久しぶりのお墓参りや新盆で大忙しのお盆も終って、皆さん再び都会の雑踏に戻っていらっしゃいましたが、昨今、その菩提寺とのトラブルを耳にすることが多くなってきました。
それもご葬儀を機に不満が頂点に達してしまい、双方気まずい雰囲気になってしまうケースがよく聞かれます。
どちらかといえば古くからの檀家の方よりも、あたらしくお墓を買われた方や、1代前に買われた方からの不満の声の方が大きいようです。
原因はそれぞれですが、古くからの檀家の方は昔からの家中心で、代々の墓を守る体制ができていますので、多少のことは目をつぶれます。
しかし、新しい方は現在の菩提寺とのかかわりを重視するため、意見が合う合わないがトラブルの一因になってしまい、ご住職との相性が問題視されてしまっているように思われます。
そのために、半永久的と思われていた菩提寺と檀家の関係も流動的になってきているようです。
お寺サイドもそれを見通してか最近はお客様のニーズに応えるような積極性を見せ始めています。
少子化やシングルライフの傾向に合わせるように永代供養形式の合同墓ができると、永代供養の限度の33回忌もご夫婦の後から来た方の33回忌に合わせて合葬するようにしたり、分骨でもお預かりしたり、宗派は問わず無宗教でも受け付けたりときめ細かな対応がされるようになってきています。
生活様式も各人各様、お墓の選択はその方の生き方にかかってくる時代になっていくのでしょうか。
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葬儀にまつわることを織り交ぜながら担当者の日常模様が描かれています。
一時的に栄えて消えてゆく葬儀社
現状、葬儀社をやるのに行政庁による許認可は必要ありません。それゆえ、明日から誰でも葬儀社をやろうと思えば葬儀社を始めることができます。 特に都心部では、新しく葬儀社ができたり、消えていったり、出入りも激しくなっていて、葬儀社の数を正確に把握するのさえ困難です。
余計なお世話ながら、さらには、他人事ではないので(否、他人事ではないからこそ)、私は、どういった会社が長続きしないのかということに大いに興味を覚えています。
京セラの創業者である稲盛和夫氏であれば、仕事の結果=考え方×熱意×能力、という方程式に照らし合わせて、熱意と能力があっても、考え方が間違っていれば没落していくと喝破されるでありましょう。
どういう考え方が間違っているのかの本質的なことは、稲盛氏の本を読んでもらうしかありませんが、他業界にない葬儀業界に特有とでもゆうべきこととして、私が思っているのは、生活者(消費者)をばかにしているところは、ダメだろうなということがあります。
たとえば、ばかにする意識はホームページの表現でみると大体わかる感じがします。誤解を与える表現や、誇大表現、情報を手前勝手に解釈したりしています。生活者が葬儀については何もわからない素人だということを前提にして軽く見ているわけです。葬儀の情報は、たとえば自動車や住宅、家電のように楽しみを伴って自ら進んでどんどん情報を得てやろうと思うような類でないという葬儀業界特有な背景です。
しかしながら、リンカーンの言葉に、「すべての人を一時的にだましておくことはできるし、一部の人をいつまでもだましておくこともできる。しかし、すべての人をいつまでもだまし続けることはできない」というのがあるそうです。うなずくばかりです。
菩提寺ってなんですか・・・。
「ホームページに載っている寺院会館のお寺の信徒なんで、義父の葬儀はそちらでお願いしたいのですが、いざという時には葬儀社をご紹介してくれますか」
まだ奥様には内密にそっと打診をされたとのことでした。
その寺院会館は以前葬儀の立会いに伺い、お寺のご住職には色々と取材させて頂いたことがありましたので、説明するこちらもつい力が入ってしまいました。
我々はお話をお伺いする時によく「菩提寺はございますか」と、お聞きする場合がありますが、とっさに何のことか分らない方も多いようです。
そんな場合は簡単に、先祖代々のお墓があって、法要をされるお寺のことと前置き説明をして、ご理解いただいております。
