通夜の朝まで、揺れる心の内は・・・。

「果たしてこれでよかったのだろうか。通夜の前日を迎え、心配は大きくなるばかり。ご葬儀が決まり、葬儀社との打ち合わせも済み、お別れの時間も刻一刻と近づいてきました。今真夜中ですので、お返事は朝で結構です。悩んで眠れません」。

 メールが届いたのは、明け方の4時16分でした。

 式場を火葬場併設の斎場にされたことを気になさり、悔やんでいるご様子。

 生前お父様と親しかったご近所の方々のご会葬が当初の予定をはるかに上回りそうな気配。また、残されたお母様は参列者が多いことをなによりの供養と思っていらっしゃるとのこと。
 しかし、依頼主で喪主になられる方は一方的にご自身の考えだけで斎場選びをされてしまったことを後悔し、心配されています。

 火葬場が近いことをいやがる方もいらっしゃるかもしれないのにと。

 でも、大丈夫です。センター設立当初から行っているアンケートや施行後のお便りからも火葬場併設斎場でのご葬儀に苦情があったことは一度もありません。
 まずはご安心いただけると思います。

 その上、私共が取り扱ったご葬儀の9割はご自宅以外で、その中でもご要望の高いのが火葬場併設の斎場ですので、お見えになられる方々にとってもそんなに違和感は感じないのではないでしょうか。

 ご葬儀自体もその他のお寺や会館での儀式と全く同じで、一般的なご葬儀になりますし、出棺後のマイクロバスでの移動がありませんので、火葬場まで行かれる方々にとっては好都合です。
 その上、ご葬儀をされる式場と火葬場は道路を隔てた隣に位置し、他でご葬儀を執り行いマイクロバスで火葬場にいらっしゃった方々とご葬儀の時にご一緒になることはありませんので、お気持も少し和らぐのではと思います。
 むしろ、お選びいただいたメリットの方がおありになるとお考えなられた方がよろしいのでは・・・。

 とうとう通夜の朝を迎えました。
 早速に返信メールを頂きました。
「心の荷が少し解けました。もう大丈夫です。今後は前を向いて参る所存です。色々有難うございました」。

 こちらこそ、有難うございました。
 どうぞ、お気を強くもたれ、お母様をお守りしてあげてください。
 よろしくお願いいたします。

子に先立たれた親の悲しみをも共有してくれそうな女性パワーとは・・・。

 ご葬儀の事前相談を頂いたご本人様のご葬儀から、1ヶ月近くが経とうとしています。
 子に先立たれた親程悲しいことはない
 お母様宛にアンケートをお願いするのをためらっていましたが、意を決して手紙を書き始めた時でした。
 ご相談の電話のベルが鳴ったのは。

 電話の主は13週間目に入った赤ちゃんが死産になってしまったので、亡くなった病院のある火葬場ではなく、都内で火葬にしたいので葬儀社のご紹介をとのご要望でしたが、ご主人の落胆された声のご様子からは、にわかに奥様のことが心配になってきました。

 ご葬儀で、働き盛りの息子さんに先だたれた年老いたご両親から、生後数ヶ月の赤ちゃんの死を受け止めざるを得ない若いパパママまで、納得できないまま気丈に振舞っていらっしゃるご様子を見るのはつらいものがあります。

 こんな時、見たり聞いたりする葬儀社の担当者の気配りぶりにはいつも脱帽です。

 赤ちゃんを亡くされた若いパパとママからは「家族だけで見送り、よくわからないことばかりだったのですが、よく相談にのってくれ、ややおせっかいくらいに親身になってくれ大変感謝しています」とのお手紙もいただいております。

 このような場合に限っての振る舞いぶりは独断と偏見で言いますとベテラン女性担当者に軍配が上がるように思われます。
 ちょっと身びいきの感がありますが、見ていられなくなって余計なお世話を承知で焼くオバサマパワーがこんなところで大いに発揮されているようです。
 悲しみの一部までもドーンと引き受けてくれそうな気配が伝わってくるのでしょうか。
 頼もしいベテラン女性担当者の出番です。

ご自身の生前予約を希望される方から教えられることとは・・・・。

 最近はご葬儀の生前ご予約を希望される方の中で、ご両親の他にもご自身のことに触れる方が目立ってきているようです。
 
 中でもご自身のことになりますと、お身内の方の場合と少し異なり、相当に確固たる意思を持って臨まれる方が多いように見受けられます。

 1年ほど前、新聞報道を見て直葬という方法を知り、今は健康ですが高齢なので万が一に備え、無宗教での生前予約をとご要望のあった方は、妹さんからも同様なご希望を頂きました。
 お兄様の生き方に共鳴され、生前予約をされた後、ご自身が描いた絵の絵葉書とご一緒にご丁寧なお手紙を頂き、思わず背筋を正し大きく頷いたことが思い出されます。

