高齢社会とパラリンピック

  このところ、日本中がオリンピック一色に塗りつぶされたかのような騒ぎが続いています。

 あの日あの時、前日の雨が上がり、日光・戦場ヶ原はどこまでも続く青空と静寂な空気に包まれていました。
 丁度、東京オリンピックの開会式のファンファーレが高らかに鳴り響いている時刻でした。
 オリンピックに沸き立つ東京とスポコン精神に違和感を覚え、原っぱの真ん中でキャンバスに向かい、無心に絵筆を動かしていた当時が懐かしく思い出されます。

 報道を見ている限りにおいて、オリンピック騒動は以前と同様ですが、前回と違い、今回はパラリンピックの存在がクローズアップされてくるような気がします。
 これを機に日本でも一般的に定着してくれるのではと、期待が持てそうです。
 ニュースでは早くも「車いす陸上競技部」を設立する企業の名前も、上がっているとのこと。
 障害者に優しい社会は大いに歓迎です。
 
 また、車椅子はパラリンピックだけではなく、これからの高齢社会にも重要な存在です。
 高齢者に優しい社会をと言われ、車椅子での往来が可能なバリアフリーの重要性が叫ばれながらも、一般社会への浸透振りに今ひとつ実感が伴わないもどかしさがありましたが、パラリンピックを機に大いに浸透してくれるのではと期待が膨らんできました。

 昨今ではご葬儀の式場選びでも、バリアフリーが重要なポイントの一つになってきました。
 ご家族・ご親族や親しい友人を中心としたご葬儀では、長年の友との最後のお別れを希望されるご高齢者の方々が年々増えてきています。
 必然的に車椅子のご利用も多くなり、関心も高まっては来ていますが、なかなか普遍的になり難いのが実情でした。

 車椅子と言えば15年ほど前、ドイツ・ワイマールの小さなスーパーマーケットでの出来事が思い出されます。
 買い物をしていると、車椅子のおじさんが突然あれを取ってくれと合図を送ってきました。
 その指示の仕方が余りに自然で、気がつくとおじさんの脇で、一緒に買い物をしていました。
 日本ですと、車椅子の方だからやってあげなくてはという意識が先に働いてしまいますが、余りに自然な受け取りに我ながらびっくりしたものでした。

 以来、日本にもこんな社会が来るのだろうかと半信半疑でしたが、やっとチャンス到来の兆しが見えてきたようです。

お母さんの苦労

 ご葬儀で赤ちゃん連れの方が参列されることはよくありますが、ご両親はきっと葬儀中ずっと「ぐずりませんように…」と思っていらっしゃることでしょう。一歳にも満たないくらいの赤ちゃんにとっては、いつもと全く違う雰囲気の環境で、「何かが違う…」と思っているのかもしれません。
 長時間、イスに座った状態のお母さんに抱っこされて、おとなしくしていなくてはならないというのは、赤ちゃんにとってはとても難しいことです。  以前、ご葬儀中、式場の中に入ると赤ちゃんがすぐに泣いてしまうため、ずっと外で抱っこしているお母さんがいらっしゃいました。  お母さんがあやしてくれる声も小さな声で、いつもと違う様子に不安に思ってしまうのでしょうか…。    立会いの時にはいつも式場の後方で拝見しているので、前方を向いているお母さんに抱っこされている赤ちゃんは後ろを向いているのでよく目が合います。  厳粛なご葬儀の最中で不謹慎なのかもしれませんが、赤ちゃんに見つめられると、緊張している気持ちも緩んでしまいます。  先日、ご葬儀中ずっとお母さんに抱っこされてニコニコしている赤ちゃんがいました。式中に動くセレモニーレディーさんをずっと目で追っていたり、時には人の目をじっとみてにっこりと。  ご機嫌だったその赤ちゃんが途中で少しぐずりはじめました。お母さんもヒヤっとしたのではないでしょうか。しかし、ほんの一瞬ぐずったと思ったら、急にすやすやと寝てしまいました。  また、この寝顔の可愛いこと。後方に立っている私にまで寝息が聞こえるほどで、またしばらく目が離せなくなってしまいました。  私もまだ赤ちゃんだった娘を連れて葬儀に参列したことがあったのですが、それもなかなか大変でした。式場の外にでてずっと抱っこをしていたクチです。緊張と心配と疲労で葬儀の一時間がとても長く感じたのを思い出しました。

気になる音

 複数の式場がある葬儀場でよくある問題点として、隣接する式場からの音が気になるという点があります。

 公営斎場や、複数の式場を持つ斎場で隣の式場と壁一枚の環境であったり、開式時間のズレによるものであったりと理由はさまざまですが、厳粛な式中に聞こえる音には気になる方もいらっしゃるかもしれません。

