弔電は残された家族の癒しにもなります・・・。

 電話口で「○○さんのご葬儀は何時からですか」といきなり聞かれることが度々あります。
 えぇ・・何かの間違いでは・・・? 気を取り直して事情を伺うと、弔電を打ちたいのでお式の時間が知りたいとのこと。慣れないことで戸惑われていらっしゃるようです。
 そういえば、最近では日常生活に電報を打つ機会なんてめったにお目にかかりません。
ましてご葬儀のように特殊な状況下ではどんな文面にしたらよいのか、迷ったあげく、差し出された例文をそのまま引用されるケースが多く見受けられるようです。

 というのも、今まで多くのご葬儀に立会いましたが、ご葬儀には弔電は付き物とばかりに用意された儀礼的な文面ばかりが目立ち、あまり思いやりが感じられませんでした。
 いつの間にか弔電は葬儀・告別式が終ってほっとした会場の空気の中で、おもむろに司会者が読み上げる、一つの儀式という認識位しかもてなくなっていました。
公的な社葬や合同葬ならいざ知らず、家族葬のような内々のご葬儀まで同じで、その部分だけを妙によそよそしく感じていました。

 そんな折、立ち会ったご葬儀で菩提寺のご住職の読経が通常より10分ほど長引くことが分り、急遽ご喪家の了解のもと、弔電を全てカットすることになりました。
 葬儀・告別式が無事終り、安堵の空気が流れるも、いつもの弔電は読まれません。
 最後のお花入れの儀とあわただしく移行していきます。
 故人やご喪家の方々への哀悼の辞を表する間がなく、お別れの儀をしていても、何か忘れ物をしたような錯覚を覚え、少々慌てました。
 思いがけないところで弔電の役目を見つけ、弔電のよさも少し見直しました。

ご葬儀の良し悪しは時間の使い方で決まる・・・。

 前日の通夜に押し寄せた予想外の会葬者数である程度は覚悟していたとは言え、葬儀・告別式が始まる前からすでに式場控室は芋を洗うような活況を呈していました。
 家族葬のつもりがケータイを通じて友人知人に伝わってしまい、10倍もの会葬者が詰め掛けています。
 定刻どおり始まったご葬儀は一般会葬者のご焼香に入るととたんに列はゆっくり進み、時間はどんどん押してきます。
 ベテラン担当者は顔色ひとつ変えず、状況を読みながらも出席者に気付かれることなくスタッフに次々と指示を与え、同時進行できることを進行させてその手際のよさには感心しきりでした。
 ご会葬いただいたお1人お一人が最後のお花を手向け、なんと定刻5分前に出棺と相成りました。
 
 最近ちょっとした時間のトラブルがあり、この時の光景が思い出されます。
 トラブルは担当スタッフが出棺の時間を気にして移動をあせったようで、早く車に乗るようにせかされ、喪主の方はそのために斎場でお帰りになる方々へご挨拶も満足にできなかったとのことでした。
 確かに出棺時のあわただしさは立会いで伺ってもよく目につく光景です。
 しかし、先を急ぐがあまり、斎場に残ったスタッフとの連携がうまくいかず、返礼品の手渡し漏れが出たとなればたとえお1人でも由々しき問題です。
 時間の使い方ひとつでご葬儀の良し悪しが判断されてしまいます。
 ご指摘いただいたことで、大切なことを気付かされました。

「おもてなしは母の遺言ですから・・・」お言葉に甘えていただきます。

 「日本航空の赤字と再建が話題になっている昨今、機内食が以前に比べ質、量ともガックリ落ちてしまったが、食事をケチったら台無しだ」という投書が東京新聞に掲載されていました。
 食することにおいてはご葬儀とて例外ではありません。
 いえ、ご葬儀のお料理ほど後々までご親戚の話題にされるものも珍しいのでは・・・。
 時としてアンケートに「大変気配りがきいた立派なご葬儀でしたが、出てきたお料理が今一つの感がありました」と遠慮ぎみに書かれた文面を読むと思わずご親戚の方々の反応は大丈夫でしたかと聞き返したくなります。
 
