パソコンの中

 断捨離を兼ねて、少しずつ夏の大掃除を始めました。2カ月くらいかけてゆっくりなペースでやっていこうと思います。
 私は整理下手なので、まずは自分の身の回りからと、書類棚やデスクの中を整理していると、保険証券やらマンションの契約書やら、大切なものがあちらこちらから出てきました。これ、私に何かあったとき、家族は見つけ出せないな…。
 とりあえず、大切なもの、家族で必要なものはひとまとめにして誰もがわかるところに収納しておきました。

 葬儀のご相談でも、「互助会に入ってたはずなのだが、契約書が見つからず、どこの互助会にはいっていたのかもわからない」や、「印鑑や通帳のあるところがわからない」など、もう聞くことができない状況でご家族が困っているというお話しをうかがいます。
 
 今の時代、パソコンの中にも大切なものが入っていたりします。
 ご主人と二人暮らしだった妻が、急に旅立ってしまい、妻が遺したパソコンを開いたとき、ご主人に内緒でブログをやっていたことを知りました。内緒でやっていたので、そのたびにログアウトしていたのでしょう。ご主人はIDやパスワードがわかりません。やっとのことでメモを見つけ、ログインすることができたそうです。ご主人に内緒でやっていたことなので、見つかってしまって、天国の彼女はどう思っているのかなと思いますが、ご主人にとっては、彼女の大切な思い出が一つ増えたと喜んでいたそうです。
 これは私の知り合いのお話しですが、これを聞いたとき、私もパソコンの中をなんとかしておかなくては!と思いました。

 そんなことを思ってそろそろ一年が経ちますが、パソコンの中は今や大変なことになっています。パソコンの大掃除が一番大変かもしれません。

 家族や身内に知っておいてもらった方がいいもの、知られたくないもの、いろいろあると思います。そんなものの整理もきちんとできたらいいのですが…。

喪主のご挨拶

 ご葬儀のお式においてのハイライトは、最後の喪主のご挨拶に関わってくることが意外に多く見受けられるようです。

 少し前のことになりますが、通夜・告別式合わせると永年からの友人400名近くに囲まれたご葬儀も、残すところ喪主のご挨拶のみとなっておりました。
 しかし、この時点ですでに出棺時間は10分程超過していましたが、担当者は何事もないように喪主の奥様にマイクをお預けになりました。

 「これだけは皆様にご報告をしなければ」とばかりに奥様が静かに故人様の病気の経過報告を語り始めると、今までお見舞いを拒まれていた皆様が、一様に胸のつかえが下りたように目を瞬いて頷きあっていらした光景が、昨日のように目に浮かびます。
 皆様のお気持が一瞬の間にひとつになったような空気が広い会場中を覆っていました。

 少し不謹慎な言い方ですが、この奥様のご報告が本日のハイライトで、このご報告のためにご葬儀があったのではと思わせるほどでした。
 後で担当者に伺うと、あえて急がせなかったのはここで奥様の胸のうちを全てお話して頂くことが一番重要なことだと判断し、心ゆくまで奥様に時間をお渡しされたとのこと。
 勿論、そのためには各方面への担当者の事前の配慮があったことは言うまでもありませんが。
 お帰りの皆様の表情と奥様の安堵のご様子は今でも思い出される程です。
 
 「沢山の友人に囲まれて、幸せな人生だったと思います。お父さん長い間ご苦労様でした。旅立ちにあたり乾杯をしますので、皆様今一度グラスを・・・。父の旅立ちに先立ちましてカンパイ!」。
 こちらも喪主の長男のご挨拶です。

 ご会葬の古くからの友人達60名程は白薔薇での献花を済ませ、シャンパングラス片手に献花と同じ白い薔薇に囲まれたお柩を取り囲み、旧交を温めあいながら思い出話に花を咲かせて、故人と最後の晩餐のひとときを過ごしておりました。
 喪主の奥様だけが真紅の薔薇をお持ちになり、ご会葬の方々お一人ずつとお話をされ、最後に真紅の薔薇は故人の胸の上にそっと置かれ、柩に納められました。