 また、明るく張りのあるお声でテキパキとご指示を頂いた方からのご相談は、最初ご両親のことと勘違いするほどでしたが、再入院される直前でのことでした。
 お子さんもまだ小さく、後を託すご姉妹のためにもとおっしゃるお元気な様子に、未熟な当方が励まされた形になってしまいました。
 妹様からご連絡をいただいたのはそれから半年後でした。

 先日、これから再手術の為、万一に備えて、生前予約をされたいというご連絡をいただきました。
 声の主は、終始穏やかで、どこまでもやさしく感じられました。
 色々と教えられることしきりです。

「残りの日々を看取ることだけに集中できました・・・」

 以前お手紙を頂いた中でも、事ある毎に思い起こす文面があります。
 「残りの数日は、父を看取ることだけに気持を集中することができましたので、本当に相談させていただいて良かったと思います」
 センターにご連絡いただいた時点ではお母様と交代で病院に行くのが精一杯でしたので、まだお母様にもご相談されずに、意を決して電話をされたとのこと。
 センターの担当者とお話されているうちにお任せする覚悟ができ、お母様にご報告され、お二人とも後のことは考えず、残り少ないお父様との日々を大切に過ごされたご様子のご報告を頂きました。
 お身内の方を亡くされた悲しみは同じでも、自分が積極的に看取ることができたか、はたまた気持だけで何もできないうちにお亡くなりになってしまわれたかで後々になって心の整理が大分違ってくるようにも伺います。

 また、同じように覚悟を決めてセンターに連絡をしたが、「当初は病院へ日参しながらの日々に罪悪感を覚え、自分を冷たい人間だと感じ、裏切った思いすら致しました」。
 しかし、「センターとやり取りしている過程であらかじめ知っておくことがひいてはきちんと送ってあげることにつながるのだと思えるようになりました」とご報告いただいたお手紙にもほっとした思いがよみがえります。
「安心」の二文字をどのようにお届けできるか、これからも大きな課題の一つです。

「お子さんを亡くされた場合、お子さんを散骨できますか・・・?」

 先日、TBSラジオ番組「アクセス」で討論された「散骨は国が法規制するべきか」の中で、散骨の有無について聴取者のおっしゃった言葉が引っ掛かっています。

 すべきとおっしゃった方の中で、「もし若いお父さんが子供さんを亡くされた場合、子供さんを散骨できますか」と問われた方がいらっしゃいました。
 確かに散骨を希望される方はご自分が生きるだけ生きた、又は皆さんが大往生だと認めた場合が殆どでしょう。
 順序が逆の場合は難しいというよりはちょっと考え難い。
 
 宗教学者、島田裕巳氏も「子供さんというよりも若くして亡くなられた葬儀に行くと葬式では解決できないどうしようもない問題ってあると思う。ご高齢で亡くなられた方の弔い方と若くして亡くなられた方の弔い方、葬り方というのはどうしても気持の内で違ってきてしまう。散骨などする場合でも後の問題なんか、すごくある。亡くなった人をその後どうするかという問題がどうしても出てきてしまう。」と、コメントされています。
 
 これに対して、すべきでないという方は「生と死は常に表裏一体であり、生と死は回っているものだし、生まれた時から死に向かっているのだから3日で亡くなった子であろうと、100歳まで生きた人であろうと違いはない。死というのは平等なんです」と明快に答えていらっしゃいました。
 また、「近くに散骨場は嫌だ」というのは死を認めたくないという強い願望で、その裏返しだともおっしゃっていました。
 皆さんは如何でしょうか。
 

喧々諤々「散骨は国が法規制するべきか」聴取者の判断は・・・?

