広い気持ちで…。

 子供さんの小さかった頃の思い出のもの、どうされていますか?

 
 先日、友人との会話でこんな話題がでました。
その友人の子供さんは中学生です。赤ちゃんの頃に着せていたお気に入りの服や、幼稚園の制服、通園バッグ、小学校のランドセルや校帽、図工の作品や絵画など、全部保管しているとのこと。それらを入れる箱に自分の手で布を貼り、可愛くしてとっておきたいのだそうです。
 子供の思い出の品に自分が手を加えたものを、子供が大人になったら渡してあげようと思っているとのことでした。

 もう一人の友人は、子供の一人は社会人、もう一人は大学生と、もうすっかり子育てが終わっています。その友人は、昨年、「断捨離」と言って、庭の物置小屋を徹底的に整理したそうなのですが、子供たちが小さい時に遊んでいた三輪車やなわとび、ボールなどが奥から出てきて、処分するかどうか、一瞬迷って、結局「これを見せられても子供はきっとなんとも思わないだろう」と処分したそうです。
 この友人は、とりあえずかさばらないものだけ、とっておいてあるけれど、それを子供に渡すかどうかはわからないと言っていました。

 そして、私は、基本的には写真を撮って現物は処分しています。賞状なども。
 私の両親は、私の子供の頃のものを押し入れの奥の方に入れて保管していたのですが、ここ数年、少し片付けをして出てくるたびに、それらのものを私の所に持ってくるのです。写真などならいいのですが、ランドセルや賞状などは持ってこられても…と思ってしまうのです。もちろん、「懐かしいでしょ」という意味で持ってきてくれるので、ありがたい気持ちもあるのですが、これも困りものだと思いました。
 私の場合、子どもが小さかったころの思い出は、親が「あの頃」を思い出して懐かしむためのものだと思っています。
 将来、娘に渡すであろうものは、ハードディスクの中にあります。しかし、壊れたらおしまいという、とても危険なものであることと、将来、それを見ることができるハードがあるのかという微妙なものであることは間違いないので、少し落ち着いたら厳選してプリントしておこうと思っています。(見入ってしまって作業が進まない気がしますが…)

 たったの三人でも、考え方や、やり方は様々なのですから、百人いれば百種類の考え方があるのだと思います。
 ご葬儀においては、それぞれのご家族の考え方が特に表れる部分だと思っていますので、もっと広い気持ちで対応できるように心がけていかなくてはと、あらためて感じました。

遺品整理ではなく・・・

 先日、友人から「おじいちゃんの部屋を整理したいので、知っている遺品整理の業者さんを教えてほしいんだけど」と聞かれました。
 「私が数年前に利用したことがある遺品整理屋さんなら知っているけど…」と答えかけて・・・あれ?おじいちゃん、入院されているとは聞いていたけど、まだ亡くなってませんよね?

 よくよく話しを聞くと、医師から、おじいちゃんはもう家には帰れないだろうと告げられたこと、また、痴呆症のため、すでにどこに何があるかもわからない状況になっているなどのことから、一人住まいだった部屋を整理したいと思っているということでした。
 おじいちゃんがお住まいの部屋は、都営の高齢者住宅で、入居待ちをしている人がたくさんいるため、もう戻れないのなら早く出てあげた方がいいと思って・・・と話していました。

 遺品整理の業者さんの場合、遺品になりそうなものがあると、ご家族に判断してもらうため、引き取るまえに確認させてくれたりします。(我が家の場合は、自分たちでは見つけられなかった袋に入った写真や年代物のカメラ、瓶に入った小銭など、大きな紙袋1袋分がありました。)
 そのために、不用品引き取りの業者さんではなく、遺品整理専門の業者さんにお願いしたいと思ったのだそうです。

 遺品整理というと、お亡くなりになってからの作業だと思いがちですし、また、まだ「遺品」ではないので、縁起でもないと、気持ち的にも躊躇してしまうかと思いますが、友人の想いもわかるような気がしました。
 決してお勧めすることはないと思いますが、このようなやり方もあっていいかもしれませんし、実際、生前に整理することもあるのかもしれないと思いました。

