儀式としての葬儀、告別式が予定通り無事滞りなく終了しました。
柩に祭壇のお花を手向け、親族の方々の手を添えて蓋を静かにそっと閉じると柩の小窓が開けられます。
喪主、ご家族の方々の最後のお別れです。
凝視した視線のかすかな動きを見て取り、担当者は「よろしいですか」と声を掛けます。
喪主のうなずきを合図に小窓が閉じられ、お別れとなります。
時間にしてほんの数秒間が永遠の空白の様に感じられ、時は息詰まる瞬間を刻みます。
今、1冊の写真集を手元に眺めながら書いています。
「バラモンとジャンタ」1971年に出した友人の写真集です。タイトルからも推測されるように60年代後半肌で感じたインドを撮り捲った作品の数々です。
ガンジス川で顔と手だけ出して合掌している姿、朝の光の中で沐浴する若者達、洗濯をしている少女達、炎に包まれた死体、その隣で死んだ赤ちゃんが重しを付けられ今まさに川に放り投げこまれようとする瞬間のショット、全てが混然一体となって一つの世界を創っているようです。これらはガンジス川の朝の一こまです。
友人は戸惑いながらも何か大きな力を感じ「何処でどのような葬式をしようが、死者を神のもとへ返す。これが貴重な行為ではないか」と記しています。
最近のご葬儀は家庭から式場に移ることで、より儀式的になり、デリケートになり、時間に管理されてきて、存在感が希薄になってきたように思われます。
あらゆるものを包み込むインドの写真集を見るたびに、もっと根源的なおおらかさが生かされる葬儀もあってもいいのではと考えさせられます。