アンケートから頂く「素直なお気持」は活力源の1つです。

 折にふれ、依頼者の皆様から頂いたアンケートを読ませていただくことが、疑問や次なる課題を考える重要な手がかりになります。
 貴重な時間を割いてお書きいただいたお言葉は、情報過多の現状に振り回せられることもなく、確実なものとして、何よりも増して当方の活力源になっております。
 また、大変な時、その時の素直なお気持こそ、沢山なことを物語っているようです。

 ある方は悲しみのどん底であるはずのご葬儀が、振り返ってみると不思議なことに「幸せな思い出」となっていることに気がつき、お父様の死に関わってくださった皆様への感謝の気持でいっぱいになりますとご報告を頂きました。

 また、1人暮らしで誰の言葉にも耳を貸すことがなかったお兄様のご葬儀で「本当にみんなを煩わせた兄でしたが、最後にいい方たちにめぐり合い、スムースに葬儀ができました事、うれしく思います。大変な時いつも助けられています」と。

 ご丁寧なアンケートにお礼状をお出しした方からは、また早速返信をいただきました。
 「よかったと思っていただけたことがうれしくて思わず返信してしまいましたが、返信は不要ですょ」とお書き頂き、「涙も笑いもあるご葬儀でした。看病の流れのままに危篤状態を経て葬儀に突入しつつも、『残された家族がどれだけ気持に余力を持っていられるか』で参りたい人の気持ちを受け止められるかが決まると実感いたしました。すべてが過ぎ去る前にそう気付かされたおかげで、皆さんにも私達家族にも一生の悔いが残らずに済んだわけです。」
ご家族だけのご葬儀希望からお知り合いの方皆様にお出でいただくことにされた方からでした。

子に先立たれた親の悲しみをも共有してくれそうな女性パワーとは・・・。

 ご葬儀の事前相談を頂いたご本人様のご葬儀から、1ヶ月近くが経とうとしています。
 子に先立たれた親程悲しいことはない
 お母様宛にアンケートをお願いするのをためらっていましたが、意を決して手紙を書き始めた時でした。
 ご相談の電話のベルが鳴ったのは。

 電話の主は13週間目に入った赤ちゃんが死産になってしまったので、亡くなった病院のある火葬場ではなく、都内で火葬にしたいので葬儀社のご紹介をとのご要望でしたが、ご主人の落胆された声のご様子からは、にわかに奥様のことが心配になってきました。

 ご葬儀で、働き盛りの息子さんに先だたれた年老いたご両親から、生後数ヶ月の赤ちゃんの死を受け止めざるを得ない若いパパママまで、納得できないまま気丈に振舞っていらっしゃるご様子を見るのはつらいものがあります。

 こんな時、見たり聞いたりする葬儀社の担当者の気配りぶりにはいつも脱帽です。

 赤ちゃんを亡くされた若いパパとママからは「家族だけで見送り、よくわからないことばかりだったのですが、よく相談にのってくれ、ややおせっかいくらいに親身になってくれ大変感謝しています」とのお手紙もいただいております。

 このような場合に限っての振る舞いぶりは独断と偏見で言いますとベテラン女性担当者に軍配が上がるように思われます。
 ちょっと身びいきの感がありますが、見ていられなくなって余計なお世話を承知で焼くオバサマパワーがこんなところで大いに発揮されているようです。
 悲しみの一部までもドーンと引き受けてくれそうな気配が伝わってくるのでしょうか。
 頼もしいベテラン女性担当者の出番です。

今年も梅の季節がやってきました

 私事で恐縮です。
 母が生前植えた梅の木が例年並みの実を生らせ、今年も母の供養とばかりに、半ば強引に友人知人に送り届けました。

 送り届けるにあたり、先日前もって昨年初めて梅干し作りに挑戦した我々一年生の出来ばえをチェックしたいと、懇切丁寧に梅干しのレシピを解説してくれた先生からの提案がありました。
 出来ばえは今ひとつの感がある作品を持ち寄り、その原因を探ろうと先生に質問攻めの我々1年生は、先生の作品を試食してわが作品との違いを実感させられました。