 また、喪主のご挨拶に対して御礼の言葉を述べた妹さんも忘れがたい存在です。
 それは複雑なご事情が絡み、何十年目かにお兄様とご対面をされた妹さんの心情が切々と伝わってくるようなご挨拶でした。

 親族を代表して、お手紙持参でお見えになり、柩に入れる前に初めてお目にかかるお義姉様へのお礼として読み上げられました。
 「あんちゃんらしく生きた人生でしたね。両親を早く亡くしたので、いつも心の支えはあんちゃんでした。etc.もう、実家のことは心配しなくても大丈夫です。おねえさん、長い間あんちゃんの面倒を見ていただき、有難うございました」と結ばれた文面に、喪主を務めた奥様の嬉しそうな泣き顔が全てを語っているようにも見え、傍から伺っていても胸が詰るおもいをしたものでした。

 最後のご挨拶の合否は話したい、話しておきたい気持をどれだけ持っているかの一点にのみかかってくるようにも思えますが・・・。

「安心」

 少しリアルなお話しです。
 数年前、義父が亡くなりました。自宅で亡くなったのですが、一人暮らしだったため、検死の結果、身内に気づいてもらえたのは、恐らく死後2日くらい経った時であろうとのことでした。
 比較的早い時期に見つかったことと、季節が真冬だったことから、ほとんど身体に損傷はなかったことが幸いでした。
 このような状況でしたので、葬儀はまず遺族のみで火葬をし、一週間後に親族に来ていただいての「骨葬」というかたちを選択しました。
 義父は兄弟が多いので、きっと、親族からは「なぜ最期に会わせてくれなかったのか」などと言われてしまうだろうなと思い、迷いながらの決断だったのですが、状況が状況だったことから、親族からは、納得するのは難しいけれど、理解はできるということで納めてもらえたようです。
 葬儀は菩提寺で執り行ったため、葬儀後にはそのまま納骨までを終えることができました。
 
 ただ、私の中では、義父のためにも最期はちゃんと親戚にも会わせてあげたかったなと後悔が残っています。突然だったということや普通ではない状況だったということもありますが、日ごろ葬儀関係の仕事をしている私でも当事者になったときに落ち着いて先の状況まで気を配ることは困難でした。

 長い間入院されていて、覚悟はできていたとしても、その時がくると冷静にしていることはとても難しいことだと思います。そんなときに、全てを任せて、葬儀の段取りを仕切ってくれる葬儀社さんを、とても頼もしい、全部やってくれてありがたいとも思うかもしれません。
 ただ、そこに「安心して全てを任せられる」の中の「安心」のキーワードをつけるには、事前に信頼できる葬儀社さんに出会うことが必要になるのではないでしょうか。

 事前に葬儀の相談をするのはあまり気が進まないという方もいらっしゃると思いますが、、信頼できる葬儀社さんに出会うために事前の葬儀相談をすることは、後になって気持ちに少し余裕ができ、安心して見送ってあげられることにつながるのではないかと思います。

エンディングノートの必要性

  「お骨はひとまず預かってほしいと言われ、知り合いのお寺さんに預かって貰っています。ご連絡はまだいただいておりませんが、ご葬儀には菩提寺のご住職もお見えにならず、お父様のご葬儀以来からでしょうか。複雑なご事情があるようです」。
 出張先で急死され東京のご自宅まで搬送いたしましたが、2週間前にお父様が亡くなられたばかりとのことで、直葬という形をとられた方の現況を、葬儀担当者に伺った折の電話口でのやりとりです。