 ご葬儀のお料理に関しては皆様、特に女性の関心の深さがうかがえます。
 喪主の方からは「とてもおいしかったです。お通夜の時はその場で食べられませんでしたので、持ち帰りでいただきましたが、煮物など本当においしくて疲れが癒されました。」との報告を受けています。
 精神的にも肉体的にも疲れ果てている時に出会ったお料理で気持が癒され、立派に喪主を務める勇気が湧いて来たとのことです。
 また、もてなす側として「料理に関しても丁度よい分量でよかったです。葬儀社の方の判断で寿司等の追加をお願いした時、大きな桶ではなく、3人前の桶にしていただいたため、食べ散らかしが少なくすみました」との報告もありました。
 また、自分は食にこだわらないという男性の喪主の方からは後日出席された会葬者に当日のお料理について尋ね聞き、内容が良かったとの回答にホッとしましたとの報告をいただきました。
 
 時には通夜のお清めに故人の好きでなかったビールの銘柄が出され不満でしたが、精進落としには別な銘柄に換えていただき満足していますとの方、さほど期待していませんでしたが、お寿司が美味しくて大満足でしたとの方。

 お清めの席のお料理は大皿に盛られた寿司、オードブル、煮物、てんぷら等を中心に、一方の精進落としは会席弁当といったところが一般的ですが、通夜・告別式共精進料理のみで、または京都出身なので湯葉の料理を中心にしたものをというように、それぞれに趣向をこらしたものを注文される方もいらっしゃいます。
 中には精進落としはぜひ生前故人の行きつけの料理屋さんでとの方も。

 一方、受けてたつ葬儀社の担当者の中には関東一円の料理屋さんを数十軒も試して、やっと満足いただける料理屋さんに出会って何処にも負けませんというつわものも出てきています。
 ある喪主の方もおっしゃっています「おもてなしは母の遺言ですから」と。
 故人のためにも大いに飲んで、食べてあげてください。

葬儀の良し悪しは気配りで決まる・・・?

 ご葬儀は日頃ご無沙汰している方々を故人が引き合わせてくれる場でもあります。
 何十年ぶりかでお会いされた方々が積もる話に花が咲き、通夜の儀式が終った後も柩を囲みいつまでも話し込んでいる光景をよく目にします。
 これがご自宅でしたら何の障害もありませんが、斎場ですと話は少し面倒になってきます。
 ことこれが公営斎場ではなお更です。
 先日1年ぶりに頂いたアンケートには葬儀担当者が良心的に利用者の立場で相談に乗っていただけたことへの感謝のお気持ちと同時に、通夜のお清め処ではお父様の友人達が夢中になって話込んでいる間にもお料理が片付けられ皿をまとめられ、来ていただいた方に気を遣わせてしまい、あまり居心地が良いものではなかったことが綴られていました。
 お話ごもっともで、良く出会う風景です。

 公営斎場を例に取ると、業者の方は夜9時までに門をでないと閉門されてしまうところが多く、最後は時間との勝負になってしまうようです。
 逆算した時間帯には終らせ、その前には片付け時間も必要です。勢い8時過ぎをメドに前記のような光景が見られるようです。
 勿論ご喪家側には知らせてありますが、言い出しにくいものです。
 一般会葬者はご焼香が終ればお清め処に誘導され早めにお清めされるので、そんなに問題はありませんが、ご親族、古くからの友人は通夜開始から終了までお付き合いした後になりますので、時間が限られてきます。

 このことをあるベテランの担当者に伺うと、まず式場で思い出話に浸っている方をお見かけしたら「そんなところに立っていないで、どうぞお料理の方に行ってお話しされたらどうですか」とこまめに誘導するとのことです。
 前の方が食べ散らかして空席ができているところは片付けながら残った料理を綺麗に盛り直す。
 お話に夢中の方にはお声を掛けて召し上がっていただくサインを出す。
 通夜のお泊りの方用に料理屋さんには残りの料理を親族控室に運んでもらい、こちらでお話されながら召し上がっていただくようにするとのことです。

 こまめにさりげなくタイミングよく気配りすることが大切なようです。
 美味しかったお料理は故人の思い出と共にいつまでも語り継がれていきますので。

その人らしさを演出する花祭壇とは・・・。

 ヒマラヤで撮影中、雪崩に巻き込まれた山岳テレビカメラマン・中村進さんのご葬儀の記事に荼毘に付されたチベット・ラサの青い空と白い雲をイメージした花が飾られたと記されていました。
 
 最近のご葬儀では都会を中心に、男女を問わず祭壇と言えばお花が主流を占めてしまった感があります。
 少し前までは花祭壇は白木祭壇に比べ割高でしたが、お花の方が量の多少でお値段的にも融通が利き、ご要望にもそいやすく、また、ご喪家側も最後柩に納めることができ、飾ったお花は使い切ることができる安心感も手伝い、いつの間にか逆転されてしまったようです。
 お花が少数の頃はただ華やかさだけに目を奪われていましたが、最近はその方らしさが出た花祭壇が演出されてきています。
 
