春の色

 気象庁の桜開花予想日を前にして、六本木ヒルズの桜が2輪開花したというニュースをテレビで見ました。
 昨日、川崎地区の斎場を訪問していた際に、桜の木を見上げてつぼみが膨らんできてるからもうすぐ咲くかなと思っていた矢先だったので、いよいよシーズンに入ったなと、なんだか嬉しくなってきました。

 先日「私が斎場へ訪問するときはなぜか天気が悪い」という記事を書きましたが、その後の訪問では天気が味方についてくれたかのような快晴。空に感謝です。コートも冬物ダウンから春用の軽いものに変わりました。

 今、訪問させていただいている斎場の多くは寺院が管理しているので、お寺の境内なども合わせて見学させていただくのですが、丁寧に整えられた境内には、多くの木々が植えられています。
 3月の初めころに伺ったときは、まだまだ寒く、梅の花も咲いていませんでした。それが、最近伺ったところでは、色とりどりの花が咲き、黄緑色の新芽もみられ、すっかり春の色になっています。

 昨年は震災の影響で、花見どころではなかった方も多いかと思います。花見の名所ではちょうちんに灯りがともらず、なんとなく重い気分だったことを思い出しました。
 今年の桜のシーズンには提灯はともるのでしょうか。

 東京はあと一週間くらいで満開になると予想されています。今年は夜桜見物ができることを楽しみにしています。

 そして、入学式の頃にはちょうど満開の桜がピカピカの一年生を迎えてくれることでしょう。

井戸端会議

 先日、買い物の帰り道に、知り合いが3人で井戸端会議をしているのを発見。挨拶をして通り過ぎるつもりが、いつの間にか私もその井戸端会議に参加していました。

 会議の話題は、たいてい子供のことや学校のこと。とりわけ、その日は卒業式の直後だったので、学校の先生のことや高校の話などで盛り上がっていました。

 いろいろな話題が飛び交う中、一人が「おばあちゃんが先週、骨折して入院したのよね…」と。そこから話題は親の老後の話に移り、お葬式の話しにおよびました。

 3人とも、まだ身近な身内を送った経験が無く、漠然とした不安を持っているとのこと。
 インターネットで調べてみても、沢山ありすぎてどこがいいのかわからない、安心などと書いてあるけど、かえってそれが不安になるとか。
 経験者に聞くのが一番いいのかもしれないとは思うけれど、立ち入った部分なので、聞くに聞けず…
 「まだ先のことだから、まあいいや」の状態でモヤモヤしていると言っていました。

 買い物帰りの立ち話しだったので、今は細かい話まではできないけど…と、簡単にこの仕事の話しをすると、「え〜、そんな仕事をしてたのね」「聞ける人がいて良かった、聞けることを知っただけでも安心した」と言ってもらい、連絡先を渡してからほどなくして井戸端会議は解散しました。

 いつかかかってくるかもしれない知人からの容赦ない質問に備えて、100聞かれたら、おまけ付きで100返せるくらいの知識を身につけなくては!と、私の今後の励みにもなった、有意義な井戸端会議でした。

故人と桜

  「見事な枝ぶりの桜ね。もう咲いているの。どこからもってきたのかしら・・・」

 声のする方へ振り返ると中高年の女性の一団が目の前の桜に一瞬釘付けのご様子です。

  「桜の咲く頃までもう少し待ってほしかったわね・・・」ふと我に返ったようにお1人が呟きます。
 皆さん一斉に頷いていらっしゃいました。
 やがて桜を囲んで故人様との思い出にお話がはずむまでには、時間は掛かりませんでした。

 ご葬儀開式30分前の重苦しい空気が一新されたように和んでいます。
 桜には不思議な力があるようです。

 葬儀担当者の計らいで故人様のイメージに合わせて斎場入口に飾られた寒桜は、満開の時を迎えていました。

 桜の花びらを見ていると、先日、久しぶりに会った友人の口からいきなり「樹木葬」という言葉が飛び出してきて、びっくりしたことを思い出しました。

 お墓は不要と自然志向が高まり、遺骨を細かく砕いて海や山に撒く自然葬や樹木葬はマスコミ中心の話題で、一般的にはまだまだ馴染まない言葉だと思っていましたが、いつの間にかごく普通に人の口にのぼるまでになってきていたようです。

