女性担当者へエールを送ります。

 「A社とB社、甲乙つけがたいでしょうが、どちらがよろしいでしょうね」
  当センターが依頼者からご相談を受け、ご相談内容からご要望によりふさわしい賛同社を2社厳選してご紹介し、見積りのご説明をした後のお電話でのやり取りです。
  A社B社共、見積りにもほとんど差がなく、肝っ玉母さんのような担当者にされるか、丁寧な仕事ぶりで評判の若手担当者にされるかの違いです。
  今までのお話を総合して鑑みると、家族の目線で悩み事を一手に引き受けてくれそうな肝っ玉母さんの方に軍配が上がるのでは、と申し上げると
 「さっきからのお話で、僕もそうかなと思っていました。早速連絡してみます」とのご返事を頂きました。

  女性の味方をするわけではありませんが、特に少人数のご葬儀では段取りや規則よりも、時に長年家庭を切り盛りしてきた女性ならではの目線が生きてくるように思われます。

  女性担当者のご葬儀に立会う都度、常に生活者のヒフ感覚で行動し、時に応じて臨機応変に対応し、ある意味肝が据わったお母さん的存在は、今後益々多様化されるご葬儀に欠かせないものになっていくのではと実感させられます。
  ここはこうした方がいいと思えば、黙ってでも行動してしまうのもお母さんの特徴で、普段おせっかいに思えるくらいのことでも、気が動転しているご喪家にとっては、それがかえって潤滑油になっている場合も、多々見受けられるようです。

  ご葬儀後のアンケートでも、とてもよくして頂き感謝しています。ご葬儀にもかかわらず終始アットホームな雰囲気で見送ることができました。ビジネストークでなく親身に教えて頂きました。女性らしい温かみやきめ細やかな工夫が随所に感じられました。普通を押し付けず、家族と同じ目線で判断して頂けましたなどと、女性担当者ならではの反応も多く頂いております。

  全体数から見れば、まだまだ少数ですが、女性担当者の肝っ玉母さんには改めてエールを送りたいと思います。

ゴールデンウィーク

 ゴールデンウィークの真っ只中、大型連休を取られている方も大勢いらっしゃることでしょう。
 暦通りのお休みの人は、後半の連休を楽しみにしながら間の2日間を頑張られていることと思います。

 私たちの仕事は、24時間・年中無休です。
 他にも24時間年中無休の職種は沢山あり、当然、交代で勤務しているので、お休みもきちんと取られていることと思います。

 もちろん、私共も交代でお休みはいただいていますし、ちゃんと睡眠もとっています。

 コンビニのように、時間によって店員さんが違えば、交代していることが目に見えてわかりやすいのでしょうが、電話やメールでの対応の場合は、交代のタイミングなど、わかりにくいのかもしれません。

 年末年始、私は年末に少しお休みをいただき、年始は元旦から電話対応をさせていただいていました。

 今年のお正月に電話で対応させていただいた方から、
「お正月から、お休みがなくて大変な仕事ですね。とてもありがたいです。大変でしょうが、頑張ってください。」との言葉をかけていただきました。

 ご自身のお身内の心配でいっぱいいっぱいの状況の中、電話口で対応する私にねぎらいの声をかけてくださり、とても励みになったことを、連休中に仕事をしていたつい先日、思い出しました。

休んでください。

 ご葬儀が終わると、張り詰めていた気が一気に緩み、体調を崩されるというのはよく耳にする話です。

 寝る間を惜しんでご看病され、ご逝去後はご葬儀の準備…と、休む間もなくご葬儀を迎えられ、長期にわたり疲労がたまっている方もいらっしゃいます。

 特に、喪主を務められる方やご葬儀を仕切る立場にいらっしゃる方は、気が張り詰め、ご自身の身体の疲労に気づかないこともあります。

 通夜にお伺いしたときに喪主様にご挨拶をする際は必ず「明日のために、少しでも身体を横にして休んでください」とお話しさせていただいています。

 たいていの方は、「わかりました、ありがとうございます」とおっしゃっていただけるのですが、やはり気が張っていることと、日常ではない環境せいか、なかなかお休みにはなれないようです。