 スキーが趣味の方には雪山をイメージした祭壇で奥様から感謝され、長年シップドクターを勤めた方には船をイメージした祭壇で、集まった同僚の方々も大いに感激されたとの報告を受けています。
 ご葬儀が母の日と重なり、遺影の周りを急遽沢山の赤いカーネーションで囲んだり、赤が好きだとだけ伺い創った祭壇を一目見た奥様が結婚式の時のブーケと同じ花とびっくりされたりとバラエティーに富んだ祭壇が目につくようになってきました。
 
 お花に託された最後のメッセージを皆様に受け取っていただき、そのお気持ちをお別れ花として柩に入れていただく。
 形式だけではない、それぞれ個性あふれるもの、こだわりのものに変わっていく気配が感じられます。

霊柩車の中で我が家をみつめる心中はいかばかりか

「斎場から火葬場までの中間近くですから運転手さんにお願いしてご自宅前を回って行ってもらいましょう」
 霊柩車は柩を乗せ、住み慣れた町を曲がり、ご自宅前をゆっくり通り過ぎていきます。
 
 いつかきっと自宅に帰ることを夢み、病魔と戦ってきたが、ついに力尽きてしまった。家人はなんとかして、ご自宅に連れて帰りたい。
 しかし、ご葬儀はご家族・ご親族のみで執り行うようにとのご当人様からの申し伝えがあり、変更するわけにいかない。
 ご自宅に搬送すれば、ご近所に知れ渡り、報告しなければいけない。
 都会を中心に最近ではすでに一般化されている家族葬の場合は問題が生じやすい。
 まずはご近所の目が。そっとお戻りになられても気配で分ってしまいます。
 泣く泣く病院からご自宅以外の安置所に直行せざるをえない。せめて少し大回りをしながらでも、ご自宅付近に立ち寄ってから安置所に行ってもらうようにと、お願いする方もふえています。
 さらに、斎場がご自宅近く、もしくはご自宅が火葬場に行く途中にあるという好条件の場合は、冒頭のようなシーンも見受けられます。
 但し、霊柩車の種類によってはかえってご近所の注目を集めてしまうことにもなりかねませんので、注意を払う必要ありです。 
 

お別れするだけで何もしない1時間は貴重なひとときです

 無宗教葬は時間が余ってしまうとか、手持ち無沙汰になってしまうことが多いとよくいわれますが、本当にそうでしょうか。
 少なくとも最後のお別れです。なによりも気持ちが大切です。義理で参列したり、直接の接点もない方の葬儀に伺ったりしなければ、故人との思い出に浸る時間も必要です。
 
 先日伺った無宗教葬では、会葬者が自由に時間を過ごしながらも、めいめいが故人ときっちり向かい合ってお別れしているような空気が強く感じられました。
 葬儀社の担当者が喪主と打ち合わせに入るとまず第1に言われたことは「何もしないでほしい。」とのことでした。
 無宗教ですから、献花する時間だけとってもらえればそれだけでよいと。
 
 オペラのアリアが流れる中、お集まりいただいた方は三々五々おしゃべりに興じているようにも感じられました。喪主が時々話の輪に入ってリラックスした雰囲気のままに30分が経過しました。30分後、お1人ずつの献花が終わり、最後のお別れの儀ではゆっくりと故人に話しかけながらのご対面となりました。
 なにもしないでひたすら故人との対話の時間を作ってあげるだけ。こんなひとときがあってもよいのではと思わされました。
 
 葬儀といえば1時間の中身の殆どを儀式で占められ、出席された方もひたすらそれに従っているように見受けられるのに慣れてしまった目には新鮮です。
 大好きな胡蝶蘭に囲まれた写真の主は1時間皆さんとのおしゃべりを堪能され、満足そうな表情で出棺されました。 

ご葬儀でも音楽が思いがけない力を発揮することがあります。

 映画「おくりびと」では主人公がチェロ奏者だったという想定のもと、チェロの音色が観客の心に染み渡ってくるように随所に使われ、映画全編をささえているようでした。
 チェロの音だけで生死の感情をこんなにもストレートに出せるのかとびっくりしましたが、楽器の中で人間の音域に一番近いと聞き、大いに納得させられました。
 
