社葬と一般葬

 センターのサイト内(地域版)にある、社葬のページをもう少し詳しく作りなおそうと、何年か前に一度読んだ社葬に関する本を読みなおしているのですが、そんな中、「初代社長の万一の事に備えて」とのご相談を頂きました。
二代目社長として後を継いでいる息子さんからのご相談ですが、初代の社長はまだお元気なご様子。
 先々に「備えて・・」というよりは、「会社関連の方の接待を含めてそれなりにきちんとするにはどうしたらいいか・・」という初めてであるがゆえの漠然とした不安があったようです。

 社葬にするか、一般葬にするか、これは会社や家族の考え方で方向が決まるわけですが、ご相談者の会社は小規模で「社葬」というよりは一般葬の方が現実的とのことでしたので、規模が大きくなるような一般葬という形で進めていきました。
 小規模で家族も一緒に働く会社の場合、社葬ではなく遺族が主となって進める一般葬を選ぶことも多いようで、このご相談者も今まで何回か得意先などの代表の方の葬儀に参列したご経験があるとのことでしたが、いずれも一般葬でのご葬儀だったそうです。

 ずいぶん前の事ですが、私が勤めていた会社の社長が現役で亡くなり、葬儀は社葬で行った事を思い出しました。
 従業員10名以下という小規模な会社でしたが、家族の要望で「社葬」という形で執り行われ、かなり多くの方が葬儀にご参列いただいた葬儀でしたので、とても慌ただしく大変だった覚えがあります。
 私は経理関係に関与していなかったのでそのあたりはよくわからないのですが、その後も税理士さんと色々やり取りをしていたところを見て、社葬って大変なんだな・・と思ったり。
 
 大きな企業では社葬取扱規定などが予め準備されていて、急な万一の事にもスムーズに対応出来るようにされているところは多いと思いますが、小さな会社などではそこまで考える必要もないと思われている事もあると思います。

 会社関連の方が多くお越しになる葬儀は社葬でなくてもそれなりの対応が求められますので、まだ先の事であっても、何を考えておかなくてはならないのかなど、漠然とした心配があるようでしたら、一度ご相談されるとご安心いただけるかもしれません。

文章を書くのは難しくて・・。

 センターとのご相談のやりとりは、主に電話かメールで行われますが、実は、私はメールの返信があまり得意ではありません。
 電話の場合はご相談者の声や話し方などで何となく察することもできなくはないと思うのですが、メールでは受け取った方が読んだ時の気持ちや気分によって、解釈のされかたが変わってくるかもしれないということが不安になり、また、わかりやすく書けているかということも心配になるのです。

 もともと文章を書くことを苦手だと思って今までずっと過ごしていたのですが、きっかけというか原因というか・・
 小学校のころに書いた作文が意外にも褒められてしまったことが一因かもしれないと思う点があります。
 なんとなく、小説風に書いてしまった夏休みの宿題の作文で、書き出しの一行目に花丸がつき、先生から「この書き出しは大人びていて、いい感じ」と言われ、この「大人びて」という一言がなぜか素直に喜べずに、とても恥ずかしく思ってしまったわけです。
 それからは、意識して小学生風に、「私は○○がいいと思いました。」みたいな作文を書き続けていたように思います。
 今では自分に対してそんなデリケートな感情はありませんので、褒められたら素直に大喜びして調子に乗るくらいなのですが、どんな子供時代だったのか・・・。
 
 そんなわけで、ここ数年、「文章を書くことが苦手、を克服したい!」という想いがあるのですが、苦手意識というのはなかなか簡単には変えられないもので、メールの返信や説明書の作成、定期的にやってくるブログを書くことそれぞれに、「時間かかるぞ!やらなきゃ!」と気合いを入れるための心の準備が必要なのです。

 文章を書くことを生業とし、ターゲットに向けて、詳しく、わかりやすく伝えることができるライターさんは本当に尊敬します。
 いつかライターさんのように「私は文章を書くことが好きです」と言えるようになれば、文章を書く時の気持ちも軽くなるかもしれません。 
 いつまでたっても勉強です・・。

ご喪家にとって、良いご葬儀とは・・・。

  ご葬儀の良し悪しは、ご喪家と担当者とのコミュニケーションの取り方で決まるとまで言われます。

 ジャズの曲が緩やかに流れる中、柩を囲み静かなひとときが過ぎていきました。
 60歳で他界されたご主人の柩の蓋いっぱいに、歳の数だけ鮮やかな黄色の薔薇が咲き誇っていました。
 60本の薔薇の花は、お誕生日毎にお歳の数だけプレゼントされていた、奥様からの最後の贈り物でもありました。

