ご自宅に搬送されてはいかがでしょうか

 事前相談を受けて、こちらからは要望を整理するための質問、相談者からはそれに対する回答、こうしたメールでのやり取りの初期の段階での途中で、「急変しまして、今亡くなりました」との電話が入ることがあります。

 受話器をそのままにしていただき、その間すぐさま葬儀社に連絡いたします。
 病院には1時間以内に到着できることを確認し、その旨を電話口に伝えると先ほどからの緊迫した空気が和み、少し落ち着きを取り戻したようです。後は搬送から火葬まで全て葬儀社の担当者が面倒をみてくれますのでご遺族は安心してお任せしていただきます。

 私どもが緊急時から見積を取る時まで必ずお聞きするのは搬送先。
 自宅か自宅以外のところになりますが、都会では自宅以外がどんどん増えているようです。
 昨今の集合住宅事情やら、地域のコミュニケーション不足等からかご遺体はご自宅を素通りして斎場の安置所、葬儀社の安置所、寝台会社の安置所等に預けられます。
 したがって、故人にとって病院に入院する時が家との最後の別れになってしまうことも、まれではなくなってきています。

 私事になりますが、10年ほど前伯父の葬儀の時自宅に戻らずいきなり斎場に安置されたことを聞き、ビックリしたのと同時になぜという疑問が残ったことが思い出されます。
 ご自宅への搬送に支障がないようでしたらできるだけ一度ご自宅にお帰り頂き、住み慣れた我が家から出発されるのも故人への最後のプレゼントにならないでしょうか。
 こうした「故人への想い」の面を説明しますと、「そうですね、そうしましたら、やはり自宅から送り出すようにしたい」と言われる方もいます。

 自宅以外の場所に搬送され、大勢の会葬者と豪華な祭壇に囲まれ、静々と執り行われる通夜・告別式がある一方で、このところ病院からご自宅に搬送され、一晩ゆっくりご家族と過ごし、翌日火葬に向われるというシンプルなケースもありました。
 質素倹約だけではない家族の繋がりが感じられ、見送り方の多様性も芽生えてきたよう思われます。

勉強

過ごしやすい季節になりました。
陽もどんどん短くなってきて、暗くなるのが早くなったなと実感します。
私は今、新しことに挑戦するために、勉強をはじめました。この歳で新しいことを学ぶというのは、こんなに大変なんだと実感しています。
過去に色々と経験してきたことだけでは全く足りない、むしろまっさらの状態からはじめなければ先に進まないような。
確かに「新しいこと」とは、そういうことなのですね。今まで怠けていた「脳」をフル回転させて頑張っています。私の「脳」も相当びっくりしていることでしょう。

最近では、自分の子供より勉強をしている気がします。

同年代の友人は口をそろえて「もう覚えようとする気力がない」とか、「せっかく覚えたかと思っても、スルッと抜ける」と言いますが、私もまったくそのとおり・・・
携帯電話やミュージックプレーヤー、テレビ、DVD…すごい勢いで新しくなっていきます。

うっかり「もうついていけない…」とあきらめるところでした。

でも、鍛えればなんとかなる! 最後まで頑張ろうと思います。

秋の夜長、とっても充実しそうです。

旅先でのご不幸も考慮して・・・。

 お彼岸も過ぎ、青空の下、思わず旅に出たくなる季節がやってきました。

 最近流行の中高年の山ガールに代表されるように、お歳を召した方々もお元気で、遠方まで足を延ばす方が年々増えているようです。

 その一方で、旅先でのご不幸をお聞きすることも多くなりました。
 最近も立て続けにご遺族の方からご相談をいただきました。
 何の準備もなく、突然にそれも遠方でのご不幸となれば、お子様達の狼狽ぶりも推して知るべしとなります。

