新年の誓い

あけましておめでとうございます。
 昨年中は色々とお世話になりました。
 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 今年は当センターも設立11年目に突入致します。

 「え!葬儀社さんのご紹介・・・」突然のお話をいただき、咄嗟に思い浮かべたご葬儀は父の葬儀、叔父の葬儀、従妹の葬儀、仕事関係の方の葬儀と片手で数える程で、当初直接関係者との接点はありませんでした。
 慌てて、ご葬儀に関する書物を読み、調べ、いきなり賛同葬儀社さんへ取材を試み、ご葬儀の現場に立会い、同時に斎場を取材し、関係者の皆様にイロハから教えていただいたのが丁度10年程前でした。

 十年一昔とは言え、当時の取材ノートをひもとくと、こちらの拙い質問に対し、担当者の熱血感溢れる回答ぶりから、仕事に対する真摯な様子が直に伝わり、昨日のことのように思い出されます。

 皆さん、異口同音に「我々は究極のサービス業であり、ご葬儀はご喪家との信頼関係の上に成り立つもので、ご葬儀の良し悪しは、始まる前の打ち合わせ段階で、あらかた決まってしまう程です」とまで言い切っていらっしゃいました。

 ご相談者が、この担当者だったら大丈夫との安心感を、ガチっと掴んでいただければ、よほどのことがあっても大丈夫とおっしゃる方。
 
 我々はアドバイザーであり、ご喪家が困った時振り向けば、いつでもそこにいてあげられる。サービスが行き届かなければ、なんにもならないとおっしゃる方。

 人の死という現実に慣れない当方は、熱い言葉に大いに勇気づけられました。

 ご葬儀の立会いにお伺いした折、それを実証するかのように、突然のアクシデントや、予想外のご会葬の方々にも慌てず騒がず、何事もなかったように無事お見送りされ、ご喪家の方々からの感謝のお言葉を受けている担当者に、内心拍手したものでした。

 10年経って、お身内やごく親しい方々のみのお見送りが多くなり、ご葬儀の形態に変化はあっても、担当者の心意気は変わらないばかりか、更にパワーアップしているようです。

 当方も負けずに、ご相談されたことで、皆様がご安心してご葬儀に臨めるように、アドバイザーとしてのより一層の飛躍を試み、学んで参りたいと、新年の誓いを新たにしたものです。

直葬でもゆっくりお別れがしたい。

ご葬儀のご相談で「直葬」という言葉を耳にしてから、大分時間が経ちました。

 当初はご葬儀の儀式無しで、火葬場へ直行する戸惑いもありましたが、一方でご葬儀の価格を抑えたいご要望が根強く、たちまちブームの様相を呈する程の話題になりました。

「そのようなことが可能でしたら、自身の葬儀は直葬でお願いしたい。周りに迷惑をかけたくないので、今は元気だけれども生前予約をしておきたい」と、経済的な理由だけでなく、ご自身の意志でどのようにしたいか決めたいと、ご自身のご葬儀の概算見積を希望される方が急増したのも、丁度この頃でした。

 あれから、7〜8年経ち、「直葬」は都市部を中心に、ごく普通に執り行われ、すっかり定着した感がありますが、同時に、「儀式は行わないが、ゆっくりお別れはしたい」と、個々の諸事情に照らし合わせたご要望が、多く寄せられてくるようになってきました。

 以前は病院でのご逝去の後、安置所にご安置され、お見送りの方は火葬当日30分程前に火葬場にお越しいただき、炉前でのお花入れ、読経等10分程の最後のお別れをされる方がほとんどでしたが、お別れはゆっくりしたいとのご要望も寄せられるようになり、限定はされますが、葬儀社さんの中には、できるだけご希望に添えられるよう、あれこれと検討されるところも出てまいりました。

 直葬でも、ご逝去後、病院からご自宅に搬送され、ご自宅でゆっくりお過ごしになり、火葬場へ行かれる方は問題ありませんが、先日お受けしたご相談者の場合は、病院近くにある斎場でのご安置をご指定され、今までご家族離れ離れでしたので、最後の一晩、ご家族皆様で付き添い、翌日の火葬をご希望され、付き添う場所はどこでも構わないので、安置料だけで賄いたいとのご希望でした。

