ご家族だけでゆっくりとしかも古くからの友人もできるだけ多くお呼びしたいと考えた1日葬とは・・・。

 世間では「後期高齢者」の呼び名がかまびすしいが、定年時代を迎えた団塊世代は今 、戦後の高度成長をひた走ってきた両親を見送る現実に直面しています。
 今まで走り続けて来たからには、せめて最後はゆっくりとご家族だけで送ってあげたい反面、戦友のようにいっしょに仕事に励んできたお仲間を1人でも多くお呼びして見送ってもらいたいという思いが交差しています。
 できれば両方をうまく取り入れてできないものだろうかという思いをお持ちの方も増えてきています。
 従来の葬儀の枠の中だけでなく、見送り方もそれぞれの家庭の条件にあったやり方で行きたいと願う依頼者に葬儀社の担当者も柔軟な姿勢を見せているようです。
 
 例えば、ご自宅に搬送され、葬儀当日まで数日間ご家族と過ごし、当日納棺後斎場に移され、1日だけのご葬儀にします。ご家族とゆっくり過ごす時間が保たれ、しかも葬儀・告別式では思い切り仕事仲間や後輩の方々にお出でいただくことができます。但し、金銭的な面で考えると斎場費が1日でも2日でも使用料が変わらないところが多いので割高感はあります。その代わり通夜の読経代やお清め用のお食事代が浮きますので、その分ご自宅での棺やお蒲団の周りにお好きな花を飾ることができるようになります。
 ここ1~2年葬儀内容もいろいろと変化が求められて来ているようです。

5年目を迎えるにあたって、省みました

あさがお葬儀社紹介センターは3月が期末で、この4月から5期目を迎えました。

サポート件数は3期までほぼ倍増してきていたのですが、4期目で横ばいになってしまいました。紹介サービスとう業態が確立してきていて、このサービスを求めている人は間違いなく増加してきていると思われる中、反省すべき結果です。

もちろん、サービスの質を低下させてまで、成長させていくことは望んではいません(これは本当の成長とは言えないのでしょうが)。

4年間試行錯誤してやってくれば、それなりにサービスの質は上がってきます。質を上げながら、もっとサポート件数を増やすことができたはずだと率直に思っています。

サービスを求める人が増えているという状況の中で、これは私のやり方・心構えがまずかったということになります。(もっとも、たとえ最悪の状況下であっても、状況のせいにはできませんが)

何がまずかったのか? 省みると、細かいことはいろいろありますが、何と言っても、私の心構えです。
1、まず、時間の使い方がまずかった。行き当たりばったりで、自分では仕事をしているつもりだったが、本当に事業の発展のために使った時間が少なかった。
2、それもそのはずで、時間の管理を可能にさせ、それをしっかり支える、目標とか計画が恥ずかしながらまったくなかった。
3、その結果、事業を成長させるために、逐次、計画と行動、結果を検証していって、改善していく—–こんなことは、また恥ずかしながら考えたこともなかった。

1の時間の使い方がまずかったということは、自分でも薄々気が付いていたのですが、じゃあどうすれば、無駄な時間を少なくできるのか? 自分の頭を捻っても答えが出てこないので、ピーター・ドラッカーの著作の助けを借りて、上記の3つを得ました。

特に、ピーター・ドラッカーをして人生を変えた経験として取り上げている次の話が示唆的でした。
「書きとめておく—-イエズス会とカルヴァン派の教訓」という話で、近世初期にイエズス会とカルヴァン派が奇しくも同じ方法によって成長したということを知ったという話です。その方法とは、何か重要な決定をする際に、その期待する結果を書きとめておかなければならないことになっていて、一定期間後、実際の結果とその期待を見比べなければならなかった、というものです。これが成長の要因になっていた、と。