 昔からいつ何時ことが起こるか分らないからと言われながらも、普段多くの人は聞き流し、その場に出くわしてから、初めて事の大変さに気付き、うろたえ、ほぞを噛んだものでした。
 ことに人の死に関する問題は残された方々にも火の粉が降りかかり、取り払うのも大変です。
ご自身のためにも、残された方々のためにもご自身の最期をどのようにされたいのか、してほしいのか、知らせておく必要性がさらに増して来るのではと思われます。

 最近マスコミでもひんぱんに取り上げられて、自分のことは自分で処理できるようにと、万が一の時はどのようにしたいか書置きが出来るエンディングノートの存在がクローズアップされていますが、まだまだ一般的な普及までには至っていないようです。
 自身の死を意識するのは縁起でもないと一蹴する前に、元気だからこそ客観的に書ける要素も多く、後に残された方々が火の粉をかぶらないためにもエンディングノートの存在をアピールし、もっと日常の生活に溶け込ませたいものです。

 「エンディングノート」で思い出すのは昨年秋話題になった同名の映画です。
 
  余命を告げられた、かつての企業戦士が家族に残す遺言状として、自身のエンディングノートを制作して行く過程を、娘さんである監督が絶妙な距離をもって撮影をしていく様は、見る側に生きることの大切さをずっしりと伝えてくれました。

 モーレツサラリーマン時代そのまま全て段取りをしなくては気がすまない主人公は、冷静に病と向き合いながらも、葬儀の段取りを一つひとつ丹念に仕上げていきます。
 実家は仏式ですがお墓は宗教を問わないとのことでキリスト教葬に決めました。
 結婚式以来と軽口をたたきながら式場の下見をされ、こちらを選んだ理由を説明されていました。
 ①好印象だったこと②家から近いこと③リーズナブルであること。
 さらにご葬儀は近親者のみで執り行うことetc。
 死に対して向かい合うことの大切もさることながら、「一人ひとりの死に対する思いへのヒントになるのでは・・・。まさにエンディングノートだ」との思いを強くした映画でした。
また、パンフレットには「この映画を見たら皆エンディングノートを書きたくなるにちがいない」とコメントされた方もいらっしゃいました。

 エンディングノートを活用され、これからのご葬儀は自身の意思をより明確にし、自分流をアピールすることが周りのトラブル防止にも繋がること思われます。

縁について考える

毎日の生活の中で私達は「これも何かのご縁で・・・」とつぶやきながら、親交を暖めあっています。
 様々なご縁があって今、私達は生きています。

 そのご縁とは裏腹に1昨年は無縁社会、無縁死という言葉が社会現象にまでなってしまった感がありました。

 都会の狭間で頼る人もなく、ぽつんと一人で生きている人達の生活や、あげく誰にも看取られることなく亡くなられた方の死を取り上げ、またたく間に流行語のように言葉が1人歩きしてしまったようでした。

 かつての村落共同体のように村中が協力し合って田畑を守り、お互いの生活にまで踏み込んでいた時代とは異なり、都会での生活は各人それぞれの殻の中に入って、直接関係する人達とのコミュニケーションだけが濃厚になっていき、その中から弾き出された人は孤立無援の状態に陥ってしまい、周りとの繋がりも持てなくなってきている人が増えているようでした。

 今までは家族の縁や地縁は好むと好まざるとにかかわらず自然に手に入るものでしたが、これが当てにできなくなってしまった昨今では、今までと違った縁を自分の意思でもって積極的に捜し、作っていくことが重要になってくると思われます。

 ネットで繋がっていく縁、NPOや地域のサークル活動を通じた縁など、様々な縁を持ちましょう。

 東日本大震災から丸1年が過ぎました。
 昨年は無縁社会を払拭するかのように絆の声でいっぱいでした。
 しかし、その間にも無縁社会は着実に広がっていることを実感させられたことが度々でした。中でも家族の縁は切実でした。
今年は絆に加え、新しいご縁の輪が幾重にも繋がっていくことを期待します。

