小西斎場での会葬者20余名のご家族、親族を中心とした葬儀告別式に立ち会いました。

小西斎場での会葬者20余名のご家族、親族を中心とした葬儀告別式に立ち会いました。依頼者の第一報は高齢の父親を近親者のみで静かに送りたいということで葬儀社サイドは家族葬に適した自社式場を提案しました。しかし、故人の勤め先であった交通関連会社OB会の関係から会葬者の人数がつかめない状態になり、多目に人数を見積って久保山斎場近くという条件で、小西斎場を借りることになりました。

 通夜は朝からの荒れた天候で交通機関にも影響が出て、会葬者は予想の5分の1程になってしまいました。告別式当日も道路事情が悪いにもかかわらず、ご高齢の方々が最後のお別れにお見えになっていたのが印象的でした。

 エントランスホールにはイスが並べられ、一般会葬者の方が利用できるように配慮されていました。特に今回の様にお年寄りがいらっしゃる時は助かります。

 葬儀社の担当者も「自社斎場以外ですとよくこちらの式場を勧めますが、最初、お客様の中には山を越えるのをためらうようです。山を上がるのを不便に感じているようですが、実際やってみると久保山斎場に近く、全館使用なのでゆったり使え、他の葬儀とぶつかることもなく、大変便利であることが分かり、終わってからこちらでやってよかったとよく言われます」と語っていました。

 依頼者から、葬儀社の担当者には大変良くやっていただき、特にご家族の方が喜んでいらっしゃるとのことでした。担当者も10年ほど前に母親を亡くしているので常に身内の葬儀のつもりでやることを心がけていますとのことです。

 お柩を見送った後、関係者は右手歩行者専用道路から坂を少し下った久保山斎場へと向かいました。

※小西斎場の斎場案内は、小西斎場のページになります。

代々幡斎場での当初想定した会葬者数を大幅に上回った葬儀

代々幡斎場の式場「雪」を使用した一般葬の葬儀、告別式に立ち会いました。通夜の会葬者は270名程でした。

 はじめ依頼者は代々幡斎場で家族親族を中心に会葬者40名前後と、ごく一般的なご葬儀を希望していらしたが、実際に蓋をあけると会葬者が10倍近くに膨れ上がってしまいました。

 故人は生前会社社長を歴任、長男の依頼者もマスコミ関係の要職という関係上、最初の要望通りにはいかなかったようです。途中で話が漏れ会社関係の方々が次々に弔問に訪れるという事態になってしまいました。現実として依頼者や喪主の現職に大きく左右されることが多いようです。

 葬儀社の担当者は打ち合わせでお話を伺っている間に、ある程度の予測ができ、「礼状は多めに用意していたので間に合いました。通夜の料理も融通が利く業者でしたので、次々に追加し間に合わせました」とベテランらしい対応振りでした。

 故人の会社関係の方に弔辞をお願いして、急きょ弔辞をご焼香の前に組み込んだため、葬儀は定刻より少し早めに始められました。式場入口に集まった大勢の一般会葬者が、生前のお人柄、仕事への取り組みや業績等に耳をそばだてるようにして聞き、頷きあっていたのが印象的でした。

 葬儀・告別式の会葬者も人数が確定できないまま進行しましたが、結果80人程に収まりました。火葬場にストレッチャーで運ばれて1時間余り、再び式場にて初七日の法要が始まりました。ご焼香の後、ご住職は「供養することは自分を供養させてもらったことになる」という講話で締めくくられました。

※代々幡斎場の斎場案内は、代々幡斎場のページになります。

所沢市斎場での一般的な規模の葬儀での立会い

 所沢市斎場での会葬者80名程の葬儀・告別式に立ち会いました。

 故人はまだ50代と若く、依頼者で喪主の方は20代の若者でした。葬儀告別式の前、ご挨拶に伺った時は突然の悲しみにかなりナーバスになっていました。ご喪家からの要望はなるべく金銭的に抑えてほしいとのことでした。葬儀社の担当者も兄貴分として色々相談に乗っているようでした。

 葬儀社サイドは通常その値段のコースでは3段の白木祭壇になるのを5段の白木祭壇にしたり、供花の中に奥様と娘さんの名前が見当らないので、小さな花輪を二つ用意する等のサービスをしたそうです。