ご相談はできるだけお早めに・・・。

先日、早朝、圏外の関西の方からお電話をいただきました。
 「関西にも当センターのようなところはないか」とのご質問でした。
 インターネットで調べ、NPOであることをたよりにお電話をされたご様子です。

 お身内の方が病院でお亡くなりになり、病院で紹介された葬儀社さんの手ですでにご自宅に搬送済みですが、当初聞かされた搬送代よりもかなり割り増しになり、なによりも担当者の高圧的な態度に不信感をつのらせ、今のところは1回ごとのドライアイスの取替えだけをお願いしているとのこと。

 その間にもインターネットをたよりにご希望の葬儀社を探していらっしゃいましたが、調べれば調べるほど何を基準に選べばよいのか迷い、焦りを感じてのご相談とのことです。

 格安のご葬儀を掲げ、全国ネットでご紹介している紹介所にお問い合わせすると、1番近い葬儀社さんとして、かなり離れた他市の葬儀社さんをご紹介いただいたが、お伺いできる範囲と言われてどうしたものか。
 確かに近くには葬儀社が見当たらないようですが・・・。
 他にはNPOを掲げてご葬儀関連の会もあるが葬儀社のご紹介もしていただけるのか否か。疑問は膨らむばかりと・・・・。

 その上、故人様は生前に献体を希望されていらっしゃったので、病院にその旨連絡を取ってみたところ、ご返事は翌日の夕方以降になると言われ、さらに困惑の度合いが深まってしまったようです。

 お話をお伺いして、まずはご自宅にご安置の状態なので、ドライアイスはそのままお願いされ、その間にご紹介いただいた葬儀社さんやご相談者が注目された葬儀社さんから見積りを早急にお取りになり、さらに葬儀担当者からも具体的なお話をお伺いした上で、献体も視野に入れてお決めになられてはと提案いたしました。

 格安をうたっているが、どこまで含まれている費用なのか。
 火葬一式幾らの場合には何が含まれ、何がオプションとなっているか。
 また、火葬場への搬送代は、写真代は、柩に入れるお花代は等を確認される必要もあります。

 少しでもご納得のいくご葬儀をしてほしい。
 やり直しは利かないのだから。
 これがご相談をお受けした者の偽らざる気持ちです。

 先ほど、少し席を外している間にスタッフが連絡を受けたそうです。
 「ご心配をおかけしましたが、ご葬儀は無事おわりましたので、よろしくお伝えください」と。
 今、少しほっとしています。

終活のお手伝いで気づいたこと。

 友人のお母様は80歳を超えていますが、ボーリングでもびっくりするようなスコアを出すとても元気なお母様です。
 しかし、どんなにお元気でもやはりご高齢。友人はお母様の万が一の時のために、終活のお手伝いをしているそうです。

 ちょうど一年前くらいに、お母様が希望している葬儀についての相談がありました。残念ながら、センターの対応地域ではないため、直接のお手伝いはできず、地域による習慣などもあると思うので、一般的なお話しかできませんでしたが、その後、近隣の葬儀社さんに問い合わせをしたりなど、積極的に動いているようです。お母様の身の回りや色々な問題について、一つ一つ、一緒に片付けていっているそうですが、何十年もの歴史があり、また、これからもまだまだ続いていくわけですから、なかなか簡単にはいかないようで。

 友人は、お母様のお手伝いをしていて、ふと、どんどん増えていく自分のコレクションについて考え始めました。
 これらは「あちらの世界」には持って行けない・・・
 老後にこれらを見ることはあるのだろうか・・・
 封も開けずに大切にとっておいて、将来使うことはあるのだろうか・・・