 ある式場では、駐車場や会葬者の流れの混乱を防ぐために、式場側で隣接する2つの式場の開式時間をずらすという工夫をしています。
 しかし、時間をずらしたことにより、片方の式場では既にお通夜が始まっていて厳粛な時間が流れている一方で、これから通夜をむかえる式場を利用される会葬者の方が式場脇の共通の通路を歩くヒールの音や、話し声、またある時には小さなお子様がはしゃぎながら通路を行ったり来たりしていたなど、式中に聞こえる音に煩わしさを感じることがあるようです。
 
 特に葬儀社の担当者やスタッフは、仕方がないこととはいえ、厳粛に進んでいる式中の外部からの音には敏感になっています。
 ある葬儀社さんは、つい立てに「ご葬儀中ですのでお静かに通行願います」のような張り紙をして注意を促したとおっしゃっていました。

 また、他の斎場では、出棺の時間が重ならないように隣接する式場は告別式の時間をずらすという配慮をしていますが、片方の式場はまだご葬儀中である中、隣の式場では出棺を終え、精進落しのお料理のセッティングが始まり、食器がぶつかる音が気になったという場面に遭遇したことがあります。

 ずいぶん前に、セレモニーレディさんからヒールの音が気になると注意されたことがあったと聞いたことがあります。それ以来、その社では、石の床でも足音がひびかないような靴をはくことにしたとのことです。

 一日一ご喪家で執り行える斎場では全く問題はないことですが、都心部などの便利な斎場や公営の斎場では、利用希望者が多く、少しでも多くの方に利用していただくために複数の式場を用意していると思うので、ある程度の音についてはいたしかたないことなのかもしれません。

 葬儀社さんのスタッフも含め、斎場を利用する方一人ひとりの少しの気遣いがあれば、ずいぶん改善されることなのかもしれません。

死は予測なしにやってくる

私事で恐縮ですが、今朝方、実家から従兄弟の奥さんの訃報が入りました。
 80歳代とはいえ、前日の日本舞踊の発表会では元気に踊っていらっしゃったとのこと。

 あまりに急な事ゆえ、周りも大慌てでご葬儀の準備にとりかかっているとの一報でした。

 身近な突然の不幸は、ご葬儀という言葉に慣れてしまっている身にとっても、心穏やかなものではありません。
 紙上を借りてご冥福をお祈りするとともに、私自身がご葬儀に関わっている意味をもう一度問い直すキッカケにしていかなくてはと、目下日々の生活を反省しているところです。

 また、元気な内は子供達の世話にならずに自由に暮らしたいとばかりに、都会では1人住まいのご老人が最近、とみに増えているようです。
 しかし、お元気と見えても、ご不幸はいつ襲ってくるかわかりません。

 先日夜も1人住まいのご高齢のお母様がご自宅でご逝去され、検視のためにご遺体は警察のお預かりとなり、明朝お引取りに行かなくてはと電話での事後相談をお受けいたしました。
 お元気だったお母様の突然のご逝去に、警察の介入という事態が重なり、ショックを受けられ、気が動転されていらっしゃるご様子が電話口から伝わってきます。
ご紹介した葬儀社さんが後の事は全て引き受けてくださることをお話しすると、ひとまず落ち着かれたご様子に、こちらも思わず安堵いたしました。

 翌朝、葬儀社さんはお母様のご自宅管内の警察に伺い、状況把握をされてからご相談する段取りでしたが、外傷がない為、ご遺体は大塚の医務院に運ばれ解剖が施された後、医務院の車でご家族皆様が待ちわびていらっしゃるご相談者のご自宅へ無事搬送という運びになりました。
 少し遠回りになりましたが、葬儀社さんの出番はこれからになります。

 ご相談者のお気持ちを汲み取っていただき、ご相談者と二人三脚で行けるように、ガンバってください。

暑い日が続きますが・・・。

 8月が終わると秋の気分になりたいところですが、まだまだ暑さは続きそうで、秋が来るのが待ち遠しい時期です。

 気温は夏と変わらないのに、夏の装いに抵抗を感じるので、これからしばらくは着るものを選ぶのにも苦労します。
以前は季節の変わり目も毎年同じ時期にきちんと変わっていたような気がしますが、ここ数年、暑さも寒さも少しずつずれこんでいて、調整するのが難しい。
 デパートなどのクールビズの期間は、今年は10月31日までだとか。10月に入ればさすがに過ごしやすくなっているとは思いますが、それまではユニフォームなどは夏仕様のままということなのでしょうか。

 これから少しずつ過ごしやすくなってくると思いますが、仕事でジャケットを着用しなくてはならない方たちはもう少しの間、頑張らなくては・・・。
 鈴虫の鳴き声を聞くのが待ち遠しいです。

 子供の夏休みも明日で終わり。朝のお弁当作りから一日が始まる日常に切り替えです。

遺品整理ではなく・・・

 先日、友人から「おじいちゃんの部屋を整理したいので、知っている遺品整理の業者さんを教えてほしいんだけど」と聞かれました。
 「私が数年前に利用したことがある遺品整理屋さんなら知っているけど…」と答えかけて・・・あれ?おじいちゃん、入院されているとは聞いていたけど、まだ亡くなってませんよね?