 友人は新潟の友達の訃報をその方のお兄様から知らされ、故人のたってのご希望で樹木葬にされるとのことに、はじめは驚きと戸惑いを隠しきれなかったようです。
 やがて新潟のお友達は大好きだった桜の木の下に埋葬されることになりました。

 友人はいきなりの知らせにまだ気持の整理がつかないが、満開の桜の下で友人とゆっくり語り合えそうだと気持は日に日に高まってきているとのことです。
「今年は新潟の桜見物に行ってきます」。友人の声はどことなく弾んでいました。

 開花宣言が待ち遠しい季節になってきました。

24時間対応とお酒

 ノンアルコールビールは、20年以上前から売られていたと思いますが、酒屋さんやスーパー、コンビニの棚を広く占拠できるほどの勢いはまったくありませんでした。ところが、ここ最近、いやでも目につくほど場を占領しているではありませんか。

 新手のアサヒゼロドライの販促の力への入れようは目を見張るものがあります。
 
 ビールメーカーも、多大なエネルギーを注いで、酒税が低くて済むような発泡酒を開発して売りだして、その苦労が実って売れ出すと、税率を上げられてしまう! 売れ行きが鈍ったり利益が少なくならざるを得なくなったのでたまりません。そしてまた、酒税が低くて済むような「第三のビール」を開発する・・・。
 この点、ノンアルコールビールは、酒税は関係ないので安心して開発できます。(ただ、税金は取りやすいところから取るで、へんてこりんな名目でビールテイスト飲料にも課税とならない保証はありませんが)

 それはさておき、昔のノンアルコールビールしか知らない人は、一回だけ味わって終わりという人も多いと思いますが、今のは、そうとうな研究がされているようで、かなりイケます。
 アサヒスーパードライを氷点下まで冷やして飲む「エクストラコールド」になぞらえて、前出のアサヒゼロドライを試したところ、うかつにも、飲んでる気分になってしまいました。

 というような、今のノンアルコールビールはうまくなってきたという話を先日も葬儀社の人と話したところです。
 その人は1年ほど前に独立したが、24時間いつ何があるかわからないので、普段はお酒を飲むことがなくなった、と語っていました。そのかわり、飲む時は朝までとことんいってしまうんだ、とも。
 葬儀屋さんとお酒の付き合い方は、なかなか難しいものがあります。

斎場へ訪問させていただいています。

 今、私はセンターのホームページの斎場部分を充実したものにさせるために、週一ほどのペースで斎場へ取材に行かせていただいています。

 葬儀社さんとのやりとりなどは、通常の業務でさせていただいていますが、斎場の関係者の方と直接お話しをさせていただく機会はなかなかないので、とても良い経験をさせていただいています。

 地域を選んで、一日に2斎場ほど伺わせていただいていますが、ご迷惑にならないようにご葬儀がない日にお伺いすることにしています。ですので、こちらからお願いの連絡をいれさせていただくのがどうしてもお伺い予定の前日になってしまい、急なお願いになってしまうにも関わらず、どの斎場の方も快諾してくださるので、とても助かっています。

 こちらの勝手なお願いに、どの斎場の方も快くお付き合いしてくださいます。
 斎場内を案内していただいたり、細かいお話しなどを聞かせていただけるので、私にとってもとても勉強になりますし、センターのホームページを見ていただく方にもわかりやすいものになると思います。

 ただ、残念なことに、私がお伺いする日はなぜか天気が良くないのです。
 外観の写真を撮っても、空は雲で覆われていて、時には雨粒まで写ってしまい、道路には水たまりも…。
 パンフレットなどには当然、快晴の時に撮影した写真が使われているので、私の写真は本当ににお邪魔したときに撮ったものということで、リアリティがあると言えばあるのですが…。
 少し前までは、私が行くと必ず晴れるというくらいの晴れ女だったのですが、そんな話は崩壊してしまったのかもしれません。

 次から訪問させていただくときは、準備として天気予報もちゃんとチェックしなくてはと思っています。

 もし、このブログを読んでくださっている中に、斎場関係者の方がいらっしゃいましたら、私からアポイントの連絡をさせていただいた際には是非ご協力をお願いします。

縁について考える

毎日の生活の中で私達は「これも何かのご縁で・・・」とつぶやきながら、親交を暖めあっています。
 様々なご縁があって今、私達は生きています。

 そのご縁とは裏腹に1昨年は無縁社会、無縁死という言葉が社会現象にまでなってしまった感がありました。

 都会の狭間で頼る人もなく、ぽつんと一人で生きている人達の生活や、あげく誰にも看取られることなく亡くなられた方の死を取り上げ、またたく間に流行語のように言葉が1人歩きしてしまったようでした。