 レシピ通りに教えを守ったつもりがこの違いはなんだろう。口に入れた瞬間は分らないが間もなくその力量が歴然としてきます。

 先生の梅干しを食べながら、これはどの世界にも当てはまるのではと、ふと、身近なケースに思いがいき、頭を過ぎったのは不謹慎ではありますが、ご葬儀の担当者の采配ぶりでした。
 通夜、葬儀告別式と一定の時間をノウハウだけでやり過ごす方と、ノウハウを縦横無尽に使いこなしていらっしゃる方とでは、やり直しがきかない世界だけに歴然としたものを感じます。

 ノウハウだけではどうにもならないものがあることを、梅干し1年生として改めて実感している次第です。

故人との最後の晩餐にふさわしいお食事とは・・・。

 ご葬儀後にセンターからお願いするアンケートではお褒めの言葉、時として苦言を呈する言葉等に交じり、このようにしてはどうかとさまざまなことでご提案を頂くことがあります。
 お感じになられたことを素直にお書きいただけるお言葉はセンターのスタッフにとっても貴重な資料になり、センターの検討材料にさせていただいております。  
 
 先日は家族葬に関する提案が寄せられました。
 担当した葬儀社のスタッフの気配りに感謝され、わざわざスタッフの名前を明記され、心からお礼を申し上げたいと大変感動されていらっしゃいましたが、その割には出されたお料理が一般的過ぎたようです。

 家族葬だからこそ、より故人との関わりが深く、故人を偲び、故人を囲んでの最後の晩餐会にふさわしいものにしたかった。
 通りいっぺんのお料理ではなく、故人との最後のお食事にふさわしいものをお出しすることが、家族葬でお送りする意味にもなるのではとのことでした。

 都会を中心に増えてきている家族葬を単に会葬者の多い少ないという問題ではなく、ご家族でお見送りされるというコンセプトを真正面から考慮する、大きなヒントがあるように思われました。

ご自身のご葬儀を打ち合わせされ、1週間後に旅立たれたお気持は・・・。

 「先週お会いした○○さんがお亡くなりになったとお兄様から今お電話があったので、これから病院にお迎えにいきます」
 当センターの賛同社のTさんから電話を頂いた時は、一瞬何かの間違いかと思いました。
 慌てて資料に目を通すと、矢張りつい1ヶ月ほど前までメールをやり取りしていた方でした。
 見積りをお渡しすると早速に丁寧なご返事を頂き、暫くして担当者から詳しいお話をお伺いしたい旨ご連絡をいただきました。
 Tさんがご本人様とお会いしたのはほんの1週間ほど前でした。

 最初の事前相談メールでは「ご依頼者との関係」欄に本人と記され、現在は入院していないが、体調が悪くなったら入院予定とのこと。お見積りは取ったが大分先の話と一方的に思っていた矢先、いきなりの訃報。
 Tさんもショックな様子。
 「入院した後はホスピスにいく予定」と明るく語りながらも、ご自身のご葬儀を綿密に打ち合わせされ、「費用は全て兄に渡しておきます」とテキパキ指示されていらっしゃった元気なご様子からは想像もできなかったと聞きます。
 しかし、ご本人様の心の格闘はいかばかりか、覚悟と言葉では言えるけれど、まだこれからの長い人生をというお歳なのに、どの様にお気持をコントロールされたのか。
 胸が詰まってお聞きできないだろうがお聞きしたかった。

 最後までご家族を思いやり、「個人としては無宗教葬で簡素な式を望んでいるが、家族があまり寒々しい印象を感じない程度にしたい」。また、ご高齢のご両親を心配され「長時間にならないような内容を望みます」とご希望されたメールを拝読していると、何か背中をドンと押され、しっかりしなさいと叱咤激励されたような心境になりました。有難うございます。

