新たな年を迎えて・・・。

 新年明けましておめでとうございます。
 本年もどうぞよろしくお願い致します。
 とは、申しましたが、実のところ当センターは暮れもお正月もございません。
 人の死だけは待ってくれません。
 暮れから元旦にかけては万が一の時が三箇日にかかった場合の対応を心配されてのお電話が続きましたが、3日目ともなりますと通常の体制に戻ってまいりました。

 当センターも今年で6年目に突入いたします。
 これまで1000件以上のご葬儀の施行に携わって参りましたが、本当に沢山のご依頼者の方々からメールやお電話で当センターをご利用頂き、ありがとうございました。
 ご依頼者からは様々な経緯でもって当センターをご利用頂いたことが施工後のアンケートからも伺えました。

 同じようにNPO法人を設立された方からは「NPO法人」「葬儀社」「家族葬」のキーワードから検索され、ホームページで設立趣旨や活動内容・定款などを熟読した結果、信頼できる団体と判断し、コンタクトをとった次第ですとのお言葉。

 センターに電話をしてみようと思い立ったのは、ホームページを見てどこかに“一生懸命”やっているみたいだなと感じられるところがあったからだと思いますとおっしゃる方もいらっしゃいました。

 また、センターに決めた要因は、ご依頼者の立場で考えてくださったことが1番だったと言われた方もいらっしゃいました。

 以前お父様をなくされた時には、病院の霊安室の名簿から葬儀社を決めてしまい、葬儀後に高額な請求をされた方からは「今度こそと多くの葬儀社から見積りをとったが、何を基準にすれば良いのか逆に迷ってしまい、そんな中、センターのホームページを読んで1人で悩むよりあさがおさんに相談してみよう!と決めました。何かのご縁であさがおさんと賛同社さんと知り合えて家族として立派な式ができたことに感謝しています」とのお言葉を頂きました。

 お1人お一人から頂いた貴重なお言葉を胸に、今年はさらなるステップを模索する年にしたいと思います。

今年センターがお受けしたご葬儀を振り返って・・・。その2

一般的な話題としてタブー視されていたご葬儀に関することが、今年2月に映画「おくりびと」の米アカデミー賞・外国語映画賞受賞を機にマスコミがこぞって紹介したこともあり、お茶の間の話題に乗る機会が増えたことは大きな変化だと思います。
まずは関心を持ち、心に留めていただくことが第1歩ですから。

その影響もあり、都会を中心に急速に広まりつつあるのが、火葬のみの直葬と呼ばれるご葬儀のやり方です。
当センターでも昨年に比べるとぐんと増えてきています。1年間の集計を見ると約1割程ですが、来年はさらに増えることが予測されます。
不景気の影響もありますが、ご葬儀の選択肢として成立することが報道され、以前執り行ったご葬儀への反発から、ご本人様の意思で行わないという方も増えてきています。

また、最近はご高齢でお亡くなりになる方が増えるにしたがい、お知り合いの方もご高齢等のため、ご家族だけで静かにお見送りしたい旨、あらかじめご近所や会社に事前報告されてもごく普通に捉えてくれるようになってきました。

旧態依然としていたこの業界も急速に変わりつつあります。
そこにはホームページの存在が大きく、情報を入手しにくかったこの業界を開放してきた大きな要因になっています。
当センターも来年に向け、さらなる情報をお届けできるよう様々な角度から切り込んで行くつもりです。
私(松)の担当は今年最後になります。
少し早めですが
よいお年を!

来年もよろしくお願い申し上げます。

今年センターがお受けしたご葬儀を振り返って・・・。

 今年も残すところ後わずかになってしまいました。
 1年間に頂いた事前相談のメールでのやり取り、お電話での対応を振り返り色々反省することしきりです。
 今年当センターでお受けしたご葬儀の案件やアンケートを集め、様々な角度から見直すと、今のご葬儀事情が如実に浮かび上がり、次に目指す指針を暗示させてもくれます。
 ご依頼者お1人お一人から伺ったご意見を書き連ねていくことで、思いがけない答が出ることもあり、大いに勉強させられました。

 賛同社のご葬儀に対する姿勢は担当者皆さん確固たるものをお持ちですが、年間の案件の集計をしますと、上位にランクされる賛同社には矢張り幾つかの共通項が見えてきます。
 しかし、もう一つの柱でもあるアンケートとの比較では必ずしも一致するものではないようです。
 施行数としては決して多い方ではないけれど、必ずと言っていいほど感謝の気持がにじみ出るような文面のアンケートを頂く担当者もいらっしゃいます。

