シルバーウィーク最終日

 シルバーウィークの最終日に、神奈川県にある八景島シーパラダイスへ行ってきました。最終日なので道路は込んでいるだろうと、渋滞を覚悟して出発。
ところが、都内、高速道路ともに渋滞はなく到着しました。
ここに来てどうしてもやっておきたかったことがあります。それはドクターフィッシュ。
ドクターフィッシュとは、人の古くなった角質を食べる習性がある魚で、アトピー性皮膚炎・乾癬など皮膚病の治療に効果があり、ドイツではドクターフィッシュによる治療が保険適用の医療行為として認められているそうです。

八景島に到着し、早速ドクターフィッシュカフェへ。
カフェの中にドクターフィッシュコーナーがあり、到着すると満員でした。
10分ほど待ち、早速ドクターフィッシュの泳いでる水の中に足を入れてみると・・・、一斉に魚が足に食いつき始めました。食いつかれているときは、チクチクといった感じではなく、足に微弱な電気が流れているといった感じでした。痛くはなく、くすぐったい感じでした。とても貴重な体験をした一日でした。

あなたは最期を何処で過ごしたいですか。

 今年も敬老の日が近づいてきました。
 東京郊外の特別養護老人ホームから敬老の為のイベント「園遊会」の案内が届いています。
 こちらには古くからの友人がお世話になっているので、時々顔を見せに伺っています。
 昨年伺った「園遊会」では広い庭が模擬店や、バチさばきも鮮やかに大太鼓を打ち鳴らす地元の方々との交流でお元気になられた入居者や、そのご家族で埋め尽くされていました。
 久しぶりの団欒の姿に思わずこのまま時間が止まってくれたら・・・と祈るような気持を持たれた方も多いのでは。
 思い出のワンシーンのような光景があちこちで見られました。
 中には色々なご事情で、こちらを終の住家とされる方も多いと伺いました。

 最近は自宅とも病院とも違うこのような介護施設でのみとりも増えつつあるようです。
 先日も当センターの事前相談で「市内の有料老人ホームに入居している父の具合が悪いが、できれば病院ではなくそちらで最期をと思っています。ただ、新しいホームなので出来てからまだ6人ほどの看取りをされただけで、少々不安ですが」というご報告をいただきました。
 
 この方のように、最後までホームで暮らすことを希望される方も増え、ホーム側もその態勢ができるような医療機関との連携を積極的に取り入れてきつつあるとのことです。
 時に医療保険の入院保障の問題等で施設での最期はままならないこともあるようですが、人生のエンディングぐらいは早く自分が決めたところに落着きたいですね。

エンディングノートを書きたいので地元の葬儀社を紹介して・・・。

 「子供達に渡すエンディングノートを書きたいので、地元の推薦できる葬儀社を教えてください」
 80歳のご主人と75歳のご自分のエンディングノートを思い立って、葬儀社に相談しながら一つひとつご葬儀のことを決めていきたいと電話口の声の主は緊張気味に話されました。
 ここ1~2年マスコミでも取り上げられ、中高年には特に話題になっているようですが、実際に書いていらっしゃる方はまだまだ少数のようです。
 それでも近年のお葬式事情も様変わりしている中、元気で余裕のあるうちにご自分の希望を書きとめておきたいと、エンディングノートへの期待感も膨らんできています。
 
 エンディングノートとは万が一の時や自分での判断力を失った時のために、伝えるべきことを書き留めておくノートですので遺言書のような法的な拘束力はありませんが、残されたご家族や周りの方々がどうすればよいのかの手がかりになります。
 ご葬儀に関してはどのようにしたいのか。葬儀社、宗教、戒名、祭壇、お料理、柩、ラストメイク、骨壷、お香典etc. 一つひとつご自分の気持を伝えておきましょう。
 但し、ご葬儀を執り行うのは残された方々ですので、書いただけではほんとうにやっていただけるのか少々不安にもなってきます。
 疑問を感じたら、葬儀社に生前予約をされておかれるのも一考だと思います。
 また、直葬だ、無宗教葬だというような、周りの方々のご理解を得る必要のある場合はあらかじめ希望を伝えて協力を得ておく必要もあるようです。
 ノートにはご葬儀だけではなく、老後の介護、終末医療、献体、お墓、財産、保険、ご親戚との付き合い方等。どの様にしたいのか、
 抱える問題は山ほどありますが、自分自身が整理され、これからの生き方も積極的になれると書いているうちに気が付きました。
 能書を並べている間があったら、私も将来のために書いておかなくてはと・・・。

女友達のつぶやきetc.