 かつての村落共同体のように村中が協力し合って田畑を守り、お互いの生活にまで踏み込んでいた時代とは異なり、都会での生活は各人それぞれの殻の中に入って、直接関係する人達とのコミュニケーションだけが濃厚になっていき、その中から弾き出された人は孤立無援の状態に陥ってしまい、周りとの繋がりも持てなくなってきている人が増えているようでした。

 今までは家族の縁や地縁は好むと好まざるとにかかわらず自然に手に入るものでしたが、これが当てにできなくなってしまった昨今では、今までと違った縁を自分の意思でもって積極的に捜し、作っていくことが重要になってくると思われます。

 ネットで繋がっていく縁、NPOや地域のサークル活動を通じた縁など、様々な縁を持ちましょう。

 東日本大震災から丸1年が過ぎました。
 昨年は無縁社会を払拭するかのように絆の声でいっぱいでした。
 しかし、その間にも無縁社会は着実に広がっていることを実感させられたことが度々でした。中でも家族の縁は切実でした。
今年は絆に加え、新しいご縁の輪が幾重にも繋がっていくことを期待します。

行方不明者数

 一年前の今日、地震発生直後に停電になり、少しでも情報がほしいと思ってつけた携帯のワンセグテレビに映った映像は今でもまだ目に焼き付いています。
 小さな画面に映った情景は、携帯の電池の残量を気にしつつも理解するのに時間がかかるものでした。
 
 あの日から一年、未だ3000人余りの方が行方不明の状況で、昨年の11月からは新たな行方不明者の発見はないとのこと。
 未だに家族がみつかっていないという方の話しを読みました。あきらめなくてはいけないのだろうけど、何も見つかっていない状況では踏ん切りがつかず、骨一本でもいいからみつかってほしいというものでした。

 放射能汚染などの関係で捜索もなかなか進めることができない状況で、捜索する側の人も悔しい思いでいるとも書いてありました。

 身元不明のまま火葬された方も大勢いる状況、まだまだ捜索した場所があるのに行けない状況で、気持ちに整理をつけるのはなかなかできないことだと思います。

 行方不明になっている方も家族のもとへ戻りたいはず。未だ行方不明の方が一人でも多く、ご家族のところへ戻れるように…私には願うことしかできませんが、捜索を再開するというニュースを見る度に発見を期待しています。

 また、来年の今日、少しでも行方不明者の数が減っていますように。

本物を見る目

 先日、1年半がかりで自宅のソファを買い替えたという、私より少しだけ年上の友人と話しをしました。
 なんでも、自分が納得のいくソファを探し続けて一年半目にしてやっと出会えたそうです。それは、ブランド物でもなく、高級品でもなく、ただただ自分が納得し、自分の好みにぴったりあったというものでした。大きさ、硬さ、高さ等、全てにおいて妥協することなく探し続けて、やっと良いものに巡り合えたと言っていました。
 探し始めたころは、ただなんとなく「違うな〜」くらいの感じだったのが、沢山のソファを見ていくうちに「これは違う!」とすぐ判断できるようになったとか。
 そんな彼女は、基本的に本物志向です。手帳のカバーひとつをとっても、ノーブランドのものですが、質がいいものを15年以上使い続けて、”いい味”をかもしだしています。
 「こだわるところはとことんこだわる」そして、「良いもの、本物を沢山見ることによって、良くないもの、ニセモノがすぐわかるようになる」が彼女の持論です。

 確かにそうだ!と共感しました。
 それは、物だけでなく、人間関係だったり、環境だったり、仕事だったり…。

 それは、ご葬儀においても同じだと思いました。
 ご葬儀の「こだわり」の部分は、それぞれの環境の中で色々と違ってくると思います。ご自身やご遺族にとって、こだわりたい部分は様々です。
 ご葬儀は、時間的な問題や地域的な問題などがあり、全ての「こだわり」に対応できるわけではありませんが、できる限り、その「こだわり」に近づけていければと思っています。