 当初ご相談を頂いた折、葬儀社さんのホームページを見ても、どの社が良いのか分からなくて、と困惑されたご様子でしたが、ご紹介した賛同社の担当者との話し合いで、お食事と返礼品はご喪家側でご主人のお好みのお料理とご喪家の記念になるものをご用意され、ひとり娘のお嬢さんのたっての願いで、イベント企画のお仕事をされているお嬢さんがご葬儀の進行役を務めることになりました。

 無宗教葬にて執り行われたご葬儀はご喪家先行型で、担当者はあえて脇でアドバイザーとしての意見を申し上げるにとどめ、見守っていく形での進行となりました。

 「生前父は私の仕事内容が良く分かっていなかったようですが、最後にこれで理解してくれたと思います」。
 ご出棺後、お父様のご葬儀を取り仕切った感想を、感無量の面持ちで、担当者にお話しされたとのことです。

 同じ頃、当センターにご相談される前に火葬場併設の斎場にお伺いして、断られたとのご相談をいただきました。
 ご相談者であるお孫さんの一番の願いは、家族の一員として、御祖母様を最後の一晩皆で見守ってあげたいとのこと。

 斎場サイドでは式場控室和室部分で4〜5名様でしたら仮宿泊は可能ですが、柩の置かれている式場は防火対策上、夜9時以降お線香をあげられず、また防犯上施錠をしてしまうので、一晩付き添うことはできないとのお話しです。

 ご家族、ご親族だけで30名程。全員は無理としても、出来るだけ多くの方が付き添え、しかもご高齢者が多いとのことで、ご自宅近くに限定され、祖父様の時と同じ曹洞宗でのご葬儀を御希望されるという難しい条件でしたが、ご紹介した社の担当者は心当たりがあるとのことで、区内のお寺を推薦されました。

 本堂にてご葬儀を執り行い、2階にはお清め室に使われる大広間が2室あり、こちらでの仮宿泊が可能とのこと。

 しかしながら、こちらは貸式場として公開されておらず、浄土真宗大谷派で檀信徒の方々のご葬儀を中心に執り行っており、ご喪家では当初宗派が異なることに戸惑われたご様子でしたが、担当者はお寺に直談判をされ、是非にとご事情を申し上げたところ、ご住職の計らいで2階大広間にて一晩御祖母様と御一緒にお過ごしになられ、翌日無事本堂にてご葬儀を終えることが出来ました。

 ご葬儀に立会いでお伺いした折、担当者に全幅の信頼を寄せていらっしゃるご相談者をお見かけすると、双方のコミュニケーションがどの位取られているかが分かり、その度、今回も良いご葬儀になったのではと実感させられたものでした。

永六輔さんとラジオ

 2年ほど前から、車を運転するときだけでなく、ラジオ専用のポータブルレコーダーで面白そうな番組を録音して聴いています。

 知人から、番組とともに、ある機種の便利な使い方も合わせて教わったのですが、信用のおける人から勧められたものは、すぐ試すというわけで、遅ればせながら、にわかラジオリスナーになりました。
 
 同じ人でも、TVとラジオの出演では、話す内容が違います。違うというよりは、ラジオのほうが何かにつけ拘束が少ないでしょうから、話が面白くなるように思います。
 両方の世界を熟知し活躍している、久米宏さんですが、TVニュースのほうはたまにしかみませんでしたが、ラジオは面白いのでよく聴いてます。

 先週の永六輔さんの訃報に際し、久米さんは、「永六輔さんは、僕の恩人で、先生です。いなくなると、とても困るのです。ですから、永さんはいなくならないのです」とコメントしています。

 永さんは、「テレビの言葉には本音が少ない」と、ラジオの仕事を大切にしていました。そして、ラジオは、想像力によって、より大きな力を持つメディアと位置づけていました。

 昔に比べ、ありあまるコメントや解説、映像、情報、、、、それによって人が賢くなっているかというと疑わしい限りです。情報が多くあることに安心して想像力も発揮しにくいかもしれません。
 ただ、意味のない薄っぺらなコメントや解説、取捨選択された断片的な映像、をいくら集めてみても適切な判断はできそうにありません。想像力で補うしかありません。

 永さんのご冥福をお祈りするとともに、永さんの思いを継ぐような、ラジオ番組が増えることを願わずにいられません。

初めてのご質問は・・。

 「初めてのことで何もわからないのですが、病院で亡くなったら私はどうしたらいいでしょうか」
 以前、初めてお身内の葬儀のことを考えなくてはならない状況になったご相談者からいただいた、開口一番のご質問でした。
 このご質問、もしかすると、多くの方が漠然と不安に思っていることかもしれません。

