きゅうりやナスの精霊馬、知ってますか?

 お盆とは、仏教の盂蘭盆会(うらぼんえ)を略したもので、語源は梵語(ぼんご)の「ウランバナ(ullanbana)」、直訳すると「逆さ吊り」という意味を持つそうです。

 お釈迦様の弟子が、亡くなった母親が餓鬼道に落ち、逆さに吊るされている様な非常な苦しみを受けているのを知り、何とか救おうと、お釈迦様にお願いしました。そのお導きで多くの僧を招いてご供養の大布施をした甲斐あって、母親は餓鬼の苦しみから逃れる事ができ極楽往生が出来たそうです。

 このようなもともとの意味はともかく、今は祖先の霊を祀る一連の行事がお盆と言って差し支えないと思われます。仏教的な意味合いだけでなく習俗や地域の風習などが混ざり合って、今のような形になってきたようです。

 地方によっては、故人の霊魂がこの世とあの世を行き来するための乗り物として、「精霊馬」と呼ばれるきゅうりやナスで作る動物を用意するところもあります。(他の地域のことを知らないと、きゅうりやナスの精霊馬が日本のどこでも行われていると思ってしまいますよね)

 私の生まれ故郷の遠州地方では、新盆を第2のお葬式と呼んでいます。新盆を迎える家の庭先で大念仏供養を行います。地元では「とったか」と呼ばれた「遠州大念仏」です。

 記憶の中では、遠くから太鼓や笛の音が聞こえ、その音が段々近づいてくるのをわくわくしながら待っている。やがて庭先に集まった花笠を背負った男衆が電球の明かりに照らし出され、総勢30人以上で勇壮活発に太鼓を叩きながら乱舞する様が思い浮かびます。
 

暑いときに出てくる冷たいお茶は何ものにも代え難い

 葬儀ではデリケートな状況の中で、気配りや思いやりの心遣いが高度に要求されるます。葬儀社の行う業務は究極のサービス業とも言われる所以です。普段は気にならないようなことでも、状況が状況名だけに、担当者の対応いかんでご喪家側を苛立たせてしまうことにもなりかねません。

 火葬場で、葬儀社の人がご喪家とトラブルを起こしている姿をまれに見かけることがあります。火葬場の人の話では、だいたいトラブルを起こしている社は決まっているようです。

 トラブルとは逆に、葬儀社の担当者が見せる、小さな心遣いやサービスにも思わぬ感動があるようです。

 神社境内の耳を劈く様な蝉時雨の声と太陽が照りつける雲一つない炎天下、先程まで冷房がきいた室内にいたとは信じがたいほどの暑さに頭がくらくらしてきます。

 今年の東京の夏は、例年にも増して厳しい暑さに見舞われています。

 以前、お伺いした告別式では出棺をお見送りした会葬者に冷たいお茶のサービスがありました。

 控室にあてがわれた境内の客殿前には葬儀社の取り計らいでお茶のセルフサービスのセットが置かれ、皆さん思わず駆け寄りのどを潤していらっしゃいました。
 緊張し乾いた喉への一服の清涼剤はおもわぬ効果が発揮されたようです。最後のちょとしたサービスで葬儀に出席した印象もガラッと変わります。
 

お参りしたい人の気持ちを酌んであげることも大切・・・。

 最近は家族葬を希望される方が多く、都会ではいつの間にか市民権を得てしまったかのようにも思えます。
 センターにいただく事前相談でも、ご高齢だから、ご近所とのお付き合いも殆どありませんので等の理由から御家族・ご親族のみ内輪の人間だけで静かに見送りたいと希望される方が多く見受けられます。

 しかし、ご両親の最期が近づくにつれ、万が一の時はと決めていても、「はたしてこれでよいのだろうか」と決心が揺らぎ始め、残された時間との格闘に頭を悩まされる方も多いようです。
 それでもお話をお伺いして行くうちに揺らいでいたご相談者ご自身の考えも次第にはっきりしてきて、思わぬ方向に発展して行くこともあります。

