等身大のスターの死に自分の最期を想う中高年。

 テレビのスイッチを入れた途端に大音響の歌が流れてきました。
 2日にお亡くなりになったロック歌手忌野清志郎さんのご葬儀の模様をテレビ各局一斉に映し出していました。
 ロックコンサートさながらのライブ盤が読経代わりに流された密葬は、無宗教葬の献花形式で執り行われたと報じられています。
 遺影を囲んだ生花は赤色を基調にした華やかな色合いだが、どんと落着いた雰囲気も漂わせ、強い意志を秘めた遺影と歌をさらに引き立てているようにも感じられます。
 清志郎さんの意思をくみ、引き継いだロック葬は単にスターのご葬儀というだけではなく、これからのご葬儀を考えさせる要因をも含んでいるようです。
 
 1ロック歌手の死というニュースだけではなく、ラヂオでは音楽と共に一般の人達の反響を取り入れた番組も組まれていました。
 多くの方が、ファンとしての悲しみと同時に、自分自身のこととしても考えていらしたようです。
 歌を通して清志郎さん自身の生き方に共鳴し、影響を受けてきた人たちが若者から中高年に至るまで、皆さん一様にドスンと胸に響き、改めて自分の生き方を問われたように感じられた方も多かったと思われます。
 そんなところが今までの大スターとの別れとは違うところかもしれません。
 ある方は、清志郎さん自身が何かのシンボルになるのを避けた方という表現をされていました。
 ファンと等身大で歩き続けたスターの突然の死は、ファンにとって長年連れ添った相棒を失ったように感じられ、憔悴感もひときわのようですが、同時に自分自身の意思をもって、最期をどのようにして迎えるか、またどうしたいのかを考える機会を与えてくれたようでもあります。

  

市民以外の方は市営斎場お断り・・・?

 先日、町田在住の方から頂いたお便りの中に「かなり待って南多摩斎場でのご葬儀が終ったが、高齢のご親戚の方々がお見えになるのに、場所が不便で難儀しました。場所としてはむしろ相模市営斎場の方が近くて便利だけれど、市外の者は使用できないのか」とのお問い合わせがありました。
 お住まいの場所によっては確かにお隣の市営斎場の方が、はるかに近く、しかも便がよいところにある方もいらっしゃいます。
 しかし、市営斎場は市民の方々の税でつくられた斎場である以上、市民最優先が前提になってしまいます。
 使用料も市民と市民以外の方では倍あるいは数倍も掛かり、火葬代にいたっては10倍というところまであります。
 それでも葬儀費用全体から見れば抑えられた金額なので、多少のお金を払ってもより近くて交通の便が良い方の斎場にと目が向いてしまいがち。
 そこで、さらにふるいに掛けるべく次なる案が出てきます。
 時間差攻撃です。
 相模原市営斎場の場合を例に取りますと、通夜当日の午後3時までに市民の申込みがない場合に限り市外の方を受け付けるというものです。
 午後3時というのは葬儀社が通夜のセッティッグを始める時間帯です。
 現実それから発注に取り掛かり通夜に間に合わせるには少々むりがあります。さらに、市民の申込みは多く、4~5日は待たされるとのこと。現実無理な話です。
 その他同じように横浜市、立川市等も、ぎりぎりまで市民の味方で、実質市民以外の方の締めだしともとれなくはないようです。

 一方で、逆のケースもまれに見受けられます。例えば、かわさき南部斎苑などは市外の横浜市鶴見区近辺の方はよく利用されるようです。
 市外扱いでも民営斎場使用の場合よりも費用が抑えられ、火葬場併設で移動がないメリットが交通の便のデメリットを上回っているようです。
 これから益々会葬される方も高齢化を迎え、少しでも行きやすい斎場を希望され、その一方で、住宅地区での火葬場建築反対運動が各地で起きていると伺います。
 ただ単に忌み嫌うのではなく、死について考え直すよいきっかけになるかもしれません。
 
 
 
 
 
 
 
 

