デジタル遺品

 テレビ朝日『dele(ディーリー)』を毎週楽しみに見ています。
 パソコンやスマホに残された不都合なデジタル記録を依頼により抹消する業務を請け負う仕事にまつわる話です。「デジタル遺品」というべきもので、依頼人の死後、パソコンやスマホに遺るデジタル記録を内密に抹消するというものです。

 たしかに、デジタルデータはやっかいです。最近、遅ればせながら読んだ、上野千鶴子さんの「おひとりさまの老後」にも、遺すと困るものとして、ペットの次にパソコンや携帯のメモリは要注意と書いています。

 上野さんの本が出たのが、11年前なので、この問題を解決するサービスはなかったでしょうが、いまは、一定期間生存している認証を送らないと、死亡しているものとみなして、他人に見せたくないデータを自動削除できるソフトがあったりします。グーグルなど大量に個人データを保管しているところも同じようなサービスがあります。

 自分とは関係なさそうな話し方をしている、あなたはどうするつもりなのか?
ですか。

 わたしは、そういうソフトを使う予定はいまのところないです。削除するデータと遺すデータを整理するのも面倒ですし、データをどこかのサービスに預けるのも気が進まないです。見られたくないデータはその都度、どんどん削除し(もっとも復元されたらたまりませんが)、身近な人に見られてもいいようなデータだけにしておく。あとは、記憶にとどめておくだけでいいかなと。

長期的なご相談の場合

 先日、5年ほど前に、ご自身の葬儀についてのご相談をされた方から再度ご連絡を頂きました。
 最近、周りの方が数名お亡くなりになり、ご自身の万が一の時のことが気になって、以前受け取られたセンターからの資料にまた目を通されたとのこと。再度資料を読んで、ご紹介葬儀社の中から1社をお決めになったというご連絡でした。
 当時ご紹介させて頂いた葬儀社は全て今でも営業されています。また、この5年間の間に、ご相談者の近隣で良心的な葬儀社が複数社新たにご賛同いただいていたので、新たなご紹介もさせていただきましたが、以前ご紹介させて頂いた1社をお選びになりました。
 5年前に見積りを作った担当者はすでに退社されていましたが、その時にセンターと担当者がやり取りをした記録が残っているので、新しい担当者に情報を引継ぎ、再度見積りを作って頂いているところです。

 一方、事前相談でご紹介した葬儀社が廃業してしまっていたというケースもあります。
 このような場合には、再度ご連絡を頂ければ、改めて合いそうな葬儀社をご紹介し、内容の調整などを行います。

 センターでは、長期のご相談の方へは1年ほどを目安に見直しをお勧めさせていただいていますが、葬儀の事についてはなかなか積極的にという気持ちになれないかもしれませんし、依頼する葬儀社をある程度決めると、不安が取り除かれて、見直しを忘れてしまう事もあるようです。

 特に長期的なご相談の場合、ご相談者の状況や価格の変動、担当者の移動など、その当時と変わってしまっていることががある可能性があります。
 気が向いたときでけっこうですので、再度ご相談いただけると新しい状態でご紹介させて頂くことができるかもしれません。

 

しがらみから解放されたい・・・。

 「独り身だけれど、沢山の人の世話になりました。昔の人は老い支度と言って、いざというとき困らないように貯めていましたよ。お葬式はできるだけ多くの人に立ち会ってもらいたい。誰かがちゃんとやってくれるでしょう。それが人の世というものだ」語気を強めた声がラジオから流れてきました。
 「菩提寺のご住職が、ご葬儀の意味を教えてくれたので、それを考えると簡素化に走るのは如何なものか」

 一方で3年間にお身内4名様をお見送りされた方は「病院で多額のお金を使い果たし、最後のとどめにお葬式が控えています。そのお葬式も葬儀社が取り仕切るようになり、便利になったけれども、葬儀社の言いなりです。無事に収めたいがために直葬も賛成です」。

 TBSラジオのトーク番組で直葬が話題に上り、賛成、反対とリスナーを交えてのバトルトーク合戦が繰り広げられておりました。

 あれから9年、直葬、家族葬は一般に浸透し、日常会話の中にも違和感なく入り込み、最近では都会を中心に様々なバリエーションのご葬儀が増えて参りました。

 ご喪家の事情に合わせて、お式を執り行わない直葬にも、最近は様々なバリエーションがあり、センターに頂くご相談でも、お別れだけは十分な時間を取りたいとのご希望も増えて来ております。
 ご自宅にご安置できない場合のご要望に合わせ、式場だけでなく、ゆっくりとお別れだけのお時間がとれる安置所も増えつつあり、ご相談をお受けした担当者からもご要望に合わせて、それぞれのニーズに合ったお見送り方の提案がなされてきているようです。