 私も葬儀関連の仕事に就く前、特に葬儀のことを考えなくてはならない状況にいなくても、「みんなどうしているんだろう」と漠然と考えていました。
 私の記憶の中では、ドラマなどでも、「ご臨終」のシーンの後は「お葬式」のシーンになってしまっているような?
 病院で亡くなってから、お葬式までの流れの部分、どのような流れになっていて、その中で自分は何をしたらいいのかなどの具体的な事がよくわからないという方は意外と多いかもしれません。

 ご相談される方によって、知識があるところ、わからないところは様々で、また、状況や考え方によっても流れが違ってくることもあります。

 お身内に心配な方がいる場合、なかなか葬儀の事を相談する気持ちになれない方もいらっしゃると思いますが、漠然とした不安から解放されたあとは、ご看病に専念して頂くこともできると思います。

22年前のベストセラー「大往生」を読んで思うこと・・・。

先輩から譲り受けた永 六輔著「大往生」を、久しぶりに本棚から取り出しました。
 大ベストセラーとなり、当時流行語にもなった著書ですが、これからの高齢化社会に対処すべきことを、マスコミが取り上げた最初のブームの頃だったと思います。
 
 あれから22年、本格的な高齢化社会に突入し、気が付けば現実味を帯びた様々な障害や事故を目の当たりにする機会が、日常茶飯事の様に増えて参りました。

 その著者の永 六輔さんが今月7日ご逝去された報道が伝えられました。
 お悔やみ申し上げます。

 当時、巷では「あの方は大往生だった」という言葉が、うっかり日常的に使われておりましたが、大往生とは本来、「十二分に生き、寿命を全うされた」方のお身内が申し上げるお言葉であることを、改めて問い直された方もいらっしゃるのでは・・・。

 その「大往生」では歌手の坂本九さんのご葬儀について、家族ぐるみで付き合いのあった葬儀社さんが、友情込めた協力をされたことにふれ、ともするとご遺族はご葬儀中にもめたり、値切ったりすることはしたくないとの一心で耐えてしまうが、九さんの場合は気持ちの良いご葬儀だったと語り、一方の担当された葬儀社さんも「九さんに、うまい!といってもらいたかった」とお話しされていたことが書かれておりました。

 担当者の心意気が伝わってくるようなご葬儀にほっといたしますが、センターでも負けず劣らず、担当者の心意気に思わず「お願いしてよかった」と思わせる場面に出会うこともしばしばございます。

 以前、こんなアンケートをいただきました。
 「担当の方が自宅まで毎日足を運んで下さり、コミュニケーションがよく取れて何でも相談ができました。親父らしく見送りたい。曹洞宗に則りつつも、同時に和やかに故人を偲ぶ場にしたいという、私の意を正確に酌んで下さいまして、当日は完璧と言ってよい位にイメージ通りの葬儀を執り行うことができました」。
 「特にメモリアルコーナーや父が撮った15分程の短編映画を皆様にお見せできたことには、大変満足しております。晩年の寝たきりに近い親父ではなく、親父が若くて元気だった頃のイメージでもって偲んでもらうのが1番の狙いでしたから」。

 さらに別のご葬儀でも、上記の担当者についてのメッセージが届いておりました。
 「担当者の方からは、ご葬儀後に頂いたお手紙に、心に残る葬儀だったと書いて下さり、これで良かったのかなと悩んでいた私の気持ちが少し軽くなった気がしています。1人っ子の私でしたので、無事父を見送ることが出来、皆様のおかげだと感謝しています。ありがとうございました」。

 ご葬儀担当者の心意気に感謝しております。

ご相談の見直しを・・。

 事前相談をされる方の状況や想いはいろいろです。
 医師から余命を告げられ、不安な状況の中でご相談される方や、長期のご相談でとにかく全てを事前に決めておきたいという方、万一の時に慌てないように心づもりをしておくために準備をしたいと思われている方など・・
 どの方も、不安を持っている事に違いはないのですが、長期のご相談で事前に全てを決めておきたいとご相談される方は、一旦お決めになられたとしても、折を見て見直しをしていただくことをお勧めしています。

 世の中の移り変わりの速度はとても速いです。5年前には珍しい事だったものが、今では当たり前のものになっていたり、最近よく聞くようになったサービスが何年後かにはすっかり無くなってしまっていたり・・・。
 また、良い葬儀社がふえているかもしれませんし、身近なところに便利な式場が新しく建つかもしれません。
 懇意にしていた担当者がいなくなってしまうことも考えられます。
 ご相談者ご自身の環境や状況も変わることがあるかもしれません。

 センターでは、長期のご相談でも一定期間は資料を保存していますので、もし、見直しを希望される方はご連絡をいただければと思います。

暑くなってきました。

 暑くなってきました。これから、夏本番に向けて、更に暑くなるわけですが、私は夏の暑さが苦手です。
 これから3か月、エアコンにかかる電気代を心配しながら過ごします。

 ご家族が入院されていたり、ご自宅で看護されている方にとっても、この暑さはかなりこたえるのではないでしょうか。
 
 病院への行き来も連日のこととなると、普段お元気な方でもかなりお疲れになると思います。

 どうか、ご看病をしているご家族の皆様も、ご自身のお身体をご自愛ください。

お清めの人数確定は当日までOK・・・?