 式場は第2式場を使用しました。イス席の数の割には少し式場が狭く感じられ、また同じ出入口の第2、第3、第5式場の会葬者の出入りが激しく、時として音が式場まで響きバタバタした感が否めないようでした。

 故人の会社関係の方をはじめ、喪主である息子さんの同僚も多数仕事着のままご焼香に駆けつけていらしたのが印象的でした。

 葬儀告別式が終了し、甥ごさん姪ごさんの弔電の後、遠く沖縄の妹さんからの手紙が代読されました。お兄様の突然の死が信じられないご様子、残されたご家族への思いやりをご自分の言葉で語られ、決まり文句の多い弔電とは対照的な手紙に会葬者全員が涙し、傍で見ていても胸が締め付けられる思いでした。

 控室は親族が40名以上になり、精進落しのお食事用には第5控室(洋室)+火葬の待合室(和室・25畳)が使用されました。第5控室での通夜のお清めは立食で、会葬者は約100名程でした。

 柩を火葬場に送った後ロビーでお会いした依頼者は、先ほどまでの張り詰めた表情からほっとした安堵の様子を見せ、「親切に良くやって頂いて有難うございました」と挨拶され、こちらもその時始めて頬のピアスに気がつきました。

※所沢市斎場の斎場案内は、所沢市斎場のページになります。

市川市斎場での葬儀に立ち会いました。

 市川市斎場での第2ホールでの葬儀・告別式に立ち会いました。

 精進落としのお食事所用にロビー右半分が仕切られますので、入口玄関は左半分だけになります。正面左手が第2ホールになります。ご喪家側は格安で花祭壇の花にこだわりをみせていらしたので、葬儀社の担当者は以前同じような条件で施行した時の花祭壇の写真をお見せして納得させたようです。

 特別なご要望がない場合、逆に担当者側からこうしたらどうだろうかと要望をだしますとのこと。ご喪家の皆さんも気軽にご相談しているようで、安心してお任せしていますという感じでした。わきあいあいとなり、後で和やかに済んでよかった言う方が多いようです。ベテラン担当者ならではの采配振りです。

 お花入れの儀の用意では、ロビーにて会葬者にお待ちいただく間、ロビーと式場の間仕切りがないので、屏風をさりげなく置いて目隠しにしていました。

 お花入れの最後に車椅子のお父様が大きなゆりの花をお母様に手向け、身じろぎもせずじっと見つめていらっしゃいました。

 柩を火葬場まで台車でも運べますが、今回は霊柩車で運ばれその後をご家族ご親族が続く形になりました。火葬を待つ間、再び式場の方に戻り、ロビーでの精進落しになります。

※市川市斎場の斎場案内は、市川市斎場のページになります。

横浜南部斎場での家族葬

 親族19名程の家族葬の通夜に立ち会いました。

 この日は友引でしたので関係者の出入もほとんどなく、二つの通夜だけで辺りはひっそりした空気につつまれていました。

 依頼者のご要望は三人家族なので身内だけで質素に送りたいが、お父様の願いだった戒名だけは良いものにしたいということでした。葬儀社サイドはご希望の値段でやって頂けるお寺を探すのが大変だったようですが、無事間に合いました。

 始め予算をお聞きしてご希望の花祭壇を少し心配しましたが、葬儀社の担当者はインパクトのあるものを作りますからと太鼓判を押されていました。依頼者は花が少ないのも寂しいのでと電話口でおっしゃっていましたが、当日飾られた祭壇を見てとても満足なさったようで、伺う早々お母様共々お礼を言われ、こちらもほっといたしました。両サイドのご燈明が祭壇に奥行きを与え、立体感のある華やかな祭壇でした。

 通夜の式の後、会場には故人の大好きだったクラシックの曲が流れていました。お疲れのお母様の様子を気遣いながら二人寄り添って、担当者と明日の葬儀の打ち合わせをしている依頼者の姿が印象的でした。 

 ※横浜南部斎場の斎場案内は、南部斎場のページになります。

臨海斎場での無宗教葬

 会葬者30名ほどの無宗教葬に立ち会いました。

 臨海斎場は利用者が多いので何日か待つことが当たり前ですが、無宗教の葬儀ため、友引でも構わないという事で友引に告別式をしたので待ち日数はありませんでした。一般の火葬場は友引の日は休みですが、臨海斎場は、友引の日も関係なく開いています。

