「千の風になって」なぜヒット?

 (松)さんから、私が読んでいなかった、ここ数ヵ月の葬儀・仏事関連の記事が掲載された新聞の切り抜きを見せてもらいました。

 その中で一番面白かったのは、朝日新聞の「『千の風』なぜヒット」という記事でした。
 ♪ 私のお墓の前で 泣かないでください ―― テノール歌手の秋川雅史さんが歌う、あの曲です。ミリオンセラーに達したそうです。

 記事では、「変わりつつある日本人の死生観が、このヒットの要因と見るむきもある」として、何人かの識者のヒットの要因分析が紹介されていました。

 作家の新井満さん(「千の風」はもともと作者不詳の英語詞を新井さんが翻訳して曲をつけた)は、次のように分析しています。
 「死者が生者を思いやる。その発想に驚かされた」と詩の魅力を語り、詩の世界観について「万物に精霊が宿るというアニミズム。どんな人にも最古層にある宗教観だ」と指摘して、歌のヒットの要因を「八百万の神という言葉があるように、日本人になじみがある考え方を、目覚めさせたのではないか」と。

 一方、東大の島薗進教授(宗教学)は、「千の風」の世界観を「死者と生者の関係が非常に近く、個人的だ」と見ています。
 これまで身内が亡くなれば、地域共同体、そして家制度において死者との一体感を維持してきたが、共同体の機能がうしなわれてきて、「死者との交わりが個的になり、痛みや苦しみも個々人で抱え込んでしまっている」と時代背景を分析しています。それゆえ、「こうした時代を生きる人たちには、『風になって空を吹きわたっている』死者との交流がストレートに胸に響くのだろう。」と歌のヒットの要因を記者さんが補足しています。

 恥ずかしながら、この記事を読んで、この歌が「死者が残された人に語りかけていた曲」なんだと初めて知ったような人間からしますと、歌のヒットの要因を日本人の死生観の変化にまで結びつけて記事にした記者さんに、あっぱれだと思いました。

葬儀を迎える朝、一番落ち着くのはお寺の境内・・・?

 ご喪家として葬儀の朝は一番心乱れる時でもあります。
 泣いてもわめいても時間は刻一刻と過ぎて行きます。今日を限りの今生のお別れです。
 そんな中でも、できるだけ平常心でこれから続く葬儀・告別式をつつがなく進行させなければなりません。
 ご葬儀当日の気持ちの整理が重要なポイントになり、そのためには朝早く葬議場にあたふた駆けつけるよりも、通夜の晩一晩ご一緒され、気持を落ち着かせ、最後の朝を迎えるのも一案だと思います。
 ご喪家側のご要望としても通夜の仮宿泊はゆっくりできるかどうかが決めてになるようです。
 宿泊施設の完備面もありますが、実際にお泊り頂いて好評か否かはたぶんにメンタルな面に落ち着きます。
 特にお寺の境内にある斎場は心の落ち着ける場所としても独特の雰囲気を持っていて、境内の持つ空間が、広さだけではないものを感じさせるようです。
 先日もお寺の境内にある1階が式場2階が和室30畳ほどのお清めどころ兼親族控室になっているこぢんまりした会館でしたが、泊まられたご喪家からも大いに感謝されました。
 1人息子さんでお亡くなりになられたお父様との絆が強く、現実を気持ちの中でなかなか受け入れにくい状態のまま通夜を迎えてしまわれたようです。
 泊まられた会館は1ご喪家のみの使用になりますので、「ゆったりした静かな雰囲気の中で、故人を囲み思い出を家族皆で語り合い、朝早く境内を散策して行くうち次第に気持ちの整理もでき、ご葬儀への気持ちの決心が付きました」とおっしゃっていたのが印象的でした。

最後の夜をせめて家族全員で過ごせたら・・・。

  久しぶりに昔の仲間が勢揃いして、故人の思い出話に花が咲き、佳境に入った頃、無常にも葬儀社の担当者はお開きを申し渡さなければいけない。
 通夜ぶるまいも夜8時半までにはお開きにしなければ、後片付けが間に合わなくなってしまう、という現実が待ち構えています。
 