当センターではご相談者のご要望に応じて賛同社からお見積りをお取りする際には、必ずセンターの見積説明書を添えてお出ししておりますが、ご不明な点やご要望等がございましたら、どの様な事でも構いませんので、ご連絡をお待ちしております。

 先日も見積りをご検討いただいた方から、通夜と精進落としのお食事をされる方の最終確認はいつになりますでしょうか、とのお問い合わせをいただきました。

 葬儀・告別式後の精進落としは、通常ご家族・ご親族が中心になり、前日の通夜終了後、担当者の方で最終確認を致しますので、当日大幅な違いはありませんが、問題は通夜のお清めです。

 担当者は最終的な本見積りの確定を、ぎりぎり前日までお待ちになる方が多いようですが、時として、当日に持ち越される場合も出てきます。

 当方が立ち会ったご葬儀でも、当日ご会葬の方が予想以上に多くお越しいただいた場合、とりあえず、ご喪家とご親戚の方々の分を一般のご会葬の方々に召し上がっていただき、その間、お身内の方々は読経が終わった通夜の式場で、ご住職の講話に耳を傾けていらっしゃいました。
 ご会葬の方々のお清めが終わった頃、追加のお料理が到着し、皆様何事もなかったように、和気あいあいと召し上がっていたことが思い出されます。

 お料理の手配一つをとっても、時にご苦労がお有りのようですが、ベテラン担当者の腕の振るいどころでもあるようです。

 以前「内々の家族葬で」と言われていたご葬儀に立ち合いでお伺いした折のこと、こぢんまりした式場がご会葬の方々でごった返しておりました。
 びっくりして、担当者に前夜の通夜の状況を伺ったところ、本日以上に混雑していたとのこと。

 ごく親しい友人数人の他は、ご家族ご親族のみで静かにお見送りしたい、とのご要望に合わせてお取りした会場は、人の波で立すいの余地もない程になってしまったとのお話です。

 実はお亡くなりになった方がフリーのジャーナリストの方で、ご家族の方はお仕事関係の交友を把握しておらず、友人にお知らせしたことで人づてに瞬く間に伝わり、皆さん我も我もと、最後のお別れに、取るものも取りあえずお集まりになり、家族葬用の式場はあっという間に人の波で埋まり、ご喪家の方々はあっけに取られているばかりとのこと。

 ベテラン担当者は通夜のお食事を考え、出来るだけお清めの時間を短縮させるために、柩を前に出して蓋を開け、供花のお花を切って、駆け付けた友人お1人お1人に手渡し、最後のお別れを存分にしてさしあげ、その間、出来るだけお料理を追加し、フル回転で間に合わせ何とか事なきを得たとの報告でした。

 「その為にもうちは近くの料理屋さんにお願いしているんですよ」。
 臨機応変な対応ぶりに感心しきりの当方を尻目に、ベテラン担当者は何事もなかったように、淡々とお話しされていらっしゃいました。

ご安置先は・・

 ご自宅でご安置出来ないという方のご相談で、たまにご安置中も付き添いたいと希望される方がいらっしゃいます。
 本当ならば葬儀の日まで自宅で一緒に過ごしたいと思っていても、住宅事情やご家族の状況などからご自宅には安置できず、やむを得ず安置所を利用しなくてはならない方にとって、付き添いができる安置所はとても有難い施設ですが、残念な事に、それに対応できる安置施設は数がとても少ないのが現状です。
 使用する斎場や自宅の近くにあれば利用できますが、わざわざ遠いところまでは行けないと、あきらめる方もいらっしゃいます。

 最近、葬儀社の担当者と安置についての話しをしました。
 その葬儀社さんは自社に会館があり、安置所もあるのですが、やはり夜間の付き添いには対応していません。
 複数名のご遺体を安置する安置所ではやはりずっと付き添うということには無理があり、対応はなかなか難しいとのことでした。

 以前、事前のご相談で付き添いを希望され、たまたま近隣に付き添いが出来る安置所がある環境だったのでそちらにご安置したのですが、結局夜間はご自宅にお帰りになられたと報告があったことがありました。
 
 実際、ご家族はご看病のお疲れもあるでしょうし、ご葬儀の準備もいろいろあります。ゆっくりお付き添いをするというのは現実的にはなかなか難しいことなのかもしれません。

 ご自宅に安置ができない環境の方にとってはありがたい施設ではありますが、なかなか増えない理由はたくさんありそうです。