 前日の疲れからかうつらうつらしていると、いきなり「さんこつ」という言葉が耳に飛び込んできました。
 慌てて周りを見渡すと、掛けっ放しのラジオからでした。
TBSラジオ・夜10時からの番組「アクセス」では「散骨は国が法規制するべきか否か」のお題で聴取者を交えての討論が始まるところでした。
 タブー視されていたご葬儀もここ2~3年の傾向として日常的な話題に乗せられるようになってきたようです。
 その1例として司会者は直葬をあげていました。
 2年前にはそういうものがあるという話題から、昨年には増えているという段階になり、今ではすでに選択肢として定着されてきているというように。
 時代の変化に呼応するかのような動きが見られる一方で「待った」をかける意見も活発です。ここは大いに議論されることを期待したいものです。

 今回まな板に乗ったのは「散骨」の是か否でした。
 まだまだ一般的に散骨と言われても漠然としたイメージを持つ方が大方のようです。
 規制すべきという方は、蒔かれる方の立場はどうなるのか、狭い日本の中では風向きによって何処に飛んで行くか分らないのでは。近くの住民にとっては大きなプレッシャーになり、散骨は日本人には合わないのでは・・・。但し、規制はモラルの範囲内でと。
 また、別な方は宗教心が無さ過ぎる。亡くなった後の問題をどうするのか。手を合わせる対象物が欲しい。墓がある方は墓と散骨場をどうするのかと。

 一方、規制すべきでないとおっしゃる方は散骨も埋葬許可書、火葬許可書のように地域で散骨したい場所があれば許可書を発行してはどうか・・・。散骨主義の宗教団体ができた場合は宗教の自由の観点から難しいのでは・・・。
 また別な方は生と死は表裏一体のもので、ちゃんとお葬式をして送り出した後、散骨にするには何の問題もありませんと・・・。

 それぞれの立場で宗教観を交えながらお話されていましたが、ご主人を観音崎沖合いに散骨されたご婦人からは体験談をお話になり、ご自分の場合も娘さんがそうしてくれるはずですと凛としたお声でおっしゃっていたのが印象的でした。
 お骨は粉砕し水に溶ける紙に包み、お花は蕚のところからちぎり、娘さんと甥ごさんが代表して大好きだったお酒も持参し海上から落とし、娘さんはその場で般若心経をあげてお父様のご冥福をお祈りされた由。
「やり方で、粉が周りに飛び散るということはございません。それだけは申し上げておきたかった」とおっしゃっていました。

 当日のコメンテーター・宗教学者の島田裕巳氏は「こういう習俗がものすごい勢いで変化していく中で、それを判断するある種の宗教観みたいなものを我々がどう確立していくかというようなところが、今最も求められているのでは・・・」と。
 聴取者からのアンケートでは、するべき・52パーセント、そうは思わない・33パーセント、どちらでもない・15パーセントとの報告がありました。

虫が知らせるご縁かな・・・?

 2ヶ月ほど前、「お医者様から父がすでに心の準備をしなければいけない段階であるといわれています」とのご相談メールを頂きました。
 ご希望としては「火葬場に行くまでの時間を自宅でお花と家族、父の兄弟に囲まれて過ごさせてあげたい。ただ心配なのはご近所にご迷惑が掛からないか」とのやさしい心遣いをされていらっしゃいました。
 ご質問にお答えしたり、こちらからご要望に対する質問を投げかけたりと幾度となくやり取りをしていましたが、ある日突然ご返事が頂けなくなってしまいました。
 やり取りが空回りして、ご質問にお答えできていなかったのではとあれこれ思いめぐらしておりましたが致し方ございません。
 これもご縁がなかったのだと自分に言い聞かせておりました。
 
 先週夜遅く見覚えのあるメールが届きました。
 そうです。2ヶ月前の方です。
 その間、お父様の緊急入院があり、いざ現実味を帯びてくると緊迫状態とは裏腹にご葬儀のことが考えられなくなってしまわれたとのこと。
 しかし、お父様は持ち直してお元気に退院され、依頼者も気持ちの余裕ができてきたので、引き続きご相談をとのことでした。
 久しぶりのお便りに、当方も朝一番には賛同社に見積りをお願いしようと張り切っておりました。
 ところがなんと翌朝お元気になられたお父様がお亡くなりになられたとの1報が飛び込んできました。
 突然なことに、取るものも取りあえず賛同社をご紹介し、担当者は当方の説明した見積りをもってご自宅に伺わせていただきました。
 2ヶ月ぶりにご連絡頂いた日にお亡くなりになるなんて、虫が知らせたのでしょうか。
 これも何かのご縁かもしれません。

