夏から秋へ…

 ここ数年、9月に入っても残暑がとても厳しく、9月はまだ「夏」なのか?と思わせるほどでしたが、ここ数日は朝・晩、日中でも日陰ではずいぶん涼しくなり、とても過ごしやすくくなってきました。

 この夏は海やプールにも行かず、かき氷やすいかも食べずに終わってしまいそう。「夏」らしいことを全くしなかったな…と少し後悔しています。

 9月に入ってすぐ、ちょっと遅い「夏休み」の予定なのですが、大型の台風が近づいているとか。今現在の情報では2日には関東に上陸の恐れもあるそうで…
 台風がそれてくれるのを期待して計画をそのままにするか、予定を少しずらすか迷っている最中です。  
 台風による被害も心配です。

 このまま「秋」に突入するのか、それとも、また「夏」に逆戻りするのか…
 とりあえず、明日あたり、急いで「すいか」を食べようかと思っています。

式場の良し悪しは関係スタッフの気持の持ち方で決まってしまう・・・。

 「ただでさえ悲しい思いをしているのに、本当に辛かったです」

 女子トイレで休憩している式場関係者の会話が偶然耳に入り、それが自分達に向けられた遠慮の無いおしゃべりと気が付くまでに少々時間を要するほどだったようです。
 
 その地域では立派な式場として、名が通った斎場での出来事でした。

 生前からのお父様の希望で何の迷いも無く式場を指定されたが、終わってみればもう2度と利用したくないとかたくなまでに思い込まれたほどでした。
 それまでの事が完璧なまでにスムースに運び、大役を果した安堵感も一気に吹き飛んでしまわれたようです。

 また、老舗葬儀社さんの自社ホールでのご葬儀をご紹介したケースでも、屋外の吸殻いれを囲んでスタッフが喫煙・談笑しているところに喪主の方が出くわし、通り過ぎても笑顔が改まることがなく、非常に残念な気持にさせられたとのご報告を頂いたことがありました。

 普段の生活では何気ないことでも、ことご葬儀に関してはやはり気配りが足りなかったようです。

 一方、都内の少し年期の入った式場に伺った時には、御出棺の後、お客様をお見送りされるや否やスタッフが一斉にエプロン姿になりお掃除に取り掛かり始めました。

 「毎回ごとにお掃除をして綺麗にしています。それがこちらの特徴なんですね」。
 年長の方の明るい御返事にお掃除の手を休めずに皆さんにっこり頷いていました。
 てきぱきとした動きに辺りの空気まで清められていくように感じられました。

 どんなに著名でも、また立派な建物を持った斎場でも、担当される方々の行動や気持如何で満点にもマイナス点にもなってしまいます。
 ご葬儀に携わっている人達一人ひとりがご葬儀のことを思い、どれだけ考えて行動しているかが常に問われる場でもあります。