 先日、深夜のお電話はお母様が山で遭難され、今地元の警察にご安置されているが、明朝、迎えに行くところから何とかお願い出来ないかとお嬢さんからのご相談でした。

 すぐ手配をして、葬儀社の方もお嬢さんのご要望に沿う斎場を直ちに確保し、搬送の出発を待つばかりでした。

 ところが出発寸前にお母様との面会から戻られたお兄様方の強いご意向で、急遽お兄様ご希望の斎場を持つ葬儀社さんに変更を余儀なくされ、電話口のお嬢さんも途方に暮れたご様子でした。

 また、山陰をお母様とご旅行中の息子さんは、お母様が突然倒れられ、旅先での看護もむなしく旅立たれてしまいました。
 急遽ご遺体を空輸され、ご実家近くの斎場でご葬儀を執り行いましたが、無我夢中で暫くは何も手が付かない状態でしたとお母様の一周忌にご丁寧なご報告をいただきました。

 転ばぬ先の杖ではありませんが、縁起でもないと言わずに、お元気でお出かけ前にご自身の万が一の時を考えて、エンディングノートにご希望を記載することも忘れずにしたいものです。
 書いたら後は忘れても大丈夫です。
 楽しい旅もいつ暗転するかわかりませんが、後は目いっぱい秋の夜長を楽しんできましょう。

巾着田の漫珠沙華に会いに行こう・・・。

 大型の台風一家がようやく去ったと思ったら、早くも23日は彼岸の中日です。

 暑さ寒さも彼岸までのたとえ通り、一気に秋の気配が濃厚になってきました。

 今年も日高市の巾着田に群生する漫珠沙華をテレビや新聞報道でお目にかかれるのでしょうか。

 隠れファンとしては待ち遠しい季節です。
 あの毒々しいまでに真っ赤な色調は見る人の心を惑わし、どぎまぎさせるのに十分な迫力です。

 別名、彼岸花は死人花、幽霊花とまで言われ、表向きは恐ろしげで猥雑なイメージを持ちながら、どこか人を引き寄せる力があり、かつてのアンダーグラウンドの演劇や踊りの演目に度々登場していたことを思い出しました。

 いや、もっと昔、子供心にもあまりの鮮やかな花に見とれ、土手に咲いていた漫珠沙華を摘み取り、茎の皮をむいて首飾りを作り、意気揚々と持ち帰ってしかられた思い出もよみがえって来ました。

 十数年前、友人とこの漫珠沙華の群生を見に高麗駅まで足を伸ばしたのですが、どういうわけか巾着田にたどり着けず、駅前の居酒屋で残念会をしたこともありました。

 その友人の三回忌が近づいてきました。
 お彼岸には間に合わないが、三回忌までには漫珠沙華の写真が間に合うかもしれない。

 秋の一日、巾着田の漫珠沙華に会いに行ってこよう。

見積もりをipadで見られるなんて

 カバンからおもむろにipadを取り出して、
「今度から、打ち合わせで見積もりを作るときに、これを使おうと思っています」
 とある葬儀社の人と先日雑談をしていた時のことです。

 祭壇は言うに及ばず、それぞれの商品ごとに様々なバリエーションがあります。一般的に、打ち合わせでは、それらバリエーションの中から一つ一つ選択していって見積もりを作っていくことになります。なので、葬儀社さんの担当者は、打ち合わせでは、膨大な紙の資料を持参していくことになります。

 これらの資料をデータ化して、ipad上で見られるようにして、なおかつ、それぞれの商品ごとに好きなものを選択でき、見積もりまで作成させてしまおうという試みです。

 これを見たとき正直、こんな細かいものをよく作ったものだと感心しました。
 紙で資料を整理しておくよりも電子データで一元化しておけば管理も正確で楽になると思います。

 今日、手書きメモ類を整理していて、このことを思い出したのですが、メモ類には応用できそうにない感じです。
 デジタル人間ならば、第二の脳をコンセプトにしたエバーノートにでもメモ類もどんどん放り込んで利用するところでしょう、というより最初から、そもそも手書きメモよりも電子メモのような形態にするのでしょうか。