 癌の転移を心配していた友人は2ヶ月近くの検査からようやく開放され、さすがにほっとした様子。
 久しぶりの笑顔に一安心。
 お互いの近況報告で始まる挨拶もいつの頃からか定番化してしまったようです。
 
 介護問題から100歳で大往生された知人のお母様の話までエトセトラ、エトセトラ。
 このお母様はご家族・ご親族の方々が見守る中静かに眠るように永眠され、看取った人達が皆幸せな気持ちにさせられたと聞かされ、友人は若くして亡くなられたご両親を思い、にわかに我が身の行く末が気がかりなってきた模様です。
 
 ご両親の兄弟もすでに他界され、姉妹2人だけの生活は一見快適ですが周りを見渡してどちらかがいなくなった場合も考慮する必要を感じ始めたようです。
 1人になった場合、本人に代わって生活にかかわる手続きをして貰える成年後見制度の利用を妹さん共々考慮中とのこと。友人の様に親・姉妹がいなくなった場合は後見してくれる人を前もって自分で選んでおく任意後見になるようです。

 次なる問題は姉妹だけの為お墓の管理をどうするか。ご両親と自分達のお墓の行く末は・・・。これは永代供養をお願いすることになるでしょう。
 早速取り寄せた永代供養墓のパンフレットでは33回忌まで供養・管理され、以降は一部を供養塔に納骨され、残りのご遺骨は合葬区画に埋葬し合同で供養され、お1人60万円ほど掛かるとのこと。両親の墓も移して〆て4人で240万円・・・。
 女友達の呟きはまだまだ続くようです・・・。

盆義理は義理で行くのか・・・?

 新盆を第2のお葬式と呼んでいる遠州地方の方にとっては遠州大念仏以上に大事な行事が盆義理です。
 遠州大念仏が嘗ては町内の新盆の家を1軒1軒回っていたので、多くの人が新盆のお宅を訪問する機会を経て、それが根付いたとも言われています。

 お盆の間中、喪服を着た方が町内を右往左往する姿が見られ、新盆が重なったご親戚同士時間の調整のやりくりが重要課題になっているようです。
 お葬式で伺ったお宅には必ず伺う為、新盆のお宅を何軒もはしごするはめになり、タクシーをチャーターして次々と訪問する方も見受けられます。
 お招きする方もともすると百人単位のご接待になってしまいます。
 ご葬儀と違って、これを全て家人が執り行わなければなりません。
 しかし、伺う方も「盆供」と書かれた不祝儀用ののし袋をお供えし、ご挨拶が済んだら、長居は無用と出されたお茶とお茶菓子を頂き、次のお宅へ早々に移動します。

 まさに義理の社会が生き続ける盆義理ですが、一説には盆限りと書き、お盆限りのことだから他人に任せてはいけないことだとも言われているようです。
 

お盆が来ると思い出す「とったか」踊りとは・・・。

 テレビでは今日からお盆の帰省ラッシュが始まったと報じています。
 お盆という言葉を聞くと思い出されるのが地元では「とったか」と呼ばれた「遠州大念仏」です。
 遠州と言われるように浜松地方を中心に新盆を迎える家の庭先で大念仏供養を行うのですが、幼い頃に見た記憶と現実は少しずれがあるようです。

 記憶のイメージの中では、朝まだ明けきらない頃、遠くから太鼓や笛の音が聞こえ、その音が段々近づいてくるのをわくわくしながら待っている。
 やがて庭先に集まった花笠を背負った男衆が電球の明かりに照らし出され、総勢30人以上で勇壮活発に太鼓を叩きながら乱舞する様が思い浮かぶのですが、闇は闇でも現実朝方ではなかったようです。
 