ということで、ここに省みたことを書きとめておいた次第です。

家族葬は自宅以外に搬送し、地元から少し離れたところで執り行うのが一番です。

 ここ1~2年、「家族葬」という言葉が都会のご葬儀のキーワードのように使われ、当相談センターへのご要望にもよく見受けられます。
 都会生活でのご近所との付き合いも希薄になり、最後は儀礼的でなく本当に親しい身内だけで見送って欲しいと潜在的に思っていらっしゃったのが、最近の社会情勢からマスコミ報道やインターネットでの情報を通じてより確信し、身近に感じるようになったからでしょうか。
 ところが都会でも、まだまだ往々にして個人の思いより義理が先行している場合が多いようです。
 例えば、故人の遺志により、ご家族、ご親族のみで見送りたいとお断りしてもお見えになる方はいらっしゃいます。お1人いらっしゃれば、人の輪は見る見る膨らんでしまいます。
 対策として、ご近所や仕事関係に知られないようにするのが第1です。そのためにはご遺体は病院からご自宅以外に搬送され、斎場も少し地元から離れた場所にあることが望ましく、幸いにして都会の場合交通網が発達しているので斎場選びに関しては最寄駅近くであれば会葬者にとっての不自由はありません。最近はそんな条件を満たした家族葬専用の斎場も目に留まります。
 
 ご葬儀に立会いで伺うと家族葬ならではの光景に出くわします。
 ある依頼者の方は、家族葬を希望されたために他のご兄弟とも会社関係には一切知らせず、事後報告の形をとりましたが、そのかわり岩手の田舎からのご親族合わせて19名全員で通夜のお泊りをされたそうです(斎場は宿泊者数制限がありませんでした)。
 
 ご高齢のお父様を家族のみで温かく見送りたいので、できるだけ手作りの感じを出したいとおっしゃった依頼者は、お父様の好きな映画音楽を編集して会場に流し、読経の間に、ご兄弟の送る言葉を挟み、お孫さんは大好きなおじい様へとビオラの演奏をされました。 
 
 ご家族5名だけの通夜の場合は喪主が会社経営者なのでそのままやれば500名以上になる可能性が強く、一切断固としてお断りされたそうです。経営者で会社を休むため周りに知らせたが、万が一お見えになっても隣の部屋に案内し、読経が終わり、ご家族が退席してから式場に入っていただくように担当者に申し伝えたと伺っています。
 
 60代のお母様を亡くされた2人のご兄弟は親族のみで執り行いたい、その代わり香典は頂かずに葬儀費用を2人で出し合い、最後の親孝行をしたいとのことでした。ピンクと白の華やかな花祭壇はいただいた供花と一緒に組み込み式に、火葬は特別室、骨壷は大理石のものにしました。
 
 東京・世田谷の自宅で亡くなられた方は元々横浜出身で菩提寺も横浜にあるのでご本人のご希望通り横浜でのご葬儀になりました。この時は市外扱いの火葬場の予約を取るのが大変でした。
 
 親族10名ほどの形式ばらないアットホームな家族葬をご希望された方の場合は故人がマスコミ、インターネット関連の自由業の方でしたので通夜当日に知れ渡り、200名近くの会葬者になってしまいました。この時もベテラン担当者の采配で無事難局を乗り切ることができました。
 家族単位のご葬儀は益々増えていくでしょう。

 

葬儀の良し悪しは担当者の力量が試される、残り20分が勝負

 葬儀・告別式の時間は特別大規模なご葬儀以外1時間というのが大半です。その中でも仏式が大多数を占め、式の順番もほぼ同じ内容になります。では皆同じかといえば、これが見事に違うのです。
 葬儀社の担当者は1時間のタイムスケジュールを考え、じっと進行を見守っています。それぞれのご喪家の特徴を打ち合わせの段階で掴み、どこでどのような形でお見せできるか、それは舞台監督のようでもあり、また時には演出家のようでもあります。
 決められた1時間の内、ほぼ40分間は読経になります。残り20分でどのような見送り方ができるか担当者の腕の見せどころになります。
  生本番として時に予想しづらいことに出くわすこともあるようですが、方向性さえしっかり掴んでいればマイナスもプラスに変えることができ、それが担当者の力量となって現れてくるようです。
 
