(4/3) 先日、富山県高岡市が建設した高岡斎場の一般利用が始まった日に、建設反対派の地元住民約30人が建物入口に座り込み、職員らと小競り合いになった際、反対派住民が入口窓ガラスを割ったとして器物損壊容疑で高岡署に現行犯逮捕されるという事件が起きてしまいました。
反対派は「なぜこの土地にしたのか、十分な説明の無いまま着工された」と市に慰謝料支払いを求めていたと言います。
早速TBSラジオのトーク番組アクセスではこの件に関連して、地元に火葬場が建設された場合への是非を問いかけていました。
結果約2対6で圧倒的に建設賛成派多数でしたが、ラジオを聴いている限りでは少し建前が前面に出て、切実感にとぼしいようにも感じられました。
意見を述べられた方は逆に反対意見が多く、
土地の表価格が下がり売れなくなるから人里離れた郊外に建設してほしい。
施設が出来ると車の出入りが多くなるので安全面で受け入れられない。
黒い服の方が多く集まると暗い印象が強い。
昔からのイメージで煙突からの煙は生理的に受け入れられない等、感情論の中にも本音が見え隠れしているようでした。
実際面として関東近辺でも新しく建設された火葬場は市街地からかなり離れた地域にあり、車での移動なくしては動きがとれないという箇所が多く見受けられます。
最寄のバス停から15分程となっていても人里離れた山の中で、うっかりすると迷子になってしまいかねない危険性もあります。
ご葬儀に行かれる方は地元の方ばかりではありませんので、あまりに遠方というのも不案内になってしまいます。
さらに、遠方には新たな問題がはらんできそうな気配です。
司会者の方も指摘されていましたが、「インフルエンザ・パンデミック」などで亡くなり一定区域を封鎖された場合、地域に火葬場がないと空き地を使って荼毘に付すしかなくなってしまう恐れがでてくるとのこと。
感情論を飛び越えたところに強力な火種が隠れているようです。
冷静な話し合いが課題です。
ご葬儀も祭壇、お料理、返礼品は故人の趣味趣向のものにこだわる兆しが出てきたようです。
(3/28) 自身のご葬儀をイメージしご家族に託す方、また親御さんのご葬儀を前もって準備される方の中に、趣味趣向をよりはっきり打ち出してこられる方がでてきたようです。
少し前までは、葬儀社の担当者にこのようにしたいというご要望を出し、担当者はできるだけご希望に沿うようにアドバイスされたりしてきましたが、最近ではご喪家自身の手によって準備される場合も出てきました。
ご喪家主導型のご葬儀と言えば今までは市民葬のようにお値段を抑えることを目的にされることが多かったのですが、近頃は少し事情が異なってきています。
さりとて時に見られる奇抜なイベント化されたご葬儀とも違うようです。
ご葬儀の儀式そのものは従来通りに執り行われます。
違うところは祭壇やお食事、返礼品をご喪家の好みのものにする。
葬儀社がご用意した中から選ぶのではなく、好きなものをご喪家自身が発注する。
祭壇も生前好きだったお花を購入し、知り合いのお花屋さんにお願いするという。
お料理も、返礼品も故人の好みに合ったものをお出ししておもてなしをしたいとのこと。
結婚式と違い、ご葬儀は短期間に滞りなく終えるためにもいつの間にか葬儀社さん主導型になってしまいましたが、故人と繋がりの深いご葬儀にお見えになる方のためにも
ご喪家の意向をはっきり出す傾向がみられるようです。
葬儀社が全て執り行うのではなく、あえて個を出せるところはご喪家自身の手でいきたいと。
葬儀社サイドも柔軟な姿勢を見せはじめているようです。
季節の変り目と虫がしらせること
「季節の変り目なのかなあ」
このところ、以前事前相談をうけた依頼者の方から緊急の連絡が立て続けに入ってきます。