 先日、斎場訪問をさせていただいた時に斎場の関係者から聞いた話ですが、火葬後に初七日法要で式場に戻ってきたときに、ご遺族の方が急に体調を崩されることがよくあるとおっしゃっていました。
 特にご葬儀の際に「あれも、これも」と、とてもお元気に振舞っていた方に限って、具合が悪くなってしまうそうです。
 精進落としのご会食後に、両手に荷物を持ち、「大丈夫、大丈夫。」と動き回っていらっしゃった喪主の方が急に転倒し骨折してしまい、救急車に来てもらったというお話しも聞きました。

 悲しみの中、やらなくてはならないことが沢山ある状況で、様々な感情を抑えて気丈に振舞うということは、恐らくご自身が思っている以上に身体に負担がかかっていることと思います。

 なかなか難しいことかとも思うのですが、無事にご葬儀を終えるためにも、是非、ご自身の身体を休める時間を作ってください。

遺品整理と形見分け

 鎌倉・鶴岡八幡宮の若宮大路は観察ノートを持った小中学生とおしゃべりに興じるオバサマパワーでその日も溢れんばかりの賑わいでした。
 久しぶりに会った友人は葉桜になりかけた桜並木に目をやり、「先週、満開の桜の花びらが舞い散る中で義母を見送ったばかりなの。94歳の生涯をわがままいっぱい振る舞い、姉妹には先立たれたが、最後家族皆に見送られ、桜吹雪の中を旅立っていくなんて幸せな人ね」

 三男の嫁である友人は最初から煙幕を張り、仕事を持っているからと同居をやんわりと拒否していたが、同居された義兄2人の家族はそのわがままぶりに随分と振り回されたようです。
 挙げ句、さっさと有料老人ホームに入居され、その後は亡くなられたお義父様の恩給もあり、マイペースで優雅な生活をされていらしたようです。
 お元気で健啖家のお義母様へのお土産はいつも好物のうな重をご用意し、お亡くなりになる2日前まで召し上がっていらしたとか。
 「最期まで自分流を貫かれ、まわりにそれを認めさせてしまう才能の持ち主のような方だった」と友人はそれまでの確執など忘れたかのように、どこか懐かしそうにうらやましそうに語ってくれました。
 「嫁の私が言うのも変ですが、まさに大往生では・・・」

 ご葬儀が終り、ホッとしたのもつかの間、三男の嫁にもまだまだ仕事が残っていました。
 来週は終のすみかとなったホームの片付けに取りかからなくてはいけないが、いまだに花粉症のマスクが外せない友人にとってはこれも一仕事。
 業者の方に頼む前に整理をしておかなければと、お義姉様と出動開始予定とのこと。

 物持ちのよい昔の方に違わず、押入れといわず収納できるところには玉石混交あらゆるものが所狭しとばかりに仕舞われ、整理するものが沢山残されているようです。
 
 お義姉様からは友人にも形見分けをぜひと言われているが、「我が家も物があふれ、これ以上荷物も増やせない」と婉曲にお断りしておいたそうです。
 まだまだ友人の格闘は続きそうな気配です。

 春の日差しを背に受けながら友人の近況報告を聞いているうちに、急に我が身のことが心配になってきました。
 万が一の時、我が家に残された荷物はどうなるのかと。
 早速に膨大な数のフイルムとCDの山から整理を始めなくては・・・。
 この気持が我が家に戻るまで持続することを願って、八幡宮に参拝してきましたが・・・。

ゆでガエルと尖閣諸島購入の話

 今日は朝から東京都の尖閣諸島の購入の話題でした。100人ぐらいのサンプルだったでしょうが、都民に賛成か反対か調査しているものを目にしました。
 半数以上が、都の税金を使っても良いと賛成していたのには、少し意外でしたが、ほっとしました。都民というよりも日本人という意識の現れ、日本が危機だという意識の現れ、と理解しました。(勝手な理解です。もっとも、仮に数字が1割の賛成だとしても、数字に表れない本音のところでは、違うはずだと推量しますが)。寄付を募っても相当な額が集まるのでは?

