人間「食べる」という生々しい行為と生と死という厳粛な現実は一見水と油のようですが、どこか表裏一体の感があるようです。
食べることは対象となるもの、それは動物であれ、植物であれ、全ての命を奪うことになります。
それが動物や魚であればよりリアルに表現されます。私達は今まで生きていたものが動かなくなることで死をはっきり認識し、それを口に入れ「尊い命をいただきます」ということになるのでしょうか。
映画「おくりびと」でも、「食べる」シーンが随所に出てきます。それも重要な箇所で。「食べる」という行いだけで観ている人に時間の経過やより深い意味合いを感じさせています。
いきなり飛び込みさせられた最初の仕事で、腐った肉体と対面させられへとへとになって帰ったその夜の食卓は、生きた鳥をひねりつぶした鳥なべで思わずもどしてしまうシーン。
仕事に慣れてきたクリスマスの夜には、事務所でチキンを貪るように食べる納棺師の姿がありました。
主人公が仕事をやめようと決心し伺った社長の部屋ではふぐの白子を美味しそうに食べている社長の姿がありました。
何も聞かず、主人公に網であぶった白子を差し出し「死ぬ気になれなきゃ食うしかない」と言って「困ったことにな」とつぶやく社長がいました。
主人公が納棺をした後、お礼にもらった新聞紙にくるまった干し柿を社長と一緒に車の中でぱくつくシーン。
生まれ故郷に帰りたい一心(?)で死ぬのがわかっていながら川を上っていく鮭の姿。
時としてユーモラスな、また滑稽な姿を見せながらも「食べる」シーンは能弁に語っているようです。
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葬儀にまつわることを織り交ぜながら担当者の日常模様が描かれています。
映画「おくりびと」を観て思ったこと、その2・納棺師の仕事とは・・・。
「新しい浴衣とパンツをご用意しておいてください」万が一の時、前もって病院の看護師さんから指示があります。最近はパジャマが多いとのことですが、着物の方が袖の下に空きがあり断然着せやすいようです。お疲れの看護師さんたちのためにも洗濯済みの浴衣でよろしいですからご用意しておきましょう。
着替え、簡単なメイクは病院側でもほどこされるため、通常の場合あえて納棺師のご登場ということは少ないようです。
また、長患いの方、諸般の事情でご家庭のお風呂に入れなかった方には「湯灌の儀」で身体を洗い清めてそのまま、髭剃り、メイク、旅支度への着替え等、全て湯灌の業者側ですませることができます。
ですので、納棺師の役割はむしろご遺体が安らかな状態ではない場合に一番発揮されるのではないでしょうか。映画「おくりびと」では流れるような所作に目を奪われがちですが、主人公が最初に出会った死後2週間たった孤独死の老人の納棺。このような出来事に向かい合える真摯な気持ちがご喪家の心を揺さぶるのではないでしょうか。
ご喪家のお気持ちを汲み取り、修復していく作業はいかばかりのものなのだろうか。
通常、一連のご葬儀の流れの中で納棺の儀は病院から搬送後ご家族立会いのもと、葬儀社の担当者が取り扱うことが多いようです。担当者はできるだけご家族皆さんの手を煩わせながら、お見送りをするように心がけているようです。
但し、生前のご病気如何によっては体液から感染することもあるので処置を素早くするか、何もしないかの判断が求められることもあると聞きました。
ご遺体をやたらに動かしてはいけない場合もあるようです。
葬儀社の担当者の中には一つひとつが余り分業になりすぎるのはと疑問視される向きもいらっしゃいました。
映画「おくりびと」を観て思ったこと、その1
伊丹監督の「お葬式」以来かな。お葬式に関することを正面から取り上げたのは。
先日、お葬式の立会いに行った帰り、新装オープンしたばかりの新宿ピカデリーに立ち寄り、今話題の「おくりびと」の映画を観てきました。
ウイークディの午後1番の上映ということで、周りは殆ど中高年のしかも女性の方々でした。
主役のモックンこと本木雅弘ファンばかりではないと思いますが、話題のものに素早く反応するのは矢張りおば様パワーが一番かなと思わせる光景でした。
オーケストラの解散で生まれ故郷の山形に帰ったチェロ奏者がひょんなことから納棺師のアシスタントになり、成長していく物語ですが、納棺の儀式の厳粛さ美しさもさることながら、この映画が成功したのはキャスティングの妙にあるのではと思われました。