 まだまだしばらくは止められないとは思うけれど、いつかは断捨離しなくては、子供たちに迷惑がかかるかも…と考え始めたそうです。

 友人と私は同じ趣味を持つ仲間。私も彼女と同じようなものを同じくらい持っています。そしてこれからも同じくらい増えていくことでしょう・・。
 
 まだまだ先でいいけれど、お互い、どこかで一旦、よく考えましょう。

お1人様の孤独死対策は・・・。

 先週の鎌倉駅はウィークデイのお昼前にもかかわらず、相変わらずの観光客でごった返し、暫し足止めをされるほどでした。

 鎌倉・鶴岡八幡宮の参道の段蔓は桜の季節が過ぎ早くもつつじの最盛期を迎えようとしています。
 周りの山々は新緑のグラデーションが最も美しく輝く季節になりました。
 坂道を曲がった所定の位置まで来ると、今年も初めてうぐいすの「ホーホケキョ」の声が出迎えてくれました。

 月1回通う山の中腹にある料理教室では、昨年暮れに足を骨折された先輩と4ヶ月ぶりにお会いできました。
 80歳をとうに超えたお歳なので心配しておりましたが、すでに仕事を再開し、以前と同じように全国各地を飛び回り、趣味の陶芸教室の展覧会用作品作りをお話されているご様子にはただただ脱帽です。

 しかしながら、世の中元気な方ばかりとは限りません。
 教室でのお食事の後、皆さんとのおしゃべりの中で、団塊世代の1人住まいの方のお話にはどきっとさせられました。
 私も存じ上げている方のことでしたが、すでにご両親は他界され、お1人いらっしゃった妹さんにも先立たれ、身寄りは甥御さんがお1人だけ。
 定年で退職されたがお体が弱く、万が一を想定し、親しい友人に毎日メールをされ、5日メールが来なかったら甥御さんに連絡を頼むとの約束をされているとのこと。

 昨年来、新聞紙上を賑わせている「孤独死」もどこか他人事のようにまだまだと思っていましたが、年齢に関係なく突然襲ってくるかもしれない事態に、対策を打たねばと急に不安になってきました。
 紙上の悲惨な状況のルポは都会で一人暮らしをされている方にとってある意味紙一重かもしれません。
 お食事中に亡くなられ、3ヵ月後に別居されていた娘さんに発見された方のルポが載っていました。
 新聞や郵便受けがたまっていても、見てみぬふりで済ませている場合が多いと伺います。

 周りを見渡すと、定年後の方、フリーでお仕事をされている方でお1人住まいの方が何人かいらっしゃいます。
 皆さんはどんな対策をされていらっしゃるのでしょうか。
 取り急ぎ、まずは実家へのシグナルを考えなければ・・・。

 お料理教室の帰り、健脚の先輩にあおられながら、坂道をゆっくり1時間ほどかけて鎌倉駅に到着しました。
 ちなみに先輩はよく気が利く妹さんとお二人暮らしとの由。
 新緑の中、自信に満ちた先輩のお顔を見ているとまだまだ大丈夫と安心感も倍増してきます。

 鎌倉駅は中高年の女性客で、午前中よりもさらにごった返していました。
 皆さんとにかくお元気なご様子でした。

会葬者数を調べるには・・・。

1ヶ月ほど前の新聞の投書欄に、過去数十年の年賀状をひと思いに「燃えるごみ」に出してしまい、中には結婚される前の奥様や生前のお母様をはじめ、大切な方からのものもあり、今では後悔していらっしゃるとの投書が載っていました。

 今更ながら保存方法を考えると、どれを捨て、どれを残していくかを選択し、大切な方の分だけに絞って、名前のあいうえお順にクリアファイルに整理しておけば、いずれ亡くなった時には子供達がファイルを見れば、親の交友関係の一端を知ることが出来るのでは、とありましたが、まさにこれはご葬儀の時にも当てはまる、重要な要素になります。

 ご葬儀での会葬者数の予測を立てる場合に、よく故人様の年賀状の枚数等が引き合いに出されますが、儀礼的な年賀状も多くあり、ご家族が正確な数を読み込むことは難しいようです。
 その点、ご自身で整理されたものがあれば、正確を期することができ、まさに鬼に金棒です。

 ご葬儀では会葬者の人数が分かれば、お食事や返礼品などの他に、場所の設定等の大方のことが決められますが、時としてつかみにくく、ご喪家の方から伺った色々なお話の中から葬儀担当者はある程度の予測を立てながら、当日を迎えることになります。
 おおよその予測範囲内であれば問題はありませんが、時には予想を裏切り、大勢の方々がお見えになったご葬儀に立ち会ったこともありました。