 新盆は第2のお葬式とまで言われ、きらびやかな装飾がほどこされた壇飾りを背景に、遠くから聞こえた何処か物悲しい太鼓の音と目の前で打ち鳴らされる大音響の響き、華やかな花笠にとんぼ返りをするような激しい踊りの男衆とのコントラストが幼い日の記憶をどんどん膨らませてしまったようです。

 3年前、母の新盆に帰省した折は、今回特に頼まなかったと言われ、密かに期待をしていただけにちょっぴりがっかりでした。
 しかし、今では注文に応じて庭先までマイクロバスで乗りつけるとのうわさを聞き、思い出の中での「私のとったか」はそのままにして置こうと思います。

「お子さんを亡くされた場合、お子さんを散骨できますか・・・?」

 先日、TBSラジオ番組「アクセス」で討論された「散骨は国が法規制するべきか」の中で、散骨の有無について聴取者のおっしゃった言葉が引っ掛かっています。

 すべきとおっしゃった方の中で、「もし若いお父さんが子供さんを亡くされた場合、子供さんを散骨できますか」と問われた方がいらっしゃいました。
 確かに散骨を希望される方はご自分が生きるだけ生きた、又は皆さんが大往生だと認めた場合が殆どでしょう。
 順序が逆の場合は難しいというよりはちょっと考え難い。
 
 宗教学者、島田裕巳氏も「子供さんというよりも若くして亡くなられた葬儀に行くと葬式では解決できないどうしようもない問題ってあると思う。ご高齢で亡くなられた方の弔い方と若くして亡くなられた方の弔い方、葬り方というのはどうしても気持の内で違ってきてしまう。散骨などする場合でも後の問題なんか、すごくある。亡くなった人をその後どうするかという問題がどうしても出てきてしまう。」と、コメントされています。
 
 これに対して、すべきでないという方は「生と死は常に表裏一体であり、生と死は回っているものだし、生まれた時から死に向かっているのだから3日で亡くなった子であろうと、100歳まで生きた人であろうと違いはない。死というのは平等なんです」と明快に答えていらっしゃいました。
 また、「近くに散骨場は嫌だ」というのは死を認めたくないという強い願望で、その裏返しだともおっしゃっていました。
 皆さんは如何でしょうか。
 

喧々諤々「散骨は国が法規制するべきか」聴取者の判断は・・・?

 前日の疲れからかうつらうつらしていると、いきなり「さんこつ」という言葉が耳に飛び込んできました。
 慌てて周りを見渡すと、掛けっ放しのラジオからでした。
TBSラジオ・夜10時からの番組「アクセス」では「散骨は国が法規制するべきか否か」のお題で聴取者を交えての討論が始まるところでした。
 タブー視されていたご葬儀もここ2~3年の傾向として日常的な話題に乗せられるようになってきたようです。
 その1例として司会者は直葬をあげていました。
 2年前にはそういうものがあるという話題から、昨年には増えているという段階になり、今ではすでに選択肢として定着されてきているというように。
 時代の変化に呼応するかのような動きが見られる一方で「待った」をかける意見も活発です。ここは大いに議論されることを期待したいものです。

 今回まな板に乗ったのは「散骨」の是か否でした。
 まだまだ一般的に散骨と言われても漠然としたイメージを持つ方が大方のようです。
 規制すべきという方は、蒔かれる方の立場はどうなるのか、狭い日本の中では風向きによって何処に飛んで行くか分らないのでは。近くの住民にとっては大きなプレッシャーになり、散骨は日本人には合わないのでは・・・。但し、規制はモラルの範囲内でと。
 また、別な方は宗教心が無さ過ぎる。亡くなった後の問題をどうするのか。手を合わせる対象物が欲しい。墓がある方は墓と散骨場をどうするのかと。

 一方、規制すべきでないとおっしゃる方は散骨も埋葬許可書、火葬許可書のように地域で散骨したい場所があれば許可書を発行してはどうか・・・。散骨主義の宗教団体ができた場合は宗教の自由の観点から難しいのでは・・・。
 また別な方は生と死は表裏一体のもので、ちゃんとお葬式をして送り出した後、散骨にするには何の問題もありませんと・・・。