 先日、久しぶりにお会いした同世代の仲間達から初めて伺ったご葬儀の話題も、自分の時は家族葬で十分。
納骨ではなく散骨か樹木葬にしてほしいとのことでした。

 仕事一筋で我が道を行く、オーソドックスな思考の仲間達から発せられた共通の話題が、ことのほか新鮮に感じられたのも意外でした。
 夫々の生き方に合わせて、家のしがらみを断ち切るのは自分達からだとの思いが強く感じられ、これからのご葬儀も大分様変わりしてくるのではと思わせるひとときでした。

20年後には、全世帯の4割が独居になりそう

 2040年には、全世帯に占める一人暮らしの割合が4割に達するとの予測があります。国立社会保障・人口問題研究所が先ほど公表した「日本の世帯数の将来推計」です。推計は5年に1度で、今回は15年の国勢調査をもとに40年まで出したということです。
 ちなみに、15年の一人暮らし世帯の割合は34・5%(1842万世帯)で、40年は4・8ポイント上がって39・3%(1994万世帯)になると予想しています。

 流動性がますます高くなっていく状況の中、20年後、自分が、会社の部署が、会社が、業種が、業界が、どうなっているのか、予想することは非常に難しいです。20年といわず、5年後でもわかりません。
 わからないと言っていってるだけでも発展性もないので、いろいろな分野で未来予測をして、それに備えようとするでしょうし、場合によっては、自分で未来を作り出してスタンダードにしてしまえと意気込んでいるところもあるでしょう。
 ともあれ、実際、いろいろな分野で未来の予測はやっていますが、そのなかで、もっとも確度の高いものが、人口に関係する推計だと思います。

 一人暮らしの増加、および人生100年時代、葬儀業界も大きく影響を受けることになりそうです。最近のある相談を少し見てみましょう。

 当センターに、相談される方は、故人様の関係性から言いますと、ご子息や配偶者の方がほとんどです。ご相談者は、喪主と重なる場合もありますし、喪主になる人に余裕がなさそうなので代わって相談したとか、頼まれたりといったことが多いようです。

 ただ先日の相談は、姪御さんがご相談者でした。おじには一人息子がいるが海外にいるため連絡が取れにくい上、あまり協力的でなく、他の親戚、関係者も高齢のため、ご相談者しか動ける者がいないという状況だったのでご相談したということです。

 今後、ますます独り世帯が増えていくことになります。そうすれば、故人様とご相談者の関係性は多様化してくることも予想されます。施設の方からの相談も多くなってきています。ご相談者自身も、他に頼るところがないという場合も出てくるかもしれません。

 ともあれ、センターでは、どのような状況における相談に対しても、安心していただけるように対応していきたいとは思っています。

年頭にあたり・・・。

 新年明けましておめでとうございます。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 関東地方はお天気に恵まれ、今年の穏やかな三が日も無事過ぎて参りました。
 東京郊外の高尾山では、近年ご来光を拝む若い方や、外国からのお客様が倍増していると巷のうわさで聞いては居りましたが、今年は友人の息子さんも挑戦されたとの由。

 ケーブルカーから山頂は朝のラッシュアワー並みの混雑で大変でしたが、富士山も鮮やかに見え、登った価値は十分だったと得意満面の笑顔で、ご自慢の写真を見せていただきました。

 荘厳な富士山と鮮やかなご来光の輝きが見事なコントラストを見せた写真は、眺めていると気持ちまでも引き締まる様で、昨年来の風邪も何処かに吹き飛び、当方もやっと遅ればせながら、新しい年を迎えることができました。

 当センターもご葬儀のご相談をお受けして、今年で無事設立14年目を迎えることができました。
 14年の間にはご葬儀の仕方も表面上は大分様変わりしてきましたが、ご葬儀をお手伝いする側の死者を弔う気持ちは今も昔も変わりありません。

 ご葬儀を直接担当される方はお1人お1人そのあたりをどのように捉えているか、これからはより一層担当者の資質が問われる時代になるのではと思われます。

 ご相談者からお話をお伺いし、地元のどこのどの担当者がご紹介するにふさわしい方か、我々相談員の責任も重大です。

 まだご存命の方のご相談には、お気持の整理がつけにくく、二律背反への思いから罪悪感に苛まれながらご相談される方もいらっしゃいます。
 
 それでも、ご相談していくうちにあらかじめ知っておくことが、延いてはきちんと送ってあげることに繫がるのだと思えるようになり、残された日々はお父様を看取ることだけに気持ちを集中することができましたと、後日お手紙でご報告を頂きました。

