「朝取りの石楠花(シャクナゲ)を柩に入れてやります」高蔵院のご住職の言葉です。
春から初夏にかけて白、ピンク、真紅と色鮮やかに境内で咲き誇っている石楠花がお別れ花と一緒に収められます。
一名、仏の花とも言われ、チベットのブータンからやって来て株分けされた花は、新たな役割を果たしているようです。
それは柩の故人を見守ってくれているようにも、また朝露を含んだ取れたての花の生が現実の死を際立たせて、より一層死を深く見つめさせているようにも思われます。
花は時として、人の心の中まで入り込み揺さぶる力をも持っているようです。
最近、都会を中心に花祭壇の需要が圧倒的に増えてきています。花祭壇は同じ色、同じ形の花が使われても出来上がってくるものは異なります。似た感じのものがあるだけで、花の持つ力や訴えてくるものは一つひとつ違います。
花祭壇というと花の美しさや色鮮やかさに目が行き、豪華さを競いがちですが、故人の好みや気持ちを汲み、故人らしさを土台にできるか否かで作品の出来具合も違ってくるように思われます。
祭壇のイメージと故人の思いがより一体となるほど、悲しみの中にも落ち着いた心安らかなお見送りができ、お集りの方々にご満足頂けるようです。
シンプルだけれども華やかなイメージを持つもの、シンプルだけれども力強さが感じられるもの、やさしさが強調されたもの、それぞれのイメージから、在りし日の故人を偲ぶことができます。
カテゴリー: 葬儀の現場
ご相談者の状況に応じた葬儀の現場の模様が描かれています。
ご葬儀も高齢化対策が必須
葬儀・告別式の立会いに伺った日、横殴りの雨の中どうにか会場にたどり着いたのは開式20分前でした。
「まずは依頼者にご挨拶を」と式場に足を踏み入れると、すでに司会者の方が当日の進行予定をご家族ご親族の皆様に説明している最中でした。
担当者の「10分繰り上げの開式となりましたので」の言葉に火葬場に行く道路の混雑対策のためかと勝手に解釈していました。
やがて菩提寺のご住職による葬儀・告別式の読経が終わり、一旦ご住職が退席され、暫くのお時間の後、再びお出ましになり、初七日の法要となりました。実はご住職は退席された後、お着替えをなさり初七日のお勤めをされたのです。これはご住職のたってのご希望でした。ご高齢であり、お着替えの時間を考慮しての10分間だったのです。
開式まもなく中高年のご近所の方々が続々とお見えになり、瞬く間に式場の席はいっぱいになってしまい、後から来た方は隣の和室の控室に案内されていました。
ところが皆さん和室が苦手らしく入口で躊躇され、結局ロビーにずっとお立ち頂く羽目になってしまいました。
近年、ご葬儀を出す方もお見えになる方もご高齢者が増え、依頼者から車椅子の有無を始めとする斎場のバリアフリー対策の問い合わせが目に付くようになりました。
都会での斎場は特に最寄駅から近く、交通の便が良いところが必須条件になってきています。
斎場側もお年寄りや足の不自由な方々からの要求のためと称して、和室控室を洋室にリニューアルしているところが目だって増えてきているようです。
家族葬は自宅以外に搬送し、地元から少し離れたところで執り行うのが一番です。
ここ1~2年、「家族葬」という言葉が都会のご葬儀のキーワードのように使われ、当相談センターへのご要望にもよく見受けられます。
都会生活でのご近所との付き合いも希薄になり、最後は儀礼的でなく本当に親しい身内だけで見送って欲しいと潜在的に思っていらっしゃったのが、最近の社会情勢からマスコミ報道やインターネットでの情報を通じてより確信し、身近に感じるようになったからでしょうか。
ところが都会でも、まだまだ往々にして個人の思いより義理が先行している場合が多いようです。