 斎場の空気はリトマス試験紙のように常に皆様からの診断を仰いでいます。

 「残暑お見舞い申し上げます」のはずが、一気に涼しくなり、ここ2〜3日はご葬儀の黒服姿も苦にならなくなるほどです。

 今年の夏もご葬儀では様々な人間模様を知る機会を得ましたが、嬉しい出来事もありました。

 初めはお姉さんに顔を見るのも拒否された弟さんでしたが、49日も過ぎ、無事三途の川を渡ったことでしょう。

 「警察から遺体を引き取って火葬にしてお骨を預かってくれる葬儀社さんを紹介してください。後でお骨は取りに行きますので・・・」深夜いただいたお電話に思わず・・・。

 20年以上も音信不通の弟さんの死を警察から知らされ、戸惑いが隠しきれないご様子です。

 「顔も見たくないし、だいいち主人にも弟の存在すら話してないので、私の貯金でやるしかないんです」
 
 弟さんの為にもこの切羽詰った状況をなんとか打破してあげなければ・・・。

 ことの次第を話して、センターの賛同社にお願いすることになりましたが、こちらもいっしょにすがるような気持でした。

 2日後、葬儀社さんからの報告は、なんと翌朝東京近郊からお嬢さんとお2人で葬儀社に駆けつけ、一緒に御遺体を引取りに出向いたとのこと。

 さらに翌日の火葬式には御主人と3人のお嬢さんも参列し、無事お見送りして、大事にお骨を抱えてお帰りになられたご様子まで伺いました。

 「49日には菩提寺に納骨します」とおっしゃっていたというお姉さんの晴れ晴れとした顔が目に浮かぶようです。

 案ずるより生むが易いではないが、こちらまで胸のつかえがいっぺんに下りたような気持です。

 今年は3・11以来「絆」という言葉が巷に溢れています。
 お姉さんにとっての「きずな」にはどんな思いが託されているのでしょうか。

スタッフ紹介

(松) あさがおアドバイザー(葬儀相談員)・松山悦子
matsuyama.jpg センターが設立間もない頃より、葬儀相談員として参加しております。
人生の急を要する電話に、何とかしてあげなければと気持ちばかりが空回りした当初の応対から、最近は大分ゆとりが出て参りました。
 ご依頼者からの相談業務以外にも、各賛同社を回り葬儀に対する熱意の程を伺ったり、実際にその熱意がどの様に活かされているか、現場での担当者の施行に立ち会っております。
短期間にご喪家のご要望をキャッチし、いか程の信頼を得ているか、立会い現場で傍から拝見しているとよく分かります。一連の式の良し悪しも担当者の気配り、臨機応変の対応、仕事への取り組み方で大きく左右されます。
 お蔭様でご依頼者からは「色々相談に乗っていただき大変感謝し、葬儀社の仕事ぶりにも満足しています」などとお褒めの言葉をいただいております。緊張の中でホッと安心したような表情をお見せになると、こちらもつくづくご紹介して良かったと思います。
 時には、その場で「是非、ご寄付をしたいのですが」と申し出る方もいらっしゃいまして、思わず「後日センターの方へご連絡いただければ」と申し上げるハプニングもありました。
 それぞれの最期をどの様な形でお送りできるのか、どの様にしたら少しでもご遺族の方々のお力になれるかを、日々検討課題として取り組んでおります。ぜひ、ご相談下さい。

(本) あさがおアドバイザー(葬儀相談員)・松本明子
matsumoto.jpg いざ葬儀のことを考えなくてはならない状況になったとき、何をどう聞いたらいいのか、何をしたらいいのかがわからず、漠然と不安を抱えてしまう人は多いのではないでしょうか。
 人によって環境や考え方は様々で、抱える不安の内容もそれぞれ違いますが、少しでもその不安を取り除けることができればと考えています。
 大切な人を送らなければならない人と、故人様や残されたご遺族のために一生懸命になってくれる葬儀社さんとがよりよい形で繋がるようにサポートさせていただきます。

(道) あさがお葬儀社紹介センター代表者・有賀知道
aruga.jpg 「世間の相場はどれくらいなのでしょうか?」。冷静な状況にはない依頼者が、つい、葬儀社の担当者に聞いてしまいそうな質問です。葬儀業界のからくりを描いた『葬式の値段にはウラがある』(黒木昭雄著/草思社)の中に書いてありますが、これは依頼者がもっとも聞いてはいけない質問だと指摘しています。
 なぜなら、「私は何も知りません」と告白しているようなものだからです。これを聞いた、葬儀費用のつり上げようとする業者なら「葬儀代金に上限はない。すべて、業者と遺族の駆け引きできまる」と笑いが止まらなくなってしまうのです。
 われわれに対しては、質問のタブーは何もありません。「こんなこと聞いたら恥ずかしいかな?」「こんなこと聞いたら無知をさらけ出してしまう」「こんなこと聞いたら・・・」、何の心配もいりません。何でもお聞きください。

御社を選んだほうがいい理由は何ですか?

「御社の特徴を簡潔に言うとどのような感じになりますか?」
葬儀社さんとの初面談でする、大事な質問の一つです。

「そうですね、・・・・・」

簡単そうな質問ですが、明快に答えてくれるところは案外少ないです。あまりにピントがずれている答えだったり、沈黙が長いと耐えられないので、言い方を変えて質問をしてみます。

「多くの葬儀社さんがある中で、御社に仕事を依頼すると喪家にとってどんなメリットがあるのでしょうか?」とか、
「ほかの葬儀社さんよりも、御社を選んだほうがいい理由は何だと思いますか?」

この質問を通して探りたいのは、マーケティングでいうところのUSP(ユニーク・セリング・プロポジション)です。
これをある程度把握できないと、相談者からのさまざまな要望に、より適した葬儀社を紹介するのは難しくなります。葬儀社さんそれぞれを、当センターの中でのポジション付けをするだけでなく、市場の中でのポジションを整理しておくことは大事です。