 臨海斎場は式場の間口が広いので、葬儀社は、通常の祭壇を横長にし、柩の周りの花を柩の左右に配し、献花台をお棺の右側に置き、献花をしてから正面に来て、ゆっくり故人と対面してもらうよう配慮していました。

 お棺の上部の蓋を開けてあり、故人の胸から上を見て、会葬者は最期の別れをしていました。また、中央左側には思い出コーナーを作り、思い出の品、写真等で故人を偲んでもらえるようになっていました。通夜にはジャズ仲間が集まり、感極まってトランペットをふくハプニングもありました。故人は中目黒でジャズ喫茶の店を営業していた方でした。臨海斎場は、ある程度の音であれば出すことが可能なのもよいところです。

 今回の無宗教の葬儀の場合、まず式の始めに喪主が挨拶して、無宗教葬でやるいきさつを説明し、その後、献花し、お別れ会をして、お食事会をしました。また、閉式後喪主がブランデーケーキを1人1人に手渡し、言葉を交わしてから2階お清め室に案内するという趣向も取り入れていました。こうした流れは、葬儀社とご喪家の式次第の打ち合わせで決まっていきました。

 故人のご兄弟は始め無宗教に反対でしたが、通夜の最後の挨拶では、「こんな素晴らしい通夜は初めて」だと、感激されていたのが印象的でした。最後には喪主の奥様も鼻高々だったようで、友人達も温かく良い雰囲気だったと喜んでくれたと言います。

 告別式は式場にジャズがゆったりと流れ、身内だけのお見送りになりました。火葬が終わるまでの間、2階のお清め室にて食事会が行われました。

 当センターへの施行後のアンケートにおいて、ご喪家より「非常に満足した」と回答いただきましたが、それを受け、施行した葬儀社の担当者は「ご喪家との打ち合わせにじっくり時間をかけて細かなことまで約束事を決め、万全を期すが、当日はラフに余裕を持って臨むように心掛けている」と語ってくれました。

 ※臨海斎場の斎場案内は、臨海斎場のページになります。

越谷市斎場でのお身内だけのご葬儀

 ご葬家の要望はできるだけ葬儀費用を抑えてということでした。

 深夜容態が急変し、お亡くなりになりましたが、病院側の要望で朝まで待てないということになり、ご遺体は一旦搬送業者の霊安室に運び、朝一番で越谷市斎場に搬送しました。

 会葬者がご家族・ご親族8名のお身内だけの家族葬でした。奥さんは体調を崩して葬儀に出席できず、依頼者の長男の方も大変お疲れの様子でしたが、「霧の中を歩いている様な状態ですが、よくやっていただいて感謝しています」と丁重にご挨拶されていました。式場の音響もよく、読経も鉦の音の余韻もより一層心に深く響き渡るようでした。

 葬儀を終えたお棺が台車に乗せられて火葬場へと向かう廊下に差しかかった時、会葬者は思わず上を見上げてしまいました。そこだけ頭上高く太陽がさんさんと降り注いでいました。光のシャワーは思った以上に強烈な印象で、それはこの世とあの世の橋渡しの場の様にも思われました。

 ※越谷市斎場の斎場案内は、越谷市斎場のページになります。

ウィングホール柏斎場での葬儀

 ウィングホール柏斎場での家族葬での葬儀、告別式に立ち会いました。会葬者通夜17名。葬儀・告別式11名。依頼者は家族、親族だけで送りたいとのご要望でした。

 祭壇両脇には御霊燈が置かれ、白木祭壇への導入として奥行きのある雰囲気を出していました。

 こちらの式場では祭壇は作り付けになっています。式場前方は特に音響効果が配慮された造りになっていて、ナレーターの静かな口調で始まった葬儀は、ご住職の読経と鉦の音で一変し、一気に会葬者の気持を集中させたようです。