例えば、故人の遺志により、ご家族、ご親族のみで見送りたいとお断りしてもお見えになる方はいらっしゃいます。お1人いらっしゃれば、人の輪は見る見る膨らんでしまいます。
対策として、ご近所や仕事関係に知られないようにするのが第1です。そのためにはご遺体は病院からご自宅以外に搬送され、斎場も少し地元から離れた場所にあることが望ましく、幸いにして都会の場合交通網が発達しているので斎場選びに関しては最寄駅近くであれば会葬者にとっての不自由はありません。最近はそんな条件を満たした家族葬専用の斎場も目に留まります。
ご葬儀に立会いで伺うと家族葬ならではの光景に出くわします。
ある依頼者の方は、家族葬を希望されたために他のご兄弟とも会社関係には一切知らせず、事後報告の形をとりましたが、そのかわり岩手の田舎からのご親族合わせて19名全員で通夜のお泊りをされたそうです(斎場は宿泊者数制限がありませんでした)。
ご高齢のお父様を家族のみで温かく見送りたいので、できるだけ手作りの感じを出したいとおっしゃった依頼者は、お父様の好きな映画音楽を編集して会場に流し、読経の間に、ご兄弟の送る言葉を挟み、お孫さんは大好きなおじい様へとビオラの演奏をされました。
ご家族5名だけの通夜の場合は喪主が会社経営者なのでそのままやれば500名以上になる可能性が強く、一切断固としてお断りされたそうです。経営者で会社を休むため周りに知らせたが、万が一お見えになっても隣の部屋に案内し、読経が終わり、ご家族が退席してから式場に入っていただくように担当者に申し伝えたと伺っています。
60代のお母様を亡くされた2人のご兄弟は親族のみで執り行いたい、その代わり香典は頂かずに葬儀費用を2人で出し合い、最後の親孝行をしたいとのことでした。ピンクと白の華やかな花祭壇はいただいた供花と一緒に組み込み式に、火葬は特別室、骨壷は大理石のものにしました。
東京・世田谷の自宅で亡くなられた方は元々横浜出身で菩提寺も横浜にあるのでご本人のご希望通り横浜でのご葬儀になりました。この時は市外扱いの火葬場の予約を取るのが大変でした。
親族10名ほどの形式ばらないアットホームな家族葬をご希望された方の場合は故人がマスコミ、インターネット関連の自由業の方でしたので通夜当日に知れ渡り、200名近くの会葬者になってしまいました。この時もベテラン担当者の采配で無事難局を乗り切ることができました。
家族単位のご葬儀は益々増えていくでしょう。
葬儀の良し悪しは担当者の力量が試される、残り20分が勝負
葬儀・告別式の時間は特別大規模なご葬儀以外1時間というのが大半です。その中でも仏式が大多数を占め、式の順番もほぼ同じ内容になります。では皆同じかといえば、これが見事に違うのです。
葬儀社の担当者は1時間のタイムスケジュールを考え、じっと進行を見守っています。それぞれのご喪家の特徴を打ち合わせの段階で掴み、どこでどのような形でお見せできるか、それは舞台監督のようでもあり、また時には演出家のようでもあります。
決められた1時間の内、ほぼ40分間は読経になります。残り20分でどのような見送り方ができるか担当者の腕の見せどころになります。
生本番として時に予想しづらいことに出くわすこともあるようですが、方向性さえしっかり掴んでいればマイナスもプラスに変えることができ、それが担当者の力量となって現れてくるようです。
あるご葬儀では定刻5分前に故人がバイオリンを習っていた先生から、いきなり式の中で演奏をしたい旨連絡がありました。急なことゆえ、ご住職に読経時間の短縮をお願いしてみたが、お経の流れがあるので途中けずるのはできないとのこと。
3分以内と条件をつけての演奏でしたが、実際に始まると時間を忘れての演奏ぶりに内心やきもきさせられたようでしたが、出棺の際の演奏と相まって舞台効果は上々でした。火葬場までの距離がありましたが、心配した開かずの踏み切りもスムースに行き、なんとか時間内に滑り込むことができたようです。