家族だけでなく、お別れしたい人の気持ちもくんであげることが大切では・・・。

 ご家族だけで静かに見送りたい。特に都会のご高齢者の場合はそれが顕著のようです。
 ご本人の意思にご家族も同意され、ひっそりとお見送りする。
 これも一つの方法です。
 しかし、ご葬儀が終った後、日が経つにつれ、残された者は果たしてこれでよかったのかどうかと揺れ動くのも事実です。
 やり直しがきかない以上、自分に納得させる以外に方法はないようです。
 
 覚悟を決めなければいけない時期に差し掛かり、見舞いながらご葬儀の準備をする二律背反の行動に悩みながらも、前もって知っておくことが、ひいてはお父様をきちんとお送りすることができると納得された方からお便りを頂きました。

 お父様からはご家族だけでと申し渡されていましたが、最後の決断は親しかった方皆様にお出でいただくことになりました。
 見積りの段階でも揺れ動くお気持ちを隠さずお話され、納得のいく形を模索し結論をとお考えのようでしたが、死はある日唐突にやってきます。
 色々な思いが一気に吹き飛んでしまいます。それでも、思考錯誤されてきたことが土台となっています。
 その一つが、当センターのホームページに書かれていた「おまいりしたい人の気持ちをくんであげるのも・・・」の言葉だったそうです。
 お父様はお母様のことをご心配され、ご家族でということを強調されていらしたが、
長年のお友達、親しかったご親戚の方々、皆様それぞれの思いがあります。ひょっとしてご家族以上のものがあるかもしれません。お別れしたい人の思いを、ご家族という名のもとで断ち切っていいものか。悩み、そして英断されました。皆様に来ていただくことに。

 今回「残された家族がどれだけ気持ちに余力を持っていられるか否か」で参りたい人の気持ちを受け止められるかが決まると実感されたそうです。
お便りを読みながら、思わず「よかった」と我がことのように安堵いたしました。

人間1人では生きられない・・・。

 長患いの奥様を亡くされ、覚悟していたとはいえ、現実になったショックはいかばかりか。
 アンケートにお答え頂いた中に「葬儀終了までの時間、無我夢中の中でやりまして、今冷静に振り返ってみても、その感想は如何に・・・と聞かれてもそれは解りません」とありました。
 読みながら、思わず「うん、うん」と頷いてしまいました。正直な気持ちでしょう・・。これが、万人本当の気持ちかもしれません。
 しかし、いつまでも悲嘆ばかりにくれていては、日常生活に支障を来たしてしまいます。
 とは言っても、悲しみを癒すマニュアルがあるわけではありません。
 寄り添い、気持ちをおもんばかってやる心の交流が必要です。
 かっては、日本の大家族の中で、また村落の人とのつながりの中で癒し癒されながらお互いの気持ちを孤立させないような仕組みが出来ていました。
 都会に出てきた人は知らない内にそれを切捨て切捨てて、核家族化だけが進行し、いざとなった時に周りを見渡せば皆知らんぷりを決め込んでしまっている状態です。
 しかし、人間1人では生きられない。
 そう気づかされた時、新たな第3者の寄り添う力の必要性が芽生え、それが最近になってあちこちで息づき始めてきています。
 それは悲しみにくれる人たちに寄り添うグリーフケアだけでなく、日常からコンテンポラリー・アートの世界にまで応用され浸透しつつあるようです。
 1人で完結するのではなく、人とつながり、受け止めてもらうエネルギーの交流こそが、全ての原点であるかのように。 

女性パワーによる自由な形式の葬儀が増えてきた・・・。

 「ホームページを見てお電話しているのですが、ご葬儀の祭壇、お食事、返礼品は我が家で調達して、葬儀社さんには搬送、進行、火葬場の案内をお願いしたいのですが・・・」
 「レストランで200名ほどの立食パーティでのお別れ会にしたいので、ご相談に乗ってくれる葬儀社さんをご紹介ください」