 ご要望の斎場が、当センターの賛同社でもあり、問い合わせましたところ、こちらでは、ご家族で1晩中付き添う形になりますと、式場にご安置
されますので、通常の式場費が必要となるとのこと。

 難しい状況でしたので、ご相談者には事情をお話しして、お住まい近くの、式場・安置所所有の賛同社2社に問い合わせましたところ、ご家族には2階のご家族用和室控室をご用意し、2階の式場が開いている場合は式場にご安置しますが、式場費ではなく、宿泊料として2万円程いただくとのこと。
 また、他の賛同社からはやはり、一晩付き添われるには式場にご安置され、一晩の式場費5万円程になるとの各社それぞれのご返事でした。
 
 残念ながらお住まいのお近くで、ご家族が一晩付き添い、式場費や宿泊費がかからない安置所は難しい状況でしたが、後日、他市の賛同社に伺ったところ、ご要望にぴったりな賛同社もございました。
 こちらは式場ではなく、広い和室にて「付き添い安置」という形をとり、ご自宅で過ごされるように、お線香をあげて、一晩中付き添い、翌日には火葬ということが可能で、しかも、お部屋代は無料とのこと。

 直葬を例にとりましても、ご相談者の様々なご要望に対して、葬儀社さんも、暗中模索をしながらも、時代のニーズにあわせて、臨機応変に対応されていらっしゃる方も、お見受けしておりますので、場所により、様々な条件もありますが、少々ご無理なご要望かと思われても、解決できる場合もございます。

 まずはご相談されてみてはいかがでしょうか。
 当方も、ご一緒に勉強させていただきます。

アンケート調査

 当センターのホームページ内に引用させていただいている過去のデータを最新版に書きかえるために、日本消費者協会が発行している「葬儀についてのアンケート調査」報告書の最新版を読んでいます。今年の1月に発行されたもので、情報が新しく、センターへのご相談内容と照らし合わせてもうなずける内容が多いと感じました。

 私自身は葬儀業界に携わってからまだ8年ほどしか経っていませんが、それでも最初の頃と今とでは色々なことが変わってきていると実感しています。

 特に家族葬や直葬などの小規模なご葬儀に興味を持つ方が年々増えているというのは、それに賛成か反対かは別としても誰もが思われていることかと思います。

 「葬儀についてのアンケート調査「報告書」は、センターの対応地域である部分を主によく読んでいるのですが、興味深かったのが『地域で守られている葬儀に関する風習、しきたりについて』の項目です。
 地方では、その風習を大切に守っているところなども多くあるようですが、首都圏では、まだ自治会や町会の方が関与する所も残っているものの、近隣の方が亡くなられていたことを後から知る、また、以前は連絡網がまわり葬儀に参列していたが、近年は「近親者のみで執り行った」という回覧板で葬儀が合ったことを後で知るなど、ご家族だけで葬儀を済ませることが多くなってきており、センターでも、「家族葬で行いたいが近隣の方にはどのように知らせたらいいか」などのご相談を受けることがあります。
 とくに昔からそこに住んでいる方は、ご近所の方とのお付き合いの仕方によって悩ましい問題になるのではと思います。

 最近、実家に顔を出すと「○○さんのお父さんが1カ月くらい前に亡くなったんだって」、などと母から聞かされることが増えてきました。子どもの頃は団地の集会所で葬儀が行われていたので、母もよくお手伝いといって家でたくさんの唐揚げを揚げていたり、おにぎりを作っている光景を見たことがありましたが、今ではその集会所も葬儀で使うことはなく、葬儀の知らせもなく、事後の知らせもほとんどされることが無いそうです。

 将来、私も必ず父母を送ることになりますが、近くに住んでいるとはいえその団地から離れていておつきあいの状況もわからない人が仕切るわけですから、きっと家族だけで送ることになるのではと思います。火葬だけでいいという本人たちの本当の気持ちはまだ聞き出せていませんが…。

8年前のエピソード

「地震の時、仏様のご安置はどうすればよいかしら?仏様には悪いが自分自身の方が大切よね」
笑顔で迎えていただいた、開口一番のご挨拶でした。

 ご自宅を改造したような玄関左側にはご焼香台とご遺体がご安置され、右側のドアを開けると事務所兼居間になり、普通のお宅と変わらない様
子に、お線香をあげにお見えになられた方はそのまま居間に居座って、思い出話をされながら、お食事まで召し上がっていかれる方が多いと伺いま
した。
 言うなれば、ご自宅に葬儀のプロが四六時中ついていてくれるような、安心感があるからでしょうか。