 お葬式も自宅以外で執り行われるようになると、貸す側の式場も時間の管理が厳しくなり、防犯・防火対策上にも9時までに全て終了し、閉門するところが大半になってしまいました。
 それに伴って、本来一晩中灯されていた蝋燭の火もお線香も、9時以降は御法度になってしまい、通夜の仮宿泊も侭ならない式場も多く、その傾向はお寺が管理している斎場に顕著のようです。
 
「お疲れですからご家族の皆さんご自宅にお帰りになりますよ」と言われますが、本音のところはどうでしょうか。
 都会を中心に家族葬が増えている現状で、家族の絆の拠り所として、最後の夜を皆さんで一緒に過ごしたい、というご要望も増えてきています。
 永い入院生活の果て、ご自宅へも戻れず、せめて最後を心置きなくご一緒できたらという思いのご家族も多いと思います。
 
 先日は幼いお孫さんを含めたご家族皆さんで通夜の夜を過ごしたいからと、急遽お泊りができる斎場に変更されたご喪家もいらっしゃいました。
 またお疲れのお母様を帰して、3人の兄弟が初めてお父様を囲んで一晩中語り明かしたというご喪家もいらっしゃいました。
 2度とない機会のためにも一晩開放してくれる斎場が増えてほしいところです。
 特に、広い和室を持つお寺さんにお願いしたいものです。
 

葬儀社と斎場と火葬場の関係

あさがお葬儀社紹介センターのブログをご閲覧頂き、ありがとうございます。
http://www.asagao.or.jp/support/kankei.html
当センターのホームページ内に「葬儀社と斎場と火葬場の関係」ページがあります。
葬儀社、斎場、火葬場という言葉がホームページ内によく出てきますが、その関係がいま一つ整理されていなくわからない方が多いと思います。

このページを読まれれば、互いの関係がわかってくると思います。
ぜひ目を通されてください。

お布施と葬儀後の相談との関係は・・・?

 都会のご葬儀では依頼に応じて葬儀社の方でご住職の手配をするのがごく自然な成り行きのようになってきました。
 60年代から70年代の高度成長期にかけて田舎から出てきた若者も定年を迎える
年代に突入し、年老いた田舎の両親を都会に呼び寄せ、最後を看取る必要に迫られています。実家は長男が継ぎ、次男のお父様は実家の菩提寺に入るわけにはいかないという方もいらっしゃいます。
まして、遠い実家の菩提寺からは、よほどのことがなければご住職がわざわざ出向く確率はすくない。
「そちらはそちらでどうぞ」ということになれば、不安は募るばかりです。
 最近「葬儀後の相談にも乗ってくれますか」という問い合わせが顕著になってきたようです。
 その一方で依頼者側はさらにご葬儀のお布施をできるだけ安くと求めてきます。
 お布施はお寺により、宗派により様々で、一概に言えませんが葬儀社の担当者はそれぞれ大方の基準を持っています。ところが最近はこの足並みが少し崩れてきているようにも思われます。
 これは格安で通夜、葬儀告別式の読経のみを受け持つお坊さんの派遣業が増えてきたのも一因でしょうか。
 但し、こちらの派遣される僧侶の方はお寺を持っているご住職ではないので葬儀後の相談は難しい状況にあります。
 格安のお布施と葬儀後のご相談、どちらも切実な問題です。双方をバランスよく持って行く方法を考えることも、これからのご葬儀のあり方を問うきっかけになるのではと思いますが・・・。
 

 
 

ラジオでバトルトーク「直葬に賛成 or 反対」

 先日TBSラジオのトーク番組でいまどきのお葬式事情を取り上げていました。
 夜10時からのバトルトークラジオ「アクセス」では最近の東京及び近郊では読経だけして火葬場に直行型の直葬が増えていることを提起していました。
 確かに、ご家族ご親族だけの家族葬に交じり、ポツポツと火葬のみのご依頼も増えています。
 ご家族お一人でお見送りする方から、十数人でお見送りする方まで様々ですが、式場は使わずに、安置所から直接柩を火葬炉に納めた後、火葬炉前でお経をあげてもらいその間最後のご焼香をします。お経は10分程度です。
 (但し、公営の火葬場で火葬炉前読経ができないところもありますのでご注意ください。)
 このご葬儀の仕方が賛成か否かを番組の会員に問いたところ、賛成57%、反対が18%、どちらでもないが24~25%という結果になりました。
 聴取者参加番組ですので、専門的にならず、聴いているほうも頷きながら、また反論を口元で抑えながらテーマは重くても気楽に参加できるようです。