ご葬儀に関しては菩提寺を無視しては何事も始まりません。
菩提寺があれば、そちらの壇信徒としての役割があります。
まずは菩提寺にお伺いを立てて、ご指示を仰ぎます。
壇信徒とはそれぞれ檀家と信徒のことで、通常檀家はそのお寺にお墓をもっている家のことをさし、信徒はそのお寺にお墓はないけれど、信者で葬儀や法事をお任せする人のことをいう場合が多いようです。
お寺が所有している会館には檀信徒のみ使用できる壇信徒会館と宗派を問わない会館がありますが、お電話頂いた会館も壇信徒のみ使用になっています。
「信徒であればこちらが初めての方でもお貸しします」とのことでした。但し、読経はご住職がなさいます。
異国で自害された場合の手続きは・・・・。
[身近な人が亡くなって・・・。自殺なんですが・・・。同僚の韓国の方なんですが・・・。ご遺体は今警察の方に保管されていて、夕方6時には韓国からご両親が到着する予定なんですがどうすればよろしいでしょうか。」
電話の主は途方に暮れたような声で、これから先何をどうしてよいかわからない不安でいっぱいのご様子を話されました。
どんなご事情があれ、異国の地で若い命を絶たれてしまわれた息子さんを迎えにいらっしゃるご両親の立場を思うと、思わずこちらも言葉に詰まってしまいます。
平静を装いながらお話をお伺いすると、死後の時間が経過していて、すでに警察の検死も済んでいるのでご両親とお会いになったらできるだけ早く荼毘に付すことになりそうです。
ご紹介した葬儀社ではもしご両親のご意見如何でご遺体をどうしてもお連れしたいとならば、移送専門の方をご紹介しますからとのことでした。
ご両親とのご相談の結果、翌朝一番の火葬になりました。
荼毘に付されたご遺骨を抱いてご両親は無念の帰国となったようです。
国際化に伴い外国への行き来はごく当たり前になって、国内の延長のようになっています。自害だけではなく、自分だけは大丈夫といっても何時何処でどんな事件に巻き込まれ命を絶たされるかもしれません。
今回のように日本で外国の方が亡くなられた場合は、まず始めに、ご遺族にご遺体の処理方法(火葬か土葬)を確認します。
ご遺体を移送する場合は移送国によってはご遺体をエンバーミング(防腐処理)して送る場合もあります。
日本はこのエンバーミング処理が復旧していないので、費用の面も含めて火葬をお勧めすることが多いようです。
火葬の場合は死亡診断書を2通、1通は死亡地の役所に提出、埋火葬許可証を受け、もう1通は領事館に提出。
ご遺体を移送する場合は、死亡診断書1通は領事館、1通は遺体処理する病院に。
また、領事館員立会いの元にご遺体の納棺梱包をします。
航空機の手配をして、遺体移送は貨物扱いになります。
移送の場合は航空貨物運送会社が手続きを代行します。
家族全員集合写真は柩に入れないで・・・。
「ビニール製ハンドバッグ、靴、寝具、釣竿、ゴルフクラブ、テニスラケット、めがね、大きなおもちゃ、びん缶類、ガラス製品、プラスチック製品、貴金属、スプレー、ガスライター、辞書、携帯電話、CDプレイヤー、果物等々」
書き出したのは、引越し用荷物ではありません。
柩に入れてはいけないものを各火葬場のパンフレットから拾ってみました。
ご遺体と一緒に火葬されるためには焼け残ったり、ご遺骨にくっついてしまっては大変です。また現在では環境への汚染源での一つ、ダイオキシン類に注意する必要があります。
そんなこんなで柩に納めるものも大分限定されてしまったようです。
せめて「故人の愛用品を柩と共に」ということも、かなわぬ夢となってしまいました。
それでも生前愛用されたお着物や友人からの寄せ書き、写真、など思い出の品がお花と一緒に入れられます。
少し前、長患いの末にお亡くなりになられた方は病室に代わる代わる訪れたお孫さんたちの手で千羽鶴が折られ、その千羽鶴がお孫さんの手で納められ、最後までお孫さんたち全員15名に囲まれての旅立ちになりました。
また、同じような柩にいれる折鶴でも、葬儀社の方でご用意する折鶴もあります。