 古いノートをめくっていると、昨年体力の限界を感じ、長年のお仕事にピリオドを打った私がいつも”肝っ玉母さん”とお呼びしている葬儀社
さんに、8年ほど前初めて伺った時のことが、思い出されます。

 ぎりぎりの予算で個人がやっているので、見積り以上は、びた一文取らないというのが、母さんの心情でした。
 実際には予算がはみ出るケースが多く、安置料にしわ寄せがきて、安置料はただになってしまうことがほとんどのようです。
 色々なエピソードを伺った中に、こんなケースもありました。

 若いサラリーマンからお父様のご葬儀を依頼され、式場の予約を取るのに寸分を争うので手が離せないため、ご依頼者に菩提寺には丁寧にご連
絡されるよう申し伝えておいたのですが、ファックスでご報告をされてしまい、ご住職のご機嫌を損ねてしまわれたとのこと。
 
 地域のご葬儀を取り仕切っていたご住職にとって、亡くなられたらご遺族がすぐにお伺いを立てに来るのが当然とばかりに思っていたのが、勝
手にご喪家で葬儀社を決めたことに気分を害し、さらにファックスでのご連絡が追い打ちをかけ、取り付く島もない状態に、お母様はついに泣き出
し、周りの方も途方に暮れる始末だったようです。
 
 肝っ玉母さんは無事ご葬儀を終わらせなくてはと「降ろさせていただきたい」旨申し出ると、見積書を見せろと迫り、お見せすると今度はこん
な安い葬儀の仕事はできないと益々怒りをかってしまい、あげくに「お前のところはどんな葬儀社なんだ」と罵詈雑言まで吐く始末。
 ここは踏ん張りどころとばかりに気持ちを抑え、母さん自身がやってきたご葬儀のことをお話していくうちに、あれほどつむじを曲げていたご
住職が肝っ玉母さんのペースにはまり、いつの間にかご住職の身の上話に話が方向展開し、帰りがけにはほろりとされたご様子だったとのこと。

 ご住職の車でお近くまで送っていただいた帰りしな、ご住職は「俺も安い葬儀があったら、そちらにまわすから」と照れ笑いをされたとのこ
と。

 人間味溢れたこんなご葬儀も少なくなっていくことでしょう。

無宗教葬

 最近、たて続けに無宗教葬をご希望されるご相談を受けております。

 宗教色のない、お別れ会のような形でお見送りをされたい。
 できるだけシンプルなご葬儀をご希望ですが、読経がない分、綺麗なお花を飾ってお見送りをされたいとのご要望をいただきました。

 6〜7年前、無宗教葬が話題にのぼり、宗教色のないご葬儀を希望されていらっしゃった方々が強い味方ができたとばかりに、一時期次々と無宗教のご葬儀を執り行なった感がありました。

 そんな中、無宗教葬のアドバルーンも周りの反対や戸惑いに徐々にトーンダウンされたのか、いつの間にかここ何年かは尻すぼみ状態のようにも感じておりました。

 しかしながら、ご要望は地道に脈々と受け継がれ、周囲の反応も大分様変わりしてきたようで、ここにきてようやく、無宗教葬にもごく普通に市民権が得られるのではとの予感がいたします。

 そんな中、かつて、立会いでお伺いした無宗教葬のシーンが思い出されます。

 通夜の席、祭壇に手を合わせた後、100人以上の会葬者がお1人ずつマイクを片手に柩の故人様に語りかけていました。
 長い沈黙の後ぼそっと一言話す方、出会いから現在の心境まで詳しく話す方、涙声で聞き取れない方、皆さんそれぞれ最後のお別れです。
 故人様と向き合ったお1人おひとりの言葉はどんなに短くてもその人なりが出て、次第に1つのドラマになり、いつの間にか式場全体に一体感が生まれ、大きなうねりとなって迫ってくるようにも感じられました。

 目を閉じて聴いていると故人様の世界が広がり、面識がないのにいつの間にか、当方までが旧知の間柄のような錯覚を覚えてしまうほどでした。
 ご遺族のお子様達も「私達の知らなかった父の一面を知ることができました」と感慨深い面持ちで涙ぐんでいらっしゃったのが印象的でした。