 あるご葬儀では定刻5分前に故人がバイオリンを習っていた先生から、いきなり式の中で演奏をしたい旨連絡がありました。急なことゆえ、ご住職に読経時間の短縮をお願いしてみたが、お経の流れがあるので途中けずるのはできないとのこと。
 3分以内と条件をつけての演奏でしたが、実際に始まると時間を忘れての演奏ぶりに内心やきもきさせられたようでしたが、出棺の際の演奏と相まって舞台効果は上々でした。火葬場までの距離がありましたが、心配した開かずの踏み切りもスムースに行き、なんとか時間内に滑り込むことができたようです。
 
 時間の流れを掴んでいる担当者の采配振りを見ていると、どこをどうやれば時間を短縮できるか心得ていて、決してどこかを省いているようには見せない。むしろじっくり最後のお別れをされて、ご喪家側も満足の様子です。
 その時も出棺時間は迫っていましたが、担当者は「ゆっくりどうぞ」と喪主の奥様にご挨拶を促していました。意を決した奥様は亡くなったご主人の病状報告を詳しく話されました。出席された友人の方々は皆、肩の荷が下りたようにほっとされ、大きくうなずいていらっしゃったのが印象的でした。

はじめまして

あさがお葬儀社紹介センター「葬儀社紹介の相談員日記」
をご閲覧いただきありがとうございます。

4月より「あさがお葬儀社紹介センター」
のホームページ管理をメインにするスタッフとなりました、ニックネーム(二)です。

私は葬儀関連の知識はとても乏しいため、皆様のお悩みなどを解決する手段はまだありませんが、
これからいろいろと身につけていきますので、よろしくお願いします。

葬儀予算はどこまで抑えられるか

 電話やメールでのご相談の中で予算を伺うと「病院での支払いで使い果たしてしまったのでできるだけ費用を抑えたい」という切実な声がよく聞かれます。
 葬儀費用といっても葬儀社に支払う以上に斎場費、飲食代(通夜のお清め代と精進落し代)、返礼品代、火葬場費、霊柩車代、移動用のマイクロバス代、お布施代等の費用が別途掛かってしまいます。
 その中でどれをどのようにやりくりして削られるかで予算も大分変わってきます。
 勿論、葬儀社独自のやり方で応じてくれるところ、難しいところはありますが、ご要望に添った方法を少し考えてみましょう。
 
 例えば、葬儀・告別式1日だけにすることも可能です。
 但し、式場費は公営斎場の一部を除いて、2日間単位になっているところが多く、割引は少ないようです。それでも通夜の飲食代、読経代が浮きますので大分費用は抑えられます。
 葬儀社によっては祭壇ではなく、棺の両端や遺影の周りにお花を置くシンプルな飾り方も相談に乗ってくれるようです。供花が多く出た場合は名札を芳名板にして、頂いたお花で祭壇造りもできます。
 「知り合いの花屋さんに花祭壇をお願いしてよろしいですか」という依頼者の方もいらっしゃいましたが、さすが、これは却下されました。出来上がった祭壇を会葬者に批評される可能性もあります。葬儀社としては責任が持てないからとのことです。
 究極の節約ぶりとしては、炉前だけの短い読経をお願いする方法もあります。この場合、葬儀・告別式の読経はなく火葬炉前だけになります。読経代はおおよそ5万円前後と通常の5分の1から6分の1程度で済みます。葬儀・告別式はご焼香だけになります。
 火葬場併設の斎場ですと霊柩車代、マイクロバス代は必要ありませんし、都区内を除いてほとんどが公営ですので費用の面でも抑えられます。
 