 ご相談者のお気持をどれだけ汲んで、担当者に橋渡しできるか。
 今年の課題でもあります。
 
 

ご相談者の近況報告

 マンションのガス爆発という突然の事故で、屈強なご長男を亡くされたご夫妻から、ご自身のご葬儀についてご相談をお受けしたのは9年程前でした。

 悲嘆にくれる間もなく、ご夫妻からご自分達の万が一を鑑みて、様々な状況を考慮されたご葬儀についての詳細なご希望をいただき、その冷静なご判断に、当時ご葬儀について素人同然だった当方にとっては、只々頭の下がる思いでいっぱいだったことが思い出されます。

 この度、9年ぶりにお電話をいただき、ご夫妻共々お元気でいらっしゃいますが、お2人共あれから大分お年を召され、故郷の菩提寺に納骨されているご長男のもとをお尋ねされることが、今後益々厳しくなるとのご判断で、故郷のお墓を改葬されて、都内に新たな納骨堂をお求めになり、ご長男のご遺骨を移されたとのご報告をいただきました。

 新たな納骨堂のご住職からはご理解に富んだ助言をいただき、万が一の際のプロセスを一部変更されて、新たなご提案を付け加えられたいとの由。

 ご葬儀のご相談にもかかわらず、久しぶりの近況報告に、懐かしい方から突然お便りを頂いた時のように、どこかホッとさせられ、いそいそと新たな見積りをお取りし、お送りさせていただきました。

長期におよぶ可能性のあるご相談には注意

 長期におよぶ可能性のあるご相談は、割合からすれば少ないですが、以前に比べると多くなってきているように感じます。
 こうしたご相談の場合、現在収集した情報は参考情報ぐらいにされるのがいいですよ、とアドバイスしています。
 なぜなら、長期になればなるほど、状況が変わる可能性が高いからです。

 先日は、こんな体験談をメールでいただきました。

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〇〇〇〇にある、〇〇〇〇葬儀社を利用しました。10数年前に父の葬儀を気持ちよく出してくれたご縁で、今年妻の葬儀を依頼しましたが、代替りがあったとの事で、最悪な葬儀社になっていました。

葬儀の段取りは葬儀社、出入り業者達の都合が優先で、こちらの希望を伝えるとあからさまに不機嫌で対応も粗雑でした。担当者の説明は要領を得ず、無駄に長時間に及び気苦労が絶えず、不遜で慇懃な言動に会葬者や手伝ってくれた親族友人にもご迷惑を掛けてしまいました。料金に含まれているはずの内容を花はサービスだとか式の最中にアピールしてきてうんざりでした。

こんな葬儀社は〇〇〇〇からなくなってほしい、まともな葬儀社は他にあります。
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 長期になればなるほど、葬儀社も変われば、相談者をとりまく状況も変わるでしょうし、要望も変わるかもしれません。定期的に見直されるぐらいの心づもりがあったほうが良いかもしれません。

親しい方のみでの無宗教葬を・・・。

 「あちこち遊びにご一緒できる同級生は、とうとう二人になってしまったわ」。
 先日、久しぶりにお料理教室でご一緒した、80代後半の先輩が嘆いておられました。
 人生100歳時代に突入したとも言われている昨今ですが、同年配でお元気な方を探すのは結構難しいようです。
 その先輩も、将来万が一の際は無宗教葬にて、出来るだけシンプルに、親しい友人とご親族だけでのお見送りをご希望との由。
 周りの皆さんもお気持ちは同様で、菩提寺を持つ方、持たない方、思わず一様に頷いて、ひとしきりご葬儀の話題で持ち切りとなりました。

 話題に上った無宗教葬も10年程前、マスコミにセンセーショナルな話題として取り上げられたころに比べると、大分落着きを取り戻し、最近は各人に見合ったご葬儀が執り行われてきているようです。

 他の宗教と違い、少人数での無宗教葬の場合、お式での時間の配分が難しく、時間が余って戸惑われる方もいらっしゃるのではと心配される向きもございますが、故人様と親しく最期のお別れをご希望される方にとっては、むしろゆったりと思い出に浸る時間が取れるようにも思われます。

 当方が立ち合いでお伺いした無宗教葬でも、告別式での献花以外は何もしないでほしいとのご喪家からのご要望をいただき、お集まりになられたご会葬者はお一人お一人が故人様と向き合い、ご出棺のお時間まで夫々が最期のお別れをされ、ご自身のお気持に踏ん切りをつけていらっしゃるご様子がうかがえました。