 直葬が増えた背景には有名人のご葬儀も近頃内輪だけで、時には直葬の形で行なわれる報道をみて一般の方も追従しているとか、また金銭的な問題も取り上げていました。

 直葬に賛成の方の意見は、身内の方を見送った時、葬儀社が全般を取り仕切り、菩提寺からはお布施を要求され悲しんでいる暇もなかった。
 昔は隣組がやってくれ、香典でまかなえていたのが、今は病院で多額の費用を使い果たし、最後のとどめにお葬式がひかえています。
 通夜から告別式を無事乗り切りたいがために、それなりの祭壇をと思いますので、と話されていました。

 一方の反対組は費用面が大きいと思うが、葬儀にお金だけをそぎ落とせばそれでよいのかと疑問があります。菩提寺の住職からご葬儀の意味を教えてもらい、簡素化に走るだけでよいのか疑問が残りますという。また、高齢の方は大病して多くの方にお世話になりました。昔から老い支度といっていざという時困らないように貯めていますとのこと。
 その他葬儀社勤務の方、僧侶派遣業の方の立場でのお話も伺え、様々な問題が浮上してきます。
 簡素化の波は速度を増すでしょうが、直葬一つ取っても世相とは切り離せない時代になってきたようです。

大往生にはピンクのタオルでお祝いを!

 以前、東大のお医者さんに「人間の寿命は90歳位まで。それが証拠に89歳の声は聞くけど90歳の声は余り聞かれないでしょう」と言われ当時は妙に納得したものでした。
 あれから20年、日本人の寿命は延びていつの間にか私の周りでも90の声はあたり前のようになってきています。
 毎年11月になると頂く喪中の葉書の文面も、歳を争うかのように軒並み90歳を越しています。昨年はついに104歳で大往生でした、などと言う葉書が届きました。
 しかし、確かに寿命は延びているが、どれだけの方が全うできたかと言えばこれはまた別問題でもあります。
 
 今日、4年11ヶ月ぶりに友人から電話を頂きました。お母様が脳血栓で倒れられて以来です。
 電話口では「実家の母が10日前に亡くなり、まずはそのご報告を」とのことでした。
 開口一番「大満足の最後でした」。
 5年近くを頑張り、リハビリに励み趣味のきり絵に没頭する毎日で、亡くなる前日の夕食も一膳ペロリとたいらげ、当日の朝もまだお元気にお話されていましたが、次第に呼吸が弱くなり、昼前眠るようにご自宅でお亡くなりになったそうです。享年95歳でした。
 身体が温かい内に浴衣に着替え、ピンク色のほほもきれいなままで、お見せしたかったくらいとのことでした。
 お医者様からも「理想な死に方でした」といわれ、ご葬儀の後も気持ちが落ち込むことなく、後片付けにはげんでいるそうです。

 ご家族皆さんが満足され、大往生できた記念にご葬儀の時、千葉、茨城方面では紅白のタオルを返礼品に添えてお渡しする慣わしがあるそうです。
 以前立会いでお伺いしたご喪家では、お母様のご葬儀に100歳記念のピンクのタオルをお付けされたのを鮮烈におぼえています。
 鮮やかなピンクのタオルは使い道に迷いますが、その分長持ちして、時々引っ張り出して見ていると気持ちも和みます。
 次回、友人のお母様のご仏前にはピンクの花束をお持ちします。
 
 
 
 
 

先日の話

あさがお葬儀社紹介センターのブログをご閲覧いただき、ありがとうございます。

先日、ある葬儀社の方にお会いしていろいろとお話を伺うことができました。

お話の中で、やはり気にかかったのは「葬儀費用」のこと。

お話を聞く前までの私の見解は、葬儀は事前に葬儀社と打ち合わせを行い、決まった内容で見積書を算出してもらい、その見積書通りに施工されるものだと思っていました。

実際は、会葬者の人数が当日に増えることにより食事代、返礼品代が増し、多少は費用の変動があるそうです。でも実際に、見積書からどのくらい変動するものかが気になるところです。お話によると、見積書の2倍近く変動する葬儀社もあるそうです・・。これには驚きました。

