大きな被害になりませんように。

 関東地域に大型の台風が近づいてきているとか。かなり大型で強い勢力の台風だそうで、このクラスの台風は2002年に関東に上陸した以来だとテレビで見ました。
 2002年の台風についてはどのような状態だったのかさえ思い出せず、過去の経験が全く活かされていませんが、前回の台風のときにベランダにあった飛ばされそうなものは下におろしたままなので、台風のシーズンが終わるまでそのままにしておこうと思います。

 関東では今晩から明日の午前中がピークと言われていますが、幸いにも明日は友引なので、今日のお通夜、明日の告別式でご葬儀が行われるのは、友引の日にも火葬に対応しているごく一部の火葬場だけです。
 ただ、明日のご出棺を予定されている方もいらっしゃると思うので、くれぐれもお気お付けいただきたいと思います。

 テレビのワイドショーや報道番組では、昨日から台風の話題を流しています。台風の通過地域での被害なども予想されていますが、大きな被害につながりませんよう、祈るばかりです。

広い気持ちで…。

 子供さんの小さかった頃の思い出のもの、どうされていますか?

 
 先日、友人との会話でこんな話題がでました。
その友人の子供さんは中学生です。赤ちゃんの頃に着せていたお気に入りの服や、幼稚園の制服、通園バッグ、小学校のランドセルや校帽、図工の作品や絵画など、全部保管しているとのこと。それらを入れる箱に自分の手で布を貼り、可愛くしてとっておきたいのだそうです。
 子供の思い出の品に自分が手を加えたものを、子供が大人になったら渡してあげようと思っているとのことでした。

 もう一人の友人は、子供の一人は社会人、もう一人は大学生と、もうすっかり子育てが終わっています。その友人は、昨年、「断捨離」と言って、庭の物置小屋を徹底的に整理したそうなのですが、子供たちが小さい時に遊んでいた三輪車やなわとび、ボールなどが奥から出てきて、処分するかどうか、一瞬迷って、結局「これを見せられても子供はきっとなんとも思わないだろう」と処分したそうです。
 この友人は、とりあえずかさばらないものだけ、とっておいてあるけれど、それを子供に渡すかどうかはわからないと言っていました。

 そして、私は、基本的には写真を撮って現物は処分しています。賞状なども。
 私の両親は、私の子供の頃のものを押し入れの奥の方に入れて保管していたのですが、ここ数年、少し片付けをして出てくるたびに、それらのものを私の所に持ってくるのです。写真などならいいのですが、ランドセルや賞状などは持ってこられても…と思ってしまうのです。もちろん、「懐かしいでしょ」という意味で持ってきてくれるので、ありがたい気持ちもあるのですが、これも困りものだと思いました。
 私の場合、子どもが小さかったころの思い出は、親が「あの頃」を思い出して懐かしむためのものだと思っています。
 将来、娘に渡すであろうものは、ハードディスクの中にあります。しかし、壊れたらおしまいという、とても危険なものであることと、将来、それを見ることができるハードがあるのかという微妙なものであることは間違いないので、少し落ち着いたら厳選してプリントしておこうと思っています。(見入ってしまって作業が進まない気がしますが…)

 たったの三人でも、考え方や、やり方は様々なのですから、百人いれば百種類の考え方があるのだと思います。
 ご葬儀においては、それぞれのご家族の考え方が特に表れる部分だと思っていますので、もっと広い気持ちで対応できるように心がけていかなくてはと、あらためて感じました。

お墓参り

まだまだ強い日差しが照りつけていますが、だいぶ秋らしくなってまいりました。

 昨日、久しぶりに会った友人いわく、「こっちは暑さでうっかり忘れていたのに、お寺の脇を通ったら彼岸花が律儀に咲いていたわ。昨今の季節の変動にもめげず、体内時計でも持っているのかしら。お彼岸を忘れないのね」。

 明後日は早くも秋分の日です。
 皆さん、お墓参りはしていらっしゃいますか。

 春、秋のお彼岸とお盆のお墓参りは、日頃ご無沙汰をしているご先祖様の御霊の供養から、先に逝かれたご両親への近況報告まで、お参りの目的も人それぞれでしょうが、お参りすることでひとときでも心安らぐこと請け合いです。