 女性のベテラン担当者にその傾向が顕著のようです。機転、気配りに加え生活者の目が1歩リードしているのではと感じるのは同性としての身びいきでしょうか。
来年に更なる期待を込めて応援します。

「普通」を押し付けず、ご喪家の意向を汲み、同じ目線で一緒に考える担当者とは・・・。

 ご葬儀では同じような内容、同じような規模のものでも担当者の対応の仕方如何ではまったく違ったものになってしまいます。
 それは葬儀後におこなうアンケートやお礼のお手紙からも読み取れます。
 
 中でも多くの方から共通していわれるのは「担当者がなによりも私達の意向を汲んで下さり、それを的確に捉えてことを運んでくださった」とのお言葉。
 また「こちらの主旨を素早く理解してくださり、同じ目線で一緒に考えてくださったと思います。おかげで父らしい葬儀ができました」とご報告いただきますように、まずはご喪家のご要望に耳を傾け、どのような式にされたいのかを汲み取って差し上げることができる担当者かどうかで決まるようです。

 ある担当者の対応ぶりには「こちらの要望を丁寧に聞いてくれ、“普通”を押し付けず、不明な点は教えてくれた」とありました。

 また、具体的には「父は高齢だったこともあり、私達は前から気持の整理は出来ていたと思います。その気持ちをよく汲み取っていただき、時には明るい笑顔で対応していただき、心静かになることができました」とありました。
 別な方からは「遺影用の写真と共にたまたま別な目的で故人が残した直筆のメッセージをお渡ししたところ、会葬御礼の文面の最後に印刷していただき、原本は額に入れて安置所にかざってくれたことも有難かったです」とのエピソードが語られ、「故人を大切に考えてくださっているお気持が伝わり、思わずまた新たな涙を流しました」と担当者の気配りぶりにも感動され様子を知らせてくださいました。
 事ほど左様に、ご葬儀は担当者の腕次第です・・・。

ご葬儀の良し悪しは時間の使い方で決まる・・・。

 前日の通夜に押し寄せた予想外の会葬者数である程度は覚悟していたとは言え、葬儀・告別式が始まる前からすでに式場控室は芋を洗うような活況を呈していました。
 家族葬のつもりがケータイを通じて友人知人に伝わってしまい、10倍もの会葬者が詰め掛けています。
 定刻どおり始まったご葬儀は一般会葬者のご焼香に入るととたんに列はゆっくり進み、時間はどんどん押してきます。
 ベテラン担当者は顔色ひとつ変えず、状況を読みながらも出席者に気付かれることなくスタッフに次々と指示を与え、同時進行できることを進行させてその手際のよさには感心しきりでした。
 ご会葬いただいたお1人お一人が最後のお花を手向け、なんと定刻5分前に出棺と相成りました。
 
 最近ちょっとした時間のトラブルがあり、この時の光景が思い出されます。
 トラブルは担当スタッフが出棺の時間を気にして移動をあせったようで、早く車に乗るようにせかされ、喪主の方はそのために斎場でお帰りになる方々へご挨拶も満足にできなかったとのことでした。
 確かに出棺時のあわただしさは立会いで伺ってもよく目につく光景です。
 しかし、先を急ぐがあまり、斎場に残ったスタッフとの連携がうまくいかず、返礼品の手渡し漏れが出たとなればたとえお1人でも由々しき問題です。
 時間の使い方ひとつでご葬儀の良し悪しが判断されてしまいます。
 ご指摘いただいたことで、大切なことを気付かされました。

「おもてなしは母の遺言ですから・・・」お言葉に甘えていただきます。

 「日本航空の赤字と再建が話題になっている昨今、機内食が以前に比べ質、量ともガックリ落ちてしまったが、食事をケチったら台無しだ」という投書が東京新聞に掲載されていました。
 食することにおいてはご葬儀とて例外ではありません。
 いえ、ご葬儀のお料理ほど後々までご親戚の話題にされるものも珍しいのでは・・・。
 時としてアンケートに「大変気配りがきいた立派なご葬儀でしたが、出てきたお料理が今一つの感がありました」と遠慮ぎみに書かれた文面を読むと思わずご親戚の方々の反応は大丈夫でしたかと聞き返したくなります。
 
