ご自身のご葬儀を打ち合わせされ、1週間後に旅立たれたお気持は・・・。

 「先週お会いした○○さんがお亡くなりになったとお兄様から今お電話があったので、これから病院にお迎えにいきます」
 当センターの賛同社のTさんから電話を頂いた時は、一瞬何かの間違いかと思いました。
 慌てて資料に目を通すと、矢張りつい1ヶ月ほど前までメールをやり取りしていた方でした。
 見積りをお渡しすると早速に丁寧なご返事を頂き、暫くして担当者から詳しいお話をお伺いしたい旨ご連絡をいただきました。
 Tさんがご本人様とお会いしたのはほんの1週間ほど前でした。

 最初の事前相談メールでは「ご依頼者との関係」欄に本人と記され、現在は入院していないが、体調が悪くなったら入院予定とのこと。お見積りは取ったが大分先の話と一方的に思っていた矢先、いきなりの訃報。
 Tさんもショックな様子。
 「入院した後はホスピスにいく予定」と明るく語りながらも、ご自身のご葬儀を綿密に打ち合わせされ、「費用は全て兄に渡しておきます」とテキパキ指示されていらっしゃった元気なご様子からは想像もできなかったと聞きます。
 しかし、ご本人様の心の格闘はいかばかりか、覚悟と言葉では言えるけれど、まだこれからの長い人生をというお歳なのに、どの様にお気持をコントロールされたのか。
 胸が詰まってお聞きできないだろうがお聞きしたかった。

 最後までご家族を思いやり、「個人としては無宗教葬で簡素な式を望んでいるが、家族があまり寒々しい印象を感じない程度にしたい」。また、ご高齢のご両親を心配され「長時間にならないような内容を望みます」とご希望されたメールを拝読していると、何か背中をドンと押され、しっかりしなさいと叱咤激励されたような心境になりました。有難うございます。

 心よりお悔やみ申し上げます。
 合掌

ご自身の生前予約を希望される方から教えられることとは・・・・。

 最近はご葬儀の生前ご予約を希望される方の中で、ご両親の他にもご自身のことに触れる方が目立ってきているようです。
 
 中でもご自身のことになりますと、お身内の方の場合と少し異なり、相当に確固たる意思を持って臨まれる方が多いように見受けられます。

 1年ほど前、新聞報道を見て直葬という方法を知り、今は健康ですが高齢なので万が一に備え、無宗教での生前予約をとご要望のあった方は、妹さんからも同様なご希望を頂きました。
 お兄様の生き方に共鳴され、生前予約をされた後、ご自身が描いた絵の絵葉書とご一緒にご丁寧なお手紙を頂き、思わず背筋を正し大きく頷いたことが思い出されます。

 また、明るく張りのあるお声でテキパキとご指示を頂いた方からのご相談は、最初ご両親のことと勘違いするほどでしたが、再入院される直前でのことでした。
 お子さんもまだ小さく、後を託すご姉妹のためにもとおっしゃるお元気な様子に、未熟な当方が励まされた形になってしまいました。
 妹様からご連絡をいただいたのはそれから半年後でした。

 先日、これから再手術の為、万一に備えて、生前予約をされたいというご連絡をいただきました。
 声の主は、終始穏やかで、どこまでもやさしく感じられました。
 色々と教えられることしきりです。

時代のうねりが聞こえてくる

 「今日仕事で噂のiPadみましたが、あれは凄いです。書籍や新聞、雑誌の世界が変革せざるを得ないという衝撃を受けました。そのうち必需品になりそうです。iPhoneやツイッターの異常な広がり方といい、時代のうねりを感じますね。」
 と、あるリサーチ会社の知人からメールをもらいました。

 私はiPhoneもツイッターも使ってはいないのですが、時代のうねりの話は面白く、いくらでも聞きたい類のものです。

 先日も、iPhoneユーザーの(二)さんに、iPhone向けのカーナビを見せてもらったのですが、現在主流のカーナビはどうなってしまうのだろう、と思わせるぐらいのインパクトがありました。リアルタイムで渋滞情報までわかるので、高価なカーナビは必要なくなるのでは?? (まだ、CDナビの車に乗っている私からすると、はるか上空の話ではありますが・・・)