 それぞれの立場で宗教観を交えながらお話されていましたが、ご主人を観音崎沖合いに散骨されたご婦人からは体験談をお話になり、ご自分の場合も娘さんがそうしてくれるはずですと凛としたお声でおっしゃっていたのが印象的でした。
 お骨は粉砕し水に溶ける紙に包み、お花は蕚のところからちぎり、娘さんと甥ごさんが代表して大好きだったお酒も持参し海上から落とし、娘さんはその場で般若心経をあげてお父様のご冥福をお祈りされた由。
「やり方で、粉が周りに飛び散るということはございません。それだけは申し上げておきたかった」とおっしゃっていました。

 当日のコメンテーター・宗教学者の島田裕巳氏は「こういう習俗がものすごい勢いで変化していく中で、それを判断するある種の宗教観みたいなものを我々がどう確立していくかというようなところが、今最も求められているのでは・・・」と。
 聴取者からのアンケートでは、するべき・52パーセント、そうは思わない・33パーセント、どちらでもない・15パーセントとの報告がありました。

最近の葬儀は形式的になりすぎている・・・?

 日本消費者協会の第8回「葬儀についてのアンケート調査」によりますと葬儀の内容についての意見で「形式的になりすぎている」と感じられた方が急増しているようです。
 確かにご葬儀の順序は無宗教葬を除いて、ほとんど決まっていますのでノウハウだけを丸暗記すればどなたでも出来ないことはありません。
 斎場でのご葬儀が大半になった昨今では、時間に縛られ、規則に縛られ、敷かれたレールの上を落ちないようにすれば1件落着の感があります。
 しかし、大切な方をお見送りするご喪家のお気持ちを酌み、どのようにお手伝いできるかは葬儀社の担当者の力量で大きく左右されます。
 ご葬儀の顔は一つひとつ違います。いち早くご要望を察知し、臨機応変に対応されているベテラン担当者にお会いすると、立会いで伺った部外者でもほっと致します。
 一見同じようなご葬儀でもその場の雰囲気は全然違ってきます。
 
 依頼者の皆様も目先の安売り価格だけに惑わされないよう、できましたら見積りを取った後、担当者と会いじっくりお話を聞かれることを希望します。
 人任せだけでない、納得のいくご葬儀になれること受け合いです。

安心して父を最後まで看取ることができました。

 センターの事前ご相談フォームに寄せられる質問の中には「何処からどう手をつけてよいか、万が一の前に何をしておけばよいのか」。
 また「マニュアル本を読んでも現実になった時、そのようにいくのだろうか。やり直しがきかないのにそれを聞く人もいない」と不安を訴えるご相談者が目につきます。
 不安材料を抱えながらも事態はどんどん進行し、時間は待ってくれません。
 でもご安心ください。
 万が一の後は搬送から火葬終了まで全て、葬儀社が面倒を見てくれますから。そのためにも葬儀社選びが重要になってきます。
 間に入るセンターの我々はさまざまなご要望を聞き、依頼者の立場にたって内容を整理して、見積りをご要望に沿った賛同社から取り、ご紹介します。
 中にはまだご存命なのに葬儀の準備を始める罪悪感に悩まされる方もいらっしゃいます。
 しかし、そういう方でもメールのやり取りをしていくうちにあらかじめ知っておくことがひいてはきちんと送ってあげることにつながるのだと思えるようにようになりましたと後述されています。
 葬儀社が決まれば、後は安心したお気持ちで最後まで看取ることができます。
 ある方は亡くなったお父様の看取りとご葬儀をご自分の中では「幸せな思い出」となっていることにきずかされたとまでおっしゃっています。
 ご要望に合った葬儀社を決めることで、後は皆さん悔いが残らない用看病に専念されるようです。
 「残された数日間は父を看取ることだけに気持ちを集中することができましたので、ご相談してよかった」とのご報告をいただきます。
 
 こちらからもできるだけ看病に専念されますようお願い申し上げています。