当センターの賛同社の中には最後のお別れ花の代わりにしている社があります。
担当者いわく、「最近は通夜の会葬者が増え、明日の葬儀に来れないから今日お別れしたいという方のために、祭壇のお花が切れないので、お花の代わりに折鶴を差し上げています」とのことでした。一方で、できるだけ経費を抑えようとして祭壇を造花祭壇にしている方のためには、生花に代わり、色とりどりの折鶴で柩を埋める場合もあるそうです。
カラフルな折鶴はお花とは違ったインパクトをもって迫って来るようです。
先日のご葬儀では写真を柩に入れようとして、ベテラン担当者から待ったがかかってしまいました。
お花入れが始まってまもなくご遺族は家族全員で撮った写真が自家用車の中だと気づき、慌てて取りに行こうとしましたが、「集合写真はひっぱられるから柩に入れないでください」と云われ残念ながら入れるのを見送ったとのことです。
昔からの言い伝えには逆らえません。皆さんまだまだ現世に未練がありますから。
永代供養の合同墓がトレンドになる予感は・・・
最近とみにご葬儀後の相談を希望される方が増えて来ています。
中でもお墓に関する問題を多く耳にします。
面倒なことは後回しにとされてきたものが、急に現実みを帯びて慌てて相談されるようです。
菩提寺があり、納骨もスムースに行かれる方は別にして、都会ではお墓を持つ計画も立っていない方が大勢いるというよりは益々その傾向にあるようです。
お墓を持たない理由も様々です。お子さんがいないご家庭、いても一人娘で結婚し家を出て行かれたご家庭、離婚されれた方、結婚されていない方、お子さんに負担をかけたくない方、家族とは別に自分だけのお墓に入りたい方、お寺とはかかわりを持ちたくない方等々。
お寺サイドもお子さんのいない方は供養ができないからとお断りするようで、お墓離れに拍車がかかってきたと思いきや、最近は合同墓の永代供養墓がにわかに脚光を浴び始めています。
かっての合同墓は身寄りがない方をまとめて供養するというマイナスイメージの強いものでしたが、より積極的に安価で周りに気兼ねすることがないという現代生活にあった供養の選択肢として見直されているようです。
合同墓といっても、様々な形態があり、最初から不特定多数の方とご一緒する場合と一体ずつ納骨され数十年後にご一緒される場合、また何年たってもずっと一体のままの場合があり、さらに気の合った友人と一緒に入ることができたりと生活にマッチした供養の仕方が日々さらに検討されているようです。
そんな積極的な合同墓の話題が先日新聞に取り上げられていました。家族に頼らない女性の生き方を応援するNPO法人「SSSネットワーク」の活動の一環として、自分らしく今を生きる女性の落ち着き先を共同墓に見いだし応援していました。
10年、20年先従来のお墓の概念も様変わりし、合同墓が当たり前の時代が来るかもしれない。そんな予感さえも感じさせる昨今です。
葬儀を迎える朝、一番落ち着くのはお寺の境内・・・?
ご喪家として葬儀の朝は一番心乱れる時でもあります。
泣いてもわめいても時間は刻一刻と過ぎて行きます。今日を限りの今生のお別れです。
そんな中でも、できるだけ平常心でこれから続く葬儀・告別式をつつがなく進行させなければなりません。
ご葬儀当日の気持ちの整理が重要なポイントになり、そのためには朝早く葬議場にあたふた駆けつけるよりも、通夜の晩一晩ご一緒され、気持を落ち着かせ、最後の朝を迎えるのも一案だと思います。
ご喪家側のご要望としても通夜の仮宿泊はゆっくりできるかどうかが決めてになるようです。
宿泊施設の完備面もありますが、実際にお泊り頂いて好評か否かはたぶんにメンタルな面に落ち着きます。
特にお寺の境内にある斎場は心の落ち着ける場所としても独特の雰囲気を持っていて、境内の持つ空間が、広さだけではないものを感じさせるようです。
先日もお寺の境内にある1階が式場2階が和室30畳ほどのお清めどころ兼親族控室になっているこぢんまりした会館でしたが、泊まられたご喪家からも大いに感謝されました。