 心よりお悔やみ申し上げます。
 合掌

ご自身の生前予約を希望される方から教えられることとは・・・・。

 最近はご葬儀の生前ご予約を希望される方の中で、ご両親の他にもご自身のことに触れる方が目立ってきているようです。
 
 中でもご自身のことになりますと、お身内の方の場合と少し異なり、相当に確固たる意思を持って臨まれる方が多いように見受けられます。

 1年ほど前、新聞報道を見て直葬という方法を知り、今は健康ですが高齢なので万が一に備え、無宗教での生前予約をとご要望のあった方は、妹さんからも同様なご希望を頂きました。
 お兄様の生き方に共鳴され、生前予約をされた後、ご自身が描いた絵の絵葉書とご一緒にご丁寧なお手紙を頂き、思わず背筋を正し大きく頷いたことが思い出されます。

 また、明るく張りのあるお声でテキパキとご指示を頂いた方からのご相談は、最初ご両親のことと勘違いするほどでしたが、再入院される直前でのことでした。
 お子さんもまだ小さく、後を託すご姉妹のためにもとおっしゃるお元気な様子に、未熟な当方が励まされた形になってしまいました。
 妹様からご連絡をいただいたのはそれから半年後でした。

 先日、これから再手術の為、万一に備えて、生前予約をされたいというご連絡をいただきました。
 声の主は、終始穏やかで、どこまでもやさしく感じられました。
 色々と教えられることしきりです。

「残りの日々を看取ることだけに集中できました・・・」

 以前お手紙を頂いた中でも、事ある毎に思い起こす文面があります。
 「残りの数日は、父を看取ることだけに気持を集中することができましたので、本当に相談させていただいて良かったと思います」
 センターにご連絡いただいた時点ではお母様と交代で病院に行くのが精一杯でしたので、まだお母様にもご相談されずに、意を決して電話をされたとのこと。
 センターの担当者とお話されているうちにお任せする覚悟ができ、お母様にご報告され、お二人とも後のことは考えず、残り少ないお父様との日々を大切に過ごされたご様子のご報告を頂きました。
 お身内の方を亡くされた悲しみは同じでも、自分が積極的に看取ることができたか、はたまた気持だけで何もできないうちにお亡くなりになってしまわれたかで後々になって心の整理が大分違ってくるようにも伺います。

 また、同じように覚悟を決めてセンターに連絡をしたが、「当初は病院へ日参しながらの日々に罪悪感を覚え、自分を冷たい人間だと感じ、裏切った思いすら致しました」。
 しかし、「センターとやり取りしている過程であらかじめ知っておくことがひいてはきちんと送ってあげることにつながるのだと思えるようになりました」とご報告いただいたお手紙にもほっとした思いがよみがえります。
「安心」の二文字をどのようにお届けできるか、これからも大きな課題の一つです。

直葬を議論することで自分のこれからが見えてくる・・・。

 先日、アンケートをお願いするために10日ほど前にご葬儀を終えた方々の書類に目を通しながら思わず「アレッ」と叫んでいました。
 5名様の内4名様が直葬の方でした。
 昨年から今年に掛けて直葬が増えてきたとはいえ、センターではまだ1割ほどでした。たまたま偶然とは言え、現実味を帯びてきたようです。
 但し、4名様のご事情は様々でした。

 この直葬に関して昨年「早くも東京では3割になった」と話題がマスコミに出始めた頃ラジオ番組でも早速取り上げられ、喧々諤々とやっていたことが思い出されます。
 今年3月いっぱいで終了してしまったTBSラジオのバトルトーク番組アクセスでは聴取者を交えて様々な方の意見が交わされ、「これから」を考える良い機会を与えてくれたように思われました。

 司会者のお寺はお葬式の意味を説明してこなかった責任は重いとの問いかけに、タクシーの運転手さんはお金をそぎ落としてしまえばそれでよいのか疑問があると言う。「菩提寺のご住職がご葬儀の意味を教えてくれたので、それを考えると簡素化に走るのは如何なものか」。