 ご葬儀のお料理に関しては皆様、特に女性の関心の深さがうかがえます。
 喪主の方からは「とてもおいしかったです。お通夜の時はその場で食べられませんでしたので、持ち帰りでいただきましたが、煮物など本当においしくて疲れが癒されました。」との報告を受けています。
 精神的にも肉体的にも疲れ果てている時に出会ったお料理で気持が癒され、立派に喪主を務める勇気が湧いて来たとのことです。
 また、もてなす側として「料理に関しても丁度よい分量でよかったです。葬儀社の方の判断で寿司等の追加をお願いした時、大きな桶ではなく、3人前の桶にしていただいたため、食べ散らかしが少なくすみました」との報告もありました。
 また、自分は食にこだわらないという男性の喪主の方からは後日出席された会葬者に当日のお料理について尋ね聞き、内容が良かったとの回答にホッとしましたとの報告をいただきました。
 
 時には通夜のお清めに故人の好きでなかったビールの銘柄が出され不満でしたが、精進落としには別な銘柄に換えていただき満足していますとの方、さほど期待していませんでしたが、お寿司が美味しくて大満足でしたとの方。

 お清めの席のお料理は大皿に盛られた寿司、オードブル、煮物、てんぷら等を中心に、一方の精進落としは会席弁当といったところが一般的ですが、通夜・告別式共精進料理のみで、または京都出身なので湯葉の料理を中心にしたものをというように、それぞれに趣向をこらしたものを注文される方もいらっしゃいます。
 中には精進落としはぜひ生前故人の行きつけの料理屋さんでとの方も。

 一方、受けてたつ葬儀社の担当者の中には関東一円の料理屋さんを数十軒も試して、やっと満足いただける料理屋さんに出会って何処にも負けませんというつわものも出てきています。
 ある喪主の方もおっしゃっています「おもてなしは母の遺言ですから」と。
 故人のためにも大いに飲んで、食べてあげてください。

ご喪家のご忠告から学ぶことは・・・。

 ご葬儀の後、お気持が少し落着かれた頃、当センターではご依頼者にアンケートをお願いしております。
 思ったことをそのままお書きくださるようにお願いしていますが、皆様お気持を一気に吐き出されるようにお書きいただき、担当者としてうれしい悲鳴を上げています。
 メールや郵送で送られてくる回答を、まるでテストの答案用紙を返された時のように、どぎまぎしながら読ませていただいております。
 
 お褒めの文面にホッとしながらも、それ以上に注目しているのがご不満やご忠告です。
 全体としては満足いただいても、一つひとつまな板に載せていくと、ご不満な箇所も出てきます。
 どんなことでもすくい上げていただくことで我々の反省材料となり、次に進む貴重な資料となります。
 10点満点8点だけれど、ここをこうしてくれたたらもっと良かったなどと忠告されると思わず「よし」と姿勢を正してしまいます。

 気軽に何でも相談できて教えて貰えたが、式の打ち合わせにゆとりをもってしたかった。
 慣れているので全て任せられましたが、反面慣れすぎているようにも感じられました。
 お清めの席で久しぶりに会った父の同僚同士話し込んでいるうちに、式場の時間の都合で料理が片付けられ、お皿をまとめられて、気を使わせてしまい、居心地が良くなかった。
 ご葬儀直前会場を出て駐車場に行く途中、喫煙所を通りかかった時、社員3~4人が喫煙・談笑されていて、目前を通り過ぎても笑顔が消えなかった。
 以上は最近いただいた忠告です。

ほんの少し気配りが足りないことでも取り返しがつきません。
ご葬儀はやり直しができませんから。

ヤギのいのちについて考える・・・。

 私事で恐縮ですが、ずっと長い間引っ掛かっていた出来事がありました。
 それを解消していただいたのが朝日新聞に掲載された作家・村山由佳さんの食べること「犠牲の上のいのちを忘れない」の一文でした。
 村山さんはこれまでで最も印象に残っている食事はときかれたら、モンゴルの大草原での「ヤギ肉のシチュー」とのこと。
 その夜出されたシチューの肉は遊牧民が生きたヤギを村山さんの面前で肉にしていったものであったが、その一部始終を見て気持悪いとも残酷だとも感じなく、むしろ神聖な宗教的儀式を見ているようで感動に打たれていたとお書きになっていました。
 