 先日電話を頂いた方は「他人の手を煩わせたくないので、自分で自分の棺を造っておき、万が一の時友人に直接火葬場に運んでもらいたいが・・・」との徹底ぶりでした。
 しかし、棺を造るのは構わないが、火葬場の方で個人的に申し込まれても受け付けないようです。霊柩車で運ばれたご遺体のみになります。
 それは搬送でも同じようで、インターネットを見て搬送会社に直接頼む方がいらっしゃいますが、搬送会社は葬儀社を通してお願いしていますとのことです。
 葬儀は一つの形式です。個人が勝手にできないこともでてきます。その形式の中で予算を抑えバラエティに富んだお見送りを考えたいものです。

  
 
  
 
 
 

宮型霊柩車は利用できなくなるのか

 先日の朝日新聞の記事に「宇都宮市は来年3月から稼動する新しい公的な火葬場について宮型霊柩車の乗り入れ禁止を決め、葬儀業者に伝えた」とありました。
 昨年6月にオープンした千葉県印西斎場から先月送られてきた利用要領の中でも、留意事項の第1にご来場にあたっての宮型霊柩車の乗り入れ禁止を謳っていました。
 他にも埼玉県さいたま市大宮聖苑、越谷市斎場、上尾伊奈斎場つつじ苑等でも乗り入れ禁止になっています。
 都内と神奈川県下では今のところ規定は見当たりません。
 特に新規の火葬場の場合は地元住民の方々との話し合いの中で条件とされることが多いようです。
 このことは早速TBSラジオのトーク番組アクセスでも取り上げられていました。
 聴取者の意見として、50年間火葬場近くにお住まいの年配の方は「40代、50代の頃は霊柩車を見てもなんとも思わなかったが、75歳を過ぎて宮型の霊柩車を見ると足が止まってしまいます。いやというより自分の余生が迫ってくるように感じるからです。ですから、普通の自動車のような洋型霊柩車の方がこころにやさしくあたるような気がします。」と話されていました。
 都会ではいつの間にか圧倒的に高級乗用車型の洋型霊柩車の利用が増え、街中でも宮型の霊柩車にお目にかかる機会が少なくなってきています。
 それは宗教心の問題で若い人の宗教心が薄れているからだと言う方もいらっしゃいます。
 少なくなったとは言え年配の方を中心に根強い人気の宮型霊柩車の存在も、個性の強さゆえに引退を余儀なくされていくのだろうか。

ご葬儀をドタキャンしてしまった菩提寺住職。

 以前、働き盛りのお父様が急死され、慌てたご子息の喪主の方が菩提寺にFAXで連絡したため、ご住職の逆鱗に触れたことを葬儀社の担当者から聞いたことがありました。昔から2人の使者が菩提寺に出向き報告をするのがならわしで常識だと息巻いていらっしゃったようです。
 菩提寺をたてて、何事もまずは菩提寺に報告をして、指示をを仰ぐ。
 遠方の菩提寺の場合でも同じです。
 遠方からでも駆けつけるご住職もいらっしゃいます。来られない時は、同じ宗派の地元のお寺を紹介されたり、同じ宗派のセンターを通じて紹介される等の場合がありますので勝手にご喪家側で処理しないように。
 このように菩提寺に気を使ってもハプニングはあります。

 実は通夜にはお見えになって読経されていらした菩提寺のご住職が、葬儀にお見えにならず、ドタキャンされてしまったという前代未聞の出来事がありました。
 時として開始時間に遅れるご住職もいらっしゃるのでスタッフ一同やきもきしながら待っていましたが、一向にいらっしゃる様子がなく、連絡しても通じない状態です。
 ついに火葬時間が迫っているので、会葬者の皆様にはご焼香をお願いし、読経なしの
葬儀・告別式になってしまいました。
 前日の通夜の読経は済んでいますが仏様は成仏出来ず、中途半端な状態でお別れのご焼香になってしまい、仏式とも無宗教葬ともつかないご葬儀に会葬者も戸惑いを隠せなかったようです。
 ようやく連絡が入ったのは火葬が済み、再び斎場に戻ってきた時でした。
 言い訳に終始され、のらりくらりとされ追求しても「申し訳ない。お布施は要りません」の一点張り。
 「お布施の問題ではない」と葬儀を終えた翌日、喪主は葬儀社の担当者に同行願って、菩提寺に向かったのは言うまでもありません。