といっても、葬儀という同じようなことをやっているので、そう簡単にはUSPなんか作れるわけないだろう、という声も葬儀社さんから聞こえてきそうです。
たしかに、その通りかもしれませんし、実際、自ら意識的にUSPに取り組んでいるところにも、あまりお目にかかれません。

別の言い方をすると、差別化ということでもあります。
皮肉家に言わせれば、全体から見れば、細部の差異にフォーカスして、差別化と騒いでいる、ということになるのでしょう。
「細部」だからどうでもいい、とやるのか、「細部」なところにもエネルギーを注ぐのかで、以後の発展には相当違いが出てくるのではないでしょうか。以前、松下幸之助翁の「神さんのデザイン」という話を聞いてそう思いました。
この話は、家電のデザインにとどまらず、「地域再生のグランドデザイン」ですとか、「復興のグランドデザイン」「国家戦略のグランドデザイン」のようなものにまで示唆に富むと思っています。以下に引用してみます。

――――― 昭和30年ごろ、テレビの新製品を出すに先立って、役員会が開かれた。テレビ事業部の担当者が、5、6台のテレビを持ち込み、検討が始まった。みな新しいデザインの新製品である。重役の一人が、1台のテレビを見るなり言った。
「なんや、このブタみたいなデザイン!」
担当者にも言い分がある。
「テレビというのはブラウン管がありますから、それに制約されて、あとはつまみと若干の飾りだけで、どうしても同じようなデザインになってしまいます」
聞いていた幸之助が、ふいにこんなことを言いだした。
「地球の人口は今何人や」
「……」
「25,6億人おるのとちがうか。それがみな、違った顔をしてるわな。これだけの同じような大きさのなかで、部品もみな同じやけど、顔はみんな違うで。神さんはうまいことデザインしはるな」
担当者は“神さんのデザイン”という言葉に、頭を殴られたようなショックと恥ずかしさを覚えた。そして、事業部に戻るやいなや改めて検討を開始したのである。―――――

今年の送り火騒動を思うと・・・。

風にあおられ、急に勢いを増したり、消えそうになったりと、送り火のリレーはその都度大騒ぎでした。

 5年前の母の新盆では送り火を運ぶため、にわか徒競走が始まりました。
「しっかり持って頂戴」と送られる当の母に叱咤激励されながらも、2度3度と順番が回ってくるに従い、風向きを配慮する余裕も出て、門口までたどり着いた時は、息を弾ませながら一汗かく始末でした。 円陣を組んで送り火を囲み、残り火が消えるまで、炎を見つめ、語らい、そのゆったりとした時間の流れと、母との新たな連帯感ができたような安堵感は、今でも思い出の中にしっかり刻み込まれています。 そんな新盆への思いを持つ者にとって、今年の降って湧いたような送り火騒動には戸惑うばかりです。 津波でなぎ倒された陸前高田の松で作った薪に被災者がメッセージを書き、京都の大文字送り火で燃やす計画が二転三転し、挙げ句中止されてしまいました。 当の被災者は置いてきぼりにされ、周りが空騒ぎした挙げ句、風評まで撒き散らしかねない有様です。 静かな祈りを捧げている地元の被災された方々のお気持をもう1度各人考えてみようではありませんか。

猛暑で思い出した「魔法使いのおばあさんの人生とは」

 うだるような暑さ続いています。
 傍らの新聞をめくると、スペイン映画の「ペーパーバード 幸せは翼にのって」のタイトルと内戦で家族を失った舞台芸人の話に目に止まり、突然、数十年前のスペイン・アンダルシアの8月のことが思い出されました。

 そうです。連日42〜3度の猛暑が続くグラナダの町で出会ったベルダさんのことを。

 グラナダ在住の日本人の間では通称「魔法使いのおばあさん」で通っていたベルダさんは、成程ほうきにまたがればそのままイメージを彷彿させてくれそうな方でした。

 そのベルダさんがかつて人民戦線でスペインを代表する詩人ロルカと共に、銃を持って戦った筋金入りの闘士だったとの噂を聞き、何とかしてそのあたりのことをお伺いしようとしたが、そのことに関しては頑として口をつむぎ、静かに微笑むだけでした。