依頼者からご相談を受けた時点ではまだ今のところ安定しておりますから、とか入退院を繰り返していますがまだ差し迫った話ではないのですが、と皆さん異口同音に話されていました。
お送りした見積書の中から葬儀社や斎場を選び、気持ちの中で万が一の準備はされていても、ご本人の様子を見ているとまだ少し先の話と思われ、葬儀社の担当者との打ち合わせも後回しになっていらっしゃったようです。
皆さん揃っておっしゃるには「まだ急ぐ状態ではないのですが、今のうちに詳しいお話をお伺いしたいので明日にでも担当者とお会いしたのですが・・・」
しかし、担当者と連絡を取り、「ゆっくり打ち合わせを」と電話を切った後、一気に事態は急展開されてしまったようです。
病院から緊急の呼び出しを受け、取る物も取りあえず駆けつけご臨終にやっと間に合ったご様子です。あれよあれよという状態です。
それでも、葬儀社を決め、電話だけでもお話を伺っていたので助かりましたとのご報告。
それにしても何というタイミング。
昔から虫が知らせるとはいわれていますが、何か気配を感じるのでしょうか。
同じような事態がこの1週間、立て続けに起きています。
悪い予感は奇遇にすぎないと思いたいのですが。
これも春の嵐がなせる業なのか。
桜とお葬式
今年も3月18日、東京の桜開花予想が発表されました。
このところ、初夏を思わせるような陽気に桜も少々焦り気味で一気に蕾をつけたのでしょうか。
それでも来週は寒の戻りがあり、開花はゆっくりとのことなので、あちこちお花見のはしごもできそうです。
開花予想までして待ち焦がれる花は他には見当たりません。
それだけに各人それぞれの思いが淡い桜色の中にしみ込んでいるようにも思われます。
私事で恐縮ですが、昨年3回忌を済ませた母の葬儀の日のことです。
雲ひとつ無い穏やかな春の日差しの中、葬儀・告別式が無事滞りなく終りました。
火葬場へと向うバスの車中がいきなりフワッとした空気に包まれたのは、それからまもなくでした。
何事かとあわてて窓の外を見ると、辺りは淡いピンク色一色です。
一瞬、事態が飲み込めませんでした。
どなたかの「あっ、桜だ」の声で我に返り、急に身体中が温かく感じられ、胸がいっぱいになったのが、昨日のように思い出されます。
火葬場入口から玄関先までの満開の桜並木は、母の門出を迎えていただける希望のトンネルのようにも思われ、心の片隅でほっと安堵いたしました。
桜の季節は巡ってきますが、あの日に観た桜は母の思い出と重なり、今でも特別な桜のように感じられます。
世界不況も諸行無常
宗教学者の山折哲雄さんが、今週の「日経ビジネス」巻頭の有訓無訓で次のようなことを話しています。
自分自身の言葉で何とか宗教と社会を語れるようになるのに半世紀を要したという山折さん―― 物事、いい時もあれば悪い時もある。それを目先の危機的状況だけに右往左往する。これは何とも情けない。永遠なるものなどなく、世界不況も諸行無常、景気変動の一つにすぎない、と。
凡人からしますと、テレビからの大量の報道に接すれば、この経済社会がどうしても複雑怪奇なものに映り捉えどころがないように見えてしまいますが、本当のところはどうなのでしょうか?
数学の難問を解いて、フィールズ賞を受賞された広中平祐氏は「複雑な現象というのは、単純な事実の投影にすぎない」と言われました。
そういえば、数学の話題で、最近面白いテレビ番組を見ました。NHKスペシャルの再放送で、「100年の難問はなぜ解けたか」です。これまで誰も解けなかった数学の難問「ポアンカレ予想」が証明されたというものでした。「宇宙は最大で8種類の断片からなっている」という命題を解くことを通して、ポアンカレ予想を証明しました。数学の門外漢なので、この問題がどれほど難しいかはわかりませんが、宇宙は最大で8種類の断片というのは強烈な印象でした。複雑怪奇そのものに見える、この宇宙でさえ8種類の断片とは!