 少し前に頂いたお便りの中で、その心の揺れをリアルにお話され、親子の絆を強く印象づけたご報告に今でも忘れがたいものがありました。
 メールを頂いた時点では、まだご存命のお父様の相談に罪悪感すら覚えていらしたとのことですが、それでもその日のために御家族4名様だけでお見送りしたい旨のご相談をされました。
 ご相談者は「ご家族だけで」というお父様の意思を尊重しそのつもりでいらっしゃったのですが、当センターのホームページの「お参りしたい人の気持ちを酌んであげることも大切」のくだりがずっと頭の片隅にこびりついた状態で、ご相談のやりとりを始められたようです。
 こちらの質問にお答えになり、近親者の率直なお気持を伺っているうちに、お父様のご意思も病弱なお母様のお体を慮ってのことと思いに至り、参列者もご家族に加え13名ほどになりましたとの途中経過の報告を頂きました。

 それから間もなくの通夜の夜は遠方からのお客様も多数駆けつけ、斎場の広い和室に貸布団を敷き詰め、合宿所のような雰囲気の中で、お父様が皆を一層仲良くさせてくれたような思い出深い一晩を過ごされたようです。
 お別れしたい人だけが集まってくれた涙も笑いもあるご葬儀になりましたとしみじみお話されました。通夜、ご葬儀共会葬者は30名ほどになりました。

「残された家族がどれだけ気持に余裕を持っていられるか」で参りたい人の気持ちを受け止められるかが決まると実感され、全てが過ぎ去る前にそう気付かされたおかげで、一生の悔いが残らずに済みましたとのご報告でした。

ご葬儀はご親族の近況報告の場でもあるのです。

 東京から少し離れた地域の方からのご葬儀のご報告には、時として都会の人達が忘れがちになっている地縁血縁の絆が感じられます。

 先日茨城からいただいたお便りもその1つでした。
 故人様は茨城出身ですが東京在住の方でしたので、ご葬儀は都内の斎場で神道にのっとり、古式ゆかしく厳粛に執り行われました。

 ところがお便りをいただいたご喪家の方は、仏式のご焼香に当たる玉串奉奠の時、司会者の方がご親戚のお名前を仰らなかったので、茨城からご会葬にお見えになった方々が拍子抜けされたのではと心配されていらっしゃいました。
 ご当地ではごく普通に言われているので当然のこととして、打ち合わせの時に特に気を使うこともなかったのが悔やまれたご様子。
 ご親戚の方々のお名前をわざわざご家族ごとに「○○様御家族ご一同様」とお呼びするのは普段顔を合わせる機会が少ない方のためでもあるのです。
 血縁者が一同にお集まりになり、お名前を呼ぶことで「どこの誰か」かがよく分り、ある意味、各ご家庭の近況報告の場にもなっているようです。

 ご葬儀は悲しみの極みではありますが、ご親族の方々は普段気付きにくい自身の存在を再確認でき、新たなエネルギーを貰う場でもあるようです。
 ともすると、最近の傾向としてできるだけシンプルにシンプルにと流れがちですが、時折立ち止まり、以前からの風習にも耳を傾け、周りを見渡しつながりを大事することも必要かと思われます。

旅行中に帰らぬ人となった時は・・。

 学校や職場も夏休みに入り、各行楽地は親子連れで賑わっているようです。
 お子様ばかりでなく、親孝行はこの時とばかりにご高齢のご両親をお連れしての夏休み旅行を計画されていらっしゃる方も多いのでは・・・。

 昨年夏、お元気なお母様と久しぶりの山陰旅行された方は、観光地を散策中に突然お母様が脳内出血を起こされ、直ちに救急病院に運ばれましたが意識不明のままお医者様からは回復の見込みのない旨を告げられました。
 慌ててインターネットで当センターを検索され、ご連絡をされたとの事。
 万が一の時の準備をとのご相談ですが、お気持は「ご自宅に帰してあげたい」一心のご様子でした。

 遠方の場合、万が一の後ご当地で荼毘に付される以外は、ご自宅に搬送する必要が出てきます。
 搬送方法としては搬送車でそのままお帰りになられるか、最寄りの飛行場から空輸でのご帰宅になります。
 搬送車では出発時間の制限がありませんし、ご遺体を柩に入れずにそのままの状態でも運べますが、遠距離の場合かなりの高額になります。
 一方の空輸では最寄りの空港までご遺体を搬送する前に、到着する空港に迎え出る葬儀社を決めておき、スタンバイしていることが条件になります。ご遺体は柩に入れた状態での搬送で、貨物扱いになりますので、貨物便がある飛行機に限られたり、飛行時間内等の制約がありますが、搬送車との金額の差は歴然です。