 よくよく話しを聞くと、医師から、おじいちゃんはもう家には帰れないだろうと告げられたこと、また、痴呆症のため、すでにどこに何があるかもわからない状況になっているなどのことから、一人住まいだった部屋を整理したいと思っているということでした。
 おじいちゃんがお住まいの部屋は、都営の高齢者住宅で、入居待ちをしている人がたくさんいるため、もう戻れないのなら早く出てあげた方がいいと思って・・・と話していました。

 遺品整理の業者さんの場合、遺品になりそうなものがあると、ご家族に判断してもらうため、引き取るまえに確認させてくれたりします。(我が家の場合は、自分たちでは見つけられなかった袋に入った写真や年代物のカメラ、瓶に入った小銭など、大きな紙袋1袋分がありました。)
 そのために、不用品引き取りの業者さんではなく、遺品整理専門の業者さんにお願いしたいと思ったのだそうです。

 遺品整理というと、お亡くなりになってからの作業だと思いがちですし、また、まだ「遺品」ではないので、縁起でもないと、気持ち的にも躊躇してしまうかと思いますが、友人の想いもわかるような気がしました。
 決してお勧めすることはないと思いますが、このようなやり方もあっていいかもしれませんし、実際、生前に整理することもあるのかもしれないと思いました。

見積りは担当者とご相談の後で・・・。

 「あなた任せではなく、さらに積極的に一歩前に踏み込んで、納得のいくご葬儀をしたい」お見積りの取り方1つにもそんなニュアンスが感じられます。

 当センターではご相談に応じて、ご要望に見合った地域の賛同葬儀社さんをご紹介し、その際にお見積りもお取りするか否かをお伺いしており、今まではほとんどのご相談者がこの段階でお見積りをご希望されていらっしゃいましたが、最近ではそれに少し変化が出てきているようです。

 センターでのご相談はご相談フォームを通してのメールでのやりとりと、お電話での対応になりますが、状況をお伺いし、どんなご葬儀をされたいのか、ご要望をお尋ねして、それに即したお見積りをご紹介する賛同葬儀社さんから取り寄せ、センターの見積説明書と共にお送りしております。

 次の段階では、ご紹介した賛同葬儀社さんの担当者にできるだけお会いされるよう申し上げ、お取りした見積りをもとに、担当者にさらに詳しいことをお尋ねになり、お話の内容によっては再見積りをお取りいただいたりもしております。

 また、どちらかといえばタブー視されてきたご葬儀に関する情報も、最近では各方面から自由に得られるようになり、一般の方々の間にも大分浸透してきました。

 それに伴いご相談者の方々も、通り一遍のご葬儀ではなく、少しでも満足のいくご葬儀にしたい、ご相談の段階からより積極的に参加したいという意識が高まって、インターネット等でご葬儀に関する情報を得た上で、当センターが推薦する賛同葬儀社さんの担当者と直接お会いになり、一つひとつのご要望を担当者とご相談しながら固めていき、ご自身が納得した段階で初めてお見積りという形を取られる方々が徐々に出てきています。

 ご要望の大小を問わず、ご相談者が納得のいく回答を得られることが葬儀社さんの担当者にかせられた急務です。
 ご葬儀も担当者の力量が大いに試される段階に来つつあるようです。

アンケートでわれわれの役割を再認識

 当センターをご利用された方には、落ち着かれた頃合いを見計らってアンケートを郵送し、ご協力いただいております。設問の一つに「お知り合いの方などにあさがお葬儀社紹介センターを勧めたいと思いますか」というのがあり、お勧めの理由も記入していただくこともできるようになっています。数か月前のものに、「利用者アンケートをしている事」という記入がありました。

 当センターをご利用される方は、相談前にアンケートのところをよく見ているのではないかと思っています。

 ただ、アンケートを新しい形式にしてから1年半ほどになりますが、いま、すべて読み返しているのには訳があります。アンケートのページは相談前の人は良く見たいと思うページだと思うのですが、ページのつくりがそれに応えてないよう気がします。今のページの作りですと、掲載許可を得たものを新しいもの順に並べる最新一覧形式だけです。

 それをもっと多方面からの切り口で見られるようにすれば、せっかく書いて頂いたアンケートももっと活きてくるのではないか、と。そして、見る人にもっと参考にしてもらえるものができるのではないか、と。ということで、どういう切り口があり得るかと読み返した次第です。