 これからは宗教色のない、その方らしいこんなご葬儀も増えてくるのでしょうか。

団塊の世代を中心に、ご葬儀にも変化の兆しが・・・。

 ワイングラス片手の写真の主は、今にも「やぁ」と声を掛けてくるのではと思わせる、気さくな微笑みを浮かべていました。
 その横には「感謝の気持ち」と題して、生前のご親交に対してのお礼の言葉が記されていました。

 ご会葬の方々は1枚のパネルに足を止め、思い思いの感慨にふけっているご様子です。

 先日立会いにお伺いした60代の方のご葬儀は、故人様のご意向でお別れ会という形の音楽葬でした。

 生前にご自身が準備をされ、ご自身のご葬儀を演出されていらしたご様子です。
 愛唱歌の「愛燦燦」の演奏が始まり、「人生って不思議なものですね」思わず口ずさみながらお花に囲まれた棺に目をやると、2年前の映画「エンディング ノート」の60代のモーレツサラリーマンの姿がだぶってきました。

 それまでお元気だったサラリーマンのお父さんが定期健診で癌を宣告され、余命いくばくも無いことを知り、映画監督の娘さんがお父さんの最期までをある意味淡々とドキュメントで追いかけていく映画は、モーレツサラリーマンのお父さん必見のものでした。

 サラリーマン時代、営業一筋で「だんどりが命」のお父さんは最後のだんどりにご自身を選ばれました。
 ご実家は仏式でしたが、新たに購入したお墓は宗派を問わないとのことで、キリスト教葬に決め、1ヵ月後、結婚式以来と軽口をたたきながら奥様と式場の下見をされ、なぜこちらを選ばれたかを説明されていました。
 ①好印象である
 ②家から近い
 ③リーズナブルであること等をあげられ、
 また、ご葬儀は近親者のみで行いたいと・・・。
 映画「エンディング ノート」は自身の死に対して、一人ひとりが向かい合うことの大切さを教えてくれました。

 ご葬儀の意味合いも、最近は家から個人へと変わりつつあります。
 しがらみが少ない都会では、団塊の世代を中心に、徐々にではありますが、これからはご自身の希望を優先し、自分らしさを演出した葬儀が増えてくるのではと思われます。

団地

 私は子供の頃、団地に住んでいたのですが、お葬式は団地の集会所でやるのがあたりまえだと思っていました。
 当時はほとんどが自宅で葬儀をやっていた時代だったので、団地という集合住宅では集会所を利用するのがあたりまえのことだったようです。
 
 しかし、そこの団地では、最近では集会所で葬儀をやることがなくなったそうです。便利な斎場が近いということも集会所を利用しなくなった理由の一つのようですが、そこの団地自体、住民たちの横のつながりが希薄になってきたように感じるとのこと。

 当時の子供たちが大人になり、団地を離れた今、多くの住人が親の世代です。子供が一緒に暮らしていたころは、お隣さんや上下のお宅だけでなく、少し離れた家でも家族ぐるみで付き合いをしていたのですが、今はそれも難しいそうで、道で会っても挨拶をする程度だとか。

 もちろん、未だにお付き合いのある人はいるようですが、それも昔ほどではないそうで。
 
 最近は、密葬・家族葬ということから、近隣に知らせることなく葬儀を終えることが多くなってきたのは、この団地でもあてはまることで、「最近見かけないな…」と思っていると、後日、「○○さんが亡くなったらしい」と人づてに聞かされることがあるそうです。