 いずれしても、変化のスピードがどんどん速くなっていく感じです。ただ、このスピードは時代のうねりの渦中に完全に巻き込まれていると、なかなか気づきにくいかもしれません。

 「インターネット市場とEC事業」をテーマにしたセミナーに昨日出ていて、このことを改めて思いました。ここ10年ぐらいのインターネット市場とEC事業を概観する話もあって、大きく時代が変わってきていることは一目瞭然でした。
 その時その時で小さな変化のように見えても、ある程度の時間的スパンでみると、ものすごい変化を成し遂げているという感じです。そして今後も加速していくだろうと思うと、面白くもあり、不安定でもあり、難しくもありです。

 とはいえ、変化は多数の人が受け入れるからこそ起こり、変化するのはツールや道具、手段、方法なので、普遍的な考え方ができる人ほど、恐るるに足らず、となる気もします。

 これは、デジタル分野の話題だけに特有のことではなく、変化のスピードの違いこそあれ、葬儀にも当てはまることだと思います。

「残りの日々を看取ることだけに集中できました・・・」

 以前お手紙を頂いた中でも、事ある毎に思い起こす文面があります。
 「残りの数日は、父を看取ることだけに気持を集中することができましたので、本当に相談させていただいて良かったと思います」
 センターにご連絡いただいた時点ではお母様と交代で病院に行くのが精一杯でしたので、まだお母様にもご相談されずに、意を決して電話をされたとのこと。
 センターの担当者とお話されているうちにお任せする覚悟ができ、お母様にご報告され、お二人とも後のことは考えず、残り少ないお父様との日々を大切に過ごされたご様子のご報告を頂きました。
 お身内の方を亡くされた悲しみは同じでも、自分が積極的に看取ることができたか、はたまた気持だけで何もできないうちにお亡くなりになってしまわれたかで後々になって心の整理が大分違ってくるようにも伺います。

 また、同じように覚悟を決めてセンターに連絡をしたが、「当初は病院へ日参しながらの日々に罪悪感を覚え、自分を冷たい人間だと感じ、裏切った思いすら致しました」。
 しかし、「センターとやり取りしている過程であらかじめ知っておくことがひいてはきちんと送ってあげることにつながるのだと思えるようになりました」とご報告いただいたお手紙にもほっとした思いがよみがえります。
「安心」の二文字をどのようにお届けできるか、これからも大きな課題の一つです。

直葬を議論することで自分のこれからが見えてくる・・・。

 先日、アンケートをお願いするために10日ほど前にご葬儀を終えた方々の書類に目を通しながら思わず「アレッ」と叫んでいました。
 5名様の内4名様が直葬の方でした。
 昨年から今年に掛けて直葬が増えてきたとはいえ、センターではまだ1割ほどでした。たまたま偶然とは言え、現実味を帯びてきたようです。
 但し、4名様のご事情は様々でした。

 この直葬に関して昨年「早くも東京では3割になった」と話題がマスコミに出始めた頃ラジオ番組でも早速取り上げられ、喧々諤々とやっていたことが思い出されます。
 今年3月いっぱいで終了してしまったTBSラジオのバトルトーク番組アクセスでは聴取者を交えて様々な方の意見が交わされ、「これから」を考える良い機会を与えてくれたように思われました。

 司会者のお寺はお葬式の意味を説明してこなかった責任は重いとの問いかけに、タクシーの運転手さんはお金をそぎ落としてしまえばそれでよいのか疑問があると言う。「菩提寺のご住職がご葬儀の意味を教えてくれたので、それを考えると簡素化に走るのは如何なものか」。