 大量に読み返していますと、当センターが支持される共通の特徴が浮かび上がり、それを再認識できるのもまたありがたいです。

 アンケートページをどうするかは、近日中に、サイトに反映させる予定ですので、お楽しみに。

記憶に残る葬儀にするには…。

 つい先日、友人たちと数人で「5時間ランチ」をしました。みんな同年代で、子供の年齢も近く、話しは尽きることなく・・・・・で、5時間です。

 最近子供が生意気でしょうがない!どうしたらいいか、や、子供に怒っている時にかんでしまい、それがすごく悔しい!などの「母ならではのあるある」な話しや、自慢のカンタン(←この「カンタン」が大事です)おやつレシピなどの話しが続く中、仕事の話題から葬儀の話しへ…。皆、同年代ということは、その親もほぼ同年代なので、葬儀の事はやはり気になっているようです。
 そして、聞ける人がいるということからでしょうか、私がいると葬儀の話しになることが多いような気がします。

 この日に会った友人は皆、一度は葬儀を出した経験がありますが、もちろんその状況は様々です。

 このうちの一人、Aさんは、私が葬儀関係の仕事に携わっていることを知っていたので、私は義理のお母様の余命が宣告された時点から事前の相談を受けていました。葬儀について、一つ一つ説明し、自分達に必要なことは全て理解してもらったうえで葬儀に臨んだので、葬儀では義母様を見送ることに専念することができ、数年経った今でも病院でお義母様が亡くなった時点から、無事葬儀が終わるまでを今でも鮮明に覚えているそうです。

 もうひとりのBさんは、私と知り合う前にお父様を亡くされ、どこの葬儀社に依頼したらいいかもわからない状態だったので、入院していた病院に入っていた葬儀社さんにそのままお願いしたそうです。お父様が病院からどのように搬送されたのかも今では思い出せず、葬儀の打ち合わせでも、何をどのように決めたのか全く覚えていないとのこと。覚えているのは「遺影写真をどれにしようか、写真・・写真・・・・・」と、遺影写真ばかりに気を取られていたことくらいだとか。
 そして、葬儀が終わった後、お母様が、「祭壇が打ち合わせの時に話していたのと違っていた。」と言いだし、その後の葬儀社の対応にも不満が出てしまい、今でも後悔しているとのことでした。

 この話しを聞いて、やはり事前相談はした方がいいと、あらためて実感しました。
 そうでなくても大切な人が亡くなるということは遺された遺族にとっての悲しみは深く、気丈に振舞っていても動揺はあります。大事な話しでもつい、うわの空になってしまうことも少なくないと思います。
 個人の性格にもよることではありますが、「自分で理解している」と「いわれるがままに」では、葬儀で見送りに専念できるかどうか、また、後々の記憶の残り方にも大きな違いがでてくるようです。

 私を含め、彼女たちも、将来、また葬儀を出すことになります。その時に後悔しないように、私から吸収できることは全て吸い取ってもらい、きちんと見送ったと記憶に残してもらえればと思います。

めぐりくる時間を大切に。

  いつもは夕方の買い物客で賑わう商店街もシャッターを下ろしているところが多く、早くも今日からお盆休みに突入したのか 心なし東京の街中も静かに感じられます。

 8月の旧盆も明日から始まりますが、地域によっては今日が盆の入りのところもあるようです。

 今年は天候が荒れ模様で、今日も夕方から東京地方は凄まじい雷雨に見舞われ、せっかくお見えになられたご先祖様もさぞかし戸惑われたことでしょう。
 ご先祖様をお迎えする迎え火も雷雨の前にはかき消されてしまいましたが、無事ご実家にたどり着きましたでしょうか。

 ご先祖様の中でも今年初めてお盆を過ごされる方もいらっしゃると思いますが、新盆と呼ばれ別格で、ご葬儀にご出席いただいた方々から再び大いに歓待されることとなります。

 当方の実家のある遠州地方での新盆は第2のお葬式とまで呼ばれ、盆の入りから出までの4日間で、百人単位の方々が新盆のお宅に次々とご挨拶にお見えになりますので、この間家人は息つく暇もないないほどの忙しさを体験させられます。

 また、同時に盆供養も盛大に行われ、子供の頃見た、通称「とったか」と呼ばれる遠州大念仏は、新盆のお宅の庭先で披露され、花笠を背にした30人余りの男衆が勇壮活発に太鼓を打ち鳴らし、笛の音にあわせて念仏や歌枕を唱和する姿は数十年経った今も脳裏に焼きついています。

 お亡くなりになられたことはとり返しがつきませんが、私達日本人はめぐりくる時間を大切にしており、命日と共にお盆になったら戻っていらっしゃることを心のより所にしております。

 少し慌しい新盆になりますが、懐かしいお顔にきっとお会いできることと存じます。