 私事ですが、来月早々には父の13回忌が営まれる予定でおります。
 お彼岸から半月遅れのお墓参りになりますが、久しぶりのお墓参りを前に、小学生が書いたという句が思い出されます。

 「天国はもう秋ですかお父さん」
 思わず懐かしさがこみ上げてきました。

 一方でお墓の問題はお受けするご葬儀のご相談でも、時としてご葬儀以上に悩まれるケースが見受けられます。
 
 先日もお受けした事後のご相談で、ご相談者はご両親のお墓を九州のご実家の菩提寺ではなく、これからはご自分達がお墓参りしやすいように、東京近郊にお墓を求めようと、九州からお見えになられたご親族の皆様にお話をきりだしたことから、話がこじれ、険悪なムードの中ご葬儀を執り行うはめになり、間に入った葬儀社の担当者は、平穏無事にご葬儀を終らせることに四苦八苦されたとのお話を伺いました。

 遠く離れているために、普段の話し合いがなく、いきなりのお話で、双方とも主張を譲らずという形になっているようです。
 担当者としては、取り立てて49日に納骨する必要はありませんので、じっくりご相談され、ご納得いただいてから、ご連絡いただければいつでもお墓のご相談も承りますと申し上げているのですがとのことでした。

台風にお気を付け下さい。

 16日は敬老の日ということで、午前中に実家へ行って、軽くお祝をしてこようと思っていたのですが、台風が上陸するかもしれないということで急遽取り止めになりました。

 このような行事なら、簡単に取り止めや延期をすることができますが、これがご葬儀となると、当然、止めることはできませんし、日程の変更なども、火葬場やご僧侶の都合などを考えると調整が難しくなります。

 明日は友引の前日なので、通夜はやらないところが多いと思いますが、台風の上陸は日中と聞いています。ご葬儀をされる方は多いことと思いますので、ご喪家の方、ご参列される方は十分にお気をつけ下さい。

 ご喪家の方と同様に、葬儀社さんもとても心配されていることでしょう。必要以上の準備をされているのではないでしょうか。  

 明日、ご葬儀をされるご喪家の方、また、ご葬儀に関係される方々が無事にご葬儀を終えられますよう、祈るのみです。

高齢社会とパラリンピック

  このところ、日本中がオリンピック一色に塗りつぶされたかのような騒ぎが続いています。

 あの日あの時、前日の雨が上がり、日光・戦場ヶ原はどこまでも続く青空と静寂な空気に包まれていました。
 丁度、東京オリンピックの開会式のファンファーレが高らかに鳴り響いている時刻でした。
 オリンピックに沸き立つ東京とスポコン精神に違和感を覚え、原っぱの真ん中でキャンバスに向かい、無心に絵筆を動かしていた当時が懐かしく思い出されます。

 報道を見ている限りにおいて、オリンピック騒動は以前と同様ですが、前回と違い、今回はパラリンピックの存在がクローズアップされてくるような気がします。
 これを機に日本でも一般的に定着してくれるのではと、期待が持てそうです。
 ニュースでは早くも「車いす陸上競技部」を設立する企業の名前も、上がっているとのこと。
 障害者に優しい社会は大いに歓迎です。
 
 また、車椅子はパラリンピックだけではなく、これからの高齢社会にも重要な存在です。
 高齢者に優しい社会をと言われ、車椅子での往来が可能なバリアフリーの重要性が叫ばれながらも、一般社会への浸透振りに今ひとつ実感が伴わないもどかしさがありましたが、パラリンピックを機に大いに浸透してくれるのではと期待が膨らんできました。

 昨今ではご葬儀の式場選びでも、バリアフリーが重要なポイントの一つになってきました。
 ご家族・ご親族や親しい友人を中心としたご葬儀では、長年の友との最後のお別れを希望されるご高齢者の方々が年々増えてきています。
 必然的に車椅子のご利用も多くなり、関心も高まっては来ていますが、なかなか普遍的になり難いのが実情でした。

