「エンディングノートを・・・」と思い立ったら、即実行です。

「母が旅行先で急死して、現在当地の霊安室に安置されている状態で、こちらに搬送して貰う手筈にはなっているので、近くの葬儀社さんのご紹介を・・・」
突然なこと故、搬送先もご自宅か、ご自宅以外にされるかまだお決めになっていない状態とのこと。
予想もしていないことに、ご家族の方々も呆然とされていらっしゃるご様子が電話口から伝わって来ます。
お話をお伺いし、ご要望に適した少人数でのご葬儀を得意とする、地元の賛同社をご紹介し、ご相談者から直接賛同社へご連絡をいただきました。

最近はお歳を召した方もお元気で、旅行ブームに乗って遠方まで足を延ばす方も増えて参りましたが、一方で旅先でのご不幸をお聞きすることも度々ございます。

先月も鹿児島にお住いのニュージ―ランドご出身の方が上京されて横浜で倒れられ、そのまま帰らぬ人となってしまわれ、ご親戚がいらっしゃる横浜で無宗教葬のご葬儀を執り行った例もございます。

また、山陰をお母様とご旅行中の息子さんの場合は、突然お母様の具合が悪くなり、旅先での介護もむなしく旅立たれてしまわれ、急遽ご遺体を空輸で運ばれて、ご実家近くの斎場でご葬儀を執り行う羽目になりました。
しばらくは無我夢中で何も手が付けられない状態でしたが、お母様の1周忌を前にやっと落ち着くことが出来ましたと丁重なご報告をいただいたことが思い出されます。

お元気と思われていた方の突然の不幸に、周りの方は只々右往左往するばかりです。
転ばぬ先の杖ではありませんが、お元気にお出掛けされる前に、万が一を考慮して、自身の思いを伝えるエンディングノートをしたためておくことで、大分状況も変わってくるのではと思われます。

近年、エンディングノートの効用を口にすることも一般化されてきましたが、周りを見てもその内その内と、中々実行が伴わないのが現状です。
残された方の為にも、思い立ったが即実行です!

心の準備はしておきたい・・・。

先日、ご相談者から9年ぶりに再確認のお電話をいただきました。
9年前のご相談の折、ご要望をお伺いして、地元・東京下町の賛同社から見積りをお取りし、センターの説明書と一緒にお送りさせていただいた方でした。

当時70代で元気ですが、最愛の息子さんを突然の事故で亡くされ、「人間はいつ死ぬか分からない」とのお気持から、ご自身のご葬儀について心の準備をしておきたいと、最もシンプルな「火葬式」のご要望を伺いましたので、ご夫妻でご葬儀を切り盛りしている下町の小規模な葬儀社さんをご紹介させていただきました。

ご紹介社は商売を度外視しているのではと思わせるほどの価格で、しかも下町の人情そのままの仕事ぶりに、お礼の手紙やアンケートが数多く寄せられており、当方としても太鼓判を押して推薦しておりました。

ところが数年後、その社長であるご主人が急病で他界され、しばらくの間、残された奥様が中心となって頑張っていらっしゃいましたが、その後奥様も体調を崩され、現在会社は休業状態に陥ったままの状態です。

ご事情を説明し、ご了解のもと、早速に同じ区内の賛同社から新たな見積りをお取りし、お送りさせていただきました。

久しぶりに9年前の資料を紐解くと、丁度同じ頃ご相談をお受けした方から頂いたパステル画の絵葉書が目に留まりました。

「遠い夏の日」とタイトルがつけられた絵葉書には、カンナの花が咲き乱れる中、夏の強い日差しを受けながら、麦わら帽子をかぶった白い服の少女が、スケッチブックを片手にすっくと立っている後姿が描かれていました。ご相談者の若かりし頃の自画像との由。

こちらも心の準備としてご自身の身の振り方はご自身で決めたいとのご要望をいただき、直葬の見積りをお取りし、お送りした方です。

絵葉書と共に「客観的に冷静に考えて妙にすっきりいたしました。その時期が何年後になるか分かりませんが、いつか必ずお世話にあずかりますことと、後期高齢者ですが今のところこれと言って体に支障をきたすこともございません」とのご報告を早速に頂きました。

丁度この頃から、ご葬儀という儀式を省いた、火葬場に直行する「直葬」という言葉が新聞・雑誌等に見受けられるようになり、この風潮に当時は眉をひそめる方もいらっしゃいましたが、逆にお二方共ご自身の生き方の選択肢として、この方法が可能であることが分かり、安堵されたとのご報告を頂き、どこかほっとした思いもございました。