 式場中に響き渡る読経と鉦の音は、参列者の心の奥まで届かせるに十分なほどでした。後方に位置するナレーターの声との緩急のバランスが生きているようです。

 ともすると周りの雑音に悩まされる式場が多い中で、改めて音に対する気配りが印象深く感じられました。

 ※ウィングホール柏斎場の斎場案内は、ウィングホール柏斎場のページになります。

戸塚斎場での葬儀

 戸塚斎場での葬儀・告別式に立ち会いました。通夜の会葬者90名、葬儀・告別式の会葬者40名ほどです。

 「ご依頼者の方は料金の安さとご自宅から車で5分という近さから戸塚斎場へお決めになったようです」と葬儀社から伺いました。

 ご喪家の希望で供花を祭壇に組み込みの形にし、26万円の花祭壇だったので、ほとんど供花で賄えました。このような場合は供花を頂いた方々の理解が不可欠になります。お見えになってご自分の供花が見当らないという不愉快な思いをされないように了解を得ることが大事です。今回は芳名版を左脇のボードにまとめました。葬儀社側としては綺麗にまとまったと思いますと胸を張っていました(芳名版は葬儀社側のサービス)。花祭壇は白とブルーを基調に、バック中央を黒で締めスッキリした印象になりました。

 式が始まる前、葬儀社の担当者は30分後に初七日の法要も併せて行なうため、親族のみご焼香を2回行う旨を会葬者に伝達しました。
 親族のみでお別れ花を手向けた後、ご住職の打つ鉦の音と柩の蓋をお一人ずつ石で叩く音が最後のお別れを告げました。ご遺体はストレッチャーに乗せられ階下に降り、隣の建物の火葬場へと直行されました。

 待っている間1時間半程ありますので、火葬場1階右手の休憩室にてお身内だけのお食事会が始まりました。

 担当者のツボを心得た細やかな気配りに、親族の方々の評判も良く、依頼者も「今回のことでは私の株が上がって鼻が高い」と喜ばれていました。

 ※横浜戸塚斎場の斎場案内は、戸塚斎場のページになります。

ひかり会館での葬儀

 先日、会葬者80余名の一般葬の葬儀・告別式に立ち会いました。依頼者は浦和斎場か自宅近くのひかり会館をご希望でしたが、こちらがすぐ予約できましたので決めました。最初の見積りの段階では会葬者40~50名位とおっしゃっていましたが葬儀社の担当者がご自宅に伺った頃には80名位と訂正されました。ところが途中から故人の会社の方が表に出てきて、200名以上になりそうということになり、ごく普通にしたいご喪家は少々困惑気味のようでした。会社側としては故人が元役人の方で民間会社役員という肩書きから供花を並べる順番にかなりこだわりがあったようです。通夜当日、手伝いの方が会社から20名と故人の友人10名程いらしたのですが、会社の方が殆ど取り仕切ってしまわれたようです。

 ご住職の意向で読経の途中に弔電を読むことになり式次第の順序も少し変わりました。この為、20分以上過ぎてからご焼香が始まり、40分後位から初七日の法要が始まって最後のお別れ花の時はすでに出棺時間の12時を過ぎてしまいました。この為、お別れ花の時間が慌しくなってしまい、もう少し時間を取って差し上げたかったと葬儀社の担当者は残念がっていました。

 白木祭壇上には規定で花が置けないので、外の出入り口両脇、看板下等に飾ったり、また、柩の前に生花を1列つけて華やかさを出したのですが、こちらは周りの備え付けのものが少し古いので目線を生花に持っていく役目もあるとのことでした。

 当日、供花が沢山出ましたが式場両脇まではみ出さないようにした為少々窮屈な感じになり、せっかくの花が生かしきれないはめになってしまいました。

 待合室での通夜のお清めは立食なのでエレベター脇のロビーの方にもテーブルを出し、大人数にも対応出来るようにしました。ご親族用には式場後方にテーブルを出し、こちらも立食で済ませることができました。一般会葬者がお帰りになった待合室は直ちに会社の手伝いの方の手でイス席にセッティングされ、お清めをなさったようです。男性が多かった関係からか、樽酒が多くでたそうです。葬儀社の担当者は「お料理の評判が良く、余った分は折り詰めにしてお持ち帰りいただいたり、ご喪家の方たちはお食事をなさらないのでお渡ししています。特に女性の会葬者は家に家族の者を留守番させて来ているので折り詰めにして差し上げると気持としても喜ばれるようです」と語っていました。

 火葬は大宮聖苑にておこなわれ、火葬場には1時過ぎになるので、精進落し(お食事会)は大宮聖苑の待合室で済ませることになり、残ってお手伝いいただいた会社の方には会館待合室にてお弁当をお出ししました。

 ※ひかり会館の斎場案内は、ひかり会館のページになります。