 今から、30年以上前、私も似たような体験をしました。
 スペイン南部、アンダルシア地方のシェラ・ネバダ(山脈)の村、ピートレスの分教場に居候した時のことです。
 着いたその日村の広場をうろついていると、村の青年が1匹のヤギを木に吊るし、今まさに解体を始めるところでした。
 あまりのことに足が釘付けになってしまいましたが、青年は黙々と至極当然のようにことを進めています。
 気がつけば、こちらも夢中でカメラのシャッターを押していました。
 全てが終了した時、心が穏やかでしかも何か清々しい気持にまでになっていることに気付かされました。あれはなんだったのだろう。

 野菜も肉もいのちがあります。私たちはそのいのちを頂き生きており、それゆえに自分のいのちは他のいのちの犠牲の上にあることを忘れないようにということは幾度となく聞かされておりましたが、同じような実体験をされた方の文章を読み、やっと実感できました。
 あのヤギ肉の煮込みの美味しかったことを、昨日のように思い出しました。

昭和のスターが去っていきます・・・。

 森繁久弥さんに続き「ターキー」こと水の江瀧子さんの訃報が知らされました。
 水の江さんがご自分の生前葬を森繁さんの葬儀委員長のもと盛大に執り行ったことでマスコミを賑わしたのは今から16年前。そのお2人がくしくも前後して旅立たれてしまわれました。
 最近は昭和の時代に活躍された方の青春時代を知る人も少なくなってしまったようです。
 かつて一緒に過ごした仲間の方から伺ったことが色々思い出されます。
 
 それは今、昭和の時代ともてはやされている60年代をさらにさかのぼること15年。
 森繁さんがムーラン・ルージュ、NHK[愉快な仲間]でブレイクする前のことでした。
 森繁久弥さん、芦田伸介さんなどの大連からの引きあげ組を中心にアンデルセンの童話劇を公演し、打ち上げパーティでは新劇組と大論争になった話など。
 森繁さんは話術の達者な飄逸な持ち味があったが、演出どおりに演じない羽目はずしやアドリブ風のやり方に正攻法の新劇組とは相容れないところがあったようです。
 
 それでも付き合いは面白く、大陸帰りのどことなく器が大きく茫洋としているところに風情があり、飲むほどにその視線ははるか草原へ注がれている感じだったと聞きます。
 森繁さんの話術、そのリズムは韻を踏んでいるようなところがあり、よく口ずさんでいた「テアトル・コメディアン」のテーマ曲はセンチメンタルで時代状況とマッチし、胸にこみ上げるものがあったと懐かしがっておりました。
 皆が無名だったころの青春譜の1ページでした。   合掌。

亡くなる時はしっかりとゆっくりとだらだらとフェイドアウトしていくのが一番・・・。

 最近お電話を受ける中で、お身内の方の事故死や孤独死(中には死後数週間経っている)を警察から突然知らされ、どこからどう手をつけてよいのかも分からないとショックを隠しきれないご様子のままご連絡をいただくケースが立て続けにありました。
 伺う方も思わず身構えて、緊張が走ります。
 
 そんな中、先日TBSラジオで精神科医の北山修氏が「心の痛みで一番痛いのは突然親しい方に去られてしまい、目の前にいないということだ」とご自身の経験をふまえて話されているのを聞き、思わず頷いてしまいました。
 
 心の中では今まで元気だった残像が強く残っているのに突然この世からいなくなる。
 この落差が悲しみを倍加させるのだ。
 だから心が納得する死に方は「しっかりとゆっくりとだらだらと」が一番。そうすれば心残りにならず、時には亡くなって最後は有難うと拍手をしたくなるほど。時間を経て亡くなればその間に納得する気持も与えられるから。
 よく「ぽっくり死ぬ」のが理想だとか楽だとか言われるけれど、これは亡くなる方の一方的な思い込みが大である。
 残されたものが納得し、ゆるりゆるりといくことが大事で、そのことが癒しである。
 また、北山氏は仕事仲間から好きな曲のCDを贈られて癒されたとも。
 癒しは簡単に手に入らないが好きな音楽はのどの渇きを抑えてくれる。
 日本人は昔からお茶であれ、物であれ、そっと差し出す習慣がありそれが癒しにもなっている。人に物を送るのも癒しになっているのだ。