十年一昔とはいえ、最近はお元気な内にご自身で心の準備をしておきたいとのご要望も一般化され、見積りをお取りして一安心されている方も多いかと存じますが、社会状況の変化も目まぐるしい昨今、前記のようなこともございますので、出来ましたら1年程を目安に、見積り等の見直しもお願いできればと存じます。

長期的なご相談で気にとめておくべきこと

 お母様は80代前半、いたって健康であるが、「葬儀会社より葬儀担当者がどんな方なのかが結構重要なのだと他の葬儀に参列した際に感じました。」という娘さんからの、事前相談がありました。

 たしかに、担当者は葬儀の良し悪し、満足度に大きくかかわります。できれば、担当者ベースで葬儀社を決めておくにこしたことはありません。

 ただ、長期におよぶ可能性のあるご相談には注意が必要です。
 葬儀会社は、人材の流動性が激しいです(葬儀会社‘は’ではなく、葬儀会社‘も’の経済状況になってきているかもしれませんが)。同じ担当者も、社が変われば、社の方針や状況によって変わることもあります。価格帯も在籍している社のものになります。

 担当者ベースとまでいかなくても、会社ベースにしても、浮き沈みも激しく、良い対応をしていた社が経営者や代が変わったとかで、変わってしまうこともありますし、場合によっては廃業や倒産するところも珍しくありません。

 さらには、希望する葬儀内容が変わる可能性もあります。一般葬を想定していたが、家族葬にするとか、近くに適当な式場ができたので、そこを利用したいとか。

 要するに、長期になればなるほど、状況が変わる可能性が高いということです。

 ですので、長期的な準備の場合は、現在収集した情報は参考情報ぐらいにされるのがよろしいかと思います。

お別れの時間

 「火葬のみの葬儀が増えてきました」と、最近伺った葬儀社さんのほとんどがおっしゃっています。
 その一方で、「ただ、やはり火葬のみではあまりにも淋しいので」と、火葬のみの葬儀を考えていた方が、一日葬に変更されることも増えてきた、ともおっしゃる葬儀社も。

 火葬のみでの葬儀の場合、やはりネックになるのは「お別れ」の時間が短いことのようです。
 自宅に安置できる環境の方でしたらご安置中に故人様とゆっくりお過ごしになることもできますが、安置所にご安置となると、場所によって、ご面会はできるけれども、「ゆっくり」お別れをするということが難しい場合
も多く、心残りになってしまうかもしれないと考える方が増えてきたのかもしれません。

 安置所でも、出棺前にお別れができるスペースを確保できるような施設もありますので、近くにそのようなところがあれば良いのですが、どこにでもあるというわけではないのが現状です。

 ここ最近で伺った葬儀社さんの中でも、「自社でお別れまでに対応できる安置所を作りたい」とおっしゃる社が複数ありました。
 
 火葬のみでの葬儀を考える方の、その理由については様々です。
 その様々な理由に沿って臨機応変に対応できる設備が必要になってきたと考えている葬儀社さんも多くなっているようでした。

 安置所や葬儀式場などを新たに作るにあたっては、近隣のご理解や市町村の決まりなど、クリアしなくてはならないことも多いですが、自宅に安置ができない環境の方でもゆっくりお別れができるところが増え、多くの方
が後悔なく見送りができるよう、頑張っていただきたいと思いました。

ニーズに合わせて直葬も変化しつつあります。

 先日、ご高齢のご両親の万が一を考慮され、直葬を想定したお見積りのご相談をいただきました。

 お見積りを取るにあたり、ご要望を整理する中で、どなた様のご意向かをお尋ねしたところ、喪主になられるお兄様が行動を起こしてくれないので、ご実家の状況を考慮し、あくまでご相談者ご自身のお考えとのこと。

 やり直しが効かないご葬儀では、ご相談者お1人での判断だけでは難しい状況もございますので、当事者でもある入院中のお父様とご相談されて、改めてご連絡いただくことといたしました。

 昨今は都市部を中心に直葬も定着し、中には施行されるご葬儀の中で、直葬の割合の方が多い葬儀社さんのお話しも伺っております。

 直葬という言葉がマスコミにも取り上げられ始めた8年程前、TBSラジオのトーク番組で、今時のお葬式事情が取り上げられ、激しいバトル合戦をされていたことが思い出されます。