写真

 数年前のことですが、一人暮らしで亡くなった義父の遺品整理の現場に立ち会ったことがあります。

 部屋にあった大きな仏壇の処分に困ったことが業者さんに頼むきっかけでした。
 仏壇屋さんに相談したところ、中の御位牌をきちんとしたかたちで移動しているのなら、空の仏壇はただの箱。解体して普通にゴミにだしても大丈夫。と言われたのですが、気持ちの上で整理がつかず、専門の業者さんにお願いして、きちんとお焚きあげで供養してもらおうということになったのでした。

 業者さんが来る前に、一通り必要なものを持ち帰り、後は全て処分してもらうことになっていたので、作業の途中は少し席をはずしていたのですが、引越し屋さんのように手際よく中の荷物をトラックに積み込み、大きな仏壇は丁寧に扱ってくれました。

 最後に業者さんが処分していいかどうか迷ったものが部屋の片隅においてありました。カメラと袋に入った写真の束でした。

 とても古い、年代物のカメラと、写っているのが誰なのかわからない写真。
 他の荷物と一緒に処分してもらってもよかったのかもしれませんが、私はなんとなく手放せず、そのまま持ち帰りました。
 
 義父の交友関係は息子たちにもわからなかったようです。
 今、その写真とカメラは兄の家にある仏壇の近くに保管されています。

兄弟揃っての事前相談

 当センターでは普段メールと電話で事前相談をお受けしておりますが、先日はご依頼者の方兄弟5人で直接センター事務局にお見えになり、スタッフが対応させていただきました。
 ご相談の最初から皆さんで納得のいくご葬儀をとのお気持ちが伝わり、賛同社から見積りをお取りした後、直接賛同社との面談も5人揃ってお伺いされ、その場で皆さん合意のもとお決めになられたようです。
 それぞれお忙しい時間をやりくりし、最後の親孝行とばかりにご兄弟一丸となって事に当たる姿はある意味うらやましくもあります。

 ご相談をお受けしていますと、ご依頼者は様々です。時に肉親や義理のご両親のご相談以外のお話で、思わぬ波紋を広げてしまうこともあります。

 妹さんのご主人が危篤状態に陥り、ご主人とご兄弟のように仲の良かったお兄様から妹さんの窮地を見兼ねてのご相談がありました。
 妹さんの承諾を得てのご相談でしたが、お話が進むにつれご主人のご兄弟側からクレームが起きて、結果お話は断念せざるを得なくなりました。
 普段疎遠の方々も血の繋がりがこの時とばかりもたげてくるようです。
 良かれとした事が妹さんに気まずい思いをさせ、お兄様としては辛い立場に立たされてしまいました。

 後悔のないご葬儀のためにも最初のご相談が肝心なことを5人のご兄弟に教えられました。

介護と最後の問題は…

 今年も喪中の葉書をあちこちからいただきました。
 とりわけ長年お母様の介護をされていた友人からの葉書を受け取った時には思わず“長い間、ご苦労様でした”とつぶやいてしまいました。

 15年前、フリーのデザイナーとして活躍していた友人はお母様の介護に専念するために全ての仕事をストップし、以来介護一筋の生活を送ってきました。
 毎年いただく年賀状はモンゴルの大平原であり、南の島のどこまでも青い空のもとであり、いつも満面の笑みを湛えた写真付きの近況報告でした。
 つかの間の息抜きに大変さが読み取れ、胸が詰まる思いですが、我々部外者はなかなか適切な言葉1つ掛けてあげられず、歯がゆい思いもしておりました。
 長い介護生活の中で身に付けた術というのでしょうか。友人は全てを受け入れた中で最大限の努力をされていたのでは・・・。

