休日のお出かけ

 久しぶりに、明治神宮へ行ってきました。
 ここ数年は1年に5〜6回行っていたのですが、もう10月も終わりだというのに、今年はまだ2回目敷地内に足を踏み入れたとたんに変わる、なんともいえない清清しい空気は病みつきになります。
 久しぶりに気持ちのいい空気をたっぷりいただいてきました。
 ちょうど七五三の時期と重なり、きれいな着物を着たかわいい子供さんをよく見かけました。
 歩きにくい砂利道を、なれない草履で一生懸命、チョコチョコ歩いている姿はなんともいえないくらい可愛かったです それと、必ずと言っていいほど遭遇する結婚式。 白無垢に包まれたお嫁さんはとてもきれいです。 お幸せに.

 そして、今回は久しぶりに清正井にも行ってきました。少し前はテレビで放送された影響か、整理券を配っていたくらい混雑していたのですが、最近は少し落ち着いたのでしょうか。お昼頃に行ったのですが、すんなり中に入ることができました。
 天気も良く、お散歩をするのには最適な気候。 娘と二人で、周りの木々の写真を撮りながらゆっくり歩き、久しぶりにとてもいい時間をすごしました。

その後は本殿で参拝をし、外に出てお買い物です。
土曜日だったので、竹下通りはものすごい数の人・人・人。それもまた、なんだか楽しいのですが夕方、竹下通りから駅を見ると、きれいな夕焼けの空が…。
とても疲れましたが、楽しい一日を過ごすことができました

高校の学園祭

 日差しが強く、少し暑いくらいだった今日、子供と一緒にとある高校の文化祭に行ってきました。
 学生たちが日ごろ頑張った成果の発表会。
 模擬店や、作品の展示、演劇部や軽音楽部のライブ、校庭では女子がダンスをやっていました。
 中でも私の目を引いたのが、コンピューターグラフィックの授業で作った作品が展示されていた教室。  イラストレーターやフォトショップを使って作ったデザイン名刺やポスターなどが沢山展示されていました。
 それぞれみんな個性的で、素敵な作品ばかり。
 すごいなぁと関心し、それと同時に自分の中に若干の危機感が。
 今や、高校の授業でグラフィック系のソフトを学習する時代なんですね。
 今までは一部の専門分野の人しかやらなかったようなことが、どんどん若年化し、一般に普及し、誰でもできるようになる。
 ますます「もう、新しいことについていけない」などと言っていられなくなってきたなと実感しました。 今日もらった若いパワーを活かさないともったいない!と実感した一日でした。

勉強

過ごしやすい季節になりました。
陽もどんどん短くなってきて、暗くなるのが早くなったなと実感します。
私は今、新しことに挑戦するために、勉強をはじめました。この歳で新しいことを学ぶというのは、こんなに大変なんだと実感しています。
過去に色々と経験してきたことだけでは全く足りない、むしろまっさらの状態からはじめなければ先に進まないような。
確かに「新しいこと」とは、そういうことなのですね。今まで怠けていた「脳」をフル回転させて頑張っています。私の「脳」も相当びっくりしていることでしょう。

最近では、自分の子供より勉強をしている気がします。

同年代の友人は口をそろえて「もう覚えようとする気力がない」とか、「せっかく覚えたかと思っても、スルッと抜ける」と言いますが、私もまったくそのとおり・・・
携帯電話やミュージックプレーヤー、テレビ、DVD…すごい勢いで新しくなっていきます。

うっかり「もうついていけない…」とあきらめるところでした。

でも、鍛えればなんとかなる! 最後まで頑張ろうと思います。

秋の夜長、とっても充実しそうです。

巾着田の漫珠沙華に会いに行こう・・・。

 大型の台風一家がようやく去ったと思ったら、早くも23日は彼岸の中日です。

 暑さ寒さも彼岸までのたとえ通り、一気に秋の気配が濃厚になってきました。

 今年も日高市の巾着田に群生する漫珠沙華をテレビや新聞報道でお目にかかれるのでしょうか。

 隠れファンとしては待ち遠しい季節です。
 あの毒々しいまでに真っ赤な色調は見る人の心を惑わし、どぎまぎさせるのに十分な迫力です。

 別名、彼岸花は死人花、幽霊花とまで言われ、表向きは恐ろしげで猥雑なイメージを持ちながら、どこか人を引き寄せる力があり、かつてのアンダーグラウンドの演劇や踊りの演目に度々登場していたことを思い出しました。

 いや、もっと昔、子供心にもあまりの鮮やかな花に見とれ、土手に咲いていた漫珠沙華を摘み取り、茎の皮をむいて首飾りを作り、意気揚々と持ち帰ってしかられた思い出もよみがえって来ました。