 ゆったりとイスに腰掛けている老婦人の周りは、猫達がのんびりくつろいでいる他に音も無く、まるでそこだけ幾十年も時間が止まってしまったような錯覚を覚えるほどでした。
 しかし、寡黙が全てを語っているような存在感のある姿に圧倒され、時間を暫し共有させていただいたのが、昨日のように思い出されます。

 その年の11月、長年のフランコ独裁政権はフランコの死によって、幕を閉じました。

 壁に耳あり、障子に目ありの生活から開放された方も多かったのでは・・・。
 ベルダさんのお気持はどんなだったのでしょうか。
 90年間のベルダさんの歴史も、今でしたらきっとお話していただけたのではと、・・・・。

「おはようございます」

 先日、家のそばの道路で見慣れない小学校低学年くらいの女の子に「おはようございます」と、突然挨拶をされました。私も「おはよう」と返すと、その女の子は続けて「どこに行くんですか?」と。
 休日だったので、諸々の用事があって出かけるところだったのですが、つい「お仕事に行くの」というと、かわいい笑顔で「頑張ってください」と返されました。「ありがとう」と返事をし、その場を離れた後、なんとなく、モヤっとした罪悪感が。

 その女の子は別段私の行動に興味があって聞いてきたのではないと思うのですが、「お仕事」とウソを言ってしまったこと。

 少し後悔しました。
 素直な気持ちのいい挨拶をしてくれた子に対して、ちゃんとお話しに参加してみればよかった。

 後日、同じマンションに住むお宅の娘さんだということがわかったのですが、その子のお父さんは毎朝元気に気持ちのいい挨拶をしてくれる方でした。知らない人にはかかわらないように…と、つい思ってしまう時代ではあるかもしれませんが、気持ちのいい挨拶は、人とのつながりや助け合いの基本ですね。わかっているつもりでいても、なかなかできなかったり、面倒だったり…
 その女の子のおかげで再確認することができました。

もっと知りたかった、母の歴史を!父の歴史を!

 「父の知らない一面を知ることが出来ました。有難うございます」
 青春を共に過ごした旧友達から、一斉に思い出話を聞かされて、家庭の父とは別の顔を持つ父が存在していたことに、喪主の息子さんは初めて気付かされたようです。
 
 ご葬儀の御挨拶ではこんな場面を幾度となくお見受けします。
 気が付けば、親とは改めて向かい合って、話し合ったという記憶がない方が多いのでは・・・。
 まして、どのように生き、どう死にたいのか、最期をどう迎えたいのか生前にご両親とじっくり話し合われた方は少ないのではと思われます。

 後になって聞きたかったこと、知りたかったことが山ほど出てきます。
 お元気なうちに意識して機会を作り、じっくり話し合っておきましょう。

 先日観たメキシコ映画「グッド・ハーブ」では、それまで母とはお互いに距離を置いて生活していた娘が、若年性アルツハイマーと診断された母との人生を振り返り、残された時間を共に過ごして行くことになりました。
 濃密な時間の流れの中で、やがて植物学者である母の望む生き方に気付き、母の最期を迎えることになります。

 映画のキャッチコピー「もっと知りたかったあなたのことを!母の歴史を・・・」をそのまま皆様にお裾分けしたい気持です。

 てもとの新聞を広げると、商品のインタビュー記事が目に付きました。
 「ビデオカメラを買ったら、お子様よりもお父さんお母さんを撮ってください。かけがえのない贈り物になりますから」と・・・。

蓮の花に託す思いは・・・。

 鎌倉の鶴岡八幡宮の源平池は、いつの間にか白とピンクの大輪の花で埋め尽くされていました。

 少し前までは水面がかなりの面積を見せていたのですが、あっという間に葉が茂り、花が咲き、その生命力には驚かされます。

 今年も蓮の花の季節がやってきました。

 早朝一斉に開くと言われている大きな花びらを見つめていると、包み込まれるようなおおらかさが感じられ、何か願い事がかなうかもしれないと、希望が湧いてきます。

 蓮の花はすでに古代エジプトでも「神聖な花」として珍重がられ、一説には1億4000年前に存在していたとまで言われています。

 途方も無く長い間生き延びてきた生命力とたった4日の花の命の短さは、大自然の中で生きる人の命のはかなさを象徴しているようにも感じられました。

 蓮の花には「救ってください」との花言葉もあると聞きました。
 今年の蓮の花には沢山の人の特別な思いが込められているのでは・・・。