 昔は隣組がご葬儀を取り仕切ってくれて、ご葬儀費用はお香典でまかなえたが、昨今は病院で多額の費用を使い果たし、最後のとどめにお葬式が控えている現状を訴える中、ご葬儀費用は掛かるが、お金だけをそぎ落とせばよい問題なのか、はたまたご高齢の方からは、昔から老い支度と言って、いざという時困らないように貯めてきているはずだと反対論も続出し、当時は直葬に賛成反対が五分五分程だったと記憶しております。

 あれから簡素化の波は速度を増し、直葬という言葉も日常的に使われるようになり、ご要望に応じて、ご自宅でお別れをされる方はもとより、葬儀社さんの安置所でお別れをされて、火葬場に直行される方の場合も、ゆっくりお別れができる状況が広がりつつあります。
 
 葬儀社の安置所で出棺30分前から柩にお花入れができる社、また前日にお越しいただいて1時間ゆっくりお別れが出来る社、中には時間の制限なく臨機応変に対応してお別れができる社や、ご自宅にいらっしゃるように和室にお布団のままご安置されて、お線香をたいて一晩付き添うことが可能な社と、色々ご喪家のお気持に寄り添った工夫がなされてきているようです。
 直葬も、これから増々ご喪家の立場に立ったお別れの仕方に工夫がなされていくのではと、期待しておりますが・・・。

慣れ親しんだ所から送り出せれば・・

 私は子供のころからずっと東京に暮らしていますが、昔は東京でも自宅や集会所で葬儀を行う事が多く、そのころ住んでいた団地の集会所ではよくお葬式をやっていました。
 当時は隣近所との付き合いも深く、お葬式となれば、みんなが協力して手伝ってたのを覚えています。
 そんな団地でも、今では葬儀で集会所を使うこともなく、近隣の方が亡くなっても、葬儀が終わってから知らされるということが多くなってきたと、実家の両親が言っていました。

 家族葬での葬儀が多くなり、身内だけで葬儀を済ませるということが普通な事になりつつある時代であり、また、住宅事情などから自宅で葬儀をすることが難しくなっているということもありますが、今、センターのサイトに「集会所」のページを作りながら色々考えていると、出来る事なら愛着のある自宅や地元から送り出してあげたいと思っている方もいらっしゃるんだろうな、と思いました。

 ご相談では、ご安置先でさえ、ご本人やご家族が本当は自宅での安置を希望しても、「マンションだから・・」とか、「故人を寝かせるスペースがなくて」などの理由からあきらめてしまわれる方もいらっしゃいます。

 自宅で葬儀をするというのが無理でも、集会所でできるのならば・・
 今では葬儀社がほとんどのお手伝いをしてくれますので、昔のように近所の方に協力をしていただく必要もありません。ただ、ご近所の方がご会葬に来られる事はあるかもしれませんが・・。

 つい先日、「故人は集会所に安置してもらっているので、この先の葬儀をやってくれる葬儀社を紹介してほしい」というご相談をいただきました。
 場所によっては、故人様を安置させてくれる集会所もあるようです。

 希望があれば、集会所も選択肢の一つに入れていただければ、と思います。

直葬にも変化が・・・。

ご葬儀のお式はせずに、火葬のみの形を取る方が増えている昨今ですが、最近はこの火葬のみの直葬にも、様々な工夫がされてきているようです。

 以前はご自宅でお別れをされて火葬場に直行される方、ご自宅以外の安置所から火葬場に向かわれる方が大半でしたが、先日はセンターの賛同社の担当者から、公営の火葬場併設の式場だけをお借りして、お式はされずにお別れのみをする火葬式が増えているとのお話も伺いました。

 火葬場に直行する火葬式では、すでにお別れされていることが前提になっておりますので、炉前でのお別れ時間は5分〜10分程度しか取れないのが現状です。

 そんな中、ご葬儀のお式を希望されない方でも、ご自宅以外にご安置されている方とのお別れの時間だけは、ゆっくりお取りになりたい方が増えているようです。

 また、そのご要望を受ける葬儀社さんの対応にも、様々な変化が出てきているようです。

 例えば、他家のご面会に支障がないことを考慮して、火葬日前日自社の安置所を臨機応変に開放している社もございます。

 火葬前日20名前後の御家族・御親族の方々が安置所にお集まりになり、2階の休憩室でお待ち頂きながら、交代で定員5〜6名様の霊安室にてご面会をされ、心ゆくまでお別れができ、大変感謝された話しを担当者から伺いました。