 ご家族・ご親族のみの家族葬のはずでしたが、メール等の伝達手段の発達で、お仕事仲間にご葬儀の情報があっという間に広がり、とるものもとりあえず駆けつけた人達で狭い式場が埋まって、身動きできない程になってしまいました。
 フリーでお仕事をされていらっしゃったので、ご家族は仕事仲間の把握ができなく、予測不可能な状態でしたが、ベテランの担当者の計らいで、駆けつけた方々に故人様とのご対面時間を設け、その分通夜のお清め時間を短くするなど、臨機応変な対応でなんとか事なきを得ました。

 自分のことは自分で・・・。エンディングノートとともに。
 思い立ったが吉日、今年届いた年賀状から早速始めてみましょう。

思い出コーナーは自主参加型で・・・。

 昨年末、鎌倉で催された日本初のバレエスクールの回顧展に足を運んだ折、主催者からコーナーの一角にお弟子さんや関係者から送られたスナップ写真を展示し、これが大きな反響を呼んでいるとのお話を伺いました。

 ロシア革命から逃れ、日本に亡命されロシア時代に培ったバレエを紹介し、昭和の初め、鎌倉・七里ガ浜の地にバレエスクールを開設し、多くのお弟子さんに慕われたパヴロバ一家の回顧展には当時のスナップ写真が集められ、開催中は連日大いなる賑わいを見せていました。

 鎌倉には孫弟子まで含めると、現在も多くの関係者が在住しており、皆さんがご自身のアルバムに大切に保管されていたスナップ写真は当時を思い出させ、お互いにお話が弾み、まさに会場は同窓会の趣を呈するほどだったとの由。
 気楽に撮られたスナップ写真だからこそ、思い出の糸口も広がり、大いに盛り上がりを見せたようです。

 一方、ご葬儀を施行する葬儀社さんもサービスの一環として、最近では式場の一角に思い出コーナーを設け、お元気な頃ご家族ご一緒に撮られたスナップ写真をご会葬の方々にお見せする社が多く見受けられるようになりました。
 しかし、時として急場しのぎ的な展示の仕方が目につき、ご会葬の方々の反応も今ひとつ盛り上がりに欠ける場面に出くわすこともあります。
 当然、写真の良し悪しだけではなく、ご喪家の展示する写真に対する思い入れやその写真にご会葬の方々との接点がどの位あるかで、かなり違ったものになるようです。

 以前、お身内を中心とする葬儀はできるだけ家族参加型を提案されている担当者のご葬儀に伺った折に、喪主の方から大いに感謝されたことがありました。

 「思い出コーナーはお孫さん達の手作りで」と担当者から提案され、賛成はしてみたものの色々と心配でしたが、お孫さん達からは写真を張ったり,レイアウトしたり,飾りつけをしたりとおじい様への最後のプレゼントを皆で気持ちをひとつにして完成させ、よき思い出になりましたと感謝され、出来上がった作品を見て感慨もひとしおだったとのことでした。

 また、下町で踊りのお師匠さんをされていらっしゃった方の場合は、「ご会葬者の多くが踊り関係の方々で、踊りのビデオをお見せしたい」とのご要望でしたので、葬儀社さんがビデオの持ち込みをサービスとしてご用意し、大変喜ばれ、コーナーは常に黒山の人だかりで、中には1日中でも観ていたいという方もあらわれてくるほどの反響がありました。

香典返しについて考える。

 久しぶりに大好きな舞台女優・吉行和子さんの著「老嬢は今日も上機嫌」をめくると、先日お亡くなりになられた小沢昭一さんと句会での出会いがユーモラスに書かれており、お会いした時のことが懐かしく思い出され、思わず先を読んでいくと今度は「香典返しはなくそう」という勇ましい?タイトルが目に飛び込んできました。