話を急に小さくして、身近なところで言えば、「複雑怪奇に見える葬儀業界は、日常の話題に上りにくい事実の投影にすぎない。」であるとか、「複雑怪奇な説明は、説明者の頭の中が整理されていない(もしくは整理することに慣れていない)という事実の投影にすぎない。」というようなことになりましょうか。
繰上げ初七日法要とは・・・。
仏式ではお亡くなりになって7日目に初七日の法要が営まれます。
ご葬儀が終るや否や再びお集まりいただくのも大変なので、ご葬儀当日、火葬後遺骨を祭壇に安置し、ご住職が還骨回向の読経され、そのまま繰上げ初七日法要に移行するのが通常とされてきました。
ところが最近ではお寺さんの都合なのか、はたまた式場の都合なのか、まだ荼毘に付す前に初七日法要が営まれるケースが多く見受けられるようになってきました。
葬儀・告別式の読経に続けておこなわれ、ご家族・ご親族のみのご焼香となります。
初七日は霊が冥土に向って最初の関門になる三途の川を渡る裁判日とのこと。初めての裁判を前に心細い気持ちを助けるための供養の日です。
それなのに、荼毘に付される前に供養されるのがなんとも腑に落ず、未だに違和感が付きまとっています。
公営の斎場の中には次のご葬儀の準備の為に出棺の後は式場に戻れないところが多く、必然的に前倒しで行なわれ、どこかところてん式に追い出される感じは否めないようです。
タイム・イズ・マネー、時間で物事が決められていく中、時間を外して見送り供養はできないものか。
目の前のご葬儀に立ち会いながら、ふとそんな天の邪鬼な心が動きます。
何時か観た、韓国のお葬式の映画のように・・・。
不景気風は何処へやら・・・?。団塊世代のお墓探しが始まった。
最近、朝刊のチラシに霊園の広告が目に付きます。
碁盤の目のように綺麗に区画化され、太陽がサンサンと降り注ぎ、花と緑に囲まれたヨーロッパのガーデニングをイメージした霊園は、自然に足が向くような雰囲気作りで満載のようです。
テレビのニュース番組でも最近のトレンドとして取り上げられていました。
世の中不景気風が吹き荒れているばかりではないようです。
横浜近郊の霊園経営者のご住職は予想以上の売れ行きと目を細めていました。
その理由として、団塊世代の購入が目立つとのことです。
高度成長期に地方から都会に出てきた団塊世代が自分達のこれからのこととして考え始めたようです。
田舎には先祖の墓地があるが、都会に出て田舎に帰るつもりはないため、こちらにお墓を移したい方。
また、地方出身の次男・3男で、生まれ故郷ではなく自宅のある近郊にお墓を求める方と様々です。
故郷を離れても、お墓を守っていくという日本人の意識は世の中の景気には左右されないようです。
しかし、霊園経営者も需要を見越して土地さえあれば開発が無限に出来るというものでもなく、 周りの住民の方々とのあつれきが出てきたり、そのために市の規制が一段と厳しくなってきたりとそれなりに限定されてきているようです。
霊園墓地の需要が高まる一方で、後を託す子供がいなかったり、子供達に負担をかけたくない方々は先祖からの「何々家の墓」にとらわれることなく、ご夫婦2人だけの墓を管理を含めて委託するケースも増えてきています。
この場合は後からお亡くなりになった方の33回忌が済むとご夫婦とも共同墓の方に移され、供養されます。
これからは益々身の丈に合ったお墓探しが主流になることでしょう。
引越しの手伝い
あさがお葬儀社紹介センターのブログをご閲覧頂き、ありがとうございます。
本日、知人の引越しのお手伝いをしてきました。
生活しているときには気がつかなかった「不要な物」があまりにも
多く、びっくりしました。そのほとんどの不要な物は押入れの中にありました。
捨てるにはもったいないだろうと、とりあえず押し入れの中へしまっていたそうです・・。
自分達の手で処分するには大変なので、インターネットで不用品回収業者を探すことにしました。何社か探し出して、その中の一社にとりあえず見積もりだけでもお願いしてみようと依頼をしました。