 一生懸命頑張られたお母様は1週間後無言のご帰宅をされ、大勢のお友達に見送られての旅立ちとなりました。
 あまりの突然の出来事に、心の中の整理がなかなかつかず、ようやく1周忌のご報告ができましたと旅をご一緒された息子さんからご丁寧なお手紙を頂きました。

 旅行中の病気や事故は思いがけない時にやってくることをいつも頭の片隅に置いておく必要もあるようです。
 今日もまたスイスで観光列車の脱線事故に日本人旅行者が多数巻き込まれ、亡くなられた方も出てきているとの報道がなされています。

 謹んで、ご冥福をお祈り申し上げます。

ご葬儀と一緒にお墓の問題も・・・。

 朝のテレビの画面では墓石の山が無残な姿で大写しされていました。
 墓石の文字を消さなければ産業廃棄物としても処分できず、2トンもの墓石が不法投棄され、地元の困惑ぶりが話題になっていました。
 石材店に問題がありますが、背後には無縁仏の処理の問題等も含まれ複雑な様相も覗かせています。

 ご先祖様が静かに眠るお墓も時として騒動の渦中に巻き込まれ兼ねないようです。
 お墓の問題はまたご葬儀と直接・間接に結びつき、最近ではお受けする事前相談でも事後の問題としてご葬儀と一緒にご相談に乗ってほしいとのご希望をいただくことも度々です。
 中には改葬を希望される方もあり、その原因は菩提寺とのトラブルの悪化から宗派を間違えた購入まで様々です。

 最近お受けした相談でも、お父様が購入された寺院墓地の宗派が間違っていたことが判明し、買い替えたいとのこと。お父様の万が一の時と合わせてご相談できるところをご希望されていらっしゃいました。
 一般的にはお墓を購入しても住宅とは違い、土地を所有されたということではありませんので、更地にしてお寺にお戻しすることは出来ても、買戻しは難しいようです。
 ただし、まだどなたも納骨されていないので、お寺さんとの交渉次第で事態は変わってくるかもしれません。
 事程左様に改葬1つ取り上げても、一筋縄ではいかない場面も出てくるようです。

 16日はお盆の送り火がおこなわれます。お盆にいらっしゃったご先祖様皆様が無事お墓にお戻りになられますように・・・。

新盆は2度目のお葬式とも言われています。

 今年も早、お盆を迎える季節になりました。お盆と言えば同義語の様に使われた行事で「とったか」という風習が我が故郷の遠州地方にはまだ残っています。

 お盆の期間全国各地様々な行事が執り行われると思いますが、この「とったか」と新盆のお宅の豪華な祭壇飾りには、他からいらっしゃった方々も何事かと目を見張ることが度々あるようです。
 お葬式の祭壇以上に華やかな飾りを施し、祭壇両脇を籠盛がずらりと並び、お葬式に参列された方はこの間「盆義理」と称して再び新盆のお宅にお伺いし、お線香を手向けます。
 お盆行事を大事にし、新盆は2度目のお葬式とまで言われるゆえんです。
 迎え火から送り火まで何軒もの新盆に伺う親戚の方々はお互いに日時を調整しながらのお集まりになり、車を待たせて新盆のはしごをされるご年配の姿も年中行事化されてしまっているようです。
 
 かつて、新盆のお宅には軒並み笛・鉦の音に合わせて太鼓を勇壮活発に踊るように打ち鳴らす一団が訪れ、故人の供養をされていました。
 しかし、昨今は依頼されたお宅だけを訪問するようになり、マイクロバスが庭先まで乗りつけ、マイクロバスでお帰りになってしまわれるとのこと。
 数十年前、小学校3年生の時の祖母の新盆が思い出されます。
 1度だけ出会った「とったか」のインパクトは鮮烈でした。
 この「とったか」も正式名称「遠州大念仏」と称されるようになって久しくなりました。
 いつまでも郷愁に浸ってばかりはいられないが、それでも風に乗って遠くから聞こえてくる鉦、笛や太鼓の音が次第に大きくなり、庭先でクレッシェンドになっていく醍醐味をもう一度味わいたいものです。