 一方で、お身内の方々に火葬日前日、自社の安置所へお集まりいただき、お別れ室にてゆっくり1時間程のお別れの時間を設けている社もございます。

 また、安置所がご自宅と同じような雰囲気になるように、和室にてご安置し、火葬日前夜一晩中お線香を絶やさず、お身内の方が付き添うことも可能な社もございます。

 時代とともにご葬儀の仕方は変わっても、お別れだけは心ゆくまでしたいものです。

22年前のベストセラー「大往生」を読んで思うこと・・・。

先輩から譲り受けた永 六輔著「大往生」を、久しぶりに本棚から取り出しました。
 大ベストセラーとなり、当時流行語にもなった著書ですが、これからの高齢化社会に対処すべきことを、マスコミが取り上げた最初のブームの頃だったと思います。
 
 あれから22年、本格的な高齢化社会に突入し、気が付けば現実味を帯びた様々な障害や事故を目の当たりにする機会が、日常茶飯事の様に増えて参りました。

 その著者の永 六輔さんが今月7日ご逝去された報道が伝えられました。
 お悔やみ申し上げます。

 当時、巷では「あの方は大往生だった」という言葉が、うっかり日常的に使われておりましたが、大往生とは本来、「十二分に生き、寿命を全うされた」方のお身内が申し上げるお言葉であることを、改めて問い直された方もいらっしゃるのでは・・・。

 その「大往生」では歌手の坂本九さんのご葬儀について、家族ぐるみで付き合いのあった葬儀社さんが、友情込めた協力をされたことにふれ、ともするとご遺族はご葬儀中にもめたり、値切ったりすることはしたくないとの一心で耐えてしまうが、九さんの場合は気持ちの良いご葬儀だったと語り、一方の担当された葬儀社さんも「九さんに、うまい!といってもらいたかった」とお話しされていたことが書かれておりました。

 担当者の心意気が伝わってくるようなご葬儀にほっといたしますが、センターでも負けず劣らず、担当者の心意気に思わず「お願いしてよかった」と思わせる場面に出会うこともしばしばございます。

 以前、こんなアンケートをいただきました。
 「担当の方が自宅まで毎日足を運んで下さり、コミュニケーションがよく取れて何でも相談ができました。親父らしく見送りたい。曹洞宗に則りつつも、同時に和やかに故人を偲ぶ場にしたいという、私の意を正確に酌んで下さいまして、当日は完璧と言ってよい位にイメージ通りの葬儀を執り行うことができました」。
 「特にメモリアルコーナーや父が撮った15分程の短編映画を皆様にお見せできたことには、大変満足しております。晩年の寝たきりに近い親父ではなく、親父が若くて元気だった頃のイメージでもって偲んでもらうのが1番の狙いでしたから」。

 さらに別のご葬儀でも、上記の担当者についてのメッセージが届いておりました。
 「担当者の方からは、ご葬儀後に頂いたお手紙に、心に残る葬儀だったと書いて下さり、これで良かったのかなと悩んでいた私の気持ちが少し軽くなった気がしています。1人っ子の私でしたので、無事父を見送ることが出来、皆様のおかげだと感謝しています。ありがとうございました」。

 ご葬儀担当者の心意気に感謝しております。

入院騒ぎで思うこと・・・。

深夜突然の腹痛で、1週間近くの検査入院を余儀なくされましたが、無事無罪放免となった病院からの帰り路、立ち寄ったスーパーの入口は、早くも新年のしめ縄飾りで埋め尽くされておりました。

 気が付けば、今年も後残りわずか、いつの間にか師走の声が聞こえ、1年の速さが身に染みる昨今ですが、これは単に年齢だけの問題ではなく、世の中の流れの速さも相まっている様に思われます。

 私共がお手伝いしておりますご葬儀の世界でも、お身内の方を中心とした家族葬や故人様のごく親しい方々を含めたこぢんまり葬が年々増え続け、一般に浸透してきたおかげで、最近では家族葬で執り行う旨お知らせすると、ご理解されて一般の方はご遠慮されるようになってきたとのこと。
 