 また、4年間にお身内の方3人を見送った方は直葬に賛成とのこと。現実ご葬儀では悲しんでいる暇はない。
「病院で多額のお金を使い果たし、最後のとどめにお葬式が控えています。そのお葬式も葬儀社が取り仕切るようになり、便利だけれども葬儀社の言いなりです。無事収めたいが為に、それなりに良い祭壇をと思いますよね」

 70代の方は「世の中殺伐している風潮と同じだ。独り身だけれど沢山の人の世話になりました。昔の人は老支度といっていざという時困らないように貯めていますよ。お葬式はできるだけ多くの人に立ち会ってもらいたい。誰かがちゃんとやってくれるだろう。それが人の世だ」と。
 同じ世代でも「私の場合は一切葬儀をするなと家族に言ってあります」ときっぱりおっしゃる方もいらっしゃいました。
 葬儀社の方、お寺関係の方も交え白熱した議論の結果に聴取者の反応は、葬儀の簡素化に賛成57%、反対18%、どちらとも25%とのことでした。
 こういう機会が今後も度々あることを期待したいですね・・・。

長寿国日本のご葬儀を考える・・・。

 このゴールデンウィーク、久しぶりに会った御年92歳になる伯母は至って元気でした。
 家事一切を1人でこなし、眼鏡なしで読書をし、1日30分の散歩は欠かさない。
 周りを見渡すと最近伯母のような元気な老人をあちこちで見かけるようになりました。

 20年前、東大のお医者さんから人間の寿命は大方90歳。それが証拠に89歳の声は聞いても、90歳は聞かないでしょうと言われ、妙に納得したことが思い出されます。

 ご葬儀の立会いに伺った折、式が始まる前に柩の窓を開け、お身内の方やお友達の方がご喪家のご好意でご対面をされているご様子をみていると、故人様の大よそのお歳が想像されます。
 ご高齢の故人様の場合は悲しみの中にも和やかな空気が漂い、中には笑顔でのぞきこむように話しかけていらっしゃる方もお見受けします。

 お式を待つ間もまるで故人が皆を引き合わせるために設けたお席のようにお話が尽きず、時として故人様を忘れたかのごとく、笑い声に包まれた明るい式場の雰囲気は満足度の高いお式へと伝わっていきます。

 100歳以上の方のご葬儀に紅白のお祝いの品が添えられる地域もあると伺います。
 その昔、昭和3年の昭和天皇御即位の礼の折は長寿のお祝いとして85歳以上の方に特別にお祝いが配られたと伯母から聞くが、今や85歳は女性の平均寿命にも達していない。
 しかし、これからの20年後はさらにプラスされ、110歳まで生きてやっとご祝儀にありつけられるのか。
 それともマイナスされて100歳以下に引き下げられてしまうのか。
 長寿国日本は微妙な時代に突入しているようです。

直葬も遠慮せずに事前に見積りを取ることから始めましょう。

「直葬で○拾萬円なんてぼりすぎよね」いきなり電話口での迫力ある言葉に思わず言いよどんでしまいましたが、確かに少し高すぎます。
「先月、友人がお母様を見送った時、ご葬儀の式を挙げずに病院から火葬場に直行し、荼毘にふされただけなのにこのお値段。何にそんなにかかるのかしら?テレビで見た直葬の値段は1/3位だったわよ」
1/3はちょっと疑わしいが、こちらも思わず明細を知りたくなるような金額です。

「うちも入院中の母のことを考えると直葬になるので、調べておきたくて電話したんですが・・・」
お話を伺っていくと病院付きの葬儀社さんで、柩の値段が通常の倍近くになり、一つ一つの項目が少し高めに設定されているようです。
「家族が亡くなり、通常の神経でいられない時に見積りを見させられても分らないじゃないですか。金額もその位かと思ってしまいますよ素人には。後になって後悔しても始まらないですよ」。ごもっともです。
 そうです。まずは事前に見積りを取ることから始めましょう。
 直葬だからと遠慮されずに。