜前の読経は省いてご住職を奥様のそばに行かせてあげてください」
細やかな心遣いでは「遺影写真とともに故人が書き残した直筆のメッセージをお渡ししたところ、会葬礼状の最後に印刷して頂き、原本は額に入れて安置所にかざってくれました。故人を大切に考えてくださっているお気持ちが伝わり、思わずまた涙を流しました」
「スタッフが心を一つにして行き届いた対応をしてくださったこともすばらしく、女性らしい温かみやきめ細やかな工夫が随所に感じられました。」
いずれの担当者も家庭の生活者として長年の経験を積んだ女性ばかりです。
儀式とはいえ家庭生活の延長上にあるご葬儀にはおせっかい焼きのおば様パワーが意外な力を発揮しているようです。
等身大のスターの死に自分の最期を想う中高年。
テレビのスイッチを入れた途端に大音響の歌が流れてきました。
2日にお亡くなりになったロック歌手忌野清志郎さんのご葬儀の模様をテレビ各局一斉に映し出していました。
ロックコンサートさながらのライブ盤が読経代わりに流された密葬は、無宗教葬の献花形式で執り行われたと報じられています。
遺影を囲んだ生花は赤色を基調にした華やかな色合いだが、どんと落着いた雰囲気も漂わせ、強い意志を秘めた遺影と歌をさらに引き立てているようにも感じられます。
清志郎さんの意思をくみ、引き継いだロック葬は単にスターのご葬儀というだけではなく、これからのご葬儀を考えさせる要因をも含んでいるようです。
1ロック歌手の死というニュースだけではなく、ラヂオでは音楽と共に一般の人達の反響を取り入れた番組も組まれていました。
多くの方が、ファンとしての悲しみと同時に、自分自身のこととしても考えていらしたようです。
歌を通して清志郎さん自身の生き方に共鳴し、影響を受けてきた人たちが若者から中高年に至るまで、皆さん一様にドスンと胸に響き、改めて自分の生き方を問われたように感じられた方も多かったと思われます。
そんなところが今までの大スターとの別れとは違うところかもしれません。
ある方は、清志郎さん自身が何かのシンボルになるのを避けた方という表現をされていました。
ファンと等身大で歩き続けたスターの突然の死は、ファンにとって長年連れ添った相棒を失ったように感じられ、憔悴感もひときわのようですが、同時に自分自身の意思をもって、最期をどのようにして迎えるか、またどうしたいのかを考える機会を与えてくれたようでもあります。
市民以外の方は市営斎場お断り・・・?
先日、町田在住の方から頂いたお便りの中に「かなり待って南多摩斎場でのご葬儀が終ったが、高齢のご親戚の方々がお見えになるのに、場所が不便で難儀しました。場所としてはむしろ相模市営斎場の方が近くて便利だけれど、市外の者は使用できないのか」とのお問い合わせがありました。
お住まいの場所によっては確かにお隣の市営斎場の方が、はるかに近く、しかも便がよいところにある方もいらっしゃいます。
しかし、市営斎場は市民の方々の税でつくられた斎場である以上、市民最優先が前提になってしまいます。
使用料も市民と市民以外の方では倍あるいは数倍も掛かり、火葬代にいたっては10倍というところまであります。
それでも葬儀費用全体から見れば抑えられた金額なので、多少のお金を払ってもより近くて交通の便が良い方の斎場にと目が向いてしまいがち。
そこで、さらにふるいに掛けるべく次なる案が出てきます。
時間差攻撃です。
相模原市営斎場の場合を例に取りますと、通夜当日の午後3時までに市民の申込みがない場合に限り市外の方を受け付けるというものです。
午後3時というのは葬儀社が通夜のセッティッグを始める時間帯です。
現実それから発注に取り掛かり通夜に間に合わせるには少々むりがあります。さらに、市民の申込みは多く、4~5日は待たされるとのこと。現実無理な話です。
その他同じように横浜市、立川市等も、ぎりぎりまで市民の味方で、実質市民以外の方の締めだしともとれなくはないようです。
一方で、逆のケースもまれに見受けられます。例えば、かわさき南部斎苑などは市外の横浜市鶴見区近辺の方はよく利用されるようです。
市外扱いでも民営斎場使用の場合よりも費用が抑えられ、火葬場併設で移動がないメリットが交通の便のデメリットを上回っているようです。
これから益々会葬される方も高齢化を迎え、少しでも行きやすい斎場を希望され、その一方で、住宅地区での火葬場建築反対運動が各地で起きていると伺います。
ただ単に忌み嫌うのではなく、死について考え直すよいきっかけになるかもしれません。
家族だけでなく、お別れしたい人の気持ちもくんであげることが大切では・・・。
ご家族だけで静かに見送りたい。特に都会のご高齢者の場合はそれが顕著のようです。
ご本人の意思にご家族も同意され、ひっそりとお見送りする。
これも一つの方法です。
しかし、ご葬儀が終った後、日が経つにつれ、残された者は果たしてこれでよかったのかどうかと揺れ動くのも事実です。
やり直しがきかない以上、自分に納得させる以外に方法はないようです。
覚悟を決めなければいけない時期に差し掛かり、見舞いながらご葬儀の準備をする二律背反の行動に悩みながらも、前もって知っておくことが、ひいてはお父様をきちんとお送りすることができると納得された方からお便りを頂きました。
お父様からはご家族だけでと申し渡されていましたが、最後の決断は親しかった方皆様にお出でいただくことになりました。
見積りの段階でも揺れ動くお気持ちを隠さずお話され、納得のいく形を模索し結論をとお考えのようでしたが、死はある日唐突にやってきます。
色々な思いが一気に吹き飛んでしまいます。それでも、思考錯誤されてきたことが土台となっています。
その一つが、当センターのホームページに書かれていた「おまいりしたい人の気持ちをくんであげるのも・・・」の言葉だったそうです。
お父様はお母様のことをご心配され、ご家族でということを強調されていらしたが、
長年のお友達、親しかったご親戚の方々、皆様それぞれの思いがあります。ひょっとしてご家族以上のものがあるかもしれません。お別れしたい人の思いを、ご家族という名のもとで断ち切っていいものか。悩み、そして英断されました。皆様に来ていただくことに。
今回「残された家族がどれだけ気持ちに余力を持っていられるか否か」で参りたい人の気持ちを受け止められるかが決まると実感されたそうです。
お便りを読みながら、思わず「よかった」と我がことのように安堵いたしました。