 この危機は、これまでの、元寇だとか、黒船来航だとかで、強い外国によって危機にさらされるというよりも、だれに頼まれたわけでもないのに、自らが弱くなっていることによる危機だと感じられます。
 ローマ帝国の崩壊は外的要因ではなく、内的要因である、ローマ国民が「パンとサーカス」に興じたから、という解釈に通じます。
 日本のサーカスの中身は、素人でよいアイドルグループからお笑い芸人、報道ショー、政治劇場まで、さまざまなものをサーカス化していく浸食ぶりです。

 われわれもうすうす気づいています。このままでいいはずがない、何とかなりそうもない予感が確実に強まっています。
 ただ危機を危機として認識できれば、ゆでガエルにならずにすむ方策を見つけ出すことができると思いたいです。

無縁墓

 この春のお彼岸は、家族の都合が合わず、お墓参りに行けませんでした。
 やっと落ち着いてきたので、近いうちに行こうと思っています。

 我が家のお墓は比較的近く、休みの日に一人で行こうと思えば行けるのですが、やはり私が一人で行くよりも、息子に来てもらいたいのでは?と思い、なかなか休みが合わない主人との時間の調整中です。

 このお墓は長男が継いでいます。長男の子供は女の子が二人。
 将来、姉妹のどちらかが継いでいくことになるのだと思いますが、まだ若い二人。
 ましてや、まだ二人ともお嫁には行っていないので、そんな将来のことはまだ考えられないようです。

 私自身も二人姉妹です。
 実家のお墓のことが気になりました。
 私が20代の頃、霊園の石屋さんに、「お父さんとお母さんがお墓を建てたから、これからの補修はお姉ちゃんたちが頑張ってね」と言われたことを思い出したのです。
 お墓の石はまだまだずっと大丈夫だけど、周りの石はあと10年もしたら新しいのにしたほうがいいと。それからもう20年以上経っていますが、まだ当時のままです。

 このお墓、誰が守っていこうか。
 私の代はまだ大丈夫。姉妹で守っていけますが、この後が問題です。
 我が家も女の子が一人。お嫁に行ったら守ってもらえるのか・・・。
 まだ10代の娘は、おばあちゃん子というのもあり、「もちろん、私がやる」と頼もしいことを言ってくれるのですが、これもどうなることか。

 しきたりや核家族化など、様々な問題でお墓を守ってくれる人がいなくなってしまう状況。
 これからは更に増えていくのではないかと思います。

 私自身、どこのお墓に入るのか?お墓に入ることができるのか?という問題もありますが、今あるお墓を無縁墓にしないためにも、お墓参りの時にそんな話をしてみようと思っています。

最後のお別れはゆっくりと・・・。

 「お顔を見てのお別れはこちらで最後になります。お声を掛けてあげてください」
 ご導師退場にて葬儀・告別式も無事終了。
 場面は最後のお別れの儀に移っています。

 柩にお花を手向け、故人様とのお別れはいかばかりかと、式場片隅でご葬儀に立ち会うつどに胃が痛くなるような思いは、回数を経験してもなかなかおいそれと慣れてくれないようです。

 そんなお別れの儀にお集まりの皆様はお1人お一人が故人様との繋がりの深い方が大半で、それぞれの胸のうちを少しでもお伝えしたいご様子が側から見ていても手に取るように分ります。
 しかし、その熱い気持も時として空回りしてしまうようなこともしばしばです。

 ご家族の方々のお花入れが一段落すると、柩の周りは3重4重の人垣で埋め尽くされ、そのまま人の流れも止まりがちになり、お花を持ったまま後方の方は気兼ねされて前に出づらかったり、時として人の輪を離れてお花入れのご様子をじっと見つめていらっしゃるような方もお見受けします。

 心残りのままお帰りになる方もいらっしゃるのではとずっと気になっておりましたが、先日立ち会ったご葬儀の担当者はずばりそのあたりを回答されていました。

 折角のお別れに大半の方がゆっくり顔も見られない状態を考慮し、「お別れをゆっくり」をコンセプトに柩を囲むように左右にイスを並べ、ロビーでお待ちの皆様をお迎えしました。

 立っていると前に出られる方と出たくても出られない方ができてしまうので、着席していただいて順次立ち上がり、前に出て柩の故人と御対面していただく形になりました。
 「お花を入れる時、お父様への思いをお話してやってください」担当者の声に促されるかのように、皆さんの声が続いています。
 ご葬儀はちょっとした気配りが大きくものをいうようです。