時間の流れを掴んでいる担当者の采配振りを見ていると、どこをどうやれば時間を短縮できるか心得ていて、決してどこかを省いているようには見せない。むしろじっくり最後のお別れをされて、ご喪家側も満足の様子です。
その時も出棺時間は迫っていましたが、担当者は「ゆっくりどうぞ」と喪主の奥様にご挨拶を促していました。意を決した奥様は亡くなったご主人の病状報告を詳しく話されました。出席された友人の方々は皆、肩の荷が下りたようにほっとされ、大きくうなずいていらっしゃったのが印象的でした。
ご葬儀をドタキャンしてしまった菩提寺住職。
以前、働き盛りのお父様が急死され、慌てたご子息の喪主の方が菩提寺にFAXで連絡したため、ご住職の逆鱗に触れたことを葬儀社の担当者から聞いたことがありました。昔から2人の使者が菩提寺に出向き報告をするのがならわしで常識だと息巻いていらっしゃったようです。
菩提寺をたてて、何事もまずは菩提寺に報告をして、指示をを仰ぐ。
遠方の菩提寺の場合でも同じです。
遠方からでも駆けつけるご住職もいらっしゃいます。来られない時は、同じ宗派の地元のお寺を紹介されたり、同じ宗派のセンターを通じて紹介される等の場合がありますので勝手にご喪家側で処理しないように。
このように菩提寺に気を使ってもハプニングはあります。
実は通夜にはお見えになって読経されていらした菩提寺のご住職が、葬儀にお見えにならず、ドタキャンされてしまったという前代未聞の出来事がありました。
時として開始時間に遅れるご住職もいらっしゃるのでスタッフ一同やきもきしながら待っていましたが、一向にいらっしゃる様子がなく、連絡しても通じない状態です。
ついに火葬時間が迫っているので、会葬者の皆様にはご焼香をお願いし、読経なしの
葬儀・告別式になってしまいました。
前日の通夜の読経は済んでいますが仏様は成仏出来ず、中途半端な状態でお別れのご焼香になってしまい、仏式とも無宗教葬ともつかないご葬儀に会葬者も戸惑いを隠せなかったようです。
ようやく連絡が入ったのは火葬が済み、再び斎場に戻ってきた時でした。
言い訳に終始され、のらりくらりとされ追求しても「申し訳ない。お布施は要りません」の一点張り。
「お布施の問題ではない」と葬儀を終えた翌日、喪主は葬儀社の担当者に同行願って、菩提寺に向かったのは言うまでもありません。
今回の場合は昔からの菩提寺ではなく、1年ほど前にお墓を買い新たに檀家信徒になったばかりで、ご住職との付き合いもほとんどなかったようです。
これからはお墓を買って檀家信徒になるときにはご住職の人柄チェックもお忘れなく。
家族葬こそ気配りが必要です
都会を中心に家族だけ又は家族と親しい親族・友人のみでお見送りするケースが増えてきました。とはいってもご喪家の趣旨がなかなか素直に伝わらず、当日になって予定の何倍もの会葬者で式場がごった返す場面にたびたび出くわすことがありました。
そんな中で最近出会った印象的な二組の家族葬をご紹介します。
特別なことをするわけではありませんが、心に残る気配りの行き届いた采配ぶりからベテランの担当者の心意気が伝わってくるようでした。
二組とも祭壇前での記念撮影から始まりました。開式前の緊張がほぐれ、気持ちが素直に故人と向かいあえる雰囲気が出来るようです。
1組目の家族葬に伺った時、担当者からご家族と親しいご親戚だけなのでゆっくりやりますと言われました。永年連れ添ったお母様の悲しみが強く、かなりお疲れの様子なので、葬儀・告別式共お母様のペースに合わせて進行しますとのこと。
式よりも最後のお別れの方に重点が置かれ、お花入れの後しばらくお父様との無言の対話の時間があってから、お母様は担当者が用意した車椅子に乗って火葬場に向かわれました。