出演者一人ひとりのキャラクターがくっきりと浮き上がってくるように感じられます。
主人公を取り巻く人たち、山崎努扮する社長の納棺師・佐々木、笹野高史扮する銭湯の常連客・平田、実は火葬場の火夫の2人が特に物語を立たせ、引き締めているように感じられました。
特に銭湯の常連客の平田はゆったりと一見たわいない言葉を発しながら実は後半火葬場の火夫となって制服制帽姿で現れるや否や、今までの言葉が一気に生きてくる感じになります。
銭湯のおばちゃんの死、火葬場の炉前で火夫として現れる平田は毅然として「死は門だ」そこを潜り抜けて、次に向う門なんだと話す。そして「私はその門番なのだ」と言って火葬炉のスイッチを押す。その瞬間、轟音とともに点火されます。
朝立ち会った享年53歳の方は無事門を通り抜けられたのだろうか・・・・。
次回はお話を主人公の「おくりびと」に戻します。
今回も申し訳ありません・・。
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前回と同様で申し訳ありませんが、葬儀の話ではありません。
今回は私が体験した、体の歪みについての話になります。
私の業務はPC作業を中心とした、デスクワークで7年ほど続けております。
長時間座りっぱなしでキーボードを叩き、液晶画面と向き合いっぱなし・・。
慢性的なうつむき姿勢を取ることにより、首の生理的なカーブが失われていき、体を歪ませる原因を作ってしまったようで、首の骨がまっすぐになってしまいました。これはストレートネックと言われているそうです。
それは突然やってきました・・。
突然の激しい動悸と視野が狭くなり、手足が冷たくなる、震えが止まらない。これが一番はじめにやってきた症状です。
病院ですべて診てもらいましたが異常なし。だた首の骨が問題だと。。
原因は首の骨に特定できましたが、有効な治療方法がないそうで・・・。
整形外科でも首を牽引したり、電気をかけたりマッサージをしたり、筋肉の緊張を緩めることを目的とした薬を処方してもらうことくらいで、根本的な治療にはならないそうです。
動悸と視野が狭くなる症状は、初めの1回だけでしたが、それ以降は倦怠感がつきまとうようになりました・・。
早く治療せねばと思い半年以上が経ち・・、ようやく先週の土曜日に府中のある治療院へ伺い、治療をしていただきました。
治療をする前にいろいろと確認をしてもらうと、私の体はだいぶ歪んでおりました・・。治療は20分くらいで足、手、腕、指を揉まれ、まったく痛くない整体でした。
本当に効果あるのかと半信半疑で治療を終え、帰りました。
家に着いて椅子に座ると、いつも感じていた倦怠感がない事に気付きました。頭の中もすっきりしました。効果はあったようです。
体に不調がある方は一度、体の歪みを調整してみることをお勧めします。
葬儀に関するお話でなく、申し訳ありません。
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今回は葬儀に関するお話でなく、申し訳ありませんが、
先日ある方にお食事の誘いをいただき、行って参りました。
南浦和駅で待ち合わせをしまして、タクシーに乗ること5分くらいだったでしょうか?
そこは、川魚料理・鰻の「小島屋」。創業200年超の老舗でした。
小島屋さんに到着し、まず、敷地の広さとその佇まいに驚きました。
コイ、鰻、ご飯、肝吸い、お新香を頂きました。
鰻はもちろんですが、ご飯がとても甘く、美味しかったです。
浦和の名物といえば実はうなぎだそうです。
昔は、うなぎの生息に適した沼地が多かったそうで、良くうなぎが獲れたそうです。
調べてみると、今現在も浦和にはたくさんの鰻屋さんがあります。
非常に良い経験をさせていただきました。
バレエ作品「瀕死の白鳥」と赤ちゃんの葬儀が二重写しになって・・・。
先日、ロシアを始めヨーロッパのバレエ団からの編成による新潟県中越沖地震チャリティーバレエガラコンサートで「瀕死の白鳥」というバレエを観ました。
どちらかといえば長時間でアクロバティックな作品が多い中、この「瀕死の白鳥」はたった数分間ですが、傷ついた白鳥がもがき苦しみながらも最後の力を振り絞って懸命に生きようとする姿を描き、最後に静寂な死を迎える作品です。
1羽の白鳥が刻一刻と迫りくる死に対して何度も何度も立ち向かっていく様は壮絶でもあり、生きることの意味を問うているようにも見受けられます。
また、観るものに生きる勇気を与えてくれるようでもあります。