 十数年前、友人とこの漫珠沙華の群生を見に高麗駅まで足を伸ばしたのですが、どういうわけか巾着田にたどり着けず、駅前の居酒屋で残念会をしたこともありました。

 その友人の三回忌が近づいてきました。
 お彼岸には間に合わないが、三回忌までには漫珠沙華の写真が間に合うかもしれない。

 秋の一日、巾着田の漫珠沙華に会いに行ってこよう。

老人について考える

 日中は相変わらずの照り返しが続いていますが、早9月も中盤に差し掛かっています。

 9月15日と言えば『敬老の日』でしたが、いつの間にか敬老の日を記念する「老人の日」となり、肝心の「敬老の日」は第3月曜日とややこしく(?)なってしまいました。

 さらに15日からの1週間は老人週間とも名付けられているようです。
 東京都でもこの1週間は老人にとって様々な得点が与えられるようですが、中には浮かぬ顔をされている方もいらっしゃるのでは・・・。

 今年になって区役所から介護保険証が送られ、戸惑いが隠しきれない様子の友人もその1人になるはずでした。
 この一件は歳を忘れ仕事に、遊びにと没頭していた友人にとってショックは大きく、側から見ていても少々酷なように感じるほどでした。

 そんななか、一方で全国には100歳以上の高齢者が4万8千人近くもいらっしゃって、その内の87%以上が女性との報道には思わずうなずくことしきりでした。

 先日、友人はそのお1人でもある、御歳105歳のかつてお仕事仲間の誕生祝いに伺った折、「あなたを見ていると私の若い頃にそっくり、絶対長生きの相よ」と太鼓判を押されたとのこと。

 105歳の迫力にたじたじだったことをあんなに楽しそうに話す友人を見るのも久しぶりでした。

 やっと我に返ったと言う友人は、これからのことを前向きに捉えて行く一歩として、エンディングノートを求め、毎年書き改めていくと宣言していました。

中秋の名月にお願いすることは・・・。

  「昨晩の月は清々しいほどに美しく、月見団子を食べながらしばし見とれていました」と朝方、友人からメールが届きました。

  今年は6年ぶりに中秋の名月が満月になったとのこと。
  兎の餅つきを連想させるお月さんを無心にながめ、願いごとを姉妹で話していた子供の頃を久しぶりに思い出しました。

  いつの間にか都会生活では空をゆっくり眺める習慣も無くなりましたが、故郷では縁側にススキやお団子や小芋などをお供えした風習は続いているのでしょうか。
  野菜嫌いな私もお供えをした小芋だけは大好物だったことを思い出しました。

  今年は例年になく昔からの習わし一つひとつが気になります。

  一個人の問題ではなく、日本のあるべき姿をもう一度再確認したい気持の高まりが、全国あちこちから沸き起こって来ているように感じます。

  3・11の未曾有の大災害はある意味もう一度、じっくりと日本を見直し、残すべきものをしっかり残しておこうという機会を与えてくれました。

  その地に古くから伝わる行事を改めて見直したり、長老に我が家のしきたりを伺ったりと、伝統行事が全国各地で盛んに取り上げられたのも今年の夏の特徴のようでした。
 
  それは丁度、各人のアイデンティティーを確かめているようにも感じられました。

  今朝の新聞には陸前高田の松林で1本だけ残った松が、満月の明かりに照らされて、必死に生きようとガンバって立っている姿が載っていました。
  前途多難の松ですが、何とか持ちこたえられるように、お月様にお願いしておきましょう。

十五夜

つい昨日まで、天気が良くても風が涼しくて、もう秋だな・・と思った矢先、今日はジメジメ、また夏が戻ってきたようです。しかし、夜の空は秋の気配が。
 空気が澄んで、月がきれいに光っています。十五夜に向けて、月が少しずつ丸くなってきました。
 今年の十五夜は9月12日。この日は満月にあたりますが、十五夜の月が満月になるのは6年ぶりだとか・・
 私は今までずっと「十五夜=満月」と思い込んでいました。(旧暦の8月15日にあたる日(新暦で9月の中ごろ)は月の真ん中あたりで、満月に近い形になっているからですね)今年は月見団子を作ってお供えしてみようか…
お供えが終わったら「みたらしあん」をからめて「みたらし団子」にしていただこうと思います。雲に邪魔されず、きれいな満月が見れるといいですね。

 ちなみに来月は10月9日が十三夜にあたります。十三夜は成功や財運に恵まれるといわれているそうで…。この日もお団子をお供えして、しっかり拝んでみようと思います。

この夏、スイカを食べずに終わってしまいそうですが、先日、梨をいただきました。
とても甘くておいしかったです。

夏から秋へ…

 ここ数年、9月に入っても残暑がとても厳しく、9月はまだ「夏」なのか?と思わせるほどでしたが、ここ数日は朝・晩、日中でも日陰ではずいぶん涼しくなり、とても過ごしやすくくなってきました。