白檀の仏像にお会いできたら・・・。

 「白檀の仏様って良いと思わない・・・。今度会いに行きましょうよ」電話口に友人の弾んだ声が響きます。
 白檀ってあの甘い香の・・・。とっさに、仏像と甘い香が結びつかなかったが白檀の仏像は古くから貴重なもので尊ばれているとのこと。

 1人住まいの友人がかつて大枚をはたして手にいれた、巾1m以上もある信楽焼きの陶板の落ち着き先を思いあぐねていた矢先、新聞でお寺が全焼した記事を見て、ここだと直感し、早速に連絡を取ったのが事の発端でした。

 やがて一度は全てを失い周りの方から有形無形の助けをうけたご住職は、再出発にあたり皆様のためにもとインドまで出向き、これぞと思う白檀を手に入れ、やっと気に入った仏像を完成されご安置できた喜びを友人にご報告されたようです。

 扇子やお香、またはハーブのアロマオイルから想像する甘いかぐわしい香が静寂なたたずまいの仏像にどんな息を吹きかけてくれるのだろうか。秋にお会いできるのを楽しみにしています。

 白檀の香はリラックスをもたらし、深く瞑想する時には欠かせないとも言われ、正倉院の御物の白檀は悠久の時を経て今も香り続けているそうです。

リピーターの輪が広がれば・・・。

 当センターも設立7年目を迎え、ご葬儀のリピートを頂く機会が増えてまいりました。
 担当者の1人と致しましては、この輪がさらに大きくなることを願っています。

 実際のご葬儀に関しましては事前に又は事後にご相談を頂いてから無事執り行われた後まで、賛同社の担当者から逐一報告を受け、進行状況の確認はできていますが、ご喪家側の本心まではなかなか推し測ることが難しく、通常は一段落したところでお願いするアンケートを待つことになります。

 勿論、ご葬儀を終え、お疲れのところご自宅に戻られるや何をおいてもご報告をと、ご連絡を頂きスタッフ一同胸を熱くする場面もありますが。

 アンケートでは「次回も是非同じ葬儀社の方で」とか「知り合いに推薦しておきました」とのご回答頂き、中には早速のご紹介で新たなご相談をお受けすることもあります。
 このようなリピートは賛同社共々気持が引き締まると同時に、地道に活動しているスタッフにとりましては大いなる励みになっています。

 先日も賛同社から「以前ご葬儀を担当したご喪家からご親戚のご葬儀をお願いできないかとのご相談を受けたが、ご親戚のお住まいが少し離れているので、そちらの地域の賛同社の推薦を是非に」という報告を受け、ご親戚にご連絡をさせていただきました。

 センターを軸に賛同社とご喪家との繋がりがさらに新たなる繋がりを作っていくような、そんな予感が感じられます。

「キリスト教は帰天ですよ」

 「没ではなく、帰天ですよ・・・」
 間もなくお母様の仏式でいう3回忌を迎える知人は、石屋さんから連絡を受けてビックリ。
 カソリックのご両親は富士山の見える霊園墓地に眠っていらっしゃいます。
 10年以上前にお父様が先にお入りになり、墓石には没の文字が刻まれていたが、何の疑いもなくお元気だった頃のお母様共々お参りしていたようです。
 お父様はお墓の下でずっと困っていたのでは・・・。
 もう一度削り直して、やっと今度はお母様共々仲良く帰天してもらえるのでは・・・

 電話口のほっとした声はセンターに頂く事前相談での声にダブってくるようにも思われます。
 最近の事前相談ではご葬儀後の相談にも乗っていただけるかどうかのお問い合わせが多くなってきています。

 49日の法要もしていただけるのか、塗りのお位牌の手配は、石屋さんのご紹介等は如何か、中には法的な手続きに関することまで、身近にご相談する方が見当たらず、ご葬儀後の後始末に頭を悩ませる方にとっては切実な問題です。

 葬儀社さんの方でも、最近は関係される専門の方々と横のつながりを持ち、オープンな形で依頼者のニーズにお答えできるように努力されているようです。
 依頼者からは時折「担当された方にまだ折に触れ、ご相談に乗ってもらっています」とのお便りをいただくこともございます。