炉前の告別ホールではお1人ずつご焼香されましたがお母様はなかなかその場を離れることが出来ませんでした。周りの若い方々もゆっくり見守り、全てお母様中心にことを運びました。
2組目の家族葬は故人の希望でした。
故人は女性で会社を経営されていらっしゃったので普通にご葬儀をやるとかなりの会葬者数になってしまいます。ご遺族もお母様の意思を尊重しあえてご家族ご親族のみとなりました。通夜に会社関係の方が3名ほど「集まった香典」を持っていらっしゃいましたが、通夜の開式前にお帰りになられたとのこと。
担当者は開式前にこれから始まる葬儀告別式を分かりやすく説明します。
「火葬場から混んでいる旨無線で連絡が入るので時間のずれがありますが、逆にお別れがゆっくりできるとお考えいただければ」と具体的に示しながら、読経の順序も手短に分かりやすく説明され、出席者一同大いに納得された様子でした。
最後のお別れの儀では「お別れは何度でもしてください。言葉をかけてあげてください」の声に励まされたように皆さん思い思いに声を掛け合っていました。大好きだったかすみそうの花束で埋まった上から趣味のお稽古でお召しになったお着物がそっとかけられました。
大好きなお酒が飲めなかったお父さんへ末期のお酒をどうぞ・・・
病院で厳禁される代表格である酒は長患いの方にとっての希望の星でもあります。皆さん、再び飲める日を夢見ながら病魔と闘い続けていらっしゃいます。
先日、立会いでお伺いした方もお酒が何よりお好きな方でした。
不幸にして闘い敗れたお父さんに最後のお酒を心ゆくまで飲ませてあげたいとご家族ご親族の手で、末期のお水の代わりにお酒を口に含ませてあげました。
下町の職人さんのご一家は絆が固く、特に故人に対して尊敬の念が強い昔ながらのご家庭でした。
「ご家族ご親族のみの葬儀を希望されていましたので出来るだけお別れの時間をゆっくりしてさしあげることを念頭に置きました」と葬儀社の担当者は語っていました。
病院からご自宅に戻られたご遺体は安置された後、納棺での旅支度を1時間半くらい掛けてゆっくりと行いました。
旅支度に先駆けてまずはお孫さんを中心に20数名の出席者がめいめい故人に話しかけながら大好きだったお酒を口元に含ませました。
亡くなられてご葬儀までの3日間はご親戚の方も次々にいらっしゃってゆっくりお別れする大切な時間だったようです。
同じ頃、40代という若さでお亡くなりになった方は突然倒れられてから、ずっと飲まず食わずの状態のままでした。
最後のお別れの儀ではお花を棺に入れる前にグラスに注いだお酒を家族ご親族50名ほどの皆様めいめいにより、お顔の周りや胸元に盛大に注ぎ、ご冥福をお祈りしました。
天国の皆さん、最後のお酒はどんなお味でしたか?・・・
社葬は最も個性がきわだつ葬儀です。
皆さんは社葬のお手伝いをしたことがありますか。
開式1時間以上前斎場に集合し、社員としてこれから始まる社運を賭けた儀式に緊張の面持ちで臨んだことと思います。
不慣れな上に会社主体の組織的な儀式となれば表面的で無個性さが目立つように思われがちですが、傍から見ていると意外に個性的な面が浮き彫りになり故人の人となりがでるように思われます。
というのも永年経営にタッチされたり、ご自身で創業されたりとその社を牽引されてきた方々ですので、会社の空気が故人とイコールになっている場合が多く、強い個性は組織をも包み込んでしまわれているようです。
先日立会いましたお別れ会は豪放磊落でならした弁護士さんでした。
ご葬儀は思い出コーナーやお食事、返礼品の類は一切ありませんでしたが、多くの先輩後輩に慕われた故人の想いが集まった参列者に十分伝わった式になったように思われました。
シンプルであるゆえに最後のお別れに集まった方々と故人との繋がりがすっきりと浮き出たご葬儀になったようです。