依頼を申込みしてから1時間後に業者様が到着され、処分料の見積もりが始まりました。
不用品が多すぎて1個ずつ処分料を算出するのは困難だと言われ、1平米あたり4万円で処分していただくことになりました。
処分料は数十万になりましたが、30分程度ですべての不用品を運び出してくれました。
私ももったいないと押入れにしまいとって置く習慣があるので、これを機に徐々に不用品の整理をしようと思います。
葬儀のご相談から、色々なことを考えさせられます。
最初のお電話は「ごく内輪で1日葬ができる葬儀社を紹介してほしい」とのことでした。
今や都会を中心に大方の葬儀社では通夜無しの1日葬を取り扱っていますが、現実予算面では斎場側の多くが2日間単位の使用料になっているのが現状です。
そのために、葬儀総予算に関しては通夜のお清め代とスタッフの人件費が削られる位で、むしろお忙しいご親戚の方、はたまたご高齢の方に2日にわたっておこしいただくことを考慮された実利面優先のご葬儀と捉えられています。
また、お話を伺っていく中で菩提寺があることをお聞きし、菩提寺のご住職が難色を示される場合があるので、事前にお知らせされることをお伝えしておきました。
暫くして、次に頂いたお電話ではご家族だけで見送ることに変更したので、お葬式はせずに、直送の場合はどのようになるのかとのお問い合わせになりました。
病院から直接火葬場に搬送され、24時間以降に荼毘にふされますが、最後のご面会は炉前でのお花入れをもってしても数分間というお別れになってしまいます。
お別れがほんの少しだけというのを気にされていました。
どうされるのか気になっておりましたが、やがて、3度目のご連絡がありました。
ご住職にご相談され、火葬場併設の斎場で通夜、告別式を営み、お見送りをしたいが、ご家族のみなので祭壇を始めお食事等は一切いらないとの申し出でした。
イレギュラーなご相談でしたが、センターの賛同社からは承諾を得ました。
しかし、斎場関係費が通常価格ですので合計額は最初に見積りした祭壇を含めた1日葬よりも高めになってしまいます。
あわてて、そのことを申し伝えましたが、電話口の晴れやかな声の主は「それよりも、2日間の読経は全て意味のあることですので・・・」
人を見送る意味を考えさせられた一瞬でした。
「これでよかったのかな」見送る気持ちは複雑ですが・・・。
映画「おくりびと」は話題を集めて、ついに先週の観客動員数が第1位になり、TBSでは緊急特番が組まれていました。主演の本木雅弘と滝田洋二郎監督に映画にまつわるエピソードを伺っている中で、映画館から出てきた若い観客は「自分の親も温かく送り出してあげたいなと思いました」とインタビューに答えていました。
映画を観た人たちは周りに亡くなった方を持った経験を通して「こんな風に送ってあげられたかな」と自分自身に問いかけている方も多くいらっしゃるのではと思われます。
身近な方の死で動転し、気持ちが宙に浮いているような状態の中、ご葬儀が無事済みほっとしたのもつかの間、今度は「あれではたしてよかったのかな」という思いが日増しに募って来るようです。
送り方にお手本があるわけではなく、よかったかどうかは気持ちの持ち方次第ですが、不安な気持ちを傍からほんの少しサポートすることで安心感が得られることもあるようです。
当センターに頂いたお手紙やメールの中にもそんな近況報告が見られます。
入退院をくり返し最後の入院を告げらたお父様を葬儀社を決めてから、最後の数日間は看取ることだけに集中することができ、相談させていただいてよかったと思いますとのお手紙をいただきました。
また、葬儀社の担当者から「心に残るご葬儀だった」というお手紙をいただき、これで良かったのかなと悩んでいた気持ちが軽くなり、1人っ子でしたが無事見送ることが出来たというお便りも頂きました。
お父様の死を間近に不安な状況の中、センターのアドバイスに安心し、温かい雰囲気の中でお見送りが出来、振り返ってみると「幸せな思い出」となっていることに気が付かれたとの、ご報告も頂いています。