 この夏は海やプールにも行かず、かき氷やすいかも食べずに終わってしまいそう。「夏」らしいことを全くしなかったな…と少し後悔しています。

 9月に入ってすぐ、ちょっと遅い「夏休み」の予定なのですが、大型の台風が近づいているとか。今現在の情報では2日には関東に上陸の恐れもあるそうで…
 台風がそれてくれるのを期待して計画をそのままにするか、予定を少しずらすか迷っている最中です。  
 台風による被害も心配です。

 このまま「秋」に突入するのか、それとも、また「夏」に逆戻りするのか…
 とりあえず、明日あたり、急いで「すいか」を食べようかと思っています。

スタッフ紹介

(松) あさがおアドバイザー(葬儀相談員)・松山悦子
matsuyama.jpg センターが設立間もない頃より、葬儀相談員として参加しております。
人生の急を要する電話に、何とかしてあげなければと気持ちばかりが空回りした当初の応対から、最近は大分ゆとりが出て参りました。
 ご依頼者からの相談業務以外にも、各賛同社を回り葬儀に対する熱意の程を伺ったり、実際にその熱意がどの様に活かされているか、現場での担当者の施行に立ち会っております。
短期間にご喪家のご要望をキャッチし、いか程の信頼を得ているか、立会い現場で傍から拝見しているとよく分かります。一連の式の良し悪しも担当者の気配り、臨機応変の対応、仕事への取り組み方で大きく左右されます。
 お蔭様でご依頼者からは「色々相談に乗っていただき大変感謝し、葬儀社の仕事ぶりにも満足しています」などとお褒めの言葉をいただいております。緊張の中でホッと安心したような表情をお見せになると、こちらもつくづくご紹介して良かったと思います。
 時には、その場で「是非、ご寄付をしたいのですが」と申し出る方もいらっしゃいまして、思わず「後日センターの方へご連絡いただければ」と申し上げるハプニングもありました。
 それぞれの最期をどの様な形でお送りできるのか、どの様にしたら少しでもご遺族の方々のお力になれるかを、日々検討課題として取り組んでおります。ぜひ、ご相談下さい。

(本) あさがおアドバイザー(葬儀相談員)・松本明子
matsumoto.jpg いざ葬儀のことを考えなくてはならない状況になったとき、何をどう聞いたらいいのか、何をしたらいいのかがわからず、漠然と不安を抱えてしまう人は多いのではないでしょうか。
 人によって環境や考え方は様々で、抱える不安の内容もそれぞれ違いますが、少しでもその不安を取り除けることができればと考えています。
 大切な人を送らなければならない人と、故人様や残されたご遺族のために一生懸命になってくれる葬儀社さんとがよりよい形で繋がるようにサポートさせていただきます。

(道) あさがお葬儀社紹介センター代表者・有賀知道
aruga.jpg 「世間の相場はどれくらいなのでしょうか?」。冷静な状況にはない依頼者が、つい、葬儀社の担当者に聞いてしまいそうな質問です。葬儀業界のからくりを描いた『葬式の値段にはウラがある』(黒木昭雄著/草思社)の中に書いてありますが、これは依頼者がもっとも聞いてはいけない質問だと指摘しています。
 なぜなら、「私は何も知りません」と告白しているようなものだからです。これを聞いた、葬儀費用のつり上げようとする業者なら「葬儀代金に上限はない。すべて、業者と遺族の駆け引きできまる」と笑いが止まらなくなってしまうのです。
 われわれに対しては、質問のタブーは何もありません。「こんなこと聞いたら恥ずかしいかな?」「こんなこと聞いたら無知をさらけ出してしまう」「こんなこと聞いたら・・・」、何の心配もいりません。何でもお聞きください。

今年の送り火騒動を思うと・・・。

風にあおられ、急に勢いを増したり、消えそうになったりと、送り火のリレーはその都度大騒ぎでした。

 5年前の母の新盆では送り火を運ぶため、にわか徒競走が始まりました。
「しっかり持って頂戴」と送られる当の母に叱咤激励されながらも、2度3度と順番が回ってくるに従い、風向きを配慮する余裕も出て、門口までたどり着いた時は、息を弾ませながら一汗かく始末でした。 円陣を組んで送り火を囲み、残り火が消えるまで、炎を見つめ、語らい、そのゆったりとした時間の流れと、母との新たな連帯感ができたような安堵感は、今でも思い出の中にしっかり刻み込まれています。 そんな新盆への思いを持つ者にとって、今年の降って湧いたような送り火騒動には戸惑うばかりです。 津波でなぎ倒された陸前高田の松で作った薪に被災者がメッセージを書き、京都の大文字送り火で燃やす計画が二転三転し、挙げ句中止されてしまいました。 当の被災者は置いてきぼりにされ、周りが空騒ぎした挙げ句、風評まで撒き散らしかねない有様です。 静かな祈りを捧げている地元の被災された方々のお気持をもう1度各人考えてみようではありませんか。