 ご両親や伴侶のご葬儀のイメージを具体的に持ち、周囲の目を気にせずに主張される女性の方が目立って来ています。
 ご両親に頼まれたご葬儀プランも男性の依頼者ですと、世間の目を意識し一般的な無難なお式に変更されるケースが多いようですが、女性はそのまま素直に受け入れ、さらにご自分の意見をプラスしてご希望を膨らませていらっしゃるようです。

 「ご葬儀中心のセレモニーホールではなく、お料理もお寿司の類ではなく、お礼の品はこちらでご用意したものを」と言うように、世間というしがらみを取っ払い、自由な考えのもと、いろいろなアイデアが浮かんでくるようです。
 女性の生活者の視点でご相談を開始し、そこから可能な限りの実現をめざしていく姿勢は、規則に縛られた仕事人間の男性よりも柔軟でパワフルです。
 規格品型の葬儀社主導のご葬儀も女性のパワーでその人・その家に合ったやり方に、葬儀社がお手伝いするという方向に向いつつあるようにも感じられます。
 
 

 

もったいないホームページ

 (4/18) 昨年末に、有力EC(電子商取引)サイト314社を対象に実施された、「日経ネットマーケティング」という雑誌の調査で、私の関係しているサイトがアンケート調査に協力しました。

こんな雑誌があることをこのとき初めて知ったのですが、年間購読料12冊で3万1500円と結構な値段の専門雑誌です。

この調査結果を今朝、読んでいました。成長しているサイトがどういった取り組みをしているかなどを探っていました。

中でも興味深かったのは、アクセス解析と呼ばれるものをどのように活用しているかでした。

アクセス解析とは、サイトへの訪問者のアクセス状況を記録し、それを分析することをいいます。どういった言葉で検索したかや、アクセスした時間帯や何分間アクセスしたかなどを解析できます。

成長しているサイトは、「直帰率」と呼ばれる指標を他のサイトよりも重視しているという結果が出ていました。直帰率とは、そのページを入口としてサイトを訪れた人のうち、そのページしか見ないで帰ってしまった割合です。

なので、直帰率が高いということは、せっかくサイト内に用意した様々な情報を見てもらうことなく、サイト上で販売・紹介したい商品やサービスの魅力を十分伝えきらずに多くの訪問者を帰してしまっているということになります。要するに、もったいないページになってしまっているということです。

ともあれ、成長しているサイトは、直帰率などの実態を把握した上で、的確な対策を講じ改善していくことによって、さらに成長させていくという軌道を描いています。

実は、あさがおのサイトも、グーグル社が無料提供しているアナリティクスというアクセス解析を利用しています。数年前に導入した当初は、物珍しくて、無料でこんなことまでできるのかと感心しながら、昨日は何人の人に訪問してもらったなどとやっていました。しかしながら、最近は….. アナリティクスの持っている力を十分に享受することなく、長いことほったらかしにしている現状を反省した次第です。

子を見送る親の気持ちは・・・。

 (4/16) 生まれたばかりの赤ちゃんを亡くされたお父様からアンケートを頂いたのは、大分経ってからでした。
 「葬儀社の担当者の方はややおせっかいなくらいに親身になってくれ、満足でした」とのお返事を頂き、思わず頷いてしまいました。
 親を見送るのは悲しいけれど、どこかで納得させるものを持ち合わせているが、子を見送る親の気持ちは・・・。
 ご葬儀に伺っても、どこから話を切り出してよいものか。
 周りの緊張は極度に達し、どうやって手を差し延べてよいのかも分からない。
 ベテランの担当者に聞くと「ただひたすらご遺族のそばに立っていてあげるだけ」とのこと。
 目の前に「おばさんがうろうろしているからおばさんに聞けばよい」と、皆さんが気楽にものを言いやすいようにうろついている。
 ただ、時として孫を亡くしたお姑さんの立場になって、プロの気持ちが揺らいでしまうとも。
 でも、それでいいのでは・・・。