 我々が受けるご葬儀の中にはお父様の命が危ないとご相談中に、介護をされていたお母様の方が急逝され、先に見送られるはめになったり、またその逆の場合もございました。

 また、長い介護生活の末になくなられたお母様を認知症のお父様がお見送りすることになった折、葬儀社の若い社員からのねぎらいの言葉に違和感を持たれた方もいらっしゃいました。
 社員の方もよかれと思って言ったことがご相談者の心に引っ掛かってしまわれたようです。
 若い方には老いた時の心境を推し量れと言ってもなかなか難しいのではと気遣ってくださいましたが・・・。

 介護と最期の問題はこれから社会の大きなテーマになっていくのでは・・・。
 今年はその第一歩を思わせる1年だったようです。
 今までどちらかと言えばタブー視され、話をそらせてきたことが、正面を見据えて語らえる時代に突入した年でもあったと思われます。
 来年も引き続きこの問題から目をそらさずにいくつもりです。

 私の担当は今年最後になりました。
 ではよいお年を。

ご葬儀後にすべきこと

 「何から手をつけて良いのか分らず、ご葬儀後の事務手続きには大変困っております・・・」
 今年の傾向の1つとして、このようなご相談を度々お受けいたしました。

 最期を看取り、ご葬儀が終るまでは葬儀社の担当者を始め、ご親族、友人知人と周りの方々があれこれと面倒を見、気に掛けてくださいますが、ご葬儀後はそのお宅の個々の問題に関わりますので、ご相談されない限りなかなか口を挟んでくれません。

 心の癒えぬまま、身近にご相談できる方もなく、闇夜に放り出されたような状態の中、手探りで事後手続きをされ、時に立ち往生されることもあるようです。
 インターネットで検索しても通り一遍の回答しか出てこなく、またご自身の実情と照らし合わせてもあまり役立たない場合が多く、もどかしさだけが残ってしまうとのことです。
 今までは年配の経験者に伺えば事足りたこともあり、関心を持ち事前に調べておくという習慣が無かったことも災いしています。
 
 当センターのホームページ欄での来年の課題のひとつとして、お1人で事後の諸問題を解決されたい方に具体例から少しでもお役に立てるような配慮をしてアドバイスできればと思っております。

 葬儀社の方々もお葬式が終われば終了ではなく、その後の事務手続きに必要とあれば専門家の方を紹介し、また墓所墓石の相談に乗り、49日、新盆、一周忌、3回忌とご命日にはお花をお持ちし、お手紙をお出ししてフォローされているところもでてきています。
 ハウツーではない回答ができるよう、お互い頑張りましょう。

仕事を続けるのは「孤独死」を避けるため…

 「孤独死」最近の紙上やテレビでよく目に留まる言葉の一つです。

 先日、テレビをつけると50代の女優さん達のおしゃべりの中でこの言葉が聞かれ、思わず見入ってしまいました。

 ずっとお仕事を続けているのは「孤独死」を避ける意味もあるとのこと。
 3日も連絡がなければ所属事務所の方で気付いてくれるからと、明るくサラリとおっしゃっていました。
 本音はともかくも、半分は的を射ているのでは・・・。

 都会生活での1人暮らしでは、ほとんどご近所とのお付き合いもなく、ましてフリーでお仕事をされている方は、ご本人からの連絡がなければずっと見過ごされてしまいます。

 以前、フリーでパワーのある写真を撮り続けていた女性写真家が、死後3ヶ月経ってご自宅マンションで上京されたお兄様により発見されたことを、人づてに伺いました。
 友人、知人も海外取材でお留守とばかり思っていらしたようです。

 孤独死は周りの方々の世話が必要とされる老人よりも、むしろ1人で行動できる中高年の問題として、益々クローズアップされてくると思います。

 しかし一方で、ご自身が選択された生き方であり、長患いをせず、苦しむことも少ないので必ずしも孤独ではなく、生き方の選択肢の一つである。この言葉は不適当だという声も聞かれます。

 何はともあれ、今までタブー視されていた問題が白日のもとで取り上げられ、さまざまな議論がなされることは、各人のこれからの生き方を問う上での一歩になるのではと期待しているのですが・・・。