 結局のところ、メモを書きなぐって、ある程度たまったら見返して、ほとんど捨てる、というサイクルになっているような気がします。

老人について考える

 日中は相変わらずの照り返しが続いていますが、早9月も中盤に差し掛かっています。

 9月15日と言えば『敬老の日』でしたが、いつの間にか敬老の日を記念する「老人の日」となり、肝心の「敬老の日」は第3月曜日とややこしく(?)なってしまいました。

 さらに15日からの1週間は老人週間とも名付けられているようです。
 東京都でもこの1週間は老人にとって様々な得点が与えられるようですが、中には浮かぬ顔をされている方もいらっしゃるのでは・・・。

 今年になって区役所から介護保険証が送られ、戸惑いが隠しきれない様子の友人もその1人になるはずでした。
 この一件は歳を忘れ仕事に、遊びにと没頭していた友人にとってショックは大きく、側から見ていても少々酷なように感じるほどでした。

 そんななか、一方で全国には100歳以上の高齢者が4万8千人近くもいらっしゃって、その内の87%以上が女性との報道には思わずうなずくことしきりでした。

 先日、友人はそのお1人でもある、御歳105歳のかつてお仕事仲間の誕生祝いに伺った折、「あなたを見ていると私の若い頃にそっくり、絶対長生きの相よ」と太鼓判を押されたとのこと。

 105歳の迫力にたじたじだったことをあんなに楽しそうに話す友人を見るのも久しぶりでした。

 やっと我に返ったと言う友人は、これからのことを前向きに捉えて行く一歩として、エンディングノートを求め、毎年書き改めていくと宣言していました。

中秋の名月にお願いすることは・・・。

  「昨晩の月は清々しいほどに美しく、月見団子を食べながらしばし見とれていました」と朝方、友人からメールが届きました。

  今年は6年ぶりに中秋の名月が満月になったとのこと。
  兎の餅つきを連想させるお月さんを無心にながめ、願いごとを姉妹で話していた子供の頃を久しぶりに思い出しました。

  いつの間にか都会生活では空をゆっくり眺める習慣も無くなりましたが、故郷では縁側にススキやお団子や小芋などをお供えした風習は続いているのでしょうか。
  野菜嫌いな私もお供えをした小芋だけは大好物だったことを思い出しました。

  今年は例年になく昔からの習わし一つひとつが気になります。

  一個人の問題ではなく、日本のあるべき姿をもう一度再確認したい気持の高まりが、全国あちこちから沸き起こって来ているように感じます。

  3・11の未曾有の大災害はある意味もう一度、じっくりと日本を見直し、残すべきものをしっかり残しておこうという機会を与えてくれました。

  その地に古くから伝わる行事を改めて見直したり、長老に我が家のしきたりを伺ったりと、伝統行事が全国各地で盛んに取り上げられたのも今年の夏の特徴のようでした。
 
  それは丁度、各人のアイデンティティーを確かめているようにも感じられました。

  今朝の新聞には陸前高田の松林で1本だけ残った松が、満月の明かりに照らされて、必死に生きようとガンバって立っている姿が載っていました。
  前途多難の松ですが、何とか持ちこたえられるように、お月様にお願いしておきましょう。

十五夜

つい昨日まで、天気が良くても風が涼しくて、もう秋だな・・と思った矢先、今日はジメジメ、また夏が戻ってきたようです。しかし、夜の空は秋の気配が。
 空気が澄んで、月がきれいに光っています。十五夜に向けて、月が少しずつ丸くなってきました。
 今年の十五夜は9月12日。この日は満月にあたりますが、十五夜の月が満月になるのは6年ぶりだとか・・
 私は今までずっと「十五夜=満月」と思い込んでいました。(旧暦の8月15日にあたる日(新暦で9月の中ごろ)は月の真ん中あたりで、満月に近い形になっているからですね)今年は月見団子を作ってお供えしてみようか…
お供えが終わったら「みたらしあん」をからめて「みたらし団子」にしていただこうと思います。雲に邪魔されず、きれいな満月が見れるといいですね。