バレリーナの手はいつしか羽ばたく羽になり、一羽の白鳥になり、飛び立とうと何度も何度も一生懸命試みられ、倒れながらも次第に立てるようになります。
そして、さらに高く翼の手をあげるが、ついに力尽き、静寂な時を迎えることになります。
その数日前、生後間もない赤ちゃんの葬儀のご依頼がありました。赤ちゃんは誕生前からの難病との闘いで、短い命を懸命に生きられたとのことです。舞台上の白鳥と二重写しになり、胸にズシリと響いてきました。
これからは墓石や刻まれる文字のデザインがポイントになる。
最近のカラフルな公園墓地や墓石のチラシ広告を見ていると、10数年前、パリ市内の広大な墓地を走り回り、やっと見つけた天才バレエダンサー・ニジンスキーのお墓の前に持ってきたバラの花を手向け、絵になるお墓の写真を撮り捲っていたことが思い出されます。
シンプルだけど黒御影石(?)のお墓は絶えることのないファンからのバラの花で埋め尽くされていました。辺りを見渡すと色々な形をした墓石が整然と並び、一見公園に迷い込んだような光景に日本のお墓とはずいぶん違うんだと感心したものでした。
ところが、いつの間にか日本も公園のような墓地が出始め、最近では墓石も昔からの定形とは異なった自由な発想のものがあちこちに見られるようになってきました。
墓石に彫る文字も従来の○○家之墓に取って代わって、好きな文字を彫り、家族の絆が深められる言葉が選ばれるようになってきたようです。
団塊世代が60歳を前に、自身のこれからのことについて真剣に考えだしたのも一因といわれていますが、1億総サラリーマン化と核家族化で代々受け継いでいる「家」の概念が薄くなり、、あえて○○家を避ける方を選択しているようにも思われます。
お盆休み
あさがお葬儀社紹介センターのブログをご閲覧いただきまして、ありがとうございます。
今日からお盆休みに入る方の、帰省、海外へ渡航ラッシュが始まっているようですね。
皆様、お気をつけてお帰りください。
当センターは年中無休です。
http://www.asagao.or.jp/
「千の風になって」なぜヒット?
(松)さんから、私が読んでいなかった、ここ数ヵ月の葬儀・仏事関連の記事が掲載された新聞の切り抜きを見せてもらいました。
その中で一番面白かったのは、朝日新聞の「『千の風』なぜヒット」という記事でした。
♪ 私のお墓の前で 泣かないでください ―― テノール歌手の秋川雅史さんが歌う、あの曲です。ミリオンセラーに達したそうです。
記事では、「変わりつつある日本人の死生観が、このヒットの要因と見るむきもある」として、何人かの識者のヒットの要因分析が紹介されていました。
作家の新井満さん(「千の風」はもともと作者不詳の英語詞を新井さんが翻訳して曲をつけた)は、次のように分析しています。
「死者が生者を思いやる。その発想に驚かされた」と詩の魅力を語り、詩の世界観について「万物に精霊が宿るというアニミズム。どんな人にも最古層にある宗教観だ」と指摘して、歌のヒットの要因を「八百万の神という言葉があるように、日本人になじみがある考え方を、目覚めさせたのではないか」と。
一方、東大の島薗進教授(宗教学)は、「千の風」の世界観を「死者と生者の関係が非常に近く、個人的だ」と見ています。
これまで身内が亡くなれば、地域共同体、そして家制度において死者との一体感を維持してきたが、共同体の機能がうしなわれてきて、「死者との交わりが個的になり、痛みや苦しみも個々人で抱え込んでしまっている」と時代背景を分析しています。それゆえ、「こうした時代を生きる人たちには、『風になって空を吹きわたっている』死者との交流がストレートに胸に響くのだろう。」と歌のヒットの要因を記者さんが補足しています。
恥ずかしながら、この記事を読んで、この歌が「死者が残された人に語りかけていた曲」なんだと初めて知ったような人間からしますと、歌のヒットの要因を日本人の死生観の変化にまで結びつけて記事にした記者さんに、あっぱれだと思いました。
はじめまして
あさがお葬儀社紹介センター「葬儀社紹介の相談員日記」
をご閲覧いただきありがとうございます。
4月より「あさがお葬儀社紹介センター」
のホームページ管理をメインにするスタッフとなりました、ニックネーム(二)です。
私は葬儀関連の知識はとても乏しいため、皆様のお悩みなどを解決する手段はまだありませんが、
これからいろいろと身につけていきますので、よろしくお願いします。