 昔の芝居仲間が突然お亡くなりになり、ある日香典返しのカタログが届き、何か味気ないと思いつつもスタンドを注文されたそうですが、この香典返しには前から疑問に思っていらしたとのこと。
 香典返しというものはなくていいのではないかと。

 よく言っていただけました。
 香典返しはご葬儀の後、49日をめどにご香典を頂いた方々に半返しとしてお送りしていましたが、昨今は即日返しという名のもと、ご香典を頂いた日に香典返しに代わるお品をお渡しすることが多くなりました。
 ご葬儀の後の繁雑さを考慮して、大方のご香典はご葬儀終了と共に片付けてしまいたいという思いからでしょうか、これでは本来の意味合いも薄れて形だけのものになりかねません。

 私もご葬儀の立会いに伺い、ご喪家側もご香典を出された方も当然の様に即日返しを受け取ってお帰りになられる型通りの姿に、時に漠とした違和感を覚える時もありました。

 昔からあるご葬儀の慣習だからと言ってしまえばそれまでですが、都会ではすでに昔からの村落共同体の意味合いも無く、どこかで断ち切る必要もあるのではないかとの思いがいたします。
 今の時代にふさわしいご葬儀の仕方として、親しかった方々のみでのお見送りが多くなってきておりますが、香典返しだけは相変わらず続いております。
 
 吉行さんは「香典返しはもっと有効に使おうではないか」と提案をされています。
 頂いたご香典はご葬儀に使われた費用の一部にご喪家がお使いいただいてもよし、余裕があればしかるべきところにご寄付されたらいかがでしょうか。
 それで幸せになる人がいれば、その方がよほどよいとおっしゃっています。
 私も同感です。

家財道具

以前、遺品整理業者さんに依頼をしたことがありました。一人暮らしの身内が亡くなり、引き受けることができない大きな仏壇の処分に困ってのことだったのですが、一緒に不要な家財道具の全てを引き取ってもらいました。 身内の者は皆、夫婦共働きで、葬儀や葬儀後の手続きなどにも忙しく、アパートも早いうちに引き払わなくてはならないため、自分達で全ての処分をするには無理がありました。 遺品整理の当日には、専門の業者さんが手際よく荷物を運び出してくれ、簡単な掃除までしていただき、6畳一間の部屋は3時間ほどできれいな元の状態になっていました。引き取っていただいた大きな仏壇は、ちゃんとお焚きあげの供養をしていただけるのがありがたかったです。 先日、つけっぱなしだったテレビで「遺品整理業」の特集をしていたので、見入ってしまいました。 依頼主はアパートの管理人さん。その部屋の借主は死後数日たって発見されたとのことでした。業者への注文は、「全て処分」。親族がいるのかわからない状況なのですから、この場合は仕方のないことだと思います。 親族からの依頼でも、「全て処分」を依頼するかたもいらっしゃることでしょう。持ち主のいなくなった家財道具の最後の片づけをする遺品整理業者さんの「愛されていない」という言葉が印象的でした。

遺された身内のために

 久しぶりにエンディングノートを開きました。
 今はまだ何も書いていないので、書き始めようかと思ったのですが、いろいろと調べなければならないこともあり、書き始めるとけっこう大変かも…。と、結局何も書かず、また閉じてしまったのですが。

 友人知人の連絡先や保険、年金の証券番号、色々と調べなくてはならないことが多いので、つい後回しになってしまいますが、やはり遺された者にとってはとても助かる一冊であることは間違いありません。
 本人でも、こうなったらどうしようかと迷う選択を、自身で選択できなくなった状態の時に身内に判断を任せるのは酷なことでもあります。

 実家の両親にも一冊ずつ渡しているのですが、はたして書いてくれているのでしょうか。
 きっと書いてくれてはいないと思うので、エンディングノートに書いておいてもらいたいことを、さりげなく聞いてしまおうかとも思っています。

 葬儀のことは私に任せるから大丈夫だと身内の者は考えています。もちろん、それはそうなのですが……。では、私に万が一のことがあったときは?

 いつ、なにが起こるかわかりません。家族のために、一番、書いておかなくてはならないのは私なのかもしれないということに気がつきました。