安心して父を最後まで看取ることができました。

 センターの事前ご相談フォームに寄せられる質問の中には「何処からどう手をつけてよいか、万が一の前に何をしておけばよいのか」。
 また「マニュアル本を読んでも現実になった時、そのようにいくのだろうか。やり直しがきかないのにそれを聞く人もいない」と不安を訴えるご相談者が目につきます。
 不安材料を抱えながらも事態はどんどん進行し、時間は待ってくれません。
 でもご安心ください。
 万が一の後は搬送から火葬終了まで全て、葬儀社が面倒を見てくれますから。そのためにも葬儀社選びが重要になってきます。
 間に入るセンターの我々はさまざまなご要望を聞き、依頼者の立場にたって内容を整理して、見積りをご要望に沿った賛同社から取り、ご紹介します。
 中にはまだご存命なのに葬儀の準備を始める罪悪感に悩まされる方もいらっしゃいます。
 しかし、そういう方でもメールのやり取りをしていくうちにあらかじめ知っておくことがひいてはきちんと送ってあげることにつながるのだと思えるようにようになりましたと後述されています。
 葬儀社が決まれば、後は安心したお気持ちで最後まで看取ることができます。
 ある方は亡くなったお父様の看取りとご葬儀をご自分の中では「幸せな思い出」となっていることにきずかされたとまでおっしゃっています。
 ご要望に合った葬儀社を決めることで、後は皆さん悔いが残らない用看病に専念されるようです。
 「残された数日間は父を看取ることだけに気持ちを集中することができましたので、ご相談してよかった」とのご報告をいただきます。
 
 こちらからもできるだけ看病に専念されますようお願い申し上げています。

最期を看取るご家族間の意思の疎通が大切です。

 最近は転勤などでご両親と離れて暮らし、挙げ句遠距離介護を余儀なくされるケースがふえていると聞きます。
 覚悟はしていても 離れている分どうしても意思の疎通がおざなりになりがちのようです。
 身近にいれば身の回りの変化に気づき、話し合うことも十分できますが、離れていると時間の経過との闘いになる最期は特に予期せぬことが多々出てきます。

 先日も地方在住の方から、都内在住のお母様の死期が近づいていることを担当医から告げられ、ご葬儀の相談をセンターが受けました。
 メールでのやり取りを始めたこの時点ではまだ切羽詰まった状態ではなかったのですが、半日後容態が急変され、お亡くなりになられたとの緊急電話をいただきました

 すぐにご自宅地区の賛同社をご紹介し、まだ地方にいらっしゃる依頼者からご連絡をしていただき、病院に付き添っているお父様と連絡が取れ次第、搬送を何時にするか決める段取りになりました。
 ところが、お父様との連絡がやっと取れた時点で、すでにお父様は病院付きの葬儀社さんとお話を済ませてしまっていたとのことです。
 急変され、気が動転されてしまったところに、病院から葬儀社さんを紹介され、先方の言いなりになってしまわれたようです。
 これから東京に向おうとされていた依頼者はショックのご様子。
 仕方がありません。後はスムースに依頼者のご要望に添ったご葬儀ができることを
お祈りするのみになってしまいました。
 ご家族が離れている場合は、今回のように急変されることも多々ありますので、前もってお互いに役割を決め、不謹慎と言わず、万が一の時はどのようにするかあいまいにせず決めておくことも大切です。
 家族間の意志の疎通が、重要課題です。
 

「葬儀のことはお任せして、残り少ない時間は看取ることだけに気持ちを集中してください」

 ご葬儀後、依頼者の方々から「事前にご相談していくうちに自分の気持ちがはっきりしてきて、残り少ない日々を看取ることだけに集中することができました」というご報告を頂きます。
 我々、ご相談を受ける立場といたしましては、ホッと安堵する瞬間でもあります。
 事前にご相談されるお立場はそれぞれですが、未知のことへの一抹の不安や中には自己嫌悪に陥りながらも無事やり遂げねばと気持ちを奮い立たせてご相談される方がほとんどです。
 はじめどこからどのように手を付けてよいのやら、とおっしゃる方もメールやお電話でのやり取りで一つずつ不安や疑問を取り除き、安心して後は気持ちを残り少ない看護に集中させることができるようです。
 やり直しはできません。後で悔いが残らないように精一杯の看病をして差し上げましょう。
 
 頂いたお手紙にも限界が近づいてきて「もしかしたら」が頭をよぎりだしたが「その時」どうすればよいのか具体的に何も分らなかったので、まずは当センターに相談をされたとのこと。
 しかし当初は看病しながら、葬儀の準備に入る行動に嫌悪感を覚え、悩みながらメールをやりとり始め、センターのホームページを読み込んでいくうちに、あらかじめ知っておくことがひいてはきちんと送ってあげることにつながるのだと思えるようになってきましたと書かれています。

 メールでのご相談をやり取り中の方にも、予断を許さないが今少し安定していますとの報告を受け、思わずご葬儀の方は色々お伺いしましたのでご安心していただき、今はできるだけ看病に専念されるようお願いしてしまいました。
 後悔しない為にも・・・。