 また、4年間にお身内の方3人を見送った方は直葬に賛成とのこと。現実ご葬儀では悲しんでいる暇はない。
「病院で多額のお金を使い果たし、最後のとどめにお葬式が控えています。そのお葬式も葬儀社が取り仕切るようになり、便利だけれども葬儀社の言いなりです。無事収めたいが為に、それなりに良い祭壇をと思いますよね」

 70代の方は「世の中殺伐している風潮と同じだ。独り身だけれど沢山の人の世話になりました。昔の人は老支度といっていざという時困らないように貯めていますよ。お葬式はできるだけ多くの人に立ち会ってもらいたい。誰かがちゃんとやってくれるだろう。それが人の世だ」と。
 同じ世代でも「私の場合は一切葬儀をするなと家族に言ってあります」ときっぱりおっしゃる方もいらっしゃいました。
 葬儀社の方、お寺関係の方も交え白熱した議論の結果に聴取者の反応は、葬儀の簡素化に賛成57%、反対18%、どちらとも25%とのことでした。
 こういう機会が今後も度々あることを期待したいですね・・・。

アオバト

 先日、穏やかな気候につられまして、海を眺めに行くことを思いたち、心地よい潮風と夕日を期待しながら、神奈川県の大磯海岸へ向かいました。
車を走らせていると、急に風が強くなってきまして、天気は曇り空に。
大磯港に車をとめて、砂浜から飛んでくる砂を体に受けながら海岸まで歩くと、眼前には
岩礁に打ち付ける荒々しい波。台風がやってきたみたいです。
しばらく眺めていると、鳥の群れが飛来して、果敢にも波に向かって飛びこんでいく姿を目にしました。
「アーオーアーオー」という不思議な泣き声を持つことから「アオバト」と呼ばれるこの鳥は「海水を飲む」という奇妙な習性を持っているそうです。
丹沢の森に生息していて、初夏から秋にかけて大磯海岸まで飛来してくるそうです。
海水を飲む理由はまだ分かっていないようですが、一説には、森の木の実や花からは得られないミネラルを補給しにやってくるそうです。
つぶらな瞳をした、とてもかわいい鳥ですが、海水を飲む姿には迫力がありまして、波にのまれて命を落とす鳥もいるようです。
期待をしていた夕日にはありつけませんでしたが、貴重な光景を目にしました。
アオバトの本格的な飛来シーズンはこれから。
みなさまも一度足を運ばれてみてはどうでしょうか?
大磯港の駐車場に10分も停めていなかったのですが、駐車料金は680円!
これにはびっくりしました。でもまた見に来ようと思います。

長寿国日本のご葬儀を考える・・・。

 このゴールデンウィーク、久しぶりに会った御年92歳になる伯母は至って元気でした。
 家事一切を1人でこなし、眼鏡なしで読書をし、1日30分の散歩は欠かさない。
 周りを見渡すと最近伯母のような元気な老人をあちこちで見かけるようになりました。

 20年前、東大のお医者さんから人間の寿命は大方90歳。それが証拠に89歳の声は聞いても、90歳は聞かないでしょうと言われ、妙に納得したことが思い出されます。

 ご葬儀の立会いに伺った折、式が始まる前に柩の窓を開け、お身内の方やお友達の方がご喪家のご好意でご対面をされているご様子をみていると、故人様の大よそのお歳が想像されます。
 ご高齢の故人様の場合は悲しみの中にも和やかな空気が漂い、中には笑顔でのぞきこむように話しかけていらっしゃる方もお見受けします。

 お式を待つ間もまるで故人が皆を引き合わせるために設けたお席のようにお話が尽きず、時として故人様を忘れたかのごとく、笑い声に包まれた明るい式場の雰囲気は満足度の高いお式へと伝わっていきます。

 100歳以上の方のご葬儀に紅白のお祝いの品が添えられる地域もあると伺います。
 その昔、昭和3年の昭和天皇御即位の礼の折は長寿のお祝いとして85歳以上の方に特別にお祝いが配られたと伯母から聞くが、今や85歳は女性の平均寿命にも達していない。
 しかし、これからの20年後はさらにプラスされ、110歳まで生きてやっとご祝儀にありつけられるのか。
 それともマイナスされて100歳以下に引き下げられてしまうのか。
 長寿国日本は微妙な時代に突入しているようです。