 自宅から近くて、安い費用で使える慣れた場所である集会所でも、そのほかのいろいろな事情から利用されなくなっているところは、この団地以外でもあるのでしょう。

 私の両親も、「斎場にしてね」と言っています。万が一のとき、どこまでの範囲にお知らせしたらいいものか…。元気なうちに聞いておいた方がよさそです。

通過儀礼としての葬儀

 先日、久方ぶりにお会いした都内の葬儀社さんと情報交換をしたときのことです。おおむね次のようなことをお話されていました。

――――― 最近、都心での葬儀事情は異常なものがあります。直葬が増え、2〜3年前は3〜4割が直葬と言われていました。しかし今年のこと、ある業者は7割が直葬と言っています。それにともなって、通常の葬儀は少なくなっています。
 直葬は「直葬専門業者」が台頭。相当数をこなしています。ただし、一人で一日数件の直葬を掛け持ちしていますので、施行が荒くなったり、一つの火葬場に集中させたりして、中には問題もあるところもあるという声を聴きます。なんだか業界の質も低下してゆくような懸念をもっています。
 直葬が流行る背景には「宗教離れ」「道徳心崩壊」というものがあるように思います。この前、千葉の僧侶から連絡があり、講演の依頼がありました。趣旨は、直葬の急増に仏教界も危機感を覚えたこと、そして、「直葬では問題があり、後悔している人の話し等を聞かせて下さい・・・僧侶を集めて聞かせます」ということでした。危機感はどんどん広がっています。 ――――――

 誰にとって危機なのか? いま通常の葬儀がメインのところは危機感を持たざるを得ないでしょう。お寺さんにとっても活動の場が狭まるので危機。当センターにとっても直葬の相談はあまりないので今のままでは危機。反面、直葬専門業者にとっては追い風です。個人にとって直葬(の増加)は危機か? (問い自体にあまり意味がない??)
 
 社会にとってはどうでしょう。
 人間社会の長い営みの中から生まれてきた、いわば歴史の知恵と言ってもよい通過儀礼という視点からしますと、危機と言えなくもありません。

事前相談で施行する担当者とのコミュニケーションをはかり、より安心を・・・。

 「B社にお願いした理由は、葬儀で万が一何かが起こった時のことを考慮して、担当者が年配の方の方に決めました」。
 お父様のご容態が思わしくない状態とのことで依頼者は見積りを取ったA社とB社のそれぞれの担当者にお会いになり、ご相談されましたが、両社共甲乙付けがたく最終的には同行されたお母様の意見に従われたとのことです。
 
 5年近く葬儀の推移を見守っていますが、特にここ2年程はインターネットでの葬儀に関する情報量が増え、マスコミにも採り上げられる機会が頻繁になり、日常生活の中で語られる違和感も薄れてきているように感じられます。
 しかし、中にはまだまだ一方的なPRも多く見受けられ、現実、施行になった時依頼する側される側の思惑にずれが生じ、依頼者は不満を抱えたままご葬儀を執り行う羽目になったということもよく耳にします。
 見積りのお値段だけでは決められないこともあります。
 家電製品の様に同じ品を比較しているのではないため、安さを売り物にしてもその基準があやふやです。
 そのためにもまず見積りを取ることを大前提にしたうえで、葬儀担当者とお会いされ直接質問をして、ご要望に応えているかどうかご自身の目で確かめ、担当者とのコミュニケーションを図っておくことが、万が一に備えての一番の安心材料になると思われます。
 
 日本消費者協会での2年前の第8回「葬儀についてのアンケート調査」でも「家族が葬儀社との事前相談で決めていた」との回答が15%ほど寄せられていたとのことです。 この2年間の飛躍は更なるものがあると思います。
 やり直しがきかないご葬儀です。
 情報を集めて見積りを取るだけではなく、担当者の人となりにも注目をして、二人三脚が組める相手かどうかを見極めることも大切になってきます。
 
 
 

ベストセラー「大往生」から14年後の現実は・・・。

 永六輔著「大往生」という本が14年程前にベストセラーになりました。
 これからの高齢化社会に対処すべきことを、マスコミが取り上げた最初のブームのころでした。
 一般の人が発した言葉を軸に書かれている本は病の章で「癌」の告知について、告知できる技術を持った医者が告知されても受け入れられる能力を持った患者とめぐり合った時だけに限られるべきだ。医者たるもの、心優しく現実に立ち向かう学習をしてほしいと書かれていました。
 告知はそれ以前から言われていましたが、患者の心の準備など無視した医者サイドの一方的な報告が多かったようです。

 それでは最近ではどのような変化が起こっているのだろうか。
 その変化の兆しとして慶応大学医学部にはお坊さんによる授業があると、朝日新聞が報じていました。
 授業は宗教を語るのではなく、、実際の現場での患者への接し方をロールプレーイング(役割演技)で学生にやらせ、答えのない難しさのなかに仏教の教えを伝えていくとのこと。
 学生達も将来の医師の役割を考える材料になるのでは。
 10年経って、ようやく兆しが見えてきたようです。