護国寺で行われましたお別れ会の場合は故人の墨絵、油絵、写真等の作品がロビーいっぱいに飾られている中、社員一同一丸となってきびきびと動いている様は傍から見ていてもよく分かりました。
創業者が亡くなられ、長男への引継ぎ最中で当日は大切なお披露目の日でもあるわけです。関連会社にあいさつ回りの間をぬって行われた葬儀社との打ち合わせの中にもこれからの新体制の会社をいかにアピールすることができるか気にかかっていらっしゃるご様子。先代社長に成り代わって100名の社員が総出で新社長をバックアップしながら、団結力の強さを見せた葬儀になりました。
社葬とは威厳をもって静々と進行するものだと言われるが、故人の個性が際立つ葬儀
でもある。
学友の弔辞からお孫さんの手紙まで肉声は強力な演出です
斎場での葬儀・告別式は通常1時間を予定している場合が殆どです。
この1時間の中に繰り上げ初七日法要、柩にお花を手向けるお別れの儀まで含めると時間一杯になってしまいますが、時には開式を5分早めて生前故人と交わりの深かった方々に弔辞を述べて頂くことがあります。お孫さんの手紙の朗読だったりもします。
そのわずかな時間が会葬者にとって不慣れな読経をじっと聞いている緊張感のなかで唯一ほっとする場面でもあります。
同時に故人を会葬者全員で偲ぶという一体感が生まれ、式場全体の空気も前後では変わってくるように思われます。
社葬の弔辞のようなどちらかといえば公的なものであっても、内輪の式でのほのぼのとしたお孫さんのお話からでも故人の人となりが垣間見られ、会葬者各人の想いと重なって密度の濃いお見送りになるようです。
以前事情があり、故人のご実家からは妹さん一人がお見えになったご葬儀の終盤「突然ですが別れの手紙を書いてきたので読ませていただいてよろしいですか」と遠慮がちに立ち上がりお話になりました。
「あんちゃんらしく生きた人生でしたね。父も母も早く亡くなったのであんちゃんにぶらさがってました。いつも心の支えはあんちゃんでした。二人の娘も私があんちゃんと言っているので伯父さんではなくあんちゃんでした。やっと実家の重圧から解き放されましたね。実家のお墓は弟が守っていきます。あんちゃんは幸せ者でした。安らかに眠ってください。義姉さん、有難うございました」
最後のお花入れの儀では出席者一同泣き笑いながら和やかな出棺となりました。
葬儀の良し悪しは葬儀社の担当者の気配りが左右する
以前、葬儀社訪問をしていた時、担当者から印象的な話を伺ったことがありました。
国鉄に永年勤務されていた方のご葬儀の時、音響設備のある斎場でしたのでD51の音を最後「ご出棺です。ポー」と流した途端、会場中に号泣が響き渡ったとのことでした。
また、船のドクターを永年おやりになっていた方の場合は船をイメージした花祭壇を創りました。二人の思い出の写真を飾るのは生々過ぎてとおっしゃる奥様のご要望にベテラン担当者は船の写真を預かり、花屋さんに相談されたようです。通夜当日お集まり頂いた嘗ての船の仲間はあっと驚いて、大感激されたそうです。
私が伺ったご葬儀では故人の女学校時代からの友人が多数参列されていました。
喪主のご主人はご挨拶で「60年の長きを仲良くしていただき有難うございました」としめくくられました。
告別式が終り、これから最後のお別れの儀が始まります。
中央に出した柩の斜め前にはテーブルが置かれ、ブルーのテーブルクロスの上には微笑んでいる赤い服の奥様の遺影が飾られていました。
小さなお花に囲まれた遺影は、正に皆さんをお迎えしているように並べられています。
通常荷物の置き場となっているテーブルもちょとした心遣いで会葬者の心を掴んでしまう小道具になりました。
葬儀社の担当者の気配り具合がこれからの葬儀にはより一層欠かせない大切な要素になるようです。