見積書の出し方は各葬儀社によって異なります。
いろいろな葬儀社にご自分で直接相談されるよりも、ノウハウを持った当センターにご相談されること方が賢明かと私は感じました。

ご相談者様の不安を解消する、お手伝いをさせていただきます。
ぜひ、当センターまでお電話ください。

お布施の金額はピンからキリまでありますが、お値段の問題だけではありません。

 「菩提寺にお布施を幾ら渡せばよろしいのでしょうか」最近時々聞かれる質問ですが、一口で幾らぐらいとは言いにくい。
菩提寺も宗派によってそれぞれ違いますし、同じ宗派でもお寺によってかなりの差があります。
 まずは、ご親族の長老を始めとする、年長者のご意見を伺い、また同じ信徒の方にも伺ってみることをお勧めしていますが、最近は両者ともご存じない方が増えてきて、あまりお役にたたないようです。
 逆に菩提寺から提示され、金額がご喪家にとって高額過ぎる場合は、直接現状をお話して菩提寺に掛け合う形を取らざるを得なくなります。
 いずれにしても、菩提寺との対話が必要不可欠になってきています。
 
 一方、菩提寺を持たないご喪家の場合は、葬儀社の担当者が手配したご住職ですと大体の相場があり、一般的なお値段に落ち着くようです。それでも、値引き合戦があり、半値以下のお値段を表示するところも出てきています。
 大方の葬儀担当者はご喪家の葬儀後の相談にものれるように、お寺を所有しているご住職にお願いすることにしていますが、お寺を持たないお坊さん達の派遣をしている業者の方もあり、そちらは読経専門に相場の何分の一かの費用でまかなえるようです。

 しかし、ご相談者の中でもご両親の葬儀に直面し、初めて実家の宗派を知り、葬儀以後の不安を口にされる方も増えています。
 葬儀社の担当者もその場限りではなく、葬儀後の49日法要、法事等などの相談にも乗っていただけるご住職の紹介を心がけ、現にご紹介したお寺とのお付き合いがずっと続いているご喪家の方も多くいらっしゃいますとのことです。
 お布施は一概に高い、安いの問題だけではないようです。
 

香典返しはどうしても必要か?

 先日、姪の結婚式の引き出物の一つは分厚いカタログギフトでした。
 同じようなことがご葬儀の後にもありました。こちらは香典返しに贈られてきたものです。いつの頃からでしょうか。冠婚葬祭の返礼品は送られた側が好きなものを選ぶということになったのは・・・。
 優に2センチはあるカタログを眺めていると、なんだかため息がでてきそうです。
 物が溢れている時代、個人の嗜好もそれぞれ異なっている時代だから好みのものを御客様に選んでいただく。それだけを見ると一見合理的で今の世相にあうように感じますが、そもそも葬儀の香典返しは本当に必要なのでしょうか。

 元々香典は線香や花の代わりに死者の霊前に供えるものとして、またご喪家に対して急な出費を扶助する助け合いの意味合いも含まれていると云われています。

 そうであればいつの間にか慣習化された、香典返しも一考の時期に来ているのではないでしょうか。
 最近は即日返しと云って葬儀当日に香典返しも礼状と一緒に会葬者に渡してしまい、それで終わりにする方も目立ってきています。
 形式だけが残り、お出しした方々が香典返しを期待しているのか、はなはだ疑問です。
 むしろ、会葬者の方もお気持ちだけをお包みして、それでよしとする。
 ご喪家は礼状とお気持ちだけの返礼品を会葬者全員にお配りして終わりとする。
 余裕のあるご喪家はしかるべきところに寄付をして、皆さんにお知らせする。
 香典の多い少ないは問題にしない。あくまでそれはご喪家に対するお気持ちで処理される。
 まずは身近なご親族同士でお話し合いされてはいかがでしょうか。