 ご葬儀に立ち会っていますと時として流れている音楽が思わぬ効果を発揮することがあります。
 以前、60代の女性の方のご葬儀に伺った時も、音楽を聴いて万感胸にせまるものがありました。
 無宗教葬のご葬儀は故人の大好きだった音楽をとのご要望で、式の始まる前からずっとジャズが流れ、穏やかな雰囲気の中で式は進行していきました。
 やがて、会葬者お一人お1人の献花が始まると、一気に音楽は越路吹雪のライブ盤に代わり、臨場感溢れる華やかな音楽と沈黙の献花が鮮やかなコントラストを創り、それはまるで若くしてお亡くなりになった無念さを訴えているようでした。
 歌が盛り上がればなおさら悲しみが倍加されるようにも感じられました。
 最後はさとうきび畑の歌でご出棺になりました。
 突き抜けるような青空の下、お見送りした後も、さとうきび畑のざわめきだけがいつまでもリフレインして耳に残り、しばらく立ち尽くしていたほどでした。
 

これからの葬儀のキーワードは「おいしいお料理でおもてなし

 ご葬儀の後、落ち着いてくると以外にも話題の中心は通夜のお清めや精進落しに出されたお料理の良し悪しに移ってくることが多いようです。
 食べ物の恨みは恐ろしく、少し前までは、お葬式の料理に美味いもの無しなどと半ば公然とおっしゃる方もいらっしゃるくらいでしたが、最近は祭壇以上にお料理に気を使うご喪家も増えてきています。
 これは葬儀の形態がご家族ご親族を中心にした家族葬が増えてきたことと連動しているようにも思われます。
 「お忙しい中を遠路来て頂いた方には、おいしく召し上がって頂きたい」「おもてなしは母の遺言ですので」と積極的にお仕着せではないプランを話される方もいらっしゃいます。
 先日は通夜、告別式共精進料理のみでお願いしますとおっしゃる方や、京都出身なので湯葉を中心にした料理を注文された方、精進落しは故人の行きつけの料理屋さんでとおっしゃる方等、それぞれのご喪家に見合ったおもてなしに気を配っていらっしゃるのが目に付きます。
 また、当センターのご利用者アンケートでもお料理への注文やお褒めの言葉がよく目に留まります。
 一方の葬儀社の担当者も関心が高まり、関東一円数十社もの料理を試し、やっとどなたにも満足頂ける店に出会ったというつわものもでてきています。
 お気持ちのこもった見送り方は各人各様ですが、「おもてなしの心」もキーワードのひとつになるでしょう。
 
  
 

花の命は短くて・・・、ご葬儀とお花の関係は如何に・・・。

 最近のご葬儀はお花を抜きに成り立たないのではと言っても過言ではないほど花に囲まれています。
 その顕著な例として、今や祭壇と言えば花祭壇が従来の白木祭壇に取って代わり主流になりつつあります。
 特に価格を抑えた家族葬用の花祭壇が目に付くようになり、それで一気に拍車が掛かった感があります。
 また、花祭壇ですと頂いた供花をアレンジして祭壇に組み込み、より豪華に見せることもでき、葬儀社によっては逆に組み込むことで祭壇費用を抑える工夫を提案するところもでて来るなど色々と応用が利くのも一因があるようです。
 
 供物としてのお花は供花として祭壇両脇に、喪主を筆頭に子供一同、孫一同と並びます。供花はあくまでお気持ちですので強制ではありません。しかし、ご家族のお花はいつの間にか1対ずつが定着してしまったようです。
 なぜ1対ずつなのか理由は定かではないようで、この道何十年のベテラン担当者に聞いても1対でなければという確証は得られませんでした。
 確かに1対ずつの座りはよく、絶妙に祭壇を引き立てています。
 葬儀社で一括できる供花は祭壇とのバランスで花の種類や色合いを決め、祭壇との一体感を匂わせることができます。
  
 その満開に咲き誇った色とりどりのお花も告別式が終るや、後飾りと菩提寺用のお花を残して一気にむしり取られ、柩に手向けられます。
 巷のうわさではよく供花のお花だけを使用して、祭壇のお花は他のご葬儀に使いまわししているようなことを耳にしますが、立会いで見た限り、今まで1件も見当たりませんでした。
 お花が摘み取られた祭壇は見事に葉っぱのみの無残な姿だけが残っています。
 代わりに柩の中は溢れんばかりのお花畑です。
 
 柩の中のお花は何を表すのだろうか。
「あちらの世に行って花園に包まれた生活を送って欲しいという願いを込め、幻想を描いて柩いっぱいにお花を手向けるのでは」
ベテラン担当者の声を聞き、思わず手を合わせていました。