 車椅子と言えば15年ほど前、ドイツ・ワイマールの小さなスーパーマーケットでの出来事が思い出されます。
 買い物をしていると、車椅子のおじさんが突然あれを取ってくれと合図を送ってきました。
 その指示の仕方が余りに自然で、気がつくとおじさんの脇で、一緒に買い物をしていました。
 日本ですと、車椅子の方だからやってあげなくてはという意識が先に働いてしまいますが、余りに自然な受け取りに我ながらびっくりしたものでした。

 以来、日本にもこんな社会が来るのだろうかと半信半疑でしたが、やっとチャンス到来の兆しが見えてきたようです。

暑い日が続きますが・・・。

 8月が終わると秋の気分になりたいところですが、まだまだ暑さは続きそうで、秋が来るのが待ち遠しい時期です。

 気温は夏と変わらないのに、夏の装いに抵抗を感じるので、これからしばらくは着るものを選ぶのにも苦労します。
以前は季節の変わり目も毎年同じ時期にきちんと変わっていたような気がしますが、ここ数年、暑さも寒さも少しずつずれこんでいて、調整するのが難しい。
 デパートなどのクールビズの期間は、今年は10月31日までだとか。10月に入ればさすがに過ごしやすくなっているとは思いますが、それまではユニフォームなどは夏仕様のままということなのでしょうか。

 これから少しずつ過ごしやすくなってくると思いますが、仕事でジャケットを着用しなくてはならない方たちはもう少しの間、頑張らなくては・・・。
 鈴虫の鳴き声を聞くのが待ち遠しいです。

 子供の夏休みも明日で終わり。朝のお弁当作りから一日が始まる日常に切り替えです。

めぐりくる時間を大切に。

  いつもは夕方の買い物客で賑わう商店街もシャッターを下ろしているところが多く、早くも今日からお盆休みに突入したのか 心なし東京の街中も静かに感じられます。

 8月の旧盆も明日から始まりますが、地域によっては今日が盆の入りのところもあるようです。

 今年は天候が荒れ模様で、今日も夕方から東京地方は凄まじい雷雨に見舞われ、せっかくお見えになられたご先祖様もさぞかし戸惑われたことでしょう。
 ご先祖様をお迎えする迎え火も雷雨の前にはかき消されてしまいましたが、無事ご実家にたどり着きましたでしょうか。

 ご先祖様の中でも今年初めてお盆を過ごされる方もいらっしゃると思いますが、新盆と呼ばれ別格で、ご葬儀にご出席いただいた方々から再び大いに歓待されることとなります。

 当方の実家のある遠州地方での新盆は第2のお葬式とまで呼ばれ、盆の入りから出までの4日間で、百人単位の方々が新盆のお宅に次々とご挨拶にお見えになりますので、この間家人は息つく暇もないないほどの忙しさを体験させられます。

 また、同時に盆供養も盛大に行われ、子供の頃見た、通称「とったか」と呼ばれる遠州大念仏は、新盆のお宅の庭先で披露され、花笠を背にした30人余りの男衆が勇壮活発に太鼓を打ち鳴らし、笛の音にあわせて念仏や歌枕を唱和する姿は数十年経った今も脳裏に焼きついています。

 お亡くなりになられたことはとり返しがつきませんが、私達日本人はめぐりくる時間を大切にしており、命日と共にお盆になったら戻っていらっしゃることを心のより所にしております。

 少し慌しい新盆になりますが、懐かしいお顔にきっとお会いできることと存じます。

そろそろお盆。

 お盆の時期が近づいてきました。
 昨年からお墓の引っ越しを考えはじめ、少しずつ話しは進んでいるものの、なかなか行動に移すことができない状況で、まだその時期ではないのかなと思い始めました。    今年のお盆は家族それぞれ個々の予定が入っていることや、休みの日が微妙にずれていることから日程を合わせることが難しく、やっぱり近い所の方が…と思うのですが、なかなか思うようにいかないものです。  お散歩がてら、高齢の親が一人でも行ける距離が理想なのですが。  実家の父は、もう次の自動車免許の更新をしないつもりでいるようで、そうなるとますますお墓参りに行くのが難しくなってくることでしょう。  我が家(実家)の場合、次の世代にお墓を継承してもらうことができないという問題もあり、永代供養墓でもいいのではとの話しもでてきました。  いずれにしても、動かなくてはいけないのは、嫁に出てしまっているとはいえ、長女である私のようです。  今まで、のほほんとしすぎていました。  おそらく、その時期がくれば流れに乗れると思います。それまでに調べられることはやっておかないと…。  来年のお盆までに、もう少し話しが進んでいればいいのですが。