 そのために、良いものを沢山見て、目と感覚を養おうと思います。

梅と桜の思い出作り

今年は例年よりもだいぶ遅れ、3月に入ってやっと梅の開花の声が聞かれるようになりました。
 春の訪れをいち早く感じさせてくれる梅の開花時期は、私にとっても昨年の宿題をやっと終えて遅まきながら新しい年を実感できる頃でもあります。

 先週、母の7回忌に合わせて、久しぶりに親族が集まるからにはあわよくば実家の梅祭りも堪能できるのではと密かな期待をして帰省したのですが、殆どがつぼみ状態でまだまだ春遠からじの感は否めませんでした。

 25年近く前、母が元気な頃植えた15本ばかりの梅の木も十分な手入れもしないのに元気に育ち、毎年有り余るほどの実をつけてくれる梅たちですが、一説には梅の実は25年をピークに30年が寿命とのこと。
 ということは、我が家の梅たちも例外ではなく、下り坂にさしかかっていると推測されます。
 母の供養の為にも少しでも長く実をつけてくれるよう、そろそろ身を入れた手入れを考えなくてはと反省しきりで戻って参りました。

 そんな折、湘南在住の友人から4月のスケジュールの打診がありました。
 昨年夏信州でお会いしたお母様のお友達から、最後の旅行になりそうなのでぜひお会いしたい旨の連絡があったとのこと。

 友人のお母様の幼友達である大先輩は御年95歳ですが、娘さんの車で信州の自然をあちこちスケッチされては、ちぎり絵作家として今でも意欲的に活動されていらっしゃいます。

 友人は桜の開花時期を見計らってお母様のお墓参りを兼ね、湘南から富士霊園への企画をあれこれと立てているようです。
 湘南にはお孫さん一家もお住まいになり、今回御一緒されるご様子です。
 4世代が御一緒される機会はめったにありません。
 写真班も兼ねて皆さん御一緒の写真を出来るだけ沢山撮りながら、日長1日を満開の桜の下で過ごすのを今から楽しみにわくわくしながら待っています。

 いつの日か、ご家族皆さんの写真が、旅立ちの日の思い出コーナーに並んだ時には、お越し頂いた方々も新たな思い出の1ページを作ってくれるのではと期待を込めているのですが・・・。

 写真を撮られるのが苦手な私の手もとには大人になってからの家族と一緒の写真が見当たりません。
 撮る機会は幾らでもあったのにとは後で思うことです。
 7回忌を迎えて、母と一緒の写真がないことに気が付き、せめてもと母の梅の木を沢山撮ってきました。

 これからは一つひとつ、思い出作りになるように心がけていくつもりです。

海が好きでも。

 つい先日、グアムで散骨のセレモニーをしてきたという散骨の業者さんとお話しをする機会がありました。
ご遺族は、海軍の軍人だった故人様の遺言を尊重してグアム散骨を希望されたそうです。散骨用の船には、ご遺族・ご親族の皆様が乗船し、それはそれは感動したセレモニーだったと言ってました。

 日本の真冬の海は極寒で、荒れることもよくあるので、今の時期はよほどのことが無い限り散骨はしないそうですが、3月以降はけっこう予約が入っているとか。

 近年、有名人などの散骨がニュースなどで報道されたりすることも影響しているのかもしれませんが、自身の遺骨を散骨してもらいたいと希望する人が増えてきたそうす。とはいえ、遺志を遺したとしても実際に自分亡き後、散骨をしてもらえるのでしょうか。

 散骨や分骨に関しては、賛否両論で、さまざまな意見があると思います。自身の思いだけではなく、家族、親族など、周りの人の理解や宗教的なことも関係してきます。
 ただ、お墓を持たない、また、身寄りが無く、お墓を守る人がいないなどの事情がある人にとってはとても良い方法なのかもしれません。

 我が家でも、散骨は時々話題に出ることがあります。我が家は夫が次男のため、代々のお墓には入りません。となると…選択肢として散骨もありなのでは?
 夫も私も自分自身は散骨もいいなと思っているのですが、我が家にも反対者がいました。娘が猛反対しています。

 自分自身だけでなく、遺族の捉え方も大きく関係してくることだけに、散骨を希望する人は周りの人にきちんと理解してもらうことが重要なんだと、実感しています。