 数年前までのように、ご近所にはどのように申し上げておけば、角がたたずに済むのかという心配も今や昔の話になりつつあるようです。

 そんな中、葬儀社さんのご紹介でも今年後半は特にリピートをご希望される方が目立ってきたようにも思われます。

 一昔前には2度と同じ葬儀社さんにお願いしたくないとの苦情も少なくないと伺っておりましたので、ぜひもう一度というリクエストはご紹介する身にとりましてはうれしい限りです。

 知人のご葬儀に伺った折、葬儀社さんの対応が良かったので、お身内のご葬儀の時には是非にという方、ご葬儀の担当者と意気投合し、ご親戚のご葬儀の際に次々とご紹介される方、ご推薦いただける理由は様々ですが、良心的な葬儀社さんであることは勿論のこと、ご相談者のご要望に沿える葬儀社さんをいかにご紹介できるか、我々も更なる努力が必要です。

 師走の入院騒ぎも厄払いになるよう、来年に向け頑張りたいと存じます。

無宗教葬の10年

最近はご葬儀の形態も徐々にではありますが、様変わりの様相を呈してきています。
 
 無宗教葬という言葉もごく一般的に使われるようになり、先日も事前のご相談で、お父様の万が一の時のご葬儀では、お母様のご要望で、柩を沢山のお花で囲み、お父様のお好きなクラシック音楽のCDを掛けていただく、無宗教葬をとのご希望がありました。
 但し、ご相談者がご心配なのは、ご葬儀の後でお母様から戒名は?お位牌が無い・・・などと言われないかとのこと。
 このことに関し、後ほどご相談者にご紹介した、葬儀社の担当者に伺うと、実際にそのような例はあるようです。
 無宗教葬でご葬儀をされた後、ご親戚から問われ、戒名が必要になり、担当者のお知り合いのご住職に事情を説明してお願いされ、お位牌も用意されたとのこと。
 但し、どこでもしていただける訳ではありませんので、そのあたりは事前にじっくりご相談されるようお話申し上げておきました。

 10年程前になりますが、無宗教葬という言葉が、都会生活の中で普段信仰心を持たず、ご葬儀の際に問われて、戸惑われた方々に注目され、センターにもお問い合わせを度々いただき、賛同社の担当者にお伺いしたことがありました。

 「お寺を呼ばないのが無宗教葬、何もやらないのが無宗教葬と勘違いされている向きがありますので、まずは無宗教に対してどのようなイメージを持っていらっしゃるのか」をお伺いして、アドバイスされるとのこと。
 但し、当時は、お話をお伺いしていくうちに、普通のご葬儀に変更される方がほとんどだったようです。
 お経代が高いとか、自分は宗教に関係ないとか、自身のことが先行されてしまっているが、ご親戚の手前を考え、後の人達のことを考えると、ご葬儀では戒名を付けないでお経のみにして、金銭的にあまり負担を掛けない方法があることをお話して、「雑誌やTVに感化されて自分の時はああやりたいと希望は確かにありますが、ご親戚とのお付き合いもあり、ご親戚のご理解がなければ、後々まで言われてしまいますよ。色んな事を考
えてお決めください」とアドバイスされるとのお話でした。

 丁度その頃でした。
 永年、都内でジャズ喫茶をやっていらっしゃった方のご葬儀に立会ったのは・・・。
 無宗教葬の音楽葬でという故人のたっての願いで、喪主の奥様は昔からのジャズ仲間を中心に、御兄弟・御親族の方々にお集まりいただきました。
 ジャズが流れる中、献花をしてゆっくり故人様とお話をされていた仲間の方々が、やがて感極まり、飛び入りで持参のトランペットを吹き、熱い思いは尽きないようでした。
 一方のご親族は式の始まるまで無宗教葬に難色を示し、特に故人のお兄様は大反対でした。
 しかしながらそのお兄様も、仲間の友情を目の当たりにして、ついに通夜の最後のご挨拶では涙ながらに、「こんな素晴らしい通夜は初めてだ」と感激していらっしゃったそうです。
 翌日の告別式はご家族・ご親族のみのお見送りになりました。
 ジャズが静かに流れる中、お身内のおしゃべりが弾みます。
 30分遅れの献花に始まり、柩を囲んでの最後のご対面となりましたが、お式の間中しばしゆったりとした時間が流れ、後方で立会いに伺った当方も気持ちがなごみ、ご葬儀を忘れる程でした。
 火葬を待つ間のお食事会では奥様に向かって、お兄様のご挨拶から始まりました。
 「これからも、どうぞよろしくお願いいたします」
 その姿が印象的だったのが、昨日のように思い出されます。