 また、「無宗教葬の音楽葬で」という故人様のたっての願いで、喪主の奥様はかつてのジャズ仲間にお集まりいただきましたが、ジャズが静かに流れる中、献花をされて故人様と向き合ったお仲間の一人が感極まり、飛び入りで持参のトランペットを吹き、お見送りをされた無宗教葬もございました。

 はたまた、ご喪家側のご事情で故人様のお好きなお料理の手配から、ご葬儀進行を故人のお嬢様の手にゆだね、担当者は脇でアドバイザーとして見守って行く形を取られた無宗教葬等々。
 いずれも故人様のお気持が尊重され、生き方として積極的に無宗教葬を選択されていらっしゃるご様子が伺えたご葬儀でした。

 ご葬儀の話題は無宗教葬での御葬儀をご希望され、ご自身の意思を貫いて、シンプルに生きるお元気な先輩の生き方に触れ、後輩達はいつの間にか背筋を正して聞き入っていました。

近頃のご葬儀事情

今、5年程前のご相談メールとそのご相談者から頂いた手紙のコピーを取り出し、眺めています。

先日、夜遅く「今しがた、父親が病院で息を引き取ったが、○万円以下の直葬を執り行ってくれるところを探している」とのお電話をいただきました。
「今、○万円で執り行ってくれる葬儀社を1社保留にしており、更に安い所をさがしている」とのこと。
あまりの低価格に、ご要望にそえるのは難しいと思うが、地元のセンターの賛同社に問い合わせて、折り返しご連絡を差し上げる旨申し上げたところ、「それ以下の金額だったら、ご連絡下さい。それ以上だったらご連絡に及ばない」との由。

夫々のご事情もあり、夫々のお気持でお見送りされるとは言え、一抹の寂しさは拭い切れませんでした。

5年前のご相談メールには、病院にて闘病中のお父様のご容態は今すぐどうという程ではないが、お父様の為にもできるだけ慌てないで対処したい、との思いでご連絡された旨記されておりました。

看病疲れのお母様の為にも、最期は家族だけで静かに見送ってほしいというのが、お父様の願いでした。
万が一に備えてご相談される一方で、病院に日参されているご自身の行動に罪悪感を覚えたこともあったが、センターとのやり取りで、あらかじめ知っておくことが、ひいてはきちんと送ってあげることに繋がるのだと思うようになってきたご様子です。

センターのホームページに記載されていた「家族だけでお見送りすることも大事だが、永年の付き合いの中で最後のお別れをされたい人の気持ちを汲んであげることも大切」のくだりが頭の片隅にこびりついて離れず、親戚からの「お見舞いも拒否され、最期のお別れもできないなんて辛すぎる」との申し出に、「どうぞお願いします。来てくださいと言えたことで、一生の悔いを残さずに済みました」と感謝のご報告をいただきました。

3ヶ月後のご葬儀では、遠方からご親戚の方々が掛け参じ、久しぶりにお会いされた通夜の晩は、皆で大広間に雑魚寝され、「さながら合宿所のような様相を呈し、翌朝はバケツリレーで、大広間に次々とお布団の山が築かれたのは圧巻でした。1晩が思い出深く、心に刻み込まれた気がします」と、お気持が綴られておりました。

この数年で、ご葬儀の捉え方も大分様変わりしてきたようです。

宮型の霊柩車

つい先日のこと、ご相談者と電話でお話をしていた時にふとご相談者が、「そういえば、最近霊柩車を見かけませんね・・。」と。
私たち以前の世代の方にとって、霊柩車は宮型のもの、後部にお神輿が装飾された車と考えている方も多いと思います。

最近の霊柩車は一見霊柩車とは思わない、バン型の黒い車を使っていることが多く、葬儀に携わっている人にはすぐわかると思いますが、一般の方は道を走っていても、霊柩車だとは気が付かないかもしれません。

式場や火葬場の近隣の住民の方への配慮から、宮型の霊柩車の乗り入れを禁止している地域もあるようですし、使用料もバン型の霊柩車より高くなる、という点も、最近見かけなくなった原因のようです。

ずいぶん前のことですが、子供がまだ小学生の低学年だったころ、休みの日に、戸田葬祭場の近くの河川敷によく遊びに行っていました。
河川敷から斎場がある側の道路を眺めていると、火葬の時間に合わせて、何台もの霊柩車が斎場に入っていきます。
その中に数台、宮型の霊柩車も走っていました。
その霊柩車を初めて見た娘は、「どこでお祭りをやってるの?」と。同じ方向に走っていく霊柩車を見て、この先でお祭りをやっていると思ったようです。
宮型の霊柩車を見ることもほとんどなくなってきましたが、今の立場で改めて見るととても厳かな気持になります。