直葬も遠慮せずに事前に見積りを取ることから始めましょう。

「直葬で○拾萬円なんてぼりすぎよね」いきなり電話口での迫力ある言葉に思わず言いよどんでしまいましたが、確かに少し高すぎます。
「先月、友人がお母様を見送った時、ご葬儀の式を挙げずに病院から火葬場に直行し、荼毘にふされただけなのにこのお値段。何にそんなにかかるのかしら?テレビで見た直葬の値段は1/3位だったわよ」
1/3はちょっと疑わしいが、こちらも思わず明細を知りたくなるような金額です。

「うちも入院中の母のことを考えると直葬になるので、調べておきたくて電話したんですが・・・」
お話を伺っていくと病院付きの葬儀社さんで、柩の値段が通常の倍近くになり、一つ一つの項目が少し高めに設定されているようです。
「家族が亡くなり、通常の神経でいられない時に見積りを見させられても分らないじゃないですか。金額もその位かと思ってしまいますよ素人には。後になって後悔しても始まらないですよ」。ごもっともです。
 そうです。まずは事前に見積りを取ることから始めましょう。
 直葬だからと遠慮されずに。

インターネット2

 先日、UQWiMAXのお試しセットが届きました。
自宅で使えるか心配していましたが、試してみると圏内でした。
一安心です。通信速度を測ってみると、2Mbps~3Mbps出ています。
光回線と比べると物足りない数値ですが、実用範囲内でしたので、
光回線とイーモバイルを解約し、UQWiMAX一本にしました。
通信機器の種類はいろいろありまして、
私はNECのWM3300Rを購入し、契約しました。
この機器は、USBでパソコンと直結し通信する方法と、
USBを使わずに無線で通信する方法の2通りを使えます。
ですので、この機器一台で、家でも外でも無線で接続できるようになりました。
通信速度が10Mbpsくらい出てくれると良いのですが、今後に期待します。

その場の空気が読めるか否かで担当者の技量が問われる・・・?

 祭壇の両脇に並ぶ供花は故人をお花で供養する意味合いが込められています。
 ご葬儀の立会いで喪主、子供一同、孫一同とお名前が書かれた札を見ていると、あれこれと故人との関わりが見えるような錯覚に陥ることもあります。
 
 最近では都会を中心にご家族・ご親族の他はごく親しかった友人だけというようなご葬儀が主流になりつつあります。
 そんな折、度々この供花について尋ねられることがあります。
 お花を出せばそれで終わりと思いがちですが、これが結構ややこしい問題を含んでいるようです。
 少し前でしたら、ご親戚の年配者がまずは故人にお花をと、てきぱき処理されことなきを得ていましたが、最近はそれぞれの家庭の事情もあり、切り出し難いこともあるようです。
 
 ご喪家側もご親戚の分はお名前だけをお借りして、一括される方もいらっしゃいますが、うっかりするとお名前を出されたご親戚の中には素直に従いにくく、押し付けがましさを感じる方も出てきます。
 ちょっとしたことが、ボタンの掛け違いで事が大きくなり、後々それがしこりになっては大変です。

 そこでベテランの担当者だったらどうされるか。
 お身内が集まった打ち合わせの時、その場のご喪家の空気を察知しながら、お花はどうされるか透かさずお尋ねするとのこと。
 お集まり頂いた方は納得され、皆さん全員がお集まりいただいているわけではないので出席されているご兄弟から言ってもらうようにする。
 ノウハウだけでは身動き取れないのが葬儀担当者。お会いして、お話を伺いながらご喪家の雰囲気を読み取り、対処していくのが担当者の役目だが、100人100様の対処の仕方があり、一言では言い辛いとのことです。
ローマは1日にしてならず・葬儀担当者も1日にしてならず・・・か?