バス

 先日、めったに乗らないバスに乗った時のことでした。

 席が空いていない状況で、私は後部に立っていました。ほとんどの座席にはお年寄りが座っています。

 停留所に止まる度に数人の人が乗り込み、やや混んだ状況になってきました。

 そして、中学生くらいの男の子がにぎやかにおしゃべりをしながら乗ってきた時のことでした。
 別々の座席に座っていたお年寄りが二人同時に、「次で降りるから、座りなさい」と席を立ったのです。
 驚いたことに、その中学生は、「ありがとうございます」とは言ったものの、席を譲ってもらい、座ってしまいました。

 バスが動いている状態で、柱やつり革につかまりながら出口の方へ歩いていくお年寄り。
 バスには乗りなれているのかもしれませんが、バスのアナウンスでも、「バスが止まってから席をお立ちください」と案内しています。
 
 もしかすると、降りるときに少し時間がかかるから、先に降車口に行こうと思われたのかもしれません
また、その子たちは、その方のお孫さんと同年代くらいの子たちだったのかもしれません。

 しかし、私は後方から見ていて、やはり走行中に歩かれるのはとても危ないと感じました。

 その方は、次の停留所で降りましたが、席を譲ってもらった男の子たち、
「止まってからでいいですよ」
と、言える日がくるといいなと思いました。

カラーイメージ

 春を感じられる気候になってきました。
 開花の遅れや、爆弾低気圧と名付けられた春の嵐の影響でどうなるかと思われていた桜も、まだ満開ではないものの、新入生や新しくステップアップした人たちを応援しているかのように咲き始めました。

 道端や畑などにも色とりどりの花が咲き始め、黄緑色のフレッシュな新芽も見られるようになってきました。

 きれいな色の花を見ていると、とても気分がよくなってきます。
 春の陽気のせいでもあるのでしょうが、花の「色」は見ているだけで人の気持ちを動かしているのかもしれません。

 「色」について、私はずっと前からとても興味を持っていました。
 私が趣味でハワイアンキルトを始めたのも色に魅かれたからでした。色の組み合わせ次第でイメージががらりと変わり、出来上がった作品はずっと見ていても飽きないくらいです。
 新しいものを作るときに選ぶ色は、その時の気分が配色に表れているのかもしれません。

 赤は元気、青は冷静、緑はやすらぎ、黄色は光、白は敬意、黒は生命の終わりや再生・・・と、それぞれに意味があり、それはきっとだれもが色の勉強などをしなくても心理や感覚で感じているものなのでしょう。

 企業のイメージカラーや広告、パンフレット、ホームページなども、配色は大切なことなのだと改めて感じました。

 色の種類は無限にあります。もう少し深く勉強してみたくなりました。

提案力

 「4軒も断られたんですけれど・・・」
 電話口の方は、一瞬耳を疑ったかのように聞きなおされたとのこと。
 ご自宅でのご葬儀を希望されたのですが、ことごとく葬儀社に断られ、途方にくれていらっしゃったご様子のようです。
 「大丈夫ですよ」ごく普通にお答えしたのですが、あまりにあっさりと承諾したので、電話の主は少しの警戒心を持ちながらも、ホッとされた安堵感で堰を切ったかのように事情を説明され、ご要望をあれこれとお話されたそうです。
 勿論その後のご葬儀は無事滞りなく執り行うことができたことはいうまでもありません。
 これは先日、葬儀社の担当者から伺ったお話です。

 少し前までご自宅でのご葬儀はあたりまえでしたが、都会ではいつの間にかごく少数派なってしまい、最近では葬儀社の方もお断りするケースが多くなってきているようです。
 葬儀社もご自宅での葬儀経験がないところが増え、煩雑さをさける傾向にあり、何よりも提案力が弱くなって来ているとベテラン担当者は嘆いていました。
 
 ご相談が難題であればあるほどできないのではなく、できるようにあれこれと知恵を絞って工夫することが大事で、やり方ひとつで様々な方法が編み出され、新たな提案ができるはずなのに、面倒なことは始めから除外してしまう傾向にあるようです。
 
 ご葬儀は提案力こそが担当者の勝負になるはずと力説されていました。

 当センターでも、依頼者の方に様々な角度からお話をお伺いして、ご要望に適した賛同社をご紹介しておりますが、さらに担当者とじかにお話されることをお勧めしております。
 詳しい見積の説明もさることながら、特に複数の葬儀社からお話を伺う場合のひとつの目安として、ご要望に対する担当者の提案力も比較検討されてから決められては如何でしょうか。