 読経が始まると若いお母さんは「ずっと抱いていたい」と柩の中の赤ちゃんを抱き寄せた。
 担当者がご自宅でご家族だけのご葬儀ですから「いいですよ」とご返事すると、お経をあげている間中わが子を抱きしめていらしたとのことでした。

ご家族ご親族だけでのお見送りは本葬だけで十分・・・?。

 (4/12) 高齢化社会に突入し、最近では定年を迎えた団塊世代が親の死を看取ることが多くなってきました。
 子供達でさえ会社や組織を離れる時期、その親御さん達にとっては付き合いも殆ど限られ、お知り合いもすでに姿を消してしまっています。
 勢いご家族、ご親族、後はほんの少数の友人達のみで見送るケースが都会を中心に伸びています。
 それと同時に、1日だけのご葬儀、本葬だけをされるケースも急激に伸びているとのことです。
 以前、そのことで菩提寺の方からクレームが寄せられ、結局一般的なご葬儀に落着くようですと葬儀社の担当者から聞いていたことが思い出されます。
 しかし、今や世の中の情勢と相まって勢いはさらに加速されているようです。
 菩提寺からの苦情の主たる原因だった通夜の読経も、家族が参加する枕教で済ませ、
 後はお身内だけでゆっくりと最後の夜を過ごしたいと。
 ご遺族も見送り方にこだわりを持ってきているようです。

 家族葬での1日葬と通夜・葬儀・告別式を2日間かけてやるのとでは通夜の料理代が浮く位で金額的な差はあまり感じなかったのですが、ある葬儀社の担当者は式場費が半額近くになる斎場を確保しているとの由。
 その分、ご家族だけで供花が出ない場合など、お別れ花にまわすこともでき、色々融通を利かせることが出来ます。
 粘り強く式場との交渉の結果、賛同してくれる式場もかなりな数に上ってきた模様。
 斎場側も表向き、なかなか2日間の使用料を変えることは難しい。
 これは信頼を得た、選ばれた葬儀社に与えられた特典なのか。
 注目されてきた分、ご葬儀も臨機応変な対応が求められてきているようにも感じられます。

 

30代の生前予約、生前契約は受けつけてくれるのか・・・?

 (4/6) 先日、メールでの事前相談の中で、お父様を亡くされた時大変苦労をされたので葬儀社と生前予約又は契約をしたい旨のご報告を受けました。
 ご紹介するにあたりご苦労された点をお教え願い、条件を伺っていると、実はまだ30代の若い方であることが分りました。

 こちらは勝手に中高年のご年配の方と想像していただけに、思わず言葉を呑み込んでしまいました。
 生前契約、生前予約と言っても50年先のことになるかもしれない。
 いや、もっと先かも・・・これだけは誰もわからない。相談を受けた我々はとうの昔姿を消しているはずだ。

 戸惑いつつも地域の賛同社に伺いを立ててみました。
 小規模ながらベテランの担当者がいるところです。
 矢張り、返ってくる答えは想像どうりでした。
 「ご相談には乗るけれども、順序からいっても僕の方がずっと先に逝ってしまうよ」
 ならば、大手だったら若くても大丈夫かな?。 
 しかし、こちらも同じような戸惑いの答えしか返ってきませんでした。ある程度お歳を召した方でしたら、いつでもお受け致しますが・・・・。
 
 確かに、これからどんな人生が待ち構えているかも分らないのだ。50年先の世の中だってどうなっているか分らない。会社だって、存続しているか分らない。
 でも、混沌とした世の中だからこそ、生前予約をしたい若者が増えてくるかもしれない。
 しかし、現実目の前の現状を説明せざるを得ませんでした。
 
 少しの時間が過ぎてからご連絡をいただきました。
 今の年齢で下手をすれば自殺願望と疑われかねないところを、丁寧に聞いてくださる方がいらっしゃって、見積りを作っていただきました。万が一の時は家族に説明しておきましたと。
 
 それは予約でも、契約でもありませんでしたが、ご安心されたようです。
 でも、よかったですね。よい葬儀社さんにお会いできて。