 ちなみに来月は10月9日が十三夜にあたります。十三夜は成功や財運に恵まれるといわれているそうで…。この日もお団子をお供えして、しっかり拝んでみようと思います。

この夏、スイカを食べずに終わってしまいそうですが、先日、梨をいただきました。
とても甘くておいしかったです。

気配り

最近のご葬儀後のアンケートやご報告いただいたお手紙の中では、「気配り」に関する事柄が多く取り上げられ、目立ってきているようです。

 悲しみで他の事が考えられないような状態の中、担当者を始めとしたスタッフのちょっとした心遣いに勇気付けられ、ふと我に返って気を持ち直された経験をお持ちの方も多いのでは。

 しかし、時としてこの気配りが意外な方向に行ってしまうこともあるようです。

 その1例として、柩へのお花入れの際、葬儀社のスタッフが腰を落ち着けてゆっくりと最期のお別れができるよう、柩脇にイスのご用意をしたのが、ご喪家にとっては徒になってしまったようなケースもありました。

 「ご老人や足の不自由な方がいらっしゃる場合を除き、遺族は悲しみに没頭したいと思いますので、ご配慮はありがたかったのですが、とても気が散りました」とのご報告いただき、その場の配慮が足りなかったことを大いに反省させられました。

 しかしながら、ご会葬者お一人おひとりのお気持に沿いながら、常に配慮を怠らないように気を配るのには、矢張りベテラン担当者に1日の長があるようです。

 長年この仕事に携わってきた担当者は常に気配を感じ、ご会葬のどの方がどのような状態でいらっしゃるのかを常にチェックしながら、さりげなくイス一脚を勧めるタイミングまで心得ていらっしゃるとのこと。

 ご葬儀立会いで伺った時の手際のよさには、側から見ていてもさすがと思わせるものがありました。
 後方片隅でお立ちになっていた白髪の老紳士の一瞬の笑顔がご会葬の方々を代表しているようにも感じられたほどです。

最期

 「見積りはファックスか、郵送どちらにしましょうか」
 「お母さん、どうしよう。ファックスの方が早いわよね。じゃあ、ファックスでお願いします」

 事前相談とはいえ、電話口の方の受け答えにはまだ、余裕さえ感じられました。
 数時間後、その見積りが必要になるとは御家族どなたも想像さえできなかったのでは・・・。

 ご葬儀の相談をしていると、このようなことが度重なって起こることがあります。

 中には御本人様の体調が安定してきたので今日退院され、ご自宅に戻られたのでご相談の続きをされたいと、半年ぶりに依頼者のお嬢さんからメールを頂いたその晩、急変され旅立たれた方もいらっしゃいました。

 「私も本当にびっくりいたしましたが、あさがおさんとは何か見えない糸で繋がれている様な不思議なご縁を感じました」
 後日、お嬢さんからご葬儀のご報告と丁重な御挨拶をいただいたのは、言うまでも有りません。

 また、ご自身の最期を感じ取り、側から見ればお元気そうなのに、ご自身のご葬儀の相談をされ、1ヶ月後、後を任されたお兄様からご連絡をいただき、にわかに信じられない思いにさせられたこともありました。

 当方とはメールでのやりとりでしたが、あまりに落着いたしっかりした文面に、時としてどなたのご相談でしたっけ・・・と、思わず読み返してしまうほどでした。
 
 葬儀社の担当者は1週間前にお会いして綿密なご相談をされたばかりとのことで、笑顔が思い出され、同年代として思わず込み上げてくるものありますとしみじみおっしゃっていました。

 人間、一人ひとり、最期っていつ来るのでしょうか。

 東日本大震災から間もなく半年が過ぎようとしています。
 今年の夏は「寿命」のことが走馬灯のように、いろいろと思い巡らされました。