その人らしく生きる方法とは・・・。

  今までどちらかといえばタブー視され、表立って語るのをためらわれていた死についての話題が、昨今ではラジオ・新聞等のマスコミを通して取り上げられ、お茶の間にも徐々にではありますが浸透してきているようです。

 そんな中、多くの死を見つめてきたお医者さんは、ラジオのインタビューで死を避けてきた人の方が悲しい死が多く、死を前向きに受け止めた人の方が最期まで自分らしく生ききっているように思われますと答えていらっしゃいました。

 そのお医者さんの緩和ケア病棟では患者さんの体の痛みをとるだけではなく、心の痛みやご自身がいなくなるという精神的な痛みも一緒になって、寄り添って考えていくと、患者さんは生き生きしてきて、病棟では常に笑いが溢れているとのこと。
 死を目前にしてもほとんどの患者さんがリハビリに参加され、今日よりも明日良くなるということがうれしくなり、リハビリを通して生きる力が湧いてきて、結果としてご家族との交流も多くなり、家族で温泉にでも行こうということもあり得るようになる。

 どんな状況になっても、その人がその人らしく生きる方法があるのではと、リハビリの重要性をお話されていらっしゃいました。

 死を前向きに受け止め、最期まで自分らしく生きる生き方では、先月、岩波ホールで上映されたドキュメンタリー映画「そしてAKIKOは・・・ 〜あるダンサーの肖像〜」でのアキコ・カンダさんの生き方も同様でした。

 25年程前にダンサーのカンダさんを撮られ、国内外の賞を受賞された羽田澄子監督は2010年秋のリサイタルから再びカンダさんを撮り始めた矢先、その2ヵ月後にはカンダさんが癌で入院されたことを知らされ、以後ご逝去されるまでの約1年近くをお二人は二人三脚でのぞみ、映像はカンダさんの最期まで生ききった姿を、余すことなく伝えていました。
 
 渾身の力を振り絞って舞台に立たれ、その2週間後に静かに息を引き取られたダンスに特化された生き方は、観た方一人ひとりに生きる力を与えてくれました。

 カンダさんは生前「一生が終わる時にダンスはアキコの哲学だったと言えたら最高に幸せ」とまでおっしゃっていらっしゃいました。

怖いと思うことが少なくなってきました。

 夏休みが始まって、近所の公園のプールで小さな子供たちが水遊びを楽しんでいる光景をみて、暑いというだけではない夏を感じました。

 夏といえば、いろいろなワードが出てきます。「盆踊り」「花火」「海」「ラジオ体操」…そして、先日ポンと出てきたのは「怪談」でした。

 恐怖映像の番組を見るからと、始まる5分前からテレビの前でスタンバイしている娘。電気を消して寝ることができないくらい怖がりのくせに、この手の番組はほとんどと言っていいほど見ています。そして、一人で見るのは怖いと言って、必ず私を巻き込みます。
 見終わった後には必ずトイレにも付き合わされるので、「そんなに怖いなら見なければいいのに」と、今まで何度言ったことでしょう。

 私も子供のころは娘と同じ、「怖いもの見たさ」の感覚で、後で怖くなるくせに、家族を巻き込んでこの手の番組を見ていました。
 そして、「そんなに怖いなら見なければいいのに」と何度も言われてきたのですが、今では全く大丈夫になりました。

大人になって、本当に怖いものは他にあることに気付いたこともあるのだと思いますが、葬儀関係の仕事を通して、「ご遺体・霊安室・火葬場・墓地=恐怖なものではない」と実感したのは大きいと思います。

 娘が某タレントさんの「怪談ライブ」に行きたいと言い出しました。
 勝手に行くのはいいけれど、行くのは電気を消して眠れるようになってからにしてほしいと強く願っています。