1人息子さんでお亡くなりになられたお父様との絆が強く、現実を気持ちの中でなかなか受け入れにくい状態のまま通夜を迎えてしまわれたようです。
泊まられた会館は1ご喪家のみの使用になりますので、「ゆったりした静かな雰囲気の中で、故人を囲み思い出を家族皆で語り合い、朝早く境内を散策して行くうち次第に気持ちの整理もでき、ご葬儀への気持ちの決心が付きました」とおっしゃっていたのが印象的でした。
最後の夜をせめて家族全員で過ごせたら・・・。
久しぶりに昔の仲間が勢揃いして、故人の思い出話に花が咲き、佳境に入った頃、無常にも葬儀社の担当者はお開きを申し渡さなければいけない。
通夜ぶるまいも夜8時半までにはお開きにしなければ、後片付けが間に合わなくなってしまう、という現実が待ち構えています。
お葬式も自宅以外で執り行われるようになると、貸す側の式場も時間の管理が厳しくなり、防犯・防火対策上にも9時までに全て終了し、閉門するところが大半になってしまいました。
それに伴って、本来一晩中灯されていた蝋燭の火もお線香も、9時以降は御法度になってしまい、通夜の仮宿泊も侭ならない式場も多く、その傾向はお寺が管理している斎場に顕著のようです。
「お疲れですからご家族の皆さんご自宅にお帰りになりますよ」と言われますが、本音のところはどうでしょうか。
都会を中心に家族葬が増えている現状で、家族の絆の拠り所として、最後の夜を皆さんで一緒に過ごしたい、というご要望も増えてきています。
永い入院生活の果て、ご自宅へも戻れず、せめて最後を心置きなくご一緒できたらという思いのご家族も多いと思います。
先日は幼いお孫さんを含めたご家族皆さんで通夜の夜を過ごしたいからと、急遽お泊りができる斎場に変更されたご喪家もいらっしゃいました。
またお疲れのお母様を帰して、3人の兄弟が初めてお父様を囲んで一晩中語り明かしたというご喪家もいらっしゃいました。
2度とない機会のためにも一晩開放してくれる斎場が増えてほしいところです。
特に、広い和室を持つお寺さんにお願いしたいものです。
葬儀社と斎場と火葬場の関係
あさがお葬儀社紹介センターのブログをご閲覧頂き、ありがとうございます。
http://www.asagao.or.jp/support/kankei.html
当センターのホームページ内に「葬儀社と斎場と火葬場の関係」ページがあります。
葬儀社、斎場、火葬場という言葉がホームページ内によく出てきますが、その関係がいま一つ整理されていなくわからない方が多いと思います。
このページを読まれれば、互いの関係がわかってくると思います。
ぜひ目を通されてください。
お布施と葬儀後の相談との関係は・・・?
都会のご葬儀では依頼に応じて葬儀社の方でご住職の手配をするのがごく自然な成り行きのようになってきました。
60年代から70年代の高度成長期にかけて田舎から出てきた若者も定年を迎える
年代に突入し、年老いた田舎の両親を都会に呼び寄せ、最後を看取る必要に迫られています。実家は長男が継ぎ、次男のお父様は実家の菩提寺に入るわけにはいかないという方もいらっしゃいます。
まして、遠い実家の菩提寺からは、よほどのことがなければご住職がわざわざ出向く確率はすくない。
「そちらはそちらでどうぞ」ということになれば、不安は募るばかりです。
最近「葬儀後の相談にも乗ってくれますか」という問い合わせが顕著になってきたようです。
その一方で依頼者側はさらにご葬儀のお布施をできるだけ安くと求めてきます。
お布施はお寺により、宗派により様々で、一概に言えませんが葬儀社の担当者はそれぞれ大方の基準を持っています。ところが最近はこの足並みが少し崩れてきているようにも思われます。
これは格安で通夜、葬儀告別式の読経のみを受け持つお坊さんの派遣業が増えてきたのも一因でしょうか。
但し、こちらの派遣される僧侶の方はお寺を持っているご住職ではないので葬儀後の相談は難しい状況にあります。
格安のお布施と葬儀後のご相談、どちらも切実な問題です。双方をバランスよく持って行く方法を考えることも、これからのご葬儀のあり方を問うきっかけになるのではと思いますが・・・。