 今回の場合は昔からの菩提寺ではなく、1年ほど前にお墓を買い新たに檀家信徒になったばかりで、ご住職との付き合いもほとんどなかったようです。
 これからはお墓を買って檀家信徒になるときにはご住職の人柄チェックもお忘れなく。

情報洪水の中で方向を見失わないために

 インターネットは便利です。その気になれば一日で、葬儀のことや葬儀社の大量の情報を収集することができます。
 
 となると、大量の情報をもとに適切な判断が導かれると思われそうですが、そう簡単なことではないことは、インターネットで情報収集をしたことのある人なら分かってもらえると思います。

 情報収集をすればするほど、かえって混乱してしまうというのが正直なところではないでしょうか。

 大量の情報に振り回されないための方法は、私の思いつくところ、情報収集する目的を明快にしておくこと、そして、質の低い情報は捨てていくこと、だと思います。

 質の高い低いを判断するのもわかりにくいのですが、結局、その人のその時点での問題意識と見識にかかってしまいます。ただそれでも、情報洪水の中で方向を見失わないためには、その人にとって質の低い情報を捨てていくことだ思います。そうしないと、情報をただ集めることだけが目的になってしまったり、情報を集めて満足してしまったり・・・となってしまう可能性が大です。

 しかも悪いことに、情報を提供する側の多くが、情報を収集する人の意識に合わせて情報提供しているとは言えず、自分たちの都合で情報提供しているのですから、わかりにくさも倍増されている現状が追い打ちをかけています。

社葬の本番は準備から式が終った後まで続きます。

 ご親族や親しい方々のみで密葬を執り行ってから社葬までに通常約1ヶ月近くの期間が置かれます。
 その間、葬儀実行委員長の指揮下で準備に取り掛かります。
 準備の第1段階としてまず式場選びから始まります。
 葬儀形式も仏式、神式、キリスト教、無宗教とあり、どの式によるかで式場がおおまかに選択されます。
 さらに式場選択の要素として、会葬者数に見合っているか、交通の便はよいか、分かりやすい場所か、駐車場のスペースは確保できるか、駐車場から式場まで離れすぎていないかが重要な鍵になるようです。
 葬儀社には葬儀規模や予算などから式場を含めた概算見積りを出してもらい煮詰めていきます。
 また、式場と同時に関係者のスケジュール調整をして葬儀日程を決める必要があります。
 日程を決めるに当たって、個人葬との違いは土曜日、日曜日を避けることが大切です。会社主催の式ですので、会葬者のためにもウィークデイに執り行われるようにします。
 会場、日程が決定したら関係各社及び関係者に連絡します。連絡方法としては封書の他に新聞広告があります。
 新聞広告ですと封書で行き渡れない方々にも連絡がとれるという利点があります。
 いずれの場合でも香典、供物、供花等を辞退したり、神式、キリスト教の式典などの時は明記する必要があります。会場で会葬者の戸惑いの原因をつくることにもなりかねません。仏式の場合は特に記す必要はありません。
 新聞に訃報広告を出す場合は葬儀社か広告代理店か直接新聞社の広告部に申し込むことになりますが、ほとんどの葬儀社が代行してくれます。葬儀日程に合わせた掲載日のタイミングも気をつける必要があります。
 当日の式次第、席次、弔辞依頼、指名焼香と対外的にも重要なことが重なり、細心の注意をしても注意し過ぎることはないようです。落ち度はなかったと思っても相手の
心情までは測りかねます。
 そのためにはいち早く、できれば社葬翌日には御礼にまわり、相手の方が不在でも名刺を渡しておくことが、今後の付き合い上大切なことになります。

 社葬は準備から長い本番が始まります。